ぼくらはみんな地球人へ戻る
「地球流民の海岸」表紙へ戻る
■坂田 明
ジャズミュージシャン
「天界のミジンコ、地上のヒト」
坂田さんに初めてお会いしたのは、まえがきの師が主宰するNGO「地球市民の会」の宴会でだった。安宿の宴会場にひょいと現れた坂田さんは、「ミジンコにはさ、ミジンコの都合があるんだよ」なんてことをサラッと口にしたかと思ったら、おもむろにサックスを取り出し演奏をされたのだった。決して上等とは言えない座敷間に響き渡る、ソウルフルなサックスと、ミジンコの都合のビックリマーク「♪&!」。初めて聴くナマ坂田に酔いながら、この人は地球市民というより、地球人と言った方が胸にストンと落ちるなあと思った。鳥羽水族館機関誌TSAでのこの企画「地球人トーク」の名称は、そのときの坂田さんとの出会いによって運命的に決まっていたのだ。だから最初のお一人は坂田さんである。
この対談のおかげで、宴会場の出会いから気になっていたミジンコの都合は、すっかり明らかになり、自分の都合がどの程度のものかも少しは見当が付くようになった。惜しむらくは、対談の元テープが紛失されてしまったことだ。すごいエッセンスがいっぱい詰まっていたのに・・・。
■松島トモ子
女優
「動物とのコミュニケーション」
子供の頃、従姉弟の持っていた雑誌の表紙でトモ子さんを見た記憶がある。大きな目がキラキラと眩しい少女だった。それから40数年の歳月が経っているにもかかわらず、トモ子さんの目には、あの少女の頃のままのキラキラが輝いていた。人生を楽しんでいる方に特別の天使の目である。このキラキラ目で、同じ視線の高さでのぞき込まれたら、ヒトだろうが動物だろうが心を開くこと間違いなしなのだ。
対談後の雑談で、ジュゴンのセレナの運動係をやってみませんかと話したら、数ヶ月後に本当に来られた。飼育担当者はトモ子さんのキラキラ目にまいってしまい、メスのセレナの運動係だけでなく、危険が伴うために一般の人には一度も許可したことのないオスのプールでの潜水も許可。発情中のオスのジュゴンはトモ子さんに抱きついたのだが、水中で押さえ込まれながらも、怖がることなく、やっぱりキラキラと目を輝かせておられたのが印象的だった。
■中村幸昭
鳥羽水族館館長
「4500万人が訪れた水族館」
実は中村館長の長女は、私の連れ合いでもある。つまり私は婿養子なのだ。婿にこなければ結婚は許さんと言われ、動物や海になんの縁もゆかりもなかった私が水族館で働くことになり、このような対談をやったりしているのだから、私の人生を変えた張本人でもある。その条件を飲んだ私も私なのだが・・・。ただし、ご本人も動物の専門家ではない。観光客が実家の海産問屋の生け簀を見に来ることから水族館を思いつき、現在の超水族館へと続いているのだ。
自らをアイデアマンと称されるが、的確に表現するなら「非常識を常識にする男」である。初めてジュゴンを見せてもらったときに「これが人魚だ!どうだ可愛いだろう」と断言されて、常識的な私は反応に困ったものだ。しかし今ではジュゴンは立派に人魚であり、誰もが可愛いと言う。ただし3人のかしましい娘たちからは、ただの「非常識な人」と呼ばれながら、得意のダジャレを飛ばしている好々爺でもある。
■中村宏治
水中写真家
「海は幻想曲を奏でない」
「種名:コウジゾウアザラシ。生息地:全世界の海に神出鬼没。好奇心強く、ためらいなく巨体を海に踊らせる姿がよく目撃される。時々大きなクシャミをする・・・・。」その風貌からして見るからに海獣である。水中のことを語り出したら止まらない。あまりの勢いに、しばしば対談にならないほどだった。海獣の海獣たる所以なのだろう。
しかし宏治さんの海獣度は、なんと言っても、ヒトの限界ギリギリの状態で撮影された映像や写真を見せて頂くことだ。新しい鳥羽水族館がオープンしたときのポスターは、そんな作品の中から見つけ出した。光を目指して泳ぐガラパゴスアシカの写真である。最近急増しているダイバーのほとんどが、このように海獣に進化した水中カメラマンの方々の映像に刺激されて、海へ進出したのだろう。
■藤田紘一郎
寄生虫学医学博士
「回虫+ヒトが40年前の日本人だった」
どこから見ても立派な教授である。背が高く格好の良い紳士である。学者とか紳士にはからきし弱い私は、お会いしたとたん緊張感に包まれていた。さらに、その紳士がお腹の中でキヨミちゃんなどと名前を付けたサナダムシを飼っているというのだ。怪しすぎるではないか!そんな怪しい紳士といったいどんなお話をすればいいのか?緊張感までが怪しく揺れ始めた。しかし、対談を終えておいとまするときには、すっかり藤田先生と寄生虫の虜になってしまっていた。藤田先生のソフトな語り口調はマジックだ。知らないうちに、頭の中に怪しい寄生虫を共生させられていたのに違いない。
それにしても不覚だった。ヒトも動物なら寄生虫も動物、なぜ今までそんなことに気づかなかったのだろう・・・?頭の中の怪しい寄生虫は、今も私の常識を揺さぶり続けている。ところで偶然なのだが、藤田先生は私の高校の大先輩だったのである。
■小谷実可子
シンクロナイズドスイミングメダリスト
「ヒトがクジラとむき合うとき」
実にキュートな女性である。水着姿でなくても人魚のようなヒトだという印象。もちろん、ジュゴンを人魚と言うのと、彼女を人魚というのは、次元のまったく違う話であることは認識して頂きたい。小谷さんは動物番組で野生の海獣たちと潜っている。イルカやクジラと一緒に潜る機会を何度も与えられる人は、世の中にそう多くいるわけではない。私を含め、鯨類好きの人たちにとって、それは妬ましいほどの羨望だ。しかし、彼女だったら許せてしまう。彼女は暮らしの半分を水中で過ごしてきたおかげで、海に数分潜っているくらいなら潜水器具など必要なくなった、世界にいくらもいないヒトなのだから。人類にも小谷さんのような人魚系がついに現れた。そして我々の代表として鯨類と会うような時代になったのだ。そう考えるだけでもなにか楽しいではないか。
■松岡達英
自然イラストレーター
「より本物を語るイラストレーション」
画家は、表現者である以前に鋭い観察者である。お会いしてお話をする度に、どうも松岡先生の目で観察されているような気がしてならないのだ。この目は、動物たちの姿形だけではなく、彼らの行動や宿している魂までもを徹底的に観察する。その観察眼が、スケッチブックに新たな生命を誕生させるのである。その画にはなんの解説も必要ない。観察されつくして描かれた画には、動物たちの魂が宿っているからだ。そこに、先生の絵が写真よりリアルに感じられる理由があるのだと思う。
松岡先生には、鳥羽水族館が毎年開催している「人魚のイラストコンクール」で審査員をしていただいているのだが、描かれた絵に対しても厳しい審査眼を向けられる。その鋭い眼は、応募された絵が、動物の十分な理解の上に描かれたものであるかどうかという、やはり作者の観察力を重視した眼である。
■萱野 茂
二風谷アイヌ資料館館長
「アイヌの自然観と生活観」
初めてお会いした萱野さんは、歴史を語る一人のアイヌだった。次にお会いしたときには初の国会議員アイヌとして活躍されていた。そして今回、議員を辞された萱野さんは、未来を語る一人のアイヌとして、実に自然に老いておられ、その顔からは以前にも増して強い気力を感じたのだった。萱野さんの顔に年々増えていく深い皺には、民族の歴史が刻まれている。アイヌである己とアイヌの文化に、誇りを持ち続けた年輪だ。自分の存在に誇りを持てるということは、自分自身が何者かを知り、信念を持って生きていることができるということである。よりどころがあって生きることは強い。それが萱野さんの気力となっているのだろう。はてさて現代の日本人は、どこによりどころを持って生きているのだろうか・・・?
初めてお伺いしたときには、トウモロコシを山のように出していただいた。あまりにも美味しそうに食べられるので、私もつられて3本も食べてしまった。最近、アイヌ語のミニFMを始められたらしい。
■荒俣 宏
作家、博物学者
「生存のバランス」
荒俣さんが、稀代の博物学者であり、博物画の蒐集家であり、風水のエキスパートであることはよく知られているが、実践派アクアリストであることはあまり知られていない。しかも、ペットショップで買ってきた魚で満足しているようなごく一般的なアクアリストではない。今でも取材の先々にタモ網と酸素ボンベを携帯し、自分で採集した魚類を飼育するのが基本というストイックさなのだ。おかげで、私などとても太刀打ちできない飼育の知識を持っておられるし、聞いたこともない生物の学名を容赦なく口にされる。困ったもんである。しかしその実践が、博物学をただの分類学ではなく文化とならしめているのだ。ヒトは好奇心を持った動物であり、好奇心を満たすためならば犠牲をいとわない。そんなヒトのカルマが荒俣系博物学を形作っている。それは私にも強烈な影響を与え、今では私の魂までもが好奇心の海に漂っている。
この対談が連載されている鳥羽水族館の機関誌では、「荒俣宏の水族館夜話」を連載。こちらも近くまとめられて上梓される予定。
■岡野薫子
作家
「動物の視点で見る人生観」
小さな身体、上品で細い声、もし眼鏡の奥に輝く子供のような目を見なければ、この女性が多くの科学番組を制作し、たくさんの動物童話を書いてこられた岡野先生だとは気づかないことだろう。
しかし、一言一言ゆっくりと会話をされる細い声には、言葉をとても大切にされている響きがある。だから、水族館でラッコの行動を観察しているときも、自宅で猫の行動を観察していても、その仕草の一つ一つが発しているメッセージを受け取ろうと、心の耳を澄まされるのである。ラッコのコタロウの物語は、コタロウの発するメッセージから誕生したのだ。そうして生まれた先生の童話には、読者の人生のために何か教訓めいたことを教えてやろうなどという気負いはまったく感じない。語られる言葉も独善的ではない。ただただ、私たちの心に優しく自然に届くのである。
■黒田勇気
俳優
「裸族とくらした一週間」
まだ少年である、なのにどこか大人の風格がある。それは役者として演じてきた、キャラクターの人生を体験してきたからなのだろう。そんな能力を持った少年が、先住民の暮らしを体験をしてきて語る言葉には、思いもかけない発想がある。
「先住民の人たちの活動量で都会で暮らしたら、すごいことができると思う」という感覚に驚き、「ボクの時間のせいで、獲物を捕らずに帰らなくてはならないことが悔しかった」という心にハッとさせられた。先住民のことはよく理解しているつもりの私だったが、考えてみれば、文明人と自負する日本人の意識でしか、先住民の人たちの暮らしを見ていなかったことを思い知らされた。
虫を美味しいと感じ、モンゴルの牧草に心を向ける少年の心。それは、テレビで観た直接的な笑いや涙より興味深かかった。
■宇治土公貞明
猿田彦神社宮司
「日本の神社に森がある理由」
神道というと堅苦しさを感じるが、宇治土公宮司の発想はとてもニュートラルである。その発想の根元には、世界各地の聖地を訪れて得られた人間観や、存在する全ての事象を認めるおおらかな世界観がある。八百万の神々の中には、砂に宿る神も、オシッコに宿る神でさえもいらっしゃるのだそうだから、神道というのは元々多様性のある世界観なのだ。
猿田彦神が道開きの神であることにふさわしく、ダイビングで結ばれたカップルの水中結婚式のために鳥羽水族館の水槽内に潜り、スカイダイビングで結ばれたカップルの空中結婚式のためにパラシュートに吊されながら、祝詞をあげられた。宇治土公宮司の多様な価値観を受け入れる広い心と、すべての人々の幸せを願うやさしさが、陸海空すべての場所で挙式を上げた世界で唯一人のユニーク神職を生んだ。
■チチ松村
音楽家
「クラゲと拾い物と音楽と」
たまげた!チチさんの仕事部屋に入ったとたん、突如!ロボット2体が暗がりの中から目を光らせて登場。その2体が「コンニチワ中村サン、ヨウコソイラッシャイマシタ・・・・」などとしゃべるのである。私を驚かせてすっかりご機嫌なチチさんは、続いて、不思議な人工クラゲ水槽の幕上げ式(ジャジャジャーンという声入りで・・・)を挙行。さらに、ご自慢のクラゲグッズ宇宙への招待、拾われてきた者たちの紹介など、まるで少年のように得意満面なのであった。
そしてやっぱり少年の心のカケラが残っている私にとって、チチさんの宝物は、少年たちのの憧れだった戦艦大和のプラモのように、強烈に魅力的に写るのだった。対談を始める頃には、すでにチチワールドにのめり込み、その後一週間、私はチチさんのゆったりテンポでしかしゃべれなくなってしまっていた。
■立松和平
作家
「自然のパワーが人のパワー」
自然は時として優しく、多くの場合厳しい。立松先生自身がそんな方である。自然の優しさと厳しさの両面は、自然がいずれか特定の生命のために存在するのでないことの現れだ。もちろんそれはヒトのために存在するのではないことも含む。地球あるいは天の意志は、顔色を変えることもなく、いずれかの生命を消滅させ、いずれかを生かすという厳しい選択をしてきた。立松先生は、ヒトがそれを天に代わって選択しようとする無理無謀な現代に警鐘を鳴らし、さらに自分自身を厳しい選択の中に身を置いて、自ずから悩むこともしておられる。だから立松先生の言葉は、時として優しく、時として厳しいのである。
ぼくらはみんな地球人へ戻る
RUMIN'S ESSAY 表紙へ 地球流民の海岸表紙へ
(C) 2001Hajime Nakamura.