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2007年8月下旬
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暑気の盛りというか暑さ疲れ(飲み疲れも含みますが)のピークというか、そういったものをなんとかやり過ごせたみたいだなと思って起きてきたところへ服部まゆみさんの訃報である。きのうは山口小夜子さんの訃報にも接しましたし。なんかもう五十代がばたばた死んでるなという印象があります。おれも澁澤龍彦が死んだ齢まであと五年か、とか思ったりもしてしまいますし。 飲み疲れのピークはきのうでした。つまりおとといの日曜日、なんだかばかみたいに飲んでしまったということになります。名張市中町にあるダイハンという喫茶店のような食堂のような、そういったたぐいの店の二階で真っ昼間からお好み焼きをつつきながらビールを飲み、河岸を変えて焼酎、ワイン、ウイスキーと快調に飲み進んだのですが、ダイハンの二階にあがったのは三十年ぶりくらいのことであったか。 小学校時代の同級生が東京から里帰りしてきて、座敷にすわってお好み焼きを食べたいというものですからほぼ三十年ぶりのダイハン二階となったわけなのですが、八月の光に白く灼かれるような中町の通りを見おろしながらビールを飲んでいると、往時茫々という言葉が身に迫ってくるのをおぼえます。 三十年ほど前というと、ほとんどの喫茶店にコンピューターゲーム機が設置されていて(つまりインベーダーゲームとかそれが進化したゲームとかのことですが)、ダイハンの二階にもそれはありました。昼食のために立ち寄り、二階にあがってゆくと、近所の呉服屋のご主人が大きなからだを丸めるようにしてゲームに興じていた。そんなことも思い出されてきます。あのご主人は慶應大学出身のインテリで、しかし若くして亡くなってしまったなあとか、あるいは、ダイハンの前には小さなおもちゃ屋があったなあとか、三十年ほどのあいだに名張のまちもすっかり変わってしまった、ありていにいえば見る影もなく衰退してしまったという事実が、やはり身に迫るようにして感じられてくる。 なーにがまちなか再生だばーか、とかいうふうにも思われてきたのですが、ここでお知らせしておきますと、名張まちなか再生プランに端を発した住民監査請求の結果はいまだもたらされておりません。いっぽう、名張市教育委員会に提出した公文書公開請求に関しましては、教育委員会側から公文書百十点のリストが提示されたのですが、私が必要としている公文書は一点も存在せず、予想どおり「不存在」という結果となりました。 私が必要としている公文書というのは、名張市立図書館が乱歩に関してどういったサービスを提供すればいいのか、その構想なり方向性なりを明示する書類のことなのですが、少なくとも文書上では、名張市教育委員会はそうしたことをまったく考えてこなかったということになります。そんなことではいかんがな。 せいぜいがまあ、先日もお伝えしたとおり名張市オフィシャルサイトに掲載されている図書館協議会の「平成17年度第3回図書館協議会 会議録(概要)」に、「『市民の図書館』づくり基本方針(案)について」として──
とある程度です。江戸川乱歩関係資料の充実に努めます。こんなことしかいえないわけね。充実させてどうするのか。それがまったく考えられていない。資料を収集してそれで終わりか。何のために、誰のために資料を収集するのか。収集した資料をどのように活用するのか。そんなことはただの一度だってまともに考えたことがないのである名張市教育委員会なんてところは。 いかんいかん。まーた腹が立ってきた。暑さ疲れ飲み疲れの残る身のこととて、本日はこれくらいにしておきます。 ダイハンの二階でお好み焼きを食してみたいとおっしゃる方にお知らせしておきますと、場所はこのあたりだとお思いください。 毎週火曜日は値引きのサービスがあるとのことでした。酔っ払って聞いたことですから、あまりあてにしないでいただきたいのですけれど。 |
ひさかたぶりで「RAMPO Up-To-Date」を更新いたしました。こんなことではいかんがな、とは思いつつ、猛暑その他にかこつけてずーっと更新をサボっていたそのせいで、編集兼発行人の山本和之さんから早くにご寄贈をいただいておりながら、この伝言板でお知らせするのがすっかり遅くなってしまったのが雑誌「sai」の0003号。乱歩特集となっております。購入申し込みなどの詳細は下の画像のリンク先でごらんください。 内容はこんなあんばいです。
特集中の一篇「乱歩通りを考える」には、 ──西口のメイン・ストリート(要通り)を「乱歩通り」と名付けることで、豊島区は新たな「まちづくり」にチャレンジしています。 とあります。 その豊島区の高野之夫区長は、やはり特集中の一篇「古本屋時代からの夢(江戸川乱歩に始まる文化政策への挑戦)」において、江戸川乱歩記念館構想の蹉跌と2002年度に開催された江戸川乱歩展の成功を紹介したあと、こんなことを記していらっしゃいます。
私は「文化」や「まちづくり」といった言葉を好みませんので、じつはいささか鼻白まないでもないのですが、名張市役所のみなさんにとっては慎んで拝読すべき文章であろうなといっときましょうか。 うーん。また腹が立ってきたから本日はここまで。 |
本日は新聞記事の話題から。読売新聞オフィシャルサイトに「パノラマ島奇談」がらみで鳥羽を紹介する記事が。
鳥羽にとって「パノラマ島奇談」は乱歩が遺してくれた財産のようなものかもしれません。乱歩夫妻のロマンスがいまも伝説として語り継がれているのかどうか、そこまではよくわかりませんけれど、乱歩が青年時代の一時期を過ごし生涯の伴侶に出会った土地なんですから、鳥羽は名張なんかより乱歩とのゆかりがはるかに深い。私も一度は訪れなければと思いつつ(まだ行ったことないのかよ、とわれながらびっくり)、しかし私は旅行だの観光だのには、ついでにいえば美酒だの美食だのにもまるで興味のない人間ですからなんだかなあ。 パノラマ島といえば月刊コミック誌「コミックビーム」の話題の連載、丸尾末広さんの「パノラマ島綺譚」は9月号で第三回を迎えました。
芥川龍之介の自殺を報じる新聞記事が出てきたり、遊園地の建設によって財産を蕩尽する過程が原作より具体的に描かれていたり、なかなかに興趣あふれる展開となっておりますが、このあとはいよいよ妻に対する主人公の疑心暗鬼がねちねちと、といったことになるものと思われます。 さて、さてさて、乱歩に関する話題は記していても楽しいのですが、 ──名張市は乱歩をどうする気? という話題に移るととたんにむらむら腹が立ってくるこの私。とりあえず筆を進めることにして、名張市教育委員会の8月21日付「公文書不存在決定通知書」がきのう郵送されてきました。こんな感じのものです。 「公開の請求にあった公文書の内容」の欄にはこう書かれています。
「存在しない理由」には──
なんか笑えます。名張市教育委員会は乱歩のことをまともに考えたことがあるんですか、そうした事実を示す公文書が残ってるんですか、と私は訊いてみたわけです。そんな公文書は存在していません、という答えはまだわかりますけど、わざわざ「存在しない理由」まで記されているのが笑えます。どうして公文書が存在していないのかというと、じつはそうした公文書が作成されなかったからなんです、なんて書いてあるのは人を笑わそうとしてるのだとしか思えんぞ実際。問題の本質からは完全に眼をそらし、人を唖然とさせるようなうわべだけの理由を並べてその場をやり過ごすのがお役所的対応というやつであるにしても、それにまあこの場合、作成されない公文書はすなわち存在しないのであるというのはじつに理にかなった話ではあるにしても、これは結構笑えるぞ。 ここで眼を転じて、名張市オフィシャルサイトの「教育行政の方針と施策」を見てみましょう。平成14年度から19年度まで六年分が掲載されておりますが、なかに乱歩の名が見えるのは「平成16年度 教育行政の方針と施策」のみ。「文化芸術の振興」の項に、わずかにこう記されているばかりです。
乱歩がメインなのではなく、創作狂言で乱歩作品をとりあげるという話です。要するに単発的なイベントのレベルでしか乱歩のことが考えられてこなかったという寸法なのですが、それにしても「能楽等の伝統文化を活か」すことがどうして「スロータウン名張」に結びつくのか、私にはなんとも理解できかねます。能狂言のスローな所作がスロータウンにふさわしいということなのかな。 いやいや、名張市内ではいまやスロータウンなどという言葉はとんと耳にしませんからそんなことはどうだってよろしく、そういえばここに記されている「秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業」で打ち出された「からくりのまち」なんてコンセプトもとっくの昔に忘れ去られている次第で、ほんとにこんなことはどうだっていいんですけど、それはそれとしてうたかたのごとく生まれては消えてゆくうわっつらの思いつきはなんとかならんものかしら。 もっとも、名張市教育委員会が乱歩に関して何もまともには考えてこなかったということなど、私にはとっくに知れております。「乱歩文献打明け話」の第四回「ああ人生の大師匠」から引用しますと──
ここにX氏とあるのは当時の教育長のことですけど、いまさら公文書の公開を請求するまでもなく、私はここに記したとおり1995年の段階で当時の教育長に「図書館が乱歩に関して何をすればいいとお考えか、教育委員会としての見解なり方向づけを示してほしい」と文書でお願いし、しかしうんともすんとも返答がありませんでしたから、「やっぱりな、と私は思った」ということを経験しておるわけです。 ここで少しく説明を加えておきますと、かなり以前からこのサイトを閲覧してくださっている方のなかには、名張市の前市長が乱歩記念館のことで大嘘をついたとき、私からなあ教育長よ、市長が大嘘かましてることはおまえが証明できるよなあと厳しく迫られ、ついには市長が大嘘つきであったことを証言してくださった教育長のことをご記憶の向きがあるかもしれません。しかしあの教育長はこのX氏ではありません。X氏が私の質問に答えないまま退職されたその後任として着任されたのがあの教育長なのですが、あの教育長もすでに退職していらっしゃいます。 なんかややこしいです。ややこしい以上にいつまでも堂々めぐりしてる感じでいやになりますけど、かいつまんでいってしまえば名張市立図書館が乱歩に関して何をすればいいのか、教育委員会は何も考えてこなかったということです。それが公文書のうえで正式に確認できたということです。それだけならまだいいのだがしかし、というあたりのところはまたあすにでも。 |
本日も新聞記事から。 いままで見落としていたのですが、毎日新聞オフィシャルサイトに5月14日、神戸文学館の企画展「探偵小説発祥の地 神戸」を題材にした「神戸ミステリー /兵庫」が掲載されていました。むろん乱歩も、もとより正史も、ついでに神戸探偵小説愛好會の野村恒彦さんも登場。夏バテ解消にぜひご一読を。 つづいてはウェブマガジン「excite.ism」の8月21日付記事から冒頭の三段落。
この引用文には完全な誤りが一か所、気になる表現が最低でも一か所あるのですが、そんな意地の悪い指摘はどうでもいいとして乱歩ファンにとってほんとに気になるのは、記事のおしまいのほうで「江戸川乱歩の幻想世界を、ヤン・シュヴァンクマイエルはどのように描き出すのか、楽しみである」とされている書籍『人間椅子』のことでしょう。 さらにくわしいことは企画展が開かれるラフォーレ原宿のオフィシャルサイトでどうぞ。「ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展」というタイトルをクリックして、あとは「About the Section」だの「Goods」だのへ適当に進んでください。 適当にごらんいただきましたとおり、ヤン・シュヴァンクマイエルさんが挿画を担当した『人間椅子』は8月25日発売、予価二千六百二十五円とのことです。詳細は版元のオフィシャルサイト「Esquire」に近く掲載されるのではないかと私は踏んでおります。 このプラハ生まれのシュルレアリストについて私は何も知るところがないのですが、「人間椅子」の挿画を描くというのであれば、小説の内容などいっさい頭に入れずただ「人間椅子」というそれこそ文字どおり決定的にシュールなタイトルだけにもとづいて制作してもらったほうが面白い作品が生まれるかもしれんな、と思います。生まれるかもしれんな、つったって実際にはとっくに制作が終わって本もできあがってるわけですけど。ま、挿画に接するのをおおいに楽しみにしておきましょう。 さて、さてさて、きのうの当地は午前5時45分ごろに雨が降りはじめ、ときに雷鳴もとどろいて思いがけず涼しい朝になったのですけれど、きょうはそんなこともなくて朝からまた晴れるのか。また暑くなるのか。一時にくらべればずいぶんましにはなったけど、きょうも暑いのかよまったく。やれやれ。 といった次第でつづきはあしたに先送りします。 |
これも早くにご寄贈いただいていたのですが、お知らせするのが遅くなってしまいました。立教大学の「江戸川乱歩と大衆の20世紀に関する総合的研究」がまとめられました。国費補助を受けた研究の報告書です。 内容はこんなあんばい。
報告書ですから市販はされておりません。詳細の問い合わせは立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター(E-mail:rampo@grp.rikkyo.ne.jp)へどうぞ。 次は乱歩とは無関係。ブログ「「名張を本気で変える!!」田合たけしの活動日記」に気になる記事がありましたので、8月23日付エントリ「昨日の委員会で感じたこと」から引用しておきます。
このブロガーの方は名張市議会議員をお務めで、ブログの内容自体はなんだかとてもおゆるい感じなのですが、「名張市のゴミゼロリサイクル推進委員会」なんかに関しては事実が記されているものと判断されます。 私は住民監査請求の参考資料として提出した大河漫才「僕の住民監査請求」に、つまりこのことですけど──
この第一部「迷走篇」にこんなことを記しました。
これは公理と呼ぶべき認識だと私は思っておりますので、この漫才の場合には名張地区既成市街地再生計画策定委員会や名張まちなか再生委員会のことをペケ認定していたわけなのですが、この公理にしたがえばこのブログに記されている「名張市のゴミゼロリサイクル推進委員会」も当然ペケであるということになるはずです。しかしいまはそのことにはふれません。 私が気になったのは、ていうか驚いたのは、じつはいろいろとあったのですけれど、このブロガーの方が名張市の3月議会で、 「名張市のゴミをどうするのかを決めるのに市の職員ではゴミ排出量の試算や処理計画を立てる事は出来ないのか?」 と質問なさいましたところ、 「コンサルを使わないと出来ない」 との答弁が返ってきたというのが最大の驚きでした。それで「難しい資料を頂きました」ということで話が終わっているのがなんともおゆるくて困ったものだと思うのですが、そんなことはまあどうだってかまいません。 私が驚き、そして疑問に思いましたのは、ごみ処理に関する試算や立案もできないというのであれば、あの人たちは毎日いったい何をやっていらっしゃるのかという一事です。あの人たちというのは名張市役所のみなさんのことなのですが、そんな難しいことはコンサルタントにお願いしなければ手前どもではとてもとても、などというせりふがよくも口にできたものだと私は思う。市民生活に直結した問題すらコンサルタント恃みだというのであれば、あの人たちは毎日あの四階建ての市庁舎でいったい何をやっていらっしゃるのか。自分たちの住んでいる地域のことを自分たちの頭で考えることができない、そんな人たちをはたして公務員と呼んでいいのかどうか。 むろん難しい問題ではあるのでしょう。しかし難しいからといってすぐに尻込みしてしまうのはいかがなものか。その難しい問題をクリアできるだけのスキルを身につけるのは、それほど困難なことなのか。たとえ困難なことであっても、ごみ処理という市民生活に直結した問題を自分たちの手で解決するべく公務員のみなさんに努めてもらわないことには、地域住民としてはとっても不安な気がいたします。ごみ処理の問題をいちいちコンサルタントにゆだねていては、時間もかかれば手間もかかり、だいいちコストが高くついて仕方がないのではないかしら。げんに上の引用には「名張市一般廃棄物処理計画」の見直しのために「委託料として約350万の予算が組まれています」と記されているのですが、こんなことでいいのか実際。 むろんお役所においては専門性ってやつがいいだけ抑圧されるわけですけど、そんな御法度はそろそろ廃止してしまうべき時期でしょう。いつまでもそんなような責任回避第一主義に凝り固まってなんかいないで、有能な職員がそれぞれの資質に応じて専門性を獲得できるべく道を開くのがお役所の改革ってやつのひとつではないのかな。しかし名張市役所にゃ「有能な職員」なんて存在しないのかもしれませんから、その場合には「比較的有能な職員」とか「そこそこ有能な職員」とか「どっちかっつったら有能な職員」とか、いやまあいいかこんなこと。 私の大河漫才「僕の住民監査請求」にはこんなくだりがありました。
これもまたおんなじことで、名張まちなかを再生するというのなら、お役所の人たちがまず死ぬ気で考えてみてくれんかねということなわけなのね。それがお役所の人たちの仕事だろうと。そのために雇われているのではないかいなと。そうした努力を最初から放棄して、何から何まで丸投げしてしまうってのはいったいどうよ。市民の眼に見えるところでは官民合同のなんとか委員会やかんとか協議会に丸投げし、市民の眼に見えないところではそこらのコンサルタントや駅弁大学の研究室に丸投げする。そんなことでいいのかな。行政の主体性や責任ってやつはいったいどこにあるっていうのよ。 話が横道にそれてしまいましたが、名張市は乱歩をどうする気? というテーマと無関係な話題ではないのだとお思いください。それでその名張市は乱歩をどうする気? という本来のテーマはまた先送りとなるのですが。 しっかしきょうもまた暑いのかよ。 |
これもまた以前に教えていただいてあったものですが、東海テレビのオフィシャルサイトで「D坂の殺人事件」の朗読を聴くことができます。どうやらサイトのオリジナルコンテンツらしく、局アナのみなさんが朗読の腕を競っているのがこのページ。岡田考平アナが十三回にわたってD坂全篇を朗読していらっしゃいます。 聴いてみましたところ、黙読の場合にはついつい読み飛ばしてしまいがちなディテールがすっきりと像を結ぶ感じです。名張市には「FM なばり」というラジオ局があって、オフィシャルサイトはこんな感じなのですが── ご町内感覚でちまちままとまるのもいいけれど、乱歩作品の朗読を放送するくらいの企画が実現されてもいいのではないかと私は思う。 つづきましては、J-CAST ニュースで「三重のインターネット公売 「藤田朋子写真集」が一番人気」として8月22日に報じられた話題です。その前日の毎日新聞オフィシャルサイトではこんな感じでした。
いつの日か参考になるかもしれませんから記録しておきます。 何の参考なのかといいますと、これは先日来お知らせしていることですが、6月16日付中日新聞の報じるところでは、名張市は6月定例会において「市が保管するミステリー図書や江戸川乱歩関連資料」に関して「初瀬街道沿いに展示する場所が必要と考える」と表明しております。つまり名張市立図書館の乱歩コーナーは閉鎖し、新町にある細川邸改めやなせ宿で図書を架蔵したり資料を展示したりするということでしょう。しかしそんなことが可能なのかよ。 細川邸整備の実施設計がそれにもとづいて行われたという三重大学浦山研究室の報告書「歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて」を読むかぎり、そんなことはまったく想定されていませんでした。報告書は住民監査請求の証拠書類として提出してありますから現在は手許にないのですが──
この大河漫才「僕の住民監査請求」の第四部「零落篇」から、報告書が示す細川邸活用の方向性を確認しておきましょう。
乱歩のらの字もミステリのみの字も出てきません。いったいどうなっているのかな。 それに名張市議会で表明されたのはあくまでも名張市サイドのおもわくであって、細川邸改めやなせ宿を運営する NPO がそういったおもわくを受け容れてくれるかどうかはまったく別の問題です。ていうか、NPO サイドはそういった図書や資料の受け入れなんてまず拒否するのではないかしら。それこそ乱歩のらの字もミステリのみの字もご存じないにちがいない NPO にとってみれば、たとえば私のような人間から見れば貴重この上ない財産である図書や資料もただのお荷物でしかないことでしょう。そんなものを抱え込まされるのは迷惑以外の何物でもないはずですし、そんなところに図書や資料の管理をゆだねてしまう名張市の無責任ぶりはいったいどうよということにもなります。 ですから名張市が現在の方針を強引に推し進めた場合、最悪の結果として図書や資料の行き場がなくなってしまうことも考えられるわけです。どうすりゃいいのよ、といったときにはヤフーオークションの出番でしょう。いっそのこと図書や資料をオークションで売っ払い、危機的状況にある名張市財政の足しにするのも一策であると私は考えます。そのときの参考として三重地方税管理回収機構によるインターネット公売の記事を記録しておいた次第なのですが、乱歩宛の献呈署名が入った横溝正史の『真珠郎』なんて結構な値段で売れるのではないかしら。 読者諸兄姉は私が冗談を書いているのだとお考えかもしれません。むろん私にしたって図書や資料のインターネット公売なんてのは冗談のレベルにとどまっていてほしい。しかし想定できるあらゆる可能性を想定し、それぞれの可能性に対する方途方策を熟慮しておいて、そのうえで適切かつ果断な決定をすみやかに重ねてゆくのが行政運営の本来の姿というやつでしょうから、オークションに持ち込む可能性だって念頭に入れておくべきではあるわけです。 しかしまあそれにしても、実際のところはもうまるっきりわかりません。さっぱり見当もつきません。名張市立図書館が所蔵している乱歩やミステリに関する図書と資料がどうなるのか。細川邸改めやなせ宿がどんな施設として運営されるのか。そんなことは私にはまるでわかりませんし、関係者のなかにだってわかっている人間なんてひとりもいないのではないかと推測されます。つまりもうどんづまりなんじゃねーの。 ところが私の見るところ、意外や意外ってやつですけど、協働だとか新しい時代の公だとか、そういったお題目の真価が問われるのはこれからなのであると判断される次第です。お役所にとって都合のいいうすらばかを何十人と寄せ集めてなんとか委員会だのかんとか協議会を結成し、外部の声にいっさい耳を傾けることなく密室のなかであーでもないこーでもないとおゆるいおつむで税金の具体的なつかいみちを考えるのが協働とか新しい時代の公とかいったものだと思ってたらおおまちがいのこんこんちきなのですが、お役所がまず手のうちを全部さらしてしまい、お役所にとって都合の悪い人間からも坦懐に意見を求め、その意見に深く耳を傾け、そのうえで行政の主体性と責任をしっかりと踏んまえながら適切かつ果断な決定をすみやかに行うことで道が開かれるのではないかしら。 お役所にとって都合の悪い人間というのは、お役所のおもわくとはちがう意見をもった人間だとか、あるいはお役所の人たちのレベルをはるかに超えた知識や見識をもった人間だとか、別の表現をするならばなんとか委員会やかんとか協議会になんかまったくお呼びがかからない人間だとか、そういった人たちのことだとお思いいただきたいのですが、そういった人間にも胸襟を開くのが協働だの新しい時代の公だのといったお題目の基本であるべきではないかいなと、名張市役所あたりではいまや「歩く不都合」と呼ばれていても不思議ではない私は思うぞ。 私はそんなふうに思うのであるけれど、つらつら考えるにやっぱ無理なのであろうな。名張市が行政の責任において誰でも参加できるオープンな場を設け、細川邸改めやなせ宿に関する経過報告と意見交換を行って、つまりは仕切り直しを図って協議検討を前進させるなんてこと、名張市に望むことはとてもできんだろうな。それをやってくれたらこちらも手間が省けて大助かりなのだが、望めないのであれば一歩一歩、まず名張市教育委員会から攻めてゆくしかないのである。なんか面倒だけどなあ。 |
けさのお知らせはきのうの朝メールで教えていただいたものですから新鮮です。「コミック・ガンボ」という週刊コミック誌に乱歩がちらっと登場しました。足立淳さんの連載「人間噂八百」の第三十回が「江戸川乱歩のまき」。作品はインターネットで公開されていて、まあこんな感じです。リンクをたどって「1」から「5」までみんな読んでね。 この「コミック・ガンボ」、版元のプレスリリース「完全無料配布スタイルの週刊マンガ誌『コミック・ガンボ』を創刊!」によれば「首都圏に通勤する20〜40代の男性をメインターゲットとした完全無料配布スタイルの週刊マンガ誌」とのことで、首都圏のターミナル駅なんかでただで配布されてるみたいです。つまり地方の人間はまったく問題にされてなくて、いわゆるお呼びでない、こりゃまた失礼いたしましたッ、みたいな感じなんですけどどうよこの地域間格差。首都圏に住んでなければまともな暮らしは送れないのか、地方の人間は人間ではないのか、とか思っていたら「掲載マンガを、同時にPCサイト、モバイルサイトでも公開します。URL は、PC・モバイル共に『http://gumbo.jp』となります。これにより、雑誌を受け取れなかった方や、地方在住の方にも、毎週読んで頂くことが可能となります」とも書かれていて、しかしとってつけたような「地方重視」がなんだか安倍改造内閣みたいだなやと、ぼろぼろに痛めつけられて中央不信に凝り固まってる地方在住者は思わないでもないでしょう。 そんなことはともかく、これがデビュー作らしい足立淳さんの「江戸川乱歩のまき」はネットのごくごく一部でも話題になっているようで、ブログ「パン屋のないベイカーストリートにて」では8月26日付「人間噂八百」、ブログ「明日できること今日はせず」でもおなじく8月26日付「真実はいまもひとつ」でとりあげられております。そうかと思うとブログ「石川誠壱の「こちら熟女捜索隊」」では6月26日付「ミスターエロチスト」に「(そういう、佐野史郎クラスの怖い御意見番が世の中にいらっしゃることも踏まえつつ、再来月ぐらいの『人間噂八百』では「江戸川乱歩のまき」を、お送りしま〜す!)」とありますから、あの結構はんぱない乱歩ネタの出どころは石川さんであったということでしょうか。 ブログ「パン屋のないベイカーストリートにて」にはやはり8月26日付で「ヤン・シュヴァンクマイエルの「人間椅子」」というエントリもあり、ラフォーレ原宿の「ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展」会場が熱気に包まれていたとの報告とともに、例の書籍『人間椅子』がめでたく発売されたことが記されています。 この『人間椅子』、私はきのう夕刻に立ち寄った地元書店、ブックスアルデ名張本店で注文してきましたので、届くのを楽しみにしております。きのうはついでに山田風太郎『わが推理小説零年』(筑摩書房)も注文してまいりました。筑摩から出た山田風太郎の本くらいここらの本屋さんにも並ぶだろう、とか思って待ってたのですが、なんと全然並びません。どうよこの地域間格差。ほかには、乱歩のことが出てくるとメールで教えていただいた出久根達郎さんの『作家の値段』(講談社)も注文。買ってきたのは定期購読している論創ミステリ叢書の『林不忘探偵小説選』(論創社)と、7月に再版が出ていた高見順『敗戦日記』(中公文庫)。まあそんなようなところであった。 |
けさの当地は雨です。朝っぱらから雷も聞こえますけど、雨にはすでに秋雨の気配があります。おかげでおつむもそこそこクール。本日は乱歩関連のお知らせなしで本題に入りましょう。先日来とっとことっとこ先送りしてまいったわけですが、 ──名張市は乱歩をどうする気? この件について話を進めたいと思います。しかし話を進めようとするやいなや一気に筆が重くなるのをいかにせん。まったく困ったものである。 ていうか、あほらしいのよねもう。きちんと始末をつけとかなくちゃな、とは思うのですけれど、乱歩のことを真面目に考えてくれる気があるのかね、と質問のメールを送ってもいっさい答えてくんない人がいる名張市教育委員会、念のために公文書公開請求で確認してみたところ、案の定「江戸川乱歩に関係する資料の将来的活用や政策的方向性について、長期的展望を示した公文書」はいっさい存在しないということが判明した名張市教育委員会、そんなインチキ委員会をこれ以上まだ相手にしなければならんのか。 教育委員会は教育委員会として、その教育委員会とろくに摺り合わせもしていないのではないかと私には思われるのですが、市立図書館の乱歩コーナーを閉鎖し、新町の細川邸改めやなせ宿にミステリ図書や乱歩関連資料を展示するという方針を打ち出してしまった名張市もいったいどうよ。 ──名張市は乱歩をどうする気? といくら尋ねてみたところで、乱歩のことを真面目にまともに真剣に考えてる人間なんかものの見事にただのひとりも存在していないこの名張市というインチキ自治体を相手にするのはもううんざりなのである私は。うんざりではあるけれど、しかし始末はきちんとつけとかないとなあ。 気分転換のために話題を変えるっちゃ。 江戸川乱歩関連資料の充実に努めます、くらいのことはなんとか口走れてもその収集資料をどうやって活用するのかなんてことは考えることも、ていうかそもそも思いつくこともできないみなさんのために、名張市立図書館がこれから進めるべき資料の収集と活用について私見を記しておくことにいたしましょう。市立図書館の乱歩コーナーが閉鎖され、乱歩関連資料が細川邸改めやなせ宿を運営する NPO の手で管理されることになるのだとしても、その資料が存在するかぎり収集と活用の問題はついてまわるわけですから、これまで収集と活用に微力を尽くしてきた人間としていささかの贅言を費やしておきたいとぞ思う。あながち無益なことでもあるまいて。 まず、乱歩の談話のたぐいである。談話というのは対談、鼎談、座談会、講演などのたぐいであるとお思いいただきたい。はっきりいって収集はほとんど手つかずである。面目次第もございません。 ここで試みに、大正15年から昭和20年までの談話をリストアップしてみましょうか。乱歩がつくった「江戸川乱歩自作目録」のうちの「座談会・対談会・合評会・対局棋譜」にもとづいてその遺漏を補い誤記を訂し、ほかに講演も含めることにしてざっとリスト化するとこんなあんばいなのである。
くわしい説明はまたあしたね。 |
きのうのつづきです。きのう掲載したリストのうち、初出以降に活字になったものはごくわずかです。大半は雑誌や新聞に掲載されたままそれっきりになっている。ちょっとチェックしてみますと──
これは1994年に博文館新社から出た叢書新青年『小酒井不木』に収録。
これは2001年に出た光文社文庫の幻の探偵雑誌『「探偵春秋」傑作選』に収録。
これは1989年に沖積舎から出た『江戸川乱歩ワンダーランド』に収録。ざっとこんなものです。 で、乱歩に関する資料収集の方向性としては、対談や講演といった談話のたぐいが今後の柱のひとつとなるべきことは論を俟ちません。しかしなあ、ただ論を俟ちませんというだけでは、名張市教育委員会のみなさんにはとても理解ができないかもしれんなあ。もっとくわしくことをわけて説明してやらなければならんかもしれんなあ。なんかもう連中と来た日には絶望的な理解力だものなあ。そのうえ他者の言に虚心に耳を傾けるという習慣がないのだものなあ。自分ではまったく何も考えようとせず、質問に答えようともしないくせに、人が汗水たらしてやったことは頭ごなしに否定しやがるんだものなあ。人の足をひっぱるのが教育ってことだと堂々と主張してるようなものだものなあ。名張市教育委員会なんてもう終わってるよなあ。まあいいけど。 ところできのう掲載したリストは以前に作成してあったものなのですが、そろそろ戦後の分もつくらなくちゃなとか思ってさっきから「江戸川乱歩自作目録」の「座談会・対談会・合評会・対局棋譜」をと見こう見しておりましたところ、昭和22年の目録にこんな記載があったので私は泡を喰ってしまいました。
昭和22年の何月かはわからず誌名すら不明なのですが、とにかく「贋作文学大会」という座談会が発表されたというわけです。それでその参加者はと見てみると、田村というなら田村泰次郎、横光というなら横光利一、太宰というなら太宰治、胡堂はむろん野村胡堂で、おまけに永井荷風まで顔を出している。これはいったい何なのか。ていうか、まいったな。 何がまいったのかというと私は以前、吉川弘文館から頼まれた原稿に横光と乱歩は会ったことがないであろうという考察を堂々と書いてしまったからなのであって、まさかこんな席で顔を合わせておったとはなあ、とか頭を抱えもしたのですけれど、しばらく考えてこれはいわゆる架空対談のたぐいではないかと結論いたしました。そうだそうだ。そうに決まっておる。 だいたいが昭和22年といえば横光が死去した年なのであって、横光全集に収録された保昌正夫さん編の年譜によれば、 ──六月、この頃より軽い吐血があり、床に臥すことが多くなる。 とのことである。横光はそもそも前年の昭和21年に「戦争責任者」として指名され、脳溢血の発作も起こしているのだから、こんなあやしげな座談会にのこのこ出席していたとは考えにくい。たぶんいわゆる架空対談なのであろう。そうだそうだ。そうに決まっておる。 |
昨日付伝言のタイトル「とんだところへ横光太宰」はいうまでもなく「とんだところへ北村大膳」のもじりだったのですが、「北村大膳」と「横光太宰」のあいだにはもじりと呼べるほどの音韻的照応性が存在していないことに気がつきました。しかも「とんだところへ北村大膳」という地口さえいまやポピュラーなものではありません。ねらいの判じにくいタイトルであったなと反省しております。あーこれこれそこのお姉さん、ちょっとこっちへ河内山。意味はまったく不明です。 それできのうのつづきですけど、名張市立図書館における乱歩関連資料の収集は、今後は対談や座談会など談話のたぐいを柱のひとつとして進められるべきであると私は愚考いたします。資料の管理がそこらの NPO の手にゆだねられることになるのであれば、その NPO にそうした方向性が引き継がれてしかるべきでしょう。 こういった談話のたぐいはその多くが初出のままで埋もれていて、二度三度と活字になることなどまずめったにありません。例外的に書籍に再録されるのは対談の相手ないしは座談会のメンバーがビッグネームであった場合で、たとえば三島由紀夫、幸田文、徳川夢声、小林秀雄、佐藤春夫、忘れちゃいけない稲垣足穂といった名前が思い浮かんでくるわけですが、こういった顔ぶれなら商業出版社がその対談や座談会に商品価値を見いだしてくれることがないわけでもありません。しかしそんなのはごくごくまれな例である。 だからこそ、乱歩の談話を集中的に収集する図書館がどこかに存在しているべきであり、かりにそれが名張市立図書館であっても全然おかしくはありません。ていうか、開館準備の段階から乱歩関連資料を収集してきたのが名張市立図書館なんですから、談話の収集にもとっくの昔に着手しているべきなのである。しかし難儀ではある。あちらこちらと訪ね歩いて談話のコピーを収集するのはたいへんな手間である。しかしだからこそ、そうした資料の収集に努める図書館がどこかに存在しているべきだということはいまさら論を俟たぬであろう。 いや、俟つのか。論を俟つのか。俟つかもしれんな。ていうか、やっぱり俟つのであろうなあ。名張市教育委員会だとかあるいは名張市だとか、あのあたりのみなさんは諄々懇々と説いてやらねば何も理解してくれぬのであろうなあ。いやいや、何を説いてやっても理解はしてくれぬか。まったく困ったものである。頭が痛くなってくる。 えーい、気分転換を図るっちゃ。乱歩が編んだ「江戸川乱歩自作目録」の「座談会・対談会・合評会・対局棋譜」をもとに戦後篇のリストをつくってみることにいたしましょう。 戦後の座談会は戦前にくらべて格段に多くなります。理由はいくつか数えられますが、最大のものは乱歩が探偵小説の復興に挺身しようと決意したことでしょう。とくに昭和22年にはみずから「探偵小説行脚」と銘打った講演旅行を行っており、『探偵小説四十年』から引くならば──
あるいは──
戦後の行脚といえばいちばんに想起されるのが天皇巡幸で、昭和21年のお正月に自分はじつは人間であったのだと宣言した昭和天皇がその年から翌22年にかけてとくに精力的に各地を訪問し、その甲斐あって天皇のそれであれ国民のそれであれ戦争責任という言葉がこの国からきれいに消え去ってしまったという愚見はまあどうでもいいのですけれど、この天皇巡幸を倒立させたものが乱歩の探偵小説行脚だったのではないかしら。 すなわち、われ本邦探偵小説壇の現人神たらん、と敗戦とともに決意したのが乱歩であったと私には思われる次第です。上の引用では自分=俳諧の宗匠=芭蕉といった感じでわれ探偵小説壇の芭蕉とならんみたいな心中が打ち明けられていますから、実際の心中ひそかなところに現人神たらんという決意があったとしても不思議ではないのではないかしら。 ともあれ、乱歩が編んだ「江戸川乱歩自作目録」の「座談会・対談会・合評会・対局棋譜」にもとづいて進めましょう。
昭和21年はそもそも紙が不足していたこともあってわずかこれだけなのですが、翌22年になると飛躍的に数が増えます。ちなみに探偵小説行脚は昭和22年の11月8日から21日まで。
このうち初出以降に書籍に再録されたのは、たぶん1月の「新文学樹立のために」だけでしょう。坂口安吾全集に二回ほど収録されています。ほかには探偵小説行脚の道中、神港夕刊に掲載された「江戸川乱歩氏を囲んで」が昨年出た「Quijinkyo」五十八号に収められているばかり。 ですからあとはたいへんで、毎日新聞岡山版だとか夕刊岡山だとかは岡山県立図書館にでも足を運ばないことには見つからんのではないかしら。つまり乱歩の行脚を追体験しなければならんのか。なんだかとんでもないことになって北村大膳?(この場合の「北村大膳?」は「きたみたいじゃね?」といった感じであるとお思いください) どうすんのよほんとに。 |