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2007年6月中旬
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きのうのつづき、三重大学浦山研究室から名張市に提出された報告書「歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて」の「提案編」からの引用です。
「歴史拠点および交流拠点として整備する」とされていた細川邸の活用策がいきなり「仮称『初瀬ものがたり交流館』」と具体化されていて、しかし経緯の説明はいっさいありません。たとえば、 ── NPO なばり実行委員会のマネジメント委員会などとワークショップを行い、歴史拠点および交流拠点となる旧細川邸を仮称「初瀬ものがたり交流館」として整備する方針を確認、その使い方について検討した結果、提案にあたって以下の利用イメージを想定する。 とでもしないことには話の筋が通らないように思われますが(実際にはこれでも筋なんか通っていないのですが)、しかしまあそんなことはどうだってよかったんでしょう。筋が通るとか通らぬとか、そんな悠長なこといってる場合ではなかったんでしょう。なりふりなんて構ってらんない。とにかく細川邸を整備することの妥当性正当性を必死になって主張しまくり、改修へ向けてしゃにむに道を開かなければならない。それがこの「提案編」のいわば使命のごときものであったらしく、だからもうはっきりいって無茶苦茶です。つづきをお読みください。
こういったあたりが結論のようです。 さんざん大騒ぎしたあげくの結論がこんな程度のもののようです。 2004年6月に名張地区既成市街地再生計画策定委員会が結成され、2005年3月に名張まちなか再生プランが策定され、同年6月に名張まちなか再生委員会が組織され、となんとも仰々しいプロセスを踏みながらプランの目玉として鋭意検討が進められてきた細川邸の活用策は、官民だけでは足りずに学まで動員して二重三重の密室のなか人知れず詰めの作業が行われた結果、そこらのわけのわかんない NPO にコミュニティイベントやってもらうための施設として整備いたします、ということで落着を見たようです。 名張まちなか再生プランには、細川邸の整備についてこう記されていました。
この構想から虚飾やインチキをきれいに洗い流してやるとどうなるか。それがすなわちこの報告書に記された細川邸の姿だということでしょう。歴史も資料も関係ありません。名張のまちの個性や独自性なんてものすら完全に無視されて、細川邸はいったいどのような施設として整備されるのかというと、 ── NPO なばり実行委員会が名張のまちなかを売り出すために、年に数回、まちなか全域を舞台にしたイベントを企画実施し、イベントの拠点会場として使用する。 ただこれだけのことです。年に数回そこらのわけのわかんない NPO が開催するコミュニティイベントのメイン会場。ただそれだけの施設をつくるために何千万円かをかけて古い町家を改修する。それが名張まちなか再生プランの裸の姿だということです。本気か。ていうか正気か。 むろんイベントはそのほかにもあるらしく、名張のまちで営まれる春夏秋冬のおまつりなんかとタイアップして(それにしてもこらばか。「秋の宇流伏祢神社の祭礼」などと書くばかがあるか。名張のまちの氏神さまの正式な社名くらいちゃんと書いておけ。もう少し土地の歴史というものに対して誠実になれというのだ。謙虚になれというのだ。敬意を払い礼節を尽くせというのだこの駅弁大学が)、 ──ミニ・イベントを企画実施する。 とされております。しかミニかよ。しょぼいのかよ。気宇壮大な志ってのはどこにもないのかよ。そんなことで全国を対象にした情報発信とやらができるのかよ。できるわけねーだろばーか。でもってそうしたイベントがどんだけミニなのかっつーと、 ──おひな様飾り ──地域の人が収集した懐かしの写真展 ──青空市 ──オープンカフェ なるほどミニである。見事なまでのご町内感覚である。たとえばお雛さまを飾ってくれるのだそうである。あっかりをつけまっしょぼんぼりにー、なのだそうである。なんなんだこのぼんやりが。それにしてもミニである。めいっぱいミニである。ミニであるという以上に単なる思いつきである。ちまちました思いつき並べときゃそれでいいや、どうせこんな報告書が市民の眼にふれることなんかないんだし、だいたいが関係者のアリバイ工作みたいな報告書なんだから適当に思いつき並べとけばそれでいいだろう、みたいな執筆者の知的怠惰が行間からにじみ出てくるような文章ではありますけど、こんな思いつきを何十何百何千と連ねてみたところで何の根拠にもなりゃしません。何千万円もかけて細川邸を整備する根拠になんか絶対にならんというのだ。ならんというのだが実際にはこんないい加減な根拠にもとづいて細川邸が整備されてしまうのである。なんともひどい話なのである。 思いつきはまだあります。期間限定のイベントではなくて細川邸を日常的に利用する策も練られているみたいです。どんなものか。まずわけのわかんない NPO が運営するのは、 ──腕利きおばさんが運営する総菜バイキングのレストラン ──腕利きの市民が参加するコミュニティレストラン ──地域の人が収集した懐かしの写真展 おちょくっとるのか。人をおちょくっとるのか。腕利きおばさんだか引っ越しおばさんだか知らんけど(ちょっと古いです)、いくら市民の眼にふれぬアリバイ工作みたいな報告書でももう少し執筆の基本をわきまえてからキーボードを叩けというのだ。手前どもはただの思いつきに妄想をまぶして綿菓子みたいにふくらませているだけでございます、という執筆者の知的怠惰が「腕利きおばさん」なるフレーズに如実に示されておるではないか。あるいは上に引いた「1 イベント利用」の冒頭にある、 ── NPO なばり実行委員会が名張のまちなかを売り出すために、 という文章はどうだ。「売り出すために」などという文言はそれだけでこの報告書の貧しい内実をあっけなく露呈してしまうものである。関係者のいやしさやあさましさをゆくりなくも物語ってしまうものである。まったく品格のかけらもない報告書だよなあ。 そのいっぽう、わけのわかんない市民団体が手がける事業もちゃんと想定されております。私物化じゃないもんね、という煙幕を張るためでしょう。たとえば、 ──福祉のパンつくり講座 ──そばうち講座 なんてものをやってくれることになっておるそうじゃがこら、パンや蕎麦ならそこらの公民館でも借りて好きなだけつくってこい。 まだまだいくらでもツッコミを入れることが可能なのですが、この程度にとどめておきましょう。以上のことから明らかに知られますのは、細川邸を整備する必要なんてまったくないということです。この報告書に示された方向しか選ぶ道がないというのであれば、細川邸の整備などまったく必要のないことである。さらに知られますのは、名張まちなか再生プランにおいては結局のところコミュニティイベントのレベルでしかまちなかの再生が語られていないということです。だとすればそれは名張まちなかの再生とはほとんど関係のない話だということになります。名張まちなかの再生というのはそこらのわけのわかんない NPO が細川邸を私物化してイベントだかなんだか好きなことをぶちかますということではまったくない。 報告書のつづきを見てみましょう。
もう歴史拠点でも交流拠点でもありません。飲食機能を有したイベント拠点であることがいよいよ鮮明になってきました。いやいっそビジネス拠点というべきでしょうか。なんかもう「飲食業の営業許可」なんてことで必死になってるもんね。 はっきりいってこれはすでにして細川邸を私物化するための相談、まちなか再生というお題目のもと細川邸で飲食業を営むためのビジネスの相談だというしかないように愚考される次第ではあるのですが、しかしそんなことになったらほんとにきついぞ。名張市は細川邸を改修するための初期費用しか投資しないみたいだから、あとの運営は勝手にやれと丸投げされたらわけのわかんない NPO はほんとにきついことになるはずである。報告書には、 ──飲食可能なお店が少ない名張地区 なんてばかなことが書かれてますけど、飲食可能なお店ならかつてはごろごろしていたのである。経営が成り立たなくなったからばたばたと姿を消していっただけの話なのである。そんなところでいまから飲食業を営むのはさぞやきつかろうという話である。細川邸を私物化して飲食業を営んだってあまりうまみはないのではないかという話である。名張まちなか壟断作戦、いったいどんなことになってしまうのかな。 ところで名張市の定例会は6月8日に開会し、きょう13日から一般質問が行われるみたいです。質問内容は名張市オフィシャルサイトのこのページでどうぞ。 市議会議員の先生おふたかたが本日、ともに「名張まちなか再生事業について」をテーマとして質問に立たれるみたいですけど、この期におよんで何をお訊きになるのかな。地元 CATV 局にご加入の方は中継放送をどうぞ。私は加入してませんけど。 |
本日はまず「番犬情報」をごらんください。犬が死んでしまったっていうのに番犬情報ってのもなんだかなあ、とか思いつつ乱歩原作映画のお知らせを掲載いたしました。 映画のあとは漫画の話題。丸尾末広さん畢生の大作、になるのかどうかは知りませんけど「パノラマ島綺譚」の連載がスタートしました。舞台は「コミックビーム」7月号。表紙がこれです。 連載第一回では菰田源三郎になりすました人見広介がお墓から出てきたところを在所の人たちに救出されるあたりまで、原作にかなり忠実なストーリーが丸尾さん独特の筆致で描かれております。乱歩へのリスペクトあふれる作品として完結するであろうとおおきに期待を抱かせてくれる滑り出しゆえ、乱歩ファンのみなさんはどうぞお見逃しなく。 つづきましては乱歩へのリスペクトなどどこにも見あたらぬ愚者の土地、われらが名張市に対して三重大学浦山研究室から提出された報告書「歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて」の話題に戻りますが、報告書に関して述べるべきところは昨日までの伝言に尽きております。「提案編」におけるきのうのつづきは細川邸改修の具体的な細部への言及となり、図面を多用してさすが大学院工学部レベルの専門知識はすごいなと、感心しなければならぬところなのかもしれませんけどたーっと眺めるだけで終わってしまいました。あとに控える「市民評価編」も「事例編」も「資料編」も、ありていにいってしまえばアンケートやなんかで報告書を水増ししつつ細川邸整備の妥当性正当性や公設民営方式の実現性有効性を肯定的に示唆するためのものでしかないように見受けられますので、そんなものはあっさりスルーということにいたします。これまでの引用はすべて「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」に掲載、あわせて2007年の記事も追記いたしましたので、お暇な方はごゆっくりどうぞ。 それでコピー百三十七ページ分の報告書の最後がこれです。 たぶん報告書の裏表紙だと思われるのですが、整備したあとの細川邸にどんな用途が想定されるかを裏表紙の意匠として列記してみましたということなんでしょうか。もっとも大きい文字で書かれたのが、 ──名張地区の歴史文化に関する展示室 というもので、しかしまだこんなことをゆうておるのか。こういうことは名張地区の歴史文化に関する展示物をきっちり洗い出し精査してからほざきなさい。便所がどうの飲食業の営業許可がこうのと枝葉末節のことばかり(関係者にとってはそれが最重要事なのでしょうけど)あーだこーだいってないで、施設整備のかんじんかなめのことはいったいどうするのかを早く考えやがれというのだ。考えることなんて関係者には不可能なのであろうけど、だからといって何から何まで他人まかせにしていては話はちっとも前に進まんぞ。 次に大きな字で書かれたのが、 ──地域でとれた生鮮野菜の青空市 青空市なんてどこでだってできるではないか。細川邸を整備しなければ青空市が開催できないとでもいうのか。思いつきを並べるのもたいがいにしておけ。たいがいにしておけとゆうておるのに、 ──江戸川乱歩に関する展示会やお話会 なんてことまで書いてある。ばかかこら。江戸川乱歩に関して何かやっていただくのは結構なことなんですけど、それならば展示会ってのはいったい誰が企画するのよ。お話会ができるような人間がどこにいるっていうのよ。これもまた大切なことはまったく白紙のままなのであって、ただの思いつきを妄想でふくらませるようなことしかできてないってわけなのね。きのうも記したことですが、こんな思いつきを何十何百何千と連ねてみたところで何の根拠にもなりゃしません。何千万円もかけて細川邸を整備する根拠になんか絶対にならんというのだ。 あッ。 思いつきで思い出した。 あの思いつきはどうしたばかども。 ミステリー文庫をつくりますという思いつきはどうしたというのだうすらばかども。 あッ。 もしかしたらばかにはとても手に負えませんと水に流しやがったのかあのインチキ構想。 ──名張地区の歴史文化に関する展示室 なんてうわごとをしれっと書きつけるというのであれば、そのついでに、 ──名張のまちに生まれた江戸川乱歩にちなんで内外のミステリー小説を集めた読書室 なんてたわごとを並べることくらいいくらだってできそうなものだが、ミステリー文庫とやらはいったいどうしたというのだ官民学のうすらばかども。 あッ。 時間がなくなった。 またあしただ愚者ども。 |
きのうの映画と漫画につづいて、きょうはお芝居関連の話題です。学研M文庫の6月の新刊、三島由紀夫の『黒蜥蜴』が出ました。画像をクリックすると版元の紹介ページが開きます。 戯曲「黒蜥蜴」は申すにおよばず、乱歩編集の「宝石」に掲載された三島と乱歩、芥川比呂志、杉村春子らの座談会(講談社の『乱歩 下』に入ってるやつです)や、「小説セブン」に掲載されて以来これが初刊になるという三島と美輪明宏さんの対談など、関連文献もいろいろ収録されております。内容はあすあたり「RAMPO Up-To-Date」に記載することにして、本日はとりいそぎお知らせのみ。本体わずか八百五十円の文庫本、乱歩ファンならぜひどうぞ。 次は人形の話題となります。産経新聞オフィシャルサイトに「文士人形に命吹き込む 石塚公昭さん写真集出版」が掲載されました。4月に出た写真集『Object glass 12』にからめた人物紹介で、「集大成となる写真集には、渋澤、荷風、寺山をはじめ、稲垣足穂、泉鏡花、村山槐多、谷崎潤一郎、中井英夫、江戸川乱歩、夢野久作、ジャン・コクトー、三島由紀夫が、それぞれの個性を彷彿とさせる背景の中でたたずんでいる。いずれも石塚さんが愛した作家たちだ」、「乱歩の背後には怪人二十面相がほほえむ」などとあります。 それにしてもえらいものです。あらためてびっくりしてしまいます。歿後四十年以上が経過したというのに乱歩のこの遍在ぶりは驚異的だというしかありません。この圧倒的なポピュラリティはいったいどうしたことなのか。ほかに類例を見つけることなど不可能である。なんかもう怪物。乱歩こそは本邦近代文学史に屹立する孤独なモンスターなのであると申しあげておきましょう。 そのモンスターを「ミクロの決死圏」ばりに(かなり古いです)矮小化して怪しまないのが名張市というところなわけでして、まことにどうも申しわけありません。たとえばきのうも記しましたそのとおり、名張市に対して三重大学浦山研究室から提出された報告書「歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて」には、 ──江戸川乱歩に関する展示会やお話会 なんてうわごとが記されている次第なのですが、いくらなんでもここまでのご町内感覚はないであろう。乱歩というモンスターのような素材を展示会やおはなし会などといったちまちましたご町内レベルに矮小化してしまえる感覚ってのはいったいどうよ。これではあまりにももったいない話ではないか。なにしろ細川邸のある名張市新町は乱歩が生まれたところなのである。そんなところは日本中さがしたってほかにはないわけなのである。だから細川邸を活用する道を探るにしても乱歩という素材をもう少し活用してもよさそうなものなのに、たとえばコミュニティイベントやるにしたって乱歩やミステリを素材にすれば全国から人が集まってきてくれそうな企画が可能だというのに、 ──乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない。 などとつっぱらかったあげくにこらうすらばかども「やなせ宿」とはどういうことだ。からくりのまちたらいうのと同レベルの歴史事象の捏造ではないか。インチキである偽装であるばかであるまぬけであるといくら指摘したところでどうにもならんわけですが、乱歩というかけがえのない素材を抛擲して街道だの宿場だのとどこにでも転がってる素材でちまちまちまちまご町内だけでかたまってるのはほんとにもったいない話だぞ。まあばかだからおれのいってることが理解できないのはしかたないけど、そういう連中はもういつまでも狭い世間でお葬式に招いたり招かれたりして生きてゆくしかないのであろうな。なんなら塩でもまいてやろうか。 そうかと思うと13日にはじまりました名張市議会の一般質問。先日もお知らせしたとおり質問内容はこんな感じで── 質問初日に「名張まちなか再生事業について」と題して獅子吼されたらしい先生がおふたかた。質問の概要は初日夕刻、名張高校マスコミ論の授業で毎年お世話になっております地域情報紙「YOU」のオフィシャルサイトに──
こんな感じで報じられておりまして、名張まちなか再生事業については、 ──この日の一般質問では、同市本町にある江戸川乱歩の生誕地「旧桝田医院第2病棟」の跡地利用や同市新町の旧家「細川邸」を改修整備し再利用する名張まちなか再生事業についてなども質問がありました。 とあくまでも添えものの扱い。もとより現在ただいまの名張市民最大の関心事は「ごみゼロ・リサイクル社会を目指すアクションプログラム」であるはずで、げんに今議会の一般質問でも登壇九議員中五人の先生方がごみ問題をとりあげていらっしゃいます。それにくらべれば名張まちなか再生プランのことなんて一般市民は問題にもしてないであろうと思われる次第なのですが、一夜明けた日刊各紙の地方版には「乱歩文学館」という見出しが大きく躍っていたものもありました。 扱いがもっとも大きかったのは読売新聞で、伊賀版トップにこの見出し。 五段抜きでした。え? 名張市は乱歩文学館なんてつくろうとしてたの? と思ってしまった読者もあるかもしれません。 産経新聞も地方版トップの扱いですが、これは伊賀版というよりは三重二版といったほうがいいのかな。四段抜きでこんな感じです。 朝日新聞は一般質問の記事を三連発。医師不足とごみ有料化につづく三番目に乱歩文学館が登場して、見出しは一段とごく控えめ。中日新聞の伊賀版トップにはやはり一般質問がらみで医師不足の問題が扱われ、そのあとに三段見出しで桝田医院第二病棟の記事。主見出しは「生家復元計画を断念」。オフィシャルサイトにはこんな感じで掲載されました。
この伝言板を継続的に閲覧していただいている方ならすでによくよくご存じのとおり、こんな話はルールや手続きをいっさい無視して進められたものでしかありません。それもまた例によってうわっつらの話ばかりで、乱歩文学館というハコモノをつくって何をするのかということになるときれいに答えが出てこない情けなさである。こらばか。官民双方のうすらばかども。おまえら名張市に乱歩文学館なんてものをつくらなければならん理由をちゃんと述べられるのか。述べることなんかできぬであろう。このうわっつらばか。ハコモノばか。低能。とんま。すっとこどっこい。 しかしこんなとこでうすらばか叱り飛ばしてたって何の意味もありません。ここはひとつ「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」の姉妹篇として、 「乱歩文学館の幻影、ていうかインチキ、つか、ばか?」 みたいなページをつくって名張市のインチキをあらためて記録にとどめておくことにしようかな。住民監査請求の準備もしなければならんわけであるが。 |
本日も遍在する乱歩の話題から。論創社から出た『山下利三郎探偵小説選 I 』におきましては帯の惹句に乱歩の名を見ることができます。乱歩が怖れた男。なかなかキャッチーなコピーとなっております。 えー、本日は都合によりこれにておしまいとなります。ではまたあした。 |
さすがに本日は遍在する乱歩の画像もネタ切れです。いつもの話題に入ります。 おかげさまでようやく調子が出てきました。結構のってきました。先日来いわゆるペットロスに直面したりなんやかんやで精神的水位が必ずしも高くない状態がつづいていたのですが、こういうときはしかたがない、白井喬二の『富士に立つ影』でも読んでみるかと思い立って、あの大長篇をついに読み終えたのが三日ほど前のことでした。 どうして『富士に立つ影』であったのか。それは私にもわかりません。思いついて書棚から取り出したというしかないのですが、長篇小説を読むことで精神を賦活しようと考えたのであれば、私はかなりブッキッシュな人間であるということになります。その長篇小説がいわゆる大衆小説であった点に、私は自身の退嬰を認めるべきなのかどうなのか。いやそんなことはどうだってよろしく、とにかく富士見書房時代小説文庫の七冊本『富士に立つ影』を読みはじめました。 いま奥付を確認すると、この『富士に立つ影(一)』が出たのは昭和56年11月9日。西暦でいえば1981年ですから、いまから二十六年も前の本です。時代小説文庫が創刊されたのはたぶんそのころのことで、奥付に昭和56年7月20日発行とある中里介山の『大菩薩峠(一)』が、たぶんこの文庫の最初の配本ではなかったかと記憶します。 私には時代小説を集中的に読んでいた時期があって(探偵小説を集中的に読んだ時期はないのですが)、そのころ文庫本で読めた作品は新潮文庫の柴田錬三郎や五味康祐、春陽文庫の山手樹一郎といったところか。現役作家では藤沢周平が孤軍奮闘していた印象で、池波正太郎は食いもののことをごちゃごちゃ書いてるみたいなのでそういう作家は読んでやらないことに決めていました(かなりあとになって鬼平犯科帳と剣客商売だけはすべて読むことになるのですが)。山田風太郎の作品はもちろん愛読していましたけれど、風太郎忍法帖が時代小説であるという認識は私にはなかったような気がします。 なんだか記憶があやふやなのですが、とにかくそんなところに創刊されたのが時代小説文庫だったわけで、名のみ高くして読むことができなかった(むろん古書を入手すれば読めたのでしょうけど)『大菩薩峠』や『富士に立つ影』や『丹下左膳』などのいわば古典を、配本を待ちかねるようにして読み継いだものでした。 ところが、谷崎潤一郎もどこかで褒めていた『大菩薩峠』は、最初のうちはめっぽう面白くて文字どおり配本を待ちかねる感じだったものの、途中で退屈をおぼえはじめました。展開がかったるくなって読むのが億劫になってくる。いま書棚を見てみたら、全二十冊だった『大菩薩峠』を私はわずか八冊しか所蔵していません。いまだ峠にいたらぬ八冊目で挫折し、読むのをやめてしまったことになります。いっぽう『富士に立つ影』はというと、全冊購入したもののそのうち読もうと考えたのか、あるいは『大菩薩峠』があれだもんな、と時代小説のクラシックに不信の念を抱いてしまったのか、とにかく書棚に並べておいただけでした。 それを二十六年ぶりに開いてみたところ、これが予想を上回る(予想を裏切る、か)面白さでした。全七冊の七冊目にいたっては読み終えてしまうのが惜しいような気がして、まる一日ほど本に手を出さなかったことさえありました。それがどのような面白さであったのか、ここに書きはじめるといつまでたっても終わらなくなると思われますので、ともあれ『富士に立つ影』に賦活されでもしたかのように精神の水位が向上し、ようやく調子が出てきたことをお伝えして、住民監査請求の話題に移りたいと思います。 住民監査請求の準備として私はただいま漫才を書き進めている次第なのですが、どうして漫才になってしまうのかは自分でもよくわかりません。これが私の流儀なのであるということでしょう。『富士に立つ影』の影響なのか、いいだけ長くなってしまいそうでいささか困惑している次第でもあります。とりあえず三ページ分を PDF ファイルにして掲載しておきましょう。 これは名張まちなか再生プランの素案に対して提出したパブリックコメントの姉妹篇であるとお考えください。ご参考までに「僕のパブリックコメント」も PDF ファイルで再掲しておきましょう。 ああ、いかんな。いま見てみると「僕のパブリックコメント」は小見出しありなのに「僕の住民監査請求」は小見出しなしで書き進めておる。統一したほうがいいかもしれん。要するに「僕の住民監査請求」は未定稿なのであるとお思いください。 さ、きょうも元気に住民監査請求の準備を進めようっと。 |
なんかもうサイトの更新そっちのけ、寸暇を惜しんでで漫才執筆に奮励しております。「江戸川乱歩年譜集成」のこととかいろいろ気にかかることはあるのですが、遠大なテーマは先送りして当面この件を最優先したいと思います。 それでもっていくらでも長くなってしまう漫才の件、しかたありませんから二部構成といたしました。第一部「迷走篇」の PDF ファイルはこちらです。ほぼ決まりですけど一応未定稿。 A4サイズ八ページのファイルとなっております。名張市民の方はお手数ながらプリントアウトしてお読みいただき、そのあと名張市役所ロビーですとか名張市総合福祉センターふれあいですとか名張産業振興センターアスピアですとか、あるいはジャスコ新名張店リバーナですとか近鉄百貨店桔梗が丘店ですとかパークシティ名張ですとか、人がたくさん集まる場所の人目につきやすいところにプリントアウト分八ページをうっかり置き忘れてきていただいても私はいっこうに気にしません。一部といわず二部三部、ステープラーでワンセットずつ綴じたものを(綴じていただく際には一ページ目の右端のほうにある二本の縦線が目安になるでしょう)まとめて置き忘れていただいても全然平気です。 しかし何をばかなことやっておるのか。 |