ラッコの道標:中村 元著/パロル舎刊 2000,10.21
ラッコの道標
第2章 ラッコの文化、ヒトの価値観


2-3 貝割りコタロウ風
 そんな風に、とても上手に毎日貝を割ってくれたラッコたちの中で、どうしても貝を上手に割ることのできない子が一頭だけいた。 それが、たった1頭のオスのラッコ「コタロウ」だった。
 他のメスのラッコたちがみんな白い頭をしているのに、コタロウの頭だけは黒い毛で覆われていて、いかにも子供らしい顔をしていた。 きっとそのせいで、貝を上手に割るコツを修得しておらず、手の力もうまく入れられなかったのだろう。 真っ直ぐに貝を振り下ろすこともできなかったし、手が弾かれて貝を取り落とすことだってあった。

 そしてコタロウは、もう面倒くさくなったのだろう。 彼だけは最初からプールの壁や強化ガラスの窓に貝を打ちつけて割ることを習慣にしてしまったのだ。 いかにも子供っぽい顔をして、動きもぎこちないコタロウが、窓際にやってきて貝を一生懸命に割る姿は、逆に観覧者の人気を呼んだ。
 観客がこちらで「可愛い!」を連発しながらキャーキャー騒いでいるのを見るのは彼も好きだったようで、いつしか貝を割る場所は、観客のいる窓の梁のところに決まっていき、飼育係から貝をもらうと、全て胸のポケットにしまい込んで、そのお気に入りの場所に持っていって叩き割るようになっていたのだ。

 これは、コタロウが考え出した新しい食事スタイルだ。 でも私にすれば、驚くべきコタロウ風文化なのである。 何故なら、それまで意固地なまでに腹上貝割りを続けていた他のメスたちも、そのうち次第にコタロウの食べ方を真似るようになっていったからである。 新しい文化は若い世代によってつくられるのだ。 そして楽な方法は、だれだって真似したがる。
 ただしかし、その中でも顔の真っ白な長老クラスのラッコ、モコモコだけは、新しい文化などどこ吹く風でいつまでも伝統を守り続けて、ずっとお腹の上で貝を割続けていたのである。
 人間だけではない、どんな動物でもそうなのだ。 歳をとると、すべてにおいて保守的になる。 オットセイのいる海に潜ると、「何が来たのだ?」と興味心身の顔で真っ先に泳ぎ寄ってくるのが、若いオットセイたちだ。彼らの大きな目は好奇心の固まりのようにグリグリと輝き、こちらを飽きることなく観察する。 そしていつしか、手の触れそうな近くまでやってきて、水中カメラを覗いたり、私の髪の毛をひっぱたりしはじめるのだ。 ところがそんなになっても、大人のオットセイは近くにやってこない。
 
 確かに動物でもヒトでも、老成した者がその歳まで生き延びてきたのは、彼自身の膨大な経験とカンがモノを言ってきたのだから、やり方を変えるというのは、今の自分が存在していることを否定するということになるのだろう。 そして逆に若い個体ほど、様々な現象に興味を持ち、新しい発見に好奇心を鼓舞されるから、ますます行動的になり、新しい生活様式を開発していくのである。 

 私としては動物の世界がちょっぴり羨ましい。 ラッコの世界ではどれほど頑固な年寄りであっても、新しい文化を否定もしないし、そこでもう一度一花咲かせようとも思わない。 ただ笑い流して頑固な自分だけを大切にするのだ。
 ところがヒトの世界では、少なくともこの日本という国では、新しい文化など理解もできない一部の老人たちが、否定してあるいは分かったフリをして、いつまでも自分たちの世界を作ろうと精を出す。
 新世紀のベンチャー企業を育てようと説く人たちが居眠りしながら国会を動かし、従業員の定年を決めて会社から追い出す人たちが、死ぬまで会社を動かそうとする。 これでは日本が新しい世紀に羽ばたくことなどできはしない。

 私ももう40代半ばにかかった。 これはすでにかなりの年寄りである。 だからなのだろう、ラッコのコタロウ風な若い人たちがヒトにもいることが見えるようになってきた。
 見えるようになってきたというのは、実は自分との価値観の違いがはっきりとしてきたということでもあるのだが・・・・。
 きっと私たちの世代は、未練多き人々のおかげで今の日本に自分たちの時代がなかったことを軽く受け止めるべき世代。 そして次代の人たちに未来への道を譲ることを課された世代なのだと思う。 ラッコの大人たちのように、コタロウ風文化に合わせて、ゆったりと生き、やすらかに死んでいきたいものだと思うのである。



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