2006年12月下旬
21日 部屋の寒さに顫えつつ アシ
22日 十七年目はどうなるの? 乱歩文献まる分かり
23日 光明はごくあっさりと消えてしまった 乱歩に関する文献目録
24日 クリスマスイブの朝に 鉄人Q
27日 再審決定の取り消しってのはどうよ 召しませヒップ
28日 犯行四、五日前のコンドーム 召しませヒップ
29日 世の中おかしなことだらけ 日本のベストミステリー100
31日 どうぞよいお年を 9 江戸川乱歩
 ■12月21日(木)
部屋の寒さに顫えつつ 

 ぴーッ。

 こんな音がするばかりです。ストーブのスイッチをいくらオンにしてみても、

 ──ぴーッ。

 という音がしてそれっきり。うんともすんとも反応がありません。

 さむッ。

 もうきょうはさぼっちゃう。

  本日のフラグメント

 ▼1931年4月

 アシ 江戸川乱歩

 すべて整理したと思っておりましたのに、乱歩の手になる随筆のコピーがきのうになってまた二点、資料のなかから出てきました。それをもって本日の責めをふさぐことといたします。

 いずれも中島河太郎先生からお送りいただいたもので、ともに「猟奇」に掲載された「御返事」と「アシ」です。

 「アシ」のほうから引いておきます。

 浅草の十二階だつたか、大阪の通天閣だつたか、それともチヨツとした人知れない高殿であつたか、今は思ひ出せませんが、フト見下したハヅミに、歩く人を見てゐると、頭がバカに小さくて、足ばかり無闇に大きく眼につくのです。

 足あるいは脚ないしは肢の特集みたいなものが組まれていて、乱歩もこんな文章を寄せているのですが、乱歩の視線というやつはまことにどうも興味深い。

 しかしそんなこといってられないくらいに寒い。

 思わず冬眠してしまいそうな寒さである。


 ■12月22日(金)
十七年目はどうなるの? 

 きのうは失礼いたしました。けさは寒くはありません。以前使用していたストーブを代打に立てました。

 ──ぴーッ。

 という音だけがしてちっとも動かない現役のほうは二軍に落としました。ていうか電気屋さんに修理を頼みました。じき調整を終えて戻ってくるでしょう。

 さて私はどんなおはなしをしていたのか。12月20日付伝言のおしまいのあたりからつづけます。

 いい加減にしておけ。

 もういい加減にしておけ。

 不勉強無教養不見識無責任な官民双方のうすらばかどもがインチキかまして税金どぶに捨てるのはいい加減にしておけというのだ。

 しまいにゃ怒るぞ。

 以上、ふるさと振興基金活用事業のひとつとして乱歩関連イベントがスタートした1991年度からの十六年間を簡単に振り返ってみましたが、結局はイベントでしかありませんでした。この名張市においてはコミュニティイベントのレベルでしか乱歩という作家にアプローチすることができませんでした。地域社会のアイデンティティの拠りどころとして考える、なんてことは名張市における官民双方の精鋭のみなさんにはできぬ相談であったようです。

 しかしそのいっぽう、

 ──江戸川乱歩が愛した町に、

 ──レッドカードの雨が降る。

 でおなじみのランポーレ FC をはじめとして地域住民サイドには、乱歩という作家を名張のまちのアイデンティティの拠りどころにしたいという希求があることもたしかなようです。

 さあ、いったいどうすればいいのかにゃ?

 といったようなことであったのですが、どうすることもできないでしょう。過去十六年を振り返ってみるとそういう結論にいたらざるをえません。

 要するに名張市にとって乱歩はただのお飾りであった。自己宣伝のための素材にすぎなかった。そしてその自己宣伝すらまともにはできなかった。怪人二十面相のかっこうでそこらをうろうろするくらいが関の山であった。乱歩を自己宣伝の素材とする試みは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」が実施された2004年をピークとして展開されましたが、結局ろくなものはありませんでした。どんな成果も残されませんでした。むろん『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』という成果はありましたが、私はいま乱歩を素材とした地域振興や市街地再生といった面での成果を問題にしているのであり、『子不語の夢』はそんなことにはいっさい無縁です。で、乱歩を素材にして無理やりひねり出したはずのからくりのまちというコンセプトも、インチキの命は短くて、あっさりと翌2005年で命脈がつきてしまいました。名張市が乱歩にかんして無策無能であり無責任であることはこれでいよいよ明瞭になりました。

 ていうかずーっと一貫して無策無能無責任だったわけです名張市は。とりあえずミステリ作家の講演会でもやっとけば、とか、しかしやっぱ乱歩記念館かな、とか、足の向くまま気の向くまま、その場その場の思いつきでうわっつらのことばっかやってきただけにすぎません。だからもう、

 ──いい加減にしておけ。

 ということでいいはずであり、

 ──不勉強無教養不見識無責任な官民双方のうすらばかどもがインチキかまして税金どぶに捨てるのはいい加減にしておけというのだ。

 ということにならなければおかしいはずなのですが、しかし名張まちなか再生委員会のみなさんが、あの乱歩のらの字も知らないみなさんが来年3月末までに桝田医院第二病棟の活用策をまとめてくれるというのですから、まことに遺憾なことながら不勉強無教養不見識無責任な官民双方のうすらばかどもがインチキかまして税金どぶに捨てることになってしまうのであろうなと懸念される次第です。まったく往生際の悪いやつらだ。桝田医院第二病棟なんてほんとにこれでいいのよ。

 しかるに十七年目の2007年度には桝田医院第二病棟に乱歩文学館だかミステリー文庫だかが建設されてしまうことになるのかな。

 そんなことでいいのかにゃ?

 やめとけこらばか。

  本日のアップデート

 ▼1997年5月

 乱歩文献まる分かり/生誕地の三重・名張市図書館/データブック刊行

 段ボール箱の底のほうから新聞の切り抜きやコピーが出てきました。なかに1997年5月のものがあります。名張市立図書館の『乱歩文献データブック』ができあがったとき、名張市役所の記者クラブのみなさんに書いていただいた記事です。「RAMPO Up-To-Date」に録してしておりませんでしたので、本日まとめて記載しました。

 そのうちの中日新聞の記事から引いておきましょう。これはたしか伊賀版ではなく社会面に出たものだと思います。

 明治二十七年に現在の名張市新町で生まれた乱歩の業績をたたえようと、同図書館は昭和四十四年の開館以来、乱歩の著作や関連資料の収集を続けている。平成六年の生誕百年で関連の著作物が増えていることから、リスト作りを発案。「全国の乱歩ファンや研究者にも使ってもらえるリストに」と、図書館にない資料や未確認文献も網羅した。

 これはもう名張市においては奇蹟と呼ぶしかないほどまっとうな、しかし一般的に考えればごく当然な話です。図書館が収集資料にもとづいてサービスを提供するのはあたりまえのことなのであって、しかも乱歩のファンや研究者なんて日本中に存在しているわけなんですから、しみったれたこといってないで乱歩を愛するすべての人をサービス対象にしてしまえばいいのである。

 ところがどうやら無理っぽい。名張市立図書館が乱歩にかんして何をすればいいのかよくわからない、というものですから私は懇切丁寧にこういうことをすればいいのだよと見本を見せてやったのですが、その見本の方向性に沿って乱歩にかんするサービスを提供する気がないというのだから名張市立図書館は乱歩から手を引け。乱歩コーナーなんか閉鎖してしまえ。私はそういってるわけなのね。

 しまいにゃ怒るぞ。


 ■12月23日(土)
光明はごくあっさりと消えてしまった 

 寒い寒いといってるあいだに12月も23日。恒例の年末進行であわただしくなってまいりました。

 23日といえば実相寺昭雄監督の遺作となった「シルバー假面」の公開日です。オフィシャルサイトをのぞいてみたら「Trailer」がアップロードされておりました。石橋蓮司さんが白塗りでカリガリ博士を演じているのがいかにもきわものっぽくていい感じです。お暇な方はダウンロードしてじっくりどうぞ。

 さあ、どうよ。

 どうよったってどうにもなるもんじゃありませんけど、とにかく私はちゃんとしたことをやる気がないのなら名張市立図書館は乱歩から手を引くべきであると考えておりました。ですから名張商工会議所がなばり OLD TWON 構想をまとめるに際しては、細川邸は「名張の町家」という施設にして柔軟につかいまわす、市立図書館乱歩コーナーにある乱歩の遺品や著作は細川邸の蔵で展示する、一画に乱歩の生家を復元する、というプランを提言したわけです。そのうえで乱歩コーナーは閉鎖してしまい、名張市立図書館は乱歩とは無縁な図書館になってしまう。それでいいであろう、と。

 それが2003年のことだったのですが、なばり OLD TWON 構想は結局のところ何の動きも見せず、2004年は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」でてんやわんや、いっぽうで名張まちなか再生プランの策定がはじまり、2005年に入ってプランの素案が発表されました。プランに眼を通した私はその低劣な内容に一驚を喫し、こんなプランはものにならぬと瞬時に判断したのですけれど、それと同時にこの名張まちなか再生プランに連動させれば名張市立図書館が乱歩にかんして質の高いサービスを提供できるようになるかもしれないとも考えました。

 それを可能ならしめるために、私はパブリックコメントを提出したわけです。

 といったところでこちらをどうぞ。

  本日のアップデート

 ▼1997年7月

 乱歩に関する文献目録

 きのうにひきつづき、段ボール箱の底から出てきた新聞の切り抜きやコピーにもとづいて「RAMPO Up-To-Date」の落ち穂ひろいを進めます。

 きのうは1997年5月の発行分でしたが、この月には SR の会の「SR マンスリー」でも『乱歩文献データブック』を大々的にとりあげていただきました。その号のコピーも出てきました。河田陸村さんの「乱歩文献データブック 目録が面白く読めるとは!」、野村恒彦さんの「『乱歩文献データブック』について」は「RAMPO Up-To-Date」にも謹んで記載してありましたが、表紙に掲載された文章もまことにありがたく、「表紙の言葉」として「RAMPO Up-To-Date」に追記するとともにここに引用しておく次第です。

 名張市立図書館が「江戸川乱歩リファレンスブック1」と銘打ち『乱歩文献データブック』を刊行した。

 資料に基づき作家を研究するのには労力がいる。しかし、その資料そのものを作成するのにも同じくらいか、あるいはそれ以上の労力がいる。そして、研究論文は脚光を浴びることもしばしばであるが、資料の作成は苦労のわりには報われることが少ない。

 その地道な作業の結晶がこのデータブックである。この本からは関係者の気負いのない意気込みが漂っている。こんな企画を実現させてくれる名張市というのは、もうただの市ではない。

 この当時の名張市というのはまさしく「ただの市」ではありませんでした。うわっつらの思いつきでちゃらいことやって目先の人気取りに走りながらみごとに滑ってるそこらの市とは大違い(関係者全員が忍者装束に身を包んで議会を開いた市、なんてのがげんにあったわけなのですが)。労多くして報われることが少なく、ゆえに商業出版社にはとても望めないであろうけれどもそんなものがあったらどんなに重宝するだろうと思われる書誌の作成を、それなら市民の税金でつくりますからと脚光を浴びることのない地道な作業を積み重ねて刊行する市なんてめったにありません。

 なんか名張市は結構かっこよかったと私は思う。まさか後年、まちなかにやたらと怪人二十面相が出没したり、あるいは怪人二十面相が名張郵便局で一日郵便局長を務めたり、はたまた怪人二十面相に扮した市民が市議会議員選挙で当選なさったり、それからまた──

 こんなことが名張市における現実の光景になってしまうであろうとは、当時の私は夢にも思うておらなんだ。

 さて6月になりますと、12月14日付伝言に記した毎日新聞書評欄のレビューのほか、山下武さんが「週刊読書人」の連載「赤耀館読書漫録」で、斉藤匡稔さんがエラリイ・クイーン・ファンクラブの「QWEENDOM」で『乱歩文献データブック』を紹介してくださいました。日本経済新聞にも「江戸川乱歩のデータを集成」という記事が掲載されました。これらはいずれも「RAMPO Up-To-Date」に記載済みでした。

 つづいて7月。共同通信配信の短信が掲載されました。コピーが出てきたのは四国新聞と高知新聞で、ともに「乱歩に関する文献目録」というベタ記事です。この記事二本は洩らしておりましたので、本日「RAMPO Up-To-Date」に記載いたしました。冒頭を引いておきます。

 名探偵・明智小五郎の生みの親、江戸川乱歩。その乱歩に関する文献目録を、乱歩の出身地、三重県名張市の市立図書館が一冊にまとめた。

 おなじく7月、「日本古書通信」の「受贈書目」にも『乱歩文献データブック』が登場しており、これも本日「RAMPO Up-To-Date」に追加。

 ──公共機関の刊本ながら、相当に入れこんだ書誌である。

 と紹介していただいたのですが、「公共機関の刊本ながら」というのは要するに公共機関によるお役所仕事とは思えない本であるということで、このあたりのことは去年6月に出た「季刊本とコンピュータ」の「そして、本だけが残る──三人の「出版者」との対話」で河上進さんにもお書きいただいております。ついでですからちょこっと引用をば。

 名古屋から近鉄の特急で二時間。名張駅の前にある急な坂を登りきったところに、名張市立図書館はある。一見ごく普通の公立図書館である同館が発行元となり、「江戸川乱歩リファレンスブック」として三冊の画期的な書誌が発行された。乱歩について書かれた評論、随筆、同時代の新聞記事、事典の項目などを網羅する『乱歩文献データブック』(一九九七、以下『文献』)、短篇から随筆まで乱歩の作品を年代別に掲載する『江戸川乱歩執筆年譜』(一九九八、以下『年譜』)、自著以外に共著、翻訳書、編纂書までを集めた『江戸川乱歩著書目録』(二〇〇三、以下『著書』)である。

 これまでにも乱歩全集などに同種の目録が収録されたことはあったが、単独の書誌の出版は初めてだ。詳細な索引や解説に加え、本文二色印刷、読みやすいレイアウト、戸田勝久による装丁など、本としての魅力も十分にある。公共図書館が出す蔵書目録や資料目録のそっけなさとは対極にある出版物だ。

 まことにありがたいお言葉です。これにちゃっかり便乗して、名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブックはうわっつらをなぞっただけのお役所仕事ではまったくなく、あくまでも利用者サイドに立ってサービスにこれ努めた(お役所のサービスは本来そうあるべきなのですが)書誌であることをここにあらためて強調しておきたいと思います。

 そして1997年7月発行の「幻想文学」。『乱歩文献データブック』は「幻想ブックレビュー」のコーナーで「お知らせ」として罫線で囲んだなかに書影入りという破格の扱いをしていただいたのですけれど、うっかり「RAMPO Up-To-Date」に記載するのを忘れておりましたので本日あわてて追記しました。

 こんなコピーも出てきました。北九州市にある「ふるほん文庫やさん」という文庫本専門古書店が発行している「文庫三昧」の「皆様からの投稿コーナー」のコピーです。南さんとおっしゃる方が『乱歩文献データブック』を紹介してくださっていて、ありがたさとうれしさのあまりコピーしておいたのだと思われます。

菊判箱入り、表紙の文字は金押しの堂々とした装丁です。紙も印刷の文字もなつかしさを感じさせる色あいです。“江戸川乱歩リファレンスブック1”という副題がついていて、リファレンスブック2は“乱歩著作年譜1・執筆年譜”として来春刊行予定だそうです。京阪神の一部の本屋に並ぶ程度で、それ以外の地域の本屋ではまずお目にはかかれないとの事。6月8日付毎日新聞の書評欄にもとり上げられたので、その記事を目にした方もいらっしゃるでしょう。代金は3,000円+税+送料です。

 プロのレビュアーでもなんでもない方に投稿というかたちで紹介の労をおとりいただいたわけです。感涙にむせばなければ人間ではあるまい。

 さあ、どうよ。

 『乱歩文献データブック』にまったく予想もしていなかった反響が続々と寄せられたのは、名張市立図書館が江戸川乱歩リファレンスブックによって示した方向性が間違っていなかったということでしょう。その方向性を追求してゆけばインターネットを活用した質の高いサービスが当然求められてくるはずなのですが、名張市にはそれができない。できないというのなら乱歩から手を引いてしまえ。私はそんなふうに考えていたのですが、2005年になってわずかな光明を見いだしました。

 光明というのはいうまでもなく名張まちなか再生プランであり、私は質の高いサービスを実現するべくパブリックコメントのなかに名張市立図書館ミステリ分室構想を盛り込んでみたのですが、光明はごくあっさりと、あっというまに消えてしまいました。

 さあ、どうよ。


 ■12月24日(日)
クリスマスイブの朝に 

 2006年もいよいよ暮れ方。この際ですからもう少し行っときたいと思います。名張にとって乱歩とは何か、ですとか、名張市は乱歩にかんして何をしてきたのか、ですとか、そういったことを確認考察してきた次第なのですが、名張まちなか再生プランに関連して私が見つけたわずかな光明もすでに消えてしまった2006年の末つ方、それでもなおしつこくももう少し、おなじテーマでつづりたいと考えております。ただしこのあとは消えてしまった光明に主眼を置くことになるでしょう。

 それはさておき今夜はクリスマスイブです。私はひとあし早くきのうの夜にサンタさんのかっこうをして親戚のお子供衆にプレゼントをくれてやったのですけれど、あすはクリスマスであさってはただの火曜日。まことに勝手ながらあすとあさっての更新は都合によりお休みすることにいたします。

 それでは12月27日水曜日の朝にまた。

  本日のアップデート

 ▼2005年2月

 鉄人Q 江戸川乱歩

 きょうはこれで行っときます。ポプラ社の文庫版少年探偵シリーズの第二十一巻。巻末解説からどうぞ。

解説 少年探偵団の人気の秘密
中尾明

 『鉄人Q』には、少年探偵団の七つ道具が出てきます。

1. BD バッジ(団員が胸につける目じるし) 2. 万年筆型の懐中電灯 3. 磁石(方角を知るため) 4. 呼び子の笛 5. 柄のついた拡大鏡 6. 小型望遠鏡 7. 手帳と鉛筆

 この一つ一つを、団員たちがたくみにつかって、怪人二十面相の一味を追いつめ、「鉄人Q」のなぞを解いていくところが、読者にとってはたまらない魅力なのです。少年少女の読者は、自分も団員になって、七つ道具をつかってみたくなります。わたしも小学生のころ、少年探偵団にあこがれたものでした。

 すぐれた探偵小説は、事件のなぞ解きで読者を楽しませながら、人間や社会にとって、なにが正しく、なにがまちがっているかということを考えさせます。そして少年少女の正義感にうったえ、人間や社会をおびやかす悪と戦うことをうながすのです。

 じつは、そういうところに「少年探偵」シリーズの長い人気の秘密があるのではないでしょうか?


 ■12月27日(水)
再審決定の取り消しってのはどうよ 

 おかげさまでこの時期恒例の年末進行もピークを過ぎました。無事に復帰いたしました。今年も残すところあと五日となり……

 などと悠長なことをいってる場合ではありません。一日遅れのクリスマスプレゼントになるだろうと目されていた名張毒ぶどう酒事件の再審開始、あろうことか名古屋高等裁判所によって取り消されてしまったではありませんか。名古屋高裁が奥西勝死刑囚の第七次再審請求を受け、再審の開始を決定したのは昨年4月5日のことでした。それが検察側の異議申し立てをそのまま認め、一転して再審決定を取り消したというのですからただごとではありません。名張まちなか再生委員会以上にぶれまくっておる。異常事態だというしかないでしょう。

 きのう午前11時57分の共同通信による第一報がこれです。

 こうあります。

 決定で門野裁判長は「元被告以外の者にぶどう酒に農薬を混入する機会がなく、状況証拠によって犯人と認定できる」とした上で「弁護側の新証拠に明白性を認め、無罪を言い渡すべきとした再審開始決定は誤り」と述べた。

 捜査段階の元被告の自白は「詳細で具体性に富み、現場で発見された証拠物などに裏打ちされ、信用性が高い」とした。元被告は起訴直前から全面否認していた。

 新たに提出された証拠は採用せず、状況証拠と自白だけで充分OK、という寸法です。そんなばかな話はないでしょう。いったいいつの時代の話か。推定無罪の原則はどこへ行ったのか。

 毎日新聞は社説でとりあげてます。

社説:毒ぶどう酒事件 45年も揺れ動く自白の評価
 今回の決定は新証拠に明白性がないとする一方、奥西死刑囚以外に農薬を混入する機会はなかったと指摘したが、結局は捜査段階での自白を重視したように映る。決定理由でも「極刑が予想される重大犯罪について、自ら進んで、あえてうその自白をするとは考えられない」と述べている。確かにそう思われがちだが、実際には被疑者が取り調べの苦痛から逃れようとしたりして、自身に不利な自白をするケースはいくらでもある。自白の任意性、信用性の評価は難しく、過去の再審事件でも繰り返し大きな争点にされてきた。
毎日新聞 MSN-Mainichi INTERACTIVE 2006/12/27/00:09

 それでは奥西勝死刑囚の場合はどうであったか。「被疑者が取り調べの苦痛から逃れようとしたりして、自身に不利な自白をするケース」であったのかどうか。

 事件の発生は四十五年前、昭和36年3月28日のことであった。名張市内の葛尾公民館で三奈の会という生活改善クラブの総会が開かれ、女性用に出されたぶどう酒を飲んだ十七人のうち五人が死亡した。ぶどう酒には農薬が混入されていた。死者のなかには奥西さんの妻と愛人が含まれていた。

 3月29日。奥西さんは警察の取り調べを受けた。刑事が家にやってきて、参考人調書を取っていった。警察は惨劇の舞台となった総会の出席者全員から事情を聴取しており、この時点で奥西さんに疑いの眼が向けられていたわけではなかった。

 3月30日。警察での取り調べがはじまった。むろん任意によるものだが、断れるものではない。警察の車が毎朝奥西さんを迎えに来て、夜遅く自宅に送り届けた。警察は奥西さんと妻および愛人との関係に強い関心を抱いていた。三人の関係は集落内では周知の事実であり、事情聴取の段階で複数の住民がそれを証言していた。しかし奥西さんは当初、愛人との関係を否定していた。捜査本部はそのことに不審を抱いた。

 3月31日。奥西さんは犯人かもしれない人物として、集落内のある主婦の名前をあげた。捜査本部は奥西さんへの疑惑をさらに深め、愛人との関係を軸に追及すれば奥西さんを落とせると判断した。

 4月1日。捜査本部に三重県警のエースと呼ばれていた警部補が加わった。追及は厳しさを増した。愛人との関係も含め、知っていることを洗いざらい話さなければ家に帰さない。奥西さんは警部補からそういわれた。奥西さんには家に帰らなければならない理由がふたつあった。自宅の精米機に水を入れてすぐ動かせるように準備してあったのだが、そのままにしておくと錆びついてしまう。もうひとつの理由は盗電だった。奥西さんは自宅の電線に細工を施し、電気の使用量をごまかしていた。そろそろ電力会社がメーターの検針にやってくるころだから、その前に細工をもとどおりにしておかなければならない。奥西さんは供述をはじめた。愛人が原因で夫婦仲が悪くなり、口喧嘩が多くなっていたことや、事件直前に公民館で妻がしゃがみ込んで何かしている姿を目撃したことなどを話した。供述を終えて警察の車で自宅に帰ったが、刑事はそのまま家にあがってきて、徹夜で奥西さんを監視した。

 4月2日。秘密にされていたはずの前日の供述内容が、毎日新聞にスクープされた。社会面トップに「三重毒酒事件“妻が農薬入れた”/奥西元会長が供述/「やったな」と瞬間思った/シットから無理心中か」との見出しが躍った。奥西さんの妻が愛人を殺して自分も死ぬために、総会でふるまわれるぶどう酒に農薬を混入したとする捜査本部の推定も記されていた。報道合戦に拍車がかかり、奥西さんの家には早朝から記者が詰めかけた。午前8時、奥西さんは警察から来た迎えの車に乗り込んだ。眼の周囲には疲労と苦悩を物語る黒いくまが浮かんでいた。

 以上、江川紹子さんの『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』(2005年7月、新風舎文庫)にもとづいて奥西勝さんの取り調べ状況を要約しました。江川さんの記述は奥西さんの手記と弁護人への手紙、公判での証言などをもとに再現されたものです。

 『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』の画像はこれです。クリックすると版元の紹介ページが開きます。

 以下、原文を引用いたしましょう。文中の千鶴子は奥西さんの妻、ユキ子は愛人、辻井は警部補の名前なのですが、登場する人名は奥西勝さん以外いずれも仮名となっております。

 「千鶴子が犯人なら、お前も同罪だ。千鶴子が犯罪を犯したのは、お前の女関係のせいだ。お前も責任を取らなくてはならない」

 勝は黙ったまま、心の中で辻井の言葉を反芻した。

 (そうかもしれない。もし妻がこんなことをやったとすれば、ユキ子に対する嫉妬心だ。その原因を作ったのは自分だ。妻に農薬の置き場所を教えたのも自分だ。どっちみち責任は取らなくちゃならないのかもしれない……)

 辻井はさらに勝を揺さぶった。

 「お前が犯人は千鶴子だと言うから、部落の人がお前の家に押し掛けている。お前の親父やお袋は、もう自殺すると泣いてるぞ。今、現地から帰った警察官が言ってるんだから、間違いない。お前どう思ってるのか」「早く謝らんと、家族がどうなるかわからんぞ」

 繰り返し述べ立てる家族の状況を、勝はすっかり信じ込んだ。

 実際、前夜の供述が新聞に報道されて、家族はかなり動揺していた。千鶴子の母は血相変えて、勝を責め立てた。

 (自分がやったと言った方が、家族のためになるかもしれない)

 ふっとそう思った。

 盗電や精米機のことも頭をよぎった。

 勝が黙ったままでいると、辻井が部屋を出ていった。もう一人の取り調べ官山川巡査部長と二人で差し向かいになり、取り調べも中断された。勝は、比較的穏やかな山川には相談してもいいかもしれないという気になり、盗電と精米機の話をした。

 「こういうわけで、早く調べを終えて帰して下さい」

 山川は、盗電の方法について詳しく聞き取った後、六法全書らしい分厚い本をパラパラとめくった。

 「お前さん、この事件に関係してなくても、電気工事のことだけで、逮捕できるんだよ」

 「ええっ、どういうことですか」

 もちろん悪いこととは知っていたが、逮捕されると聞いて、勝はすっかり動揺した。

 「これからの調べにちゃんと答えれば電気工事の件と精米機のことは、お前さんが望んでいるようにしてやってもいいが……」

 山川はそんなことを呟いてから、「ちょっと待ってて」と部屋を出た。勝が一人、残された。

 〈それで私は、一人考えぬいた上、電気工事でタイホされるか、ブドウ酒事件のために取〔調べ〕官の強要する偽った供述をするかに迫られた状態でした〉(勝の弁護士宛て手紙)

 彼の記憶では、事件当日、大石松男宅に寄ってブドウ酒を預かった時には猪口寿美子や松男の母カツヨがいた。大石宅を出たところで桜井時子に会ったし、彼女は途中で岩村藤子と合流して勝のすぐ後ろを歩いて、公民館に来た。

 勝は部落の人たちの顔を思い浮かべた。

 (ここで自分がやったと嘘を言っても、後でみんなが本当のことを話してくれるだろう。そうすれば真実は分かることだ)

 辻井と山川が部屋に戻ってきた。

 「どうだ。本当のことを話す気になったか」

 「はい」

 「やったのはお前か」

 「そうです」

 すぐに調書が取られた。

 〈前回、私はまったく嘘を言っておりましたことを先ず最初に心からおわび致します。それでただ今から本当のことを申しますから、これまでのことは一部取り消して欲しいと思います。私は、今回世間を騒がした毒ブドウ酒事件の犯人でありますから、ただ今からそのことについて申します〉

 調書の日付は四月二日になっていたが、すでに時計は十二時を回り、三日未明に入っていた。

 午前四時に逮捕状が執行された。続いて作成された弁解録取書の時間は四時五分である。

 〈私に対して逮捕状に書いてあります犯罪事実の内容を読んで聞かせて貰いましたが、その事実の通り相違ありません。私は妻千鶴子と木田ユキ子の両名を殺すつもりでいたところ、このような大それた結果となってしまったものであります〉

 4月2日午前8時30分にはじまった二十時間におよぶ取り調べで、奥西さんは自分が犯人であると認めるにいたりました。『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』にもとづいていうならば、犯人であると強引に認めさせられたということになります。これはもちろん奥西さんの主張にもとづいた記述であり、奥西さんがうそをついている可能性もないわけではありません。しかし奥西さんが取り調べの途中で犯行否認に転じ、以来一貫して無実を主張しているのはたしかな事実です。

 『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』には、いったん犯行を認めた奥西さんがあとになってそれを否認しても、取り調べではいっさいとりあげられることがなかったとも記されています。

 否認しても、調書は取ってもらえず、無視される。それに、刑事や検察官の言うことを聞いているといいこともあった。留置場の食事では量が足りず、勝はいつも腹を空かせていた。接見禁止処分がついていて、家族に差し入れを持ってきてもらうこともできない。そういう状況の中で、刑事からもらう食べ物はありがたかった。

 〈取調べ官の言う通り返事をして居りますとしかられませんし、たばこ、菓子類をたくさん毎度入れて食べさせてくれるので、食べ物に気が狂った動物のようになりまして作り事を申して、今になってどうかと心配しております〉(起訴後に書いた勝の手記)

 警察・検察側は、勝が言うこのような取り調べが行われたことは、一切否定。勝が「任意に」自供したのだと主張している。

 警察官の調書を見ても、勝が否認をした形跡は一切うかがえない。初めて否認らしき文言が出てくるのは、四月二十三日付の検察官調書だった。

 〈実はここで申し上げたいのは、私は本件をやっていないと言うことです。本当はやっていないのです。警察の調べで私がやったと言い、今までそう言いましたが違います〉

 この記述の後、検察官と勝のやりとりが記載されている。

 〈問 そうすると、本件の毒ブドウ酒で五人死んだのはどうして起こったのだろうか。

 答 悪うございました。私がやったのに間違いありません。やはり本当のことを申し上げます〉

 否認に転じた被疑者に対して、「どうして起こったのだろうか」など穏やかで悠長な聞き方を、検察官がしたとは思えない。おそらくもっと厳しいやりとりがあったはずだが、調書の中からそれを読み取ることは難しい。調書を書くのは、被疑者本人ではなく検察事務官や警察官である。後に裁判に証拠として出されることを考えれば、厳しい応酬など、供述の任意性を問われるような表現は控えることになる。本人が言いよどみ、しどろもどろの供述であっても、あたかも自発的にスラスラ語ったような調書が出来上がる。そういう調書であっても、裁判では本人の供述の記録として扱うのだ。

 翌二十四日、起訴直前に行われた最後の取り調べの時、勝はようやく全面否認の調書を取ってもらった。だがこの時には、すでに検察官の手元にはうずたかく、勝の自白調書が積まれていた。

 名古屋高等裁判所は奥西勝さんの自白は信頼できるとしていますが、そんなことは全然あるまい。これはやはり「被疑者が取り調べの苦痛から逃れようとしたりして、自身に不利な自白をするケース」のひとつではなかったのか。私はそのように愚考いたします。

 あすにつづきます。

  本日のアップデート

 ▼2006年12月

 召しませヒップ 橘真児

 ご注文いただいた商品が入荷しました、というメールが届きましたので本屋さんに行ってきました。

 届いていたのは山口雅也さんの『ステーションの奥の奥』(講談社)と嶽本野ばらさんの『それいぬ』(文春文庫 PLUS)。いずれも掲示板「人外境だより」で閑人亭さんから乱歩関連書籍であると教えていただいたものなのですが、どちらもいまだひもとくにはいたっておりません。

 ていうか、少し前に取り寄せてもらった乱歩関連書籍である綾辻行人さんの『フリークス』(光文社文庫)と鈴木義昭さんの『夢を吐く絵師 竹中英太郎』(弦書房)もまだ読むことができておりません。ああ困った困った。

 ところで私は本屋さんの文庫本コーナーにこんな本が平積みされていた場合──

 迷わず手に取ることにしております。とはいうものの購入することはありません。おもに表紙を楽しみ、あとはぱらぱら立ち読みするだけです。

 しかしこの橘真児さんの『召しませヒップ』は買わないわけにはまいりませんでした。

 というところで時間切れ。つづきはあしたといたします。


 ■12月28日(木)
犯行四、五日前のコンドーム 

 本日は2ちゃんねるからまいります。たーっと調べてみたところこんな感じでした。

 まず12月26日火曜日午前10時29分11秒に「【名古屋高裁】名張毒ぶどう酒事件、再審決定を取り消し」というスレッドが立てられました。

 つづいて午前11時15分38秒には「名張毒ぶどう酒事件、検察の主張を認めて再審決定を取り消し。」が。

 アクセスしていただければおわかりのとおり、これらふたつのスレッドはすでにあっさり過去ログ倉庫に格納されております。

 まだ生きているスレッドはと見てみると、12月25日月曜日午後0時11分50秒の「【どう見ても冤罪】名張毒ぶどう酒事件の再審、26日に判断」。

 もうひとつ、12月27日水曜日午後0時23分4秒の「【名張毒ぶどう酒事件】「犯人は奥西死刑囚以外にいない」「生きたいために無実を訴えてるだけ」 再審取り消しに遺族ら地元関係者」というのもありました。

 全国紙の社説も見てみましょう。毎日新聞のものはきのう引きましたので省略。引用は最初の段落だけにしておきます。全文はリンク先でどうぞ。

ブドウ酒事件 疑わしきは罰するのか
 疑わしきは罰せず、ではなかったのか。

【主張】名張事件 同じ高裁で逆の判断とは
 45年前、三重県名張市で起きた「名張毒ぶどう酒事件」の再審開始決定に対する異議申し立て審は異例の展開となった。昨年4月、名古屋高裁が再審開始決定を下していただけに、弁護団はこの決定が支持され、奥西勝死刑囚の再審開始が再び認められると楽観していた。
産経新聞 Sankei Web 2006/12/27/05:29

[毒ぶどう酒事件]「裁判員裁判の課題が浮上した」
 刑事裁判における事実認定の難しさが浮き彫りになった。2年半後に実施が迫った裁判員裁判への影響も大きい。
読売新聞 YOMIURI ONLINE 2006/12/28/02:22

 お次はブロック紙。

迷走の原因にも目を 毒ぶどう酒事件
 無罪か死刑かの判断が繰り返され、今度は再び死刑という。三重県名張市の毒ぶどう酒事件の真相解明は困難を極める。刑事裁判の原則である「疑わしきは被告人の利益に」の再確認も必要だ。

 地方版の記事に転じますが、これも引用は冒頭の一段落のみ。いずれも12月27日付です。

長引く決着 晴れぬ地元 名張ブドウ酒事件
 再審の扉が開きかけていた名張毒ブドウ酒事件に、司法の壁が立ちはだかった。名古屋高裁は26日、昨年4月に同じ高裁が出した再審開始決定とはまったく正反対の判断を示した。年明けには81歳になる奥西勝死刑囚の裁判をやり直すかどうか、結論は最高裁の審理に持ち越される。発生から45年。事件が問うものは何か。関係者は成り行きを見つめる。

安堵する県警OB 「捜査、報われた」 毒ぶどう酒事件再審取り消し
 名張市葛尾の公民館で昭和三十六年、農薬入りのぶどう酒を飲んだ女性五人が死亡し、十二人が中毒症状を訴えた「名張毒ぶどう酒事件」で、奥西勝死刑囚(80)に対し、名古屋高裁が二十六日、検察側の異議を認め、再審開始の決定を取り消したことについて、捜査に携わった県警OBは「当たり前の決定だが、捜査が報われた」と安堵(あんど)した。

名張毒ぶどう酒事件 奥西死刑囚再審取り消し 地元「正しい判断」
【名張】名張市葛尾の公民館で昭和三十六年三月、ぶどう酒を飲んだ女性五人が死亡、十二人が中毒症状を起こした「名張毒ぶどう酒事件」で、名古屋高裁が奥西勝死刑囚(80)の再審開始決定を取り消した二十六日、遺族ら地元関係者は「犯人は奥西勝死刑囚以外にいない。正しい判断」と口をそろえた。

名張毒ぶどう酒事件 「再審取り消し当然」
 名張毒ぶどう酒事件の検察側の再審異議が認められた26日、事件の舞台となった名張市葛尾地区では、奥西勝死刑囚を犯人と信じる人が多く、名古屋高裁の判断に、被害者遺族らは一様にほっとしたような表情を浮かべた。
産経新聞 Sankei Web 2006/12/27/10:17

【伊賀】 再審取り消しに葛尾・住民は納得 名張毒ぶどう酒事件
 名古屋高裁が26日に出した名張毒ぶどう酒事件の再審開始を取り消す決定。いったん開きかけた再審への道は再び閉ざされた。「犯人は奥西勝死刑囚」との思いが強い事件の舞台・名張市葛尾区の住民からは「当たり前」「信じていた」と取り消しの決定を支持する声が聞かれた。一方、地元・名張で奥西死刑囚の救済活動を続けてきた支援者は「司法の原則が守られていない」と怒りをぶちまけた。

名張毒ぶどう酒事件:再審取り消し 「心は癒されない」葛尾地区住民、冷静に /三重
 昨年4月の「再審決定」から一転して「再審開始決定取り消し」へ−−。1961年に名張市葛尾の公民館で起きた「名張毒ぶどう酒事件」で、名古屋高裁が26日、検察側の異議を認めて再審開始決定を取り消し、再審への扉を閉じた。しかし、事件の舞台となった葛尾地区の住民は「期待通りの決定だ」と冷静に受け止めた。【熊谷豪、小槌大介、渕脇直樹】

 読売新聞にも関連記事が掲載されたはずなのですが、すでに消えてしまっておりました。

 さて、きのうの伝言では江川紹子さんの『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』にもとづき、自白の信憑性はどうよ、みたいなことを考えてみました。きょうになってネット上を検索していたら「名張毒ブドウ酒事件、異議審の決定理由要旨」というこんなページがひっかかってきて──

 名古屋高裁による再審請求棄却決定の理由が要約されているのですが、ここにはこう記されています。

 さらに、原決定は奥西の自白の信用性を否定するが、自白は事件直後の任意取り調べの過程で行われたもので、自白を始めた当初から詳細かつ具体性に富む。勝手に創作したような内容とは到底思われず、証拠物や客観的事実に裏打ちされて信用性が高い。原決定は、自白には変遷があり迫真性に欠けるというが、判断は一面的である。

 一面的なのはどっちかな。自白が完全に「任意」のものであったかどうかはおおいに疑問であり、「証拠物や客観的事実に裏打ちされて信用性が高い」とはいうけれど唯一の物証である農薬の瓶は未発見、自白と客観的事実との齟齬はごろごろしております。自白の「変遷」は信憑性に疑問を抱かせるに充分なものであると考えられますし、それとは別に住民の証言がまたころころと変遷しており、あたかも奥西さんを犯人に仕立てあげるために口裏を合わせたかのような観すらあることは『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』を一読すれば知ることができます。

 『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』から自白の信憑性にかんするくだりを引いておきましょう。

 これまで見てきたように、勝の自白は、あまりに不自然な変転に満ちている。住民たちの供述もめまぐるしく変わっているが、被疑者勝の自白も、大きく揺れた。結果としてその変転は、警察・検察の筋書きに都合のいいように事実を修正する形となっている。また、一連の自白には、客観的事実との食い違いも実に多い。

 勝は訴える。

 〈私は取調べ中、あまりの事で事実でないので、調べに返事をしないと、人間と人間の話で本当の事だといわれまして、本当の事を言い始めると先の調べて来た事実と合わなく、またうそに戻り、話して来ました〉(勝の手記)

 自白には名古屋高裁の主張する「信用性」なんてかけらほどもない。私はそのように愚考いたします。

 つづいて状況証拠の問題ですが、名古屋高裁の判断はこんな感じです。

 そのほかにも、奥西には妻と愛人を殺害する動機となり得る状況があったこと、犯行を自白する前には明らかに虚偽の供述で亡くなった自分の妻を犯人に仕立て上げようとしていることが認められる。総合すると、奥西が犯行を行ったことは明らかで、状況証拠によって犯人と認定した確定判決の判断は正当だ。

 本気か。「妻と愛人を殺害する動機」なんてものがほんとに存在していたのか。自白によれば奥西さんは妻および愛人との三角関係を清算するために毒殺事件を起こしたわけなのですが、そんなことは普通ありえないのではないかしら。

 妻子ある男が妻以外の女と情を通じることならざらにあります。そうした関係を清算する必要に迫られる場合だって少なからずあるでしょう。しかしだからといって、妻と愛人をふたりとも殺してしまえばすっきりするじゃん、などと思いついてしまう男がいるものなのか。子供がふたりいる三十五歳の男が(長女のほうは事件の起きた春に小学校入学を控えていたそうですが)、いくら血迷ったとしても妻と愛人もろともに自分が住む集落の主婦全員を鏖殺してしまおうなどというだいそれた発想にいたるものなのかどうか。清算というなら妻か愛人かの二者択一に結論を出せばいいだけの話なのであって、ねちねちと計画を練って大量殺人をくりひろげる必要などまったくなかったのではあるまいか。

 三角関係という状況はたしかに存在しており、死亡した五人のなかに奥西さんの妻と愛人が含まれていたのも事実ではありますが、そんな状況がいったい何を証拠だてているというのか。わが身を省みていうならば男というのは結構ずるいものですから、三角関係に波風が立ったとてきのうまでそうであったようにきょうもまただらだらと状況が継続すればそれでよろしく、決定的な清算なんてことはとりあえず先送りにしてしまう。

 それに『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』には、

 ──後に勝の弁護団が、全証拠の中から名張、大和双方の葛尾部落での婚外関係を集めたところ、九人の男性が十三人の女性と関係を持っていた。実に二戸に一人以上が三角関係を持っていたことになる、と弁護団は主張する。

 とも書かれており、この弁護団による調査結果が事実をどこまで反映しているのかは不明ながら(こんな立ち入った質問に住民がすらすら答えたはずがないとも思われるのですが)、事件が起きた集落のみならず日本の山村には似たような関係がごろごろしていたものと推測されますから(赤松啓介の著作をご連想ください)、奥西さんの三角関係だってどうということもないごく一般的な光景だったはずであり、そんな関係が殺人によって清算されるという発想はそもそもどこからも湧いてくることがなかったのではないか。

 ではここで、当サイトに掲載している亡父の随筆「折々の記」の一節をお読みいただきましょう。

 一つの思い出ばなしがある。毒ブドウ酒事件の奥西勝に関してなのだ。

 松阪市に永井源という弁護士の長老がいた。長いあいだ県会議員をしていた人である。この人の実家が波瀬(たしかにこう覚えている)にある。ここに古い伊勢新聞が保存されているというので見せてもらいに行くことになった。

 ちょうど奥さん同伴で帰郷するというついでの日に連れていってもらう手はずがととのった。

 その日、まずお宅へ寄って、そこから自動車に乗せてもらった。波瀬というのは、もう少し行けば国見峠というところで、一時間以上かかったように思う。

 当時、毒ブドウ酒事件は第一審公判の過程で、永井弁護士は奥西勝の弁護人として無実を主張している最中であった。私は名張だというので、車の中で奥西がシロであることをいろいろの角度から話してくれた。その中で今でもはっきり覚えているのは次のことばだった。

 「奥西はね、君、事件の四、五日まえ松崎町の薬屋でコンドームを買っている。あれほどの事件を計画した男ならね、いまさらコンドームも必要ないじゃないか」

 こういう事実も無実の立証資料になったのかどうか知らないが、とにかく一審は無罪になった。

 控訴審のときは、たしか永井弁護士は亡くなっていた。もし生存していたら、控訴審はどんな展開をみせていたことだろう。

 ここに出てくる薬屋さんは二年か三年ほど前に廃業してしまったのですが、奥西さんが事件の四、五日前、葛尾の集落から名張のまちにバスで赴いてコンドームを購入したのはまぎれもない事実です。『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』ではふれられていませんでしたけれど、私には事件関連のほかの書籍に記されているのを読んだ記憶があります(立ち読みだったので引用できませんけれど)。

 さてこれはどういうことか。事件数日前というのですから、自白によれば奥西さんはすでに犯行を決意していたことになります。妻と愛人を殺害する計画を胸に秘めていた男が何用あってコンドームを買わなければならなかったのか。むろん第三の女がいたとか、あるいは捜査の手が薬局にまでおよぶことを想定した偽装工作であるとか、そんな可能性もないわけではありません。しかし小説であればともかく、現実の名張毒ぶどう酒事件にそれをあてはめるのはいかさま無理な話でしょう。

 ですから結局のところ、名古屋高裁の「状況証拠によって犯人と認定した確定判決の判断は正当だ」という主張には、私はちっともまったく毛筋ほども同意できないというしかありません。

  本日のアップデート

 ▼2006年12月

 召しませヒップ 橘真児

 きのうのつづきです。

 本屋さんで橘真児さんの『召しませヒップ』を手に取った私は、しばらく表紙を眺めたあとでぱらぱらとページをくってみました。と、奇数ページの左肩にあるヘッダが眼に飛びこんできました。

 ──第一章 憧れの人間椅子

 まちがいなくそう書かれています。人間椅子となれば購入しないわけにはまいりません。あわてて第一章の冒頭を読んでみました。

 ──その日、混沌の眠りから目覚めた暮郡修は、自分が椅子になっているのに気がついて仰天した。

 主人公の名前には「くれごおりおさむ」とルビが振られており、どうやらカフカのグレゴール・ザムザをもじったものらしいとは気がついたのですが(かんべむさしさんにはたしか、みずこおる・さむさ、みたいなもじりがあったと記憶いたしますが)、「憧れの人間椅子」というタイトルには明らかに乱歩へのリスペクトがうかがえます。

 それで結局購入し、本屋さんのコーヒーコーナーで山口雅也さんの『ステーションの奥の奥』と嶽本野ばらさんの『それいぬ』には眼もくれずこの『召しませヒップ』をさーっと走り読みしてみたのですけれど、ストーリーはじつに破天荒、というか完全な SF で、お尻フェチの主人公がうっかり転倒して意識を失ってしまい、失われたその意識はいったいどうなったのかというと椅子に憑依したり他人の意識をのっとったり、昔の言葉でいえばハチャメチャな展開を見せる明朗オフィスラブポルノ。

 (え、まさか !?)

 修が驚きと期待を同時にいだいたとき、果たしてあずさが椅子に坐ってきた。

 (うおおおおおおお──ッ!)

 もしも人間のままだったらオフィスに響き渡ったに違いない雄叫びを、修は思いきり張りあげた。ああ、なんという幸せ。これ以上の喜びが他にあるだろうか。いや、絶対にない。

 あずさのヒップは、スカートにパンティという衣類越しでも、その柔らかさを失っていなかった。喩えるなら、つきたての餅を絹で包んだような感じ。ぷにぷにでムチムチで、重みも上品。ほんのりといい香りすら漂ってくる。これと比べたら、志津子のものは肉と脂の塊だ。

 最後まで読み終えても、残念ながら(べつに残念でもないけれど)乱歩の名前はどこにも出てはきませんでした。しかしせっかく買ったのだから、というか「憧れの人間椅子」という章題に私はなんだか感じ入ってしまっておりましたので、勝手ながらあえて「RAMPO Up-To-Date」に録しておくことといたしました。

 乱歩の「人間椅子」と読みくらべてみると乱歩という作家の特異性がより鮮明になってくるのではないだろうか、と附記しておきたいと思います。


 ■12月29日(木)
世の中おかしなことだらけ 

 メディアというのはせわしないもので、名張毒ぶどう酒事件再審決定取り消しの話題はあっというまに過ぎ去ってしまい、きょうはどこにも見あたりません。

 2ちゃんねるではきのうの午後11時32分46秒、「【名張毒ぶどう酒事件】「犯人は奥西死刑囚以外にいない」「生きたいために無実を訴えてるだけ」 再審取り消しに遺族ら地元関係者★2」が立てられましたが、なにしろ四十五年も前の事件ですから2ちゃんねらーのみなさんもあれこれと揣摩憶測をならべることしか思いつかないみたいです。

 それで結局のところ、自白の信用性を認め状況証拠にもとづく推定の正当性を評価した名古屋高裁の主張とはまったく逆に、自白は信用できず状況証拠にはそもそも意味がない、と私には見受けられます。物証や証言などの証拠にいたっては最初からぐだぐだで、その証拠能力をくつがえす新しい証拠が提示され、いったんは新証拠の明白性を認めて再審の開始を決定したにもかかわらず、名古屋高裁はここへ来てその決定が誤りであったとの見解を示した。これはどう考えてもおかしい。あんないい加減な自白や状況証拠を判断材料としているのがまずおかしいし、新しい証拠の明白性をしりぞけているのもおかしい。だいたいおなじ高裁が一年あまりのときをへだてて正反対の結論にいたっているのがおかしい。

 しかしこんなところでおかしいおかしいといってたってしかたありません。新聞報道によれば弁護団は来年1月4日に最高裁へ特別抗告し、最高裁がそれを認めた場合は名古屋高裁で再審が開始されますが、棄却した場合には再審は開かれないとのことです。一日も早い再審の開始を祈るしかありません。それにしてもなんともいやーな気分の歳末になってしまいました。気分がどうこういうよりも、この国はどんどんどんどんおかしくなっているのではないかという不安が募ってなりませぬ。

 さて、昭和36年3月28日午後8時50分ごろ、名張市葛尾の住民から名張警察署に名張毒ぶどう酒事件の発生を知らせる電話が入り、現場近くの開業医は往診中で連絡が取れないと伝えられた名張署は警察医とともに現場に急行したのですが、この警察医というのが桝田敏明先生。すなわち名張市に寄贈された桝田医院第二病棟のもともとの所有者でいらっしゃったお医者さんだったのですが、桝田病院第二病棟にはどうやらこんな碑を建てるしかないようで──

 天国の桝田先生は第二病棟をめぐる笑止千万なドタバタ劇をどんな顔して眺めていらっしゃることでしょう。

 といったところで名張毒ぶどう酒事件の話題はひとまず終えて、あすはまた桝田医院第二病棟や細川邸がなんとも宙ぶらりんな状態で新年を迎えようとしている名張まちなかのおはなしに復しましょうか。

  本日のアップデート

 ▼1997年7月

 日本のベストミステリー100

 資料整理中にコピーが出てきました。これもかなり以前に頂戴したものなのですが、「デジタル時代のライフスタイルマガジン」であったらしい「ez」という月刊誌に掲載された記事です。

 さっそくですがベストテンをあげてみます。

01 十角館の殺人 綾辻行人
02 虚無への供物 中井英夫
03 十一枚のとらんぷ 泡坂妻夫
04 獄門島 横溝正史
05 匣の中の失楽 竹本健治
06 占星術殺人事件 島田荘司
07 火車 宮部みゆき
08 平家伝説殺人事件 内田康夫
09 魍魎の匣 京極夏彦
10 空飛ぶ馬 北村薫

 なんか変かも。

 そんなことよりわれらが乱歩はと見てみると、第四十一位に「孤島の鬼」が入っております。ちなみに四十位は「迷路館の殺人」で四十二位は「ロートレック荘事件」。ちょっと変かも。

 「ミステリー作家ベスト10」というのもあります。

01 横溝正史
02 島田荘司
03 内田康夫
04 綾辻行人
05 江戸川乱歩
06 京極夏彦
07 鮎川哲也
08 泡坂妻夫
09 宮部みゆき
10 西村京太郎

 やっぱ変かも。乱歩の紹介文はこんな感じです。

 この巨人の名をはずすと画竜点睛を欠くというわけで、ついついこの名前を書いたという人が多かったようだ。

 なんたって日本のミステリーはこの人から始まった。

 ミステリー開祖の名前は忘れちゃいけませんね。

 これでは乱歩が遠い過去の人のようではないか。すこぶる変かも。


 ■12月31日(日)
どうぞよいお年を 

 おおみそかになってしまいました。きのうの朝は手ひどい二日酔いでグロッキー(グロッキーという言葉も最近とんと耳にしませんが)、サイトの更新をお休みしてへばっておりました。けさはきのうよりかなりまし、みたいな感じです。

 毎度おなじみ2ちゃんねるのこのスレでは──

 ぶどう酒に混入された農薬はじつは催淫剤であったとする奇説まで飛び出しております。2ちゃんねらーのみなさんの揣摩憶測にはじつに端倪すべからざるものがあるようです。

 といったところで本日もあっさりおしまいといたします。今夜はあまり飲みすぎないようにして、あすの朝はすっきりした気分で新年のご挨拶を申しあげたいと思います。

 それでは一年間のご愛顧を感謝しつつ。

  本日のアップデート

 ▼2000年10月

 9 江戸川乱歩

 荒俣宏さん監修の『知識人99人の死に方』に収録されました。

 タイトルどおり戦後に死去した知識人九十九人の臨終のドキュメントがこれでもかこれでもかと紹介され、通読するとじつに暗澹たる気分になってしまうのですが、冥土の旅の一里塚をあすに控えたおおみそかにはふさわしい一冊であるとも愚考されます。

 九十九人中十二人の記事は文章量も多く、ライター名もほぼ記されております。ちなみにこんな顔ぶれ。

01 手塚治虫
02 有吉佐和子 関川夏央
03 永井荷風 神保龍太
29 澁澤龍彦
30 森茉莉 末藤浩一郎
31 三島由紀夫 猪瀬直樹
32 稲垣足穂 都築響一
33 今西錦司 武田徹
59 石川淳 大曲正幸 田中優子
60 寺山修司
61 深沢七郎 末藤浩一郎
62 折口信夫 神保龍太 岩川隆

 われらが乱歩はその他大勢の扱いで、文章量は文庫本で一ページほど。内容もファンなら先刻ご承知のことばかりなのですが、乱歩の死生観を紹介するねらいか、例の「新青年」のアンケートなんかも引かれております。

 昭和6年に雑誌社からの「生まれ変わったら何になりたいか」というアンケートに「どんなものでも二度とこの世に生まれるのは御免です」と答えた乱歩だったが、晩年にはパーキンソン病が進行し、自作の登場人物のような運動障害に悩まされながら生きた。推理小説作家の大下宇陀児によれば「歩くところを見ると操り人形の足どりだった。足が身体を運ぶのではない。上体が倒れるから足が前に出るのである。つまり上体が足を運んでいる。そうして横へ曲がると、自分一人では、すぐ転んだ」〔人間臨終図巻/山田風太郎〕。

 孫引きされている大下宇陀児の文章は「文藝春秋」昭和40年11月号に掲載された「空襲下の名町会長──知られざる江戸川乱歩のこと」です。先日来の資料整理(現在も継続中)のおかげで、こうしたことも掲載誌のコピーを引っ張り出してきてすぐに調べられるようになりました。

 あッ、とうっかり者の私はおおみそかになって気がつきました。私が資料の整理に着手したのは書斎に隣接する元暗室に便器を据えつける工事が年内に行われる、と大工さんから連絡があったからなのですが、あの話はいったいどうなってしまったのか。とにかく工事は来年にずれ込んだもののようです。

 間の抜けた年越しになってしまいました。大笑いである。