2006年5月上旬
1日 2日 10日
 ■ 5月1日(月)
連休谷間の弁

 お休みの方もいらっしゃいましょうが、突如として急ぎのお仕事が入ってきましたので、きょうのところは愛想もこそもありません。

  本日のアップデート

 ▼1983年8月

 乱歩集書のこと 秋田稔

 図書新聞に掲載されました。筆者は個人誌「探偵随想」の主宰者。年季の入ったと称するべき乱歩ファンでいらっしゃいます。

 江戸川乱歩は、魔法を使う怪奇と恐怖の小説家です。

 ぼくが乱歩の魔術にかかったのは、終戦の翌々年、学友に借りた『妖怪博士』の一冊でありました。小説とは、アア、こんなに面白いものか、こんなにも恐ろしいものであるのか。面白さに狂喜し、小説の夢に喝采しました。

 この息づまるときめきに、乱歩の法力があるのです。魔法の壺をかかえることを忘れた児童文学に、魅力があるでしょうか。魔力は魅力に通じるのではないでしょうか。

 あれから、三十六年たちました。しかし、少年の日にかけられた魔法は、いっかな解けそうにありません。おそらく、死ぬが日まで、ずっとつづくに相違ありません。

 『妖怪博士』の恐ろしいばかりの面白さにビックリ仰天し、憑かれたように貸本屋へ何度も足を運び、やっと借りたのが『少年探偵団』と『怪人二十面相』です。ガラス戸を叩く夜風に、悪魔の叫びと哄笑をきく思いで読んだ記憶は、いまも鮮明であります。


 ■ 5月2日(火)
連休突入の弁

 なんかもうばたばたしていて面倒ですから、勝手ながらあす3日から7日まで世間並みの連休ということにしてしまいます。どうもあいすみません。5月8日月曜日にまたお目にかかりましょう。よい連休をお過ごしください。

  本日のアップデート

 ▼2006年4月

 【この本と出会った】マンガ家・いしかわじゅん 『江戸川乱歩文庫』 いしかわじゅん

 産経新聞のオフィシャルサイトに掲載されました。

【この本と出会った】マンガ家・いしかわじゅん 『江戸川乱歩文庫』
 ひとり暮らしのいいところは、なにをしてもどんな生活を送っても、誰も文句をいわないことだ。ぼくはあっという間に授業に出なくなり、毎日朝まで一晩中本を読んでいるような、自堕落な楽しい生活に突入してしまったのだった。

 本屋にいき、金がないので文庫の棚を主に眺めると、まだ読んでいない本が津波のように押し寄せてきて、眩暈(めまい)がした。

 春陽文庫から、江戸川乱歩の短編集が何冊も出ていた。最初に買ったのは、記憶は曖昧(あいまい)だが『屋根裏の散歩者』か『人間椅子(いす)』あたりだったか。

 江戸川乱歩は、『少年探偵団』で知っていた。雑誌「少年」で〈少年探偵団手帖〉ももらったし、〈BDバッジ〉も持っていた。でも、その文庫に入っていたのは、もっとこう、おどろおどろしく変態でグロテスクでフェティシズム色の強い、ぼくの知らない乱歩だったのだ。本格探偵小説もあったが、主には人の心に潜む暗黒面を注視した、地方都市出身の純真な少年がまだ見たことのない世界を描いたものばかりだったのだ。

産経新聞 Sankei Web 2006/04/30/05:00

 ■ 5月10日(水)
リハビリやってます

 5月8日にお目にかかるはずが、二日遅れとなってしまいました。ご心配をおかけしているのかもしれません。おかげさまでずいぶんと楽になりました。まずは掲示板「人外境だより」の引用にもとづいて経過報告をば。

サンデー先生   2006年 5月 7日(日) 9時14分  [220.215.1.51]
http://www.e-net.or.jp/user/stako/

 臼田惣介様
 こちらこそお世話になりました。ご教示ありがとうございます。
 連休もきょう一日を残すのみとなりましたが、昨6日には京都先斗町にくりだす予定をしておりましたところ、同行するはずだった知人が名張近くの山中をフィールドワーク中に崖から落ちて怪我をしてしまい、急遽とりやめ。私は私で蜂に刺されるアクシデントに見舞われ、一夜あけたけさは右手の甲から肘のあたりがすっかり腫れあがっております。ひいひい。3日夜には酔っぱらって右膝を軽く怪我しましたし(これがまた妙な怪我で、ベンチから立ちあがって歩きだしたところ、左脚を大きく前に踏み出したというのに右脚がそれについてこず、しかし上体は前方に移動していますから、結果として右膝が鈍い音をたてて地面に激突するということを体験いたしました。こんな酔い方は初めてで、酔っぱらいというのもなかなか奥が深いものです)、なんだかろくな連休ではなかったなと思い返されます。

 要するに蜂に刺されたわけです。5月6日の夜に。

 この日はなんだか変な日で、この投稿にもあるとおり知人と京都の先斗町へ遊びにゆくことになっていたのですが、知人から入るはずの連絡が前日になってもありません。当日になっても同様で、どうしたのかなと思いながらも終日名張で過ごす結果となりました。夜は外で食事をして、帰宅したのはまだ午後9時にはなっていないころおいだったでしょう。

 当の知人から電話がかかりました。妙にこもったような声で、なんだかほがほがした喋り方です。聞いてみると、5月3日に近くの山をフィールドワークしていて崖から落ちてしまい、山中で一夜を明かしたあと、自力で崖をよじ登ってどうにか近鉄大阪線の駅までたどりついたのだといいます。駅員に救急車を手配してもらったのですが、骨折はなかったものの顔面に受けた傷を縫合しなければならず、口のなかも切れているからとても喋りにくいとのことでした。

 ちょっと驚かされたのは、

 「観音さんが見えましたんや」

 というひとことでした。観音さんというのは観音様、観世音菩薩のことでしょうが、

 「観音さんがいっぱい集まって、みんなでじーっとこっちを見てますねん。観音さん、なんでこっち来てくれへんねやろ思て、さみしいような気がしたんやけど、あれで観音さんが来てくれとったら、ぼくもう生きてなかったかもわからんね」

 いわゆる臨死体験にあらずや。私は知人の説明を聞きながら、どういうわけあいか久生十蘭の「予言」に出てくる、

 「おや、福助さんが出て来た」

 という主人公のせりふを連想したりもし、こちらからあれこれ質問することはできかねる状態でしたから詳細は不明なのですが、もしかしたら知人は本当に九死に一生を得たのかもしれないなと思わざるを得ませんでした。

 いずれ先斗町で全快祝いを、と約束して受話器を置き、そのあとのことはなぜかよく憶えていないのですが、たぶんウイスキーを飲みながらテレビでプロ野球を見て、やがて就寝。

 右手の甲のあたりに何か違和感のようなものを感じて、眼を醒ましました。痛いといえば痛いのですが、むず痒いような感じもする。左手で右手をさすりながらまた寝入ったのですが、ときどきめざめては右手をかきむしる動作をくりかえしたことが記憶に残っています。

 そして翌朝、7日の朝のことです。眼が醒めるとすぐ近くに蜂の死骸が転がっていました。死骸というか、わずかに動いているようでもある。そういえばと思い出して見てみると、7日付投稿に記したとおり「右手の甲から肘のあたりがすっかり腫れあがっております」といった状態でした。あ、蜂に刺されたのかと前夜のことが納得され、それにしても腫れようがなんだかすさまじく、ずきずきと疼きもしますから、近所の薬局で虫刺され用の塗り薬、ムヒアルファというのを買ってきて塗布してみたのですが、あまり効果はないようです。

 その日の夕方には症状がさらにひろがり、右腕全体が腫れあがってしまいました。指はほとんど曲がらず、じゃんけんしてもパーしか出せないありさま。これはよほどのことなのではないかと警戒する気持ちになってきて、夜にはウイスキーをお湯割りで飲むという男の風上にも置けない行為に不本意ながら及んでみたところ、アルコールが体内に入ったとたん、腫れと疼きが一挙に増したような感覚がありました。こんなことで負けてられるか、と思って一杯目は飲み干し、二杯目に口をつけると、これには心理的な要因も大きくあずかっていることでしょうけれど、やはり右腕全体が一気にふくれあがるような気がしてくる。右腕はいまや野放図なほどに腫れあがって、さすがにそれ以上ウイスキーを飲むのはやめたほうがいいだろうと思われましたので、早々に床につくことにしました。

 その夜も妙な電話がかかりました。弔辞が消えたという電話でした。4月29日、私は伊賀市で営まれた知人の葬儀に参列し、弔辞を読んで霊前に捧げてきたのですが、電話はその知人の奥さんからで、いくら探しても弔辞が見つからない、心当たりはないか、という用件でした。むろん心当たりなどなく、必要ならば原稿をプリントアウトすればいいだけの話なのですが、弔辞が見つからないというただそれだけの事実が、なにごとか深い意味をもっているのではないかとも思いなされてきます。

 ──卯月四月も終わろうとする春の一日に、こうしてお別れを申しあげなければならないのはたいへん悲しいことです。行く春や鳥啼き魚の目は泪。芭蕉がそう詠んで奥の細道へ旅立ったのも、陰暦でいえば弥生の終わりごろ、もしかしたらきょうのような薄曇りの日のことであったのかもしれません。三百年あまりのときを隔てても、芭蕉が鳥や魚に託した惜別の念は自分のもののようにまざまざと、いまあらためて胸にあふれてくるようです。

 葬儀の朝に書いた弔辞を思い出しながら寝入りもできず輾転反側していると、また電話がかかってきて、弔辞が見つかったとのことでした。それはよかったと答え、妙なことばかり起きるなと首をひねるような気分で蒲団にもぐりこんだものの、右腕が疼いて眠れたものではありません。だいたいが夜というやつは人の心に不吉な想念をかきたててやまないもので、私はとにかく酔っぱらうことで夜をやり過ごすのを常としているのですが、この夜はほとんどお酒を飲んでいませんでしたから、右腕の疼きがなかったとしても眠れない夜にはなったでしょう。

 あ、と眠れない夜を過ごしながらぼんやりした頭で私は埒もないことを考えました。ときどきテレビのニュースで蜂に刺されて死んだ人のことが報じられているけれども、もしかしたらおれも蜂に刺されて死んだ人になってしまうのかもしれない、手の甲を刺されて、その腫れが肘まで、さらに腕の付け根にまで来ているのだから、このあとは肩に来て、頸、顔、頭、そこまで腫れてしまったらどうなるのだろう、とても生きてはいられないのではないか、死ぬなら死ぬでしかたないけれど、せめて『江戸川乱歩年譜集成』をまとめてからのことにしてほしかったなあ、まいったな、あ、このまま眠ったら夢のなかに観音様が出てきそうだ、おれが死んだら誰が弔辞を読んでくれるのだろう、へたくそな弔辞を読まれたらおれはなんだか恥ずかしいぞ、あ、腕がずきずきしやがる、みっともなく腫れあがって他人の手みたいであるというのに、これはやっぱりおれの手か……。

 明けて8日の朝、私はいちばんで開業医に駈けつけ、医師の診断を乞いました。ゆくたては9日付投稿にありますとおり──

サンデー先生   2006年 5月 9日(火) 7時 7分  [220.215.0.206]
http://www.e-net.or.jp/user/stako/

 ご閲覧の皆様
 蜂に刺されたあとのアレルギー反応が激しく、右腕が指から腕の付け根あたりまで力士のそれのように腫れあがってつかいものになりません。いまもようよう、ほとんど曲がらなくなった右手の指は薬指一本だけをつかってキー入力を行い、マウスは慣れぬ左手でよたよたと使用している状態です。きのう病院で診察を受け、抗アレルギー剤の血管注射を打ってもらい、錠剤と顆粒のお薬をびっくりするほどたくさん手渡されてきたのですが、おかげさまで死ぬようなことはないそうです。以上、とりいそぎご報告まで。

 注射のおかげで疼きは嘘のように消え、腫れには変化がなかったもののそれ以上ひろがることはなく、9日の朝にはこの程度の投稿ができるまでに恢復を見ました。

 けさはさらに楽になっていて、腫れはやや引いたかといった程度なのですが、リハビリテーションとしてこうして伝言板に書きつけることも可能になりました。いやよかったよかった。まだ多少の不自由は感じますものの、両手を自由につかえるというのはなんとありがたいことであるのかと、じつに素直な喜びを感じている次第です。

 以上、リハビリかたがたご報告まで。