ラッコの道標:中村 元著/パロル舎刊 2001,3.20
ラッコの道標
第6章 ラッコの子育て


6-3 母親、教育ママになる 
 チャチャが生まれて10日程たつと、それまでフワフワと生えていた赤ちゃん毛は、普通のラッコの毛に生え替わっていった。 赤ちゃん毛は、体に不釣り合いなほど長い毛で、それは寒さから身を守り水面に浮かぶためだけにある。 これが生え替わったところで、チャチャは赤ちゃんから子供になったように見えた。

 毛が生え替わったためか、16日目には泳ぎ始めた。 その格好はといえば、仰向けに浮いたまま脚をチャプチャプと動かすだけだが、出来のいいラッコのお風呂オモチャ程度には前に進んだ。
 親が教えなくても、ラッコの赤ちゃんは自分で泳げるようになるのである。 でも、ラッコは仰向け泳ぎだけでは一人前にはなれない、仰向け泳ぎはラッコの基本中の基本である。
 一人前になるためには、潜ることを覚えなければならない。 しかし潜ることは浮くことよりはるかに難しいのだ。その証拠に陸上の動物たちはほとんど潜れない。

 ヒトなどは不思議なことに潜るのに慣れている動物であるが、それでも素潜りで潜ることができる人は実に少ない。 そして全てのヒトは浮くことなら誰でもできるのである。
 嘘だと思うなら、試してみるといい。 プールや海で仰向けになったら、呼吸ができるかどうかは別にしてカナヅチの人でも浮いてしまう。 水中で真っ直ぐに立っても額から上あたりは、必ず水面に出ているはずだ。
 これを全身水中に入れるというのは突っ立ったままでは誰にもできない。 浮くのに技術はいらないが、潜るには技術が必要なのだ。 ましてや、体の半分以上が水面上に出てしまうラッコが水中に潜ろうと思ったら、かなりのコツと経験が必要なのは分かってもらえるだろう。

 プックはチャチャが泳げるようになると、なにか理由をつけては、なんども水中に引っ張っていた。 飼育係に言わせれば、それはチャチャが母親の気に入らないことをしたときの、お仕置きだとのことなのであるが、私には母親がチャチャに潜水を教えているようにしか見えなかった。
 その真意が本当はどちらだったのかはともかく、チャチャは次第に、潜るコツと潜っても恐くないことを覚えたようで、生まれてから51日目には、飼育係の目の前でプールに潜り、底にあった貝殻のカケラを得意げに持って浮上してきた。 

 しかし、そんな風に成長著しいチャチャに対し、プックは飼育係のところにチャチャが一人で行くことを嫌がった。 チャチャを連れてエサを取りに来ることさえしなかった。 だから、チャチャに初めてミルク以外の食べ物を与えたのも、飼育係ではなく母親だった。

 面白いことに、ラッコの場合、母親から赤ちゃんにエサを渡すのは手渡しである。 母親の手から赤ちゃんの手に渡されるのだ。 餌の手渡しなんて、文章で表す分にはどうってことないが、それをラッコがやっている姿を見れば、う〜んと唸ってしまうはずだ。 実際はこんな芸当ができるのは、ヒトを入れたってラッコくらいではないだろうか。 ヒトだって親はともかく子供はずっと手を使えない 。なんと、手を使うという点では、ラッコの方がヒトより完璧なのである!

 さらに、ラッコの母親は子供に彼女たちの文化を教える。 それは道具を使うことだ。 プックがチャチャにそれを教え始めたのは、早くも生後55日目の日だった。 まだしっかりと授乳もしていて、エサもほんのわずか食べ始めた頃のことである。
 プックはプールの底から貝殻の欠片を拾ってきて、2枚をチャチャに渡した。 そして自ら別の貝殻で貝を叩き始めたのだ。 チャチャはそれを真似て、もらった貝殻の欠片を両手で振った。 母親の目はとても満足そうだった。 それからずっと、その遊びは続けられた。

 ある日そんな様子を見ていたら、チャチャが飽きてきて、貝殻の欠片を捨ててしまった。 それを横目で見ていたプックはいきなりチャチャの頭を叩くと、潜っていって再び貝殻を拾ってきてチャチャに渡したのだった。 もう笑いが止まらなかった。 なんて教育熱心なママなんだ!

 でもおおむねチャチャはこの遊びが気に入っているようだった。 特に、お腹の上で貝を叩くよりも、壁で貝を割るのを真似る方が好きだったようだ。
 これは母親がコタロウの方法を真似た新文化で、チャチャはその新しい方法を気に入ったのだ。 きっと簡単だった上に、壁の方がいい音が出るからだったのだろう。 チャチャが小さな貝殻を窓や壁に叩きつけるカチカチカチッという音は、とても可愛らしくて、私もその音を聞くのが好きだった。 
 
 観察記録によれば、それから3ヶ月ほどした生後144日目に、チャチャはついに本物の貝を壁に打ち付けて割ろうとした。 その時には結局割れなくて、諦めたのだが、教育ママのはずだったプックは、自分でその貝を割り、身だけにしてチャチャに与えたのだった。 あと少しで、こうなるのよと言いたかったのかもしれない。

 本来は、野生動物をこんなふうに、ヒトと比べたり、ヒトが考えそうなことを勝手に当てはめたりすることはよくないのだが、ラッコの行動を見ていると、自然とヒトの日常に重ね合わせて考えてしまう。 どうもそれほどに彼女たちとヒトとの間には共通点が多すぎるのである。



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