ラッコの道標:中村 元著/パロル舎刊
ラッコの道標
第1章 ラッコが日本にやってきた


1-6 大の字で眠るラッコ
 安全なライフジャケットを着込んだ彼らは、実に平和そうに眠る。 多くの者は、胸に両手を揃えて行儀良く眠るが、中には万歳をしたまま大の字になって眠る者もいるし、水族館ではプールの端に頭を乗せて眠ったり、横着なのは陸上で丸くなって眠る者もいる。 実に思い思いの眠り方がある。
 モンテレー湾で見かけたラッコたちは、海底から20メートルも伸びている昆布ジャイアントケルプを、自分の体にグルグル巻きにして眠っていた。
 このジャイアントケルプは、眠ってから起きた時に、自分の知らないところに流されてしまっていたというようなことがないようにとの配慮と、もし水中から襲ってくる敵がいたら、ジャイアントケルプの下の方で起こる異常に素早く気付くためだという

 何度も言うようだが、そもそも仰向けになって寝る動物自体がおかしい。 ライオンだとかゴリラだとかクマだとか、「オレ様こそ地上の王者なのじゃ!」といかにも襲われたりしないような動物であれば、動物園でだらしなく腹を上にしているのを見ることもあるが、王者の自覚のない動物たちには、どれほど横着であってもそんなマネはできないのだ。
 腹は脊椎動物の最も弱いところである。頭でも胸でも背中でも、皮膚の下はすべて堅い骨に守られているが、腹は薄皮一枚だけで筋肉も少ない。 しかも大切な臓器が詰まっている。 力のない捕食性の動物が群れで大型の動物を狙う時には、一頭が獲物の注意を前方に引きつけている間に、他の誰かが股間か腹を攻めて内臓を引きずり出すのが常套手段であるほどだ。
 だからそんな弱点の腹を上にして、しかもぐっすり眠るなんてことを、ラッコごときがするのは本来許されないことなのである。

 なのに彼らはそれを平気でやってしまう。 これこそラッコが海獣になって得た、天からの恩恵である。 つまり海で暮らすようになったラッコたちには、敵と呼べる敵ががほとんどいないのだ。
 カリフォルニアあたりでは、水中からサメに襲われることはままあるそうだが、暖かいところの方が好きなサメがアラスカまではやってくるとしたら、その狙いはほとんどキタオットセイの子供だろう。
 シャチが襲ったという記録もあるが、実際にはそれほど頻繁に襲いはしないらしい。シャチにしてみればラッコなんて小さすぎるし毛むくじゃらで、魅力的な獲物ではないのだろう。 それにいずれにしても、そいつらは水中から襲ってくるし、その上腹側が弱いとか強いとかは関係ないほどに強敵である。

 そして海には、そんな強敵以外にラッコを襲おうなんて考えの動物は存在しないのである。 マンボウのように無防備な魚がフラフラと海面を漂っているのだから、それは推して知るべし。 非力なラッコでも、大の字になって堂々と眠ることができるのが海の世界なのだ。

 海獣たちが、陸上の覇者となっていたホ乳類でありながら、海の生活に戻っていった理由はひとえに、他の有力なホ乳類によって、エサを奪われ、住みかを奪われ、さらに自分たち自身が襲われるなどして住み良い陸上を追われていったからである。
 追われながらも生きる場所を探し求めているうちに、海岸で暮らすようになり、しだいに海中の中を覗けば、あら不思議。海の中には小動物や海草が無尽蔵にあるではないか。 さらに嫌なサーベルタイガーとか集団で狩りをする捕食動物の連中も、どういうわけか海の中までは追ってこないことに気が付いた。
 それで、海という、ホ乳動物には未開であった新天地に移住をしたのである。 そこで新たに得たものは大きかった。 いくらでもあるエサと、天敵のいない平和な時間、そしてどこまでも広がる空間である。
 ヨーロッパの故郷で食いはぐれた人たちが、新大陸を目指して移住し、さらに今では宇宙にまで目を向けようとしているのは、そんな生命としての、どんなことがあっても生きようとする意志なのである。

 もちろん彼らが海の生活に合わせて体を改造するのは大変な時間を要したし、二度と陸上に凱旋することはできなくなった。 しかし、新天地を目指して成功する確率を高めるにはそこが大切なのである。
 今までの価値観を捨て、新しい価値観を受け入れる。 そしてその環境に合わせた生活に芯から適応するのだ。生命の可能性というのは、諦めない限り終わると言うことを知らない。 時間さえかければ能力にさえ限界はない。
 そして海獣のように思い切った自己変革をした者には、新しい未来が待っている可能性がきっとあると思うのである。



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