ラッコの道標:中村 元著/パロル舎刊 2001,3.20

ラッコの道標
第6章 ラッコの子育て


6-4 過保護なラッコ 
 パニックになるほどの子供への母性本能、そして笑えるほどの教育熱心ぶりを見せてくれるラッコの母親であるが、本来なら子供は、1年もたてば一人前の子ラッコとして、親元を離れていくのだろう。
 ラフト(いかだ)と呼ばれる自然界のラッコの群には、同じ年頃の子供たちもたくさんいて、子供たち同士で遊びながら社会勉強をしていくし、性衝動を抑えられないオスたちはしょっちゅうやってきて、母親と次の子供の準備にかかる。 母親はいつまでも1頭の子供に関わっている暇はないのだ。

 半年を過ぎる頃になると、チャチャも立派に一人でエサを食べるようになり、相変わらず自分のエサを仕切の隙間から差し出すコタロウにも興味を持ち始め、コタロウが差し出すイカを取りに行っては、それを美味しそうに食べていた。
 お母さんのプックでは、遊び相手になってくれないし、モコモコは美人なだけで、子供と遊ぶのなんか好きじゃないという意思表示をはっきりとしていたから、例え手の先とイカの胴体だけであっても、コタロウと遊んでいるのは楽しかったのだろう。

 チャチャは飼育係まで遊び相手と見ているようだった。 長靴に噛みついて穴を開けたり、手に噛みついたり、座っている飼育係の背中に背伸びして前脚をかけもたれかかる。 そろそろ独り立ちにいい時期なのかもしれない。
 飼育係はそう考えて、チャチャがあと1ヶ月弱で誕生日を迎えるというときに、隔離のために2つに仕切ってあったプールを、元通り開放することになった。 チャチャにちょっかいをかけたコタロウが、どのような振る舞いを見せるのか心配ではあったけど、チャチャを小さなプールでいつまでも飼うわけにはいかず、それにいつかはコタロウが父親になるときのことも期待をしていたから、全てのラッコが広いプールで、再び一緒に暮らせるようにしたかったのである。

 そしてついに仕切を上げて開放した。 しかし、遊び相手になってくれると期待していたコタロウは、チャチャを対等の相手とは見ていなかった。 まるで、子供なんかと遊ぶのなんてアホらしくてやってられないぜ。というような具合である。 それどころか、チャチャを追い回し、流血の大けがをさせてしまった。
 コタロウにとっては、プックに可愛がられる存在自体が嫌だったのか、あるいは遊びの延長だったのか、またただの意地悪なのか、その真相はよくわからないが、箱入り娘チャチャの社会デビューは、さんざんなものだった。
 それでも、守ってくれる母親はいたし、コタロウもだんだん遊び相手として認めてくれるようになり、コタロウからもらった石の破片で窓をカチカチと叩いて遊んでいるなと思っていたら、いつの間にかチビッコギャングの兄妹分としていたずらを繰り返すようになっていた。

 しかし、自然界とプールと違うのが、やっぱり社会の狭さなのである。 母親と娘ははぐれることもなく、そして母親には新しい子もできなかったから、プックとチャチャの絆はいつまでも続いた。
 母子の絆が続くのは悪いことではないのだが、その絆が、世話する母親と世話される子供の関係としていつまでも続くことは良くない。 母と子の関係は、絆を作るための最も基本的で大切な期間であるが、それが絆として意味を持つのは、それぞれが独立した一個人として互いを認め合ったときなのだ。

 しかし、ヒトの親でも勘違いしていることが多いのだから、この状況下でのラッコにはどうしようもなかったのだろう。 赤ちゃんが生まれて目覚めた母性本能を、どこへも納めどころがなかったプックは、いつまでもチャチャの世話をしようとし、チャチャ自身もその世界から抜け出るすべを知らなかった。

 チャチャが貝を割ろうとして失敗すると、あれほど教育熱心だったプックが、自分で割って中身を渡してあげる。 しかも一番美味しい貝柱だけを差し出すのだ。 かたい外套膜や苦い内臓はチャチャが好きではないので自分で食べる。
 おかげでチャチャはお腹の上で貝を割るどころか、壁で貝を割る方法も、コタロウたちのように立ち泳ぎして振り下ろすのではなく、仰向けにのけぞって壁に突き上げるバックブリーカー型貝割りしかできなかった。 この方法は、力も入りにくいし、みっともないことこの上なかった。 そして、いつまでも、大アサリは貝柱しか食べなくなってしまったのである。

 元来ラッコという動物は、さまざまなものを食べられる特性を持っている分、個体による偏食もわりあい普通にあるのだが、貝柱しか食べないという偏食は自然界ではきっとないはずだ。
 海底でわざわざ拾ってきて苦労して割った貝の中から、貝柱だけ食べるというような余裕はないはずだし、そもそも本当に貝柱しか食べられないのなら、最初から貝など拾ってこないだろう。 もちろん、内臓を食べなければ栄養価も低い。
 しかし、プックはついついそれを許してしまうのだった。 欲しがるものはなんでも与え、困っているとなんでもしてあげる。チャチャがコタロウにいじめられてビェーと泣いていると、プックが駆け寄ってきて、コタロウにお灸を据えてチャチャを抱きしめるのである。 

  こんな子では、もし自然の海に放り出されたら、まず生きては行けないだろうが、水族館生まれのラッコは、どこの水族館の子もこんな感じなのだそうだ。 社会がせまい水槽の中ではどうしようもないといえばそうなのではあるけれど、結局その直接的な原因となるのは親である。
 過保護という字を見れば一目瞭然、過分に保護することである。 もちろん、保護することは悪いことではないのだが、保護の対象や範囲を間違うと悪いことになるのである。 いずれにせよ、いつかはきっと保護できなくなるのだから、保護しなくてもいいところは、さっさと早くから手を引かなければならないのだ。

 鳥羽水族館には少年海洋教室という、小学校5・6年生のための2泊3日の合宿がある。 そのくらいの歳になると、独り立ちしている子は、県外からでも電車を乗り継いで一人でやってくる。 あるいは、水族館の前までは車で送ってもらっても、受付には一人で来てしまう。 たぶん、彼らにとってはそんな冒険ができるというのも楽しみの一つなのだ。
 しかしたいていは、受付までご両親かお爺ちゃんお婆ちゃんの付き添いがあるのが普通である。 そして親はそこまで来てしまうと、受付も自分がしてあげるのが当たり前のような気がするし、今日から3日間子供が過ごす教室がどんなのか見ていきたくもなる。 それにできればお世話になる先生方に挨拶の一つでも・・・・なんて。 そう、それが親心なのである。

 しかし、受付のスタッフは、子供本人にエントリーをさせ、親にはきっぱりと、ここからは本人しか入れないことを告げる。 親は一瞬「えっ?」というような顔をされるが、その時の子供の反応が面白い。不安そうな顔をする子はまずいなくて、ニヤッとしながら突然元気になるのだ。 親に一言「じゃね」と言って未知の教室へと力強く歩いていくのである。
 先に来ていた子が一人で受付をしていたら、話はもっと簡単だ。 スタッフから親はここまでなどと言われる前に、子供がさっさと親を帰してしまう。 一人で来て一人で受付をしている子がいるのに、自分には親が付き添ってきたという状況が恥ずかしいからなのだろう。

 そして、この子はまだ自立していないかもしれないな・・・・という子でも、いったん教室に入ってしまえば、そこにいるのはみんな一人っきり。 そんな環境の中にいれば、1日も立たないうちに自立したヒトの本領を発揮し始める。
 かくのごとく、子供とは実に自立心の高い生き物なのである。 親さえ手を引いたらほとんどのことはなんでもできるし、そもそもなんでもやってみたいのだ。 その気持ちを無視してしまうのが過保護というのである。

 海洋教室では親からお礼状をいただくことがとても多い。 その中の多くに、「たった3日間でとても逞しくなって帰ってきました」と書いてもらってある。
 海洋教室は自己啓発教室ではないから、逞しい子供を育てるプログラムもなければ、逞しくするために特別なことをしているわけではない。 それなのに、親が見て「逞しくなった」と映るのは、もともとその子に逞しい素質があったということなのだ。
 それを知らず知らずの過保護によって失わせていたのではないだろうか。 彼らはきっと、受付のところで見送りに来た親と別れたその時点で、逞しい素質が呼び覚まされたのだと思うのだ。
 年頃の娘が父親嫌いになるのは、近親相姦を防ぐための隠された本能なのだと言われているが、それと同じように、反抗期というのは、親の過保護を防ぐための隠された本能なのかもしれない。 反抗期になった時点で、今までの保護の仕方をやめて新たな保護の仕方に変える、そうすれば絆が生きてくるような気がするのである。

(第6章終わり)




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