|
2004年6月
|
●6月2日(水) おかげさまで立て込んでいた雑務もようやく一段落いたしました。振り返ればすでに一か月近く前のことになるのですが、名張市民のみなさんへの学校法人立教学院創立百三十周年記念祝賀会の報告をつづけたいと思います。 名張市民以外のみなさんにとってはさして有用な報告になるとも思われませんが、この際ついでですから立教がらみで開催する大宴会のプランを以下に掲げておきます。
8月19日から24日まで東武百貨店池袋店で「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」が催され、旧乱歩邸では土蔵の公開が同時開催されることになっております。期間中に大宴会やるとすれば土曜日の21日が妥当なとこだろうな、と考えているだけの話なのですが、興味がおありの方は頭の隅にメモしておいていただければ幸甚です。 いつも利用していた芳林堂書店池袋店が昨年12月31日をもって閉店してしまいましたので、集合場所も未定となっております。池袋西口の八勝堂書店でどんなものかなと思ってはいるのですが、八勝堂書店が集合場所の候補に選ばれた数奇なゆくたてもまじえつつ、遅々として進まない学校法人立教学院創立百三十周年記念祝賀会の報告はあすにつづきます。 |
●6月3日(木) さて学校法人立教学院創立百三十周年記念祝賀会、食前の祈りと乾杯が終わって懇親に入りました。いわゆるパーティなのですが、私はパーティたらいうものに顔を出すことをあまり好まず、お誘いをいただいてもたいていは四の五のいってお断りするのを常としております。 たとえば東京創元社のパーティには二年つづけてご招待いただきましたので、失礼な話ではあるのですが二年つづけて欠席に○といたしましたところ、三年目からはお誘いをいただかなくなってようようひと安心。と思っていたら昨年は日本推理作家協会からパーティの招待状をお送りいただき、せっかくお招きいただいたと申しますのにこれも欠席に○。ろくに作品を読んだこともないような推理作家づれの顔など見とうもないわという気持ちもなくはないのですが、要するに面倒なのだろうと思います。 しかし名張市民のみなさん、今回はみなさんの税金で東京まで送り出していただいたのですから、面倒だ何だと四の五のいってるわけにはまいりません。みなさんにそのみみっちい自己顕示欲の充足を幾分なりとも感じていただくべく、八万五千名張市民を代表して名張市の宣伝に相務めてまいりました。以下、懇親会でいただいた名刺を名刺入れから引っ張り出してのご報告。 立教大学関係者の方からご紹介いただいて、鳥羽市企画課職員Yさんと鳥羽商工会議所専務理事Sさんにお目にかかりました。不況もようやく底を打ったらしく、ゴールデンウイークの鳥羽への入り込み数は昨年より三割(だったと記憶しているのですが、自信はまったくありません)も増えました、へえそうですか、みたいな話をいろいろ。その最中にふと数日前の新聞記事が思い出されましたので、鳥羽市がつくった少年探偵団のパンフレット、あれを送ってくれぬかとお願いしてみたところ、いま持ってます、とYさんが大判の封筒から取り出した冊子をさっと手渡してくれました(これです)。 そのあと、ちょうどいい機会ですから豊島区長にご挨拶しときますか、と先輩風を吹かせ、豊島区関係者が陣取っているあたりまでお二人をお連れして豊島区長にお引き合わせしました。区長さんは私の顔をご覧になるなり、 「さっきの小宮山理事長の挨拶、鳥羽は出てきたけど名張は出てこなかったな」 とおっしゃいました。 たしかに祝賀会冒頭の小宮山昭一理事長のご挨拶では、きょうは遠方の自治体からもご出席いただいておりまして、みたいなお言葉がありましたので私はてっきり名張市のことだと思ってぽっと頬を染めたのですが、三重県の鳥羽市からもおいでいただきました、とのお言葉がつづいただけで名張市の名はまったく出てこず、私はその場で小さくよろめいてしまいました次第。区長さんはそのことで気をつかってくださったわけなのですが、名張市民のみなさん、われらが名張市もまだまだといったところでしょうか。 |
●6月4日(金) きのうのつづきです。鳥羽市企画課職員Yさんはなかなか心得たもので、少年探偵団のパンフレット(これです)を豊島区の区長さんにさっと手渡しました。 「お。鳥羽少年探偵団か」 と区長さん。周囲にいらっしゃった豊島区職員のみなさんからも驚いたり感心したりの声が洩れます。私はすかさず、 「こうなったら豊島区でも鳥羽少年探偵団の向こう張って豊島老年探偵団を結成したらええのとちゃいますか」 とアドバイスいたしました。さすがに、 「きゃはは。トシマだけに老年。きゃはは」 ですとか、 「それで区長さんが探偵団に指令を出しますねん。指令その一、池袋の高齢者向けフーゾクを探れ。なんせこれだけの高齢社会ですから行政かてそろそろ老年期の性に目ェ向けませんと」 ですとか、そのような言葉を継ぐことはよういたしませんでしたが、老年探偵団というネタは結構受けておりましたと名張市民のみなさんにお知らせしておきたいと思います。 本日は体調がよろしくありません。あすにつづきます。 |
●6月5日(土) 豊島区関係者の方では、区議会議員のKさんにもお目にかかりました。今年3月、豊島区と名張市の交流都市協定締結に際して区長さんとともに名張までおいでいただいた方です。 「ところで中さんって立教とは何か関係があるの」 私はポケットから黒革の名刺入れを取り出しました。以前、立教大学関係者の方から頂戴したものです。 「ほれ。ここに RIKKYO ゆう文字が入ってますやろ」 初めてお目にかかる方もありました。 「とても堅い水商売をやってます」 手渡された名刺を拝見すると、肩書はなんと東京消防庁池袋消防署長。なるほど。一般人は消防署というとどうしても火を連想してしまいがちですが、敢えて水のほうをもちだすところにファイアマンの実感のようなものが感じられます。伊賀南部消防組合のみなさんにも自己紹介の参考にしていただければと思います。 |
●6月6日(日)
いつまでもたらたら学校法人立教学院創立百三十周年記念祝賀会の報告を綴っているのも芸のない話だなと思われましたので、なんですかつい魔が差したみたいに一念発起して乱歩ファン必見、立教学院の数ある記念事業のなかから乱歩関連イベントだけをまとめた「江戸川乱歩関連イベント全十四件」というページを掲載いたしました。 立教のオフィシャルサイトには「記念行事年間スケジュール」などのページがあるのですが、乱歩に特化したページもどこかに存在しているべきだろうと考え、イベントをPRし記録する意味をこめまして朝っぱらから大忙し。関係各位のご海容を乞い願いつつ、満天下の乱歩ファンにどーんとお知らせする次第です。 なお、9月16日と17日には鳥羽と名張をめぐる「江戸川乱歩ふるさと紀行」が実施されますので、東京方面にお住まいで一度名張に行ってみたいとおっしゃる方はぜひご参加ください。お待ちしております。 |
●6月7日(月) 細かいネタは割愛してさっさと進めましょう。 学校法人立教学院創立百三十周年記念祝賀会の開会前、控え室に設定されたホテルメトロポリタンの一室で、私はある不安に苛まれていました。二次会はどうなるのであろうか、という不安です。 今年2月、立教学院で「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」の第一回実行委員会全体会議が開かれ、名張市立図書館の前館長がお邪魔したのですが、そのときには「ヤマゼンさんも来てくれてましたで」とのことでしたから、私はホテルメトロポリタンの控え室できょろきょろしながらヤマゼンさんの姿を探しました。しかしどこにも発見できません。ヤマゼンさんどころか、二次会につきあってくれそうな知人などひとりも見つからない気配です(ちなみに、前館長は評論家の山前譲さんのことをなぜかヤマゼンさんとお呼びしておりました)。 祝賀会に同行した名張市立図書館の新館長は会が終わったらすぐさま名張へ帰ることになっておりましたから、私はいわば天涯孤独。広い東京でどんな夜を過ごせばいいのかと打ち沈んでおりましたところ、立教大学のW先生が、 「中さんきょうは泊まりでしょ」 と声をかけてくださいました。地獄で仏とはこのことでしょう。私は一気に肩が軽くなったように感じ、控え室から祝賀会場へ雀躍りしながら歩を進めました。その途中、豊島区コミュニティ振興公社のMさんにお会いしましたので、 「このMさんには探偵講談池袋公演のときすっかりお世話になりまして」 と館長に伝えましたところ、Mさんは、 「いやー、あのときは中さんにいろいろ脅されましてね」 となんだか人聞きの悪いことをおっしゃいます。しかしまあ、脅したといえば脅したことになるのか。といった話の流れになってしまいましたから、ここで私がMさんを脅した経緯を振り返っておいたほうがいいかもしれません。まーたさっさと進まなくなりますが。 |
●6月8日(火)
2002年秋のことでした。名張人外境の更新ができなくなっていた時期のことですから、伝言による報告や記録はいっさい残っていないのですが、「江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集刊行事業(正)」に記した「その7 ● 新年を迎えて過去を振り返ってみました」(2004年1月27日掲載)から当時の事情を抜粋しておきましょう。
なんとも忙しい話です。日々これ丹精して『江戸川乱歩著書目録』の編纂を進めながら、いっぽうで旭堂南湖さんによる探偵講談東京公演の準備を進行させ、そのかたわら乱歩と不木の往復書簡集刊行プランを画策するのみならず、地域社会の課題にも果敢に身を挺していたこの私。名張市民のみなさん、こんな私を白い目で見ることだけはやめてくださいね。 さて問題は上記最後の項目、「日程も11月2日に限定したうえで、名張市が主催する探偵講談東京公演の会場確保をお願いした」というところです。このとき初めて、私は豊島区コミュニティ振興公社事務局長のMさんにお目にかかりました。名張市側は地域振興課(当時の名称です)職員二人、市立図書館長、私の四人。一室に招じ入れられ、テーブルを挟んで豊島区側と名張市側が向かい合う恰好になりました。 話し合いの冒頭、Mさんは手許の書類をぱらぱらめくりながら、 「あ。中さん。はあはあ。『乱歩文献打明け話』を書いていらっしゃる。あの中さんですな。はあはあ」 とおっしゃいました。いやまいったな、そんなことまで調べがついてるのか、と私は思いました。「乱歩文献打明け話」は私が名張市の地域雑誌「四季どんぶらこ」に連載している漫才なのですが、これがじつにどうもすこぶるつきで評判がよろしく、半月ほど前にもある名張市民の方から、 「うちのお母さんあの漫才大好きでよ、いっつも手ェ叩いて笑てんねってよ」 とのお言葉を頂戴した次第なのですが、この市民の方も還暦前後の年配ですから、そのお母さんとなると八十歳は超えているはず。八十歳超級の読者から笑いを取るのはわれながらたいしたものだと感心してしまいます。 そんなことはともかく、この漫才はこれこのとおり名張人外境にも掲載しておりますので、Mさんは名張から変なのが来るからとネット上を軽くリサーチしてこの漫才に遭遇されたのでしょう。漫才の内容はひとことでいえばお役所批判ですから、豊島区を定年退職して区の外郭団体であるコミュニティ振興公社にお勤めのMさんはおそらくネット上でこの漫才に目を通され、その結果として私という人間に決していい印象は抱いていらっしゃらないのであろうな、やれやれ、頭の痛いことだな、早くビールが飲みたいな、と思いながら、 「はあ、まあ」 私は答えました。Mさんの眼鏡が鋭く光りました。 |
●6月9日(水) 名張市民のみなさん、きのうのつづきです。 私はきのう抜粋しました「江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集刊行事業(正)」の「その7 ● 新年を迎えて過去を振り返ってみました」(2004年1月27日掲載)にもありましたとおり、2002年8月に豊島区役所にお邪魔した時点では、区制施行七十周年を記念した乱歩展は同年秋に開催されるものだと思っておりました。そのように聞き及んでいたからです。ところがお話をお聞きしてみると、乱歩展は2003年に入ってから開かれるとのことです。 ありゃまいったな、とは思ったのですが、それならば年が明けてから開催されるという乱歩展で名張市主催の探偵講談をひとつなんとか、と豊島区に対してお願いを申しあげました。ただこのときの感触では、豊島区主催の乱歩展はまだまだ内容を詰めるに至っていないような感じでしたから、名張に帰った私は、やっぱり秋にするか、もとはといえば豊島区の乱歩展が秋だと聞いていたからそれに連動させて探偵講談の東京公演をぶちかますことを思いついただけの話だ、乱歩展が年明けになるというのであれば探偵講談は当初の予定どおり10月に名張で初演、11月に東京で再演ということでいいではないか、豊島区には会場確保だけをお願いしよう、と考え直しました。 そこで名張市役所地域振興課(当時の名称です)にそれを伝えて豊島区と折衝してもらい、名張市主催の探偵講談東京公演は11月2日土曜日と日程を限定したうえで、再度豊島区にお邪魔して豊島区コミュニティ振興公社事務局長のMさんにお力添えをお願いしたという寸法です。それが2002年の秋のある日のことでした。 なぜ11月2日だったのかと申しますと名張市民のみなさん、私の希望としては、というかこれはごく当たり前のことなのですが、探偵講談は人の集まりやすい土曜か日曜に公演いたしたく、ところが11月中に名張市長が上京できる土日となるとわずかに2日しかなかったからです。翌年2月には市町村合併をめぐる市民投票が控えており、11月には市内各地で合併に関する住民説明会がスタートすることになっていました。説明会には市長が出席しなければなりませんから何をどう都合つけても11月2日しかありません、これ決定、みたいな状況だったわけです。 で、2002年の秋のある日、豊島区役所を訪れた私たちには豊島区側からふたつの会場案が示されました。豊島区民センターのホールともうひとつ、駅でいえばJR大塚駅のそばにあるというホールのふたつでした。しかし11月2日に日程を限定した場合、大塚のホールは改装中で使用できず、区民センターは翌3日に開催されるコミュニティイベントの準備があるからホールは利用できないとのことでした。これでは致し方ありません、2日以外の日にしますか、みたいな話の流れになりましたので、出番かな、と思った私はちょこっと口を挟むことにしました。 申し訳ないが探偵講談東京公演には名張市長の挨拶がセットになっているとお考えいただきたい。というのも国による地方いじめとしか思えない市町村合併推進政策によって名張市は消滅してしまうかもしれない。げんに七つの市町村の合併を進めて伊賀市を発足させようという話が進行中である。もしも合併が実現すれば名張市の歴史はわずか五十年で終わってしまう。その五十年の歴史のなかで名張市が東京で事業を主催することなどただ一度である。あとにも先にも今回だけである。予算額としては微々たるものだがその意味でこれは名張市にとって紛れもない大事業なのである。人間でいえば一世一代の晴れ舞台なのである。その大舞台で東京のみなさん豊島区のみなさんに名張市長が挨拶をしなくてどうする。こちら名もない名張市ですが東京のみなさんにも探偵講談を愉しんでいただきたいと思って本日まかり越しましたような次第でしてと名張市のトップが挨拶をしないでどうする。そんな礼を失した真似が許されるはずがないではないか。そんなことをしたら名張市民からもうちの市長は大事な席に顔も出さずにいったいどこへ行っていたのかとお目玉を頂戴してしまうに相違ない。だから11月2日の線はどうしても譲れないのだとご承知おきいただきたい。 といったようなことをぼそぼそとお話しいたしましたところ、豊島区コミュニティ振興公社事務局長のMさんはふたたび眼鏡を光らせながら、 「わかりました。11月2日の会場確保、それだけでよろしいですな」 と力のこもった声でいってくださいました。声音には了解の意を明瞭に聴き取ることができました。 「はいもうそれさえお願いできましたら」 名張市からの一行四人、テーブルに頭をこすりつけんばかりにしてMさんのお力添えをあらためてお願い申しあげた次第です。 2002年11月2日に豊島区民センターのホールで旭堂南湖さんの探偵講談池袋公演が開催され(主催は名張市、名張市教育委員会、東京都豊島区ということになりました)、名張市長が舞台挨拶に立ったことはいうまでもありません。公演のあと池袋の蔵之助という店で開いた大宴会にはMさんも顔を出してくださったのですが、会場には文字どおり立錐の余地もありませんでしたからそのままお帰りいただかねばならなかったことを遺憾といたしますものの、ともかくめでたしめでたしと、終わりよければすべてよしと。 ですから名張市民のみなさん、学校法人立教学院創立百三十周年記念祝賀会でお会いしたMさんが探偵講談池袋公演のことで、 「いやー、あのときは中さんにいろいろ脅されましてね」 とおっしゃった背景には上記のような経緯があったのだとお思いください。私としては脅しというよりは泣き落としに走ったつもりだったのですが、脅しといえば脅しかもしれません。いずれにいたしましても名張市民のみなさん、私がほんとにあっちこっち脅して回ってるのだと勘違いはなさいませんように。 |
●6月10日(木) さて5月8日(もう一か月も前のことになりますが)、池袋のホテルメトロポリタンで学校法人立教学院創立百三十周年記念祝賀会が無事に終了しました。公務を終えた名張市立図書館長はそのまま帰途につきました。私はW先生にご案内いただいて「軽くうどんでも」のお店に到着しました。立山というお店です。
この立山というお店、ネット上を検索すると「網走出身同窓会情報」というページの「同窓新年会開催」の記事にその名を発見することができます。ご主人直筆(だと思います)の地図の画像も掲載されています。「昭和43年網走南ケ丘卒、立教大からドラフト一位で巨人軍に入団し、第一期長島監督の元で巨人軍投手として活躍した横山忠夫さんのお店です。母校を初めて甲子園へ導くなど当時の彼を覚えている人は多いと思います」という立山の紹介を読むこともできます。 この記事を読んでようやく納得したのですが、私にはこの日、これは巨人軍でピッチャーとして活躍した横山さんのお店だと教えられてもその勇姿を思い出すことができませんでした。当時はほら、堀内、高橋(一)、横山が三本柱だったじゃないですか、といわれてもどうにもピンと来ませんでした。しかし「第一期長島監督の元で」というのであれば話はわかります。そのころの私は決してチベットで修業していたというわけではないのですが、テレビにも新聞にも縁のない生活を短からぬ期間(といったって、いまから思えばあっという間に過ぎなかったわけですが)つづけており、そのせいで当時のプロ野球情報もごっそり欠落してしまっている次第です。横山さんのマウンド姿を想起できなかったのも当然のことであったと思われます。ともあれ、巨人ファン立教ファン網走南ヶ丘ファンなら一度は訪れたいお店であると申しあげておきましょう。 さてその横山さんの立山というお店では、私のほかにも前述の鳥羽からのお二方、夏に乱歩展が開かれる東武百貨店池袋店で販売促進室販売促進部催事担当プランニングエキスパートをお務めのSさんとHさん、それから乱歩のご遺族、さらには立教大学のW先生とF先生、総勢八人が座敷に陣取って、学校法人立教学院創立百三十周年記念祝賀会二次会大宴会と洒落込んだ次第です。 |
●6月11日(金) きのうにひきつづいて元巨人軍ピッチャー横山忠夫さんがご経営の立山で催された学校法人立教学院創立百三十周年記念祝賀会二次会大宴会の報告ですが、名張市民のみなさんのなかにはもしかしたら、おまえにとって祝賀会は公務であっても二次会は私事であろう、そんなことまで報告してもらわなくても結構である、とおっしゃる方がいらっしゃるかもしれません。 それはまことにごもっとも。ごもっともではあるのですが、私のような無力な人間は全身小説家ならぬ全身嘱託、公私の別なきフルタイムのカリスマとしてあちらこちらからご高誼をたまわらないことにはろくなお仕事はようしません。したがいまして今回も名張市民のみなさんの血税で上京いたしましたからには、できるだけ多くの方にお目にかかってお近づきをいただき、何かのおりには乱歩のためにまた名張市のためにお力添えを頂戴できるようお願いしてくるのが自分の役目だと心得ております。と、意地汚く酒席に居並んだことのいいわけ以外の何ものでもない贅言を連ねて先に進みましょう。 といったってとくに記さねばならぬことなど何もなく、それにこちらがいくら公務と心得ていたところで相手方にとっては紛れもないプライベートの場なのですから、そんな席のあれこれを逐一つまびらかに報告するのは慎むべきだろうとも判断される次第ですから、ここは私が八万五千名張市民を代表して立教学院側にお願い申しあげてきたことをお知らせしておくだけにとどめたいと思います。それはつまり、 「きょうの祝賀会は大盛況で結構やったんですけどしかし何なんですかあれは。あの若いお姉さんの少なさは。少ないゆうかどこにも見当たりませんでしたがな。あらあかん。あれではあきません。あんなことではセントポールの名が泣きます」 といったようなことであり、お願いしたというよりは苦言を呈したと表現するほうが正確なわけなのですが、祝賀会場にお姉さんの姿が見られなかったのは厳然たるそして嘆くべき事実であったのですから、コンパニオンでも現役女子学生でも何でもいいからとにかくお姉さんの段取りをちゃんとすることが立教の課題であろうと、わざわざお招きいただいた身の僭越は承知しつつも心を鬼にして提案してまいりました次第。この提案が立教側に容れられれば、来年の学校法人立教学院創立百三十一周年記念祝賀会は花園のごとく華やかで艶やかな催しになるものと思われます。 あとまあどうでもいいのですが、 「私は中さんのホームページ拝見したことがないんですけど」 ですとか、 「私知ってますよ中さんのホームページ」 ですとか、名張市がらみの話題にも花が咲いたのですが、そうした穏やかで愉しい酒席に意想外の展開が待ち受けていようとは、「ありゃりゃ」などとひたすらおちゃらけていた私には予想もできないことでした。 |
●6月12日(土) 5月8日、西池袋のとあるビルの一階にある立山の座敷です。座敷といっても通路とのあいだには障子も衝立もなく、通路を通って便所に行くお客さんは座敷から丸見えでした。この日のお客さんには立教大学の出身者が多かったらしく(普段もそうなのかもしれませんが)、便所へ行く途中で立ち止まり、座敷の端に坐ったW先生に礼儀正しく挨拶してゆく若い男女は、おそらくはW先生のかつての教え子なのであろうと見受けられました。 私もその通路を通って用を済ませ、ふたたび座敷に戻ったときのことです。通路に立った白髪の男性がW先生と親しげに話をしていらっしゃいました。聞くともなしに耳を傾けると、その男性はW先生を別の店へ誘っておいでのようです。そういえば私は、祝賀会の会場でこの男性をお見かけしていました。この方も私たち同様、祝賀会を終えてまず立山に立ち寄り、これからさらにもう一軒、というところなのでしょう。 この船に乗り遅れてはなるまい、と私は思いました。やわか乗り遅れてなるものか。三次会は絶対その店だ。この人の行く店ならお姉さんもぞろぞろはべってくれそうだしな。わははははははは。そこで私はその男性に抜かりなくご挨拶を申しあげ、お供させてください、連れていってください、さあ行こやれ行こどんと行こ、無理やりお願いして同行のお許しを頂戴しました。いただいた名刺には、池袋に大きな店を構えるH書店という古本屋さんの名前がありました。名張市民のみなさんはご存じないかもしれませんが、旧乱歩邸にもほど近く、名張市と同じく「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」実行委員会の協賛団体に名を連ねている古本屋さんです。 それで結局のところ、立山から次の店に向かうのはH書店の社長さんと私の二人だけということになりました。名張市民のみなさんはもしかしたら、おまえはなんという礼儀知らずか、W先生がわざわざ用意してくださった席を中座するなどもってのほかではないか、W先生のせっかくのご厚意に対して排便後の犬でもあるまいに後ろ足で砂をかけるとはどういう了見か、そこへ直れ、とお思いかもしれません。いやどうも相済みません。一言もありません。じつに仰せのとおりです。しかし私は、どうしても次の店に行きたかったんだもん。排便後の犬の前を桃太郎さんが通りかかったようなものなんだもん。 さてその桃太郎さんのような社長さんは池袋ではいわゆる顔役であるらしく、商店街を歩きながら顔見知りの誰彼にじつに闊達な感じで挨拶をなさいます。ある飲食店の前では、店内からビールケースを引きずり出していた若い男性従業員の背後からいきなり、 「おッ。頑張っとるか」 と大きな声をかけるものですから、男性従業員が驚いた顔で振り返るみたいなこともありました。やがて、 「ついたぞ。ここだッ」 あるビルの前で社長さんがおっしゃいました。そこはもちろん鬼ヶ島ではなく、カトレアという名前のお店でした。 |
●6月13日(日) そのカトレアというお店がどこにあったのか、社長さんにただついて行っただけの私にはいまだによくわかりません。閉店時刻が来るまでウイスキーを飲みながらはしゃいでいたのですが、いったいどれくらいの時間を過ごしたのかもやはりよくわかりません。相手は古書店の社長さんなのですから古本の話に花が咲いたかというとそんなことは決してなく、あまり鮮明には記憶していないのですけれど、H書店のビルは一階と二階が店舗で五階だか六階だかがお風呂になっている、といったたぐいのどうでもいいような話題ばかりがつづいていたような印象です。 そういえば、社長さんと私はカウンターに坐っていたのですが、社長さんがしばらく席を離れていたときに(つまりテーブルにいたお客さんのほうへ、例の「おッ。頑張っとるか」みたいな感じの挨拶をしにいらっしゃったわけなのですが)、私はママから、 「社長さんとはずいぶん昔からお親しいんですか」 と尋ねられました。 「いや。二時間ほど前からですわ。ははは。ついさっき知り合いになったとこ。ははは」 そう答えますと、ママが眼を大きく見開いてたいそうびっくりしたような顔になったことを覚えております。初めての店でも十年来の常連のごとく、初対面の人とも十年来の知己のごとく、田舎者というのはやはりどうにも厚かましい人種で、都会の人の眼を見開かせてしまうものなのかもしれません。 カトレアから外に出ると、人通りはすっかり絶えていました。社長さんと私は夜の街を歩き、やがてH書店のビルに到着しました。 「これが俺のビルだッ。わはははははは」 社長さんがおっしゃいました。相変わらずご機嫌です。私は質問しました。 「そしたらあのへんがお風呂ですか」 社長さんが何とおっしゃったのか私にはよく思い出せないのですが、機会があればぜひ一度そのお風呂に入りたいものだというようなことを申しあげて、私は社長さんとお別れしました。それからふらふらとカプセルホテルに向かいました。夜の街にはどこにも人の気配がありません。 自分ではまったく気がつかないのですが、私はどうやら全身これ隙だらけといった風情で歩いているらしく、やたら立ちんぼのお姉さんから声をかけられてしまいがちな人間です。4月24日に上京して『新青年』研究会の例会にお邪魔し、池袋駅東口の店で飲んでから西口のカプセルホテルまで歩いていたときも、ある交差点で寄り添うように並んできたお姉さんから、 「六千円。六千円でいいよ。六千円で気持ちいいことしてあげるよ」 と韓国なまりの日本語で持ちかけられ、売春業界の価格破壊もここまで進んでいるのかと驚かされたものですが、この夜はその交差点にも人影はありませんでした。どこか旅愁に似た気分を味わいながら、私はカプセルホテルを目指しました。 ではここで全国の乱歩ファンのみなさんに、以前にもちらっとお知らせしたことですが──
こんな具合でいかがでしょうか。よろしくお願いいたします。 さて名張市民のみなさん、私の報告もいよいよ終わりに近づきました。報告も何もおまえはあっちこっちでただ酒くらってきただけの話ではないか、とおっしゃいますかそうですか。しかし私にはこれで意外に殊勝なところもありますから、名張に帰ってさっそくに、いやはや見ず知らずの方にとんだご散財を、とH書店の社長さんに礼状をお送りしましたところ、この磊落にして律儀な社長さんはわざわざ拙宅にお電話をくださり、東武の乱歩展に来たときにはぜひまた顔を見せるように、それから、おまえの勤めている図書館で必要な古書があったらいくらでも便宜を図ってやるから、とありがたいお言葉を頂戴した次第です。 いかがですか名張市民のみなさん。私は先にも「名張市民のみなさんの血税で上京いたしましたからには、できるだけ多くの方にお目にかかってお近づきをいただき、何かのおりには乱歩のためにまた名張市のためにお力添えを頂戴できるようお願いしてくるのが自分の役目だと心得ております」と記しましたが、ただ酒くらいながらもちゃんと務めは果たしているのだとご承知おきください。めでたしめでたし。 なお、立教学院の祝賀会では記念品としてタオルを頂戴してまいりました。大小二枚の創立百三十周年記念オリジナルタオルのセットでしたが、これはありがたく私物化させていただいたことを申し添えます。先日も拙宅に飯を食べに来た甥っ子が小用から戻ってきて、 「おっちゃんとこのトイレのタオル、立教のタオルやなあ」 と感極まったように洩らしていたことをあわせて附記しておく次第ですが、さらにもうひとつ、その甥っ子が二人目の子供を授かったとついさっき電話で連絡があったことも記しておきたいと思います。男の子だそうです。めでたしめでたし。 |
●6月14日(月) さてそのいっぽう名張市民のみなさん、学校法人立教学院創立百三十周年記念行事の一環として8月10日から24日まで開催される「乱歩図書ブックフェア」で、名張市立図書館が刊行した江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』を取り扱っていただけることになりました。取り扱うか否かの最終的な判断はブックフェアの参加書店に委ねられることになりますが、先ごろ開かれたブックフェアに関する打ち合わせの席で『江戸川乱歩著書目録』をご紹介いただき、いってみればブックフェアへの道を開いていただいた次第です。ひとかたならぬご高配をたまわった関係各位に謝意を表しつつまたあした。 |
●6月15日(火) 名張市民のみなさん、市民各位の血税三万円弱を頂戴した東京出張の報告につづきましては、しつこいようですが「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の話題に戻ったほうがいいのでしょうか。
とりあえず、掲示板「人外境だより」をご閲覧の諸兄姉は先刻ご承知のことながら、私の投稿を転載して経緯を確認しておくことにいたします。
つづいてもう一件、翌日の投稿です。
阿山町の莫迦のことなんかまあどうだっていいのですが、二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイト掲示板の閉鎖に関わった莫迦は見過ごしにできません。三重県が県民の言論を平気で封殺してしまう県であるということをみずからの手で明らかにしておいたくせにこら、おまえらいまになっていったいどんなツラして「ネットで県民参画」などとふざけたことを抜かしておるのか。正気かこら。気は確かか。ですからこの際、知事のおっしゃる「新しい公」にとって最大の障害は旧態依然としたお上意識しかないぼんくら県職員どもなんですぜ、みたいなことを「知事と語ろう本音でトーク」の場ではっきりさせてやろうかなと思わなくもないのですが、お役所に段取りしてもらったパフォーマンスの席で見得を切るなんてのはそこらのぼんくら議員に任せておけばいいことであって、わざわざこの俺がそんな場に顔を出すのはなあ。ああ悩ましい悩ましい。 名張市民のみなさん、私はいったいどうすればいいのでしょうか。 |
●6月16日(水)
いったいどうすればいいのでしょうか、なんてこといってても仕方ありません。三重県のオフィシャルサイトから「知事と語ろう本音でトーク」の事前意見送信書をダウンロードし、必要事項を記入してみました。「知事に話したいこと(三重県政へのご意見・ご提案等)」の欄はとりあえず下記のとおりです。
ざっとこんなところですけど、要するにまああれですか、都合が悪くなったらなりふり構わず卓袱台ひっくり返してしまうような連中が「ネットで県民参画」とは恐れ入ったぜ、みたいなことですか。二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトの掲示板騒動を目にしていた人間なら、「ネットで県民参画」なんて茶番をまともに相手する気にはとてもなれないでしょう。 といったようなことを名張市民のみなさん、よろしかったらあなたが「知事と語ろう本音でトーク」の場で発表してみませんか。上記の原稿、いつでも無償で提供いたします。俺はやっぱりどうにも気が進まなくってさ。 |
●6月17日(木) 名張市民のみなさん。 四日市市内のホテルで昨16日、三重県からアテネ五輪に出場する代表選手の壮行会が開かれました。テレビのローカルニュースでご覧になった方もおいででしょうが、本日付中日新聞の中沢穣記者の記事をお読みください。
ついでですからもう一段落。
名張市民のみなさん、金メダルの期待を一身に背負った女子レスリングの吉田沙保里選手は私の遠縁に当たります。義母の従兄弟の孫がこの吉田選手です。会ったこともありませんし向こうは私のことなんかこれっぽっちも知らないはずなのですが、とにかく今年の夏には名張市民各位の心のこもった声援をアテネまでお届けいただければ嬉しく思います。 さて名張市民のみなさん、きのうもお願いしたのですが、私の代打として「知事と語ろう本音でトーク」に参加してくださる方はいらっしゃいませんでしょうか。やっぱりいらっしゃいませんでしょうね。しかし私だって、できることならこの手の場所には顔を出したくないんです。なんだか莫迦みたいですし。 いえいえ、私は何も「知事と語ろう本音でトーク」の参加者が莫迦だといってるわけではありません。むろんあんなところにのこのこ出張る手合いはただの嬉しがりではないか莫迦ではないかといえばいえるのかもしれませんが、私は決してそのようなことを申しあげているわけではありません。誤解なさってはいけません。 ただ私は、自分がお役所のセッティングしたトークたらいうものの会場でベルトコンベア方式みたいな質疑応答におとなしく加わることを仮定してみた場合、何と申しますか自分がそこらの縫製工場で完全な流れ作業のもとに大量生産されている婦人下着にでもなったような気がしてくるのではないかと想像され、それがなんとも莫迦らしく、俺はパンツかこら、そこらのおばはんのパンツかこら、としまいにゃ怒り出してしまうかもしれないなと思っているだけの話です。 それにだいたいが三重県オフィシャルサイトの「知事と語ろう本音でトーク」で昨年度の開催状況を見てみますと、トークの会場でどんなやりとりがあったのかは報告されておりますものの、トークの内容がその後の県政にどのように反映されたのかという報告はどこにも見当たりません。ただ開催するだけでフォローがないのであれば「知事と語ろう本音でトーク」は単なるパフォーマンスだと見倣されても仕方がないでしょうし、昨年のトークの参加者がそのあたりをどう思っていらっしゃるのかも気になります。 自分の投げかけた意見がどう具体化されたかをちゃんと見届けるのがトーク参加者の務めというものであってトークの場で偉そうなことほざいて溜飲を下げるだけで喜んでるような人間はどいつもこいつもただの嬉しがりではないか莫迦ではないかだからあんなところにツラを出す人間は信用できんというのだだからトークへの参加なんぞ真っ平ご免だというのだ誰があんな連中と同席できるか県も県だが県民も県民だなどと私はまったく思っておらず、要するに私が望んでいるのは知事に会うことではなくて知事への要請が聞き届けられることにほかなりません。 ですからきのう記した「知事に話したいこと(三重県政へのご意見・ご提案等)」の欄に、次の一段落を追加したいと思います。
問題の「ネットで県民参画」に関してお知らせしておきますと、すでに「伊勢志摩ばりふりマップ」などという気恥ずかしいタイトルの、というかまともな神経をもった人間の参画を拒んでいるとしか思えないタイトルのべたべたした馴れ合いが始まっているようなのですが、この「ネットで県民参画」の前身みたいなものに「e - デモ会議室」というのがあり、これがまたじつにどうもお恥ずかしいしろものでしてあなた。 |
●6月18日(金) 6月18日になりました。掲示板「人外境だより」から転載を一件。
さて名張市民のみなさん、この大宴会に前伊賀県民局長の高杉勲さんはおいでいただけるのでしょうか。高杉さんなら二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイト掲示板閉鎖の真相をご存じでしょうから、大宴会の席でそれをお聞かせいただき、なおかつこの件に関して県として適切な措置を講じるとのお約束をいただければ、私がわざわざ「知事と語ろう本音でトーク」に参加する必要はなくなるようにも思われます。 もしもおいでいただけないようなら、あるいはおいでいただいても真相を明かしていただけないようなら、さらにあるいは真相を明かしていただいてもそれを二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトで公開するなどの措置を講じていただけないようなら、私には不本意ながら「知事と語ろう本音でトーク」に参加するしか方途がなくなります。いったいどうなることでしょうか。 それにしてもまあ、県職員の出来が悪いと知事のお仕事というのもなかなか大変なのでしょうなあ。県職員の頭の中身を新しくしなければ「新しい公」なんてとても実現できないわけですが、とくに薹の立った県職員のみなさんなど旧弊なお上意識に凝り固まっていらっしゃるようですからどうしようもありません。手の施しようがありません。こうなったらいっそあれか。三重県職員の時代遅れな頭の数々、熊野古道といっしょに世界遺産に登録してもらってはいかがなものか。どんなもんでしょうか知事。 |
●6月19日(土) 名張市民のみなさん、まずお知らせです。
名張市新田のギャラリー堤側庵・中内工房(電話0595-65-2081)で6月18日から24日まで「長岡国人展」が開かれています。 長岡国人さんは1940年、長野県生まれ。多摩美術大学デザイン科を卒業し、1966年から1991年までベルリンに滞在。ベルリン市立アカデミー大学とベルリン国立芸術大学に学び、ウィーン国際版画ビエンナーレとヴァルナ・ブルガリア国際版画ビエンナーレでグランプリを受賞するなどヨーロッパやアメリカで活躍。1991年から精華大学教授。パルプ状の紙に土、軽石、竹、麻、草、枝、木炭などを混合したペーパーワーク「石の脱皮」シリーズなどを手がけ、近年は古紙、柿渋、木材などのコラージュを併用した立体作品に移行。作品とその周囲の環境を芸術的空間として呈示するインスタレーションでは、日本人が常食としてきた五穀を用い、古神道をイメージした試みをつづけている。19、20両日には会場近くの赤井塚古墳でインスタレーション。19日午後3時からオープニングとトーク。 だからどうしたと訊かれても困るのですが、19日すなわち本日のトークではかく申す私が長岡さんのお相手を務めることになりました。きのう名張市桔梗が丘のせとでそれが決まりました。酒の勢いというのは恐ろしいものです。 話せば長いことながら、私がきのうせとで飲んでいてあ、おしっこと尿意を催し便所に行ったその帰り、ふと店内を見回すとギャラリー堤側庵・中内工房オーナーの中内中さんがお酒を飲んでいらっしゃいました。ありゃりゃ、とかなんとかいいながら強引に同席して状況を分析してみたところ、そこは画廊オーナーと個展出展者が関係者をまじえて一席設けた場であるらしいと知れました。私が割り込んだのは初めてお目にかかった長岡さんのお隣の席でしたからもうたまりません。本来の席に戻るのもつい忘れ、いやそんなもん古神道ゆうたら横光利一に決まってまんがな実際みたいな話をえんえんぶちかましてしまった次第です。 本来の席というのは前伊賀県民局長の高杉勲さんをお招きしたはずの二〇〇四伊賀びと委員会乱歩部門大宴会のことなのですが、これがどうもじつに小詰まらぬ席であったということも私が長岡さんの隣席に居坐りつづけた一因であったかもしれません。いくら私だってあーた、何やねんあの男は、あんなもん火のついたかんな屑みたいにただぺらぺらぺらぺら喋るだけの男やないか、みたいなその場にいない人間の悪口を並べ立てているばかりでは自分で自分に嫌気が差し、とはいえさすがに、あいつがあいつのいう斎藤十朗の保護司関連疑惑を本気で叩くというのであれば俺はいくらでも助太刀してやる気でいたのだが、あいつはあれか、酒の席でぺらぺらぺらぺら火のついたかんな屑みたいに喋ってしまえばそれで気が済むのか、それで幸福なのか、莫迦かあいつは、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業開幕五十日前交流会で会ったときには眼を落ち着きのない金魚みたいに泳がせやがって、いいかおまえら、今度あの根性なしを見かけたら二度と俺の前にツラを出すなと伝えておけ、とまでは申しませんでしたが、こんなような言葉まで飛び交いそうになる席なんて面白いはずはありません。 それで私は中内さん長岡さんその他の方の席にずいぶん長いあいだ居坐りつづけ、前伊賀県民局長の高杉勲さんをお招きしたはずの二〇〇四伊賀びと委員会乱歩部門大宴会がお開きになってしまったあともまだ居坐りつづけ、結局は本日ギャラリー堤側庵・中内工房で催される長岡さんのトークにお邪魔することになってしまった次第です。名張市民のみなさんもご都合よろしければぜひおいでください。トークのテーマは古神道にちなみ、ナショナリズムと愛国心とでもいったことになりましょうか。 そんなことはともかく、昨日せとで開催しました二〇〇四伊賀びと委員会乱歩部門大宴会には残念ながら高杉勲さんのご出席をいただけず、したがいましてまったく盛りあがらない大宴会になってしまったわけですが、盛りあがる盛りあがらないは別にして、大宴会のメインテーマであった「前伊賀県民局長の高杉勲さん(現県防災危機管理局長)を迎えて二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイト掲示板閉鎖事件ならびに同掲示板過去ログ封鎖事件の真相に迫る」も、はたまたサブテーマであった「前伊賀県民局長の高杉勲さん(現県防災危機管理局長)を迎えて名張市を除く伊賀地域六市町村の合併に伴う市町村議会議員在任特例適用ドタキャン決定の舞台裏を探る」も、どちらも迫ったり探ったりできなかったことを遺憾といたします。 こうなったら致し方ありません。「知事と語ろう本音でトーク」の場で白黒をはっきりさせたいと思います。「ネットで県民参画」などと腰も砕けそうになる世迷い言をほざき散らすその前に、みずから提供した言論の場を一方的に閉鎖することで自由な言論そのものを封殺した三重県の由々しい不始末、知事の手できっちり落とし前をつけていただきましょうか。 |
●6月21日(月) きのうは失礼いたしました。伝言をついお休みしてしまいました。連夜の痛飲がたたって死んだみたいにぶっ倒れていたのですが、台風の接近で心も浮き立ち、なんとか恢復してきたようですからさっそく憎まれ口をひとくさり。
名張市民のみなさん、口にするのも恥ずかしい「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業のひとつである「名張からくりのまちコンテスト」の開催要項が発表されました。本番は11月13日から21日まで、募集期間は7月1日から31日まで。詳細は下記の引用およびリンク先ページでどうぞ。
大賞に選ばれた日にはあなた、なんと賞金三十万円が濡れ手で粟だそうです。名張市民のみなさんはふるってご応募を。 え? 乱歩作品を読んだことがないからイメージやアイディアなんてちっとも浮かばないって? 何、構うことはありません。何の心配も要りません。主催者側だってろくに乱歩作品を読んだこともないような連中がぺらぺらぺらぺら「からくり」だの「幽玄」だの「あやかし」だの「幻想の棲み処」だのとどこかで聞きかじってきた言葉をただの思いつきでぺらぺらぺらぺら気が触れたみたいになって口走ってるだけの話なんでしょうから。 もう何をいったってどうしようもないでしょうから何も申しませんが、名張の旧市街地で乱歩にちなんで何かやるというのであれば、非日常性や意外性を追求するのも結構なのかもしれませんが(とはいえ旧市街地は何よりも生活の場として再生されるべきだとは思いますが)、幻想のすみかならぬ狸のかわやとなりかけたせいで緑色のネットに覆われてしまった乱歩の生誕地碑をなんとかすることから始めてくれんかね。 さーあ、「知事と語ろう本音でトーク」の「事前意見送信書」を発信しようっと。 |
●6月22日(火) ご閲覧のみなさん、台風6号の影響はいかがだったでしょうか。当地はさしたる被害を被ることもなく(拙宅の庭ではノウゼンカズラの太い枝が二三か所、強風を受けてぽっきり折れてしまいましたが)、きのう午後2時半ごろには雨もあがって垂れ込めた雲の隙間から薄ら陽が射し始めました。本日は晴天なり。 さて名張市民のみなさん、私は昨21日朝、烈しくなりまさる風雨に台風6号の接近を実感しながら、三重県総合企画局広聴広報室への電子メールで「知事と語ろう本音でトーク」の「事前意見送信書」を送信しました。日程と会場は7月13日火曜日午後7時から9時までの名張市役所を指定しました。しかしそうなると当日は夜の9時まで素面でいなければならぬわけであり、ほんとにどうにも気が進みません。 送信した意見の内容は6月16日および17日付の伝言に記した文章そのままなのですが、あそこにも書きましたとおり私は「知事と語ろう本音でトーク」の出席に拘泥するものではなく、私の意見を知事にお読みいただいて、二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトの掲示板閉鎖事件ならびに同掲示板過去ログ封鎖事件の真相を明らかにしていただければそれで結構。広聴広報室の適切な対処を望む次第です。 しかしつらつら振り返りますとあれですな、私はこれまでに「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に関する批判や質問を郵便あるいは電子メールで県庁知事室宛に送ることを一再ならず試み、知事からはそれに対してただの一度もお答えを頂戴することができなかったのですが、しょせん行政側のパフォーマンスに過ぎないとはいえ、「知事と語ろう本音でトーク」という公開の場で知事にいちゃもんつけられるのはありがたい話だと思わなければならないのかな。 いやいや、こんなことをどうしてありがたがらなければならんのか。そもそも「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業など税金の無駄づかいではないかと知事に郵便で意見を具申したのを手始めとして、俺が伊賀地域と三重県のためを思って縷々述べてきた意見は一から十までことごとく黙殺されてきたのだ。何がいまさら「知事と語ろう本音でトーク」か。こんなものは俺の意見を黙殺することによって県民の意見に藉す耳はないという権力の本質をあっさり露呈しつづけてきた三重県が小手先の目眩ましを演じているだけの話ではないか。笑わせるな莫迦ども。なんで俺がそんなものをありがたがらねばならんのか。笑わせるなというのだ大莫迦者ども。 こら見とるか広聴広報室。おまえらとっとと手筈を整えろ。さっさと知事室に飛んでいって俺がきのう送った「事前意見送信書」を知事に見せろ。知事の指示を仰げ。俺の意見なんか無視しておけというようならこの知事ももうおしまいだがさすがにそんなことはできんだろう。みずから提唱している「新しい公」を自分の足で踏みにじることはできんだろう。だから俺が要請したとおり二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイト掲示板の管理を担当していた県職員に連絡して掲示板の閉鎖を命令したのが誰であったのかを確認しろ。それからその人物を責め立てて閉鎖の事情をすべてきりきり白状させろ。その内容を二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトに掲載しろ。そんなこともできないのなら「ネットで県民参画」などと世迷い言をほざくなこら三重県総合企画局広聴広報室ならびに同局e- デモクラシープロジェクトのみなさんや。 いやー、バイリンガルってやつですか、心身両面の周期的変化のせいでこのところ妙に怒りっぽい日がつづいているようです。7月13日あたりがピークになるのかな。いかんいかん。 |
●6月23日(水) やっぱり例のバイアグラ、つまり心身両面の周期的変化によってたまたまこういう時期がもたらされているのだと思われるのですが、依然として怒りっぽい日がつづいております。 きのうなど、台風で枝が折れたノウゼンカズラを見栄えよく剪定してやっている最中に、 「Tを呼べTをッ」 といきなり怒鳴りだしてしまう自分を発見して私は愕然といたしました。 この「T」は高杉という苗字のイニシャルなのですが、呼び捨てで罵倒している対象の実名をさらすわけにも行きませんから匿名で話をつづけますと、要するに私は7月13日に開催される「知事と語ろう本音でトーク」名張市篇のシミュレーションをやっていたらしく、しかしあらゆる要素を勘案しても知事からもまた事務方からも二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトの掲示板閉鎖事件ならびに同掲示板過去ログ封鎖事件に関する明快な答弁は引き出せそうにないではないかと思い当たり、だってそうでしょあなた、私はもう知事室といわず生活部といわず伊賀県民局といわず三重県職員の連中からいいだけコケにされてきょうの日を迎えているわけで、連中と来た日には答えなければならぬ質問にものろくさとした牛のように答えようとせず、たまに答えたと思ったら馬が唱えた念仏のように意味不明な回答ばかりなのですから、「知事と語ろう本音でトーク」も結局は税金で養ってる牛さん馬さんを拝見するだけの結果に終わるであろうと予想される次第なのですが、いやいやそうはさせじ、させてはならじ、連中が四の五のいうのであればトークの場に当時の伊賀県民局長をしょっ引いてきて洗いざらい白状させればいいではないか、そうじゃそうじゃ、えーい、 「Tを呼べTをッ」 と妄想が入道雲のようにむくむくと私の頭を支配して、ついつい大声で叫んでいたというわけです。 気がつけば、枝のいくつかを失ったノウゼンカズラには漏斗状の赤い花が咲き誇り、重力に逆らうようにしていっせいに青い空を指しています。私は不意に気恥ずかしさを覚え、用もないのに大声で犬の名前を呼びながらその場をあとにしました。 しかしあれだな、こんな具合に写生文の練習をしている場合でもないだろうが実際、とは判断されますので、ここはひとつにやにやへらへら薄笑いしながらこれをお読みの三重県総合企画局広聴広報室職員のみなさんに対し、7月13日の「知事と語ろう本音でトーク」に際してはいつでも連絡ができるようTさんの身柄を押さえておいてくださいねとお願いしておきましょうか。Tさんというのは高杉さんのことですから。 |
●6月24日(木) 「Tを呼べTをッ」 まだ申しております。バイオリンてえのもこれでなかなかしつこいもののようで。 なんてこといってるところでお知らせをひとつ。 血税三億三千万を気前よくどぶに捨て去る「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の公式ガイドブック(これです)、もう二三週間ほど前のことになりますか、二〇〇四伊賀びと委員会事務局に依頼して『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)関係スタッフに一部ずつ郵送してもらったのですが、そのあとまた事務局へ嫌がらせに足を運んだおり、あのガイドブックがまだ余っているのならPRを手伝ってやろう、税金の無駄づかいにほかならぬ事業のガイドブックなど不義の子と呼ばれるしかない日陰の身であるが、できてしまったものは致し方あるまい、あの子には罪はないのだ、できるだけ広い範囲にガイドブックをばらまいてやるのが供養というものだろうて、少なくとも事務局に死蔵したり伊賀地域のあほのみなさんに配ったりしているだけではお話にならぬではないか、と二〇〇四伊賀びと委員会謹製大判オフィシャル封筒三十枚を掠奪して帰り、関西圏中部圏を中心に日ごろお世話になっているみなさんのご住所お名前殴り書きしてまた事務局に持参したうえ、ほかに事業のチラシや何かがあれば同封して郵送しておいてくれたまえ、と申しつけた次第です。 公式ガイドブックをお受け取りいただいた方からはメールや掲示板「人外境だより」への投稿でお礼を頂戴したのですが、先日はある方からわざわざ礼状をたまわり、 「ガイドブックの頁をめくっていて、11月の乱歩絡みのイベントを三つも見つけ、驚きかつ喜びました。ぜひ11月には通算8度目となる名張訪問を果たしたいと思っています」 とお書きいただいてありましたので、私のほうこそ驚いてしまいました。こんな事業のためにわざわざ福島県は白河の関あたりからおいでいただかなくたっていいのですが、仏縁と思えば無下にあしらうことも適わず、やはり11月には大宴会を開催せねばならぬなとあらためて決意した次第です。 公式ガイドブックが欲しいなとおっしゃる方は、メールでご連絡いただければ一も二もなくお送りいたします。豊島区や立教大学にまだ送ってないな、と気がつきましたので、二〇〇四伊賀びと委員会謹製大判オフィシャル封筒を追加で二十枚、当方の手許に掠奪してきてあります。どうぞお気軽にお申しつけください。 ただしこの「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という事業は、三重県伊賀地域に分布する害虫とも呼ぶべき乞食根性丸出しの考えなしのみなさんがただの思いつきでご町内の親睦行事を寄せ集めただけのものに過ぎませんから、ゆめゆめ過大な期待はおかけになりませんよう。 ところで二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、私はいま「伊賀地域に分布する害虫」と記しながらこれはまたなんと当を得た表現かと自分でも感心してしまったのですが、この際ですから「伊賀びと」などという聞いてるほうが恥ずかしくなるような名称は血税三億三千万とともにきれいにどぶに捨ててしまい、害虫は害虫らしい名告りをお挙げになってはいかがでしょうか。すなわち── 二〇〇四伊賀むし委員会 ちょっと可愛い感じもしますからそこらの女の子、とくに虫愛ずる姫君たちには大受けするだろうと思われる次第なのですが、みなさんいかがお考えでしょうか。いやいやここはやはり、みなさんより先にかつて害虫の親玉だった方にお伺いを立ててみるべきか。となるとやっぱり、 「Tを呼べTをッ」 バイオリンてえのはじつに困ったものでしてな。 |
●6月25日(金) とにかくバイセクシャルです。相変わらずとてもとても怒りっぽい状態です。バイセクシャルがそうなっているんですから私自身にも制御のしようがないのですが、あまりといえばあまりな事態に直面するとひたすら茫然としてしまい、怒ることさえ忘れてしまうなんてことにもなるみたいです。「知事と語ろう本音でトーク」のテーマとしてとりあげた「ネットで県民参画」のお話です。
「ネットで県民参画」のページに記された「ネットで県民参画は電子会議室のツールとしてe-デモ+マップを利用しています。e-デモ+マップの利用方法、運営方針等はe-デモ会議室ウェルカムページをご覧下さい」との案内に従い、「e-デモ会議室」の「会議室運営方針」に目を通した私はすっかり驚いてしまいました。怒ることすら忘れ果ててしまいました。 むろん私は「e-デモ会議室」のことを知っていました。というか、「ネットで県民参画」の構想が発表された直後の4月26日付伝言にこんなことを記していたわけですし。
といった次第で「e-デモ会議室」のことは知ってはいたのですが、「会議室運営方針」を読んだことはありませんでした。「知事と語ろう本音でトーク」を前にきのう初めて読んでみて、いやもう腰が抜けるほど驚いてしまいました。こんなことが定められていたからです。
あーびっくりした。つか、びっくりするのも無理ねーじゃん。これってぜってー検閲じゃん。じゃんじゃんじゃんじゃんジャンバルジャン。頑張る猫ならガンバルニャン。鼠の名前はベンキョーチュー。いかんいかん。あまりのことに錯乱してしまっておりますが、大魔神ならヨコハマじゃん。港のヨーコはヨコスカじゃん。じゃんじゃんじゃんじゃんジャンバルジャン。錯乱はいよいよその絶顛を極めんとしているようですが、私よりもさらに錯乱しているのが三重県じゃん。ふつーに検閲やってるじゃん。検閲やってはいけないじゃん。駄目じゃんペケじゃん最低じゃん。いやいや。ふざけてる場合ではありません。だいたいベンキョーチュー君のことをご存じの読者がいったい何人いらっしゃるというのか。 さて読者諸兄姉、検閲とはいったい何かと申しますと、大辞林第二版では次のとおり説かれております。
今度映画で丹下左膳やるのはトヨエツなんですけどそんなことはまったく関係がなく、私が申しておりますのは上記(2)のことです。これはたしかに憲法で禁止された行為であり、日本国憲法には次のごとく記されております。
こんなものどこが検閲だばーか、とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、あすにつづきます。 |
●6月26日(土) こんなものどこが検閲だばーか、とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、そのお話はあとにしてとりあえず先をつづけましょう。 それにしても三重県民のみなさん、われわれはなんという県に住んでいるのでしょうか。もちろん三重県という県に住んでいるのですが、これはまたずいぶんとんでもない県であるようです。ほかの都道府県だって内実は似たようなものかもしれませんが、とにかく三重県はひどい。 どこがひどいのかと申しますと、三重県が主体になって進めている官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の企画から決定に至るすべてのプロセスがそうですし、事業を運営する二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会における責任意識の欠如、同委員会オフィシャルサイト掲示板の閉鎖騒動に示されたお上意識などもその例証にほかなりません。昨年6月あたりからこの名張人外境を継続してご覧いただいている方には、いまさら説明の要もないことですが。 そこへもってきて、私が「知事と語ろう本音でトーク」でとりあげる「ネットで県民参画」事業では公然と検閲が行われていると来たのですから、ここまでの異常事態を目の当たりにしてしまった日にはたとえ私のバイエルだかバイオハザードだかバイオニックジェミーだかがどのようになっていようとも、この県はもうおしまいだという諦めが怒りよりも先に立ってしまうというものです。 ただまあ、やり口がこれだけ幼稚であからさまなんですから、わかりやすいっちゃわかりやすい。三重県は権力の本質というものをじつにわかりやすい形で県民に示してくれているわけです。いくら県民との協働だのネットで県民参画だのと聞こえのいい言葉を並べ立て、県民の声を県政になどときれいごとのお題目を派手に掲げてみたところで、実際には自分たちにとって都合のいい声にしか耳を藉さず、都合の悪い発言は問答無用で封じ込めてしまうという体質がそんなお題目をことごとく裏切ってしまっているという歴然たる事実に、あなたがたはまだお気づきではないのでしょうか三重県県庁のみなさんや。 ではここで、「ネットで県民参画」の、というよりはその前身というか母体というか悪しき先例である「e-デモ会議室」における検閲の問題を見てみましょう。 「e-デモ会議室」の「会議室運営方針」にははっきりと「投稿された意見はリアルタイムに掲載されるものが一般的ですが、次項に掲げられているようなプライバシーを侵害する情報や他者を誹謗・中傷または差別する情報が投稿される危険性があります。このため、公表する前にその内容を確認します」と記されているのですから、これを検閲と見倣すのはいくらだって可能でしょう。検閲とは、理由はどうあれ「公表する前にその内容を確認します」ということにほかなりません。 「e-デモ会議室」では「e-エディター」と呼ばれる人たちが内容確認を行うことになっているようですが、エディターすなわち編集者という呼称は相応しいものではないでしょう。エディターよりはセンサー、つまり検閲官という名前のほうが作業内容を的確に示していると判断されます。ですからこの際、「e-エディター」から「e-センサー」への名称変更を検討なさってはいかがでしょうか。もっとも私は、「ネットで県民参画」などという事業そのものの廃止、あるいは徹底した見直しを知事に要請するつもりでいるわけですが。 それにしてもあれですな、二〇〇四伊賀びと委員会を二〇〇四伊賀むし委員会にしろだの、e-エディターを e-センサーにしろだの、どうして最近の私は人に名称変更を提案して嬉々としているのでしょうか。何が面白いのでしょうか。しまいにゃそこらのよだか捕まえてこら、おまえはきょうから市蔵だ、なんてこと口走ったりするのではないかと心配になってくる次第です。 もっとも、エディターすなわち編集者が執筆者から寄せられた原稿に関して「公表する前にその内容を確認します」というのはごく当然のことでもあります。当然のことをやっているはずのエディターがどうしてよだかみたいな扱いを受けなければならないのかというと、要するに場が変だからです。あるいは、手順が変だからです。 おわかりでしょうか e-エディター改め e-センサーのみなさん。みなさんのおやりになってること自体は普通のことなのですが、みなさんの置かれた環境が変なんです。その変さは、「会議室運営方針」に記された「投稿された意見はリアルタイムに掲載されるものが一般的ですが」という文言に端的に示されています。「一般的」ではないから変なことになってしまっているわけです。 ちょっと中途半端な感じですが、本日はここまでといたします。どうも申し訳ありません。e-エディターのみなさんは自分たちが置かれた環境のどこが変なのか、ひとつじっくり考えてみてください。もしもおわかりにならないようでしたら、やっぱ e-エディターから e-センサーに改名しなくちゃしょうがないか。しかしそうなるとあれですよ。 名前を変えるには、改名の披露というものをしないといけない。いいか。それはな、首へ e-センサーと書いたふだをぶらさげて、私は以来 e-センサーと申しますと、 口上を云って、みんなの所をおじぎしてまわるのだ。 そんなことはとても出来ません、とみなさんはおっしゃるかもしれませんね。 いいや。出来る。そうしろ。もしあさっての朝までに、お前がそうしなかったら、もうすぐ、つかみ殺すぞ。つかみ殺してしまうから、そう思え。 だってそれはあんまり無理じゃありませんか、とみなさんはおっしゃるかもしれませんね。 まあ、よく、あとで考えてごらん。e-センサーなんてそんなにわるい名じゃないよ。 しかし私はいったい何をやってるんでしょうか。 |
●6月27日(日)
三重県民のみなさん、樺嶋秀吉さんの『採点! 47都道府県政』という本が出ました。平凡社新書の6月の新刊で、著者は「チホウ政治じゃーなる」というウェブサイトの開設者でもあるフリーランスライターです。 私は昨日、掲示板「人外境だより」でウェブサイト「とべ、クマゴロー!」の開設者である大熊宏俊さんからこの本のことを教えていただき、名張・蔵持両公民館水彩画教室合同作品展を覗いたついでにジャスコ新名張店リバーナ三階のブックスアルデで探してみたのですが、どうやらこの本屋さんは平凡社新書そのものを取り扱っていないらしく、帰宅途中で名張市役所横の別所書店に立ち寄ってようやく探し当てた次第です。 さて三重県民のみなさん、書名からも明らかなとおり、この『採点! 47都道府県政』では全国の都道府県政がさまざまな観点から採点され、数値化された成績に基づいてランキングが発表されています。その採点項目は次のとおり。 ▽財政の自立度 これを五十七点満点で計算いたしますと、ともに四十八点を獲得した三重県と鳥取県が全国ランキングのトップに輝くそうです。端的に申しあげてしまえば、三重県の北川正恭前知事と鳥取県の片山善博知事がいわゆる改革派の旗幟を鮮明にしたことが大向こうに受けたという寸法でしょう。 鳥取県の成績は見事なもので、上記八つの項目のうち「財政の自立度」と「財政の健全性」が大きく落ち込んでいる以外はすべて満点。いっぽう三重県は比較的バランスが取れており、まず「情報公開度」は満点、「説明責任」は五点満点で四点、もっとも点の低い「財政の健全性」でも五点満点の三・五点となっております。 なんやとこら、とお怒りの三重県民のみなさん、どうぞお静かに。 「『北川改革』を継承しつつ独自カラー」と題された三重県の記事から引きましょう。まず、北川前知事の「改革」に関する記述。
つづく段落には、三重県の事務事業評価システムが「さまざまにアレンジされながら全国の自治体へ広まり、橋本内閣は行財政改革の基本法づくりの参考にしたほどだ」とも記されています。鼻が高いですか三重県民のみなさん。 従来はプラン(計画)とドゥー(執行)だけで完結していたお役所の仕事にシー(評価)という要素が加えられたのは、たしかに画期的なことでした。だからこそ三重県のシステムが全国の自治体に波及していったわけなのですが、なにしろお役所のことですから評価はやはり上っ面のものに終始してしまいがちです。全国の自治体における評価ブームとでも呼ぶべきものは浅薄な評価主義を蔓延させただけの結果に終わり、お役所の自己評価はそれ以上の深化や成熟を見せていないのではないかと私には思われます。評価の対象となりやすい事業にのみ光が当てられるという弊害すら出てきているのではないかとも懸念されるのですが、このお話はまたあとで。 つづいて、上記引用中に「一事業ごとに内容や効果を一枚のカードに書き込み、県のホームページで公開した」とありますところ、じつはこれ、私が「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に関して二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会のみなさんにアドバイスしたのと同じことなんです。誰かさんの命令で閉鎖されてしまった例の掲示板に昨年10月31日、私は次のとおり投稿したではありませんか。
この貴重なアドバイスが伊賀びと改め伊賀むし委員会のみなさんに見向きもされなかったのはじつに悲しい話でしたが、人のアドバイスに耳を傾けようとしない委員会の態度には、と申しますかそれ以前の話として、三重県政に定着しつつある情報公開の流れを「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業にまったく反映させようとしなかった委員会の態度には、北川前知事の進めた改革なり情報公開なりが県職員それぞれに深く内面化されるにはとてもとても至っていないという嘆かわしい現実が示されていると見受けられます。県職員を「黒船襲来」と震撼させた前知事の怒濤の揺さぶりによってリニューアルされたはずの三重県庁も、表面を爪で軽くこすってやるだけでたちまち旧態依然とした意識と体質の地金が見えてくるのだということでしょう。 意識と体質の地金に微塵も変化がないからこそ、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業はお役所そのもののまったき隠蔽性のなかで計画が決定され、地域住民は事業に関する情報を共有することができず、二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会はみずから開設したオフィシャルサイトの掲示板でいっさいの質問を黙殺して怪しまず、あまつさえ掲示板は問答無用で突然閉鎖され、閉鎖に関するまともな説明すら公表されず、しかも新たに始まった「ネットで県民参画」事業では検閲が公然と行われている始末です。やっとれんな実際。 ですから少なくとも「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に関していえば、現在の三重県政は「情報公開度」も「説明責任」もともに堂々の〇点だというしかありません。とても鼻を高くなんかしていられないでしょうが三重県民のみなさん。 大丈夫か三重県。大丈夫ではないのであろうな、と案じつつあすにつづきます。 |
●6月28日(月) 三重県民のみなさん、本日も樺嶋秀吉さんの『採点! 47都道府県政』をとりあげます。きのうにつづいて三重県の記事からさらに引用をば。
と要約してしまうと簡単な話なのですが、昨年の三重県知事選挙は構図がかなりややこしく、それは上記引用中に自民党が自主投票だったとあることにも示されているのですが、そのあたりの事情はすべて省略して先に進みましょう。くわしく知りたいとおっしゃる方は Google 検索「三重県 知事 選挙 野呂 村尾 水谷」をどうぞ。 そんなこんなで昨年4月、候補者四人中三人がいわゆる北川改革の継承を謳った仁義なき跡目争いがくりひろげられ、それに勝利した野呂昭彦知事による県政がスタートしました。
「職員が改革を理解できていない」のは職員が莫迦だからではないのか、と決めつけてしまうのはいかがなものかと思われますが、仄聞するところによれば三重県職員のあいだには二期八年にわたった斬新性急な北川改革による疲弊が澱のごとく沈殿していたらしく、それが証拠に大蔵省から三重県の総務部長に出向し、北川知事の右腕として改革を推進した村尾信尚さんという方がいらっしゃるのですが(ただし、北川改革を実質的に推進したのは北川知事就任直後に地方分権行政改革総括推進室長に就任した梅田次郎さんであったとする説もあることを附記しておきましょう)、この村尾さんが何を血迷われのたか去年の知事選への立候補を一番名告りで勇躍表明なさったときにはあなた、なにしろこの人に知事に就任されたりした日には北川改革がガチガチのまんま継続されることは目に見えておりますから県職員のみなさん顔面蒼白、改革はもうたくさんだという恐慌めいた気分が県庁内に赤死病のようなひろがりを見せ、県の職労など打って一丸、走って一塁、二塁盗塁タッチアウトみたいな感じで野呂候補の支援に精魂を傾けたと伝えられます。変なの。むろん県庁のある津市から遠く隔たった人外境で聞き及んだことですから私の認識が事実そのままかどうかはわからないのですが、それにしても変なの。 いやいや、知事選のお話は省略するはずでした。とにかく三重県民のみなさん、われらが三重県職員のみなさんはのんびりまったりのほほんと公務員生活を謳歌なさるのがお好きなようです。とはいうものの、これは先月豊島区の区長さんからお聞きしたことなのですが、豊島区あたりではいまや区の職員になろうと思ったらすこぶるつきの大難関、「豊島区に入るのは立教に入るより難しいんじゃねえの」とのことでしたが、事情は三重県でも、あるいは名張市でも似たようなものだと思われます(ただし名張市の場合、お金がありませんから当分のあいだ職員は採用しないことになっておりますが)。 つまり地方自治体の職員として働きたいという当節のお若い衆は、昔みたいに公務員は安定しているから、ですとか、仕事が楽だから、ですとか、家が農家だから、ですとか全部が全部そんな理由でお役所勤めを選んでいるわけではなく、パブリックサーバントとして地域社会と地域住民のために身を挺して働きたいという信念をもった人も少なくないのではないかと想像されるのですが、そうした若い世代の姿が見えず声が聞こえぬのはいったいどうしたことでしょうか。やはり世界遺産に登録されてもおかしくないほど旧弊な意識と体質をもった上のほうの人に、少なからず存在するはずの有為のお若い衆もいつのまにか丸め込まれてしまうということなのでしょうか。 いやいや、そんなお話をしているのでもありませんでした。野呂知事が「北川カラーを払拭し始めた」というお話に進みますと、ですから私はそもそもの最初からですね、前知事によってレールが敷かれた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業を中止したうえで三重県はしょうもないイベントに税金はつかいませんと高らかに脱イベント宣言をしてみろと、それによって前知事のカラーを払拭し野呂県政の旗幟を鮮明にしてみろとさんざっぱら申しあげてきたわけなのですが、のんびりまったりのほほんを旨とする旧来のお役所社会ではそこまで矯激なことはとても実現不可能だったというわけです。 そのいい例がRDF発電所爆発事故なのですが、事故発生直後に野呂知事が前知事の責任は問わない、前知事の責任は自分の責任であるみたいなことをおっしゃいましたから私はかちんと来た。かちんと来まくった。ですから前知事を引きずり出して責任を追及せよと、なにしろあの事故では桑名の消防職員二人が命を落としておるのだ、ろくに安全性を確認せずにRDF発電推進の旗を振った国も悪いがその尻馬に乗って環境先進県だなんだかんだと恰好つけたあげくに人ふたり殺してどうするの、断じて見過ごすことはできんからそう思えと、私はこの名張人外境で声を限りに遠吠えしたわけですがむろんどうなるものでもなく、しかし三重県議会がよく踏みこらえて前知事の参考人招致にまで持ち込んだのはよかったのですが、何なんだ県議会における前知事追及のあの手ぬるさは。県議会議員にはタクティクスというものがないのか。そらもう三重県議会でっさかいにこの程度のことしかようしませんねさといわれてしまえばそれまでであるのだが、要するに莫迦なのかあいつらは。 とはいえ、あの不幸な事故を契機に三重県が「危機管理機能の向上を目指している」のは事実で、今年4月の組織改正によって地域振興部の消防防災分野が防災危機管理局として独立したのもそのあらわれでしょう。そしてこの防災危機管理局の局長に就任されたのが今年春まで伊賀県民局長をお務めだったわれらがTさん、つまり、 「Tを呼べTをッ」 でおなじみのTさんなのですが、ほんとに大丈夫なのか三重県は。 |
●6月29日(火) 樺嶋秀吉さんの『採点! 47都道府県政』をネタにご機嫌を伺うのも三日目となりました。三重県の記事の結び二段落をどうぞ。
上記引用の行間から窺い知れるのは、北川前知事によって先鋭化された三重県政の改革姿勢が急速に鈍化しつつあるという事実でしょう。公共事業費の増額やハコモノ事業の復活は、わざわざ指摘するまでもなく従来型県政への後退を物語るものにほかなりません。 むろん私は、前知事によるいわゆる北川改革を全面的に支持するものではありません。しかし三重県民のみなさん、流行とかブームとかそういった問題ではまったくなしに、県民としてはやはり県政の改革を進めてもらわなければ困るのじゃがという気はいたします。換言すれば、税金を無駄づかいしないお役所になってもらわなければ困るわけです。そのための改革という歩みが停滞するのは望ましいことではありません。三重県の改革がここへ来て停滞あるいは後退を余儀なくされているのだとすれば、それは県民にとって憂慮すべき事態であると申しあげておきましょう。 とくに「市町村などとの軋轢を解消する方向へ県政を転換している」なんてあたりが曲者で、県内の市町村なんてまだまだ改革後進地なわけですから、野呂知事には前知事のそれを批判的に継承しながら独自の改革を果敢に推し進め、そのうえでおまえらも県を見習って徹底した改革を進めなければえらいことになってしまうぞと市町村長のお尻を叩くくらいの指導力を発揮してもらいたいものだと私は思います。それをあなた、合併特例債でハコモノつくって喜んでるような莫迦も少なからず含まれているであろうそこらの市町村長あたりとべたべた馴れ合ってどうするの。 いずれにいたしましても、樺嶋秀吉さんの『採点! 47都道府県政』において三重県が鳥取県とともに総合ランキング堂々の全国一位に輝いたのは、畢竟すれば前知事の余慶以上のものではありません。あと何年かたって同様の採点が行われた場合、三重県は果たしてよくトップの座を維持していられるのでしょうか。 ではここで『採点! 47都道府県政』をさらにひもとき、三重県と並んでランキングトップの鳥取県を見てみましょう。「地方切り捨てに反撃する卓抜な改革手腕」と題された記事から片山善博知事による県政の紹介を引用する次第ですが、ちなみに私は少し前、合併特例債をつかってハコモノ建てるのは蛸が自分の足を食ってるようなものだという片山知事の談話をどこかの新聞で走り読みし、座蒲団一枚さしあげたくなったことを憶えております。
うーむ。リアルタイムの現時点において判断をいたしますならば、三重県は鳥取県の足許にも及ばない感じでしょうか。野呂知事が「新しい公」のモデルケースと位置づけていらっしゃる「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業で申しますならば、片山知事が「これからの行政には何よりも大切」と指摘していらっしゃる「情報公開と説明責任」がふたつながら決定的に欠落していることは火を見るよりも明らかで、この一事だけをとってみても三重県もう駄目ね。二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会も三重県も、ちっとは恥というものを知らなければなりません。でももう駄目ね、三重県もう駄目ね、とそこらのフィリッピーナにさえ見放されてしまいそうな塩梅ではあるのですが。 さて、大熊宏俊さんからお題を頂戴して樺嶋秀吉さんの『採点! 47都道府県政』でご機嫌を伺ってまいりましたが、あすからはまた三重県における天下御免の憲法違反、「ネットで県民参画」事業の検閲問題をとりあげたいと思います。 |
えー came_with_us@yahoo.co.jp さんとやら、ご覧いただいておりますでしょうか。こんなメールを送りつけてもらっては困ります。
眼を皿のようにして探しましたが、写真なんてどこにもついておりませんでした。写真だけ再送信していただければ助かります。 それから get_white_or_black@yahoo.co.jp のなほさんとやら、こんなメールも困ります。
基本的に女性のお尻などいくら大きくてもまったく問題はありませんし、見てくれと頼まれれば穴が開くほど拝見もいたします(いやまあ穴は最初から開いてるわけですが)。とりあえずお尻の写真をお送りいただきましょうか。 さて、三重県が日本国憲法を軽く無視して進めている「ネットで県民参画」事業の話題ですが、その前にお知らせをひとつだけ。私は27日付伝言に全国のお役所を席捲した浅薄な評価主義について記し、「このお話はまたあとで」とお約束したのですが、それがいつのことになるのかは自分でもよくわかりません。そこでお知らせなのですが、きょうあたりから伊賀地域の主要な本屋さんに並ぶはずの地域雑誌「四季どんぶらこ」第三十一号に私の腰折れ「乱歩文献打明け話」第二十八回が掲載されており、いささかながらお役所の浅薄な評価主義にも言及しておりますので、十八万伊賀地域住民のみなさんにご購読をお願い申しあげる次第です。一部税別三百五十円。 とはいえいささかといえばほんとにいささかで、浅薄な評価主義についてとても当方の意は尽くせていないのですが、「四季どんぶらこ」ではわずか六ページしか誌面をあてがわれていないのですから致し方ありません。次の発行は9月ですからそのおりにまたあらためて、とも思うのですが、9月発行の号となりますと11月1日の市町村合併による伊賀市発足を控えた時期ですから、ここはひとつ伊賀市の船出を心からなるおちょくりで祝福してさしあげなければなりません。伊賀市のみなさんどうぞお楽しみに。 それでは「ネットで県民参画」事業における検閲の話題です。私はこの事業を「知事と語ろう本音でトーク」でとりあげるつもりなのですが、トーク参加のため県の総合企画局広聴広報室に送った「事前意見送信書」には「私は「知事と語ろう本音でトーク」への出席に固執するものではありません。この事前意見送信書に記した要請を知事がお聞き届けくださるのであれば、私がトークに参加する必要はなくなります。私の要請を受け容れ、知事の権限で掲示板閉鎖の実態を明らかにしていただけるのであれば、その旨メールでお知らせいただきたいと思います」と記しておきました。しかし三重県の内務省とも呼ぶべき総合企画局からはメールを頂戴できませんでしたので、不本意ながら7月13日、名張市役所で開催される「知事と語ろう本音でトーク」に出席しなければならぬようです。 となりますと、上記「事前意見送信書」は「ネットで県民参画」の検閲制度に気がつく以前に提出したものですからここはやはり検閲に関する意見も追加で送信しておくべきかと判断され、本日はまずそれを仕上げたいと考えます。そんなこんなできょうのところはこれにて失礼。 |