ラッコの道標:中村 元著/パロル舎刊 2001,1.12
ラッコの道標
第5章 いたずラッコのコタロウ


5-2 プールを壊すのは何のため?
 最初のプール壊しは、プールの底に装飾として入れてあった70キロもある大きな石を使った。 これほどの石であれば、まず持つことはできないだろうと、たかを括っていたのだが、コタロウはこれを転がし始めたのだ。
 70キロの石でも、水中では浮力があるから、コタロウが必死で動かせば、転がることは転がるのである。
 最初は中央付近に置いてあったこの石を、ついには壁にくっつけてしまった。 誰もが、行き止まりになったところで、この遊びは終わるだろうと思っていたのだが、ここでもヒトの想像力はラッコの真実に及ばなかった。 コタロウはちゃんと次の段階を用意していたのだ。

 もうそれ以上転がりようのない石を、コタロウは執拗に壁に向かって転がそうとするのだ。 すると、何度も何度もそれを繰り返すうちに、防水のためにコーティングしてあったFRP(ガラス繊維樹脂)が振動で剥離し、モルタルから浮いてきた。
 ついでコタロウは、石を転がすときに砕けてできた石の小さなカケラを取り出して、FRPが浮いているとおぼしきところを叩き始めた。
 おそらく、FRPとモルタルとの間に小さな空洞ができたおかげで、正常な壁とは違う、楽しくてウキウキするような音がしたのだろう。 ところがFRPはモルタルに巻き付いている限りは頑丈なのだが、それ自身は薄くてもろいものなのである。 FRPはついにボロボロに砕け、大きな穴が開けられてしまった。

 もちろん気付いた飼育係はコタロウの石を奪ったが、コタロウは今度は貝殻の破片を使ってモルタルを削り始めたのである。
 FRPを失ったモルタルの壁は柔らかくて脆い。 だんだんと深さを増していき、ついには直径30センチ深さ5センチほどの円錐形の窪みを作ってしまった。

 さらに、コタロウは、プールのガラスの防水に使われているシリコン製のシーリングに目を付けた。 これはガラスと壁の間を防水するための、半透明のゴムのようなものである。
 こいつのどこか端っこを、貝の破片でほじくりだして、そこを咬んで思い切り引っ張るのだ。 そうすると、面白いようにシリコンが外れて長い紐のようになる。 しかもそれは、ゴムのように伸びるのだから、端っこを口でくわえて、もう一方を手で引っ張るとイカの足みたいでなんだか楽しい。 時々引っ張りすぎて切れたりすると、バシッなんて顔に来て痛かったりするのも面白い。 そんな調子で、結局すべての水中窓の防水シーリングが外されてしまったのだ。

 壁の円錐形の穴は、いくつも開けられていた、窓の防水は壊されてしまった、せっかく多額の借金をして作ったラッコのプールは、もうめちゃくちゃになってしまった。
 おわかりだと思うが、FRPもシリコンのシーリングも、水を漏らさないために貼ってあったもので、それがどこかなくなったら水はジワジワと建物の中に浸透していく。
 鉄筋コンクリートに水が浸透すると、そこから裂け目ができてしまうし、なんせ海水なのだから鉄筋はあっという間に錆び付いてボロボロになってしまうのだ。 館長自慢の「借金コンクリート」ラッコプール万事休す!

 そこで思い切って、そう、まだその借金も返し終わっていないと言うのにまた借金を重ねて、プールの大改修をすることになったのである。 なんとそれは、ラッコが鳥羽水族館にやってきてからたった2年目のことだった。
この大改修は水をすっかり抜いて行わなければならなかったので、その間ラッコたちはどこかに移らねばならなかった。 しかしいくらコタロウのせいと言っても、ラッコを見ることができなければ、来館者のみなさんは納得してくれない。

 そこでラッコたちは、バイカルアザラシの小さな水槽に移された。 ずいぶん窮屈な思いをしただろうが、水温も気温もラッコたちに合っているのはこの水槽しかなかったのだ。 それに、本当に文句を言いたいのは、バイカルアザラシたちだった。 バイカルアザラシたちは、その間、裏の濾過槽暮らしで我慢していたのだから・・・・。

 改修をしたラッコプールには、GRCという新しい素材を使った。 コンクリートの中にガラス繊維が入ったもので、建築関係者からは、これよりも強固な防水素材はない!と太鼓判を押されたものだ。
 飼育係もハンマーで叩いたりして試してみて、これなら大丈夫だろうということになった。 もちろん新しいプールには石を入れることもしなかった。

 ところが・・・・、なんとコタロウはまた穴を開けていたのだ!道具に何を使ったかといえば、貝殻のカケラである。 もろくて柔らかい貝殻でGRCが割れるわけがない。 今までのFRPでもモルタルにしっかりと着いている間は、貝では傷さえも付かなかったのに。
 ところが、強固な新素材GRCも、削る力には弱かったのである。 コタロウはGRCの表面のわずかな傷を見つけては、その傷を貝殻で擦っていたのだ。 擦るたびに貝殻も削れていくが貝殻はいくらでもある。
 しかし狙われるGRCの方は一点集中されて代わりがない。いつしか傷はどんどん大きく深くなり、またしても表面が削り取られてしまった。

 モルタルまでたどり着けば、今度は小さな砂利石が出てくるから、そいつを狙う。 その砂利石が外れると、砂利石を使って次の傷にアタックする。 そんな風に小さな積み重ねを毎日繰り返していって、ついにまた、円錐状の穴を5つほど開けてしまっていた。 厳窟王かこいつは!

 大きな成功も小さな一歩から・・・・そんな言葉を、理論的には正しいけどあほくさい精神訓だと思っていた私だが、コタロウの情熱とやり遂げた業績(?)を見るにつけ、なるほどそのとおりだと唸るしかなかった。
 尚、現在の新しい水族館のラッコプールの防水材は、GRCよりもまたさらに堅くて粘りのある建材になっている。 これを建築業界では「ラッコ仕様」と呼ぶのだそうだ。



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