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2003年12月
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●12月1日(月)
早朝から急ぎの仕事に精を出しておりましたので、本日は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介」のページをちょこっと更新するだけで時間がなくなりました。二〇〇四伊賀びと委員会はどこまで私に世話を焼かせれば気が済むというのでしょうか。 |
●12月2日(火)
乱歩の関連記事が掲載されているらしい「小説宝石」最新号を買いにゆくいとまもありません。 本日も「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介」のページを更新するだけで失礼いたします。 こんなことじゃ伊賀県民局四階へ週一のペースで嫌がらせに参上するのはとても無理かもしれません。 いよいよ鬱々としてきました。 |
●12月3日(水)
鬱々としているうえにいよいよ寒々としてきました。またあした、ということで。 |
●12月4日(木)
あまりにも寒々としてまいりましたので、本日ストーブの使用を開始いたしました。暖かくて快適な朝となっております。鬱々としていたのは寒々しさのせいだったのかもしれません。なんとも単純な。
さて、サンデー先生の過去の悪行にいろいろな意味でまとめて天罰がくだされたのでしょう、トラブルに継ぐトラブルに見舞われた江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』ですが、おかげさまで昨日ようやく、名張市立図書館から関係各位への発送を開始するに至りました。つまりお役所の内部で、発送してもよしという決済が下りたということです。 それなら堂々発売開始なのかと申しますと、てやんでえこちとらお役所だい、発売してもよしという決済はまだ下りていないとのことで、来週火曜の9日あたりから発売できる見込みとなっております。首を長くしてお待ちくださっているみなさんにはほんとに申し訳ないことですが、もうしばらくお待ちいただきますようお願いいたします。 決済が下りたらこのページをアップロードして正式なPRを開始いたしますので、どちらさまもよろしくお願い申しあげます。しかしこんなページをつくる作業に嬉々として没頭した自分を省みますと、これはあるいは鬱々とした気分を紛らわせる行為であったかとも思われる次第です。 これからしばらくは発送作業に時間を取られることになりますので、三重県伊賀県民局の「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業事務局および三重県庁知事室へは、当分のあいだ嫌がらせに参上することができないかもしれません。なんとも残念な。 |
●12月5日(金)
天下無双の名張市立図書館が遅れに遅れてお届けする江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』、きのうも図書館に出たり入ったりして発送作業を継続いたしましたが、そうそう捗るものではありません。送付先の数で申しますと、二日でようよう百三十に届こうかといったところです。 一昨日発送分のなかにはすでに届け先に到着したものもあるようで、その旨のメールや掲示板「人外境だより」への投稿もいただいておりますが、すべてを送り終えるにはもう少し時間を要する見込みです。手許のリストに従って順次発送を進め、あ、講談社の江戸川乱歩シリーズを全冊ご寄贈くださった長野県のあの方にお送りするのを忘れているではないか、みたいなケースもいちいち決済とやらを受けてリストに追加しながら、最終的には全国の都道府県立図書館に二部ずつ発送してようやく作業終了となります。 ではここで突然ながら名張市の財政状況について。 まだ残ってるかなと思って見てみたら中日新聞オフィシャルサイトに11月27日付伊賀版の記事が掲載されておりましたので、一部引用して名張市の深刻な財政硬直化についてお伝えしておく次第です。伊東浩一記者の記事です。
近日公開予定の「江戸川乱歩著書目録 NOW ON SALE」というページには、『江戸川乱歩著書目録』に関して「江戸川乱歩の生誕地にして深刻な財政硬直化に直面する三重県名張市が乱歩を愛するすべての人のために血税を注ぎ込みました」と記してあるのですが、名張市はこの分では赤字再建団体に転落することにもなりかねず、もしかしたら『江戸川乱歩著書目録』は乱歩を愛するすべてのみなさんに対する名張市最後のご奉公ということになってしまうかもしれません。 むろん赤字再建団体に転落したって乱歩のことに血税を注ぎ込むなら注ぎ込むと、名張市がどーんと構えて腹をくくりさえすればご奉公はいくらだって可能なわけなのですが、そのあたりのことはほんとにどうもよくわかりませんので、やはり名張市教育委員会のお偉いさんを徹底的にいたぶる「じゃーん。名張市は乱歩から手を引けキャンペーン」で白黒をはっきりしてやらねばならんなと私は手ぐすねを引いているわけですが、現在のところはとてものことに手が廻らず、キャンペーンの本格実施はどうやら年明けのことになりそうです。 さてこうなりますと三重県の「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業をめぐる「じゃーん。しょうもないことに税金つかうのはやめましょうキャンペーン」はいったいどうなってしまうのか、相手がみんな莫迦だということもあってとんと見当もつかぬありさまなのですが、まあなるようになるでしょう。三重県庁知事室へのカチコミを狙ってる人間は、別に私ひとりと限ったわけでもありますまいし。 |
●12月6日(土)
毎日同じネタで恐縮なのですが、『江戸川乱歩著書目録』の昨日発送分は四十あまりでした。ぼちぼち進めております。
送付先リストは一応分野別ということになっておりまして、筆頭には「著書目録関係者」として平井隆太郎先生、装幀の戸田勝久さん、巻頭エッセイの新保博久さん、中島河太郎先生のご令息、と四人の方のお名前が並び、そのあといやになるほどずらずらずらずら送付先名が列記されております。 「著書目録協力者」や「慶應義塾大学推理小説同好会OB会」などを経て、現在はようやく「作家・評論家・研究者」の中盤あたりまで届いたところ。あとには「日本推理作家協会」とか「出版社」とか「新聞・雑誌社」とか「豊島区」とか「立教大学」とかいろいろ控えておりますので、最後の「都道府県立図書館」にたどりつくまでには当分かかるぞ実際、と思っております。 しかしつらつら振り返りますに、1997年に『乱歩文献データブック』を刊行したころには名張市立図書館にもまだ余裕というものがありました。 出入りの印刷屋さんに頼んで送付用の封筒をつくってもらったり、本を一冊ずつ入れられるA5サイズ書籍用封筒状エアクッションを購入したり、結構バブルなこともやっていたのですが、いまやそんな余裕はどこを探しても見当たりません。ありあわせのエアクッションを適当な大きさに切って本を包み、ごく普通の封筒に入れて発送することで用を済ませております。赤字再建団体転落前の悪あがきと思し召して、多少お見苦しい点はなにとぞお見逃しいただきますよう関係各位にお願いを申しあげる次第です。 いやー、昔はよかったなあ。 などといいながら、律儀な私は一週間ぶりで例の掲示板に下記の投稿を行いました。
おーい、三重県のぼんくら職員のみなさんやー、しっかり働けほーやれほー。 |
●12月7日(日)
『江戸川乱歩著書目録』、昨日は一部も発送できませんでした。どうも相済みません。こんな日もあります。 したがいまして発送はリストのなかの「作家・評論家・研究者」のなかば、厳密に申しますと五十音順の「た」の途中でストップしたままで、作業はこのあと谷沢永一さんあての宛名書きから始まることになります。 谷沢永一さんといえば、『日本近代書誌学細見』(2003年11月25日、和泉書院、本体二八〇〇円)という新刊がきのう立ち寄った大阪の本屋さんに並んでおりました。私は書誌学にはまったく興味のない人間なのですが、たぶん出てくるだろうな、と思ってページをくってみると案の定乱歩に関する記述が出てきましたので致し方なく購入した次第です。 そのほか乱歩がらみで昨日購いました書籍は、掲示板「人外境だより」でこまさんから教えていただいた三善里沙子さんの『東京魔界案内』(2003年1月15日、光文社/知恵の森文庫、本体八〇〇円)、それからこれは萩原葉子さんが目にされたらいったい何とおっしゃるかと気にならぬでもない鯨統一郎さんの『月に吠えろ! 萩原朔太郎の事件簿』(2003年9月30日、徳間書店/トクマノベルス、本体八一九円)の二冊でした。 |
●12月8日(月)
「小説宝石」12月号(光文社、九〇〇円)に「拝啓、江戸川乱歩様」が掲載されています。リード全文は次のとおり。
山前譲さんの「探偵作家の素顔を伝える江戸川乱歩宛書簡」と新保博久さんの「横溝正史より愛をこめて」の二篇を掲載し、最後にちゃっかり光文社文庫版江戸川乱歩全集の広告を収めた内容。山前さんの文章から一段落だけ引用します。ルビは省略。
「第一級の資料」であるこれらの書簡を本にして出してくれるのはいったいどこの出版社であろうか、とついつい思ってしまう次第です。現在ただいまは乱歩全集の校訂その他でとてもそんな余裕はないでしょうけれど、ここはやはり新保さんと山前さんのご尽力に期待するべきでしょう。 ちなみにわれらが三重県は乱歩と不木の往復書簡集を刊行する事業の準備を進めており、ただ事業の内実はずいぶんとあれなわけなのですが、幸いなことにこの書簡集刊行事業には私がからんでおりますので、私がからんでいるから準備がすいすいとは進まないという難点もあるのですけれど、ともあれ期待していただければと思います。 しかしいい加減で三重県庁知事室にお邪魔しなければなりません。あいにくと県議会開会中ですからそれを理由に知事との面会は断られてしまうはずなのですが、そんなこといってると「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会が開会されてしまいますからさあ大変。年末を迎えてなんか困ったことになってきております。 |
●12月9日(火)
いよいよ12月9日、中井英夫の命日前日を期して、名張市立図書館は『江戸川乱歩著書目録』購入申し込みの受付を開始いたします。どちらさまもあちらこちら処々方々でPRしていただければ幸甚です。
私のPR第一弾は、やっぱりあの掲示板となりました。
それにしても「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業事務局のみなさんは元気にしていらっしゃるのでしょうか。名張饅頭ぶらさげてお見舞いに参上したいところなのですが、ここしばらくは時間に余裕がないせいでお邪魔できません。達者で暮らせよ公務員諸君。 |
●12月10日(水)
気分はもう戦争だと申しますのにデモのひとつも起こらない、なんだか不思議な国になってしまったもんだな日本もという気がいたします。身捨つるほどの祖国かこれが、などと訝りつつ、そろそろ自分が何をやっているのかよくわからなくなってきた私はさきほど三重県のオフィシャルサイトに掲載された知事室のアドレスに下記のごときメールを送信してしまいました。
まこと気分はもう戦争。 |
●12月11日(木)
こんなことしてる暇はないのではないかと思いつつ、PRの一環としてこんなページを新設いたしました。 『江戸川乱歩著書目録』に関して掲示板「人外境だより」に頂戴したご投稿は、当初予定していた「人外境主人伝言」ではなくこのページにまとめることといたしました。諸兄姉これを諒せよ。 つづきまして大宴会のお知らせ一件。
本日はこれにて失礼いたします。 |
●12月12日(金)
あすのことですのでしつこくお知らせしておきます。
「江戸川乱歩著書目録 SPECIAL THANKS」には、私宛に頂戴したおたよりやメールの抜粋も、ご本人のOKをいただいて掲載することにいたしました。 名張市立図書館へもいろんな方からの封書や葉書が到着しておりますので(念のために申しあげておきますが、私は礼状を催促しているわけではありません)、『江戸川乱歩著書目録』刊行事業の記録として広く閲覧に供し、あわせて市民生活に何の関係もないことに血税つかわせてくれた名張市民への報告とするべきかとも考える次第なのですが、現在ただいまはそれぞれの方に公開の承諾をお願いしている時間が取れないようにも思われます。 とりあえず本日は、「じちろう」に掲載された小西昌幸さんの紹介記事、長谷川泰久さんのおたより、本多良隆さんのメールを追加で掲載いたしましたので、どうぞご一読ください。
しかし私は三重県のことも忘れていません。混迷する三重県政を正しく導くのが神から与えられた私の使命なのですでから、例の掲示板は本日こんな塩梅になっております。
あ。三重県知事にも『江戸川乱歩著書目録』をお送りしておかなければ。 |
●12月15日(月)
名張市民のみなさん。みなさんの血税で上京してまいりました。乱歩のご遺族にお目にかかり、『江戸川乱歩著書目録』に関するお礼を申しあげてまいりました。仔細はまたあした。 |
●12月17日(水)
土蔵の話の前にお知らせ一件。 三重県庁知事室のみなさんには本日、下記のごときメールをお送りいたしました。
なんてメールをたらたら記し、そのあと「江戸川乱歩著書目録 SPECIAL THANKS」を増補してたら時間がなくなってしまいました。増補分は、「人外境だより」への投稿(12月12日−15日)、小西昌幸さんの「創世ホール通信/文化ジャーナル」記事(12月1日)、新巻鮭さんのまことに楽しいメール(12月12日)、以上となっております。 土蔵の話はまたあした、ということにしてください。 |
●12月18日(木)
いやどうもおはようございます。完全に寝過ごしてしまいました。土蔵の話はまたあした、ということでご勘弁ください。じつは本日午後、三重県庁知事室にカチコミかけてやろうと手ぐすね引いていたのですが、早朝に片づけておくべき用事が全然片づけられませんでしたので、カチコミも延期といたします。三重県の12月定例会はあす19日が閉会で、議会開会中は野呂昭彦知事もずっと県庁に貼りついていらっしゃるはずですから、ぜひとも今週中にカチコミかましてやろうと考えていた次第なのですが、いったいどうなることですか。しかしまあ三重県庁の知事室と、それからついでに県議会事務局のみなさんには、いずれお邪魔してたっぷりお話をお聞かせいただきたく思っておりますので、税金泥棒のみなさんは首を長くしてお待ちいただきたいと思います。むろん私は伊賀県民局のことも忘れたわけではありません。伊賀県民局の莫迦どものみなさん、もうしばらくお待ちください。それからまた最近は上野市の市立小学校の改築や新築をめぐるスキャンダルに関して上野市役所のあほたれを叩くようにとの声もお寄せいただいているのですが、あいにくなことに私はそんなことにまでとても手が廻りません。何度も申しておりますが、上野の莫迦を叩くのは上野市民の役目です。その役目を私という名張市民に押しつけるような真似ばかりしているから、上野市民は上野市以外の伊賀地域住民からここまで徹底的に嫌われているんです。そんなこともわからんのか上野の莫迦ども。とにかく市長や議員や職員のみならず、上野市民という名の大莫迦者どもまでひとつにまとめていつか必ず上野市を叩いてさしあげますから、上野市民のみなさんはどうぞどうぞお待ちください。嘘ではありません。先月8日に二〇〇四伊賀びと委員会主催で開催された「伊賀学講座」において、僭越ながら講師を相務めました私は、上野市民が大半を占めているであろうと思われる受講生のみなさんの前で、「上野ゆうのは大学なんか誘致せんかてほんまにええまちなんです。名張から見たらうらやましいほどええまちなんです。ただまあ強いていいますと、住んでる人間にはかなり問題があります」と申しあげた次第なのですが、こうしたことを広く全国発信してゆきたいと念じている次第です。上野市民という名の大莫迦どものみなさん、どうぞ待っててちょうだいね。 |
●12月19日(金)
名張市民のみなさん。いよいよ土蔵の話です。
乱歩邸の土蔵は立教大学の所有するところとなり、今年3月26日に豊島区の有形文化財に指定されました。立教大学は学校法人立教学院の創立百三十年にあたる来年、その記念事業のメインイベントとして乱歩資料館(仮称)の開設を予定している、みたいなことは立教大学オフィシャルサイトのこのページでもアナウンスされていますが、資料館開設のための土蔵の補修工事は年内いっぱいで終了するようです。 補修といっても、屋根を葺き替え、漆喰を塗り直し、とかなり大がかりなもので、補修工事後四か月は漆喰を乾燥させ、そのあと土蔵内にあった乱歩の蔵書を元の位置に戻す作業が進められます。 土蔵はもともと独立した建物だったのですが、母屋とのあいだに床と屋根が設けられ、壁で区切られたひとつの部屋を形成しています。このスペースにも書棚が据えられ、見返しに乱歩の書き込みがある『幻の女』だとか、塔晶夫の乱歩宛献呈署名が入った『虚無への供物』だとか、手にするだけで顫えが来るような本がさりげなく並べられていたのですが、ここにあった蔵書をどこで保管すればいいのかという問題が大学側をやや悩ませているそうで、結局は応接間あたりに移動書庫を設置して納めることになるのではないかとのことでした。 あすにつづきます。 |
●12月20日(土)
本日はまず例の掲示板への投稿をご覧いただきます。
つづいて土蔵の話ですが、勝手ながらまたあしたということでご勘弁ください。 |
●12月21日(日)
さすがにあわただしくなってきました。急ぎ足で土蔵の話題。 補修を終えた土蔵はどうなるのかと申しますと、とりあえず学校法人立教学院の創立百三十年を記念して公開される手筈になっておりまして、立教大学オフィシャルサイトのこのページには下記のとおり記されている次第です。
ただし公開といっても、誰でもいつでも土蔵に入れる、といったことにはならず、人数を限り時間を区切って旧乱歩邸土蔵内部見学会を一定の期間開催する、みたいな形になるようです。 いやはや、立教大学側から正式にアナウンスがあったわけではありませんからどうしても歯切れが悪くなってしまうのですが、とにかく来年、立教大学が乱歩にちなんだイベントを催すことは確実ですから(豊島区もそれに協力すると伝えられます)、乱歩ファンのみなさんはどうぞお楽しみに。 といった次第で2004年も乱歩の話題が引きも切らない見通しなのですが、その前に2003年極月のあわただしさを無事に乗り切れるのかどうか、個人的にはやや心配です。さあお仕事お仕事。 |
●12月23日(火)
なんだか気忙しくていけません。きのうはとうとう伝言をお休みしてしまいました。きょうは例の掲示板へ投稿しただけでおしまいです。
それではまたあした。 いやもうひとつ、中日新聞オフィシャルサイトに『江戸川乱歩著書目録』の記事が掲載されました。といっても伊賀版の記事ですが。このページでご覧ください。 それではほんとにまたあした。 |
●12月24日(水)
さて名張市民のみなさん。乱歩のご遺族からは「鳥羽がいま頑張ってるんです」とのお話もうかがいました。昨年、三重県鳥羽市に残る岩田準一の旧宅を利用して開設された鳥羽みなとまち文学館に、乱歩関連の展示スペースが増設されるという話です。 この件に関しては岩田準一のご遺族からもお知らせをいただいているのですが、鳥羽商工会議所が中心になって整備を進め、来年3月に正式名称「乱歩館・鳥羽文学ギャラリー」としてオープンするとのことです。ベレー帽や「槐多『二少年図』」原稿など、乱歩の遺品六点が常設展示されます。 いっぽう、わが名張市に関しましては、名張商工会議所が「乱歩生誕記念館」を建設したいなどと莫迦なことを申しましたのできっちり叩きつぶしておきました、と私からご遺族にご報告申しあげた次第です。 |
●12月25日(木)
親愛なる名張市民のみなさん。 私の報告は以上のようなところですが、これとは別に先日、立教大学から名張市に対し、来年8月に学校法人立教学院創立百三十年記念事業のひとつとして東武百貨店池袋店で開催される乱歩展への後援要請がありましたので、あわせてお知らせしておきます。むろんありがたくお受けすることになるはずです。 しかし名張市もえらいもので、豊島区や立教大学が乱歩展を開くとなると後援を依頼されるまでになりあがりました。後援ったって実質的には何のお手伝いもできないのですが、それにしてもたいしたものだと思います。 といったところで例の掲示板、本日はこんな感じでまとめてみました。
おかげさまで年末の繁多もようやくピークが過ぎましたが、飽きもしないでお仕事お仕事。 |
●12月26日(金)
本日は手前味噌を一席。
名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』は、おかげさまでぼちぼちとお引き立てをいただいております。 インターネット上では「アトリエ OCTA」の「須永朝彦情報」で、須永朝彦さんからご紹介の栄をたまわりました。「明石町便り」の最新記事をご覧ください。まことにありがたいことで、名張人外境のことまで記していただいてありますから、なんだか顔から火の出るような思いをしながら大喜びしております。 須永さんからは『江戸川乱歩著書目録』をお送りした直後にお礼のメールを頂戴し、まさかそんなことがあろうとは夢にも思っていなかった私はパソコンの前で跳びあがるほどびっくりしました。じつは私は西澤書店の『就眠儀式』以来のファンでして、みたいないまから思うとなんとも間の抜けたことを書きつけた返信のメールをお出ししたあと、しばらく茫然としていたことを記憶しております。 つい半月あまり前のことなのですから記憶していて当然なのですが、それにしても記憶がどこか曖昧な夢のようなできごとだったという印象が強く、「明石町便り」を拝読してまだ夢がつづいているような気分になった次第です。 ところで昨日、私は三重県伊賀県民局で開かれた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会を傍聴してまいりました。野呂昭彦知事へのご挨拶も叶い、いろいろ面白いこともあったのですが、そんな地上的な話題はまたあした、ということにいたします。 |
●12月27日(土)
師走の27日を迎えてもまだ年賀状の用意ができておりません。紙の手配もまだなら年賀切手の購入もまだ。うかうかしてるうちに印刷屋さんはお休みに入ってしまうでしょう。これは困った。 お役所はきょうから年末年始のお休みで、きのうが御用納めでした。その前日の12月25日という、どこから見てもどさくさまぎれだとしか思えない日程で「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会が開催されました。会場は三重県伊賀県民局の大会議室。私は傍聴者として潜り込みました。
本日付の朝日新聞伊賀版には「芭蕉生誕360年記念事業推進委/計画や要求額承認/総額3億3千万円/知事ら委員、PR不足指摘も」といった見出しが躍り、委員会の模様が報じられておりますので、それを引用しながら報告を進めることにいたします。 私の報告は、タイトルをつけるとすれば「いやー、野呂昭彦知事に一本取られてしまいましたー」みたいなことになるのですが、まずは朝日の記事のリード全文。
委員会で配付された事項書は次のとおり。
この伝言板を継続して閲覧していただいている方にはいまさら紹介の要もないことですが、事業推進委員会は三重県知事、伊賀地域七市町村長、学識経験者、関連企業関係者ら十七人で組織され、二〇〇四伊賀びと委員会がまとめた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の計画と予算を審議して承認する組織です。 こんな委員会はまったく必要のないものだということを私はくりかえし主張してきましたが、実際に委員会を傍聴してみて自分の主張に間違いのなかったことが確認された次第です。みたいなことはあらためて記すとして、ふたたび朝日の記事から今度は最後の段落を引きましょう。
この伝言板ではすっかりおなじみになった木戸博事務局長のお名前も登場しました。木戸さんといえば、この日の委員会が始まる前にご挨拶を申しあげる機会がありましたので、29日の伊賀びと大忘年会にお誘いしましたところ、ご快諾をいただけました。 委員会終了後には伊賀県民局の高杉勲局長も大忘年会にお誘いしたのですが、高杉さんは、 「いや、29日はちょっとこれで」 と両手で鍬をふるう仕種をなさいました。ああ、年末なのに野良仕事か、と思ってそれ以上はお誘いしなかったのですが、もしかしたらあれは鍬をふるう仕種ではなくてゴルフのスイングであったのかもしれません。 大荒れ必至かもしれない伊賀びと大忘年会の詳細は(詳細でもありませんけど)、左の人外告知板に記してあります。お近くの方はお誘い合わせてご参加ください。 いやー、野呂昭彦知事に一本取られてしまいましたー、の報告はあすにつづきます。 |
●12月28日(日)
まずお知らせです。 名張市立図書館はきょう28日から1月5日まで休館となります。『江戸川乱歩著書目録』の郵便によるお申し込みは、昨日到着分はきのうのうちに発送いたしましたが、休館中の到着分は1月6日以降にお送りすることになります。あしからずご了承ください。 それでは、いやー、野呂昭彦知事に一本取られてしまいましたー、の報告をつづけましょう。 12月25日、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会が始まりました。最初に野呂昭彦知事が挨拶をなさいました。 知事はまず、三重県が策定を進めている「県民しあわせプラン」という総合計画に触れ、このプランでは多様な主体性をもった人たちが協働して市町村や県を担ってゆく「新しい公」という考え方を示しているが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業はそうした「新しい公」のモデルケースになるものと期待している、とおっしゃいました。 「県民しあわせプラン」か、安物の生命保険会社が考えつきそうなプランだな、とかなんとか不謹慎なことを考えながら聞いていた私は、つづく知事の言葉に耳をそばだてました。知事は、 「最近、私の耳に雑音が入ってくるのですが」 と前置きして、事業推進委員会の存在が地域住民から充分な理解を得ていないとの認識を示されました。ぶっちゃけて申しますと、事業推進委員会に関していろいろ文句いってくるやつがおるが、それはこの委員会のことを正しく理解していない人間である、といったことになるでしょう。 あ、俺のことだ、と私は思い、その場で知事の事実誤認を訂正してさしあげたい気分になりました。充分な理解も何も、事業推進委員会の存在を知っている伊賀地域住民などほとんど存在していないはずですし、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業そのものさえ、そんなものよく知らねーよ、という地域住民が大半であろうと判断される次第です。実際には伊賀の山猿どもが身内だけできゃっきゃきゃっきゃいってるばかりで、伊賀地域住民の多くはこの事業に無関心でありつづけているというのが実状でしょう。 知事はつづいて、事業推進委員会に関して「組織のあるべき姿としてこれがいいと判断している」との見解をお示しになり、事業に関しては「どのような『新しい公』の担い方があるのかを探るモデルケースとして、市民の主体性を活かし、力を充分に活かしていただくことを期待している。いろいろな考え方があるなかで、このイベントを通じて『伊賀はひとつ』という全体としての姿を見せていただきたい」と述べられました。 「新しい公」とおっしゃるのであれば、官民合同組織であるはずの二〇〇四伊賀びと委員会における旧態依然とした官僚的体質をいったいどのようにお考えなのか。市民の主体性がどうのこうのとおっしゃるのであれば、事業推進委員会の存在が二〇〇四伊賀びと委員会の自立性や主体性を抑圧している事実をどのようにお考えなのか。伊賀はひとつとおっしゃるのであれば、上野や伊賀なんて大嫌いさといって名張市が市町村合併に加わらぬ事態をどのようにお考えなのか。いったい何を根拠に伊賀はひとつなどという世迷い言を口にされるのか。 えーい、事業のことも伊賀のこともあまりよく理解できておらぬくせに何をきれいごと抜かしておるのかこの知事は、と思っているところへ庁内放送が入り、午後5時30分になりました、時間外勤務以外の人は帰りましょう、みたいなアナウンスが流れました。これではまるで下校をうながす小学校の校内放送です。いちいち放送してもらわないことには、伊賀県民局の職員諸君にはこんなことさえわからんのでしょうか。 そんなことはともかく、「雑音」に関する言及があったせいか単なる挨拶にしてはやや長かった野呂昭彦知事の挨拶は、「素晴らしい自然と文化をもち、誇るべき先人たちを生み出してきた伊賀から、いまの伊賀の人たちの生きざまを全方位に発信していただきたい」との希望でしめくくられました。生きざまなどという恥知らずな言葉をつかう人間が最近すっかり地を払ったのはいいことだな、と私は思っていたのですが、三重県にはいまだ使用者が生存しているようです。 つづいて議事。事業の計画と要求額が審議されました。 事業計画の審議では、事務局職員が計画案を読みあげたあと、委員が意見を述べました。委員会副会長で中部大学教授の岡本勝さんからは、「事業が伊賀だけで盛りあがって伊賀だけで終わってしまう危険性がある。伊賀から外へ向けての働きかけが不足している」との指摘がありました。 これは当然の危惧というべきで、と申しますか、さあ全国発信だと力み返ってみたところで事業の実質はご町内の親睦行事の寄せ集めなんですから、伊賀だけで盛りあがって伊賀だけで終わってしまうのはむしろ当然の帰結だと思われます。 ほかの俳句関連事業との連携を深めるようにとのアドバイスなども出て、採決に入った結果、第一号議案は原案どおり可決されました。 つづく第二号議案は要求額。事業の予算は三重県が三分の二、伊賀地域七市町村が三分の一を負担することになっているのですが、県と市町村に総額でいくら要求するかが審議されました。 要求額の案は次のとおり。
総額三億三千百七十二万八千円の要求額も原案どおり可決されました。 いやー、野呂昭彦知事に一本取られてしまいましたー、という報告はさらにつづきます。 |
●12月29日(月)
12月25日、三重県伊賀県民局七階大会議室、第二回「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会。私が野呂昭彦知事から一本取られる時間が刻一刻と近づいています。 事業の計画と要求額を決定した議事のあと、事務局が「その他」として「04事業 事業所サポーター(仮称)の考え方」という案を示しました。 簡単にいえば企業や法人などから事業への協賛を募ろうかという案で、一口五千円の協賛金を出す「広報協賛」と、施設や商品の提供などを行う「事業協賛」のふたつがあるとのことでしたが、このプランに対して委員から厳しい批判が飛び出しました。 事業関連企業の近鉄ステーションサービスから委員として出席された方の意見でしたが、「もう少し真剣に考えていただきたい」とのっけからかなり手厳しく、たとえば近鉄の駅にポスターを掲示した場合のコストは二日で九十万円、それを無料にするのも立派な協力であって、ことほどさように企業によってさまざまな協力の方法があるにもかかわらず、どんな企業からも一律に一口五千円で協賛金を募るというのではあまりにも姿勢が安易であり、「企業が苦しんでいるときにこんな形で協力を要請するのは企業側のモラールを低下させる要因になる」とのことでした。ビジネスの第一線で切った張ったに明け暮れる企業戦士の発言にはさすがに説得力というものがありましたが、平たく申しあげてしまえばこの委員の方は、おまえらもう少し頭をつかわんか、ということをおっしゃりたかったのだろうと推測されます。 しかしまあ、何度も申しておりますが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業は要するにご町内の親睦行事の寄せ集めであり、すべてはご町内感覚で発想されておりますから、夏祭りが近づいたからご町内の商店から寄付金を集めてまわろうか、みたいな話が出てくるのは当然のことでしょう。 私はむしろ、一口五千円の協賛金を集めていったい何をしようというのか、それがいっさい明らかにされていないことが気になりました。本来であれば協賛金もまた予算に組み入れられているべきなのですが、いまごろ何を思いついてこんな不得要領なプランを出してきたのか、伊賀の山猿の考えていることはどうもよくわかりません。 「04事業 事業所サポーター(仮称)の考え方」に関する協議が終わったあと、このプランの決議に関して、議長をお務めだった知事と事務局とのあいだに面白いやりとりがありました。 「これも『案』となっているからここで決議するわけだね」 「いえ」 「しかしどこかで決議しなければならないわけだから」 「本日頂戴したご意見を踏まえて伊賀びと委員会のほうで決議いたします」 「あそう」 「はい」 「それなら事業推進委員会なんかまったく必要ないじゃないか」 いやうっかり筆が滑りました。知事は「それなら事業推進委員会なんかまったく必要ないじゃないか」とはおっしゃっていません。これは私がいま思いついて書き加えたものです。どちらさまもお間違えのないようにお願いいたします。 とはいえ、「それなら事業推進委員会なんかまったく必要ないじゃないか」という言葉がつづいてもちっともおかしくない話の流れではありました。このやりとりには、事業推進委員会と二〇〇四伊賀びと委員会の関係性がきわめて曖昧なものであり、事業推進委員会の存在は形骸に過ぎないということが端的に示されています。 むろんこんなやりとりがなくたって、事業推進委員会が無用の長物であり屋上屋を架すものに過ぎぬということは発足当初から私がくどくどくどくどと指摘してきたところなのですが、一時間あまりの会議を傍聴しただけで、私には自分の指摘の正当性をあらためて確認することができた次第です。 知事は事業推進委員会の存在が地域住民から充分な理解を得ていないとご認識のようですが、たとえ伊賀地域住民にその存在があまねく知れわたるに至ったとしても、委員会の存在意義なんか百年たったって誰からも理解なんかされるものかと私は思います。 私の批判が「雑音」にしか聞こえないというのは権力者として当然の反応であるにせよ、あの知事にはあとでちょこっとかましておいてやらねばならんなと、私は傍聴席で腕を撫でました。 |
●12月30日(火)
いやー、伊賀ってのはずいぶん騒がしい土地だなー、と野呂昭彦三重県知事はお思いなのでしょう。日本書紀ふうにいえば、 「遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて、葦原中国の主とせむと欲す。然も彼の地に、多に蛍火の光く神、及び蝿声す邪しき神有り。復草木咸に能く言語有り」 なんて感じでしょうか。まつろわぬ民は雑音を発して騒がしい、というのが権力の座にあるものの共通認識であると思われる次第です。
しかしそれは当然のことで、大丈夫かこいつらと思わざるを得ないほど無教養きわまりない十八万伊賀地域住民のみなさんはご存じないことかもしれませんが、われらが伊賀は古来、反王権の土地であったと申しあげてもさしたる差し支えはありません。権力者にとって、さばえなすあしき神の土地であり、また草木ことごとくによくものいう土地であったということです。 したがいまして、野呂昭彦三重県知事が12月25日に開かれた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会冒頭の挨拶で、私がこれまでに重ねてきた批判を「雑音」として一蹴されたのは権力者としてごく当たり前の反応であったと申しあげるべきでしょう。正当な批判を雑音としか受け取れぬのは、権力者として致命的な欠点ではあるわけですが。 そんなこんなで「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会は午後6時20分ごろに終了しました。私は机にひろげた資料とノートを鞄に収め、立ちあがってコートを着用したあと、つかつかと野呂昭彦知事のもとに向かいました。 知事のもとに向かいながら私が考えていたのは、せっかく知事から雑音と認定していただいたのだから、これを通り名に利用しない手はないな、ということでした。サンデー先生に代わる新しい名前はないものか。 とりあえず考えつくのは、雑音魔。いやこれではなんだか海野十三みたいではないか。 乱歩ふうなネーミングを考えるならば、いわゆる通俗長篇にちなんで、蜘蛛雑音、黄金雑音、魔術雑音。さっぱりわやですがな。 それなら短篇で行くことにして、二銭雑音、屋根裏の雑音者、雑音椅子、押絵と旅する雑音。どうもいけません。 少年ものに範を求めるとすれば、雑音人ZZZ。これではいびきかいて寝ているだけではありませんか。 なんてこと考えながら知事の席に歩み寄っていたときのことです。ふと知事のほうを見やった瞬間、知事もまたこちらをお向きになりました。知事と私の視線が交錯しました。そのまま視線をそらさずに歩いていると、知事の顔には完爾とした笑みが浮かびました。 「中さん、どうもありがとう」 「え……」 いっぽぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんッ。 私が野呂昭彦知事から一本取られたと感じたのは、まさにこのときのことでした。機先を制されました。虚を衝かれました。知事とお会いするのはこの日が初めてですから、まさか知事が私のことをご存じであろうとは、しかも知事からお礼の言葉をいただこうとは、これはいったいどうなっておるのか、いやまいったな、いまだ戦闘態勢に入っていないうちに一本取られてしまったではないか、などと思っていると知事はさらに、 「二銭銅貨煎餅、おいしかったよ」 と追い打ちをかけるようにおっしゃいました。 ああ、二銭銅貨煎餅。名張市中町にある山本松寿堂謹製の名張名物二銭銅貨煎餅。 そういえば私はこの日、事業推進委員会への手みやげとして二銭銅貨煎餅を持参していたのでした。委員会開会前の会場で、その場にいあわせた伊賀県民局職員の可愛いお姉さんたちに頼んで委員の席に一袋ずつ二銭銅貨煎餅を置いてもらったのでした。委員会では知事の両隣に上野市長と名張市長が着席し、知事と名張市長が肩を寄せ合うようにして何やら話し合っているシーンも見られましたから、二銭銅貨煎餅のことや傍聴席にいる私のことが知事の耳に入っていても不思議ではないのですが、それはいま振り返ればそう思えるというだけの話で、知事から声をかけていただいたときの私はただびっくりするばかり。知事のそばまで近づいて一礼し、『江戸川乱歩著書目録』をお送りいたしましたところご丁重な礼状をたまわりありがとうございます、とまずお礼を申しあげ、そのあと、 「えー、来年もまた思いきり雑音を立ててやろうと思っておりますのでよろしくお願いいたします」 と申しあげるのが精一杯でした。 知事はさすがに複雑な顔つきになられましたが、周囲にいらっしゃった伊賀七市町村長ら委員のみなさんは大爆笑。私から見て正面の席にお坐りだった大山田村村長などじつに愉快そうに呵々大笑していらっしゃいました。 おかしいな、どうしてこんなに受けるのだろう、知事の挨拶にあった「雑音」の張本人が私であるということが委員各位に認識されていなければこれほどの食いつきは見られぬはずなのだが、と私は不審を抱いたのですが、翌日になって聞き及んだところでは、委員会開会前の控え室において知事をはじめとした委員各位のあいだで私のことがひとしきり話題になっていたそうです。 そうでしょうそうでしょう。そうでなければ私の言葉にあれほどの反応は見られなかったはずです。それにしても私はいまや伊賀地域一番の人気者となっているようで、いっそ来年11月に伊賀市が発足したら伊賀市長の選挙に出馬してやろうかとも思われる次第です。 いやー、野呂昭彦知事に一本取られてしまいましたー、という報告は以上のとおりです。 |
●12月31日(水)
とうとう大晦日になってしまいました。
私の心残りはただひとつ、年賀状の準備がまったくできていないということで、年賀切手も購入できておりませんし、紙の手配をする前に印刷屋さんはお休みに入ってしまいました。 どうしてこんなことになったんだろうと首を傾げながら、例の掲示板ではこんなご挨拶を申しあげてきた次第です。
どうぞよいお年をお迎えください。 |
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