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したがって、今のところ、論争はまったくの抽象論なのだが、抽象論であるかぎり、いつまでやっていても、どちらかが兜を脱ぐはずもなく、これ以上議論をつづけていると、泥仕合になりそうなところも見える。そこで、抽象論はこの辺で打切りにして、私としては木々君のいわゆる純文学本格探偵小説が発表される日を待つことにしたい。
これに対して、私の方では英米ベスト・テン級の作品に敬意を表しているのだから、あらためて見本を示す必要はないのだが、しかし、やはり私としても、私流の新機軸の本格長篇を書いてみたい気持はある。木々君の劃期的作品を期待するとともに、私もまた、なるべく早い機会に、私の長篇探偵小説を仕上げたいと思っている。 |
現在ただいまは実作せざる第一人者であるけれど、まだ完全にリタイアしたわけではないという寸法です。横溝正史にお墨付きを与え、木々高太郎に実作を所望し、自分には長篇を仕上げる心づもりがあると打ち明けて、なんかもう余裕綽々で擱筆したという印象です。事実、「日本探偵小説の系譜」を書いた昭和25年前後には、乱歩の精神状態は一時に比べてずいぶん安定していたのではないかと思われます。一時というのはいつのことかといいますと、たとえば昭和22年、「宝石」2・3月合併号に「本陣殺人事件」評を発表するにあたってその原稿を横溝正史に郵送し、正史に「短刀を送りつけられたように感じ」させたころ、乱歩は探偵作家として、あるいは探偵小説の第一人者として、かなり不安定な精神状態にあったのではないかと推測されます。
同じ昭和22年の「ロック」2月号に掲載された「一人の芭蕉の問題」あたりでも、「ああ、探偵小説の芭蕉たるものは誰ぞ。好漢木々高太郎果して芭蕉の惨苦を悩むの気魄ありや否や」と芝居がかっているといっていいほどの切り口上で結ばれていて、それはまあ木々高太郎から売られた喧嘩を買うかたちで執筆されたものですから喧嘩腰めくのも無理からぬところでしょうけれど、そこには不安定な精神状態も投影されていたのだと見えないでもありません。
さらにその少しあと、昭和22年の11月に疎開先の正史を訪問した当時にも、正史が「『二重面相』江戸川乱歩」に「乱歩はおそろしく戦闘的になり強引になり、権柄ずくになり、昔から人を引っ張っていく力を持っていた人物なのだが、その引っ張りかたに以前のような当りの柔かさが欠け、強引一方になっていたらしい」と記していたところから判断いたしますに、乱歩の精神状態は決して安定していなかったといっていいでしょう。
それが昭和25年にはすっかり余裕が出てきて安定感たっぷり、「日本探偵小説の系譜」には第一人者としての揺るぎない自負が示されていると思われる次第ですが、こうした安定は何によってもたらされたのか。「探偵小説三十年」の執筆を開始したからではないかというのが私の推測です。余はいかにして第一人者となりしか。それを克明に跡づける自伝を書き始めたことによって乱歩は安定を取り戻し、第一人者としての自負をたしかなものにし、戦後の探偵小説界にいよいよ君臨していったのではなかったか。