2005年9月上旬

●9月1日(木)

 9月になりました。

 月が変わっても佐藤みどりの話題です。日本でただひとりの佐藤みどり研究家たらんと欲した私は昨日、とりあえず「佐藤みどり 乱歩」で Google 検索を試みてみました。と、ひっかかってきた二十七件中のトップが名張人外境です。

 ──でしょうな。でしょうな。そうでなければならんでしょうな。

 と気をよくしながら、二番手につけていたページに余裕でアクセスしてさあびっくり。

たのしみながら勉強中。
 そうそう、「探偵」といえば。

 ぼくは選挙の「女刺客」がどう、とかには全く興味がないのだが、夕刊フジのサイト「ZAKZAK」に佐藤ゆかりのナゾ探る…母は探偵、作家でも脚光浴びという記事が。「佐藤みどり」「女の眼」で検索したページによれば、帯には乱歩の推薦文があるらしいです。どういうものかはわからんけれど……。

 ま、母親が誰だろうと選挙には関係ナイはなしだ。〈本業の方は評判悪く…〉じゃどうしようもねぇわな。

退屈男と本と街 2005/08/26 /20:52

 いやー、まいった。これは負けたかもしれない。佐藤みどりの『女の眼』という本の帯に乱歩の推薦文があることをつきとめている人間が存在するとは。

 ──うーむ。ライバル出現。「本陣殺人事件」を読んだときの乱歩の心境はかくもあろうか。

 夕暮れに鴉の鳴き声を聞いたような不吉な思いに襲われ、ほとんどパニック状態に陥りながらさらに検索を進めた結果、私はたしかにそれらしいページを見つけることができました。しかしそのページは、私にとってけっして未知のページではなく、つか、これってどう見ても俺のページじゃん。

 そのページというのはほかでもありません、当サイト「江戸川乱歩執筆年譜」の「昭和31年●1956」なのでした。11月に佐藤みどりの『女の眼』がちゃんと記されております。

推薦文
佐藤みどり『女の眼』大日本雄弁会講談社 25日
帯に掲載

 上に引用したブログのブロガーが「帯には乱歩の推薦文があるらしいです」とお書きになっていたのは、まず間違いなくこのページを念頭に置いてのことであったと思われます。

 これはいったいどういうことか。つらつら考えてみますに、佐藤みどり率いる佐藤探偵局にもおさおさ引けは取るまじき探偵能力を発揮して、私はどうやら乱歩が昭和31年のものとして録してあったこの一冊──

帯の言葉 1 佐藤みどりの著書 月不明

 これが『女の眼』であるということを調べあげていたらしい。だから私はそれを刊本『江戸川乱歩執筆年譜』に記載し、ネット上にもアップロードした。だが私は、それをころっと忘れてしまっておった。見事なまでに忘却してしまっておった。私にはただ、乱歩の手書き目録で初めて佐藤みどりの名に接したときの困惑の記憶、佐藤みどりって誰? こんな作家いた? と頭を抱えたその記憶だけが鮮明なのであった。

 さすがというか、莫迦というか。

 つまり結論といたしましては、佐藤みどりの昭和30年の著書『情事の部屋』はカバーに乱歩の推薦文、翌31年の『女の眼』は帯に乱歩の推薦文。これが真相であるとご認識ください。

 日本でただひとりの佐藤みどり研究家への道は、もしかしたら意外に峻険なのかもしんない。


●9月2日(金)

 いまや軽い佐藤みどりシンドロームと称してもさしたる支障はない感じの私なのですが、そうこうしておりますうちに名張市生活環境部の部長さんからメールを頂戴いたしました。さっそくお知らせいたします。

 おっとその前に、怪人19面相君への約束どおり8月29日朝に名張市生活環境部へ送信した私のメール、正確にいえば添付ファイルでお送りしたわけなのですが、それを掲載しておきましょう。

 どうもお世話さまです。名張市の平成17年度市民公益活動実践事業として実施されている「写したくなる町名張」に関して、事業担当セクションの責任者でいらっしゃる生活環境部長のご見解を承りたく、勝手ながらこの文書を送付申しあげる次第です。公務ご繁多のところとは存じますが、ご一読をたまわったうえ、メールでご返事を頂戴できれば幸甚です。

 8月2日から4日にかけて、私が開設している電子掲示板「人外境だより」に、「新怪人二十面相」「怪人22面相」「怪人19面相」という三つの名義による投稿が寄せられました(詳細はこのページ──http://www.e-net.or.jp/user/stako/tayori-Egypt.html──でご覧ください)。投稿は都合七件。名義と投稿日時、IPアドレスは次のとおりです。

----- 引用開始 -----

新怪人二十面相
 2005年 8月 2日(火) 14時20分 [219.106.180.232]
 2005年 8月 3日(水) 11時18分  [219.106.181.254]
怪人22面相
 2005年 8月 3日(水) 14時53分  [220.215.0.39]
 2005年 8月 3日(水) 15時28分  [220.215.0.39]
 2005年 8月 3日(水) 15時36分  [220.215.0.39]
怪人19面相
 2005年 8月 4日(木) 0時23分  [220.215.2.92]
 2005年 8月 4日(木) 20時 6分  [220.215.61.171]

----- 引用終了 -----

 いずれもきわめて幼稚かつ無責任な内容で、まともに取り扱う要の認められるものではありませんが、卑劣で悪質な嫌がらせであることには間違いがありません。これらの文面を読むかぎりでは、彼らはいずれも、「写したくなる町名張」という事業を実施している「写したくなる町名張をつくる会」のメンバーであろうと推測されます。

 同会は7月、新町の細川邸裏にエジプトの絵を掲示して、「写したくなる町名張」の事業を実践しました。私は7月22日、みずからのホームページ「名張人外境」にその事業に関する見解を発表しました。次のような内容です。

----- 引用開始 -----

 きのうもお伝えしましたとおり、リフォーム詐欺の舞台である細川邸は名張市の新町にあります。新町のメインストリートは名張川に平行してつづいており、細川邸の裏には近年整備された道路を隔てて名張川が流れているのですが、その名張川沿いの道路から眺めた細川邸はこんな具合になっております。

 つまり細川邸の裏には、なじかは知らねどスフィンクスとピラミッドの絵が掲げられているわけ。どうして名張にスフインクスなのか、ピラミッドなのか。

 困ったことに、私にはまったく理解できません。細川邸の裏に突如としてエジプトの絵が掲げられねばならなかったその理由が、悲しいことに私にはミジンコの心理ほどにも理解できません。むろん細川邸の関係者が莫迦なのだといってしまえばそれで済む話なのではありましょうけれど、ここまで来ると莫迦だの阿呆だのといった表現ではとても追いつかぬのではないか。

 名張とエジプトをこのように手もなく難なく脈絡もなく結びつけてしまう背景には、おそらくは木村鷹太郎的な狂人の論理が要請されることでありましょう。すなわち、これぞまさしく気違い沙汰。細川邸の関係者のなかには少なくともひとり、とんでもない気違いが素知らぬ顔をして紛れ込んでいるようです。いやまあ、気違いというやつはいつも素知らぬ顔をしていることでしょうけれど。

 で、このスフィンクスとピラミッドの絵の前にはこんな立て札が立てられているわけです。

 言葉を失う、というのはこんな状態のことを指すのでしょうか。私にはもう……

----- 引用終了 -----

 彼らはおそらくこの私の批判を根に持ち、私の掲示板に幼稚で無責任かつ卑劣で悪質な投稿を試みたのだと思われます。むろん、彼らが私の見解に異を唱え、私に反論を寄せてくるのは彼らの自由であり、私が彼らのそうした自由を最大限尊重するものであることは申すまでもありません。

 ただし、それは彼らがみずからの言論に責任を持っている場合の話です。自身の素性も明らかにせず、電子掲示板に匿名の投稿を行って他人を誹謗中傷するような人間は、とてもみずからの言論に責任を持っているとは認められません。げんに彼らは、私がひきつづき掲示板に投稿するよう呼びかけても、いっさい応じようとはいたしません。この彼らの沈黙は、彼らの言論が無責任なものであることの何よりの証明にほかならないでしょう。

 今回の問題でとくに重要なのは、彼らの投稿内容が、彼らの活動そのものの愚劣さや欺瞞性を浮き彫りにしているのみならず、市民公益活動実践事業全体を貶める結果を招き、ひいては名張市のイメージまで悪化させてしまうのではないかと懸念されることです。この事業を手がける生活環境部の長という重職にお就きの貴職は、この件に関してどのような見解をお持ちでしょうか。また、何らかの措置をお考えでしょうか。

 ちなみに、かりに私が貴職の立場にあれば、私はまず「写したくなる町名張をつくる会」に事実関係を確認し、「新怪人二十面相」「怪人22面相」「怪人19面相」を名乗った投稿者が同会のメンバーであったのか、そうではなかったのか、それを明らかにしたうえで、前者後者いずれの場合でも、必要と思われる措置を講じることになるはずです。

 以上、勝手な申し出を書き並べて恐縮ではありますが、よろしく事情をお酌み取りのうえ、ご高配をたまわりますようお願い申しあげる次第です。

 なお、頂戴したメールは当方のホームページで公開させていただきたく、あらかじめご了解をお願いする次第ですが、もしも公開に差し支えがある場合は、その旨お知らせいただければ非公開といたします。

2005/08/29

 これに対し、名張市生活環境部の部長さんからご多用中さっそくにご返事をたまわったという寸法です。内容は以下のとおり。

 メールありがとうございます。

 さて、市民公益活動実践事業は、市民活動団体が先駆性、機動性、独創性、柔軟性などを十分に発揮して、名張市のまちづくりを活発にし、名張市の元気を市内外に発信するために取り組んでいただいている事業であります。

 この事業のひとつに「写したくなる町名張」があり、奇抜なアイデアにより名張の情報を市内外に発信いただいているものです。

 貴殿から当該事業に一定の評価をいただき、また、今回の投稿が与える影響についてもご心労を煩わせているところでありますが、事業の途中でもあり、この事業が良い方向で、その効果も現れてくるものと期待しているところです。

 今後ともご理解のほどよろしくお願い申し上げます。

 で、私の返信。

 メール拝受いたしました。お忙しいところありがとうございます。ただし、まことに失礼なことを申しあげますが、頂戴したお答えには承服しがたいものを覚えます。残念ながら、当方の質問に対する回答にはなっていないと申しあげなければなりません。

 私が「今回の投稿が与える影響」を懸念しているのは仰せのとおりなのですが、私はその点に関して、貴職のご見解をお訊きした次第です。その点はいかがでしょうか。行政当局の責任者として、貴職ご自身はどうお考えなのか、それをお知らせいただきたく存じます。ただ「事業の途中でもあり、この事業が良い方向で、その効果も現れてくるものと期待しているところです」とおっしゃるだけでは、当事者意識皆無の無責任きわまりないお答えであると申しあげざるを得ません。

 「新怪人二十面相」「怪人22面相」「怪人19面相」を名乗った投稿者が「写したくなる町名張をつくる会」のメンバーであるのなら、彼らの標榜する「公益」にはおおきに疑問が生じます。「写したくなる町名張をつくる会」のメンバーではないのであれば、彼らの投稿は同会の活動を貶めるためのプロパガンダだといっていいでしょう。

 いずれにせよ、行政当局が「事業の途中でもあり、この事業が良い方向で、その効果も現れてくるものと期待しているところです」などと傍観していられる場合ではないと私には思われるのですが、貴職のご判断はいかがなものでしょうか。

 ご多用中恐縮ですが、再度ご返事を頂戴できれば幸甚です。よろしくお願いいたします。

2005/09/02

 本日はこんなところです。さて、お次は掲示板「人外境だより」か。


●9月3日(土)

 生活環境部のお相手ばかりしていては、建設部のご機嫌が悪くなるかもしれません。建設部に事務局が置かれた名張まちなか再生委員会のその後について、すなわち、私の聞き及んでいたところでは委員会の検討内容をどんな形で公表してゆくべきか、それが8月中旬の会合で話し合われたはずなのですが、いまだ公表された形跡は見えません。ですからあれはいったいどうなっておるのか、みたいなことをそろそろメールで問い合わせてみようかなと思いついたのですが、きょうは土曜で名張市役所はお休み。問い合わせは週明けのことといたしましょうか。

 名張まちなか再生委員会における検討内容は、むろん私の耳にもあちらこちらから断片的に伝えられてきてはおり、それがまたどうにもあれな内容らしいのですが、そうした伝聞ではなく行政当局から発表された正式な情報に基づいて、申しあげるべきことがあれば申しあげたいと私は考えております。委員会の歴史拠点整備プロジェクトのみなさんから、

 「現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない」

 との見解を示していただいた「名張まちなか再生のための乱歩講座」に関しましても、現在のところ委員会の動き待ちといった状態です。

 さて、どうなるのかな。


●9月4日(日)

 きょうはごく短めにお知らせ一件。

 本日付朝日新聞読書面の「著者に会いたい」に、上に画像を掲げました『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎)の石塚公昭さんがご登場です。

 ではまたあした。


●9月5日(月)

 首都圏が豪雨に見舞われたそうですが(首都圏にお住まいのみなさん、お見舞い申しあげます)、当地には台風14号がじわじわ接近しつつあります。子供のころにはこんなとき、ただ学校が休みになってくれることのみを念じつづけたものでしたが、いまの私もほぼそんな気分です。

 と申しますのも本日、私は三重県立名張高等学校で二学期最初のマスコミ論の教壇に立たねばならんわけなのですが、その教材づくりに朝早くから大わらわ。ちょっと刺戟が強すぎるかな、とか思いながら大阪府で起きた自殺サイト連続殺人事件に関するプリントを泥縄的にまとめているのですが、これがなかなか終わりません。

 そのうえ、ついでだからと大サービス。ポプラ社版少年探偵江戸川乱歩全集に収録されている「子供や女性の口が押さえられている挿絵」三点をプリントに添えるためのスキャン作業に突入することをたったいま決定いたしましたので、台風が無理なら火事でもいい、定期試験が近づくと学校が全焼して試験用紙がすべて燃え尽きてしまうことのみを念じたあのころに戻ったような心境にもなっているのですが、幸運なんてそんじょそこらに転がってるものでは全然ありません。泣く泣く作業をつづけるしかないようです。

 それではまたあしたお目にかかりましょう。


●9月6日(火)

 久方ぶりに番犬情報を更新いたしました。台風14号が刻々と近づきつつあるらしい高知県の話題です。関係方面の無事をお祈りしたいと思います。ちなみに当地はと申しますと、現時点では雨もあがり、曇天には明るみさえ掃かれている状態。台風本番はもう少し先のようです。


●9月7日(水)

 台風14号の影響はいかがでしょうか。

 当地は本日午前2時半過ぎ、一時的にかなりの強風に見舞われたのですが、被害と呼ぶべきものはなかったようです。朝になると雨もあがって、三重県伊賀地方にはもう何の警報も注意報も出されていません。このまま日常に復してゆくものと思われます。


●9月9日(金)

 台風14号もとっくの昔にどこかへ行ってしまいました。被害がもたらされた地域のみなさん、お見舞い申しあげます。

 さて、先週の土曜日にこの伝言板に「問い合わせは週明けのことといたしましょうか」と記しました件、台風の影響もあって(台風に何の関係があるのかとお思いかもしれませんが、台風が近づいてきたら対策本部をつくったりなんやかんや、お役所のシフトは非日常的になってしまいます。ですからまあ、そんな時期は避けようかということで)問い合わせることは控えていたのですが、きょうはもう金曜日。なんか面倒だから来週に先送りしてしまいます。

 来週の目標。名張市産業部の名張まちなか再生委員会事務局に問い合わせのメールを出す。生活環境部の部長さんに催促のメールを出す。以上ふたつとなっております。こんなことやってても全然面白くないのですが、まあ致し方ありません。

 じつは朝っぱらからある作家が自殺したというニュースに接し、私はその作家に興味も関心もさらさらなく、もとより作品を読んだこともないのですが、あちらこちらと関連ページを閲覧しているうちにじつに鬱々とした気分になってしまいました。

 ではまたあした。


●9月10日(土)

 そんなこんなで週明けを待つばかりとなりましたウィークエンド、ここらでひとつ問題を整理しておきたいと思います。早いもので二か月ぶりということになりますが、お役所ハードボイルド「アンパーソンの掟」を登場させましょう。

芭蕉さんの子供たち
(1)
 閉じている。
 閉ざされている。
 開かれていない。
 内側を向いている。
 外部が存在しない。
 どう表現してみても、結局は似たようなものになるだろう。俺の眼にいま映し出されている風景のことだ。三重県名張市という田舎町で起きつつあるひとつの事件が、そのバックグラウンドである精神的風土を蜃気楼のように大気中に投影した架空の風景。それが俺の眼前に存在している。閉じ、閉ざされ、頑ななほど閉鎖的でありつづける風景として、それは紛れもなくそこにある。
 あるいは、それはブラックホールのようなものであるのかもしれない。強大な重力がすべてを内部に引きとどめつづけているせいで、この風景が外に向かって開かれるときなど永遠に訪れないのかもしれない。俺にはそんな気さえする。そしてまったく同じ疑問を、名張市ではなく伊賀地域に関して、あるいは三重県に関して、俺は以前にも抱いたことがある。
 ──伊賀の蔵びらき事件……。
 事件の発端は、三重県が三億円という予算を伊賀地域にばらまくと決めたことだった。北川正恭という前知事によって決められた既定路線だった。名目として、二〇〇四年が伊賀に生まれた松尾芭蕉の生誕三百六十年にあたるという、いかにも苦しい言い訳が用意された。街道フェスタ、東紀州フェスタというそれまでの路線からはややシフトして、行政ではなく住民が主体になって事業全体を計画し実施するという、聞こえだけはいい方針も採用された。
 伊賀地域七市町村の自治体と住民からさまざまな事業プランが募集され、それを取捨選択して三億円が分配された。そして二〇〇四年の五月から十一月まで、言い訳めいて長ったらしい「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という名の官民合同事業が実施された。だがその実態は、市町村と住民とが何を共有することもなく予算のばらまきにただ群がっただけの、官民合同の乞食騒ぎにほかならなかった。
 俺にはそれがあらかじめ了解されていた。だから事業が開幕する一年ほど前に、俺は事業が税金の無駄づかいに終わるのではないかという懸念を表明した。事業を担当する三重県伊賀県民局の局長に、ついで就任したばかりの野呂昭彦という知事にそれを伝え、事業の見直しを求めた。むろんまともな返答がもたらされることはなかったが、それもまた俺にはあらかじめ了解されていたことであったのだ。
 しかし本当の問題は、むしろ別の場所にこそ存在していた。三億円という税金がどぶに捨てられるのは、それこそ既定の路線だった。市町村職員や住民のレベルを考え合わせれば、予算のばらまきに伴う乞食騒ぎは避けては通れない。押しとどめがたいものだったといっていいだろう。それを仕方のないことだと認めたうえでなお、そこには無視し得ない大きな問題が存在していた。アウトフォーカスから徐々にピントを合わせてきたように、俺の前にはある風景がまざまざと立ち現れていたのだ。
 外部が存在しない。
 内側を向いている。
 開かれていない。
 閉ざされている。
 閉じている。
 それはそんな風景だった。税金の無駄づかいでしかない事業を平然と可能ならしめている精神的風土、それがブラックホールめく印象を帯びた風景として眼前に広がっている。俺にはそれが実感された。そしてそれは、透明なバリアに守られ、その内部ではどんなことも可能な異空間でもあると見受けられた。
 それを何と呼べばいいのだろう。たとえば安部公房ならば農村構造と呼んだかもしれない、閉鎖的で排他的な、そのくせそこに紛れ込んでしまいさえすれば、
 ──逃げるてだては、またその翌日にでも考えればいいことである。
 と納得されてもしまうような場。それが当時の俺の前に存在していた。そしていままたふたたび、あたかもデジャビュのように、それは紛れもなくそこにあるのだ。

 いやー、問題の整理など少しもできず、ただいたずらにたらたら長くなってしまいました。しかしどんな問題におきましても、その因って来る土壌を考察するのは大切なことでしょう。こうなったらたらたら行くしかないのかもしれません。それではまたあした。たらたらたら。