旅の手帖 連載「海からのメッセージ」 (第33回)
      98年12月号(11/15発売)


オットセイの子たち(ガラパゴス)
中村 元

 私の一番好きな動物はオットセイ。おかげでアシカの仲間がこの連載に登場するのはついに6回目となってしまった。それでも彼らの魅力は語り尽くせない。
 ガラパゴスに降り立って最初に会ったのは一人でくらしているガラパゴスアシカだったが、ここガラパゴスにはオットセイも住んでいる。当然のごとく私は彼らに会いにいった。

 真っ先に迎えてくれたのは、まだ2歳に届かないほどの腕白坊主4匹組だった。
 彼らは遠くから私の姿を見ると、見なれないヒトの出現に興奮して、右往左往しながら海に飛び込んだり、オエッオエッとオットセイの子供独特の声で鳴いたりと騒がしい。
 彼らの中には、明らかにガキ大将がいた。ガキ大将になっているのは、きっと男の子だろう、みんなより少し大きくて元気である。そして何よりも好奇心がいっぱいなのだ。
 彼は、私の方を何度も見ては、首を振っている。彼の気持ちは手に取るように分かる。私が何者なのか知りたくてしょうがないのだ。

 私は、この後彼らがどんな行動に出るかよく分かっていたので、岩に座ってカメラの点検をしながら、極力彼らの方を見ないようにしていた。
 時々そっと見てみると、案の定ガキ大将を先頭に、4頭がこちらへ近づいてくる。ところが途中までは勇ましく行進してくるのだが、ある距離まで近づくと、後ろの2頭が怯えだすのだ。ちょっとしたことで驚いて、逃げ帰ってしまう。
 でも、ガキ大将は彼らを許さない。追いかけて、一番臆病な奴を脅して、ついでにもう一頭の奴の背中に咬みつき、わざと追いかけさせて、なんだかんだとみんなを引き連れて私に近づいてくるのだ。結局彼も一人でやってくるのは恐いのだろう。
 もうあと5メートルというところに来たところで、一番臆病な奴がそれ以上は近づけなくなってしまった。でも彼はそんな近くで一人で待っているのさえ恐いから、結局は少しずつ近づいてきている。
 私はそのあたりから、そっとカメラを構えて写真を撮っていた。レンズの中で彼らが近づいてくる、私は夢中になってシャッターを押し続ける。

 そしてもうあと1メートルというところまで先頭のガキ大将が迫ったとき、カメラのフィルムが終わってしまい、自動巻き取りのモーターがジャーという音を立て始めたのだ。
 その音に彼らの一頭がびっくりして、勢いよく身を翻し逃げる。他の三頭もその慌てぶりにびっくりして、一斉に身を翻す。ガキ大将は運動神経もいいから、一番前で一瞬遅れているくせに、一番遠くに逃げていた。
 可哀想なのは、一番後ろでビクビクしながら着いてきた臆病な奴である。突然の仲間の慌てぶりに、パニックになってしまい、身を翻す時に滑って転んでしまった。そして他の三匹にけとばされた後で、最後に逃げていったのだ。
 これは、心底恐ろしかったことだろう。その後も三頭はまた近くまでやってきたが、臆病な一頭は、もう近寄ってはこなかった。きっとこうして、ガキ大将はますます大胆不敵な性格になっていき、臆病な奴はますます用心深く怯えた性格になっていくのだ。

 でも、それが格別可哀想なことだとは思えない。何にでも興味を示し、大胆な行動をとれる奴は、おそらく早く海に入り深く潜り、エサを獲るのも上手で、すくすくと育つだろう。それは、将来自分のテリトリーを構えて多くのメスを手に入れるのに役立つのだ。
 しかし、もしこの海に巨大なホホジロザメが出没するようになったらどうだろう?ホホジロザメは泳ぎ始めたばかりのオットセイの子をエサにするのが好きで、各地の繁殖地にその時期だけ出没する。
 そんな状態になったら、大胆で好奇心の強い子供は、真っ先にサメの餌食になってしまうだろう。そして臆病で海岸から離れられない臆病な子だけが生き残ることになるのだ。結局どちらが得なのか、分かりはしない。

 平等な人生などありはしない、そして平等な結果もありはしない。それぞれの人生を自分の性格なりに生きるために、かれらはこうしてグループをつくり、自分の性格に磨きをかけているのかもしれない。

■写真キャプション(写真は後で入れます)
一番近くにいるのがガキ大将。二度目に近づいてきたときには、すでに私の友だちのようにふるまっていた。臆病な子は写真の中にはもう入って来れない。

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(C) 1996 Hajime Nakamura.

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