2002年3

●3月31日(日)
 申しわけありません。二日酔いです。昨夜がんがん飲みましたせいで頭ががんがんしております。何も考えられません。
 きょう31日は名張市長選挙の告示日に当たっておりまして、四選を目指す現職、県議から鞍替えした新人、共産党の新人、以上三候補者による選挙戦の幕がすでに切って落とされているはずなのですが、紅旗征戎わがことにあらず、もうしばらくはぼんやりしていたい私です。
 ではまたあした。


●3月30日(土)
 旭堂南湖さんの探偵講談の話題になります。南湖さんのホームページには制作途中の新作講談「南湖一代記」が掲載されておりますので、まずはそれをご覧いただきましょうか。ただし、見てきたような嘘をつくとされる講釈師の自伝ですから、心してお読みください。

南湖一代記

 さてこの旭堂南湖さんに、名張市の江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業で乱歩原作の講談を上演していただくことになりました。ときは10月13日日曜、ところは名張市総合福祉センターふれあいの予定です。ふれあい、という言葉を聞くと私は反吐が出そうになるのですが。
 日本全国津々浦々、どこの自治体にお邪魔いたしましてもこの手の事業は掃いて捨てるほど行われております。講演会と演奏会がその筆頭で、お芝居もあれば落語もあるという寸法。いわゆる文化事業ってやつですね。文化、という言葉を聞くと私は反吐が出そうになるのですが。
 こうした事業には、ひとつの共通点があります。それは、講師であれ演奏家であれ、名のある人を呼んでくるということです。予算の制限がありますから世界的テノールのパヴァロッティを招聘するのはとても無理ですけど、せめてカウンターテナーの米良美一ならなんとかなるのではないか、それも駄目なら思いきり音域を下げてバーブ佐竹ではどうか、みたいな話は当然出てきますが、あたう限り有名な人を呼ぶのが原則です。
 無名の講師や演奏家を招いてみても、それでは地域住民に訴えるものがありません。より具体的にいってしまうと、お客さんが集まりません。だから主催者側が名のある人を呼びたがるのは当然のことなのですが、主催者側はもうひとつ、田舎者であるという問題をも抱えております。
 田舎者であるための条件のひとつは、しっかりした価値判断の基準を持ち合わせないということです。自分では何も判断できないということです。誰かが褒めていた、どこかで賞を獲った、メディアによく顔を出している、みたいなことだけが基準となります。むろん地域住民だって田舎者ですから、田舎者である主催者側が名のある人を用意すれば、田舎者である地域住民はほいほい喜んで足を運ぶことになります。ちなみに附記しておきますと、この手の田舎者は都会にだってごろごろしているわけですが。
 要するにまあ、全国の田舎においては日々、田舎者同士が仲良くもたれあって暮らしているというわけなのですが、いまやそれでめでたしめでたしといってられるような世の中ではないのではないかと、私には思われる次第です。とくにお役所が直接手がける文化事業の場合、国も地方もこれだけ借金抱えてひいひいいってるんだからこんなことに税金ぶちこんでいいのだろうかという疑問や、大事な税金ぶちこむんだから徒や疎かなことはとてもできないなという覚悟が必要なはずなのですが、そしてこれは文化事業のみならず行政のすべての面において必要な疑問と覚悟であると愚考されもするのですが、そんな疑問や覚悟を持ち合わせたお役人に、私はただの一人もお目にかかったことがありません。
 といったあたりで、あすにつづきます。


●3月29日(金)
 相変わらず雑用が多く、国立国会図書館その他で入手した乱歩の著書に関するデータの整理が、まだまったくできておりません。私の書く字は時間がたつと書いた本人にも判読不能となりますので、ノートに控えたデータをパソコンに入力する作業を優先させたいと思います。つまり本日も短めです。
 あす30日からは、乱歩原作探偵講談「魔術師」「二銭銅貨」を題材にご機嫌をうかがいます。予告篇として、大阪の若手講談師旭堂南湖さんによる探偵講談の解説を少々。

 講談には「軍記物」「世話物」などの他に「探偵講談」と呼ばれるジャンルがありました。明治に流行り、昭和初期まで探偵講談を盛んに読んでいる講談師がいたのですが、戦後、講談師の数の減少とともに、消えてしまい、今では探偵講談をやる者がほとんどいなくなってしまいました。あれだけ流行った講談も今では、既に滅んだ芸能と思われております。「コウダン」と言えば、「道路公団」と勘違いされたりします。

 以上、3月24日に大阪で催された第四回「名探偵ナンコ──よみがえれ! 探偵講談」のリーフレットから引用しました。


●3月28日(木)
 ご無沙汰いたしました。24日の探偵講談「魔術師・序」初演記念大宴会 in Osaka と25日のさらば乱歩邸池袋大宴会 in Tokyo という大宴会狂気の二番勝負を無事にクリアし、26、27両日は朝から夕方まで国立国会図書館にべったり張りついて調べものに没頭したあと、帰途随所で意地汚くお酒を飲みながら昨27日夜、名張に戻ってまいりました。二泊三日の東京出張は公費によるもので、名張市民のみなさんにお礼を申しあげます。大阪と東京でお世話になったみなさんにも謝意を表します。とりいそぎお礼かたがたお知らせまで。かしこ。


●3月24日(日)
 また新刊紹介みたいなことになってしまいますが、講談社文芸文庫のアンソロジー「戦後短篇小説再発見」全十巻は、九巻目まではまったく食指が動かなかったのですが、最終巻の『表現の冒険』(本体九五〇円)は迷わず購入いたしました。理由のひとつは稲垣足穂の「澄江堂河童談義」が収録されているからで、何を隠そう足穂版乱歩小説のこれは一篇。
 ご存じの方も多いでしょうが、乱歩に言及された箇所を引用します。原文の傍点は下線で示します。

 幻影城江戸川乱歩が、幼年期の一つの真実について注意している。彼は学校へはいる前年まで、祖母に添寝して貰っていた。夜明けになっておばあさんが起きて行ってしまったあと、又しばしば病気になって昼間ひとりで寝かされていた時など、布団から首を出して眺める襖や障子の向う側には、いつも物ノ怪がひそんでいた。「あいつがあそこに居る。若し、屏風のあちら側へ一歩でも出たら、そいつが見えるに相違ない」考えまいとするほど、相手の怖ろしさがいや増してくる。一人で寝ている折の、そういう恐怖と織りまざって、いま一つ、怕さはそれほどでもないけれど、奥底の知れぬ、一種甘美な慄きに襲われることがあった。それは床にいて自分の、両方の腿の内側と内側が触れ合うのに奇異な快感があったということだ。その擽ったいような、総毛立つような、それでいてひどく懐しいような感触は、その感覚自体が、たとえば天体のように遥かなものを象徴するかに覚えられた。それは大人の言葉で云うならば、カントの物自爾、ショーペンハウエルの意志、ライプニッツの単子にも相応するであろうと。──これを読んだ時ボクは、幻影城主の追憶に結びつけられそうな或る事が、自分の幼時にもあったことに気付いた。

 足穂がここに引いているのは「彼」に記されたエピソードですが、乱歩はほかの箇所にも登場していて、たとえばネリギについて、「幻影城主人江戸川乱歩の説では、語源的には何かの植物そのものを噛んだのかも知れぬが、江戸期の文献には、紙にその汁を塗ったものを噛み、この唾を利用した様子である」と少年愛に関する、というよりは肛門性交に関する蘊蓄を傾けています。乱歩と足穂が額を寄せ合いながら少年や肛門について語り合っている図というのは、なんですか想像するとちょっとまあ。
 ちなみに『表現の冒険』には吉田知子さんの「お供え」が収録されていて、私はこの高名な短篇を読むために同書を購入したような次第です。ほかにも、今月4日に逝去された半村良さんの「箪笥」と筒井康隆さんの「遠い座敷」という、もはや古典と呼ぶべき二短篇、あるいは乱歩ファンにはあまり馴染みがないでしょうけど藤枝静男の「一家団欒」なんてのも採られていて、「表現の冒険」というテーマそのものはもうひとつピンと来ないのですが、なかなかにお買い得の一冊かもしれません。
 ついでにいっときますとこのシリーズ、「短編」ではなくてちゃんと「短篇」と表記している点には好感がもてます。しかし新刊紹介もいい加減にしておかないといけません。
 というところで時間がなくなりました。またあした、と申しあげたいところなのですが、あす25日月曜からたぶん27日水曜まで、この伝言板はお休みさせていただきます。まことに相済みません。どちらさまもご機嫌よろしゅう。

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●3月23日(土)
 河野多惠子さんの新刊『小説の秘密をめぐる十二章』(文藝春秋、本体一七一四円)をご紹介してまいりましたが、本日はその最終回。ネット上に氾濫する異様に拙劣で無神経で弛緩した日本文に慣れきったあなたに、「第十二章 文章力を身につけるには」から次の一節を捧げます。

 文章の上達のためには、もともと名文の手本にように言われている文章は、手本として役立つ程度は知れたものだ。自分が名文と思う文章を発見し、いいなあ、と感じ入ることにまさるものはないと思う。いいなあ、と感じる時、(どの国の言葉にもそれぞれのよさはあるだろうが)日本語っていいものだと思う気持、そしてよい文章を書きたい憧憬で胸がときめいているのである。いいなあ、と感じた文章を手本にするまでもなく、そういうときめきが文章上達の可能性として生きるのである。

 この本、これから小説を書こうとする人に具体的な助言を送る体裁を装いながら、なかなかどうして奥行きの深い小説論です。小説を書く参考に、というならそれこそ「役立つ程度は知れたもの」でしょうが、かつてあれほど好きだった小説という文芸に最近どうも興味を感じなくなった、とおっしゃるあなたには読むバイアグラとして心からお薦めいたします。

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●3月22日(金)
 乱歩作品における人称ってのも、なかなか面白い問題だと思います。
 (一)大正9年執筆の「二銭銅貨」草稿は、妻が一人称の語り手となって夫婦の物語を語る作品であった。
 (二)それ以外に女性が一人称の語り手になった乱歩作品は、大正15年の「人でなしの恋」だけである。
 といったあたりが、ここ半年ほどのあいだ、乱歩作品における人称の問題で気がついた点です。そういえばそれより少し前、こんなことにも思い当たりました。
 (三)一人称の語り手が登場する長篇は、「湖畔亭事件」「孤島の鬼」「白髪鬼」「幽霊塔」の諸作である。厳密にいえば「闇に蠢く」も、作品が入れ子構造になっていて冒頭には「私」なる話者が登場するが、作中作たる「闇に蠢く」は三人称小説である。
 「孤島の鬼」はいわずもがな、乱歩作品における人称の問題は短篇長篇こきまぜて考察されるべきだと判断されます。どなたか一発チャレンジなさいませんか。
 ちなみに
河野多惠子さんの『小説の秘密をめぐる十二章』(文藝春秋、本体一七一四円)には、作中人物のうちただ一人の視線によって進められる単元描写(一元描写)と、二人以上の視線を用いる復元描写(多元描写)の問題もとりあげられています。復元描写は大衆文芸で使用されることが多く、そのため軽蔑されがちであり、そうした風潮のもとになったのは自然主義文学ではなかったかと、河野さんは記していらっしゃいます。

 自然主義文学の興隆以前に自己の文学を確立していた作家たちはもっと自由であった。例えば、尾崎紅葉の「三人妻」「金色夜叉」、泉鏡花の「婦系図」、夏目漱石の「虞美人草」などを見れば、彼等が思いのままに復元描写を駆使して豊かな文学作品を生んでいたことが分るのである。だが、自然主義文学の要求の一つは作者の見たままを描くということであるから、単元描写が求められる。復元描写は排斥され、衰退する。そうならなかったのは、自然主義文学などとは何の関わりもなかった大衆文芸のほうであった。が、大衆文芸における復元描写は、紅葉や鏡花や漱石がなしたような緊密な復元描写ではない。ご都合主義で、専ら読者の安易な興味に迎合するための軽い興味本位のものである。そういうところから、復元描写であるというだけで、その文学の優位を問うには及ばずとばかりに軽蔑されがちな風潮が、昭和三十年代になってもまだ生きていたのである。当然、そのことは以後においても復元描写の進歩をおくらせることになり、今日においてもなお取り戻せていないのではないか。勿論、求められる復元描写は、紅葉や鏡花や漱石をも遥かに超えたものである。

 緊密ではない、ご都合主義、安易、迎合、興味本位、といった言葉を畳みかけられますと、なんとなく「どーもすいません」と謝ってしまいたくなる私なのですが、安易で興味本位な大衆文芸に括られてしまう作品であるとはいえ、乱歩作品における「私」の問題は何かしら重大な秘密を孕んでいると私には思われます。


●3月21日(木)
 まず引用から始めましょう。

 ところで、肉体的マゾヒズムであれ、心理的マゾヒズムであれ、マゾヒストはその性愛に余人の眼を欲するのである。余人の眼が、通常の性愛の場合よりも、格段に刺戟となるのだ。かといって、実際に余人の眼は期待しにくいばかりでなく、また本当にそうであれば寧ろ迷惑かもしれないのである。要は、見られている気持になれること、自分の望むような見られ方をしている気持が刺戟となるのである。そして、そのような意識への願望は、肉体的マゾヒズムよりも心理的マゾヒズムにおいて、より強烈であることは申すまでもない。一人称体はそういう点でも、心理的マゾヒズムの作品にまことに適っているのである。三人称小説を書いているのは作者である。一人称小説を書いているのもまた、作者ではある。が、作中の人物が語っている形が、書き手あるいは語り手と読者を接近させてくれる。一人称体、ことに話し言葉を用いたものは、現に何人〔なにひと〕かに向けて話している気持に作者をさせるのであり、このことは心理的マゾヒズムの創作に非常な刺戟となることだろう。

 河野多惠子さんの新刊『小説の秘密をめぐる十二章』(文藝春秋、本体一七一四円)の一節です。
 第十章「小説の構造二 一人称と三人称」からの引用で、谷崎潤一郎の作品について書かれた箇所ですが、ご覧のとおり一人称小説に関して実作者的明晰に支えられたじつに端的な指摘がなさていて、心理的マゾヒズムの話は別としても、乱歩作品における一人称を考える場合にも何らかの示唆となるものだと思われます。
 この本にはこうした指摘があっちこっちに鏤められていて、まさに小説というものの「秘密」が明るみに出された印象があります。小説についてこれまで漠然と考えていたことが、その指摘によって急に明確な輪郭を帯びてくるといったことをたびたび経験させられます。
 わかりやすい例をあげれば、第八章「創作の方法三 導入と終り方」において、芥川龍之介の「羅生門」の結びにある、

 下人の行方は、誰も知らない。

 という一行が、こんな文章は不要であると断じられる次第ですが、この指摘を読んで、
 「そうよそうよそうなのよ。おれも三十年前から同じこと思ってたわけなのね」
 と大きく頷いてしまう読者は少なくないでしょう。河野さんによれば、

 この最後の一行が、一見素敵に思えるかもしれないが、実質的な意味は何もない非力な一行で、実は玉に瑕なのである。引用した部分〔「羅生門」末尾の四段落のことです。引用者が註しました〕は、その直前の文章に到るまで、「羅生門」のなかでも際立ってよく書けているのである。〈外には、唯、黒洞々たる夜があるばかりである。〉で見事に極まっている。それなのに、最後の一行に出会うと、折角凄い光景に見入っているのに、読者は片方の眼に不意に塵〔ごみ〕でも入ったような感じに見舞われることだろう。

 といったことになるわけで、やはり膝を打たざるを得ません。
 えー、名張市がどうの上野市がこうのといったちゃかぽこばかり書き殴っておりますと人間がどうしてもいじましくなってしまいますので、以前から申しておりますとおりホームページに自分が読んだ本のことを記すのはどうも気が進まぬのですが、気分転換のために『小説の秘密をめぐる十二章』について綴っております。お気に召しますかどうかはようわかりませんが、名張や上野の話題よりはまだましだろうとも愚考されます。
 冒頭の引用につづく文章を引いておきましょう。

 「痴人の愛」の冒頭にしても、〈私は此れから、あまり世間に類例がないだらうと思はれる私達夫婦の間柄に就いて、出来るだけ正直に、ざつくばらんに、有りのまゝの事実を書いて見ようと思ひます〉とある話し言葉にしても、何といそいそしていることだろう。

 いかがですか乱歩ファンのみなさん。乱歩作品における一人称の語り手も、ほんとにいそいそしているではありませんか。


●3月20日(水)
 私がいったい何を申しあげたいのかと申しますと、お役所に長く勤めているとお役所の理屈がすっかり内面化されてしまうらしいということです。お役所の理屈という鯛焼の型に嵌め込まれてしまう、といった感じでしょうか。その理屈から抜け出ることは甲羅を経たお役人ほど難しいようで、だから外部の人間がそうしたお役人たちを叩いてやらねばならんということです。叩くというのは、世間一般に通用しているものの道理を教えてさしあげるということです。叩いて叩いて叩きまくると、ちっとは効果もあるようです。
 お役人はたとえば前例の有無なんてのをたいそう気にしますが、というか、それはほとんど価値判断の基準になっているみたいなのですが、前例がないことを理由に責任回避をつづけるなんてのは愚の骨頂。それに第一、これからはお役所だって前例のないことをどんどん手がけなければならなくなるはずですから、前例という鯛焼の型に依存する姿勢にはそろそろおさらばするべきでしょう。
 徹底した前例墨守によって維持されるシステムのことを、世間では封建制と呼んでるわけなんです。名張市役所のみなさんは何も名張藤堂藩に務めてるわけじゃないんですから、いつまでもちょんまげ結って裃を着用してる必要はありません。
 みたいなことを私はもう何年もぶつぶつぶつぶつ繰り言のごとく申し述べておるわけですが、そしてなんだかもうあほらしくなり、いささか倦み果ててしまってはいるのですが、しかしとにかく江戸川乱歩ふるさと発見五十年の年なんですから、乱歩関連事業に関してお役所のみなさんを叩きまくることにしようかなと、つまり叩くというのは世間一般に通用しているものの道理を教えてさしあげることなのですが、そういうふうに決意を新たにしている次第です。
 みたいなことばかりいってると、ほんとに誰からも相手にされなくなるわけですけどね。


●3月19日(火)
 しかしよく考えてみますと、上野市の市長ならびに市議会議員を叩いてる場合ではないわけです。問題は名張市です。名張市役所を叩いてやろうという話です。
 私とて叩かずに済むのなら叩かずに済ませたいのですが、実際にはそうもまいらんでしょう。あなただってお役所というところにたとえ片足なりとも突っ込んでごらんになれば、ああ、なんともひどいところだなと実感されるはずです。
 などと申しあげたところで具体性というものに欠ける憾みがありますから、ひとつだけ私の体験談をご披露することで、一を聞いて十を知っていただきましょうか。
 先にも記しましたとおり、お役所のみなさんのおっしゃることがどうにも納得できぬ場合にはそれに従わない、というモットーのもとに私はお仕事をしているのですが、『乱歩文献データブック』がそろそろできあがろうかというころ、どうにも納得できぬ話がもちあがりました。あの本を非売品にしたいという申し出が、当時の図書館長からあったわけですね。私は当初から値段をつけて販売するつもりでおりましたので、いやそらあきまへんで、と申しました。
 理由をお聞きすると、公立図書館が本をつくって販売するという話は聞いたことがない、前例がない、よその図書館がつくった本がたまに寄贈されてくるがそれらはすべて非売品であり奥付に値段の入っている本など一冊もないのだ、とのことでした。
 なるほど一見ごもっともなお話ではあるのですが、とても納得はできません。こんなお役所の理屈、思いきり張り倒してくれるわと思った私は長広舌、いろいろ説得にこれ努め、公立図書館が本をつくって売ることのどこに問題があるのか、私をとっくり納得させてみてちょ、などと啖呵を切りましたので、図書館長は名張市の財政担当課あたりにお伺いを立ててくれ、しかし当然のことながら明快な回答は得られず、最終的には名張市の顧問弁護士に相談してようやく、何の問題もないという結論にたどりつくことを得た次第でした。
 さて、この話を通じて私がいったい何を申しあげたいのかというと、えー、すいません。時間がなくなったのであすにつづきます。

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●3月18日(月)
 こんにちは手裏剣ローズです。などと莫迦なことを申しあげるいとまも本日はありません。まあこんな日もあるでしょう。
 ささやかなネタとして、江戸川乱歩賞正賞の乱歩像をご紹介しておきましょうか。日本推理作家協会のホームページに写真が掲載されています。ある方からお知らせをいただきましたので、ご案内申しあげる次第。
 ではまたあした。

江戸川乱歩像完成


●3月17日(日)
 ついでですから、上野市において市長や市議会議員が忍者装束で市議会に臨むことの愚について、思うところを簡単に述べておきましょう。
 要するに、忍者なるものの理解がきわめて浅薄皮相であるということです。講談、小説、映画、漫画、そんなもののレベルでしか忍者を理解していないということです。
 上野市の市長や市議会議員というのは曲がりなりにも上野市をどーするこーする、市民を代表して考えてゆかなければならない人たちなわけですから、そのためには当然上野市の歴史や風土、ひいては忍者のことなんかも人並み以上にわきまえていることが要請されます。
 しかし現状では、忍者を講談や小説や映画や漫画から得た知識のみで理解していらっしゃると判断せざるを得ません。要するに観光客と同じ程度の認識しかないってことです。そんなことでいいのかよって話です。
 むろん上野市は観光で成り立っているまちですから、観光客を相手にする業者が観光客のレベルに合わせることは必要です。観光客のもっている忍者のイメージに合わせて商品やサービスを開発するのは大切なことですし、上野市だってそれを積極的にフォローしなければなりません。
 たとえば上野市内にストリップ小屋を開設したいという人がいて、上野市役所に相談に訪れたとしましょうか。
 「ストリップ小屋つくりたいんですけど、なんぞ上野らしいアイデアおまへんやろか」
 「くノ一ストリップはいかがでしょうか」
 「くノ一でっか」
 「『くノ一忍法帖』に出てきた墨田ユキちゃんみたいな踊り子さんがですね、スケスケ系あるいはピラピラ系の色鮮やかな忍者衣装を少しずつ少しずつ脱いでいくわけです」
 「おもろそうでんな」
 「脚絆を取っては身悶えし、足袋を脱いでは吐息する」
 「なるほどなるほど」
 「踊り子さんの名前もくノ一らしいものが望まれます」
 「どんなんがよろしやろ」
 「たとえば手裏剣ローズですね」
 「なんやジプシーローズのバッタもんみたいですけど」
 「この手裏剣ローズのご開帳がまた凄い」
 「どんなんでんねん」
 「一糸まとわぬ姿になった手裏剣ローズは」
 「はい」
 「なんと陰毛を十字手裏剣の形にお手入れしてあるわけなんですね。ああ。あの手裏剣に僕も刺されたい」
 「んなあほな」
 「手練の手裏剣、柔肌に秘め、手裏剣ローズよどこへ行く」
 「あの」
 「え」
 「帰らしてもろてよろしやろか」
 なんてことにはまったく支障はありません。一般的な日本人が抱いている忍者のイメージに合わせて、ストリップだろうが額縁ショーだろうがどんどんやっていただいて結構なんです。
 しかしちょっと調べてみれば、実際の忍者がヒーローなんてものではまったくなかったということはすぐにわかるでしょう。彼らの手がけた任務はむしろダーティジョブと呼ばれるべきものであり、はっきりいって人から後ろ指をさされかねないものであったわけです。
 みたいな歴史上の事実に照らして考えると、上野市議会の議場に忍者が登場していいものかどうか、上野市の市長や議員は単なる観光客と同じ程度にしか忍者を理解していませんと世間に公表してしまっていいものかどうか、そのあたりにご一考あってしかるべきであろうと私には思われる次第です。
 まあそれ以前に、市議会を観光PRの具にしていいのかどうかということも問題かもしれません。何かというとすぐ「議会軽視だ」とか「議会の品位を損ねる」とかいって憤るのが議員さんたちの常なのですが、忍者装束で議会に臨むことには何の問題もないのかな。いやいや、観光PRの役に立つのならそれで御の字であるというべきか。名張市の市議会なんて何の役にも立っていませんからね。


●3月16日(土)
 じつは私、名張市立図書館カリスマ嘱託を拝命してまもなく、あることから、あ、こらあかんな、こいつらのゆうこと聞いとったらまともな仕事はとてもでけんな、と心に深く思うことがありました。こいつらというのは、申すまでもなくお役所の方々のことです。ですからそれ以来、お役所のみなさんのおっしゃることがどうにも納得できぬ場合には、はばかりながら全然いうことを聞かずに今日に至っております。
 お役所のなかでしか、あるいはお役所とお役所とのあいだでしか通用しない理屈というものが、世には厳然として存在しております。私はそんなものにはできるだけ近づかずにお仕事をしているのですが、どうしてもその理屈が私のお仕事の障碍になる場合があって、そんなときには私、お役所の方々のご指示にはいっさい従わないことにしております。なんとも扱いにくい人間ですね。
 ただまあ、お役所のみなさんにしてみれば、お役所の理屈はいわば空気みたいなものですから、ご当人たちは違和感を覚えることも抵抗を感じることもなく、そうした理屈の埒内で職務をすいすい遂行していらっしゃるわけです。問題なのは、そんな理屈はそのまま世間に通用するものではまったくないということです。
 ですから世間を相手にする場合、お役所のみなさんはじつに面妖不可解奇妙奇天烈なことを口走ったりしでかしたりしてしまいます。お役所の理屈がどこの世界でも通用すると思ってる莫迦、視点を外在化させることを知らぬ莫迦、そんな莫迦でお役所はいっぱいです。
 しかし考えてみれば、私はこんなことをもう何年も前から申しあげてまいりました。たとえば「乱歩文献打明け話」第八回「ノストラダムス解読」におきましては、

「しかしまあ上野市長だけはなんとかせなあきませんで」
「上野の市長がどうしたんですか」
「あのCATV問題どない思いますか」
「上野市の職員がCATVに払わんなん公費をつかいこんだゆう話ですか」
「それはまあええんですけど」
「ええことないやないか」
「問題は上野市長の対応ですよ」
「どんな対応ですねん」
「上野市は被害者であって公費は適正に支出されたゆうてるわけでしょ」
「そうらしいですけど」
「そんな理屈がどこの世界で通用する」
「おかしな理屈ですわね実際」
「お役所のなかでしか通用せん論理が世界中のどこででも通用すると思てしまうのが公務員の陥りやすい落とし穴なんですけど、その落とし穴にころっと落ちこんだうえに常軌を逸した責任回避までさらしとるわけなんですあの上野市長は」
「そこまでゆうか普通」

 みたいな感じです。余談ながらこの漫才、発表時には掲載誌のコピーが上野市役所内をくまなく駈けめぐって職員諸兄姉のご愛読を得ていたと、当時上野市役所にお勤めだった方から聞かされました。以来私は、名張市役所のみならず上野市役所のみなさんからも蛇蝎のごとく嫌われているようです。お役人から嫌われるという点に限っていえば、私はもしかしたら鈴木宗男先生といい勝負をしているのかもしれません。気をつけなければ。
 ところで上野市も相変わらずのようで、現在開会中の市議会ではまたしても上野市長や市議会議員諸氏が忍者装束で議場に登場なさったと、先日の新聞やテレビで報じられておりました。やれやれ、あんなあほのいるまちとはやっぱり合併でけまへんな、と名張市民たる私は考えます。
 そんなことはともかくとして、私はもう、じつはうんざりしております。お役所の人たちをつかまえて、君たちは莫迦だ阿呆だぼんくらだと叱り飛ばすことに、いささか倦み果ててしまいました。
 倦み果ててはしまったのですが、というあたりであすにつづきましょうか。


●3月15日(金)
 さて、名張市の江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業は、今月19日に市議会定例会で予算案が承認される見込みとなっております。先日引いた新聞記事を再度引きますと、

▽乱歩ふるさと発見50年記念事業(549万円)=「乱歩リファレンスブック(第3号)」の発行と、10月のミステリートークに合わせたウオークラリーなど

 というやつです。
 私はこの記念事業に関して、ちょっとした勘違いをしておりました。事業のなかで図書館が直接関係するのは『江戸川乱歩著書目録』だけで、それ以外のウォークラリーや講演会などはすべて市長部局の担当だろうと思い込んでいた次第です。
 この記念事業に関しては昨年、図書館で名張市地域振興課との打ち合わせを行ったのですが、その席でも私は、ウォークラリーだの何だのは地域振興課が手がける事業だと思い込んだうえで、あれこれ発言をしておりました。つまり助言ってやつのつもりでした。
 私のこの勘違いは、たとえばウォークラリーなどというのは図書館がやるべき事業ではまったくないという、ごく当たり前の認識に基づいておりました。名張市立図書館は『江戸川乱歩著書目録』を刊行すればそれでいいのであって、何もウォークラリーなんぞという子供騙しに手を染めなければならぬ必要はありません。
 ただまあ、市長部局が乱歩に関連して子供騙しに手を染めたいというのならそれはそれで結構なことで、こちらも及ばずながらアイデアを提供いたしましょう。ただしその記念事業でいったいどんな成果があったのか、さらには平成14年度分も含めてこれまでの乱歩関連事業はいったい何であったのかということは、きちんと自己裁定して結論を出してもらいますからね、と思っておりました。
 ところがつい先日、名張市立図書館長と記念事業のことで話をしておりましたところ、どうも話が噛み合わない。そこで問い質してみますと、記念事業のなかで市長部局が担当するのは日本推理作家協会から講師派遣を受ける恒例の講演会だけで、あとはすべて図書館の担当だとのことです。
 へーえ、と私は思い、それでいいのかな、と思いました。図書館の担当ということは、要するに私の担当ということです。私に任せるというのか。好きにしろというのか。それでいいのか。無茶苦茶なことになってもおれは知らんぞ。記念事業自体は無事に終わったとしても、それを遂行する過程でお役所仕事の不合理が浮き彫りになったらおれは嬉々としてそれを叩くぞ。それでもいいのか。名張市もいったい何を考えているのでしょうか。もしかしたら叩かれたいのかな。
 以前から申しておりますとおり、名張市の乱歩関連事業はとにかく平成14年度で一区切りつけるべきだろうと私は思っております。しかしこのままだと平成15年度以降にもずるずる継続されるでしょうから、ここはひとつ私の手で引導を渡してやらねばならんなと考えております。その私の手にですね、図らずも江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業が濡れ手で粟で転がりこんできたわけです。窮鳥懐に入れば猟師は嬉々として焼鳥にす。
 ああ腕が鳴る腕が鳴る。


●3月14日(木)
 いろんな話題が紛れ込んで何がなんだかよくわからなくなってしまいましたが、東京出張の報告はここいらまでといたします。要するに乱歩邸で蔵書を調べさせていただき、世田谷文学館と講談社野間記念館の企画展を見てきたということです。両館にはアポなしの手ぶらでお邪魔しましたので、名張に帰ってから山本松寿堂謹製二銭銅貨煎餅をお送りしましたところ、ご丁寧に電話と葉書でお礼をたまわりました。
 なんてこといってるあいだに3月ももう中旬。雑用が多くていやになりますが、今月19日には名張市の定例市議会が最終日を迎え、名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』刊行を含む江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業の予算案が正式に可決される見込みです。
 以前にもお知らせしましたが、名張市が乱歩関連事業に税金を投じるのは平成14年度が最後になる予定です。むろん15年度以降に乱歩関連事業を行う可能性もあるのですが、一応14年度をひとつの節目として、これまで重ねてきた関連事業を費用対効果という観点から検証し、ろくに乱歩作品を読んだこともないような市職員が単なる思いつきで上っ面だけの乱歩関連事業とやらを消化試合みたいな感じでつづけていーものかどうか、びしばしがんがん叩いてやりたいと思っております。平たく申せば、名張市役所を思いきりひっかき回してやろうという算段。
 ああ腕が鳴る腕が鳴る。

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●3月13日(水)
 大熊宏俊さんの「ヘテロ読誌」をアップロードするだけでいっぱいいっぱいの私です。どーもすいません。あ。「SPA!」に載ってる釈由美子ちゃんのグラビア「バレちゃった女」を「RAMPO Up-Tp-Date」に記載するのを忘れておりました。またあしたということにしてしまいましょう。
 しかしこのタンクトップの下のDカップ、釈由美子というのは釈迢空の縁戚でしょうか。いや釈迢空は筆名ですからいくら釈という姓の女の子がいたって親戚なわけはありません。とはいえ、松尾スズキさんのキャプションによれば、

 えい、めんどくさい「いただきます」と移住面相は少年のワイシャツをベリとむしり、そして驚いた。タンクトップの下のDカップ。
 「女じゃん!」
 「すいません。女なんです〜」
 「全然だめじゃん!」

 とのことで、女は全然だめじゃん、というのですから釈迢空にまったく無関係な話でもないのかな。それにしてもくだらないことを書いております。スズキさんがではなくて私がですが。しかしDカップか。これがDカップとかいうやつか。

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●3月12日(火)
 きのうの夜、辻敬治さんのお通夜にお邪魔してきました。
 昭和30年11月3日、江戸川乱歩生誕地碑除幕式のあと、清風亭で催された祝宴の出席者は、辻さんのご逝去によって、とうとう全員が幽明境を異にしてしまったことになります。辻さんは当時、まだ大学にご在学だったはずですが、辻家というのは名張在住当時の平井家と因縁浅からぬ仲だったので、跡取りの辻さんも席に招かれたのだと思います。
 乱歩が昭和28年に発表した「ふるさと発見記」には、辻家のことがこんなふうに記されています。『わが夢と真実』(昭和32年、東京創元社)からの引用です。

 私は岡村、富森両氏の案内で、桝田医院を訪ね、おもてなしにあずかり、医院の裏手の私の生家の跡を見せてもらった。岡村、富森両氏は、この辺に一つ記念の碑を建てましょうか、などと云った。
 そこで記念撮影をしてから、富森氏の案内で、近くの辻酒店を訪ねた。主人の辻氏の八十余歳のお母さんが、私の母を知っているというのである。
 私の母は十七歳で嫁入りし、十八歳で私を生み、現に七十五歳で健在だが、辻母堂は私の母よりも十歳近く年長のわけである。
 辻酒店は、関西流の非常に奥行の深い家で、表から裏まで通っている土間を歩いて行くと、途中に土蔵があったりして、そのおくの離れ座敷に、辻さんのお母さんが床の中に坐って待っていてくれた。
 老齢のため、足が不自由で寝たままではあるが、頭はハッキリしているし、目も耳もよく、きれいなお婆さんであった。小さい布切れの人形を作って、近所の子供に分けてやるのが、楽しみだといって、その手づくりの人形が、沢山ならんでいた。
 辻母堂は、父の借家の家主であった横山医師の娘さんで、辻家に嫁したのだから、店子であった私の父母をよく知っているわけで、この老媼の母、つまり横山医師の夫人は、私の父の母とよい話し友達であったらしいのだが、私の生れた時には、時間の関係であったか、産婆が間に合わず、横山夫人が、お産の世話をしてくれたということであった。辻母堂はそのほか、私の母が一身田の本願寺の皇族出身の裏方に、行儀見習いとして使われていたために、大変行儀がよかったとか、父がその頃の郡書記としては珍らしい大学出だったので、大いに羽振りがよかったとか、いろいろの思い出話を聞かせてくれた。〔註、この辻さんの母堂は昭和三十一年に逝去せられた〕

 乱歩が「辻母堂」と記しているのが、敬治さんの祖母に当たる人です。このときの乱歩の「ふるさと発見」に関しては、「人外境奇談」第二話「『ふるさと発見記』拾遺」にも記してありますので、興味がおありでしたらお読みください。

「ふるさと発見記」拾遺

 乱歩が生家跡に案内されたのは昭和27年、西暦でいえば1952年9月のことでした。五十年後の今年10月、名張市は「江戸川乱歩ふるさと発見五十年」にちなんだイベントを計画しているのですが、辻敬治さんという生き証人を失ってしまったことは、このイベントにとってもじつに大きな痛手です。

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●3月11日(月)
 こんなことを記すのはまことにつらいのですが、名張市教育委員会の辻敬治委員長がお亡くなりになりました。本日付「中日新聞」三重版から訃報を引きます。

 辻 敬治氏(つじ・けいじ=名張市教育委員長、市社会教育振興会理事長)9日、肺がんのため死去、69歳。自宅は名張市新町173。葬儀・告別式は12日午後1時から同市本町204の栄林寺で。喪主は長男安治(やすはる)氏。
 1983(昭和58)年12月から市教育委員、89年12月から市教育委員長。99年3月に市功労者表彰を受けた。

 私はまあずいぶんと莫迦なものですから、辻さんにはいろいろご心配とご厄介をおかけしてしまいました。いまさら追いつかぬことですが、たいへん申し訳なく思い返されます。
 
2月26日にアップロードした「人外境奇談」第十四話「名張市立乱歩記念館の幻」にお寄せいただいた辻さんの玉稿は、もしかしたら辻さんの絶筆ということになるのかもしれません。さっき読み返したのですが、私個人にとっては、これはまぎれもなく辻さんのご遺言です。
 辻さんにこの原稿をお願いしたのは、2月13日、名張市役所の教育長室で市長の虚偽発言をめぐって教育長らのお話をお聞きした席でのことでした。原稿には「H14, 2, 14」と日付が入っていますから、辻さんは翌日にもう原稿を仕上げてくださって、しかし私は15日から東京に出張し、名張に帰ってからもあまり時間が取れなかったものですから、上記のとおり掲載が2月26日になってしまった次第です。
 「名張市立乱歩記念館の幻」にいただいた辻さんの原稿にはちょっとした勘違いがありましたので、私は「文中に事実誤認と思われるものが散見される。それを辻さんに確認してからアップロードすればいいのだが、じつは現在それができない状態にある。いずれも単なる勘違いだと思われるので、以下にそれを指摘し、辻さんのご回答はそのまま掲載することにした」と断りを入れたうえで掲載しました。
 「現在それができない状態にある」というのは、要するに辻さんが入院なさっている、ということでした。迂闊な私は、退院してこられてからお訊きすればいいやと簡単に考えていたのですが、それも適わぬこととなりました。
 2月13日、教育長室を出たあと、私は辻さんと二人で市役所の地下にある食堂に入り、コーヒーを飲みながらあれこれお話をしたのですが、談たまたま市長選挙の話題になったとき、
 「現職が落選したら、おれも委員長をやめて好きなことをする」
 とおっしゃったのが印象的でした。
 辻さんには、公務から解放されたあと、名張の近世近代史などの分野で、まだまだやっていただかなければならないことがたくさんありました。それもまた、すでに適わぬことです。
 繰り言を並べていても致し方ありません。月並みな言葉しか出てこないのが情けないのですが、ご冥福をお祈りいたします。

名張市立乱歩記念館の幻


●3月10日(日)
 何の話をしておりましたか。
 東京は西池袋にある乱歩邸の話でしたか。
 それがあっちこっちいろんなところに寄り道して、訳がわからなくなっておったのでしたか。
 それでまた話題が変わりますが、大阪府守口市に残る乱歩の寓居跡を、日は未定ながら4月に訪問することになりました。名張人外境吉例春の大宴会のついでに、所有者の方にお願いして寓居跡を見学させていただこうという計画が、大宴会段取り掲示板「人外境だより」でプランニングされております。よろしかったらおいでください。
 2月7日付「読売新聞」夕刊(大阪本社版)の「ときめき歴史散歩」には、この寓居跡が深井康行記者のペンで次のとおり紹介されています。

 「明智小五郎が生まれた家」は国道1号の騒音と隣り合わせだった。大阪・守口。一棟二軒、木造二階建てのその家は、一九一八年(大正七年)ごろ建ったという。今は空き家になっている。
 高い上がりがまちに体を持ち上げると、小さな洋間と食堂の二間続き。急な階段を上り、頭をかがめて鴨居をくぐる。足元の畳がたわんだ。湿った空気、土壁。暗闇に次第に目が慣れて、がらんとした部屋に、江戸川乱歩の写真が飾られているのに気がついた。
 「書斎です。原稿は寝ころんで書いてはったとか」。現在の持ち主、医師の大野正さん(70)は、この家で生まれた。
 「私の勉強部屋に使うてて、『怪人二十面相』もよう読みました。まさか、ここで乱歩さんが書いてたとは思いもしませんで」

 体重で畳がたわんでしまうような建物に大勢で押しかけていいものかどうか、という疑問は疑問として、以前から一度はお邪魔しなければならんなと思っておりましたので、名張名物二銭銅貨煎餅でもぶらさげて、ちょこっとご挨拶にあがるつもりです。
 上記の記事をもう少々。

 二〇年に父が住んでいた守口に移り、上京する二六年まで、弁護士事務所などに勤めながら、守口と隣の門真で家を五回移る。この間の二三年、作家としてデビューし、次々に短編を発表。明智探偵が初登場する『D坂の殺人事件』を書き上げたのが、大阪での最後の住居となるこの家だった。
 旧乱歩宅だと突き止めた郷土史家、大野正義さん(65)は言う。
 「大正時代、この辺は借家がどんどん建って、新しく生まれたサラリーマンの住居になった。乱歩もその一人。大大阪の周縁をうろうろしてたわけですな」

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●3月9日(土)
 どうも申し訳ありません。きょうもなんだかあわただしくしております。やっつけ仕事のボツ原稿をご紹介して責を塞ぎます。

俳句の日 はいくのひ
八月十九日。つまり八一九(ハイク)の日。平成四年に坪内稔典らの提唱で制定された。俳句は俳諧の発句を独立させたもので、正岡子規が命名。俳諧は連歌の形式に立って滑稽や生活感を詠む。三重県は俳諧の祖とされる荒木田守武、俳聖と仰がれる松尾芭蕉を生んだことから「俳句の国」を自称し、関連事業に税金を投入しているが、正気の沙汰とは思えない。

伊賀市 いがし
伊賀七市町村が合併した場合の都市名として仮定された名称。平成二年に策定された伊賀地域の将来ビジョン「伊賀創生計画」で伊賀市の実現が具体的な目標に掲げられ、同十年には市町村議会議員による合併の検討組織も発足したが、足並みは揃わず、住民合意も形成されていない。前提的に設けられた伊賀市という名称そのものに疑問を投げる声もある。

 なんか最近こんなことばかりやっておりますが、そのうち立ち直ると思います。どうか長い目でご覧ください。


●3月8日(金)
 謹厳実直を絵に描いたような人間である私は寸暇を惜しんで「RAMPO Up-To-Date」の増補に着手したのですが、あまり時間がなくて途中までしか果たせませんでした。お仕事が一段落したからといってお酒を飲み過ぎるのは考えものです。また別のお仕事が飛び込んできましたものですからえーいくそったれがと思い、謹厳実直を描いたような人間である私は寸暇を惜しんでお酒を飲もうと図った次第なのですが。ああぼんやりしている。
 本日はこれから「小林文庫の新ゲストブック」にお邪魔いたしますので、このへんでおいとまいたします。
 それから、最近はこの伝言板にちゃかぽこを綴るだけでコンテンツの更新がほったらかしになっているのですが、今後はいよいよ予算がついた名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』をまとめるお仕事を最優先いたしたく、更新は「RAMPO Up-To-Date」や「番犬情報」あたりに限定されるかと思います。ご了承ください。臼田惣介さんの「読んでも死なない」と大熊宏俊さんの「ヘテロ読誌」は平常どおり掲載をつづけます。掲載する新稿が頂戴できましたならばの話ですが。
 ついでにもうひとつ、コンテンツの更新を行った日には、この伝言の末尾に下記のとおり記すことにいたしました。どうぞよろしく。

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●3月7日(木)
 久しぶりに「小林文庫の新ゲストブック」にお邪魔して、そのあとけさ届いていたメールに返事を出したりしていたら、きょうはもうこれでええやろ、という気になってしまいました。またあした。
 というのではあまりにも愛想がありませんから、おかげさまでなんとか第一稿があがりました涙涙のやっつけ仕事から、

伊賀気質 いがかたぎ
伊賀の風土が形成した独特の気風。他国と山で隔てられた盆地という地勢から、保守的、閉鎖的などとされることが多い。北泉優子の小説「忍ぶ糸」では、「猫の額ほどの町」である伊賀上野が「狭い上に海もなく、どの町角に立っても山脈だけが見える。いうならすり鉢の底みたいな閉ざされた町だから、伊賀の人の心も保守的で閉鎖的である」と評される。

 なんてのを引いてご機嫌をうかがっておきます。もういっちょ行っときましょうか。

伊賀の連小便 いがのつれしょうべん
北泉優子の小説「忍ぶ糸」に、「伊賀気質を表わす言葉に、少々落ちる話だが、伊賀の連れじょんべというのがある。伊賀の人は、便所でさえ連れ立っていくというのだ」と紹介される。「何事も他人と同じにしていればいい、そのほうが下手に動いて噂話を振り撒かれるよりは数等無難だ。それが伊賀の人々を保守的にしている一因とでも言えようか」

 ではまたあした。なんだかふらふらになっております。


●3月6日(水)
 きのう話題にのぼりました「乱歩幻影城」というお酒ですが、このお酒をつくっている木屋正酒造のご主人から、きのうの朝お電話をいただきました。
 先日、乱歩邸にお邪魔して平井隆太郎先生とお話をしておりましたところ、突然このお酒の話題になって、
 「名張でつくってるあのお酒、おいしいですね」
 と平井先生がおっしゃいました。ところが、よくお聞きしてみると、木屋正酒造からはまだひとことの挨拶もないとのことでしたので、
 「そういうことでしたら先生、私名張に帰りましたら早速と蔵元へのたくりこみまして、『乱歩幻影城』の二、三本もお送りして先生にご挨拶申しあげるように談じ込んでこましたりますさかい。いやどうも不作法なことでえらいどうも」
 と申しあげておきました。名張に帰って以来、なんだか忙しくてなかなか機会がなかったのですが、つい数日前、木屋正酒造の前を通りかかりましたので、
 「ごめんやす」
 とお邪魔し、ご主人はお留守でしたのでお店の人に、
 「かくかくしかじか」
 と用件をお伝えした次第。できのうの朝、ご主人から、
 「手紙を添えて『乱歩幻影城』六本、平井先生にお送りしました」
 と電話でご連絡をいただいたという寸法です。それで昨日午後になってから、私は木屋正酒造に馳せ参じまして、
 「いやどうも余計なお節介をば」
 とご主人にご挨拶申しあげたのですが、ご主人も乱歩のご遺族がどこにお住まいなのかご存じなくて、苦慮していらっしゃったとのことでした。それはそうでしょう。一般の人にはそんなことはまったくわかりません。
 だから誰が悪いのかというと名張市役所でしょう。名張市の商工観光課はいったい何をしておるのか。乱歩がらみの商品開発をしてのけようという地元業者に、ご遺族への連絡はこのように、著作権などの権利関係はこんな具合、みたいなアドバイスができる体制を整えても罰は当たらんだろうに。いつか機会を見て談じ込んでこましたろ。
 ついでですから木屋正のご主人には、10月6日に催される江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念ウォーキングでこちらのお店に立ち寄らせていただきたいとお願いし、ご快諾をいただきました。当日はなんですかお酒も試飲させていただけるみたいです。しめしめ。
 いつかもご紹介しましたが、平井隆太郎先生ご公認のおいしいお酒「乱歩幻影城」とその蔵元をもう一度お知らせしておきます。ちなみに「乱歩幻影城」は、七二〇ミリリットル瓶入りで一本二千と三百円。

純米吟醸乱歩幻影城と乱歩全集

蔵元木屋正酒造(なばり物産ガイド)


●3月5日(火)
 涙にかき暮れながら書き綴っておりますやっつけ仕事も、どうやら先が見えてきました。やれ嬉しや。きのうは、

桔梗 ききょう
キキョウ科の多年草。山野に自生し、花は鐘形で五弁、美しい紫色は桔梗色とも呼ばれる。秋の七草のひとつ。根は漢方で薬用とされる。泉鏡花の戯曲「天守物語」では、ヒロイン富姫に仕える侍女の名が桔梗、女郎花、萩、葛、撫子。侍女たちは幕開けで天守最上層から糸を垂れ、白露を餌に秋草を釣る。地上の秋には見られない、まことに美しいシーンである。

 というところまで仕上げたのですが、いかんいかん。「美しい」が二度も出てくる。これはいけません。まだ推敲に時間を取られそうやな。たまらんなまったく。
 話はころっと変わりますが、神津恭介ファンクラブ会報「らんだの城通信」47号(2001年12月31日発行)をお送りいただきました。加藤孝重さんによる「大阪大会報告記」には昨年6月、クラブのみなさんが名張へおいでくださったときの様子が記されていて、たいへん懐かしく拝読しました。おなじみ清風亭での大宴会は、

宴会は大変楽しく盛り上がったが、盛り上がったもう一つの理由として、お店のおかみさんが商売上手とでも言ったらいいのか、名張のお酒を次々と出してくれ、めったに酒を飲まない人もついついひきずりこまれ、川魚といっしょに大いに飲んで食べるといった現状であった(思ったより飲みすぎで予定の予算をオーバーしてしまったとか)。また全員が「乱歩幻影城」というお酒をおみやげとして購入したのでした。

 と記されております。ああ。10月13日の大宴会がひたすら待ち遠しい。大宴会だけを愉しみに、この生きがたい生を生きてゆく私なのね。


●3月4日(月)
 講談社野間記念館でお話をうかがった副館長のOさんは、以前は講談社にお勤めだったそうです。名張から来ました、と申しますと、そういえばいつでしたか、名張市の市長さんが講談社に来てくださいましてね、と話は意外な展開。
 要するに、たぶん乱歩生誕百年を控えた時期のことだと思うのですが、われらが名張市長が講談社を訪れ、名張市でもひとつ乱歩にちなんだ文学賞を制定し、広く一般から作品を募って有為の才能を発掘いたしたく、つきましてはぜひともアドバイスを、と話をもちかけたそうです。Oさんは、作品を公募して文学賞を贈るなんて大変な労力を必要とすることですから、おやめになったほうがいいですよ、とお答えくださったとのことでした。
 なんだか市長も不憫です。意はあっても知恵が足りない。これはまあ全国どこの自治体も似たり寄ったりで、いやはやなんとも、みたいなことをいくらぼやいても致し方はないのですが、よく考えてみたら前にもぼやいたことがありますので、「乱歩文献打明け話」第九回「
君たち気は確かか」から引いておきます。

 もっとも個人的には、私は情報発信などといったことに興味はない。とくにお役所がいうそれには嫌悪すら覚える。そもそも田舎のお役所が情報発信などという物欲しげな言葉を頻繁に使用しだしたのはバブル経済の時代であって、「○○から全国へ情報発信を」などと恥知らずなお題目が瞬くまに蔓延を見た。私にはこの言葉が耳障りで仕方がないのだ。くそ。この際だから怒ってやる。
 いったい情報発信とは何事であるか。意味はきわめて曖昧である。はっきりいえば不明である。意味を明解にするためには、情報発信という言葉をすべて自己宣伝といい換える必要があるのだ。
 三重県を例にとろう。三重県は少し前から、
 「俳句をキーワードに三重県から全国へ情報発信を」
 などと躍起になっている。とはいえこれでは情報とはいったいどんなものでそれをどう発信したいのか、とんと見当がつきかねる。だがこれが、
 「俳句をネタにして三重県を全国に自己宣伝いたします」
 というのであればよく判る。つまり情報などは存在しない。発信したいのはあくまでも三重県の存在そのものなのである。しかし「三重県をよろしくね」などと全国紙に全面広告を打ったところで誰からも相手にされない。だから三重県庁のお役人は「俳句の国・三重」などと苦し紛れのこじつけを案出し、それを喧伝してこれを情報発信と称するのである。
 それにしてもなんと箆棒なこじつけであろうか。芭蕉や荒木田守武が出たというだけで三重は俳句の国となり、江戸川乱歩が生まれたというだけで名張はミステリーのふるさとになるのである。どいつもこいつも気は確かか。
 どうせ嘘をつくならいっそ三重県の松阪は松坂大輔の生まれ故郷です、スーパールーキーの国・三重ッ、双羽黒なんて知りませんからねッ、とでもいい募ってみればいかがか。あるいは和歌山ごときに負けてられるか、毒ブドウ酒事件が起きた名張市こそ毒殺のふるさとですッ、などと叫んでみればいかがか。ルネサンス期の妖怪チェザーレ・ボルジアのお膝下たるローマ市と姉妹都市提携を結ぶのも一興であろう。ああ、あほらしい。
 あほらしくてもつづける。さてその俳句の国・三重が何をしているのかというと、たとえばさる美人俳人を審査員に祭りあげて全国から俳句を募集するといった程度のことだ。賞品の伊勢エビ目当てに俳句を送ってよこすような連中を相手にして何が面白いのか。
 これを要するに、情報発信というお題目を掲げて結局は作品を公募する程度のことしかできていないのがお役所というところの実状なのだ。子供騙しなこじつけに税金を投じ、たいして頭のよろしくない民草に媚びを売るのが当節のお役所における情報発信なのである。
 全国の自治体に蔓延したこの情報発信ブームは、煎じ詰めれば首長の宿痾だと私は思っていた。都道府県知事、市町村長、いずれも畢竟すれば政治家である。政治家といえば自己顕示欲のかたまりである。それが悪いとはいわぬ。顔を売り名前を売り、他人を押しのけてみずからを主張することのできる人間でなければ一人前の政治家にはなれぬのである。
 そして政治家が首長に当選すれば、彼の自己顕示欲は個人レベルから地方自治体のスケールへと肥大する道理だ。それがたまたま未曾有の好況に遭遇して、あの全国的な情報発信の大合唱が沸き起こったのであると私は睨んでいた。
 だが、どうやら自己顕示欲が強いのは政治家だけではなかったらしい。
 それが証拠にインターネットだ。ホームページを開設して自己を宣伝する人間のいかに多いことか。私はここにいる、私はここにいる、私はここにいる。いくらでも喚いてろ。
 しかし考えてみればこれは当然のことかもしれない。先に記した名張毒ブドウ酒事件が発生した当時、私はまだ小学生で、余談ながら世間からは神に愛でられし少年と呼ばれていたものだが、名張じゅうの大人がじつに嬉しそうだったことを記憶している。旅行から帰った人間などとくにそれが甚だしく、
 「どこ行ったかて名張から来たゆうたらああ、あの毒ブドウ酒事件のあったとこですねなっちゅうてゆわれんねってよ」
 などと意地の悪い姑がようよう死んでくれたときの嫁のように喜んでいる。神に愛でられし少年である私には殺人事件の起きたことがどうして嬉しいのか理解が届かなかったが、後年になって思い当たった。彼らは名張という言葉が新聞雑誌テレビラジオで大きく報道されたことが嬉しかったのだ。
 昭和三十年代でさえそうだったのだ。情報化時代と呼ばれる現代においては、インターネットも含めた媒体をフルに活用して情報発信に走ることは地域住民の潜在的願望ですらあるのかもしれない。
 お役所の情報発信が面妖なのは、そこにたとえば俳句の国などという粉飾が含まれているからである。情報を発信しようにもろくなネタがなく、にもかかわらず自己宣伝はしなければならぬという矛盾があるからである。ちゃんとしたネタを情報として発信すればそれが結果として立派な自己宣伝になるという理屈さえ判らず、まして真剣にネタを見つけようとする作業すら放棄して、ご丁寧なことに広告代理店の喰いものにまでされて、いったい何が情報発信か。こら。聞いとるのかぼけ。

 なんですかわれながら莫迦ですね。しかし平成14年度、私はこの路線に沿って名張市の乱歩関連事業をびしびし叩くつもりです。何が文学賞か。何が記念館か。こら。税金つかう前に頭をつかえ頭を。


●3月3日(日)
 講談社野間記念館の「『少年倶楽部』展──甦る名作の世界」は、表紙や挿絵の原画、原稿、組み立て附録などがずらりと展示され、いかにも壮観。入場者は、頭に霜をいただいた世代の男性がほとんどでした。
 乱歩関連では小林秀恒の「怪人二十面相」と梁川剛一の「少年探偵団」、つまり昭和11年
から12年にかけて乱歩作品を飾った挿絵の原画が数点出展されていました。
 原画を集めるのはさぞや大変だったろうと思われたのですが、副館長の方からお聞きしたところでは、原画はすべて講談社が保存していたとの由。当時、というか昭和30年代ごろまで、新聞や雑誌の挿絵は買い取りが基本だったそうです。ですから出展された原画は全点、相模原だかどこだかにある講談社の倉庫に眠っていたもので、湿度や温度の管理はまったくなされていなかったにもかかわらず、きわめて良好な状態で保管されていたといいます。実際、小林作品も梁川作品も六十年以上も前に描かれたとはとても思えない鮮明さでした。
 きょうはこのへんで。もう3月3日か。雛祭りか。笑う元気もなくなった。


●3月2日(土)
 3月も2日を迎えました。しかし、もしも2月が大の月であったなら、きょうはまだ2月30日でしかありません。げんに、私が愛用しておりますオリスの自動巻腕時計の日付窓は、2ではなく30という数字を示しております。2に直さなければいかんわけですが。などといっても何のいいわけにもなりませんが、とにかく世間は土日のお休みに入りましたので、週明けまで一息つけることになりました。ありがたやありがたや。きょうはこれだけ。


●3月1日(金)
 そんなこんなで平井隆太郎先生のご高配をたまわり、厚かましくも乱歩の蔵書を調べさせていただいた合間を縫うようにして、私は世田谷文学館の企画展「江戸川乱歩と横溝正史・大藪春彦・仁木悦子」と講談社野間記念館の新春企画「『少年倶楽部』展──甦る名作の世界」に足を運びました。
 世田谷文学館といえば、何といっても「横溝正史と『新青年』の作家たち」が記憶に鮮明です。といっても私はこの企画展には行かなかったのですが、というかそんなものが開催されたことさえ知らなかったのですが、というのは当時の私はまだ名張市立図書館嘱託ではありませんでしたから乱歩や「新青年」にとくに深い興味を抱いていたわけではなく、世間から野に遺賢ありとかなんとかいわれながら毎日お酒ばかり飲んでいたような次第です。しかし嘱託になってから「横溝正史と『新青年』の作家たち」のたいへん充実した図録を手にして、ああ、この文学館には一度ご挨拶にあがらねばならんなと思っておりましたので、乱歩ゆかりの企画展が開かれているのを好機としてお邪魔いたしました。
 乱歩関連では、乱歩の写真や横溝正史に宛てた手紙(昭和21年から22年にかけてのもので、例の「幻女」を話題にした書状もありました)、正史の随筆「探偵茶話──乱歩氏来る」の原稿なんてのが出展されていましたが、ちょっと驚いたのは正史のスクラップブックが展示されていたことです。正史はスクラップなんて面倒なことはいっさいしないで毎日お酒ばかり飲んでいたような印象があったのですが、わりと几帳面にスクラップを取っていたみたいです。
 そういえば、今年は横溝正史の生誕百年。この世田谷文学館の企画展もそれにちなんだ催しだそうですが、ほかには出版界にも映画界にもこれといって正史がらみの企画が見当たらないのはどうしたことでしょう。私が気を揉んでも致し方ありませんが。
 ひととおり展示品を見て回ったあと、文芸課長の方にお会いしてちょこっとお話をうかがいました。とくにお知らせするべきことはありませんが、同館では現在、山田風太郎展の企画が進行中であるということはお伝えしておきましょうか。若き日の風太郎がお引っ越しをしたので乱歩に葉書で通知したところ、乱歩が一升瓶ぶらさげて一人でお祝いに来てくれた、なんてことを風太郎が随筆に書いていますが、そのときの風太郎の家というのが世田谷にあったとのことです。
 私が気を揉んでも致し方はないのですが、横溝正史生誕百年で何も動きがないというのは寂しい話ですから、ここはやはり私が一肌脱ぐことにして、とりあえず本年10月13日開催の大宴会を名張人外境開設三周年記念ならびに江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念ならびに横溝正史生誕百年記念大宴会と位置づけたいと思います。思いきり盛りあがりたいと思います。
 しかし、お酒を飲む段取りをしてる場合か。きょうは3月1日だぞ。どうするどうする。くそ。今年はどうして閏年じゃなかったんだ。閏年ならきょうはまだ2月29日なのに。カレンダーの莫迦。わはははははは。どうもいけません。わはははははは。