ごみ大爆発の三重県と合併大分裂の伊賀七市町村がなあなあ感覚でお贈りするなんちゃってイベント
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ええよござんしょ、血税三億円かけて伊賀を必ずメジャーにしてみせますとも、と伊賀びとは誓った
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2004年は伊賀が熱いぜ
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生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001−1】
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江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集刊行事業(正)
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▼最新記事(その12)へゆく |
最終更新●
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その1 ● どうか蔵びらきがお開きになりませんように |
2003年11月12日 ▲
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おめーらなんなんだこのざまはよー。 | あーおやびんどーもしーましぇーん。 | しーましぇーんじゃねーだろばーか。 | だっておいらたちばかなんだもーん。 |
いやー、なんか三波伸介とたこ八郎がコントやってるみたいなノリで始まってしまいましたけど、みなさんお元気でいらっしゃいますか。伊賀を代表する知性と呼ばれて久しい人間豹ことサンデー先生です。
さて本日、2003年11月12日に開設いたしましたこのページは、2004年に三重県伊賀地域を中心として実施される予定の官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」のうち、不肖サンデーが提案いたしました『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)の刊行に関する情報の公開を目的としたものです。 情報は思いつくまま気の向くまま、あてもはてしもなくぼちぼち公開してまいります。どうぞよろしくおつきあいくださいますよう。ご意見ご要望ご質問もお待ちしておりますので、伊賀の蔵びらき事業掲示板へ、または不肖サンデー宛メールで、お気軽にお寄せください。 |
関連リンク集
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■まずは二〇〇四伊賀びと委員会による事業のオフィシャルサイトが生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき
■そのオフィシャルサイトにあるやや寂れ気味の掲示板(寂れてるのは誰のせいだばーか) ■ついでですから三重県伊賀県民局も行っときましょうか ■もひとつついでに三重県も ■別についででもないんですけどこの際ですからサンデー先生が住んでる名張市も ■サンデー先生がいつリストラされるかびくびくもので在籍している名張市立図書館も ■ところで小酒井不木っていったい誰よとおっしゃるあーたは奈落の井戸へ直行されたし(もぐらのあにきしーましぇーん) |
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その2 ● どうもとんだことでご無礼いたしました |
2003年11月17日 ▲
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てーへんだー。 | なにがてーへんなんだばーか。 | キャラクターとかゆーやつつかおーとおもったらしよーしょーにんとかゆーやつがいるんですぜー。 | ならしよーしょーにんしんせーすればいーだけのはなしだろーがばーか。 |
と、いまやすっかりおなじみの長音過多コンビが大騒ぎしておりますとおり、てーへんなミスを犯してしまいました。本ページに掲載した「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業イメージキャラクターの使用には二〇〇四伊賀びと委員会の承認が必要なのですが、その手続きを怠っておりました。 |
でもしょーにんとかゆーやつぜってーもれーねーみてーですぜー。 | なんでもれーねーんだばーか。 | きらわれもんはしょーにんなんかぜってーもれーねーってー。 | もれーねーならもれーねーでいーんだばーか。 |
現在、使用承認を申請中です。正式に承認が下りるまでイメージキャラクターの使用は中止いたします。 |
なんでもれーねーでもいーんですかー。 | なんでもれーねーのかじょーほーこーかいしてやりゃーちーとはせけんさまのおやくにもたとーってもんだろーがばーか。 | じょーほーこーかいってべんりなもんなんすねー。 | あたぼーよばーか。 |
不行き届きの段、関係各位に心からお詫び申しあげる次第です。 |
その3 ● 人間ポストのNさんどうもありがとう |
2003年11月18日 ▲
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昨17日朝、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業イメージキャラクターの使用届を郵送するべく名張郵便局に足を運びましたところ、駐車場でばったり二〇〇四伊賀びと委員会事務局のNさんにお会いしましたので、ポストではなくNさんの口に、ではなくて掌に使用届の入った封筒を押し込んで用を済ませることができました。
切手代九十円が浮いた計算になります。幸先いいんじゃないかしら。 使用届の内容は下記のとおりです。サンデー先生の住所と電話番号は伏せさせてね。すねに傷もつ身ですもの。 |
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あとはご承認がいただけるかどうか、わくわくしながら待ちましょう。みんなも絶対応援してね。
なんですかサンデー先生のキャラクター、どちらかといえば気持ちの悪い方向に微妙に変化してきているような気もするのですが。 |
その4 ● 使用承認書をまんまと頂戴いたしました |
2003年11月30日 ▲
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「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業イメージキャラクターの使用承認書を頂戴いたしましたので、タイトルロゴの芭蕉さんを復活させました。
承認書の内容は下記のとおりです。 |
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さて、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の情報公開、ぼちぼち進めることにいたします。 |
その5 ● またひとつ委員会ができてしまいました |
2003年12月1日 ▲
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いったいどこから情報公開に手をつけていいものか、お知らせすべきことが多くてちょっと困ってしまいますが、本日は乱歩蔵びらき事業実行委員会について。
11月28日、私は上野市四十九町にある三重県伊賀県民局四階の「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業事務局にお邪魔し、事務局への嫌がらせと情報公開に必要な調べものとを同時進行で進めてきました。 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集刊行事業を手がける乱歩蔵びらき事業実行委員会についても、事務局スタッフの名和健治さんから教えていただきました。 乱歩蔵びらき事業実行委員会は10月28日午後7時から名張市役所三〇六会議室で準備会を開催して正式に発足したとのことで、この委員会には二〇〇四伊賀びと委員会以外のメンバーも参加しているそうです。なんかややこしい。 じつは不肖サンデーも準備会に顔を出すようお誘いをいただいたのですが、「いや俺は夜には酒を飲むことにしてるから」とかなんとか訳のわからない理由ですっぽかしてしまいました。 んなこたどうでもいいのですが、乱歩蔵びらき事業実行委員会は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の企画として、次のふたつのプランを提出しています。 ■江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集(仮称)の刊行 ■江戸川乱歩展(仮称「乱歩が生きた時代展」) ついでですからこの江戸川乱歩展に関する情報公開も同時に進めることといたしますが、つづきはまた次回。 |
その6 ● 事業計画書を二通こっそり公開しました |
2003年12月2日 ▲
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ではここで、乱歩蔵びらき事業実行委員会がまとめたふたつのプランの事業計画書を公開いたします。同委員会代表の的場敏訓さんから、公開に関するご承諾は頂戴しております。 |
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これはあくまでも現時点における計画書です。書簡集刊行の企画を持ち込んだ不肖サンデーといたしましては、この計画にはいささか修正を加えてやらねばいかんな、という感じです。
正式な手順としてはこのあと、年末から来年3月にかけて開かれる事業推進委員会と三重県および伊賀七市町村の定例会で「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の計画と予算が承認され、事業実施年度に入った来年4月1日以降、乱歩蔵びらき事業実行委員会が「企画シート」と呼ばれる様式の計画書を作成して二〇〇四伊賀びと委員会に提出、それでようやくゴーサインが出されるとのことです。 実際にはお役所特有のなあなあ感覚ですべての事業準備が進められており、たとえば事業実施計画案さえ発表されていない段階でうっかりパンフレットを配布して事業の紹介を始めてしまうあたりにこの事業のいい加減さが歴然と示されているのですが、さすがに正式なゴーサインが出るのは来年4月1日になるものと見えます。 お次はもうひとつの事業計画書。 |
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不肖サンデーこのプランにはノータッチなのですが、そうか、わざわざご紹介いただいたうえに乱歩連続講座の講師を務めて十万円が濡れ手で粟か。あまりにも恥ずかしいのでプランを練り直してもらうことにいたします。 |
その7 ● 新年を迎えて過去を振り返ってみました |
2004年1月27日 ▲
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更新が途絶えているあいだに2004年がスタートしてしまいました。
「その6」に「あまりにも恥ずかしいのでプランを練り直してもらうことにいたします」と記した乱歩連続講座は、おかげさまでなかったことにしていただきました。 本日は2002年から現在まで、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業と『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)ならびに不肖サンデーとの凄絶な三角関係を振り返ってみることにします。 名づけて── |
生誕三百六十年の芭蕉さんと生誕百十年の乱歩さんと生誕百十四年の不木さんは
いったいどこへ行く? とにかくこれまでの足跡をたどってみることにしました |
まるでふざけてるみたいなタイトルです。 |
2002年1月
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■9日、三重県と伊賀地域七市町村が官民合同で実施する「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の基本構想が発表されました。
■不肖サンデー、うっかりしていてそんなことはまったく知りませんでした。 |
基本構想 (二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイト) |
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2002年3月
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■24日、大阪に赴き、探偵講談の復興を志す若き講談師旭堂南湖さんの勉強会を初めて拝見。演目は乱歩の「魔術師」で、上演に際しては著作権者でいらっしゃる平井隆太郎先生の格別のご高配をたまわりました。
■25日、立教大学への移管を3月末に控えた池袋の乱歩邸へ名張市教育委員会の教育長、教育次長、名張市立図書館長とともにお邪魔し、移管後もひきつづきご高誼をたまわるよう平井先生にお願いしました。 ■大阪から急遽駈けつけてくれた南湖さんは、平井先生の前で「魔術師」の口演を気持ちだけ。南湖さんによるこの年10月の名張公演は内定していたのですが、不肖サンデーついふらふらと、ついでだから乱歩のお膝元豊島区の協力をとりつけて、名張公演のあとで東京公演もやろうかなと決意しました。 |
人外境主人伝言 | |
2002年4月
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■1日、千葉県の成田山書道美術館で「わたしからあなたへ−書簡を中心に−」展が開幕しました。会期は5月26日まで。小酒井不木に宛てた乱歩の書簡が展示されていることが、3月30日付読売新聞と4月2日付毎日新聞(いずれも東京本社発行)で報じられました。
■某日、成田山書道美術館に電話して、学芸員の高橋利郎さんからお話をうかがいました。乱歩書簡は全部で三十通、さる古書業者の方がご所蔵とのことで、その古書業者の方に電話でお訊きしたところ、価格はなんと一千万円、購入者はすでに決定していました。 ■7日、名張市長選挙が行われ、現職を破って前県議会議員が当選しました。 ■11日、上野市の財団法人前田教育会に電話を入れ、この年秋の探偵講談東京公演のあとで探偵講談伊賀上野凱旋公演を主催していただくようお願いしました。内々ながらご快諾を頂戴し、これで東京公演が実現できなかったらどうなることかと思いました。 ■27日、毎度おなじみ池袋の蔵之助で不木宛乱歩書簡一千万円記念大宴会。二次会はカラオケ。不肖サンデーへろへろでした。 ■28日、二日酔いの状態で成田山書道美術館を訪れ、高橋さんのご高配をたまわって不木宛乱歩書簡の写真撮影を行いました。一行は総勢十五人、撮影は本多正一さん、撮影助手は阿部崇さんと玉川知花さんにお願いしました。 ■乱歩書簡三十通の内訳は、封書二十八点、絵葉書二点。 |
人外境主人伝言
奈落雑記 |
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2002年5月
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■某日、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進協議会が発足し、会長には上野市長が就任しました。
■不肖サンデー、うっかりしていてそんなことはまったく知りませんでした。 |
人外境主人伝言 | |
2002年6月
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■3日、この日を最後に名張人外境の更新ができなくなりました。原因はパソコンの不調であることがのちに判明しました。掲示板「人外境だより」によしなしごとを投稿するだけの生活が始まりました。
■4日、名張市が伊賀地区市町村合併問題協議会に参加しました。同協議会は伊賀地域七市町村の合併を推進するため2001年2月に結成されましたが、名張市は加わっておらず、4月に就任した名張市長が参加を決定したことでようやく七市町村が話し合う態勢が整いました。 |
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2002年7月
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■27日、伊賀びとのおもい実現委員会主催による旭堂南湖さんの「探偵講談、乱歩を読む。」幻影忌公演が名張市の北村酒造で催されました。「伊賀びと Web 歳時記」開設記念事業でした。
■10月の本番に先がけて芦辺拓さん作の新作講談「江戸川乱歩一代記 乱歩と神田伯龍」が初演され、会場では芦辺さんにもご挨拶いただきました。 ■乱歩の命日にちなんで探偵講談の前景気を盛りあげようか、と不肖サンデー気まぐれに思いついた企画でしたが、三重県伊賀県民局職員三人に諸事万端を切り盛りしていただき、一連の探偵講談プロジェクトは上々の滑り出しとなりました。 |
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2002年8月
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■某日(東京で2002年の最高気温が記録された日であったかと記憶します)、名張市長、名張市秘書課職員、名張市立図書館長とともに豊島区役所を訪問し、探偵講談東京公演への協力を要請しました。
■不肖サンデーこの年秋に豊島区が区制施行七十周年を記念した乱歩展を開催すると蛇の道は蛇で聞き及んでおりましたので、探偵講談もその乱歩展の一環として実現できればと目論んでいたのですが、この日お聞きしたところによると乱歩展開催は2003年に入ってからとのこと。はかばかしい手応えを得ることなく、それでもよろしくご検討をとお願いして豊島区役所をあとにしました。 ■つづいてすでに立教大学の所管となっていた旧乱歩邸にお邪魔し、大掃除の最中みたいなたたずまいの応接間で平井隆太郎先生と令息憲太郎さんにご挨拶申しあげました。 ■4月に撮影した不木宛乱歩書簡の写真は全点お送りしてありましたので、不肖サンデーここぞとばかり、その書簡と乱歩が製本した不木の書簡とで一巻を編み、名張市から乱歩不木往復書簡集を刊行したいのですがとお願いしましたところ、その場でご快諾を頂戴できました。 ■ついでですから夏休み中の立教大学にも立ち寄ってみたところ、立教学院の応接室に通していただき、思いがけず総長先生にご挨拶申しあげることができました。 ■某日、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」を企画運営する官民合同組織として二〇〇四伊賀びと委員会が発足しました。 ■不肖サンデー、うっかりしていてそんなことはまったく知りませんでした。 |
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2002年9月
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■18日、名張市が財政非常事態宣言を発表。市財政の硬直化がきわめて深刻な局面を迎えていることが初めて公表され、2003年度から二年間は原則として新規事業に着手しないことなどを盛り込んだ財政健全化緊急対策が打ち出されました。
■21日、この日発行の「四季どんぶらこ」第二十四号に掲載された「乱歩文献打明け話」第二十二回で、不肖サンデー市町村合併をおちょくってやりました。 |
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2002年秋
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■「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の噂を耳にするようになりました。たぶんいわゆるばらまきだろうな、税金の無駄づかいに終わるだろうな、と不肖サンデー思いました。 ■しかし、とも不肖サンデー思いました。この事業の予算で乱歩と不木の往復書簡集を刊行してはどうであろうか。 ■理由はふたつ。ひとつは名張市の財政硬直化です。名張市が財政非常事態を迎えている一方で三重県が税金を三億も無駄づかいするというのだから、ここはひとつ三億のうちから乱歩と不木の書簡集に予算をふんだくるのも一案ではないか。名張市民の負担がごくわずかでも少なくなるわけだし。 ■もうひとつの理由は市町村合併です。伊賀地域がひとつの市になろうかという協議が進行中で、いずれ伊賀全体で乱歩関連事業を手がける日が訪れる可能性も少なからずありましたから、その予行として「伊賀びと」とやらに乱歩の事業をやってもらうのもいいではないか。 ■不肖サンデーが探偵講談伊賀上野凱旋公演を企画したのも似たような趣旨からで、名張ではなく伊賀全体で乱歩のことを、という態勢への道を開く狙いがありました。狙っただけの話ですけど。 ■某日(江戸川乱歩賞授賞式の日であったかと記憶します)、名張市地域振興課職員、名張市立図書館長とともに豊島区役所を訪れ、協力を再度要請しました。 ■豊島区の乱歩展とは完全に切り離し、日程も11月2日に限定したうえで、名張市が主催する探偵講談東京公演の会場確保をお願いしたところ、なんとかお聞き届けいただけることになりました。よかったよかった。 |
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2002年10月
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■13日、名張市と名張市教育委員会が主催する江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業「乱歩再臨」の第二弾として、旭堂南湖さんの「探偵講談、乱歩を読む。」が名張市総合福祉センターふれあいホールで催されました。
■13日夜には乱歩ゆかりの料亭清風亭で江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念大宴会。東京神奈川大阪兵庫愛媛その他から約三十人の方にご参加いただき、歴史に残る名宴会となりました。 |
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2002年11月
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■2日、名張市、名張市教育委員会、豊島区の主催による「探偵講談、乱歩を読む。」池袋公演が豊島区民センター文化ホールで催されました。
■2日夜には毎度おなじみ池袋の蔵之助で「探偵講談、乱歩を読む。」池袋公演記念大宴会。瞬間最大参加者数七十人超を記録し、これもまた歴史に残る大宴会となりました。 |
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2002年12月
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■7日、前田教育会主催の「探偵講談、乱歩を読む。」伊賀上野凱旋公演が前田教育会館蕉門ホールで催されました。同会館の開館十周年記念事業。旭堂南湖さんに上野出身の政治家川崎克を描いた新作「川崎克と江戸川乱歩」を披露していただきました。
■7日夜には上野市の金谷で「探偵講談、乱歩を読む。」伊賀上野凱旋公演記念大宴会。南湖さんはじめ関係者数人で伊賀牛を堪能しました。 ■以上、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業とは何の関係もない一連の探偵講談プロジェクトについて記したのはほかでもありません、同事業関係各位に多少なりとも参考にしていただける点があるのではないかと愚考したからです。あまりお役には立ちませんか。 ■10日、二〇〇四伊賀びと委員会が「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の事業企画案を発表し、地域住民から事業プランの募集を始めました。 ■いつのことであったか仔細は記憶していないのですが、二〇〇四伊賀びと委員会の乱歩関連事業スタッフから声をかけていただいた不肖サンデー、『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行事業を進めていただくようお願いし、参考資料として不木宛乱歩書簡の写真数点とちくま文庫の怪奇探偵小説名作選1『小酒井不木集 恋愛曲線』(日下三蔵編)を提供しました。 ■下旬某日、成田山書道美術館学芸員の高橋利郎さんからお電話をいただき、書簡集刊行にあたって不木宛乱歩書簡所蔵者の方から全面的なご協力を頂戴できる旨お知らせいただきました。 |
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2003年1月
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■29日、池袋の西武ギャラリーで豊島区制施行七十周年記念事業「江戸川乱歩展──蔵の中の幻影城」が開幕しました。会期は2月9日まで。豊島区長などで組織する実行委員会が主催し、共催は日本推理作家協会。名張市は探偵講談池袋公演が縁となって、畏れ多くも後援を仰せつかりました。 | ||
2003年2月
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■1日、乱歩原作映画特集を7日まで上映中だった池袋の新文芸坐で平井憲太郎さんのトークショー「乱歩を語る」が開かれました。会場は立錐の余地なき超満員でしたので、不肖サンデー新文芸坐の事務所に入れてもらってモニターでトークを拝見。
■トークを終えた憲太郎さんにお目にかかり、二〇〇四伊賀びと委員会の乱歩関連事業スタッフ二人をはじめ関係者のみなさんと喫茶店へ。乱歩と不木の書簡集を「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の予算で刊行することのご承諾をいただきました。 ■1日夜には江戸川乱歩展記念大宴会。毎度おなじみ池袋の蔵之助が満員だったので同じビルにある嵯峨という店に会場を変更し、例によって大盛りあがりしました。 ■9日、名張市で「名張市が上野市、伊賀町、島ヶ原村、阿山町、大山田村及び青山町と合併することの可否に関する市民投票」が行われ、合併反対が多数を占めました。 ■25日、上野市のゆめぽりすセンターで伊賀地区市町村合併問題協議会が開かれ、名張市は合併協議からの離脱を表明しました。 ■28日、二〇〇四伊賀びと委員会による事業プランの募集が締め切られました。プランは合計三百十七。内訳は、委員会企画三十八、公募企画百六十八、市町村・県企画百十一。 ■『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行事業も委員会企画として提案されました。 |
市民投票開票結果 (名張市オフィシャルサイト) |
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2003年3月
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■21日、この日発行の「四季どんぶらこ」に掲載された「乱歩文献打明け話」第二十四回で、不肖サンデー市町村合併をおちょくってやりました。ついでに「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の批判開始を予告してやりました。
■31日、公募プランも含めた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業実施計画案が発表される予定でしたが、発表されませんでした。 ■31日、名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』が刊行される予定でしたが、刊行されませんでした。 ■とうに書きあがっていた同書解題「ふるさと発見五十年」には、不肖サンデー全国で進行している市町村合併への倦厭をそれとなく忍ばせておきました。 |
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2003年4月
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■1日、伊賀地区市町村合併協議会が設立されましたが、名張市は加わりませんでした。
■8日、新調したパソコンで名張人外境の更新を再開しました。 ■この日以前に、乱歩と不木の書簡集を「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の予算で刊行するプロジェクトは「パブロフの犬作戦」と名づけられていました。命名の理由は不肖サンデーにもよくわかりません。 ■同じくこの日以前に、本多正一さんのお口添えで東京の皓星社から『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行に関する協力の申し出をいただきました。 ■それなら皓星社から出してもらおう、と不肖サンデー即断しました。書簡集の編集から販売までを二〇〇四伊賀びと委員会が直接担当することにはかなりの困難が伴うから、素人の手に余ることはみんな皓星社にやってもらい、こちらは発行主体となってできあがった書簡集をごっそり買い取ることにすればいいのだ。 ■13日、任期満了に伴う三重県知事選挙が行われ、二期八年で引退する知事の後任に前松阪市長が当選しました。 |
人外境主人伝言 | |
2003年5月
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■31日、予定を二か月過ぎても「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業実施計画案は発表されませんでした。 | 人外境主人伝言 | |
2003年6月
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■21日、この日発行された「四季どんぶらこ」第二十七号掲載の「乱歩文献打明け話」第二十五回で、不肖サンデー「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業をおちょくってやりました。
■同じく21日、「四季どんぶらこ」第二十七号を三重県伊賀県民局長にお送りしてご挨拶申しあげました。 ■下旬某日、地域住民から寄せられた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業プランの採否が決定し、提案者に郵便で通知されました。 ■『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行事業には五百五十万円の予算が内示されました。 |
人外境主人伝言 | |
2003年7月
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■19日、東京古書会館で「乱歩が蒐めた書物展──江戸川乱歩蔵書より」を眺めたあと、毎度おなじみ池袋の蔵之助で「乱歩が蒐めた書物展」開催記念大宴会。
■大宴会には『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)関係者にもお集まりいただき、次のみなさんにお力添えをたまわるようお願いしました(敬称略)。 ■□□□□□監修・解題 浜田雄介 ■大宴会のあと皓星社の社長さんに連れて行っていただいた新宿は花園神社横のスナック凛凛において、不肖サンデー四十六歳子持ちバツイチのお姉さんに振られてしまいました。どうってことないやい。 ■31日、三重県上野庁舎で「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会の設立総会が開かれ、会長には知事が就任しました。 ■不肖サンデー、無茶苦茶な話ではないかと思いました。こんな委員会が幅を利かせた日には二〇〇四伊賀びと委員会の自立性や主体性はいったいどうなってしまうのか。 ■しかし当の二〇〇四伊賀びと委員会は自立性や主体性の危機なんてことには考えも及ばないのであろう。よしよし、俺がものの道理というものを教えてやろう。 ■かくて伊賀の地に三重県への叛旗が敢然と翻ることになりました。 |
人外境主人伝言 | |
2003年8月
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■4日、「四季どんぶらこ」第二十七号を三重県知事にお送りしてご挨拶申しあげました。
■下旬某日、二〇〇四伊賀びと委員会は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業を紹介するパンフレット二万部を作製、配付を開始しました。 ■不肖サンデー、無茶苦茶な話ではないかと思いました。3月末に発表されるはずだった事業実施計画案も公表できていないくせに、いまごろから何が事業紹介のパンフレットだ。 ■しかし当の二〇〇四伊賀びと委員会はこうした場合の手続きの基本すらよく理解できていないのであろう。よしよし、俺がものの道理というものを教えてやろう。 ■かくて伊賀の地の叛旗はいよいよ翩翻と翻り始めました。 |
人外境主人伝言 | |
2003年9月
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■1日、不肖サンデーは伊賀県民局や県庁知事室などに本格的なメール攻勢を開始、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の不審な点についてしつこく質問を重ねたのですが、遺憾ながら明快な回答はいただけませんでした。
■8日、二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトがリニューアルオープン。名張人外境もリンクに加えていただきました。 |
人外境主人伝言 | |
2003年10月
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■20日、二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトに掲示板が開設され、不肖サンデーこの掲示板なら事業関係者の回答がいただけるかと喜び勇んで投稿を試みましたが、とんだ見込み違いであることが判明しました。
■27日、二〇〇四伊賀びと委員会が「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業実施計画案を発表しました。 ■事業総数は百三十三となりました。 ■28日、『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行と江戸川乱歩展(仮称「乱歩が生きた時代展」)を手がける「乱歩蔵びらき事業実行委員会」が名張市役所で準備会を開催、正式に発足しました。 |
人外境主人伝言
事業実施計画案 |
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2003年11月
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■8日、上野ふれあいプラザで二〇〇四伊賀びと委員会主催の伊賀学講座が催され、不肖サンデーふつつかながら「江戸川乱歩と情報発信」をテーマに講師を相務めました。
■10日、不肖サンデー伊賀の蔵びらき掲示板で「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会の会長に立候補することを表明しました。 ■公約として「二〇〇四伊賀びと委員会の自立性と主体性を回復しましょう」「官民合同事業『生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき』を地域住民の手に取り戻しましょう」の二点を掲げました。 ■12日、『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行事業の公開性を高めるため名張人外境にこの「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001】」のページを新設しました。 ■21日、この日発行された「四季どんぶらこ」第二十八・二十九合併号掲載の「乱歩文献打明け話」第二十六回で、不肖サンデー「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業をおちょくってやりました。 ■28日、三重県上野庁舎四階にある「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業事務局に初めてお邪魔し、不肖サンデーたっぷり嫌がらせをしてきてやりました。 |
人外境主人伝言 | |
2003年12月
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■3日、名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』がようやく完成し、関係各位への発送を開始。9日には販売も始めました。買ってね。
■5日、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業関係者が非公式に県庁知事室を訪問し、事業の運営や組織に関する不満憤懣を知事に直接ぶちまけるという波乱が起きました。 ■10日、負けてはならじと不肖サンデー、知事にお会いして事業推進委員会の会長交代をお願いするべく県庁知事室へのメールで知事との面談を要請したのですが、三重県のあすを憂える一県民の真摯な願いは完全に黙殺されてしまい、会長就任の野望は果たすことができませんでした。 ■25日、三重県上野庁舎で「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会が開かれ、事業の計画案と要求額案が承認されました。 ■三重県と伊賀七市町村への要求額は総額三億三千百七十二万八千円になりました。 ■委員会の傍聴に訪れた不肖サンデー、知事に一本取られてしまいました。「雑音」という称号もたまわってしまいました。とほほほほ。 |
人外境主人伝言 | |
2004年1月
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■さらに戦いはつづきます。 | 人外境主人伝言 |
その8 ● 乱歩不木往復書簡の全容を大公開します |
2004年1月30日 ▲
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「その7」の2003年10月に「乱歩蔵びらき事業実行委員会」の発足を追記しました。忘れておってすまなんだ。
1月24日、愛知県海部郡の蟹江町歴史民俗資料館で特別展示「小酒井不木の世界」が開幕しました。会期は2月22日まで。最終日には不木研究サイト「奈落の井戸」を主宰する阿部崇さんの講演が行われます。詳細は番犬情報でどうぞ。 さて不肖サンデー、蟹江町歴史民俗資料館から特別展の配付資料「小酒井不木の世界」をご恵贈いただきましたので、さっそくひもといてみましたところ、展示品を列記した「特別展資料目録」に『小酒井不木から江戸川乱歩への書簡集(計118通)』が記載されているのを発見しました。 この書簡集こそ乱歩が不木からの手紙を年月順に整理製本して一巻としたもので、製本日は昭和13年7月30日、所有者は平井隆太郎先生。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業で刊行される『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)には、この不木書簡がすべて収録されることになります。 目録には書簡全点の日付と個々の書面のごく簡略な紹介が記されており、眺めているだけで興趣は尽きないのですが、こうしたデータが公開されるのは本邦初のことだと思われます。 そこで不肖サンデー、乱歩不木往復書簡の日付に基づいてこんな表をつくってみました。 |
江戸川乱歩小酒井不木往復書簡一覧表(わかってるものだけ)
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▼江戸川乱歩の書簡
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小酒井不木の書簡▼ | ||
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大正12年
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1日*1 22日*1
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7月
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3日*2 | |
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大正13年
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26日
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11月
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25日*2 27日 | |
5日 29日
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12月
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?
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日付不明 | ||
大正14年
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24日
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1月
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7日 26日 | |
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2月
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12日*3 14日 24日 | |
20日
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3月
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2日 12日 14日 14日 17日 23日 | |
9日 24日
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4月
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11日 13日 14日 26日 | |
11日 18日
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5月
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10日 14日 17日 19日 24日 29日 | |
15日 19日
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6月
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12日 17日*2 18日 | |
7日 16日 25日
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7月
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8日 17日*2 19日 20日 26日 31日 | |
2日 5日 9日 21日 26日
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8月
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3日 6日 10日 17日 22日*2 27日 31日 | |
5日
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9月
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6日 7日 13日 23日 24日 25日*2 26日 | |
25日
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10月
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4日 20日 21日 25日 27日 | |
2日 18日
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11月
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8日 13日 28日 | |
17日 29日
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12月
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4日 6日 6日 19日*2 21日 | |
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大正15年
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1月
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10日 24日 | |
25日
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2月
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24日 27日 | |
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3月
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30日*2 | |
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6月
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11日 | |
8月
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13日 | ||
9月
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15日 16日 27日 | ||
10月
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4日 | ||
昭和2年
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19日
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1月
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2月
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18日*2 20日*2 | ||
24日*4 27日
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3月
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25日 28日 | |
5月
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26日 | ||
8日
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6月
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29日 | |
8月
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20日 | ||
11月
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2日*2 10日 | ||
12月
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8日 14日 24日 25日 30日 | ||
昭和3年
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1月
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2日 3日*2 19日 23日 | ||
2月
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1日 15日 19日 20日 20日 23日 24日 | ||
3月
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11日 30日 | ||
4月
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11日 | ||
5月
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16日 | ||
6月
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16日 20日 21日 | ||
7月
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3日 11日 14日 | ||
8月
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2日 22日 | ||
10月
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2日 | ||
11月
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4日 7日 9日 17日 20日 30日*2 | ||
12月
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6日 28日 | ||
昭和4年
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1月
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2日 16日 | ||
3月
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30日 | ||
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圧倒的に不木が筆まめと見えますが、「わかってるものだけ」と注記しましたとおり、世に隠れている不木宛乱歩書簡が相当数存在しているものと思われます。
ただまあなにしろ往復書簡なんですから、不木書簡を読めば乱歩書簡の内容がそこはかとなく推測できる場合もあるでしょう。先述のとおり、不木書簡も全点を収録する予定です。 なお、特別展配付資料「小酒井不木の世界」の「書簡編」には、不木逝去からまもない昭和4年4月24日付の不木未亡人宛乱歩書簡が収められており、乱歩不木往復書簡集の掉尾を飾るにふさわしい一通。この書簡をどなたがご所蔵なのか現時点では不明なのですが、所有者のご協力をいただいて収録するよう努めたいと思います。 |
その9 ● 秋に書簡集刊行と報道してもらいました |
2004年2月3日 ▲
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1月30日発行の朝日新聞夕刊(名古屋本社版)に「“不健全派”不木に光」という宮崎陽介記者の記事が掲載されました。上の画像がそれ。クリックすると大きな画像をご覧いただけます。
蟹江町歴史民俗資料館の「小酒井不木の世界」展を中心に不木再評価の機運をまとめた内容ですが、見出しにも「秋に乱歩との書簡集刊行」とあるとおり、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行事業も紹介していただきました。 よーしッ。 |
その10 ● 蔵びらき掲示板がお蔵入りになりました |
2004年2月16日 ▲
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2月13日早朝、二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトの掲示板が閉鎖され、過去ログもすべて非公開となっていることが判明しました。
何なんだこの悪あがきは、と舌打ちしながら不肖サンデー、上記掲示板から「人外境主人伝言」に転載してあった投稿を一本にまとめて「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」というページを新設しましたところ、掲示板「人外境だより」で「奈落の井戸」のもぐらもちさんから下記のアドバイスを頂戴しました。
上記転載ではリンクが切れておりますが、検索エンジン「Google」で「site:www.iga2004.jp 伊賀の蔵びらき 管理人」を検索してみると、なるほど過去ログのキャッシュがひっかかってきます。 そこで不肖サンデー、上記キャッシュから自分のもの以外の投稿をかき集め(もちろんすべての投稿を拾えたわけではありませんが)、「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」を増補しましたのが本日のこと。 小西昌幸さんと伊藤和孝さんには転載許可をお願いしたのですが、ほかの投稿者の方の許可はいただいておらず(小西さんと伊藤さん以外は全員いわゆるハンドルネームですし、あの掲示板にはメールアドレスが表示されないという事情もあるのですが)、つまりは著作権を完全に無視した所業に及んだ次第です。 てやんでえべらぼうめ。こちとらちゃきちゃきの確信犯だいッ。 あのオフィシャルサイトに掲示板の過去ログがふたたび掲載されるまで、公開性ってやつの大切さが二〇〇四伊賀びと委員会にわかるまで、あたい確信犯やめないわ、と申しあげておきましょう。いつもプカプカプカ。 ついでですから、「人外境だより」にお寄せいただいた伊賀の蔵びらき掲示板の閉鎖に関する投稿をここに保存しておきます。二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんは心してドゥビドゥビドゥビ。
さらについでに不肖サンデーの投稿も。
プカプカやドゥビドゥビのほか、名曲「プカプカ」にはトランプスタスタスタって歌詞もありましたっけ。うちの犬はスタ公なわけなんですが。 ワン公スタスタスタ。 なんか口癖になりそうで。 |
その11 ● 書簡集刊行準備が超快調に進んでいます |
2004年2月24日 ▲
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2月22日、「その8」でお知らせした蟹江町歴史民俗資料館の特別展示「小酒井不木の世界」に行ってまいりました。この日の講演会で講師を務められた阿部崇さんをはじめ、「その7」の「2003年7月」でご紹介申しあげた往復書簡集編纂スタッフのうち次のみなさんにお会いすることもできました。
□□□□□□監修・解題□浜田雄介 いずれも浜田さんがおかしらをお務めの『新青年』研究会メンバーでいらっしゃるのですが、同研究会は近く開かれる例会を乱歩不木往復書簡集に関する打ち合わせに充ててくださるそうです。 それから驚いたことに、乱歩が製本した『小酒井不木より江戸川乱歩への書簡』の複写資料(平成7年12月19日撮影のマイクロフィルム)を起こして入力する作業も蟹江町歴史民俗資料館の手で済ませていただいてあり、A4サイズの用紙四十二枚にわたってプリントアウトされたものを一組、濡れ手で粟で頂戴しました。ありがたやありがたや。 『新青年』研究会の例会では年表や脚注についても詰めていただけるそうですから、書簡集刊行準備は不肖サンデーが気を揉んでいたよりはるかに順調に進行しつつあるわけで、そのことを喜びとともにここにご報告申しあげる次第です。よかったよかった。 「小酒井不木の世界」会場にはこれこのとおり、往復書簡の掉尾を飾る昭和4年4月24日付不木未亡人宛乱歩書簡も展示されていました。クリックすればどーんと拡大。 この写真は蟹江町歴史民俗資料館のお許しをいただいて撮影したものですが、ついでですからもう何点か掲載しておきましょうか。 1 会場では不木の写真がお出迎え |
その12 ● 東京であれこれと打ち合わせてきました |
2004年3月9日 ▲
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3月6日、東京で『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)の打ち合わせを済ませてきました。パブロフの犬作戦が発動して以来、関係者が全員素面で打ち合わせをしたのはこれが初めてのことです。以下、関係各位に電子メールでお送りした報告を転載いたします。
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おはようございます。お世話さまです。お元気のことと存じます。
3月6日午後、『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』に関する打ち合わせを行いました。その概要を報告します。 浜田さんからお送りいただいたご報告を補足し、当方の思いつきも一部まじえた体のものですが、この報告は百八十万三重県民に対する説明責任を果たすべく当方のサイトにも掲載いたしますので(アドレス下記。サイト掲載分のほうが読みやすいと思います)、よろしくご了承ください。 http://www.e-net.or.jp/user/stako/kurabiraki1.html#anchorkura12 ■会場 ■出席者 まず、浜田さんのご報告にあるとおり「読者層としては研究者や愛好家を中心に据え、若干高価になってもきちんとした作りにする」ことを確認しました。発行者は二〇〇四伊賀びと委員会(あるいはその関連組織)ですが、編集や流通などの実務はすべて皓星社が担当、二〇〇四伊賀びと委員会は予算(予算総額五百五十万円から必要な経費を差し引いた額)に応じて往復書簡集を買い取り、献呈分などに充てることになります。献呈の発送作業も皓星社に丸投げします。 ■体裁 ■影印版
ざっと以上のようなことでした。 当面の作業としては、皓星社に往復書簡のテキストデータを送り、DTPソフトで翻字・解説版を全ページ試作してもらうことになります(脚注のスペースは空白)。 次回の打ち合わせは、4月24日午後5時30分から豊島区民センター第一会議室で開かれる『新青年』研究会の例会で。 以下、打ち合わせ以後の動きです。 ■書簡のスキャンについて 『小酒井不木より江戸川乱歩への書簡』はいまも平井家の所蔵で、立教大学に預けてあるとのことでした。紙資料修復工房の連絡先は東京創元社に問い合わせればわかるはずなのですが、そのあたり本多さんにお願いしてよろしいでしょうか。 乱歩書簡のスキャンに関しては、成田山書道美術館学芸員の高橋利郎さんを通じて、栃木だか群馬だか北関東にお住まいの書簡所蔵者の方にお願いすることになります。この折衝は当方でいたしますが、スキャン作業は所蔵者のもとを訪れて行うことになるかもしれません。 いずれにせよ、スキャナとノートパソコンを用意してスキャン作業を行う必要があるわけですが、そのあたりの実務は皓星社サイドが主体となって進めていただけるのかどうか。いかがでしょうか佐藤さん。 それから、次回の打ち合わせで書簡集の正式なタイトルを決定したいと思いますので、それぞれ腹案を持ち寄っていただければ幸甚です。 |
生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001−1】
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開設日
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2003年11月12日 | |
開設者
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中 相作 NAKA Shosaku | |
御意見無用
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名張人外境 | |
E-Mail
|
stako@e-net.or.jp |