ラッコの道標:中村 元著/パロル舎刊 20014.2

ラッコの道標
第7章 メス達は操を立てたのか?


7-1 父親になれなかったコタロウ
 コタロウには、ちょっと気の毒な過去があった。 それは、成長して大人になってからも、性的不能であったことだ。 ペニスは立派に勃起しているのだが、勃起したペニスが外に出てこないのだ。 ペニスが外に出る?不思議に思われる方もいらっしゃるだろうから説明しておこう。

 実は、海獣たちのオスは、すべての種類において、ふだんはペニスを体内にしまっている。 理由は簡単。 もし水泳選手がフリチンで泳いだら、ペニスと睾丸が余分な水の抵抗を受けて、記録がコンマ何パーセントかは悪くなるに違いない。
 水泳選手でさえ困るのだから、水中生活に適応することで進化してきた海獣がそれではもっと困るだろう。 せっかく伸びたり縮んだりするのが当たり前のペニスである。 縮んでいる時には体内に入れて置いたほうがいいのは道理なのだ。

 また、陸上の動物は睾丸を冷やすためにブラブラさせているが、水中生活者だったら体は常に冷えているから問題もない。 だからオットセイなどは、長いこと陸上に上がっている時には睾丸を外に出してくる。 まあ、このあたりのことは、パロル舎のシリーズの「人魚の微熱」に、しつこいくらい詳しく書いたので参考にしていただきたい。

 もちろん、海獣のはしくれであるラッコのオスたちも、ペニスと睾丸は体内にあって、いざ交尾という時にだけニョキニョキと出てくることになっている。 ところが、コタロウの場合は、そのニョキニョキが体外に出てこずに、お腹の中で勃起しているのである。 ペニスが納まっている袋の中からペニスが出てこられないのだから、極度の包茎というのが当たっているのだが、それにしても極度すぎる。

 人一倍メスが好きだったコタロウにとって、それはとても辛いことだっただろう。 もしあなたが男性なら想像してみて欲しい。 やっとメスたちが相手にしてくれる大人になった、しかも回りには競争相手のオスなどいないハレム状態なのである。
 そこでムラムラっときてお目当ての女性とハグハグ始める。 モノはズボンの中でいきり立ってくる。  ところが、いざ致そうとすると、はいているズボンが脱げないのである。 これはどう考えてもつらい。 女性が相手にしてくれなくてできないほうがまだマシなくらいだ。

 さらに、コタロウの可愛そうなところは、その状態のままで一生を送らねばならなかったことだ。 飼育係は手術することも考えたが、海獣の場合は包茎手術が腹の切開手術になるのだから、命と引き替えになる可能性が大きい。 そこまでの危険は犯せないので諦めた。

 しかし、ことはコタロウだけの問題ではなかった。 コタロウも交尾して子供を残したいだろうが、メスたちだって子供を残したいに決まっているのだ。 全ての動物にとって、自分自身の分身たる子孫を残すことは、自分自身が生きることと同じくらい大切な使命である。だから、オスたちはメスを奪い合い、メスたちはオスを真剣に選ぶのだ。

 いや生命は、遺伝子を残すために生まれ、遺伝子をより残りやすくなるために進化をしてきたと考えた方がいい。 遺伝子に仕組まれたプログラムが、生きることを命じ、強くなることを指令し、交尾することをささやく。
 そして、遺伝子の分身が配偶子となって、生まれてきた子に乗り移り、それが立派に成長するのを確認すると、親にはもう用はないし新しい生命に邪魔になるからそろそろ死になさいという最後の指令を送るのである。

 性欲が止まらない本能であるのは、そんな遺伝子の絶対的な指令だからであり、命として生まれてきた者たちすべてにとって、その本能を満たされることが幸福に繋がるのだ。
 だから、性的不能なオスしかいないラッコのメスたちは、一つの幸福への道を断たれたことになってしまう。 さらに、飼育研究者としても、そんな交尾から妊娠、出産、そして成長という一生を観察することが使命の一つであるのだから、なんとかメスたちには繁殖をさせてあげたいのである。

 そこで、コタロウに代わって、別のオスを鳥羽水族館に呼ぶことにした。 折しも、稀少動物を繁殖させるために、動物園や水族館同士で相互に協力することが大切であると叫ばれ始めてきた頃でもあり、兵庫県の神戸市立須磨海浜水族園の快諾を得、オスのラッコ「チャーリー」を借りてくることになったのだ。 1989年、ラッコたちが鳥羽水族館に来てから6年目のことである。

 チャーリーは、当時3歳だったが、すでに繁殖の実績がある早熟なオスだった。 対してメスたちは、当時推定10歳のエミ、推定11歳のモコモコ、推定9歳のプック、そしてすでに5歳に達していたチャチャの4頭だ。
 プックは日本初の赤ちゃんチャチャを産んで育てた経験があるし、コタロウの義母を買って出たエミもどうやら子供がいたことはあるらしい。 モコモコは美人だし(ヒトから見てだが)、もし若いチャーリーが、年増は嫌だと思ったとしても、確実にバージンのチャチャがいる。 もう、完璧の布陣である。

 気の毒なのはコタロウだった。 オス同士が出会うと必ず喧嘩になるし、コタロウの方が体が大きいうえに乱暴者だから、のこのこやってきたチャーリーはいきなりコテンパンにのされるに違いない。 そこでコタロウは、チャチャが育ったあの小さなサブプールに別居させられることになったのだ。

 一頭だけにさせられたコタロウは、それだけでも嫌がったが、隣に若いチャーリーが来たのを知ると、いてもたってもいられない様子だった。 それはそうだろう。今まで自分だけが独占してきたメスたちを、どこの馬の骨ともわからない若いよそ者ラッコに独占されているのだから。

 チャーリーは、これがまた元気な奴だった。 鳥羽水族館に到着してメスを見るなり、なんとラッコにとって必要不可欠なあのグルーミングさえも忘れ、次から次へとメスを捕まえては交尾を迫ったのである。
 輸送の疲れも知らずに、朝まで眠ることもなくそんな騒ぎを続けるチャーリーには心底驚いたが、それがオスの本能なのだろう。 チャンスを逃しているようでは、立派なオスとは言えないのだ。

 しかし、そんな頼もしいチャーリーを見て安心しながらも、飼育係たちの顔はずいぶん辛そうだった。 コタロウは隣の部屋でチャーリーの雄叫びと、メスたちの嬌声を一晩中聞いていなくてはならないのだから。
 その夜の観察のときに、石原が何度もコタロウを見に行っていたのを憶えている。 彼はそのたびに「つらいよなあ、ごめんな・・・。」とコタロウに向かって話しかけていた。



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