ラッコの道標:中村 元著/パロル舎刊 2001,2,2
ラッコの道標
第5章 いたずラッコのコタロウ


5-4 ラッコの理解度 
 こんないたずら好きなコタロウに、こちらもちょっとしたいたずらをしたことがある。  ラッコたちにいくつかの実験をしてみたのだ。
 例えば、彼らの大好きなイセエビを入れた、大きな氷を与えたらどうするか?とかだ。この実験では、ラッコが氷をどのくらい理解しているのかを知りたかった。

 コタロウたちはアラスカに住んでいたくらいだから流氷はよく知っているし、時々氷をかじって水分を補給することもある。 だから氷そのものには驚きはせずかえって喜ぶくらいだ。
  でも、氷の中にイセエビが入っているという、彼らにとってはあり得ない状況である。いったいかれらは、透き通って見えるイセエの姿にどんな反応を見せるのだろう?

 イセエビが入っていても入っていなくても、氷の好きなラッコたちは、すぐに駆け寄ってきたが、いつもとはずいぶん様子が違った。 明らかにイセエビに興奮しているのだ。
 しかし一片が40センチもあってどうしても融けそうにもない氷に、メスたちはそのうち諦めてしまった。 ところがコタロウだけは、いつまでも執着し、プールにそれを押していって浮かべると、なんと自分のお腹の上で割ろうとし始めたのである。 そしてついに、長い時間をかけて氷を溶かし、中のイセエビを取りだしてしまったのだった。
 彼らは中にあるのがイセエビだと十分認識していたし、明らかに、氷は割れたり溶けたりするものだということも知っていた。 そして、コタロウの執着心の強さといったら、それはもう飛び抜けてしつこいということまで分かったのである。

 ラッコたちは、こんな実験をする時にも、それぞれの性格があって面白い。 小さな貝はどうやって食べるのかを試すために、アサリをあげたこともある。
 融通の利かないモコモコは、小さなアサリであっても、お腹の上に置いて別の貝をガシャガシャと打ち付けながらなんとか割ろうと苦労していたが、そのうち諦めてしまった。 プックは、興味も示さなかった。 機転の効くエミは、プールの壁に打ち付けて割って食べたが、めんどうだったのかそれ以上くれとは言わなかった。
 コタロウは?持てるだけの数を一杯持っていって、腹の上でガシャガシャやっていたが、そのうちそのまま口に放り込んで、バリバリと食べてしまったのだ。 まったく、創造性の豊かなラッコである。

 ラッコが飼育係を何で認識しているかという実験も興味深いものだった。
 視覚なのか?声や音による聴覚なのか?それとも大きな鼻による嗅覚なのか?ちなみに、哺乳動物たちは、飼育係とそうでない人の違いはもちろんのこと、飼育係一人一人をちゃんと見分けている。
 例えば、相手によって行動を変えるくらい敏感なアシカたちだと、足音だけで誰が来たか分かるようである。
 また、欲情のあまり、掃除をする飼育係に抱きついて交尾をしようとするジュゴンのジュンイチ。 ジュゴンの水槽にはみんなマスクをつけて潜るから顔は判別できないはずなのだが、彼は抱きついてもあまり抵抗されない相手をちゃんと憶えていて、同じ飼育係ばかりを狙うのだ。 たぶん泳ぎ方とか体型の違いなどで判別しているのだろう。

 ラッコが何で飼育係を見分けているかというこの実験には、飼育係ではないスタッフを使った。 そのスタッフに飼育係の制服を着せて、石原の顔写真を引き伸ばしたお面を付けさせたのである。
 ラッコは始めて会う人には警戒して近寄ってはこない。歩き方などの音の違いや、臭いで認識しているとしたら近づいては来ないはずだ。
 しかし、ラッコがふだんからよく大きな鼻をクンクンとさせていることを考えると、嗅覚による識別が最も可能性が高い。 だからこの実験では、おそらく近寄ってこないだろうと踏んでいた。 近寄ってこなければ、今度は音か臭いかを確かめる実験に移ればいいのである。この実験にはもちろんコタロウを使った。

 写真を大伸ばししただけのお面はすごく滑稽で、そのスタッフは石原よりずいぶん背が低かったのでどう見てもヘンだった。 そんなニセ石原が慣れない長靴を履いて、餌のバケツを持ち、滑りやすいプールに入っていくのだから、実験の失敗は当然のことのように思えた。
 ところが、そのニセ石原がおぼつかない足取りで餌を持って中に入ると、コタロウは彼の顔を真っ直ぐ見て、待ってました!とばかり彼に近づいていったのである。
 そして餌をもらおうと、間近で彼の顔を今一度見たとたん、やっとそのお面の平面的な異常さに気が付いたのだろう。 びっくりして、餌も受け取らずに逃げていってしまったのだ。
 彼らは、明らかに視覚というものを重要視しているのである。ただし、どうやらその視力はたいしてよくないようだ。 なんせ石原お面をかぶったスタッフを遠くから見ているぶんには、彼を完璧に石原だと思い込んでいたのだから。

 しかし、そんな風に、私たちを驚かし、慌てさせ、そして何度も笑わせながら元気な気分にさせてくれたコタロウは今はいない。 新しい水族館に引っ越すときに、興奮のショックで熱が下がらず死んでしまったのだ。
 コタロウに壊されないようにラッコ仕様にしたプールで、そのコタロウが元気にはね回る姿を見ることはできなかった。
 今でも思う。コタロウはなぜプールに穴を開け続けたのだろうかと。 もしかしたら、壁の向こうにアラスカの海を夢見ていたのではないだろうか。
 水族館を運営する者として、常に心の中に留め置かねばならない矛盾である。



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(C) 2000Hajime Nakamura.

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