ラッコの道標:中村 元著/パロル舎刊
ラッコの道標



Prologue ラッコはラッキョ?
 今時、ラッコを知らないという方はそう滅多に見られるものじゃない。少なくともこの本を開いている方なら、ラッコがどんな動物なのかよくご存知のはずだし、およそラッコが好きでなければだれがこんな本読んでくれるものかとも思う。
 いや、まったくありがたい。ラッコのおかげで私はこの本を書くことができ、ラッコのおかげで読んでくれる方だっている。 だいたいそれ以前に、三重県の端っこにある鳥羽水族館が今、超水族館として有名なのも、ラッコで有名になったおかげだったのは間違いない。その証拠に鳥羽水族館のトレードマークは今もラッコのイラストである。

 今やラッコといえば、たいていの水族館に行けば、まず会うことの出来る動物。
 動物園にチンパンジーがいるのが当たり前のように、水族館にはなくてはならない人気者。そう、ちょっと前までは、コアラと人気を二分する国民的アイドルでさえあったのだ。
 しかし、そのちょっと前のさらにほんのちょっと前といえば、ラッコの存在を知っている日本人はたいへん少なかった。 いやいや、たいへん少なかったというのはまだ控えめすぎるというものだ。今から20年ほど前までは、つまり鳥羽水族館にラッコがやってくるまでは、ラッコのことを知っている日本人なんて、よほどの変わり者か相当特殊なヒトだったのだ。

 鳥羽水族館にラッコがやってきた1983年のこと、広報を担当する企画室を設立したばかりの私は、勢い勇んでマスコミ関係の知り合いに電話をかけまくった。自分の目を信じて疑うことのない純真な27歳である。 こんなに可愛くて面白い動物がマスコミで取り上げられなかったら嘘だと思っていたのだ。
 ところが、私の純真とは裏腹に、ラッコなんてだれも知りはしなかった。それどころか誰にも想像さえもつかなかったようだ。
 東京のある雑誌社の友人、そいつは東京生まれのくせに、テンションが上がるとヘンな大阪弁を使う。「えっ?ラッキョでっか?なんや臭そうでんな」と来た。

 なんとラッコをラッキョと間違えているのだ、しかもラッキョとニンニクまでもごっちゃになっている。「あほう!臭いのはニンニクだろうが、このスコタンが!」と心の中で怒鳴りながらも、「いやいや、ラッキョじゃなくてラッコ。海獣の仲間でさ、お腹の上に石置いて貝を割るやつよ。それがさあ、クルクル回ったり頭かいたりしてめちゃくちゃ可愛いわけよ、これが・・・・」と説明する私。
 すると今度は「へーっ!くるみ割り人形みたいでんな。けどクルクル回ったり頭かいたりって、よっぽど痒いんかいなあ、ちょっと臭そうなくるみ割り人形ですなあ」と来たもんである。どうやら彼はもう、「ラッキョが臭い」の世界から離れることができなくなっているようだ。
 「いや、そうじゃなくてね、アラスカから来た哺乳動物で、とにかく可愛いの。そうそう、写真とビデオ送るからさ、とにかく見てよ。ぜったいビックリするから」頭が痛くなりかけた私は、そのけったいな大阪弁を使う東京人の電話を切った。

 どこに電話しても、万事がこの調子である。 大衆に情報を送るマスコミの人間がこのていたらくだから、ほとんど全ての日本人にとって、ラッコとは、動物であるということさえも知られていないほどの、極度にマイナーな存在だったことは間違いない。
 しかしよく考えてみれば、小学校時代には野球よりも図鑑の方が好きだったと自認する私にしてから、ラッコという動物を知ったのはそれが初めてだった。 ましてやそんな動物が太平洋を挟んだアメリカの西海岸に住んでいて、そいつらはお腹の上で石をつかって貝を割って暮らしているのだなんて言われたら、誰だってあせるに違いない。
 もちろん鳥羽水族館のスタッフもほとんど誰も知らなかったし、何を隠そう、うちの館長だって、ある日テレビで観てびっくり仰天したという逸話が残っているほどだから、まあ普通の日本人が知っていることの方がおかしいのだ。

 鳥羽水族館にラッコがやってきたということ。それはもう、ラッコという動物がそれまで地球上に存在しておらず、神さまが気まぐれで突然創造めされて、鳥羽水族館にいきなりデビューしたというようなものだったのである。
 でも、ラッコがこの地球にずっといたのは間違いないのだ。そのうえ、ラッコという名前は英名でもラテン名でもなく、海獺や猟虎という漢字まであるれっきとした日本語による和名だ。もともとはアイヌ語でそう呼ばれていたということまで分かっている。かつて日本人にとっても、名前が必要なほど身近だった動物が、なんらかの理由で忘れ去られ、名前さえも死語となってしまっていたというだけの話しなのである。

 そんなことはヒトの社会では珍しくもなんともない。私の世代なら誰でも知っているトラをバターにしてしまったチビクロサンボの勇気が、不思議な理論によって消し去られてしまったように、ラッコの興味ある生態は、その生態とはまったく別の理由によってどうでもよくなってしまうものなのである。

 ヒトの価値観は、モノの本質とは関係なく一方的に変化する。 この本では、運良くラッコと会うことの出来る時代に生まれた日本人の一人として、ラッコの歴史や暮らしを考えながら、ラッコが日本の水族館や日本人に与えた変化、そしてヒトと動物たちのさまざまな価値観についてお話ができればと思う。 



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(C) 2000Hajime Nakamura.

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