ごみ大爆発の三重県と合併大分裂の伊賀七市町村がなあなあ感覚でお贈りするなんちゃってイベント
ええよござんしょ、血税三億円かけて伊賀を必ずメジャーにしてみせますとも、と伊賀びとは誓った
2004年は伊賀が熱いぜ
生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001−1】
江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集刊行事業(正)
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最終更新2004年 5月 16日 (日)
その1 ● どうか蔵びらきがお開きになりませんように
2003年11月12日 
おめーらなんなんだこのざまはよー。 あーおやびんどーもしーましぇーん。 しーましぇーんじゃねーだろばーか。 だっておいらたちばかなんだもーん。
いやー、なんか三波伸介とたこ八郎がコントやってるみたいなノリで始まってしまいましたけど、みなさんお元気でいらっしゃいますか。伊賀を代表する知性と呼ばれて久しい人間豹ことサンデー先生です。

さて本日、2003年11月12日に開設いたしましたこのページは、2004年に三重県伊賀地域を中心として実施される予定の官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」のうち、不肖サンデーが提案いたしました『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)の刊行に関する情報の公開を目的としたものです。

情報は思いつくまま気の向くまま、あてもはてしもなくぼちぼち公開してまいります。どうぞよろしくおつきあいくださいますよう。ご意見ご要望ご質問もお待ちしておりますので、伊賀の蔵びらき事業掲示板へ、または不肖サンデー宛メールで、お気軽にお寄せください。

関連リンク集
まずは二〇〇四伊賀びと委員会による事業のオフィシャルサイトが生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき

そのオフィシャルサイトにあるやや寂れ気味の掲示板(寂れてるのは誰のせいだばーか)

ついでですから三重県伊賀県民局も行っときましょうか

もひとつついでに三重県

別についででもないんですけどこの際ですからサンデー先生が住んでる名張市

サンデー先生がいつリストラされるかびくびくもので在籍している名張市立図書館

ところで小酒井不木っていったい誰よとおっしゃるあーたは奈落の井戸へ直行されたし(もぐらのあにきしーましぇーん)

その2 ● どうもとんだことでご無礼いたしました
2003年11月17日 
てーへんだー。 なにがてーへんなんだばーか。 キャラクターとかゆーやつつかおーとおもったらしよーしょーにんとかゆーやつがいるんですぜー。 ならしよーしょーにんしんせーすればいーだけのはなしだろーがばーか。
と、いまやすっかりおなじみの長音過多コンビが大騒ぎしておりますとおり、てーへんなミスを犯してしまいました。本ページに掲載した「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業イメージキャラクターの使用には二〇〇四伊賀びと委員会の承認が必要なのですが、その手続きを怠っておりました。
でもしょーにんとかゆーやつぜってーもれーねーみてーですぜー。 なんでもれーねーんだばーか。 きらわれもんはしょーにんなんかぜってーもれーねーってー。 もれーねーならもれーねーでいーんだばーか。
現在、使用承認を申請中です。正式に承認が下りるまでイメージキャラクターの使用は中止いたします。
なんでもれーねーでもいーんですかー。 なんでもれーねーのかじょーほーこーかいしてやりゃーちーとはせけんさまのおやくにもたとーってもんだろーがばーか。 じょーほーこーかいってべんりなもんなんすねー。 あたぼーよばーか。
不行き届きの段、関係各位に心からお詫び申しあげる次第です。
その3 ● 人間ポストのNさんどうもありがとう
2003年11月18日 
昨17日朝、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業イメージキャラクターの使用届を郵送するべく名張郵便局に足を運びましたところ、駐車場でばったり二〇〇四伊賀びと委員会事務局のNさんにお会いしましたので、ポストではなくNさんの口に、ではなくて掌に使用届の入った封筒を押し込んで用を済ませることができました。

切手代九十円が浮いた計算になります。幸先いいんじゃないかしら。

使用届の内容は下記のとおりです。サンデー先生の住所と電話番号は伏せさせてね。すねに傷もつ身ですもの。

(第3号様式)

平成15年11月17日

2004伊賀びと委員会 会長 辻村勝則 様

(申請者)住 所  三重県名張市○○○○○△△△番地
氏 名  中 相作            

「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」
事業イメージキャラクター使用届

下記のとおりイメージキャラクターを使用したいので届け出ます。

1 使用目的 事業の情報公開とPR
2 使用方法 蔵びらき事業のなかの「江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集刊行事業」を紹介するHTML文書を作成し、タイトルロゴとして使用する。
3 使用期間 平成15年11月12日 〜 平成17年12月31日
(使用期間終了後も継続使用することを希望する)
4 作成数 HTML文書1件
5 連絡先 (担当者)中 相作
(電話番号)0595・▽▽・□□□□
6 使用計画 HTML文書「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001】江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集刊行事業」をウェブサイト「http://www.e-net.or.jp/user/stako/」に掲載し、目的、担当者、内容、予算、評価など事業の詳細を公開、インターネットを通じて全国に発信する。
※添付書類 当該HTML文書「http://www.e-net.or.jp/user/stako/kurabiraki.html」をプリントして添付する。
あとはご承認がいただけるかどうか、わくわくしながら待ちましょう。みんなも絶対応援してね。

なんですかサンデー先生のキャラクター、どちらかといえば気持ちの悪い方向に微妙に変化してきているような気もするのですが。

その4 ● 使用承認書をまんまと頂戴いたしました
2003年11月30日 
「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業イメージキャラクターの使用承認書を頂戴いたしましたので、タイトルロゴの芭蕉さんを復活させました。

承認書の内容は下記のとおりです。

(第2号様式)

平成15年11月27日

中 相作 様

2004伊賀びと委員会 会長 辻村勝則

「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」
事業イメージキャラクター使用承認書

 平成15年11月17日付けで申請のあった、イメージキャラクターの使用については、下記の条件のとおり承認します。
 なお、イメージキャラクターの使用に際しては、「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」事業イメージキャラクター取扱要領に定められた使用上の遵守事項及び承認の条件を遵守すること。

1 使用目的 事業の情報公開とPR
3 使用期間 平成15年11月12日 〜 平成17年12月31日
(平成17年12月31日以降はキャラクター利用計画が終了するので利用不可となります。)
4 作成数 HTML文章1件
5 使用条件
6 その他 ・連絡先:0595・▽▽・□□□□
・使用計画:HTML文章「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき事業紹介【001】江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集刊行事業」をウェブサイト「http://www.e-net.or.jp/user/stako/」に掲載し、目的、担当者、内容、予算、評価など事業の詳細を公開、インターネットを通じて全国に発信する。
さて、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の情報公開、ぼちぼち進めることにいたします。
その5 ● またひとつ委員会ができてしまいました
2003年12月1日 
いったいどこから情報公開に手をつけていいものか、お知らせすべきことが多くてちょっと困ってしまいますが、本日は乱歩蔵びらき事業実行委員会について。

11月28日、私は上野市四十九町にある三重県伊賀県民局四階の「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業事務局にお邪魔し、事務局への嫌がらせと情報公開に必要な調べものとを同時進行で進めてきました。

江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集刊行事業を手がける乱歩蔵びらき事業実行委員会についても、事務局スタッフの名和健治さんから教えていただきました。

乱歩蔵びらき事業実行委員会は10月28日午後7時から名張市役所三〇六会議室で準備会を開催して正式に発足したとのことで、この委員会には二〇〇四伊賀びと委員会以外のメンバーも参加しているそうです。なんかややこしい。

じつは不肖サンデーも準備会に顔を出すようお誘いをいただいたのですが、「いや俺は夜には酒を飲むことにしてるから」とかなんとか訳のわからない理由ですっぽかしてしまいました。

んなこたどうでもいいのですが、乱歩蔵びらき事業実行委員会は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の企画として、次のふたつのプランを提出しています。

江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集(仮称)の刊行

江戸川乱歩展(仮称「乱歩が生きた時代展」)

ついでですからこの江戸川乱歩展に関する情報公開も同時に進めることといたしますが、つづきはまた次回。

その6 ● 事業計画書を二通こっそり公開しました
2003年12月2日 
ではここで、乱歩蔵びらき事業実行委員会がまとめたふたつのプランの事業計画書を公開いたします。同委員会代表の的場敏訓さんから、公開に関するご承諾は頂戴しております。
江戸川乱歩事業計画書(1)
事業名称 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集(仮称)の刊行
実施主体者 乱歩蔵びらき事業実行委員会(仮称)
代表者氏名
的場敏訓(仮)
TEL. 0595・▽▽・□□□□
連絡者氏名
事務局 2004伊賀びと委員会事務局(名張市企画財政政策室)
TEL. 0595・63・2111
FAX. 0595・64・2560
実施時期 平成16年10月〜11月(可能であれば乱歩生誕110年にあたる10月21日を刊行日とする)
実施場所 全国の書店で販売・一部図書館等関連施設に寄贈
事業概要 名張が生んだ大作家江戸川乱歩が遺した最後の貴重な文献といわれる小酒井不木との往復書簡集を刊行する。これは乱歩と生前交流の深かった不木との書簡集を翻刻・編集し世に出そうというもので、関係者の間では刊行が熱望されていたものであるが、万人にとっても意義深いものであると考える。又、伊賀からの乱歩の真の蔵びらきということで、「秘蔵のくに」の事業主旨とも一致するものである。

刊行については専門的な内容、本の販売ルート、保管の問題もあり、刊行の一切を皓星社に業務委託する。発行者は2004伊賀びと委員会とし、販売は出版社の流通ルートで全国の書店で販売する。予算の範囲内で04委員会が本を買い戻し、図書館等関連施設に寄贈する。

総事業費:5,500,000円 分担金申請額:5,500,000円
資金内訳 分担金申請額:5,500,000円
自己資金:0円
支出内訳 当初04委員会で予算化していた内容(予算20,275千)を予算の縮小に伴い皓星社に5,500(千)で委託。

発行2004伊賀びと委員会 発売皓星社 として刊行。

皓星社(東京)業務委託料 5,500(千)

委託内容
監修・解題 浜田雄介(乱歩研究第一人者)
乱歩書簡翻刻・関連年表 小松史生子
不木書簡翻刻・関連年表 阿部崇
索引 末永昭二
写真 本多正一
編集 皓星社編集部

発行冊数は現在のところ不詳。予算内で04委員会が本を買い戻し図書館等関連施設に寄贈。

これはあくまでも現時点における計画書です。書簡集刊行の企画を持ち込んだ不肖サンデーといたしましては、この計画にはいささか修正を加えてやらねばいかんな、という感じです。

正式な手順としてはこのあと、年末から来年3月にかけて開かれる事業推進委員会と三重県および伊賀七市町村の定例会で「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の計画と予算が承認され、事業実施年度に入った来年4月1日以降、乱歩蔵びらき事業実行委員会が「企画シート」と呼ばれる様式の計画書を作成して二〇〇四伊賀びと委員会に提出、それでようやくゴーサインが出されるとのことです。

実際にはお役所特有のなあなあ感覚ですべての事業準備が進められており、たとえば事業実施計画案さえ発表されていない段階でうっかりパンフレットを配布して事業の紹介を始めてしまうあたりにこの事業のいい加減さが歴然と示されているのですが、さすがに正式なゴーサインが出るのは来年4月1日になるものと見えます。

お次はもうひとつの事業計画書。

江戸川乱歩事業計画書(2)
事業名称 江戸川乱歩展(仮称「乱歩が生きた時代展」)
実施主体者 乱歩蔵びらき事業実行委員会(仮称)
代表者氏名
的場敏訓(仮)
TEL.0595・▽▽・□□□□
連絡者氏名
事務局 2004伊賀びと委員会事務局(名張市企画財政政策室)
TEL.0595・63・2111
FAX.0595・64・2560
実施時期 平成16年11月10日〜平成16年11月14日
実施場所 名張市総合福祉センターふれあい
メイン展示はふれあいホール
事業概要 江戸川乱歩は芭蕉、観阿弥と並ぶ伊賀の大きな地域資源の一つです。しかし、そんな乱歩について我々はこの地域で何ができるのでしょうか?

今年1月に東京・池袋で大々的な乱歩展が開催され、多くの入場者が乱歩の世界に魅了されました。伊賀で乱歩展をするならば、全国への新しい発見、新しい話題の提供、そして生誕地のメリットを生かした独自の企画性が必要です。そんな中、今回の乱歩展は大きく4つのテーマに分かれています。

1.乱歩不木往復書簡集の刊行を記念して、書簡集及び資料の展示、記念講演会の開催

2.郷土の乱歩研究家中相作氏の紹介、リファレンスブック全三巻と乱歩ホームページの紹介、中氏による乱歩連続講座(乱歩展開催中)の開催

3.「貼雑年譜」のビジュアル化となつかしの住宅地図の作成(豊島区よりパネル借受)

4.乱歩作品ミニシアターの上映、のぞきカラクリの上演

別企画 乱歩にまつわる食ツアー(まち博を含む)の開催

総事業費:2,000,000円 分担金申請額:2,000,000円
資金内訳 分担金申請額:2,000,000円
自己資金:0円
支出内訳
費目(内訳) 金額 備考
印刷製本費 150,000 ポスターチラシ印刷
400,000 地図製作料(編集作業含む)
報償費 200,000 展示物
100,000 書簡集刊行記念講演会講師謝礼
100,000 乱歩連続講座講師謝礼
委託料 700,000 会場設営費
看板、説明看板、パネル造作物他
プロジェクター、スクリーン
輸送費 200,000 豊島区展示物借受分(保険含む)
使用料 ふれあい
消耗品費 50,000
諸経費・諸雑費 100,000
2,000,000
不肖サンデーこのプランにはノータッチなのですが、そうか、わざわざご紹介いただいたうえに乱歩連続講座の講師を務めて十万円が濡れ手で粟か。あまりにも恥ずかしいのでプランを練り直してもらうことにいたします。
その7 ● 新年を迎えて過去を振り返ってみました
2004年1月27日 
更新が途絶えているあいだに2004年がスタートしてしまいました。

「その6」に「あまりにも恥ずかしいのでプランを練り直してもらうことにいたします」と記した乱歩連続講座は、おかげさまでなかったことにしていただきました。

本日は2002年から現在まで、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業と『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)ならびに不肖サンデーとの凄絶な三角関係を振り返ってみることにします。

名づけて──

生誕三百六十年の芭蕉さんと生誕百十年の乱歩さんと生誕百十四年の不木さんは
いったいどこへ行く? とにかくこれまでの足跡をたどってみることにしました
まるでふざけてるみたいなタイトルです。
2002年1月
9日、三重県と伊賀地域七市町村が官民合同で実施する「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の基本構想が発表されました。

不肖サンデー、うっかりしていてそんなことはまったく知りませんでした。

基本構想
(二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイト)
2002年3月
24日、大阪に赴き、探偵講談の復興を志す若き講談師旭堂南湖さんの勉強会を初めて拝見。演目は乱歩の「魔術師」で、上演に際しては著作権者でいらっしゃる平井隆太郎先生の格別のご高配をたまわりました。

25日、立教大学への移管を3月末に控えた池袋の乱歩邸へ名張市教育委員会の教育長、教育次長、名張市立図書館長とともにお邪魔し、移管後もひきつづきご高誼をたまわるよう平井先生にお願いしました。

大阪から急遽駈けつけてくれた南湖さんは、平井先生の前で「魔術師」の口演を気持ちだけ。南湖さんによるこの年10月の名張公演は内定していたのですが、不肖サンデーついふらふらと、ついでだから乱歩のお膝元豊島区の協力をとりつけて、名張公演のあとで東京公演もやろうかなと決意しました。

人外境主人伝言
2002年4月
1日、千葉県の成田山書道美術館で「わたしからあなたへ−書簡を中心に−」展が開幕しました。会期は5月26日まで。小酒井不木に宛てた乱歩の書簡が展示されていることが、3月30日付読売新聞と4月2日付毎日新聞(いずれも東京本社発行)で報じられました。

某日、成田山書道美術館に電話して、学芸員の高橋利郎さんからお話をうかがいました。乱歩書簡は全部で三十通、さる古書業者の方がご所蔵とのことで、その古書業者の方に電話でお訊きしたところ、価格はなんと一千万円、購入者はすでに決定していました。

7日、名張市長選挙が行われ、現職を破って前県議会議員が当選しました。

11日、上野市の財団法人前田教育会に電話を入れ、この年秋の探偵講談東京公演のあとで探偵講談伊賀上野凱旋公演を主催していただくようお願いしました。内々ながらご快諾を頂戴し、これで東京公演が実現できなかったらどうなることかと思いました。

27日、毎度おなじみ池袋の蔵之助で不木宛乱歩書簡一千万円記念大宴会。二次会はカラオケ。不肖サンデーへろへろでした。

28日、二日酔いの状態で成田山書道美術館を訪れ、高橋さんのご高配をたまわって不木宛乱歩書簡の写真撮影を行いました。一行は総勢十五人、撮影は本多正一さん、撮影助手は阿部崇さんと玉川知花さんにお願いしました。

乱歩書簡三十通の内訳は、封書二十八点、絵葉書二点。

人外境主人伝言

奈落雑記
(奈落の井戸)

2002年5月
某日、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進協議会が発足し、会長には上野市長が就任しました。

不肖サンデー、うっかりしていてそんなことはまったく知りませんでした。

人外境主人伝言
2002年6月
3日、この日を最後に名張人外境の更新ができなくなりました。原因はパソコンの不調であることがのちに判明しました。掲示板「人外境だより」によしなしごとを投稿するだけの生活が始まりました。

4日、名張市が伊賀地区市町村合併問題協議会に参加しました。同協議会は伊賀地域七市町村の合併を推進するため2001年2月に結成されましたが、名張市は加わっておらず、4月に就任した名張市長が参加を決定したことでようやく七市町村が話し合う態勢が整いました。

2002年7月
27日、伊賀びとのおもい実現委員会主催による旭堂南湖さんの「探偵講談、乱歩を読む。」幻影忌公演が名張市の北村酒造で催されました。「伊賀びと Web 歳時記」開設記念事業でした。

10月の本番に先がけて芦辺拓さん作の新作講談「江戸川乱歩一代記 乱歩と神田伯龍」が初演され、会場では芦辺さんにもご挨拶いただきました。

乱歩の命日にちなんで探偵講談の前景気を盛りあげようか、と不肖サンデー気まぐれに思いついた企画でしたが、三重県伊賀県民局職員三人に諸事万端を切り盛りしていただき、一連の探偵講談プロジェクトは上々の滑り出しとなりました。

2002年8月
某日(東京で2002年の最高気温が記録された日であったかと記憶します)、名張市長、名張市秘書課職員、名張市立図書館長とともに豊島区役所を訪問し、探偵講談東京公演への協力を要請しました。

不肖サンデーこの年秋に豊島区が区制施行七十周年を記念した乱歩展を開催すると蛇の道は蛇で聞き及んでおりましたので、探偵講談もその乱歩展の一環として実現できればと目論んでいたのですが、この日お聞きしたところによると乱歩展開催は2003年に入ってからとのこと。はかばかしい手応えを得ることなく、それでもよろしくご検討をとお願いして豊島区役所をあとにしました。

つづいてすでに立教大学の所管となっていた旧乱歩邸にお邪魔し、大掃除の最中みたいなたたずまいの応接間で平井隆太郎先生と令息憲太郎さんにご挨拶申しあげました。

4月に撮影した不木宛乱歩書簡の写真は全点お送りしてありましたので、不肖サンデーここぞとばかり、その書簡と乱歩が製本した不木の書簡とで一巻を編み、名張市から乱歩不木往復書簡集を刊行したいのですがとお願いしましたところ、その場でご快諾を頂戴できました。

ついでですから夏休み中の立教大学にも立ち寄ってみたところ、立教学院の応接室に通していただき、思いがけず総長先生にご挨拶申しあげることができました。

某日、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」を企画運営する官民合同組織として二〇〇四伊賀びと委員会が発足しました。

不肖サンデー、うっかりしていてそんなことはまったく知りませんでした。

2002年9月
18日、名張市が財政非常事態宣言を発表。市財政の硬直化がきわめて深刻な局面を迎えていることが初めて公表され、2003年度から二年間は原則として新規事業に着手しないことなどを盛り込んだ財政健全化緊急対策が打ち出されました。

21日、この日発行の「四季どんぶらこ」第二十四号に掲載された「乱歩文献打明け話」第二十二回で、不肖サンデー市町村合併をおちょくってやりました。

2002年秋
「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の噂を耳にするようになりました。たぶんいわゆるばらまきだろうな、税金の無駄づかいに終わるだろうな、と不肖サンデー思いました。

しかし、とも不肖サンデー思いました。この事業の予算で乱歩と不木の往復書簡集を刊行してはどうであろうか。

理由はふたつ。ひとつは名張市の財政硬直化です。名張市が財政非常事態を迎えている一方で三重県が税金を三億も無駄づかいするというのだから、ここはひとつ三億のうちから乱歩と不木の書簡集に予算をふんだくるのも一案ではないか。名張市民の負担がごくわずかでも少なくなるわけだし。

もうひとつの理由は市町村合併です。伊賀地域がひとつの市になろうかという協議が進行中で、いずれ伊賀全体で乱歩関連事業を手がける日が訪れる可能性も少なからずありましたから、その予行として「伊賀びと」とやらに乱歩の事業をやってもらうのもいいではないか。

不肖サンデーが探偵講談伊賀上野凱旋公演を企画したのも似たような趣旨からで、名張ではなく伊賀全体で乱歩のことを、という態勢への道を開く狙いがありました。狙っただけの話ですけど。

某日(江戸川乱歩賞授賞式の日であったかと記憶します)、名張市地域振興課職員、名張市立図書館長とともに豊島区役所を訪れ、協力を再度要請しました。

豊島区の乱歩展とは完全に切り離し、日程も11月2日に限定したうえで、名張市が主催する探偵講談東京公演の会場確保をお願いしたところ、なんとかお聞き届けいただけることになりました。よかったよかった。

2002年10月
13日、名張市と名張市教育委員会が主催する江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業「乱歩再臨」の第二弾として、旭堂南湖さんの「探偵講談、乱歩を読む。」が名張市総合福祉センターふれあいホールで催されました。

13日夜には乱歩ゆかりの料亭清風亭で江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念大宴会。東京神奈川大阪兵庫愛媛その他から約三十人の方にご参加いただき、歴史に残る名宴会となりました。

2002年11月
2日、名張市、名張市教育委員会、豊島区の主催による「探偵講談、乱歩を読む。」池袋公演が豊島区民センター文化ホールで催されました。

2日夜には毎度おなじみ池袋の蔵之助で「探偵講談、乱歩を読む。」池袋公演記念大宴会。瞬間最大参加者数七十人超を記録し、これもまた歴史に残る大宴会となりました。

2002年12月
7日、前田教育会主催の「探偵講談、乱歩を読む。」伊賀上野凱旋公演が前田教育会館蕉門ホールで催されました。同会館の開館十周年記念事業。旭堂南湖さんに上野出身の政治家川崎克を描いた新作「川崎克と江戸川乱歩」を披露していただきました。

7日夜には上野市の金谷で「探偵講談、乱歩を読む。」伊賀上野凱旋公演記念大宴会。南湖さんはじめ関係者数人で伊賀牛を堪能しました。

以上、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業とは何の関係もない一連の探偵講談プロジェクトについて記したのはほかでもありません、同事業関係各位に多少なりとも参考にしていただける点があるのではないかと愚考したからです。あまりお役には立ちませんか。

10日、二〇〇四伊賀びと委員会が「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の事業企画案を発表し、地域住民から事業プランの募集を始めました。

いつのことであったか仔細は記憶していないのですが、二〇〇四伊賀びと委員会の乱歩関連事業スタッフから声をかけていただいた不肖サンデー、『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行事業を進めていただくようお願いし、参考資料として不木宛乱歩書簡の写真数点とちくま文庫の怪奇探偵小説名作選1『小酒井不木集 恋愛曲線』(日下三蔵編)を提供しました。

下旬某日、成田山書道美術館学芸員の高橋利郎さんからお電話をいただき、書簡集刊行にあたって不木宛乱歩書簡所蔵者の方から全面的なご協力を頂戴できる旨お知らせいただきました。

2003年1月
29日、池袋の西武ギャラリーで豊島区制施行七十周年記念事業「江戸川乱歩展──蔵の中の幻影城」が開幕しました。会期は2月9日まで。豊島区長などで組織する実行委員会が主催し、共催は日本推理作家協会。名張市は探偵講談池袋公演が縁となって、畏れ多くも後援を仰せつかりました。
2003年2月
1日、乱歩原作映画特集を7日まで上映中だった池袋の新文芸坐で平井憲太郎さんのトークショー「乱歩を語る」が開かれました。会場は立錐の余地なき超満員でしたので、不肖サンデー新文芸坐の事務所に入れてもらってモニターでトークを拝見。

トークを終えた憲太郎さんにお目にかかり、二〇〇四伊賀びと委員会の乱歩関連事業スタッフ二人をはじめ関係者のみなさんと喫茶店へ。乱歩と不木の書簡集を「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の予算で刊行することのご承諾をいただきました。

1日夜には江戸川乱歩展記念大宴会。毎度おなじみ池袋の蔵之助が満員だったので同じビルにある嵯峨という店に会場を変更し、例によって大盛りあがりしました。

9日、名張市で「名張市が上野市、伊賀町、島ヶ原村、阿山町、大山田村及び青山町と合併することの可否に関する市民投票」が行われ、合併反対が多数を占めました。

25日、上野市のゆめぽりすセンターで伊賀地区市町村合併問題協議会が開かれ、名張市は合併協議からの離脱を表明しました。

28日、二〇〇四伊賀びと委員会による事業プランの募集が締め切られました。プランは合計三百十七。内訳は、委員会企画三十八、公募企画百六十八、市町村・県企画百十一。

『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行事業も委員会企画として提案されました。

市民投票開票結果
(名張市オフィシャルサイト)
2003年3月
21日、この日発行の「四季どんぶらこ」に掲載された「乱歩文献打明け話」第二十四回で、不肖サンデー市町村合併をおちょくってやりました。ついでに「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の批判開始を予告してやりました。

31日、公募プランも含めた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業実施計画案が発表される予定でしたが、発表されませんでした。

31日、名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』が刊行される予定でしたが、刊行されませんでした。

とうに書きあがっていた同書解題「ふるさと発見五十年」には、不肖サンデー全国で進行している市町村合併への倦厭をそれとなく忍ばせておきました。

2003年4月
1日、伊賀地区市町村合併協議会が設立されましたが、名張市は加わりませんでした。

8日、新調したパソコンで名張人外境の更新を再開しました。

この日以前に、乱歩と不木の書簡集を「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の予算で刊行するプロジェクトは「パブロフの犬作戦」と名づけられていました。命名の理由は不肖サンデーにもよくわかりません。

同じくこの日以前に、本多正一さんのお口添えで東京の皓星社から『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行に関する協力の申し出をいただきました。

それなら皓星社から出してもらおう、と不肖サンデー即断しました。書簡集の編集から販売までを二〇〇四伊賀びと委員会が直接担当することにはかなりの困難が伴うから、素人の手に余ることはみんな皓星社にやってもらい、こちらは発行主体となってできあがった書簡集をごっそり買い取ることにすればいいのだ。

13日、任期満了に伴う三重県知事選挙が行われ、二期八年で引退する知事の後任に前松阪市長が当選しました。

人外境主人伝言
2003年5月
31日、予定を二か月過ぎても「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業実施計画案は発表されませんでした。 人外境主人伝言
2003年6月
21日、この日発行された「四季どんぶらこ」第二十七号掲載の「乱歩文献打明け話」第二十五回で、不肖サンデー「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業をおちょくってやりました。

同じく21日、「四季どんぶらこ」第二十七号を三重県伊賀県民局長にお送りしてご挨拶申しあげました。

下旬某日、地域住民から寄せられた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業プランの採否が決定し、提案者に郵便で通知されました。

『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行事業には五百五十万円の予算が内示されました。

人外境主人伝言
2003年7月
19日、東京古書会館で「乱歩が蒐めた書物展──江戸川乱歩蔵書より」を眺めたあと、毎度おなじみ池袋の蔵之助で「乱歩が蒐めた書物展」開催記念大宴会。

大宴会には『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)関係者にもお集まりいただき、次のみなさんにお力添えをたまわるようお願いしました(敬称略)。

□□□□□監修・解題 浜田雄介
乱歩書簡翻刻・関連年表 小松史生子
不木書簡翻刻・関連年表 阿部崇
□□□□□□□□□索引 末永昭二
□□□□□□□□□写真 本多正一
□□□□□□□□□編集 皓星社編集部

大宴会のあと皓星社の社長さんに連れて行っていただいた新宿は花園神社横のスナック凛凛において、不肖サンデー四十六歳子持ちバツイチのお姉さんに振られてしまいました。どうってことないやい。

31日、三重県上野庁舎で「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会の設立総会が開かれ、会長には知事が就任しました。

不肖サンデー、無茶苦茶な話ではないかと思いました。こんな委員会が幅を利かせた日には二〇〇四伊賀びと委員会の自立性や主体性はいったいどうなってしまうのか。

しかし当の二〇〇四伊賀びと委員会は自立性や主体性の危機なんてことには考えも及ばないのであろう。よしよし、俺がものの道理というものを教えてやろう。

かくて伊賀の地に三重県への叛旗が敢然と翻ることになりました。

人外境主人伝言
2003年8月
4日、「四季どんぶらこ」第二十七号を三重県知事にお送りしてご挨拶申しあげました。

下旬某日、二〇〇四伊賀びと委員会は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業を紹介するパンフレット二万部を作製、配付を開始しました。

不肖サンデー、無茶苦茶な話ではないかと思いました。3月末に発表されるはずだった事業実施計画案も公表できていないくせに、いまごろから何が事業紹介のパンフレットだ。

しかし当の二〇〇四伊賀びと委員会はこうした場合の手続きの基本すらよく理解できていないのであろう。よしよし、俺がものの道理というものを教えてやろう。

かくて伊賀の地の叛旗はいよいよ翩翻と翻り始めました。

人外境主人伝言
2003年9月
1日、不肖サンデーは伊賀県民局や県庁知事室などに本格的なメール攻勢を開始、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の不審な点についてしつこく質問を重ねたのですが、遺憾ながら明快な回答はいただけませんでした。

8日、二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトがリニューアルオープン。名張人外境もリンクに加えていただきました。

人外境主人伝言
2003年10月
20日、二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトに掲示板が開設され、不肖サンデーこの掲示板なら事業関係者の回答がいただけるかと喜び勇んで投稿を試みましたが、とんだ見込み違いであることが判明しました。

27日、二〇〇四伊賀びと委員会が「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業実施計画案を発表しました。

事業総数は百三十三となりました。

28日、『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行と江戸川乱歩展(仮称「乱歩が生きた時代展」)を手がける「乱歩蔵びらき事業実行委員会」が名張市役所で準備会を開催、正式に発足しました。

人外境主人伝言

事業実施計画案
(二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイト)

2003年11月
8日、上野ふれあいプラザで二〇〇四伊賀びと委員会主催の伊賀学講座が催され、不肖サンデーふつつかながら「江戸川乱歩と情報発信」をテーマに講師を相務めました。

10日、不肖サンデー伊賀の蔵びらき掲示板で「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会の会長に立候補することを表明しました。

公約として「二〇〇四伊賀びと委員会の自立性と主体性を回復しましょう」「官民合同事業『生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき』を地域住民の手に取り戻しましょう」の二点を掲げました。

12日、『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行事業の公開性を高めるため名張人外境にこの「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001】」のページを新設しました。

21日、この日発行された「四季どんぶらこ」第二十八・二十九合併号掲載の「乱歩文献打明け話」第二十六回で、不肖サンデー「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業をおちょくってやりました。

28日、三重県上野庁舎四階にある「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業事務局に初めてお邪魔し、不肖サンデーたっぷり嫌がらせをしてきてやりました。

人外境主人伝言
2003年12月
3日、名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』がようやく完成し、関係各位への発送を開始。9日には販売も始めました。買ってね。

5日、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業関係者が非公式に県庁知事室を訪問し、事業の運営や組織に関する不満憤懣を知事に直接ぶちまけるという波乱が起きました。

10日、負けてはならじと不肖サンデー、知事にお会いして事業推進委員会の会長交代をお願いするべく県庁知事室へのメールで知事との面談を要請したのですが、三重県のあすを憂える一県民の真摯な願いは完全に黙殺されてしまい、会長就任の野望は果たすことができませんでした。

25日、三重県上野庁舎で「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会が開かれ、事業の計画案と要求額案が承認されました。

三重県と伊賀七市町村への要求額は総額三億三千百七十二万八千円になりました。

委員会の傍聴に訪れた不肖サンデー、知事に一本取られてしまいました。「雑音」という称号もたまわってしまいました。とほほほほ。

人外境主人伝言

江戸川乱歩著書目録 NOW ON SALE

江戸川乱歩著書目録 SPECIAL THANKS

2004年1月
さらに戦いはつづきます。 人外境主人伝言
その8 ● 乱歩不木往復書簡の全容を大公開します
2004年1月30日 
その7」の2003年10月に「乱歩蔵びらき事業実行委員会」の発足を追記しました。忘れておってすまなんだ。

1月24日、愛知県海部郡の蟹江町歴史民俗資料館で特別展示「小酒井不木の世界」が開幕しました。会期は2月22日まで。最終日には不木研究サイト「奈落の井戸」を主宰する阿部崇さんの講演が行われます。詳細は番犬情報でどうぞ。

さて不肖サンデー、蟹江町歴史民俗資料館から特別展の配付資料「小酒井不木の世界」をご恵贈いただきましたので、さっそくひもといてみましたところ、展示品を列記した「特別展資料目録」に『小酒井不木から江戸川乱歩への書簡集(計118通)』が記載されているのを発見しました。

この書簡集こそ乱歩が不木からの手紙を年月順に整理製本して一巻としたもので、製本日は昭和13年7月30日、所有者は平井隆太郎先生。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業で刊行される『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)には、この不木書簡がすべて収録されることになります。

目録には書簡全点の日付と個々の書面のごく簡略な紹介が記されており、眺めているだけで興趣は尽きないのですが、こうしたデータが公開されるのは本邦初のことだと思われます。

そこで不肖サンデー、乱歩不木往復書簡の日付に基づいてこんな表をつくってみました。

江戸川乱歩小酒井不木往復書簡一覧表(わかってるものだけ)
▼江戸川乱歩の書簡
小酒井不木の書簡▼
大正12年
1日*1 22日*1
7月
3日*2
大正13年
26日
11月
25日*2 27日
5日 29日
12月
日付不明
大正14年
24日
1月
7日 26日
2月
12日*3 14日 24日
20日
3月
2日 12日 14日 14日 17日 23日
9日 24日
4月
11日 13日 14日 26日
11日 18日
5月
10日 14日 17日 19日 24日 29日
15日 19日
6月
12日 17日*2 18日
7日 16日 25日
7月
8日 17日*2 19日 20日 26日 31日
2日 5日 9日 21日 26日
8月
3日 6日 10日 17日 22日*2 27日 31日
5日
9月
6日 7日 13日 23日 24日 25日*2 26日
25日
10月
4日 20日 21日 25日 27日
2日 18日
11月
8日 13日 28日
17日 29日
12月
4日 6日 6日 19日*2 21日
大正15年
1月
10日 24日
25日
2月
24日 27日
3月
30日*2
6月
11日
8月
13日
9月
15日 16日 27日
10月
4日
昭和2年
19日
1月
2月
18日*2 20日*2
24日*4 27日
3月
25日 28日
5月
26日
8日
6月
29日
8月
20日
11月
2日*2 10日
12月
8日 14日 24日 25日 30日
昭和3年
1月
2日 3日*2 19日 23日
2月
1日 15日 19日 20日 20日 23日 24日
3月
11日 30日
4月
11日
5月
16日
6月
16日 20日 21日
7月
3日 11日 14日
8月
2日 22日
10月
2日
11月
4日 7日 9日 17日 20日 30日*2
12月
6日 28日
昭和4年
1月
2日 16日
3月
30日
*1 『江戸川乱歩推理文庫64 書簡対談座談』(1989年、講談社)に収められています。
*2 『小酒井不木全集 第十二巻』(1930年、改造社)に収められています。「特別展資料目録」に見えない日付の書簡もありますので、その場合はとりあえずこの色で表示しておきました。仔細は現物を確認しなければよくわかりません。
*3 製本時にうっかり見落としていたものか、乱歩が編んだ不木書簡集には収録されていないようです。
*4 昭和2年3月付「転居御通知」の葉書が同封されています。
圧倒的に不木が筆まめと見えますが、「わかってるものだけ」と注記しましたとおり、世に隠れている不木宛乱歩書簡が相当数存在しているものと思われます。

ただまあなにしろ往復書簡なんですから、不木書簡を読めば乱歩書簡の内容がそこはかとなく推測できる場合もあるでしょう。先述のとおり、不木書簡も全点を収録する予定です。

なお、特別展配付資料「小酒井不木の世界」の「書簡編」には、不木逝去からまもない昭和4年4月24日付の不木未亡人宛乱歩書簡が収められており、乱歩不木往復書簡集の掉尾を飾るにふさわしい一通。この書簡をどなたがご所蔵なのか現時点では不明なのですが、所有者のご協力をいただいて収録するよう努めたいと思います。

その9 ● 秋に書簡集刊行と報道してもらいました
2004年2月3日 
1月30日発行の朝日新聞夕刊(名古屋本社版)に「“不健全派”不木に光」という宮崎陽介記者の記事が掲載されました。上の画像がそれ。クリックすると大きな画像をご覧いただけます。

蟹江町歴史民俗資料館の「小酒井不木の世界」展を中心に不木再評価の機運をまとめた内容ですが、見出しにも「秋に乱歩との書簡集刊行」とあるとおり、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行事業も紹介していただきました。

よーしッ。

その10 ● 蔵びらき掲示板がお蔵入りになりました
2004年2月16日 
2月13日早朝、二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイト掲示板が閉鎖され、過去ログもすべて非公開となっていることが判明しました。

何なんだこの悪あがきは、と舌打ちしながら不肖サンデー、上記掲示板から「人外境主人伝言」に転載してあった投稿を一本にまとめて「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」というページを新設しましたところ、掲示板「人外境だより」で「奈落の井戸」のもぐらもちさんから下記のアドバイスを頂戴しました。

もぐらもち   2004年 2月13日(金) 12時19分  [210.199.82.22]
http://homepage1.nifty.com/mole-uni/index.html

「奈落の井戸」もぐらもちです。

 「Google」のキャッシュに残っていた伊賀びとBBSの過去ログ

 最初の頃と最近のは残ってないみたいで残念。

 公の事業の一環として運営している掲示板であったにも関わらず問答無用で発言全部消してしまって、問題点が指摘された過去も、改めて過去発言を参照して議論する未来も放棄するという神経がわからないです。熟慮の結果だとしたらそれにしては結果があまりにもちゃち過ぎる。こういう手法での議論放棄、コミュニケーションの一方的な遮断は大人げない個人サイト管理人(例えば私とか)だけが臆面もなくやるものかと思ってたんですが、そうでもないようで。

 伊賀忍法でいうと、何遁の術にあたるのでしょうね。

上記転載ではリンクが切れておりますが、検索エンジン「Google」で「site:www.iga2004.jp 伊賀の蔵びらき 管理人」を検索してみると、なるほど過去ログのキャッシュがひっかかってきます。

そこで不肖サンデー、上記キャッシュから自分のもの以外の投稿をかき集め(もちろんすべての投稿を拾えたわけではありませんが)、「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」を増補しましたのが本日のこと。

小西昌幸さんと伊藤和孝さんには転載許可をお願いしたのですが、ほかの投稿者の方の許可はいただいておらず(小西さんと伊藤さん以外は全員いわゆるハンドルネームですし、あの掲示板にはメールアドレスが表示されないという事情もあるのですが)、つまりは著作権を完全に無視した所業に及んだ次第です。

てやんでえべらぼうめ。こちとらちゃきちゃきの確信犯だいッ。

あのオフィシャルサイト掲示板の過去ログがふたたび掲載されるまで、公開性ってやつの大切さが二〇〇四伊賀びと委員会にわかるまで、あたい確信犯やめないわ、と申しあげておきましょう。いつもプカプカプカ。

ついでですから、「人外境だより」にお寄せいただいた伊賀の蔵びらき掲示板の閉鎖に関する投稿をここに保存しておきます。二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんは心してドゥビドゥビドゥビ。

伊藤和孝   2004年 2月13日(金) 19時27分  [211.10.55.126]

「奈落の井戸」もぐらもちさん。伊藤です。22日にはお世話になります。
何遁の術ですか。。
最近の言葉にすれば「トップダウン隠遁の術」と言ったほうがいいのかも知れませんね。。数日間でしたが伊賀HP拝見感想は「ミステリー」でしたね。
公的・私的はさておいて、地域資源を活かしたまちづくりのインターネット活用手段には「掲示板」という手法もあれば「ML(メーリングリスト)」という手法もあり、インターネット上で、それぞれの特徴を活かした情報発信や意見交換という運営方法もあったと思いますよ。
それにしても、三重県は、私が知っている範囲で、このことについての人材は豊富だと思うのですが。。
津市・松阪市、伊勢市のまちづくりや三重県中勢部のまちかど博物館活動に携わっていた方々はどうしたのかな?
最近は亀山が結構元気ですよ。。
サンデー先生この周辺の活動なんか皆さん参考にされているんでしょうか?西の関西(奈良や滋賀)だともっと活発だと思うのですが。。


臼田惣介   2004年 2月14日(土) 0時35分  [219.122.188.3]

人外境主人 殿

掲示板閉鎖なんて、人知れず結構応援したったのにあほな奴らというか、情けない人達ですね。ご主人の仰せのとおり、子どもなんでしょうが、子どもはもっと刺激的で楽しい気分にしてくれますけど。とにかく、あの掲示板はそんな簡単に閉鎖するべきものではないし、閉鎖する場合は誰の責任か指示かを明確にしないと、それこそ三重県(ではないのか?)の見識を疑われます。HPの掲示板はそこらの地域の道端の張り紙じゃないんですから。まぁ世界とは言いませんが、それ自体全国に発信しているもんですからね。みんな見てるんですよ。いまさら言ってもどうかとは思いますが。


古本まゆ   2004年 2月14日(土) 10時47分  [61.211.131.19]
http://www2.starcat.ne.jp/~mayu/index.htm

 いや〜ぁ、恐れ入りました。緊迫した展開の中での、問答無用の中断。例の掲示板のことです。
 これが、乱歩の「悪霊」とか中井の「蒼白者の行進」といった偉大な作家の中絶作でしたら、かえって読者の想像力を刺激して魅力的なものとして存在し続けるのでしょうが、あちらの方は「こりゃ〜あ駄目だ」という失望感しか残しません。
 しかし、人外境ご主人の、ヘンリー・メルヴィル卿の如き洞察力には、心底感服いたしました。


伊藤和孝   2004年 2月14日(土) 20時36分  [211.10.54.39]

サンデー先生最後の言葉。。
南無阿弥陀仏。。二銭銅貨。。なるほど。。
小酒井不木さんのように二銭銅貨の気持ちを解り・絶賛(対応)してくれるほどの「太っ腹」の方がみえなかったのが悲劇でしたね。
「伊賀二銭銅貨の悲劇」ということで心中お察し申し上げます。
南無。。合掌。。

さらについでに不肖サンデーの投稿も。

サンデー先生   2004年 2月15日(日) 8時31分  [220.215.1.48]
http://www.e-net.or.jp/user/stako/

 おっはー(古ッ)。
 きのうの朝はちょっとした事情のせいでこの掲示板に投稿することができませんでした。遅くなってごめんね(打てば響くように美樹克彦を連想したあなた、古ッ)。そんな日もあるさとお思いください。大っきらいだ、白い雲なんて。

 もぐらもち様
 どうもありがとうございました。「Google」のキャッシュを利用することにはまったく思い至りませんでした。お知らせのおかげで小西さんや伊藤さんのご投稿も身柄確保することができました。それにしてもなんやかんやと余計なお手数をおかけしております。
 地元住民の印象で申しますと、これが伊賀だ、伊賀惣国一揆の伝統だ、といったところでしょうか。伊賀には有力な戦国大名がついに現れず、狭い土地にひしめく土豪たちがいじいじねじねじお互いの足を引っ張りっこしていたわけなのですが(村山知義「忍びの者」の世界です)、仲のよろしくない土豪たちはそれでも伊賀惣国一揆という連合体を組織していて、伊賀に外敵が攻め込んできたときには一致団結して迎え撃つべしという約定が交わされておりました。織田信長による伊賀攻めに際しても約定どおり国を挙げて戦いはしたのですが、結局は一木一草も残さぬまでに殲滅されてしまいました次第。四百二十年ほど前の話です。
 一昨日の伝言に記した「俺たちってこんなときだけすぐに意見がまとまるのね」は、ふだんはまとまろうとしないくせに外敵が現れるや一致団結電光石火でことを運ぶ伊賀惣国一揆の伝統を表現したものだとお思いください。
 私はいまやいっそ信長になってやろうかと考えております。

 伊藤和孝様
 ご投稿ありがとうございます。伊賀地域は県内他地域との交流が活発ではありません。県内他地域と異なり、伊賀が実質的に関西圏に属していることもその一因だと思われます(伊賀と県内他地域のあいだには分水嶺が存在しており、伊賀に降った雨は伊勢湾ではなく大阪湾に注ぎ込みます。お正月のお餅の形だって伊賀は○、県内他地域は□ですし)。
 だからといって地域振興に関して奈良や滋賀や大阪など近隣との連携が進んでいるわけでもなく(やはり県境というのは低いものではないようです)、ひとことでいえば伊賀は孤立している感じです。地域住民に伊賀という土地へのいささか屈折した誇りがあるせいか、他人の意見を素直に受け容れようとはしない気質も存在しているように見受けられますが、じつは誇りなんてまったく関係なく、単に住んでる人間が莫迦なだけの話なのかなとも思われますものの、伊賀県民局に赴任してきた三重県職員は異口同音に「伊賀は難しい」とこぼしておりますから、やはり伊賀独特の気質気風というものは存在しているようで、それが地域振興の障害になりがちなものであることは否めないようです。煎じ詰めて申しあげますと、残念ながら南無阿弥陀仏。
 それから、伊賀の蔵びらき掲示板の過去ログは二度と読めないだろうと諦めていたのですが、もぐらもちさんから妙案を教えていただきましたので、「Google」のキャッシュで確保した伊藤さんのご投稿を当方のサイトの「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」に転載させていただきたく、よろしくご承諾をたまわりますようお願い申しあげます。

 臼田惣介様
 臼田さんには例の掲示板が開設される以前からご支援をいただいていたと申しますのに、彼らはいったい何を考えているのでしょうか。深い考えなんてまったくなかったというのがほんとのところなのでしょうが、これも臼田さんがつとにご指摘だったとおり、関係各位にはインターネットなるものがどんなものなんだかよく理解できていなかったのだと考えるしかないようです。サンデー先生がホームページを開設しているのはなんとかに刃物みたいなことなのですが、二〇〇四伊賀びと委員会とホームページの取り合わせはいわば猫に小判、豚に真珠、猿に……、さて、猿には何といえばいいのでしょう。
 しかしそれにしても(さるにても、というべきか)、自分たちのオフィシャルサイトに掲示板を開設することはすなわち閲覧者から寄せられた批判提案質問要望などにダイレクトにリアルタイムで対応いたしますという明白な意思表示なのだということすら認識できず、肝心の対応は掲示板管理担当者ひとりに押しつけて知らん顔を決め込んだあげく、進退窮まったら身も世もなく尻をまくって何もなかったことにしてしまう(してしまえるのかな)、なんて感じの経緯にはこの事業の本質がはしなくも露呈されているように見受けられます。一事が万事、ってやつですか。

 古本まゆ様
 まったくもってお恥ずかしい話で、伊賀はまさしく「こりゃ〜あ駄目だ」な土地のようです。しかし二〇〇四伊賀びと委員会のレベルがそのまま伊賀のアベレージだというわけでは決してなく、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業がきっかけとなって伊賀における「こりゃ〜あ駄目だ」性の一部が全国発信されているだけの話なのですから(だと思いたいわけですが)、こうなったら伊賀地域を代表する知性たるサンデー先生がH・M卿の向こうを張って「密室講義」ならぬ「伊賀講義」を開講し、伊賀がどんな土地であるのかその歴史風土人情風俗などを全国発信するべきなのかなとも思われる次第です。しかし「密室講義」はフェル博士でしたか。サンデー先生の知性も怪しいものだから困ってしまいます。ともあれ何かとご心配をおかけしているようで、あらためてお礼を申しあげる次第です。

プカプカやドゥビドゥビのほか、名曲「プカプカ」にはトランプスタスタスタって歌詞もありましたっけ。うちの犬はスタ公なわけなんですが。

ワン公スタスタスタ。

なんか口癖になりそうで。

その11 ● 書簡集刊行準備が超快調に進んでいます
2004年2月24日 
2月22日、「その8」でお知らせした蟹江町歴史民俗資料館の特別展示「小酒井不木の世界」に行ってまいりました。この日の講演会で講師を務められた阿部崇さんをはじめ、「その7」の「2003年7月」でご紹介申しあげた往復書簡集編纂スタッフのうち次のみなさんにお会いすることもできました。

□□□□□□監修・解題浜田雄介
乱歩書簡翻刻・関連年表 小松史生子
不木書簡翻刻・関連年表 阿部崇
□□□□□□□□□索引 末永昭二

いずれも浜田さんがおかしらをお務めの『新青年』研究会メンバーでいらっしゃるのですが、同研究会は近く開かれる例会を乱歩不木往復書簡集に関する打ち合わせに充ててくださるそうです。

それから驚いたことに、乱歩が製本した『小酒井不木より江戸川乱歩への書簡』の複写資料(平成7年12月19日撮影のマイクロフィルム)を起こして入力する作業も蟹江町歴史民俗資料館の手で済ませていただいてあり、A4サイズの用紙四十二枚にわたってプリントアウトされたものを一組、濡れ手で粟で頂戴しました。ありがたやありがたや。

『新青年』研究会の例会では年表や脚注についても詰めていただけるそうですから、書簡集刊行準備は不肖サンデーが気を揉んでいたよりはるかに順調に進行しつつあるわけで、そのことを喜びとともにここにご報告申しあげる次第です。よかったよかった。

「小酒井不木の世界」会場にはこれこのとおり、往復書簡の掉尾を飾る昭和4年4月24日付不木未亡人宛乱歩書簡も展示されていました。クリックすればどーんと拡大。

この写真は蟹江町歴史民俗資料館のお許しをいただいて撮影したものですが、ついでですからもう何点か掲載しておきましょうか。

2
3
4
5
6

1 会場では不木の写真がお出迎え
2 本邦初公開のデスマスクも迎えてくれました
3 愛知医科大学附属図書館に寄贈された不木の旧蔵書がずらり
4 『探偵小説四十年』に収録された写真二点の現物も確認
5 ガラスケースには緑の表紙の「『新青年』趣味」が鎮座していた
6 会場からほど近い鹿島神社境内に建つ不木の句碑。句は「いつとんで来たか机に黄の一葉」

その12 ● 東京であれこれと打ち合わせてきました
2004年3月9日 
3月6日、東京で『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)の打ち合わせを済ませてきました。パブロフの犬作戦が発動して以来、関係者が全員素面で打ち合わせをしたのはこれが初めてのことです。以下、関係各位に電子メールでお送りした報告を転載いたします。
 おはようございます。お世話さまです。お元気のことと存じます。

 3月6日午後、『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』に関する打ち合わせを行いました。その概要を報告します。

 浜田さんからお送りいただいたご報告を補足し、当方の思いつきも一部まじえた体のものですが、この報告は百八十万三重県民に対する説明責任を果たすべく当方のサイトにも掲載いたしますので(アドレス下記。サイト掲載分のほうが読みやすいと思います)、よろしくご了承ください。

http://www.e-net.or.jp/user/stako/kurabiraki1.html#anchorkura12

会場
ギャラリーオキュルス→オキュルスビス(東京都港区高輪)

出席者
阿部崇、中相作、浜田雄介、佐藤健太、本多正一(到着順)

 まず、浜田さんのご報告にあるとおり「読者層としては研究者や愛好家を中心に据え、若干高価になってもきちんとした作りにする」ことを確認しました。発行者は二〇〇四伊賀びと委員会(あるいはその関連組織)ですが、編集や流通などの実務はすべて皓星社が担当、二〇〇四伊賀びと委員会は予算(予算総額五百五十万円から必要な経費を差し引いた額)に応じて往復書簡集を買い取り、献呈分などに充てることになります。献呈の発送作業も皓星社に丸投げします。

体裁
二分冊箱入り。一冊は影印版でA5横、一冊は翻字・解説版でA5縦。

影印版
書簡のスキャン画像全点を収録。文面を判読できる程度の縮小率とする。一ページに縦書き便箋の画像二点を収録の見当か。乱歩が製本した『小酒井不木より江戸川乱歩への書簡』は、造本がスキャン作業に耐え得ない虞があり、製本時に文面の一部が接着されて判読できない行のある書簡も散見されるため、可能であれば解体してスキャンすることが必要となった。その場合は画像の質を一定にするため、乱歩書簡のスキャンも必要となる。

翻字・解説版
構成は下記のとおり。
1
口絵
コート系などの用紙とし、書簡の写真を収める。同時代の乱歩と不木の写真も必要か。
2
序文 野呂昭彦
「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の趣旨、書簡集刊行の経緯などをまとめる。三重県知事に執筆を依頼する。
3
目次
4
乱歩・不木エッセイ
乱歩と不木がお互いのことを記した文章から選択して収録する。一段組みで、書簡本文より大きめの級数とする。不採用の作品もできるかぎり脚注に引用するべきか。おもな作品は次のとおり。
乱歩 本物の探偵小説(昭和2年9月)/探偵作家一本参る話(昭和2年10月、代筆か)/小酒井不木氏のこと(昭和4年4月)/小酒井氏の訃報に接して(同)/探偵作家としての小酒井不木氏(同)/世界的に稀有の作家(昭和4年5月)/肱掛椅子の凭り心地(昭和4年6月)/四つの写真(同)/不木全集を読む(昭和4年8月)/小酒井博士と探偵小説(昭和5年6月)/補遺二冊発行に就て(昭和5年8月)/探偵小説十五年「亡き先輩・同僚のこと(その一)」(昭和13年9月)/作家としての小酒井博士(昭和13年11月)/小酒井さんのこと(昭和22年6月)/探偵小説三十年「小酒井不木博士」(昭和28年3・4月)
不木 「二銭銅貨」を読む(大正12年4月)/『心理試験』序(大正14年7月)/マイクロフォン(大正15年3月)/江戸川氏と私(昭和2年6月)/「陰獣」の印象(昭和3年11月)/新春劈頭の感想「新年号読後感」(昭和4年2月)
5
凡例
6
乱歩・不木往復書簡(小松史生子、阿部崇)
脚注(村上祐徳)
書簡本文と脚注の二段組み。表記は新字旧かな。改行は原文のまま。各書簡に通し番号と執筆者イニシャル(1R、2F、3R……)を付け、その番号とイニシャルをヘッドに記す。
7
論考 小松史生子、阿部崇、伊藤和孝
書簡集によって新たに見えてくる乱歩・不木像などについて、二十〜三十枚程度の論考を収録。
8
解題 浜田雄介
乱歩・不木についての概説的な見取り図を示す。
9
関連年表(阿部崇、小松史生子)
各書簡の番号を入れる。書簡に記された会合などの動きも記載。
10
索引(末永昭二)
人名、作品名は入れる。それ以外の固有名詞や概念については要検討。

 ざっと以上のようなことでした。

 当面の作業としては、皓星社に往復書簡のテキストデータを送り、DTPソフトで翻字・解説版を全ページ試作してもらうことになります(脚注のスペースは空白)。

 次回の打ち合わせは、4月24日午後5時30分から豊島区民センター第一会議室で開かれる『新青年』研究会の例会で。

 以下、打ち合わせ以後の動きです。

書簡のスキャンについて
3月7日午前、乱歩ご遺族のもとを訪れ、平井憲太郎氏から『小酒井不木より江戸川乱歩への書簡』をいったん解体し、書簡を一枚ずつスキャンしたあと、ふたたび製本して復元することの許可をいただいた。東京創元社の『貼雑年譜』完全復刻版を手がけた紙資料修復工房に打診してみる必要あり。

 『小酒井不木より江戸川乱歩への書簡』はいまも平井家の所蔵で、立教大学に預けてあるとのことでした。紙資料修復工房の連絡先は東京創元社に問い合わせればわかるはずなのですが、そのあたり本多さんにお願いしてよろしいでしょうか。

 乱歩書簡のスキャンに関しては、成田山書道美術館学芸員の高橋利郎さんを通じて、栃木だか群馬だか北関東にお住まいの書簡所蔵者の方にお願いすることになります。この折衝は当方でいたしますが、スキャン作業は所蔵者のもとを訪れて行うことになるかもしれません。

 いずれにせよ、スキャナとノートパソコンを用意してスキャン作業を行う必要があるわけですが、そのあたりの実務は皓星社サイドが主体となって進めていただけるのかどうか。いかがでしょうか佐藤さん。

 それから、次回の打ち合わせで書簡集の正式なタイトルを決定したいと思いますので、それぞれ腹案を持ち寄っていただければ幸甚です。

生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001−1】
開設日
2003年11月12日
開設者
中 相作 NAKA Shosaku
御意見無用
名張人外境
E-Mail
stako@e-net.or.jp