ラッコの道標:中村 元著/パロル舎刊 2001.5.12

ラッコの道標
第8章 ラッコの毛皮


8-1 和名はラッコ
 冒頭にも述べたのだが、ラッコの和名はラッコ。 アイヌ語が語源だと言われていて、「猟虎」や「海獺」という漢字だってあるし、鎌倉時代の古文書には「獺虎」と記されている。
 つまりアイヌの人たちもラッコを知っていたし、古文書に書かれるほど認知されていた。 松前蕃から徳川家康に毛皮が献上されたという記録もあるくらいだから、その認知もかなり高級な認知であったはずだ。 江戸に雪降る日、家康はラッコのチャンチャコを羽織って城下を見渡し上機嫌だったのだろうか。
 そして、童話作家の岡野薫子先生は、祖父の外套の襟がラッコの毛皮だったとおっしゃるくらいだから、ラッコと言う言葉は、相当昔からつい最近に至るまで、比較的普遍的な日本語として生きていたのである。

 私が知っているのはその程度のことだが、このあたりのことは、テレビキャスターの吉川美代子さんが、「ラッコのいる海」という本で、実に広く深く調査され、克明に記されている。
 水族館人である私より研究されているのにはちょっと参ってしまうのだが、実際「ラッコのいる海」を読めば、ラッコの毛皮がいかに高価なものであったか、またその毛皮を巡るだけで、どれほどの大きな歴史があったかが分かる。 ヒトとラッコの関わりの歴史を知りたい方は、ぜひご一読されることをお薦めする。

 とにかく、現在の日本では「アラスカからやってきたラッコ」が普通であるが、本来ラッコは日本にもいたのだ。
 アイヌ民族は、千島列島周辺にいたラッコをラッコと呼び、北海道周辺のものはアトイエサマンという別の名前で呼んでいたのだそうだが、もちろん種類としては同じもので、それは北海道より北にはラッコがいたと言うことを表してもいる。

 ただしこのラッコ、ややこしい分類学上でいけば、アラスカのラッコとは別の亜種とされている。
 ラッコは、一種類だけではなく、アメリカ大陸側にいるアラスカラッコと、カリフォルニアラッコ、そしてアジア側にいるクリルラッコの3つの亜種に分けられているのだ。
 いったいそれはどの程度違うのか?古田に聞いてみたが、頭蓋骨の形が少し違うのと、手に入る餌の違いによって食性が違うが、亜種なんていうのは、考えた人の思いこみによることが多いから・・・・という話だった。
 確かにヒトの場合も、モンゴル系とアングロサクソン系とアフリカ系では、頭蓋骨どころか、肌の色や毛の色、それに体格そのものもまったく違うし、食性もずいぶん違うが、それは亜種とは言わない。

 ただ、3種類のラッコの中で、カリフォルニアラッコだけは、基本的には陸上に上がることをしない。 きっとカリフォルニアの陸上は暑すぎるのだろう。
 そのためにこれは見た目もずいぶん違う。 本当は同じ体格なのだが、アラスカラッコやクリルラッコのようにフワフワの毛になることがなく、毛が常に濡れた状態でいる。  外気が暖かくて体温に近くなるとアンダーファーに空気を閉じこめられなくなるのだ。カリフォルニアは、それでも寒流が流れ込んでいるのでまだ海面は冷たく、ここがラッコのギリギリの南限だというわけである。

 さて、そんな風に、アイヌの人たちの生活の中にいて、日本語にもなったラッコの名前がなぜ、日本人の誰もが知らなくなるようなほどに死語化してしまったのだろう?
 そう、もうお分かりだと思うが、ラッコの毛皮がヒトの目に触れなくなったからである。
 1911年にロシア、アメリカ、イギリス、日本の4ヶ国で締結された「北太平洋におけるラッコ・オットセイ暫定条約」という条約で、4ヶ国のうち日本だけが捕獲できなくなった。 これは他の3ヶ国にまったく都合のいい条約で、彼らははその後もアリュート人やイヌイットを介してラッコとキタオットセイを捕り続け、最終的にはラッコを絶滅近くにまで追いやってしまったのだが、とにかく日本ではその1911年より、ラッコの毛皮を合法的に生産しなくなったのだ。
 そうして新しいラッコの毛皮の供給が途絶えて数十年が経つと、普通の人がラッコの毛皮を目にすることはなくなる。
 それでも最初のうちは、海外から輸入はされていたのだが、戦時中に贅沢品と見なされて海外から輸入も途絶え、流通の現場でもラッコという言葉は不要のものになった。そしてラッコという言葉は誰も口にしなくなっていったのである。

 つまり、ラッコという言葉がアイヌ語から日本語に取り入れられた時点で、ラッコは毛皮の種類を表す言葉となり、後にそれは商品名として使われていたのである。
 だから、商品が無くなった時点で、ラッコの名称も一緒に消えてしまったのだ。 おそらく、毛皮を着ていた人たちは、ラッコの生きた姿がどんなものなのかも知らなかったのだろう。

 生きている姿も知らずに製品だけ使っているというと、まったくひどい話のように思えるけれど、そんなことは現代でもけっこう多いのだ。
 あなたは寿司のネタの青柳や鳥貝がどんな貝かご存知だろうか?
 絹がどんな動物がつくり出しているのかご存知だろうか?
 カシミヤは?アルパカは?
 もしかしたら、革製品が牛の皮であることや、サケの切り身でない姿さえ思いつけない方だっていらっしゃるのではないか…。
 私自身、つい最近実物を見るまで、クロコのバッグというのがクロコダイルの皮で造られたバッグなのだとは思ってもいなかった。 ヒトと野生生物が出会うと、たいていがひどい話しになる。

 だから、ラッコに限って特にひどい話だというわけではないのだが、もし自分の名前が、毛皮の種類や商品名として付けられたものであったなら、それはちょっと耐えられないぞと思うのである。
 しかもラッコが可愛そうなのは、毛皮の流通がなくなってからも、本人はちゃんと存在しているのに、世間から忘れられてしまったということだ。 最初から誰にも知られていない名前なら放っておかれたほうが逆にありがたいのだろうが、売れるときには商品としてもてはやされ絶滅の危機に陥るほどにボロボロにされて、利用価値が無くなったらどうでもよくなるというのは、芸能人の没落物語を見ているようで悲しい。



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