ラッコの道標:中村 元著/パロル舎刊
ラッコの道標
第1章 ラッコが日本にやってきた


1-2 銀色ラッコのなみだ
 手元に「銀色ラッコのなみだ」という本がある。童話作家の岡野薫子先生が1964年に書かれた本だ。 鳥羽水族館にラッコがやってきたとき、英語の文献を読むのが不得意な飼育係のバイブルといえば、片岡副館長がアメリカでの報告書や発表された記事をかたっぱしから訳した手作りの資料だけだった。そんな中、スタッフが密かに愛読していたのが、この「銀色ラッコのなみだ」なのである。

 岡野先生は、科学映画の脚本を手がけられていたほど動物の生態には強い方なのだが、童話作家として書かれた「銀色ラッコのなみだ」は、銀色の毛皮をもつラッコとエスキモー(イヌイット)の子供ピラーラとの、情緒的で、かつ社会的な物語だった。
 しかし、そこに挿し絵と共に描かれているラッコは、実にいきいきと私たちの心に宿った。胸の上で手を組んで眠る様子、お腹の上で貝を割る様子、嵐の海に震える様子、そんなラッコの動作の一つ一つが、そして毛並みの一本一本が、瞼に浮かんでくるように迫ってくるのだった。 そして、何度も読むうちに、人間中心の社会でラッコが今おかれている状況が、まるで古くからの友人の暮らしのように心に伝わってきた。

 実は、鳥羽水族館の解説や出版物を担当していた私が、動物の生態だけでなく、その生活史とヒトの社会との関係をからめて紹介するようになったのは、「銀色ラッコのなみだ」を読んでからなのである。もちろん、ラッコの解説には、毛皮を奪われたラッコの歴史を必ず挿入することにした。

 読んでいるだけでは飽き足らなくなったので、岡野先生に手紙を書き、鳥羽水族館にラッコが来ることを伝えた。岡野先生は、ラッコがやってくるとすぐに鳥羽水族館に来てくれた。 初めてお会いする岡野先生は、すでに初老の域に入っておられるはずなのに、その目は子供のようにワクワクと輝き、小さな体をあちらへこちらへと、まあそれこそラッコのように動かして、何日も観察をされていた。

 そして、その後の数年の間に、岡野先生による新しいラッコの童話や図鑑が何冊も世に出ることになったのである。
 ラッコの愛称を募集したときにも、岡野先生に審査委員長をしていただいたのだが、その時に付けられた男の子のラッコ「コタロウ」と、日本で初めて産まれた女の子「チャチャ」のことは特にお気に入りで、コタロウが主人公になった童話は最も多い。
 日本でラッコを大衆化したのは、鳥羽水族館と「わくわく動物ランド」であったことは間違いないのだが、その頃の私たちに、ラッコの動物としての尊厳を大切にさせ、ヒトの関わりをはっきりと打ち出させてくれたのは、これも間違いなく「銀色ラッコのなみだ」である。

 しかし、後になって岡野先生にお尋ねしたところ、なんと岡野先生ご自身も、鳥羽水族館でラッコと会うまで、一度も生きているラッコに会ったことがなかったのだそうだ。
小さい頃に祖父の外套の襟についたラッコの毛皮を見たのを最初に、洋書のラッコに関する記述を読み、博物館でブタのように太ったラッコのハクセイを見て、そのあまりの恐ろしい格好に興味を持たれたのだそうだ。
 その後にイヌイットの生活や文化が、文明によって崩れ、その過程でラッコが絶滅に向かったのを知ったことが、「銀色ラッコのなみだ」を書くたきっかけになったのだという。 先生にとって、ラッコの暮らしは空想の世界であった。

 ずいぶん後になって、岡野先生に当時のことをお伺いしたところ、鳥羽水族館で生きているラッコに会うという初日、とても緊張したのだそうだ。 空想の中で書いた「銀色ラッコのなみだ」のラッコと、本物のラッコに大きな隔たりがあったら困ると思っておられたのだとか。
 しかし鳥羽水族館の水槽でくるくる回りながら岡野先生を迎えたラッコたちは、先生の想像とほとんど違いは無かった。 「それはそれはホッとしたのよ」と回顧されている。  ところが、面食らったのが水中でのラッコだった。ヌイグルミのようにモコモコと可愛い水面でのラッコにくらべて、水中でのラッコはぐっと細くなる。 長い毛が水圧によって押しつぶされて、本来の形になるのだ。それを見て、たいていの人は、「水中のラッコは、ぜんぜん可愛くないね」という感想をもらす。 ところが岡野先生は違った「驚いたわ。水中のラッコは体が引き絞られてきれいなのね」だったのだ。

 う〜ん、これがきれいか・・・・。 3分の1ほどの容積になってしまった顔はちょっと恐いし、細く絞られたような体は、それこそ雑巾を絞ったようにしか見えない。
 一般の人と感覚的に変わらない私には、その岡野先生の言葉の方が、よほど驚きなのであった。 しかし、尊敬する先生の言われることだ、無理に、その姿をきれいだと思ってみたら、なるほど水中のラッコは、とてもスマートできれいなのである。 これには再び驚いた。

 ラッコはなぜ可愛いのか?という問いが当時にはよくあった。
 パンダはなぜ可愛いのか?コアラはなぜ可愛いのか?というのと同じ質問で、当時はそんな話題が、テレビや新聞で盛り上がったものである。 とにかく世相評論家というものは、すべての事象に理由をつけて説明したがる。 そして、それが合理的っぽければ合理的っぽいほど、大衆はありがたがるのである。
 パンダの時にはわりあい簡単だった。 丸まるとした体型、大きな目(実際の目は小さいが)、白地に黒の単純で大きな模様、そしてヌイグルミのように座ることなど仕草が人間的で飽きない。 なるほど完璧である。 そのどれもがありがたいほどに理屈が通っている。

 ところが、ラッコにはそんな理屈があまり通らない。 丸まるとしているのが普通の海のホ乳動物にしては痩せているし、目はとても小さい、毛は茶色で、ヌイグルミのように座るどころか、仰向けになって水面に浮かんでいるし、その間背中は水中で見えない。 ただ一つだけ、これだけはパンダにも負けないという部分があった。座りこそしないが、仕草が実に人間的なのだ。

 手を使って食事する動物なんてそうざらにはいないし、それが道具を使って貝を割るなどとくれば、チンパンジーも顔負けだ。 グルーミングをする姿は、シャンプーするヒトにそっくりで、背中やお腹をモシャモシャと毛づくろいするのもなんともいえずとぼけている。 眠るときにも、仰向けで大の字に寝るなんて、動物のくせにちょっと生意気だが、その生意気さ加減がまた愛らしいのである。
 そう、ラッコの可愛らしさの原点は、顔や体の形ではなく、その人間的な仕草にあると言っていい。 サル軍団のサルが、人間的な芸でウケを取っているのと同じである。ただし、ラッコの場合は芸のために厳しい訓練を重ねたわけではない。 第一ラッコたちはそれをヒトに見せるためにやっているわけではなく、一日々の暮らしそのものがウケてしまったのだ。

 実はこの事実はずいぶん重要なことだ。 私たちはラッコという動物だけでなく、ラッコが勝手にやっている生活に惹かれているのだ。 そしてその魅力とは、ラッコ自身が創り上げてきたラッコの進化の歴史や、生態や、日々の暮らしそのものなのである。 ならば、水中のラッコも、ウンコをするラッコも、すべてラッコの魅力として受け入れねばならないではないか。 ヒトの価値観に合った都合のいいところだけを捉えて、ラッコは可愛いと思うのは、ちょっとずるいと思うのである。

 水族館に勤めるまで、動物のことにはまるでズブの素人だったから、ラッコが来るまでにも水族館で知った動物たちの生態や行動にはずいぶんと驚かされた。 ヒトと動物には驚くほど共通するところもあるし、驚くほど違うところもある。 そしてそれは動物の視点で世界を見たときに、初めて実感できるのである。
 そんなことを認識しはじめていたのだが、岡野先生との出会いによって、ヒトの価値観は案外もろいものであることを知った。 なるほど、水族館が伝えなくてはならないのは、そんな視点なのである。 その頃ちょうど、新しい鳥羽水族館の建設計画を任されていた時であり、その思想は、今の超水族館に相当活かしたつもりである。



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