ラッコたちの状態が落ち着くと、プールはようやく一般公開され、愛称の公募が始まった。 愛称募集の期間は、わずか1ヶ月だったが、テレビなどで紹介されたために、その間に届いた応募件数は、全国から32405通にも及んだ。 この1ヶ月こそがラッキョがラッコになった1ヶ月である。 前述のように、名前の最終審査は、「銀色ラッコのなみだ」の著者である童話作家岡野薫子先生にお願いした。 岡野先生は、鳥羽水族館にラッコが来た直後から、何度も何度も会いに来られ、鳥羽水族館のスタッフと同じくらいラッコたちのことを良くご存知だったから、実に適役の審査委員長だった。 そして応募作品の中からモコモコ、エミ、プック、コタロウという名前が選ばれ、めでたく命名されたのである。 その名前は、飼育担当者たちにとっても、とても満足のできる名前だった。 ラッコの担当者が口を揃えて言うのは、ラッコにはそれぞれ実に明確な性格があり、しかもその性格は顔の表情にまで現れるのだという。 石原の紹介によれば、モコモコは最も臆病でしかも融通の利かないラッコで、新しいことを好まないのだそうだ。 だからなのだろう、モコモコはいつもしっかりとグルーミングをして、常にフワフワモコモコと毛を立てていて、見るからに美人でヌイグルミのように可愛かった。 また、頑固に最後まで貝をお腹の上でしか割らなかったのもモコモコだけだった。 おかげで、写真もビデオも、いつもモコモコがモデルだった。 あの当時、日本中の人たちがテレビや雑誌でご覧になったラッコの顔のほぼ90%は、鳥羽水族館のモコモコだったはずである。 エミは、当時まだ小さかったコタロウを自分の子供のように可愛がって、グルーミングしてあげたり、お腹の上に乗せて眠らせたりする優しいメスで、そのために微笑みのエミと命名されたのだが、石原の見解では、実はかなり神経質で感情の起伏がはっきりと表情に現れるのだそうだ。 エミとは機嫌がいい時の名前なのである。 彼女だけが今も存命しているのだが、今では子供のラッコが近寄るとうるさそうに追い払い、気に入らないことがあると、突然腹を叩いたり自分の尻尾を咬んだりというヒステリー婆さんになっている。 スタッフはこの状態を「エミが切れた」と言う。 プックは、入館したときに死にそうになっていたことを除けば、ボーっとした性格で、呑気で図太いラッコだった。 ボーっとプッカリ浮いているというので、プックという名前に決まったのだ。 コタロウは、唯一のオスのラッコで、しかも子供だったから、とびっきり元気な男の子という風情だった。 なんにでも興味を持つし、新しいことも始める。 そして男の子らしく、まわりのおばさんラッコたちの気を引くことをするのが大好きだった。 コタロウという名は、そんないたずらっ子ぶりが一番表現された名前だったので選ばれたのである。 そんな風に、それぞれ性格の違うラッコたちと付き合うのは、普通の野生動物を飼育するのとはまた別の面白さがある。 石原が、今まで担当してきた動物たちとラッコの決定的に違うこととして上げるのが、ラッコと飼育係とはなんらかの関係が持てるということである。 普通野生動物は、相手がいくらエサを持ってきてくれる飼育係であっても、エサに関すること以外では、ヒトと接触を持とうなんてまず考えない。 基本的にはショーをしているアシカだってそうなのだ。 エサのバケツを持っていないトレーナーには、ほとんど興味を示さないのである。 ところがラッコは、積極的にヒトとも関係を持とうとする意識が感じられるのだという。 飼育係のする事に必ず反応がある。 そしてラッコのすることにも何らかのメッセージがあるので、飼育係もそれに反応できる。 石原の言葉を借りれば、飼育係にとってラッコとはヒトとの間にアイコンタクトのできる動物なのだそうだ。 神経質なエミの心理状態などは、目を見れば一発で分かる。 今日は機嫌がよさそうだな。 今日は荒れているぞ。 ついに始まった、ヒステリーだ!と目つきや動作で簡単に見分けが付くというのだから、尋常ではない関係である。 彼女の目を見ただけで、その心理状態まで分かるという男が、世の中にどれほどいることだろう? できればそんなアイコンタクト能力が私も欲しいと思って、石原にコツを教えてくれと言ったら、まず観察を徹底してすること、それだけだと答えられてしまった。 そうかほとんど家にいない私には、すでにアイコンタクト者の資格がないということなのだ。 |