ラッコの道標:中村 元著/パロル舎刊 2001,3.3
ラッコの道標
第6章 ラッコの子育て


6-2 ラッコのコミュニティー 
 出産から1週間、突然母親プックの落ち着きがなくなった。 採光のためについている天窓や窓をしきりに気にしている。
 そしてチャチャを抱いたまま潜ったり浮かんだりを繰り返し始めたのだ。 赤ちゃんの毛はすぐにずぶぬれになり、呼吸もままならず、パニック状態になった。

 いったい何を怖れているのだろうか?ラッコはとても賢い動物で、何かびっくりするようなことがあっても、その正体を確かめると怖れることはない。 例えばラッコ舎のすぐ裏手には近鉄線が走っていて、列車がゴーゴーと音を立て通り過ぎるのだが、それでさえ窓のところに行って、何が音を立てているのか分かったらもう気にしなくなったほどである。

 飼育係がラッコの見ている天窓を見てみると、トンビがふわりと円を描いている。 どうやら、天窓の近くを低空飛行するトンビがかすめたらしい。
 天敵のほとんどいないラッコだが、アラスカに住むハクトウワシは、生まれたばかりの赤ちゃんラッコを母親からさらって行くことがあるという。 もちろん親に危害を加えることなどできないのだが、子供を奪われることを極端に怖れるラッコの母親にとって、パニックになるのに十分な天敵である。

 そもそも鳥たちはラッコに嫌われている。 カモメなども、せっかくラッコが獲ってきたエサをお腹の上からさらっていくのだ。 よほど頭に来たラッコは、エサを取りに来たカモメを捕まえて、羽根を折っていじめたり、食べてしまうこともあるのだそうだ。

 それにしても、あの図太いプックが、子供ができたとたんにずいぶん神経が細くなったものである。 母親の母性本能は、性格まで変えてしまうものらしい。
 飼育係が、天窓にカバーをかぶせ外が見えないようにして、プックの潜って逃げる行動はやっと納まった。 しかしそれが納まるまでに2時間半もかかっていた。
 チャチャは息も絶え絶えで、毛はひどく濡れている。 プックの方も潜りっぱなしだったからひどい状態だった。 慌ててチャチャのグルーミングを始めるが、思うように乾いてくれない。

 すると、同じプールで泳いでいたモコモコが近寄ってきて、チャチャのグルーミングを手伝い始めたのだ。 2頭でグルーミングをしたおかげで、チャチャの毛はみるみるうちに乾いていった。 チャチャのグルーミングが終わると、プック自身のグルーミングだが、モコモコはそれも手伝ってあげた。 それを見ていた飼育係がいたく感動したのはいうまでもない。

 このような助け合いの行動は、ラッコが時折見せる行動だ。 エミが赤の他人であるコタロウの面倒をみたり、メス同士が眠るときに手を繋いで寝ていたり。自然の海でも、特に子育て中の母親たちが小さな助け合いグループを作っていることがよく見られるという。
 普段はお互いにほとんど知らん顔しているのだが、一大事の時には助けたりかばったりするのである。 きっと、子供の頃には子供同士じゃれ合ったり、よその大人のところにそばえにいったりすることが、そんな社会的な意識を形づくっているのだろう。

 私は三重大学で、非常勤講師をさせてもらっていて、年にたった2度だが講義をしている。 今年は今までやっていた博物館学とはちょっと趣向を変えて、けっこう熱心にやっているボランティア活動や市民参加によるまちづくりのことについて話をした。
 一年生の講義の時に、NPO(非営利組織)について知っているかどうかを、聴講している学生たちに聞いたのだが、およそ300人の学生の中で、意味まで知っていたのがたった1人、言葉を聞いたことがあるというのが5人だけだった。
 きっと彼らはこの大学に入るために、「イイクニ(1192年)つくろう鎌倉幕府」は憶えても、鎌倉時代の人たちがどんな生活を送っていたか、なぜ鎌倉幕府がつくられるようになったのかなんてことは学んでこなかったのだ。

 しかしそれは、彼らのせいというより、私たちが作り上げて当たり前だと思ってきた社会のせいでもある。 前途ある若者たちが、そんなどうでもいい数字を憶えることでしか、学校での時間を使えなかったのだと思うと、彼らにはとても申し訳ない。



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