ラッコの道標:中村 元著/パロル舎刊 2001.8.12

ラッコの道標
第8章 ラッコの毛皮


8-5 益獣と害獣
 昆虫の世界には、益虫と害虫という言葉がある。 ヒトの生活に対して有益なことをする昆虫が益虫、不利益なことをもたらす昆虫が害虫だ。
 蜜を集めるミツバチや、雄しべからと雌しべへと花粉の仲介をする様々な昆虫などは益虫であり、米を食べるコクゾウムシや、イネを食害するウンカなどは害虫である。

 獣を益獣と害獣に分けたらどうだろう?
 オオカミは家畜を殺す害獣として殺されていったのは間違いない。 するとヒトの命を脅かすクマや、森林を破壊するシカはやっぱり害獣に入るのだろう。
 ヒトの役に立つ益獣の方は、食べ物となってくれているクジラや、毛皮を提供してくれるさまざまな動物たちに当てはまる。

 ラッコはもちろん、かつては毛皮を提供する益獣であった。 服を提供してくれたどころか、各国の経済活動に貢献し、国家的な財産を築いてくれたほどなのだから、それらの諸国では益獣と呼ぶだけでなく、大いに感謝しなければならないほどである。
 ところが、このところラッコたちは害獣として嫌われているのだという。 それは、一昔前の乱獲で絶滅寸前になった頃とは違い、もうほとんど元の数近くまで回復してきたせいなのだとか。
 あまりにも数が増えすぎて、彼らが常食としているカニやアワビ、貝、ウニなどの漁獲量が見る見る減ってきたと言われているのだ。

 断定して書けないのは、それはラッコのせいではなく、漁業による資源の乱獲のせいだとする人も少なくないからである。 確かに一昔前と比べて、食料を必要とする人口は増えているし、漁獲技術も上がっているのだから乱獲は否めない。
 それに、昔はアワビやウニなど、アメリカ人は食べなかったのだ。 カリフォルニアでは、中国へ輸出するアワビを獲ることから始まって、今ではアメリカ国内でもアワビステーキなどが食べられている。 それまでは、それはラッコの食べ物だったのだから、当然取り合いになるし、ラッコは別のものを余分に食べることになるだろう。

 もう一つある、「ラッコがウニを食べてくれないと、ウニが食害するジャイアントケルプが育たない。 ラッコがたくさんいてウニを食べてくれるから、ケルプの森が茂って、魚介類が豊富なのだ」という考え方である。
 害虫を食べる昆虫のことを、直接利益になる益虫とは分けて有益虫と呼ぶが、するとラッコは、益獣であり、害獣であり、有益獣でもあるということだ。

 今では益獣ではないにしても、いったいラッコは、害獣なのか有益獣なのか?結局はそのどれでもあるし、生物分類学の上ではそのどれでもない(というかそんな分け方などないのだ)モンシロチョウは花粉の媒介をする益虫だが、その幼虫はキャベツを食べる害虫なのだから、益虫か害虫かで昆虫を分けることなどできないし、その基準はその時々のヒトの勝手で決められるものだということがわかる。

 そもそもラッコが、ヒトの役に立とうとかヒトの邪魔をしようとか考えているわけがない。
 ラッコがラッコの都合で勝手に生きていたら、ヒトが勝手に毛皮を獲るために関わりを持ってきて、数が少なくなったら勝手に保護されて、数が戻ってきたら、今度はヒトの経済活動を邪魔するからとヒトの勝手で害獣にされ、時にはヒトの都合で、ケルプの森になくてはならない動物だと絶賛されたりもする。

 ラッコの生き方の一貫した勝手さに比べれば、ヒトの勝手さのいいかげんなことといったらない。 自分たちの都合によってどんどん価値観を変えてくるのだから・・・・。
 しかしラッコにとってただ一つ困るのは、ヒトと取り合いになると彼らのエサが減ることである。 しかもその困る要因を取り除くすべを彼らは知らないのだ。
 ここは一つ、ラッコよりも知恵があると自負するヒトが、その解決方法を考えてやらねばならない。 ラッコの生活環境やその資源数さえ、ラッコ自身よりもヒトの方が良く知っているし、ヒトが作り上げた世界の流通のシステムやヒトの価値観を変えることを、ヒト以外の何者にも操作できるわけがないのだから。




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