旅の手帖 連載「海からのメッセージ」 (第30回)
      98年9月号(8/15発売)


空飛ぶペンギン(ガラパゴス)
中村 元

 ガラパゴスは珍しい動物がいるだけではない。動物相による地理感がまったく喪失してしまう不思議な島だ。
 昼間の日差しはひどく強く、じりじりと皮膚を焦がす。それはそうだろう、ここは赤道直下。海には赤道らしきものなんてどこにも引いてはないけれど、とにかく太陽にもっとも愛されている場所なのである。
 当然暑いし、火山岩でできた島には大木もなく、日陰を探すのさえも難しい。ところが、こんなところにペンギンやオットセイが住んでいるのだから、不思議を通り越して恐れ入ってしまう。

 ガラパゴスペンギンは、南米に住むフンボルトペンギンが、フンボルト海流に流されてこの島にたどり着き、独自の種となったのだと考えられている。
 こんな赤道直下でも平気なのは、フンボルト海流が、北極から流れてくる寒流であり、それがストレートにガラパゴス諸島にぶつかってくるために、海の温度が比較的低いからだ。
 ペンギンは、地球の北半球には生息していないから、ガラパゴスペンギンこそ、地球で最も北に住んでいるペンギンだと言える。

 入り江でペンギンを見つけた私たちは、彼を撮影することにした。もともとペンギンの仲間はあまり人を怖れないのだが、もとよりこの平和な島々の動物である。私たちがボートで近づいていっても素知らぬ顔で岩の上に立っていた。
 フンボルトペンギンを二回りほど小さくしたような大きさだ。その上暑いせいで羽根が少ないのだろう、なんとなく着痩せしているように見える。
 ちょっといただけなかったのは、腰のあたりに緑色の苔を生やしていたことだ。これでは燕尾服の紳士の名がすたるというものだ。すり減り汚れた燕尾服を着た、落ちぶれ貴族というような風情である。
 海や川にすんでいる鳥でこんなに薄汚れた鳥もまた珍しい。「おまえ、羽根くらい洗えよなあ」と声を掛けながら近づくが、そいつは意にも介していないようだった。

 思いついたように海に飛び込んで、尻をぷるぷると振ると、気持ちよさそうに泳ぎ始めた。私たちも、それに続いて海に入る。彼がフッという感じで目の前から消える。私も慌てて潜ったが、どこにもいない。
 諦めて水面に戻ると、目の前1メートルのところに彼が浮かんでいた。お尻をこちらに向けて、またぷるぷると振っている。
 こちらを向いて、私の方へ少しだけ向かってきたと思ったら、目の前でまたふっと消えた。こんどは慌てずに私もその場で潜る。そして海底から立ち上がっている岩にしがみついて、ゆっくりと周りを見渡せば・・・なんと彼は矢のような早さで水中を飛び回っていた。
 塔のように水中に立つ岩の間を抜けて、縦横無尽に飛び回っているのだ。それはまるでアニメの戦闘機を見ているように、鮮やかな曲芸飛行だった。

 キラキラ輝く真っ青な水面をバックに彼の勇士を見れば、ははんなるほど、ペンギンは鳥であった。海の中を泳ぐのではなく、飛び回っているのである。
 彼はただ飛び回っているのではないらしい。どうやら小さなイワシの群に、突っ込んでいるのだ。しかし何度やってもクチバシにイワシをはさんでいる様子などない。彼が急降下してイワシの群に突っ込むと、それを見透かしたかのように、群はさあっと広がって、真ん中にぽっかりと開いた空間をくぐり抜けることになるのだ。
 すると彼は、急ターンをしてまた突っ込み直す。何度やっても無駄かもしれないと思いはじめた頃である。何度も突っ込まれた群は、次第に統制がとれなくなり、群の端に、どこへ行けばいいのかわからなくなったイワシが現れ始めた。
 彼は、次の急ターンで、今度は群の中心には突っ込まずに、その行き場を失ったイワシに狙いをつけて、しっかりとクチバシに挟み込んだのだ。
 キラキラと重なった群は、狙いを定めにくい目眩しとなる。ところがこのペンギンは老獪な方法でそれを破っていたのだ。彼は水面に浮かぶと、満足そうに私を見た。「まだまだ落ちぶれてなんかいないよ」と言っているようだった。


■写真キャプション(写真は後で入れます)
小魚の群に、突っ込むガラパゴスペンギンは、鳥というよりも戦闘機のように飛ぶ。かつて空を飛んでいた血が騒いでいるのかもしれない。楽しそうだった。

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(C) 1996 Hajime Nakamura.

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