ラッコの道標:中村 元著/パロル舎刊 2000,12.3
ラッコの道標
第4章 ラッコの赤ちゃん誕生


4-1 赤ちゃん、突如現れる
 飼育係の仕事には教科書がない。 最近では(財)日本動物園水族館協会で、飼育ハンドブックなるものを共同で作っているが、それは過去にどこかの動物園や水族館で飼育された動物についてであり、しかも珍しい動物を飼育しているのが動物園水族館なのだから、その事例の数もそれほど多くはない。
 もちろんその当時ラッコの飼育ハンドブックなどなかった。 また、飼育される条件も違えば、同じ種類の動物であっても個体によって対処の仕方はまったく違うし、何よりも野生の動物のことであるから、彼らから飼育係には事前になんの相談もなく、いきなりとんでもないことが持ち上がる。

 ラッコの入館から4ヶ月が過ぎ、飼育もやっと順調に流れるようになった頃である。 2月23日午前8時5分、朝一番の給餌に向かった石原は、いつものように観客側の窓からラッコたちの様子を覗きに行った。
 観察が大切だという彼の日課である。 すると、プックのお腹の上に何かモジャモジャとしたモノが乗っている。
 一体なんだろう?彼の頭の中に一瞬嫌な予感が走った。 もしかすると、誰かが死んでプックがそれを抱いているのではないか?慌てて数を数えるがちゃんと4頭いる。
 もう一度プックのお腹の上に目を戻すと、そのモジャモジャがモソモソと動いたのだ。 それが、日本で初めて生まれた赤ちゃんラッコだった。

 どうやらプックは日本に来る前から妊娠していたのである。 しかしやってきたばかりのころはまだ妊娠して間もないころでお腹は目立たなかった。 そしてプールに入ってからは、陸上にほとんど上がらず、水面に浮いているだけだから、お腹が大きくなってきているのにまったく気付かなかったのだ。
 憶えておられるだろうか?入館直後に体調が悪く、肺炎予防の注射をしたラッコがプックだったのだ。 その注射はとても強い注射なので、もし妊娠をしていたら、ほぼ確実に流産すると、注射した獣医に言われていたのである。
 その後流産もなかったから、プックだけは確実に妊娠していなかったのだと思われていたのだ。 そのプックが出産・・・・? 本当に何が起こるか分からないのが飼育の仕事である。

 ラッコの赤ちゃん誕生は、誰にとっても嬉しいことだったが、担当者にとってはまさしく晴天の霹靂というものだった。
 母子ラッコの飼育についての報告は、アメリカにおいてもほとんど無かったし、それまでに成功した例自体がたった4例しかなかった。 手探りでラッコを飼育し始めてわずか4ヶ月余りの飼育担当者たちに、日本初の事例を成功させなくてはならないという新たな試練が突然わき上がったのである。
 その日から、再び24時間観察体制が引かれることになった。 しかし、今回はその体制がなんと58日間も続くことになろうとは、まだ誰も考えてもいなかった。

 飼育係は驚き慌てたが、水族館の他のスタッフは嬉しくてしょうがなかった。 たまたまその日は東京で水族館の関係者の結婚式があり、館長も私もそちらに出席していたのだが、媒酌人である館長は、ラッコの赤ちゃん誕生がめでたいと挨拶し、乾杯の音頭の副館長は、ラッコの赤ちゃんに幸多かれと乾杯した。
 そしてビデオ係を引き受けていた私は、披露宴よりラッコの赤ちゃんを撮影したくてしょうがなかったから、我慢できずにビデオカメラを持って途中で帰ってきてしまった。

 その日のうちに鳥羽に戻ると、すでにラッコ舎は一般公開を中止し、水槽の前では限られた人数の飼育係による24時間観察が始まっていた。 なんの知識も資料もない赤ちゃん誕生だから、母子に影響を与える可能性のある要因はできるだけ取り除きたいという飼育係の配慮である。
 私も撮影は最小時間におさえ、そっと覗く程度にした。

 飼育係のびっくりや我々の大騒ぎとはうらはらに、母親のプックも他のメスたちも、別に驚いてもおらず平穏のようだった。 アラスカの海では、毎年こんな光景がそこここで見られるのだろう。
 すでに授乳も何度か行われていたし、授乳後ミルクがこぼれるのも確認されていた。ただ、プックはいつになく興奮していて、非常に警戒心が強くエサもほとんど食べていないとのことだった。

 赤ちゃんの方はといえば、フワフワとしたうす茶色の綿のような毛で包まれていて、どこに顔があるのかも分からない。 まるでプックのお腹の上に置かれた毛玉のようだった。 それは赤ちゃんというにはあまりにもはかなげで、フーと吹いたら飛んでいきそうに思えた。

 プックはその子を、愛おしそうに触っている。 やさしく毛づくろいをしているのだ。
 ラッコの赤ちゃんの揺りかごは、母親のお腹の上である。 お腹の上で眠り、お腹の上でミルクを飲む。
 プックは赤ちゃんをそこから決して放そうとしなかった。 自分のグルーミングでどうしても放さなくてはならない時にだけ、ホンの一瞬そばの水面に赤ちゃんを置いた。
 赤ちゃんは水面でもやっぱり綿の毛玉のようにフワフワと浮く。 母親が念入りにグルーミングをして上げているからだろう。 一人で浮かべられている間、赤ちゃんはキィー、キィーと母親を呼んで鳴いた。



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