ラッコの道標:中村 元著/パロル舎刊 2000,10.13
ラッコの道標
第2章 ラッコの文化、ヒトの価値観


2-2 ラッコの文化
  ラッコが道具を使うのは良く知られているが、すべてのラッコが石を使って貝を割るわけではない。 そんな面倒なことをしなくても、カニがたくさん獲れる海域のラッコは貝を割らないし、そもそも貝が好きじゃなくて他の生物を捕ることのできるラッコは、貝があっても食べはしない。
 ところが、貝を割る習慣のない海域のラッコを、貝を食べなくてはならない海へ連れていくと、そのラッコは誰に教わるでもなく貝を割るようになるのだという。 自分の目で確かめたわけではないから、今でもその話を信んじられないのだが、その報告が正しいのだとすれば、ラッコという奴はとてつもなく凄い奴ではないか!
 さまざまなエサを食べる技が本能として遺伝子の中に組み込まれているのか、それとも、その程度の応用ならばできるほどに様々な技を知らず知らずのうちに修得しているのか、いずれにしてもあなどれない動物だ。

 鳥羽水族館では、やっぱり貝を割って欲しかったから、最初から大アサリを与えていたのだが、石だけは与えなかった。 先駆者であるアメリカのシアトル水族館から、石を与えたらラッコに水槽のガラスを割られてしまったという報告を聞いていたからである。
 窓ガラスを割るなんてまるで中学生のような奴だなあと思いながらも、じゃあ水族館ではラッコの貝割りを見せることはできないのかと心配した。 しかしそれは、ラッコ自身が見事に解決してくれたのである。

 鳥羽水族館で初めて大アサリを与えた時である。 その時にやってきたラッコたちはすべて野生のラッコだから、二枚貝を石を使わずに食べるのは初めてだったはずだ。 しかしラッコたちはとまどう様子もなく大アサリを受け取ると、それをすぐさま脇に挟み込み、もう一個ちょうだいと手を出したのである。 飼育係がもう一つの大アサリを上げると、ラッコはそれをお腹の上に置き、最初にもらった大アサリを両手に挟み叩きつけはじめたのだ。
 カンカンカンカン!小気味いい音が水槽の中に広がり、貝殻は見事に割れ、ラッコは満足そうに中の身を食べ始めた。
 こうして石代わりの貝でもう一つの貝を割るという方法で、彼らは次から次へと貝を割っては食べていった。 見ていてこんなに嬉しいことはなかった。 鳥羽水族館で、この日本で、ラッコが貝を割って食べているのである。 様子を見ていた我々は、だれからともなく拍手をしていた。

 しかし、それで割れた貝はいい。もしどちらかの貝が割れずに残ってしまったら、ラッコはいったいどうやってたった一つの貝を割るのだろう? ところがこの疑問に対しても、ラッコは自ら解決してくれたのである。
 彼らはなんと、打ち付ける相手のない貝は、プールの壁の角にパンパンッと打ちつけて、何事もなく割ってしまったのである。 それは、見事に自然な動きで、拍子抜けするほどだった。
 いやいやそれよりもよく考えてみたら、そんなことができるのなら最初から、飼育係の足下のプールの縁で割ってしまえば、もっとも効率よく大アサリを食べられるではないかと呆れてしまった。

 もちろん、そんな情緒のないことをしてもらったときには、お腹で貝を割る不思議な動物のイラストまで起こしてしまった広報担当者としては、目も当てられないところなのだが、義理堅いというか意固地というか、ありがたいことにラッコたちは、長い間そんな風にお腹の上で貝を割り続けてくれたのである。




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(C) 2000Hajime Nakamura.

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