ラッコの道標:中村 元著/パロル舎刊 2000,10.5更新
ラッコの道標
第2章 ラッコの文化、ヒトの価値観


2-1 ラッコはグルメ?
 先にもお話ししたように、ラッコが自然の海で食しているエサは、ほとんどすべてがお寿司屋さんで「時価」と書いてある、どれも高級な食材ばかりだ。
 カニにしてもタラバガニとかワタリガニ、貝ならアワビやホタテ貝、それに大きなウニ。ラッコの海から日本に輸入されているものも多い。 それらを珍重し生食する日本人は、ラッコと競合関係にあるといっていいほどである。
 ラッコは量も食べるから、それらのエサを寿司屋やレストランなどで出される末端価格で計算すれば、きっと一頭が年間何千万円という食事をしているのに違いない。 エンゲル係数が高いどころの話ではなく、毎日銀座通いをしてしょっちゅうドンペリを開けているような計算なのだ。

 おかげでラッコはグルメだという話が大いに広まった。 ラッコのエサを体験学習してもらおうと思って発案した「ラッコ定食」。 内容は、アワビのステーキ半身(もちろん冷凍だが)、カニのグラタン、大アサリの焼き物、エビの塩焼き、イカのウニ和えなど、ラッコの好物ばかりを添えて二千五百円だったが、洋食版のラッコランチとともに売れに売れて、当時の定番昼食になってしまった。
 市内に数多くある料亭や旅館でも、「ラッコ御膳」なんていう企画商品がたくさんできて、そこそこ賑わっていたのだから、ラッコの高級食に関しては、そうとう広く深く浸透していたのだ。(残念ながら、現在ではラッコ定食のメニューはない)

 さらに、ラッコはなんとエサのえり好みまでする。
 鳥羽水族館のラッコはそろってイセエビが大好きなので、日本で初めて生まれた赤ちゃんチャチャの誕生日だとか、お正月などのお目出度い日には、イセエビを奮発していた。 すると、バケツからの覗いているイセエビのヒゲで、それが何なのか察知してしまうのである。 バレてしまったら、彼らはもう他のエサなんかに目もくれない。 大アサリなんて受け取ろうともせずに、イセエビを欲しがる。明らかにイセエビの方を美味しいと認識して、そいつから食べなきゃ損だと思い込んでいるのである。

 飼育係によれば、ラッコたちの中には、旬でないものは嫌いだという贅沢な奴もいるそうだ。 大アサリの身が小さい時期には、与えても放り出してしまって食べない。 それどころか、そんな時期には自分の排泄したウンチの中から、未消化のイカを集めてきて食べる。 まさか当てつけではないだろうが、そんなショボイ大アサリなんかより、未消化のイカを食べた方が美味いんだという意思表示である。
 ところが、4月から7月にかけて大アサリの身が太ってくる旬になると、とたんに美味そうに食べ始めるのである。
 そこで考えた飼育係は、旬の時の大アサリを大量に仕入れて、冷凍保存してみることにした。 するとこれが大好評。その日に獲れたての活きのいい大アサリより、冷凍の旬の大アサリを好んだのだ。 だから観覧者が多い日曜日には、ラッコの貝割りを期待しているみなさんのために、冷凍旬の大アサリを与えている。 彼らは日曜日が美味しい冷凍物だと分かっているようで、日曜日になると積極的に大アサリを欲しがるのだそうだ。
 次の年の旬の時期になると、今度は新鮮な旬の大アサリが入り始める。するとラッコたちは冷凍の旬の大アサリよりも、新鮮な旬の大アサリの方が美味いと騒ぎ出すのである。
 中には、嫌いなエサを飼育係にだまされて渡されると、水中に隠してきて食べたフリをしたり、それを両手に持ったまま泳いでいき、向こう側のプールの縁に、そっとお供えしてくるラッコまでいる。 「しようがないから受け取ったけど、食べないからね」と当てつけがましく抗議しているようだ。 この話しで、彼らがどんな形であれ「味」を認識しているということが証明できるだろう。

 さて、そんな風にエサに関してはずいぶんしっかりとしたポリシーを持っているラッコなのだが、そういった味へのこだわりとは別の話で、私は常々、ラッコは本当にグルメなのか?という疑問を持っている。 いや、そもそも動物にグルメなどという基準があるのだろうか?と。

 ラッコの好物は、確かにお金に換算すると高級食材なのだが、高級な食材ならいい食事かと言えばそうではない。 試しに、アワビの造りをわさび醤油をつけずに目を閉じて食べてみればいい。 旬の時でもそんなに上等の味ではないのが分かるだろう。・・・・というか味がないのだ。 にも関わらず、その一切れのアワビの値段を計算したら、おいしいご飯一杯よりも高いものについている。 アワビに執着心のある方は、この実験は止めた方がいい。 損した気分になること請け合いだから。

 日本でアワビが高級なのは、アワビが腐りにくく、干せば味が出る上に日持ちするため、神撰の最も大切なものとして伊勢神宮に供えられ、都人にも送られていたという歴史と、そのアワビを獲るには、海女が海に潜って一つ一つ獲ってこなければならないという希少価値からなのである。 ちなみに祝儀袋についている熨斗紙は、神撰にするためにアワビを薄く切って干した熨斗アワビのことだし、今も鳥羽志摩の海ではアワビを獲るのは海女さんの仕事である。(熨斗アワビは現在も鳥羽の地で作られて奉納されている)
 つまりアワビの高級さは、その歴史的由来と希少価値であり、味が格別いいからというわけではない。 海外に行けば、アワビのステーキなど実に安く食べられるし、多くの国では日本や乾燥アワビを食べる中国へアワビを輸出するようになるまでは、アワビなんて食べ物と考えていなかったのだ。

 そしてやっぱりラッコも、アワビが上等なエサだとはけっして思っていないだろうと想像するのである。 だいたい、海女さんが金属のヘラを使ってしか獲れない食べ物である。 いくら石が使えるラッコだといっても、面倒な食べ物であることは変わらない。
 カニやウニならますますのことだ。カニはやっかいなハサミでラッコの鼻をしょっちゅう挟むだろうし、トゲトゲだらけのウニの殻を開くには、何度も痛い思いをするのに違いない。 ホントはラッコだってそんな変なものばかり食べているのは嫌なのだと思う。
 本当ならもっと食べやすい魚やプランクトンが一番いい。 さらに種類や形が一定していたら、捕り方や食べ方を変える必要もないから楽なものだ。
 いいエサとは、大量にあって栄養価が高く、食べるのに余分な労力のいらないエサなのである。 だから、先に海にやってきたイルカやアシカは小魚を飲み込むようにして食べる、実に簡単な食事法だ。 大きなクジラは歯の代わりに網のようなヒゲを発達させ、オキアミなどを一網打尽にする。これはさらにすごい!
 そしてかれらのそんなエサは、世界中の海のどこにでもいるから、生活の場をさまざまなところに広げることができたのである。 ところがラッコは、エサが沿岸にしかいないから、沿岸沿いにしか住む場所を広げることはできない。 不便なことではないか。

 しかし、ラッコには今のところ選択の余地はない。 なにせ海に来たのはつい最近の5百万年前、とびきりの新参者なのである。 うまく泳げないから魚を追うこともできない。 しょうがないから、もともと器用だった手先を活かして、動きのとろい沿岸の無脊椎動物たちを糧に細々と生きている。
 戦の場を追われた浪人が手先の器用さを活かして、傘貼りをしてしのぎを稼いでいるようなものである。 いくらその傘が芸術的だと言っても、傘を貼り続けて世界を股にかける商人にはなれないだろう。
 そんなわけで、ラッコはグルメだと思っているのは、きっとヒトだけである。 さらにラッコが羨ましいと感じるのは日本人だけかもしれない。 私たち日本人というのは、簡単に獲れ安価で栄養価の高いイワシよりも、そのイワシを大量にエサにして育てなければならない養殖のハマチやヒラメの造りの方を有り難がる動物なのだから。



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