旅の手帖 連載「海からのメッセージ」 (第31回)
      98年10月号(9/15発売)


ガラパゴスのマヌケドリ(ガラパゴス)
中村 元

 動物の名前には、ずいぶんいいかげんで失礼な名前が少なくない。ナマケモノだとかコビトイルカだとか…、木の上でじっとしながら葉っぱを食べているのならコアラだって一緒なのに、一方はニンキモノで一方はナマケモノ。彼らがもし自分の名前の由来を知ったら、きっとひどく憤慨することだろう。

 そしてそんな失礼な名前の最たるものが、アホウドリである。断っておくが、アホウドリは「アホー・アホー」と鳴くわけではない。アホウは確かに阿呆の意味なのだ。
 しかし彼らは断じてアホではない。翼を広げれば現存する動物の中で最も翼長が長い巨体は、アホウドリが鳥の中で最も成功したものの一つであるということを表している。また、羽毛は真っ白で美しく、その顔には聡明さが漂っている。
 ただ、アホウドリは、無人の島に住んでいたため、人から逃げることを知らなかったのだ。立派な羽毛をたくさん持って逃げることを知らないから、明治時代には羽布団の材料にするために絶滅近くまで獲られてしまった。いとも簡単に殺されてくれるから、阿呆な鳥でアホウドリという訳である。

 ガラパゴス諸島にもガラパゴスアホウドリという少し小型のアホウドリがいるが、アホウドリの名前の由来からいけば、この島の全ての鳥は「阿呆鳥」である。そしてここには西洋名で「マヌケドリ」と名付けられた鳥がいるのだ。
 ガラパゴスのどの島ででも、圧倒的な数の海鳥たちが、ヒトを怖れることなく暮らしているのに驚く。中でもカツオドリの仲間は、極端にヒトを怖がらない。

 海岸のマスクカツオドリは、聖者のように私を見つめて動かない。手を伸ばせば私にでもつかめそうだ。
 アオアシカツオドリはもっとふざけている。島の中には、ヒト一人がやっと通れるだけの細い観察路が、動物たちに害のない場所を選んで設置されていのだが、わざわざそんな細い道のど真ん中を選んで営巣しているのだ。
 そうかと思えば、観察路を使って、自慢のマリンブルーの足で、オスが求愛のダンスを踊る。メスもそれに習って踊りながら着いていく。しょうがないから私たちも、2羽のダンスの後ろをパレードのようについていく。
 とにかくすべてがこんな案配なのだ。どうして彼らがヒトを怖れないかといえば、ガラパゴス諸島にヒトが居なかっただけでなく、彼らを捕食するような大型の動物が一切居なかったせいだろう。ここにはヒナを襲う哺乳類さえいない。

 最も近い大陸から千キロ近くも離れているうえに赤道直下の炎天下とくれば、どれほど我慢強い哺乳動物であろうとも、船でも無い限り渡りきることは到底無理な話である。アシカの仲間を除けば、わずかにネズミとコウモリだけが、エサと一緒に何かに乗ってきたのだろう、細々と暮らしている。
 そんな危険のない環境で、何かを怖れたり警戒するたびに飛んで逃げていたのでは、アホらしくてしょうがない。体力の消耗をするだけ損だというものだ。そのため、逃げるために飛ぶことは、はるかな昔にすっかり止めてしまったのが彼らなのである。

 しかしその楽園にやってきたのが、船を発明したヒトたちである。水の補給のついでに、逃げないカツオドリたちを、棍棒で殴り倒し、素手で絞め殺して食料にした。探検船、海賊船、商船、軍隊、発見されてから多くの人間が訪れては、彼らを殺しまくった。
 カツオドリたちはそれでも逃げないので、いつの間にか、ラテン名でも英名でも仏名でも「マヌケドリ」という名前が付けられた。
 確かに隣で仲間が殺されても逃げず、それを見ていた子孫たちも逃げることを学習しないのだから、戦いに明け暮れてきたヒトから見れば間抜けな鳥に違いない。
 それからすでに400年たったが、彼らはまだ逃げようとせず、私たちを信じているのである。彼らの意識からはきっと「逃げる」ということを考える遺伝子さえもが、欠落してしまったのだろう。

 しかし、ヒトがこの島を発見してから、ゾウガメたちは絶滅し、ヒトの連れてきた野犬や山羊が野生生物の存続を脅かし、山火事が自然を消滅させ、エルニーニョは環境を根こそぎ破壊しているのだ。カツオドリとヒト、どちらがマヌケだったのかは、誰が見ても明白である。

■写真キャプション(写真は後で入れます)
見透かしたように私を見つめるアオアシカツオドリ。水色の長靴を履いた聖者のように見える。お前らは阿呆だなあと問いかけられているような気がした。

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(C) 1996 Hajime Nakamura.

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