2007年9月上旬
1日 もう9月かよと思いつつ8月の作業を継続する
2日 なばりじんがいきょうとはなんじゃらほい
3日 二銭銅貨煎餅ぶらさげて名古屋に行ってまいりました
4日 「城山三郎文庫」と「名古屋の探偵小説展」
5日 小酒井不木ゆかりの地めぐり
6日 美しくない国の美しい本の話
7日 名古屋から名張に戻るととたんにこれである
8日 江戸川乱歩と13の宝石プラスワン
9日 三重県立博物館という横道にそれる
10日 ハコモノにこだわらないという考え方
 ■9月1日(土)
もう9月かよと思いつつ8月の作業を継続する 

 談話ということでいうならば、新聞記事に添えられた乱歩の談話を集めることもぜひ必要でしょう。いわゆる識者のコメントというやつです。たちどころに思い浮かぶのは小酒井不木やコナン・ドイルの逝去に際し、新聞社の求めに応じて述べられた談話あたりなわけですけど、この手のものはそれこそ手つかず。ほとんど唯一といっていいほどの例外が、『江戸川乱歩 日本探偵小説事典』に再録された浜口雄幸に関するコメントくらいなものではないかしら。

 なんか変な勢いがついてしまったので本日も以下に作業をつづけます。

昭和22年
そのみちを語る 同性愛の 江戸川乱歩、稲垣足穂
くいーん 1巻5号 1947年12月15日

 この対談、乱歩は掲載号の発行が昭和23年1月だったと記録しているのですが、正確には昭和22年の12月。「ユリイカ」にも「薔薇族」にも再録された名対談です。

昭和23年
探偵話の泉座談会 江戸川乱歩、大下宇陀児、木々高太郎、角田喜久雄、水谷準
Gメン 1月号(2巻1号) 1948年1月1日
二十の扉 大下宇陀児、角田喜久雄、木々高太郎、江戸川乱歩
Gメン 2月号(2巻2号) 1948年2月1日
帝銀事件 推理小説家座談会 大下宇陀児、木々高太郎、水谷準、城昌幸、江戸川乱歩
第一新聞 1948年2月2日
帝銀事件と防犯 新居格、桑島直樹、江戸川乱歩
大阪新聞 1948年2月8日
帝銀毒殺魔事件捜査座談会 堀崎捜査第一課長、鈴木毎日新聞社会部副部長、江戸川乱歩
サンデー毎日 1948年2月22日
江戸川、木々対談 江戸川乱歩、木々高太郎、辻本浩太郎(司会)
小説新聞 1948年4月1日・5月1日・8月1日
平沢は果して犯人か 江戸川乱歩、木々高太郎
新大阪 1948年9月17日
平沢の黒白を衝く 正木亮、山田義夫、式場隆三郎、金子準二、中館久平、松元司法次官、江戸川乱歩
読売新聞 1948年10月6日・7日・8日
世相の暗黒をつく防犯座談会 式場隆三郎、佐藤米子、二見靖美
婦人の国 10月号 1948年
帝銀犯人を追う二百四十六日 鈴木毎日新聞社会部副部長、社会部記者四人、江戸川乱歩
サンデー毎日 1948年10月17日
新人コンテスト合評会 木々高太郎、水谷準、城昌幸、武田武彦、岩谷満、江戸川乱歩
宝石 11・12月合併号(3巻9号) 1948年12月1日

 まあきょうはこのへんで。

 それにしてももう9月か。


 ■9月2日(日)
なばりじんがいきょうとはなんじゃらほい 

 若いころ読んだ長篇小説をアトランダムに再読するシリーズの第二弾としてとりあげた光文社古典新訳文庫『カラマーゾフの兄弟』の件ですが、暑さの夏におろおろページをくって第二巻まで読了しました。

 本というのはなかなか虚心坦懐に読むことができないもので、私などとくに若いころ、本のなかに書かれた言葉から勝手に連想がひろがって眼では活字を追いながら頭では連想がふくらみつづけ、気がついたら二ページも三ページも、いま読んだはずのところがまったく頭に入っていなかったということがよくあったものです。むろん若いころにはのべつお姉さんのことを考えてもおりましたから、そっち方面のあんなような妄想に邪魔されることも常住坐臥のしょっちゅうでした。よわいを重ねればこのような妄想に悩むこともなくなるのであろうなと楽観していたのですけれど、驚くべきことにお姉さんの妄想はいまも健在です。

 そういった事情以外にも今回、どうしても虚心坦懐になれない理由がひとつあって、それは乱歩がこの小説のどこに感じ入ったのかをついつい推測しながら読んでしまうということです。読書に邪念がついてまわるわけ。

 ちなみに『探偵小説四十年』には、乱歩のドストエフスキー体験がこんなぐあいに記されています。

 ドストエフスキーの方はそれより少し後、鳥羽造船所にいたとき(大正七年)あの新潮社の部厚い小型本の飜訳叢書で、先ず「罪と罰」を、つづいて「カラマーゾフ」を、息もつかずに読み終った。これは谷崎以上の驚異であった。ドストエフスキーを逃避の文学というのではないが、私はこれを日常的リアルとしては驚異しなかった。ドストエフスキーの中の人為的なものに、その哲学に、その心理に圧倒されたのである。そこに現われる諸人物は、日常我々の接する隣人に比べて、殆んど異人種と思われるほど意表外の心理を持ち、意表外の行動をしていた。それでいて、人間の心の奥の奥にひそむ秘密が、痛いほどむき出しに描かれていた。日常茶飯事とは逆なもの、即ち私の最も愛するところの別個のリアルがそこにあった。

 乱歩自身の言葉でいえば「夜の夢」のリアルが乱歩を圧倒し、乱歩に驚異をおぼえさせたということらしいのですが、それは具体的にどんなところだったのかな、みたいなことを考えながら読んでしまうわけです。これはしかたのないことであろうな、とは思いますけど。

 ところで上の引用には深くうなずかれるところがあり、私が抱いていたのもやはり登場人物が「殆んど異人種と思われる」といったような印象だったのですが、光文社古典新訳文庫の訳文はそうした印象をがらりと一変させるものであるようです。8月15日付伝言にも記したことですが、訳文はよくこなれていてじつに読みやすい。しかしその反面、19世紀ロシアの小説だという感じがあまりせず、登場人物がかなり身近な人間に感じられて、要するに描かれているのが異人種ではなく隣人の苦悩であり隣人の信仰であるという気がしてしまいます。

 この光文社古典新訳文庫の意図するところは「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」といったことだそうですから、まさにその方針どおりの訳文ではあり、この『カラマーゾフの兄弟』が結構なベストセラーになっているらしい大きな要因もそのあたりに求められるのでしょうけれど、にしてもどっか違和感があるのよね、とかぶつぶつ思いながら2ちゃんねる文学板のドストスレとか眺めていてふと気がついたことに、現在版行されている新潮文庫の『カラマーゾフの兄弟』は原卓也訳であるというではありませんか。

 ところが8月15日付伝言にも記しましたとおり、私の手許にある新潮文庫『カラマアゾフの兄弟』の訳者は原久一郎。ということはいつかしらの時点で原久一郎(1890−1971)から原卓也(1930−2004)へ、つまり父親の訳文から息子のそれへとバトンタッチが行われていたわけなのね。光文社古典新訳文庫の亀山郁夫さんの訳文を現役世代だと仮定すれば、私がかつて読んだのはいわば二世代前、いってみればおじいさんの世代にあたる訳文であったということになるわけか。

 そのことに気がついた瞬間、私は自分が一気に古いタイプの人間になってしまったような気がしました。それはそうかもしれんなあ。ゾシマ長老がわしはなんとかなのじゃみたいな語りをしてくれなければ感じが出ないじゃん、とか思ってるなんてまぎれもなく旧人類のあかしなのであろうなあ。だいたい旧人類という用語自体が古いものなあ。いやー、昔はよかったなあ。何がよかったんだかよく思い出せんのじゃが。

 ところで私はいま、ドストエフスキーの話題をさらにつづけるべく、「新潮文庫 カラマーゾフの兄弟 乱歩 光文社古典新訳文庫」という検索語を入力して Google 検索を試みたのですが、「なばりじんがいきょう」などというページがひっかかってきましたのでいささか面くらってしまいました。アクセスしてみたところこんな感じです。

 これはいったいなんじゃらほい。なんじゃらほいというのもまさしく旧人類の常套句なんですけど、そんなことはともかくこれはいってみれば総ルビ版名張人外境。つまり当方のサイトに掲載されたテキストの漢字という漢字にすべて読みがなを附してくれてあるページみたいなのですが、それにしてもこれはいったいなんじゃらほい。

 URL をたどってみて行きついたのがこのページでした。

 キッズ goo というサイトです。ポータルサイト goo の小学生版らしいのですが、それにしてもこれはいったい、と首をひねりながらサイトを閲覧してゆくと、

 ──ナビトップ>スポーツとしゅみ>趣味>本とよみもの>推理・探偵

 とたどった「推理・探偵」のページに名張人外境へのリンクを設定していただいてあるのですが、そのページでクリックしても現れてくるのはむろん名張人外境、読みがなつきの「なばりじんがいきょう」ではありません。これはほんとになんじゃらほい。

 そこで案じてみますに、名張人外境というのはお子供衆にとってたいへんためになるサイトである、とキッズ goo の関係者が判断したわけでしょう。ここはひとつ小さいお子供衆でもらくらく読めるように読みがなつきのミラーサイトみたいなのをつくってやろう、それが全国のよい子のため、ひいては世のため人のためというものだ、との流れからここにめでたく「なばりじんがいきょう」がネット上に出現したのであると私にはそのように考えられます。

 ということは私もお姉さん関係のあんなような妄想が、みたいなことはあまり書かないほうがいいのかな。それとも、その道の先達として新しい世代に伝えるべきことはきちんと伝えておいたほうがいいのかな。うーん。どっちがいいのかとさっきからすっかり考え込んでしまい、心が千々に乱れているこの私。このまま千の風になってしまったりしたらどうしよう。

 しかし総ルビ版のテキストというのは、いまやキッズのみならずハイスクールスチューデントのためにも必要なのかもしれないなというのが私のこのところの実感です。げんに地域の名門三重県立名張高等学校はあしたから二学期、私の授業は一週間遅れで9月10日に新学期がスタートするのですが、最初の授業の教材はほらこのとおり。

 谷崎の「陰翳礼讃」にちょっとでも眼を通しておいたほうがいいだろう、という授業の流れになりましたのでごらんのとおりごく一部を引用してプリントを一枚つくったのですが、えーいと思って総ルビといたしました。踊り字にまでルビを附しましたから正気の沙汰とは見えぬかもしれません。

 話がどんどん横道にそれてしまいました。ドストエフスキーの話はまた日を改めてということにして、最後は例のリストでしめくくります。

昭和24年
初笑い珍聞座談会 杉田憲治、古今亭志ん生、柴田早苗、正岡容、徳川夢声、春風亭柳好、林家正蔵、江戸川乱歩
毎日読物 1月創刊号 1949年
夜の男の生態 あき子、お母さん、ケリー、とめ子、まさ子、のぶ子、ゆめ子、江戸川乱歩(司会)
旬刊ニュース 1949年2月10日
犯罪と医学を語る 古畑種基、浅田一、本田親任、武井主幹、江戸川乱歩
ルック・エンド・ヒヤー 6月号 1949年
下山事件推理漫歩 江戸川乱歩、坂口安吾、中館久平
新大阪 1949年7月16日・17日
探偵小説を語る 江戸川乱歩、横溝正史
宝石 9・10月合併号(4巻9号) 1949年10月1日
なぜ女性は狙われるか 今年の迷宮事件を解剖する 堀崎捜査第一課長、大下宇陀児、城昌幸、江戸川乱歩
読売ウィークリー 1949年12月17日
近頃の大捕物縦横談 堀崎捜査第一課長、岡田、野田、江戸川乱歩
不詳 1949年

 おしまいにひとこと。当サイトの名称は「なばりにんがいきょう」とお読みいただくことになっております。お子供衆のみなさんよろしくね。


 ■9月3日(月)
二銭銅貨煎餅ぶらさげて名古屋に行ってまいりました 

 ──探偵小説は名古屋が発祥の地でした。

 というフレーズに惹かれて昨2日、名古屋市で開かれている「名古屋の探偵小説展」に足を運んでまいりました。当該フレーズにはじまる案内文の全文はこの画像を拡大してお読みください。

 今年5月から7月にかけて神戸文学館で「探偵小説発祥の地 神戸」という企画展が開かれたことは読者諸兄姉もご記憶でしょう。それにつづいて名古屋が名乗りをあげたわけですから、探偵小説発祥の地は神戸なのか、それとも名古屋なのか、いずれ神戸と名古屋のあいだで探偵小説発祥の地論争が勃発してしまうのかもしれませんけど、本邦探偵小説がどこで発祥しようともその永遠の王たる乱歩の生誕地が名張であることには変わりがありません。はっはっは。その名張から山本松寿堂謹製二銭銅貨煎餅を手みやげにお邪魔してまいりました。

 会場は名古屋市東区橦木町にある「文化のみち二葉館」。詳細はオフィシャルサイトでごらんください。

 旧川上貞奴邸を移築復元した施設はそれだけでまことに興味深いものですが、二葉館として整備するにあたって大きな書庫が隣接して新設されており、案内していただいた私はこの書庫にも深い興味をおぼえました。というか、なんだか頭が痛くなってしまいました。その書庫には今年3月に亡くなった城山三郎さんから寄贈された資料が文字どおり山をなして収蔵されているのですが、資料といっても書籍や雑誌ばかりではありません。二葉館スタッフの方からお聞きしたところでは、城山さんというのはものを捨てない、しかし片づけないという人であったらしく、したがって捨てられずにいた資料のたぐいが大量に運び込まれておりました。

 そうした資料は一般にはごみと呼ばれるわけですけど、城山さんの遺したものですから資料ということになります。端的な例をあげると、十センチ四方くらいの紙切れがあって、そこに子供のいたずら書きが記されている。幼児のいる家ならどこにでも転がっているようなごみなのですが、その紙片にはこれはいつ誰が書いたものであるという城山さんのメモが書き添えられていて、そのメモの存在ゆえにごみではなく貴重な資料だということになってしまいます。で、そんな紙くずにしか見えないようなものも含めて資料が大量に収蔵されているのですから、その保管と整理のたいへんさに思いいたった私はほんとに頭が痛くなってしまったというわけです。あの資料整理はほんとにたいへんな作業になることでしょう。

 二葉館のあと、今度は名古屋近代文学史研究会の例会へ。この研究会のメンバーの方には『乱歩文献データブック』を編纂したとき以来ずーっとお世話になっていて、つまり名古屋関連の資料であんなの知りませんか、こんなの知りませんかとじつに無遠慮にお訊きしていろいろご教示をたまわってきたわけで、ですからもう十年以上お世話になりっぱなしということになります。以前から一度はお目にかかってお礼をと考えておりましたところ、この日ようやくその機会を得たという寸法で、山本松寿堂謹製二銭銅貨煎餅を手みやげにご挨拶を申しあげてまいりました。

 名古屋近代文学史研究会のオフィシャルサイトが一か月ほど前に開設されましたので、ここでお知らせしておきましょう。

 名古屋市中区橘一丁目にある中生涯学習センターで開かれた例会のあとは小酒井不木ゆかりの地めぐりのご案内もいただいて、どっからどう見ても不審者にしか見えないだろうなと思いながらよその土地に入りこんだり人の家を写真に撮ったりして帰ってまいりました。

 残暑のなかの名古屋行、もう少しくわしいことはまたあすにでも。


 ■9月4日(火)
「城山三郎文庫」と「名古屋の探偵小説展」 

 まずは名古屋ではなくて伊勢市で開かれている展示会の新聞記事。

戦前の家電など90年の歩み 伊勢で神鋼電機記念展
 伊勢市竹ケ鼻町に製作所があり、ことしで創業90周年を迎えた神鋼電機(東京都港区)の歴史を振り返る展示会が5日まで、同市小木町のララパークで開かれている。戦前の貴重な家電や最新の製品が並び、来店客の目を引いている。

 神鋼電機は鳥羽市の鳥羽造船所の電気部門として一九一七年に創立、軍用機の発電機や家電の生産で成長を続けた。現在はロケットの電装品から写真用プリンターまで、十三部門で電気製品などを生産、販売している。伊勢製作所は四一年開設で、今は全従業員約三千人の三分の一以上が勤める同社の主力工場。

 これがどうしたのかというと、

 ──騒音が少ない小型風力発電装置やヘリコプターに搭載する機器など最新の製品も展示。庶務課に在籍した経験がある江戸川乱歩(一八九四−一九六五年)が仕事を抜け出て小説のヒントを得た逸話なども紹介している。

 という寸法です。鳥羽造船所ゆかりの企業が展示会を開くとなると乱歩が登場し、それが新聞で報道されるとなるとやはり乱歩が登場する。乱歩の名前の大きさが知れるといいますか、乱歩という名前の遍在にあらためて驚かされるといいますか。しかしこうなるとわれらが三重県も探偵小説発祥の地として名乗りをあげてもいいのではないでしょうか。

 さてそれで「文化のみち二葉館」で9日まで開かれている「名古屋の探偵小説展」の件。名古屋近代文学史研究会の例会でいただいてきた「名古屋近代文学史研究」百六十一号に斉藤亮さんの随筆「城山三郎文庫」が掲載されていて、二葉館と城山さんの関係が簡明に記されておりますので以下引用。

 平成一七年二月、名古屋市東区橦木町に、「文化の道・二葉館」(旧川上貞奴邸)が開館した。その二階に「郷土ゆかりの文学資料館」がある。何故かと疑問をもたれる方もあろう。
 たまたま同時期に、名古屋出身の作家城山三郎から蔵書・資料・愛用品等約一万点が名古屋市に寄贈され、その収容施設としてここが選ばれ、施設の隣に書庫も設けられた。目下ここで、「城山三郎文庫」(正式の名称ではないが、私はあえてこの名称を使いたい)は、文学ボランティアの手で整理が進められている。
 城山は経済小説家としてデビューしたが、もともと一兵士として太平洋戦争に参加し、「大義」の名のもとに死んでいった人々の怨念を描いた戦争小説家でもあった。更に伝記小説・歴史小説にも筆を染め巾広い作家活動をした。したがってその蔵書は文学にかぎらず、人文科学全般にわたっている。また書簡・ノートといったものも含まれている。
 その整理は容易ではない。しかし整理のすんだ暁には、『城山三郎文庫目録』の刊行が期待される。それによって城山文学の研究は一段と深まるであろう。某出版社による城山三郎文学賞といったものも計画されているという。

 要するにこういうことです。これが普通なわけです。すなわち城山さんから資料の寄贈を受けたとなると、当然のことながら『城山三郎文庫目録』の刊行が期待されるわけです。期待されるといいますか、げんに二葉館ではその作業が進められている。こんなのはごくあたりまえの話であって、寄贈によるものであれ購入したものであれ、公共施設が資料を所蔵するというのはそういうことです。資料を活用するということ、たとえばそれを体系化して目録を作成することが、所蔵という行為にはついてまわってくるわけね。

 あーこれこれ名張市教育委員会のみなさんや。名張市立図書館は開館準備の段階から江戸川乱歩の関連資料を収集してまいりましたとか、今後も乱歩関連資料の収集に努めてまいりますとか、そんなことしかいってこなかったからみなさんはものの道理がわかってないというのである。資料収集してどうすんの? なんのために資料を収集してるわけ? そんなことにさえ知恵がまわらないのねこのあんぽんたん委員会ったら。

 あんぽんたんのことはまあいいとして、「名古屋の探偵小説展」の会場はこんな感じでした。

 二葉館二階の洋間を利用して、パネルが掲示され書籍や雑誌が展示されておりました。個人の蔵書を借りて乱歩の著作や著作もずらりと並べられていましたが、名張市立図書館が所蔵資料にもとづいて編纂した目録三巻、いまや公立図書館の奇蹟と呼ばれていても不思議ではない『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』『江戸川乱歩著書目録』もちゃんと置いていただいてありました。あーこれこれ名張市教育委員会のみなさんや、まあいいか。

 つづきはあしたとしてあとはこれです。

昭和25年
探偵作家幽霊屋敷へ行く 江戸川乱歩、大下宇陀児、香山滋、島田一男、高木彬光、岡村雄輔、城昌幸、武田武彦、逸見利和(管理人)
宝石 2月号(5巻2号) 1950年2月1日
お手並拝見 探偵作家の将棋 対局:江戸川乱歩、大下宇陀児、講評:高柳敏夫
将棋世界 3月号 1950年
「氷柱の美女」をめぐる座談会 久松静児、高岩肇、美奈川麗子、江戸川乱歩
アサヒ芸能新聞 1950年3月21日
飜訳小説の新時代を語る 水谷準、城昌幸、岩谷満、武田武彦、江戸川乱歩
宝石 4月号(5巻4号) 1950年4月1日
探偵小説このごろ 江戸川乱歩、野村胡堂
毎日グラフ 1950年4月10日
新聞と探偵小説と犯罪 大下宇陀児、野村胡堂、木々高太郎、水谷準、渡辺紳一郎、白石潔、木村登、池田太郎、長岡隆一郎、橋本乾三、江戸川乱歩
宝石 5月号 1950年
百万円懸賞選評座談会 白石潔、水谷準、城昌幸、木々高太郎、野村胡堂、岩谷満、長岡隆一郎、渡辺紳一郎、橋本乾三、大下宇陀児、江戸川乱歩
宝石 5月号 1950年
推理作家から見た犯罪 江戸川乱歩、木々高太郎、古畑種基、本田親任、吉益修夫、桑島直樹
犯罪と医学 6月号(2巻3号) 1950年6月1日
現代の犯罪捜査を語る 長谷川劉、江古田刑事、柴田刑事、石森刑事、江戸川乱歩
宝石 6月号 1950年
映画「蜘蛛の街」を見て 島田一男、江戸川乱歩
毎日新聞夕刊 1950年6月4日
奇術、魔術、忍術のお話会 徳川義親、石川雅章、江戸川乱歩
少年 8月号 1950年
海外探偵小説放談 木々高太郎、長岡隆一郎、木村登、渡辺紳一郎、水谷準、橋本乾三、野村胡堂、城昌幸、江戸川乱歩
宝石 8月号 1950年
平沢死刑を私はかく見る 木々高太郎、大下宇陀児、江戸川乱歩
サンデー毎日 1950年8月6日
アマチュア探偵小説放談会 長沼弘毅、櫛田光男、藤山愛一郎、原安三郎、木村登、城昌幸、岩谷満、江戸川乱歩
別冊宝石 1950年8月
映画「午前零時の出獄」座談会 水谷準、島田一男、辻久一、小石栄一、江戸川乱歩
報知新聞 1950年8月21日
中国の探偵小説を語る ヴァン・グーリック、辛島驍、魚返善雄、島田一男、椿八郎、城昌幸、武田武彦、江戸川乱歩
宝石 9月号 1950年

 いうまでもないことながら、このリストは完全なものではありません。いずれ完全な(というか、完全なものをめざした)目録がつくられるはずですが、いったいどこがつくるのかな。


 ■9月5日(水)
小酒井不木ゆかりの地めぐり 

 斉藤亮さんの「城山三郎文庫」が掲載された「名古屋近代文学史研究」百六十一号の内容が名古屋近代文学史研究会オフィシャルサイトのブログで発表されました。9月3日付「第161号」をどうぞ。

 さて9月2日の日曜日、私は「名古屋の探偵小説展」が開かれている「文化のみち二葉館」から名古屋近代文学史研究会の例会に移動したわけですが、名古屋市営地下鉄でいうと前者は高岳、後者は上前津が最寄り駅。私には土地勘がまったくありません。二葉館でスタッフの方にお訊きしてみると、高岳から上前津までは自動車なら十分ほどで行ける距離なれど、地下鉄利用の場合はえらく時間がかかってしまうとのことでした。例会が終わるまでにたどりつけるかしら、と心配になっておりましたところスタッフの方が例会の会場まで自動車で送ってくださることになり、ここまでしてもらっていいのだろうかと恐縮しながらもお言葉に甘えてすこぶる楽な移動となりました。

 移動の車中でも二葉館の管理運営についていろいろ教えていただいたのですが、福沢桃助の電力事業、そして川上貞奴の演劇というか芸能というか、これらデフォルトのテーマだけでも結構ヘビーなところへもってきて、城山三郎関連資料を大量に抱え込み、むろん城山さんのみならず名古屋ゆかりの文学者はたくさん存在しているわけですから、二葉館が手がけるべきテーマの広さというか多様さは気が遠くなるほどだというしかありません。

 そういえば以前、世田谷文学館にお邪魔したときにも、世田谷にかかわりのある文学者なんて死ぬほどごろごろしてるわけですから、守備範囲が死ぬほど広いせいでエキスパートが育ちにくいのだとの悩みをスタッフの方からお聞きしたものでした。その点わが名張市はじつに楽である。乱歩しかいないんだから乱歩一直線、ひたすら勇往邁進すればいいのだけれどあーこれこれ名張市教育委員会のみなさんや、まあいいか。

 そんなこんなで名古屋市中生涯学習センターで開かれていた名古屋近代文学史研究会の会場に到着。テーブルのうえにはなぜか、というか私がお邪魔することになっていたからだと思いますけど、いまや公立図書館の奇蹟といっても過言ではない名張市立図書館の『江戸川乱歩著書目録』が置かれてあり、会員の方から名張市は愛知県より偉い、こんな目録を刊行するのだから名張市は愛知県なんかよりずっと偉い、みたいなお言葉もたまわりました。

 それはたしかに『江戸川乱歩著書目録』一巻を手に取るだけで、名張市はちゃんとした自治体であるということがご理解いただける人にはご理解いただけることでしょう。脚光や名声には無縁だけれどぜひとも必要な大切な事業を名張市はきちんとやっているなということがわかりますし、そうした事業の根底には名張という土地に根づいている乱歩への敬愛の念が感じられるはずですし、しかも『江戸川乱歩著書目録』はずいぶんと贅沢な目録ですから、そうした贅沢を支える名張市という自治体の精神的な豊かさもまた感じていただけることでしょう。つまりこの一巻の目録は名張市という自治体の信頼性を担保するものでもあるはずなのですが、しかし、しかししかし、しかしその名張市の実態はといいますとあーこれこれ名張市教育委員会のみなさんや、まあいいか。

 そんなのはほんとにどうでもいいとして、例会のあとは小酒井不木ゆかりの地をめぐる散策にご案内いただきました。私には土地勘がまったくありません。案内されるままふらふら歩いてゆきますと、いつかしらこんなところに着きました。

 ただの駐車場なのですが、掲げられた看板には「寸楽園」の文字が見えます。つまり不木や乱歩が耽綺社の会合なんかでのたくり込んでいたいた料理屋の跡地です。駐車場のなかにずかずか入って──

 看板を撮影してきました。石灯籠や庭木は料理屋時代の名残でしょう。人の土地を勝手に歩きまわって確認いたしましたところ、かつて寸楽園が建っていた土地は一部がマンション、残りが駐車場になっていて、すなわちマンション経営ならびに駐車場経営で有効な資産活用が進められているようだなと、よそさまの台所事情を勝手に穿鑿しながら次の目的地へ。

 鶴舞公園を突っ切り、閑静な高級住宅地をてくてく歩いて、やがてたどりついたのがここでした。

 どなたのお宅か存じませんが、無断で写真を撮ってきました。手前に見える立て札や標識はこんなあんばい。

 ズームレンズを長焦点側にめいっぱい。

 立て札には「小酒井不木宅跡」とあります。つまり現在の建物を建築するべく不木の旧宅が取り壊されたとき、蔵に保管されていた不木宛の乱歩書簡がどさくさにまぎれて流出、その一部がめぐりめぐって『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』に収録されたということになるのかな、とまたしてもよそさまのドメスティックなあれこれを穿鑿。

 ともあれこれで小酒井不木ゆかりの地をめぐる散策が終了し、どこの駅から乗ったんだったか地下鉄で名古屋駅へ。それからそこらのビヤホールに入ってようやくひといきつくことができました。お店のお姉さんにこれが名古屋だというメニューは何? と尋ねると間髪を入れず手羽先! という返事が返ってきましたので、ほかにも味噌をかけた串カツであったかそんなようなものも注文して、ところが結局はすべて名古屋近代文学史研究会の方におごっていただく結果になってしまい、ここまでしてもらっていいのだろうかと恐縮しながらもお言葉に甘えて帰ってまいりました。

 以下は例のものです。

昭和26年
人気作家を囲みて 出版界を語る 浜本浩、大下宇陀児、中野実、村松梢風、木村荘十、木村毅、白井喬二、江戸川乱歩
日販通信 1月号 1951年
客間訪問 主人:古畑種基、客:景山警視、戸川幸夫、江戸川乱歩
サンデー毎日 1951年2月11日
密室談義 田辺平学、江戸川乱歩
探偵倶楽部 3月・4月合併号 1951年
映画「幻の女」合評会 木々高太郎、水谷準、宮野村子、津川溶々、江戸川乱歩
日刊スポーツ 1951年4月17日
映画「レベッカ」合評会 木々高太郎、水谷準、宮野村子、永瀬三吾、江戸川乱歩
時事新報 1951年4月20日
クラブ賞をめぐって探偵小説のあり方を語る 大下宇陀児、木々高太郎、水谷準、城昌幸、島田一男、江戸川乱歩
宝石 7月号 1951年
海外探偵小説を語る 植草甚一、双葉十三郎、大井広介、長谷川修二、清水俊二、木村登、城昌幸、江戸川乱歩
宝石 10月増刊号 1951年

 名古屋近代文学史研究会の例会では、当サイトの伝言によれば乱歩の談話の収集がスタートしたみたいだからと、昭和22年に名古屋の雑誌社から出た「パレス」五号に掲載された宇田新蔵という刑事さんと乱歩の対談「最近の犯罪を解剖する」のコピーを頂戴してまいりました。ありがたきしあわせ。


 ■9月6日(木)
美しくない国の美しい本の話 

 本日は「RAMPO Up-To-Date」に乱歩の著書三冊を記載しました。二冊は復刻版全集の7月と8月の配本分、残り一冊が『人間椅子』で、ブックスアルデ名張本店に取り寄せを依頼してあったのが届きました。

 本体ではなく函の画像です。本体は白の布装、椅子の形の銀の箔押しあり、角背、とすっきりした造本。ちなみに函の裏っ側はこんな感じ。

 私は8月24日伝言でこの本のことにふれ、

 ──このプラハ生まれのシュルレアリストについて私は何も知るところがないのですが、「人間椅子」の挿画を描くというのであれば、小説の内容などいっさい頭に入れずただ「人間椅子」というそれこそ文字どおり決定的にシュールなタイトルだけにもとづいて制作してもらったほうが面白い作品が生まれるかもしれんな、と思います。

 と記したものでしたが、ヤン・シュヴァンクマイエルさんの挿画はまさしくそんな印象。ストーリーにひきずられることなく「人間椅子」というモチーフそのものの官能性が追求されていて、私はおおきに気に入りました。ただしヤンさんは「人間椅子」のチェコ語訳をお読みだそうで、その訳者でいらっしゃるペトル・ホリーさんの解題「シュヴァンクマイエルと乱歩の邂逅」には(そういえば8月24日伝言のタイトルは「シュルレアリスムと人間椅子がラフォーレ原宿で邂逅する」でしたから、洋の東西を問わず人はこうした事態を表現する場合に「邂逅」という言葉を使用したくなるもののようです。「邂逅」の読み方がわからない人は読みがなつきサイト「なばりじんがいきょう」へどうぞ)、

 ──江戸川乱歩のチェコ語への最初の翻訳は『陰獣』であり、ドイツ語からの重訳で第二次世界大戦中の一九四二年に出版されている)

 といった記述もあって、これは全然知りませんでした。ですからいまや公立図書館の奇蹟と呼ばれても不思議ではないのに一度も呼ばれたことがない『江戸川乱歩著書目録』からもチェコ語版『陰獣』は洩れております。まいったな。しかしこんな版の存在は乱歩も知らなかったのではないかしら。

 それはそれとしてこの『人間椅子』、乱歩ファンが愛蔵するにふさわしい一冊となっておりますので、興味がおありの方はぜひどうぞ。版元エスクァイア マガジン ジャパン の「エスクァイアの本」のページでは注文もできるみたいです。

 当サイトの記録的にはこんなあんばい。

著書
人間椅子
8月25日 エスクァイア マガジン ジャパン
20.0×15.5センチ 函 63頁+54頁 本体2500円
挿画:ヤン・シュヴァンクマイエル
企画:小宮義宏、高城昭夫、市之瀬亜希子 後援:チェコセンター
編集:若林恵 校閲:末藤雄二 装丁:中村慎吾
序文 ヤン・シュヴァンクマイエル
人間椅子
解題 シュヴァンクマイエルと乱歩の邂逅
 ペトル・ホリー

 「63頁+54頁」の「+54頁」はいわゆるパラパラ漫画。奥付のあとに椅子と人間の絵を配したページがつづいていて、親指の腹で一ページずつ滑らせてゆくとその絵が動いて見えるというおまけつきです。

 いたって美しくない国にも美しい本が生まれることはあるという話題でしたが、つづいてはこちらです。

昭和27年
空想を追うニヒリスト お人柄拝診 竹山恒寿、江戸川乱歩
旬刊読売 1952年1月21日
炉辺百物語 橘外男、水谷準、奥野信太郎、江戸川乱歩
オール讀物 2月号 1952年
短編コンクール銓衡座談会 水谷準、城昌幸、江戸川乱歩
宝石 2月号 1952年
大映「女王蜂」合評会 島田一男、大坪砂男、永瀬三吾、武田武彦、江戸川乱歩
日刊スポーツ 1952年2月3日
熱海の今昔 野村胡堂、戸川貞雄、竹越和夫、笹本寅、柳原緑風、江戸川乱歩
温泉 3月号 1952年
探偵小説三十年 大下宇陀児、水谷準、萱原宏一、江戸川乱歩
探偵実話 3月増刊号 1952年
ルパン座談会 江戸川乱歩、保篠龍緒、松野一夫、水谷準
ルパン通信 13号 1952年4月15日 14号 5月25日 15号 6月30日 16号 7月15日
スリラー映画とスリラー小説 筈見恒夫、江戸川乱歩
探偵倶楽部 9月号 1952年
怪談・恐怖談座談会 徳川夢声、江戸川乱歩、水谷準
探偵実話 特別増刊(3巻11号) 1952年9月30日
コンクール選評座談会 水谷準、長沼弘毅、白石潔、隠岐弘、城昌幸、永瀬三吾、江戸川乱歩
宝石 9月・10月合併号 1952年
犯罪は逃れる余地があるか 古畑種基、岩田賛、町田、野田、江戸川乱歩
キング 10月号 1952年

 ■9月7日(金)
名古屋から名張に戻るととたんにこれである 

 台風9号はどうなったのでしょうか。当地はまったく無視されて関東地方が直撃されたらしいのですが、台風に狙われたあたりにお住まいの方はあれこれご注意ください。しかしうらやましい。台風に狙われるなんてじつにうらやましい話だと台風フェチの私は思います。

 それでもってお知らせするのをうっかり忘れていたのですが、名古屋で活動するてんぷくプロなる劇団が「怪人二十面相」の「超立体朗読劇」を公演しております。びっくりしたなあもう(えーっとまあ、てんぷくトリオをご存じない方もたくさんいらっしゃることでしょうけれど)。チケットは完売、ただし楽日の9日日曜に追加公演があるみたいてす。くわしくは劇団オフィシャルサイトの「公演情報」でどうぞ。

 名古屋のおはなしはこれくらいとして、その名古屋から近鉄特急で約一時間半、われらが名張市のおはなしに移ります。どんなおはなしかというと、

 ──名張市は乱歩をどうする気?

 ということですもちろん。これまでの流れを確認しておきましょう。私の結論、それもきのうやきょうではなくて四年ほど前から変わることのない結論なのですが、それはもういうまでもなく、

 ──名張市は乱歩から手を引け。

 というものです。むろん私だって名張市に乱歩のことをちゃんとしてほしいとは思いますし、そのための筋道だって相当なばかにもわかるように示したつもりなのですが……

 いかんいかん。これはほんとに冗談でも何でもなくて、この手の話題に入ろうとすると猛烈に腹が立ってきてとてもじっとしてなんかいられなくなります。いかんなあ。とにかくソファに寝っ転がって冷たいお茶を飲みながら煙草ふかして落ち着きを取り戻すことに専念したいと思います。困ったものだなあ。


 ■9月8日(土)
江戸川乱歩と13の宝石プラスワン 

 まず新刊のお知らせ。乱歩の未発表作品(はっきりいってしまえば書きかけたままほったらかしにされていた原稿ですけど)を収録して話題を呼んだ光文社文庫『江戸川乱歩と13の宝石』の第二集が出ました。

 帯には堂々と「全集でも読めない」というコピーが躍っておりますが、えーっとまあ、片々たる推薦文までちゃーんと収められているのが言葉の正しい意味における全集であるはずですから、この場合の全集はあくまでも光文社文庫版乱歩全集のことであると理解しておきましょう。

 内容はこんな感じです。

関連書籍
江戸川乱歩と13の宝石 第二集 ミステリー文学資料館
9月20日 光文社 光文社文庫
編:ミステリー文学資料館 編集委員:新保博久 監修:ミステリー文学資料館(権田萬治、山前譲)
粘土の犬 仁木悦子
 
RUBRIC 女性本格作家現る R(初出:宝石 昭和32年11月号)
獅子 山村正夫
 
RUBRIC 「神童」の大成を祈る R(初出:宝石 昭和32年11月号)
重たい影 土屋隆夫
 
RUBRIC 地方作家のホープ R(初出:宝石 昭和33年1月号)
ママゴト 城昌幸
 
RUBRIC R(初出:宝石 昭和34年2月号)
これからの探偵小説 松本清張、江戸川乱歩(対談)
 
RUBRIC R(初出:宝石 昭和33年7月号)
寝衣 渡辺啓助
 
RUBRIC R(初出:宝石 昭和33年9月号)
切断 土英雄
 
RUBRIC R(初出:宝石 昭和33年9月号)
泥靴の死神 屍臭を追う男 島田一男
 
RUBRIC R(初出:宝石 昭和33年12月号)
似合わない指輪 竹村直伸
 
RUBRIC R(初出:宝石 昭和34年4月号)
完全脱獄 楠田匡介
 
RUBRIC初出:宝石 昭和35年3月号)
お墓に青い花を 樹下太郎
 
RUBRIC初出:宝石 昭和35年5月号)
夜明けまで 大藪春彦
 
RUBRIC初出:宝石 昭和35年6月号)
金属音病事件 佐野洋
 
RUBRIC初出:宝石 昭和35年10月号)
解題 雑誌フリークとしての江戸川乱歩 新保博久

 活字になったものとしては最初で最後のそれであるという乱歩と松本清張との対談をはじめとして、第一集とおなじく乱歩が編集した「宝石」にとりどりな光輝を競った十三の宝石が収められているわけなのですが、集中の白眉はもしかしたら新保博久さんの解題「雑誌フリークとしての江戸川乱歩」ではないかと私には思われます。なにしろ冒頭、「冒険世界」の謎が鮮やかに解き明かされています。寝っ転がって読んでいた私はソファからずり落ちるほど驚いてしまいました。

 どんな謎なのか。

 『探偵小説四十年』には雑誌を手にした少年時代の乱歩の写真が収録されています。乱歩ファンならたちまちのうちに、和服、くりくり坊主、カメラ目線、雑誌、といった細部を想起できるであろうあれのことですが、あの写真には乱歩によるこんなキャプションが添えられていました。

明治四十年、愛知県立第五中学校一年生の太郎(江戸川)。自宅玄関の間にて、手にしているのは「冒険世界」か「武侠世界か」。

 光文社文庫版全集ではこのキャプションに新保博久さんの註釈が附されていて──

「冒険世界」か「武侠世界か」 「冒険世界」の創刊は明治四十一年(一九〇八)年、「武侠世界」は同四十五年である。撮影年の記述が正しいとすれば、手にしているのは「日本少年」か。

 つまり上巻が刊行された昨年1月の時点では謎はまだ謎のままであったのですが、今回の解題でその謎はきれいに解かれ、太郎少年が手にしていたのは「冒険世界」明治42年11月号の伊藤博文追悼特集であったことが明かされています。どうしてそんなことがわかるのか。詳細は『江戸川乱歩と13の宝石』第二集を購入してお読みください。

 そんなとびきりのネタではじまる解題「雑誌フリークとしての江戸川乱歩」によれば、この『江戸川乱歩と13の宝石』正続二冊は「一種のタイムカプセル」。ひもとけばたちどころに乱歩が編集していた昭和32年から35年までの「宝石」がよみがえるという寸法ですが、解題はそのナビゲート役にまことにふさわしく、収録された作家と作品の俯瞰図を描くにあたっては書誌的データと批評とが渾然一体となった椀飯振舞、同時代の海外作品などカプセル外部との関連にもぬかりなく目配りされ、さらには昭和30年代に生きていた人間としての証言が隠し味として生かされている点は至芸の域と見るべきか。とにかくじつに読みごたえのある内容です。僭越至極なことを記すなら、こういった文庫解説の範のひとつであるといえるでしょう。

 書名こそ『江戸川乱歩と13の宝石』ですけど実質的には「江戸川乱歩と13の宝石プラスワン」と呼ぶべきこの一冊、ていうか二冊、乱歩ファンなら必読必携、ぜひどうぞ。

 つづきまして、タイムカプセルといえばこれこそがまさしく乱歩のタイムカプセル。朝日新聞オフィシャルサイトに旧乱歩邸の記事が土蔵の写真入りで掲載されました。

 つづいてはいまだ昭和20年代のこのリスト。

昭和28年
白骨と浅間 白井喬二、戸川貞雄、笹本寅、野口昂明、河野通明、江戸川乱歩
温泉 1月号 1953年
日本探偵小説界創世期を語る 森下雨村、江戸川乱歩、水谷準、松野一夫、保篠龍緒、城昌幸、永瀬三吾
宝石 1月新年特大号(8巻1号) 1953年1月1日
犯罪を語る 高城彬光、山田風太郎、江戸川乱歩
読物 2月創刊号 1953年
探偵小説あれこれ座談会 朝山蜻一、大河内常平、江戸川乱歩
報知新聞 1953年2月28日・3月1日
味覚を語る 福田清人、梅崎春生、玉川一郎、寺田竹雄、田辺茂一、江戸川乱歩
味覚新報 1953年3月18日
懸賞募集選考座談会 水谷準、隠岐弘、城昌幸、江戸川乱歩
宝石 4月号 1953年
探偵小説と実際の犯罪 松井吉衞(練馬署長)、神部寅夫(目白署長)、朝山蜻一、江戸川乱歩、大下宇陀児、大坪沙男、島田一男、城昌幸、武田武彦、月村澄男(法医学博士)、椿八郎、永瀬三吾、平島侃一(科学捜査研究所)、夢座海二、渡辺健治
探偵倶楽部 5月号 1953年 6月特大号(4巻6号) 6月1日
江戸川先生とトリック問答 渡辺剣次、江戸川乱歩
別冊宝石 27号(6巻3号) 1953年5月15日
「見知らぬ乗客」対談 双葉十三郎、江戸川乱歩
スタア 6月号 1953年
香具師往来 坂田浩一郎(会津家五代目)、能村守彦(関東丁字屋実子)、江戸川乱歩
講談雑誌 6月号 1953年
「畸形の天女」連作についての座談会 大下宇陀児、木々高太郎、角田喜久雄、城昌幸、永瀬三吾、江戸川乱歩
宝石 10月号 1953年
豊島区政対談 遠藤喜三郎(豊島区長)、江戸川乱歩
読売新聞城北版 1953年10月6日
幽霊インタービュウ 江戸川乱歩、長田幹彦
オール讀物 11月号 1953年
中里介山と白骨 白井喬二、戸川貞雄、笹本寅、布山、江戸川乱歩
信濃毎日新聞 1953年11月7日
私はニッポンビールを江戸川乱歩先生とバー・メッカで飲みたい 永井栄子、江戸川乱歩
アサヒグラフ 1953年11月14日
「飾窓の女」合評会 三宅捜査一課長、植草甚一、大井広介、江戸川乱歩
東京タイムズ 1953年11月21日
少年の赤本追放へ 江戸川乱歩氏を囲む座談会 赤川、小西、野原、鮎沢、佐白、朝島、江戸川乱歩
日本婦人新聞 1953年11月23日・27日
「汽車を見送る男」合評会 大下宇陀児、木々高太郎、江戸川乱歩
探偵倶楽部 12月号 1953年
「深夜の告白」合評会 大下宇陀児、高木彬光、大坪砂男、江戸川乱歩
東京タイムズ 1953年12月5日
ルパン全集完結記念座談会 島田一男、福林(出版協同社長)、鍛冶(日販)、大曽根(小売全連会長)、松原(同理事)、江戸川乱歩
日販通信 12月上旬号 1953年
ヒッチコック「見知らぬ乗客」合評会 不明、江戸川乱歩
不明 1953年

 警察署長と話したり香具師の親分と話したり、還暦を目前にして乱歩はかなり多忙だったようです。


 ■9月9日(日)
三重県立博物館という横道にそれる 

 さて、名古屋あたりのおはなしならうきうきと綴れるのに名張の話題になると速攻で機嫌が悪くなるのをなんとしょう。

 あいだを取ることにしましょうか。名古屋と名張のあいだといえばさしずめ津である。津市。乱歩にとっては父祖の地であり、本籍があったところでもあり、市内乙部の浄明院というお寺には先祖代々のお墓もあるんですけど(乱歩が昭和26年に建立した平井家のお墓の写真は「東京紅團」の「江戸川乱歩を歩く−亀山・津編−」のページでごらんいただけます)、その津の話題。ていうか、実際には三重県の話題。伊勢新聞の9月4日付記事をどうぞ。

県文化振興拠点部会 委員が当局案に注文 箱物建設に疑問の声も
 県の文化振興策を練る、有識者の県文化審議会の分科会、文化振興拠点部会は三日、出席委員が定数に満たなかったため日延べしていた第二回の会合を県津庁舎で開き、同部会案の取りまとめに入った。だが、「文化に振興という言葉は合わない」など、委員らから事務局案に注文が付き、加筆して文化審議会の全体会にかけることになった。委員の中には、県施設の運営機能構築の必要性を重視し、箱物の建設にはこだわらない意見もあった。

 この日の部会は(1)拠点とは何か(2)拠点の役割(3)県図書館や博物館、美術館、文化会館などの求められる機能とは(4)部会報告案の取りまとめ? について審議した。(1)では、これまでの全体会や部会の意見をまとめた事務局案を基に、「金、人、場所の三つがそろっていること」「人が拠点を機能させるのが重要」などが定義づけられたほか、「拠点は施設ありきではない」など、新博物館建設にこだわらない考えも示された。

 お役所のやることは例によってわけがわかりません。これはこのところ話題になっている県立博物館に関する協議なのでしょうか。げんに記事のなかには「新博物館」という文言も見られるのですが、しかし毎日新聞には翌5日付でこんな記事が。

新県立博物館構想:県文化審議会あり方部会、総合型で一致 役割、機能議論へ /三重
 新しい県立博物館の整備構想について議論するため、県は4日、津市広明町の県立博物館で有識者による「第1回県文化審議会新博物館のあり方部会」を開き、文化審議会の委員ら計12人が出席した。

 部会では、現在の県立博物館が老朽化しているだけでなく、敷地が狭く、研究・展示や収蔵施設が不十分であるという現状を確認。約28万点の資料活用のために歴史や自然などに特化した専門博物館でなく、人文や環境の視点も盛り込んだ総合博物館を考えるという方針で一致し、テーマや重点項目は今後の検討課題とした。

 つまり三重県文化審議会の文化振興拠点部会が3日に、おなじく文化審議会の新博物館のあり方部会が4日に開かれ、どちらも新しく建設されることになるらしい県立博物館のことをメインテーマとしていて、しかし新聞記事を読むかぎりではあっちもこっちも変わり映えのしないおはなしに終始していたみたいです。

 有能賢明なる三重県職員の意見はどうかと2ちゃんねる公務員板の「三重県庁職員集まれ!13」をのぞいてみますと──

118 :非公開@個人情報保護のため:2007/07/13(金) 18:20:06
そんなもん 博物館建てるの止めたらええんや。

四日市の博物館ににオンブしてもろたらええんや。

県色のあほの首切ったらええんや。簡単やんけ。

 「そんなもん」というのはひとつ前のこのレスを受けたもののようです。

117 :非公開@個人情報保護のため:2007/07/13(金) 17:41:51
三重県が今年度から4年間の財政の見通しを試算したところ経費を大幅に削減しないと
県の借金の残高は今よりも10%増えて1兆円を超える可能性のあることがわかりました。

三重県によりますと現在年間に 300億円あまりの財源が不足していますが人件費の削減を
これまで通り行うだけでは不足額は拡大し必要な予算を組むのに毎年 500億円以上が
足りなくなるということです。
このため人件費を更に減らすとともに公共事業などの経費を年間3%づつ削減したり施設の
維持管理費を年間10%づつ削減しても国からの地方交付税などが減るため財源不足はやはり
解消されず県の貯金にあたる財政調整基金を取り崩しても補いきれない見通しです。

NHK三重のニュースhttp://www.nhk.or.jp/tsu/lnews/01.html

 博物館談義はさらにつづいております。

119 :非公開@個人情報保護のため:2007/07/13(金) 21:05:18
はっきり言って、博物館なんて一部のマニアのために
何で何百億のも金つぎ込む?

あの見苦しいほど下手な絵を描く、キューピーハゲの趣味だろ。

なお、これは鈴木ハゲ談(分課罪補語)です。


120 :非公開@個人情報保護のため:2007/07/13(金) 22:55:46
>>119
事務屋は黙ってろ

121 :非公開@個人情報保護のため:2007/07/14(土) 00:30:18
キューピーのつぶやき
「できれば、もう1回知事選挙に出たいな」

神のお告げ
「新博物館の建設を公約するなら出てもいいぞ」


140 :非公開@個人情報保護のため:2007/07/15(日) 17:14:54
はっきり言って、博物館なんて一部のマニアのために
何で何百億のも金つぎ込む?

あの見苦しいほど下手な絵を描く、キューピーハゲの趣味だろ。

なお、これはkawabeハゲ談です。


147 :非公開@個人情報保護のため:2007/07/16(月) 00:13:12
つか、博物館があの貧相なままっての異常だろ・・・
ド勃起には数十億単位の金が右から左に流れてるのに・・・
収蔵庫もましな物に換えてくれ

173 :非公開@個人情報保護のため:2007/07/18(水) 18:08:25
なんで博物館のようなつまらないものに金をかけるんじゃ
それでいて、県は大赤字。気はたしかかよ。

174 :非公開@個人情報保護のため:2007/07/18(水) 19:54:36
えー広域農道とかよりは有意義だろ

187 :非公開@個人情報保護のため:2007/07/20(金) 21:14:34
無党派さん:2007/07/18(水) 18:46:45 ID:MVpBAcPv
なんで博物館のようなつまらないものに金をかけるんじゃ
それでいて、県は大赤字。気はたしかかよ。

そんな金あるなら県職に特別ボーナスでも出してほしい。


282 :非公開@個人情報保護のため:2007/08/05(日) 01:48:12
博物館なんて建てるメリットってなに?

もったいないよ。

県民に「県政赤字なのにあれだけの金を博物館建設にかける必要あるのか」

アンケートとったら、絶対1割も賛成無いね。

本当にキューピィも岩魚も賢いね。天才だよ。

あと、マニア達頑張れよ。博物館の職員もな。


284 :非公開@個人情報保護のため:2007/08/05(日) 07:28:36
>>282
博物館ができたら勤務したいから学芸員になろうかな。

410 :非公開@個人情報保護のため:2007/08/29(水) 13:49:20
アセッサーなど県民を馬鹿にした制度
内向けの仕事に何の疑問も持たず、膨大な時間と金の無駄
早く誰か言い出せよ。一体こんなものに年間いくらの金と時間を使っているのか

414 :非公開@個人情報保護のため:2007/08/29(水) 19:55:43
>>410
税金の無駄遣い較べ

博物館建設 ≧ アセッサー(マスターベーション)

経営品質も糞カスだが、博物館に何百億円も掛ける方が県民を苦しめる。
県色員でもおそらく3年に一回利用したらいい方。まして一般の県民は
ほとんど利用しない。

行政の好き放題。議会機能麻痺。
赤字の県政に更なる、負担を県民に押しつける。
所詮見栄県。だから糞見栄県。カス見栄県。


418 :非公開@個人情報保護のため:2007/08/29(水) 22:56:27
鈍は松阪港で前科1犯。
博物館というさらに重い、税金の無駄遣いという県民に対する罪を犯す。

県民はなんでこんな奴を支持するんだ?それだけ民度が低いってことなのか。


421 :非公開@個人情報保護のため:2007/08/30(木) 22:14:05
>>410
アセッサーなど県民を馬鹿にした制度
内向けの仕事に何の疑問も持たず、膨大な時間と金の無駄
早く誰か言い出せよ。一体こんなものに年間いくらの金と時間を使っているのか

開示請求よろしく。県民の声でもいい。
「経営品質に要した費用が分かる書類全て」
「経営品質について、コンサルタントに支払った費用全て」
ところで、経営品質のコンサルってどこ?

創文の本多後援会はいったか?


425 :非公開@個人情報保護のため:2007/09/01(土) 22:24:01
博物館建設 ≧ アセッサー(マスターベーション)


アセッサー(マスターベーション)

アセッサー(マスターベーション)

アセッサー(マスターベーション)

アセッサー(マスターベーション)

アセッサー(マスターベーション)

アセッサー(マスターベーション)


アセッサーになりたいよ〜


426 :非公開@個人情報保護のため:2007/09/01(土) 22:24:57
博物館建設 ≧ アセッサー(マスターベーション)


アセッサー(マスターベーション) アセッサーになりたいよ〜

アセッサーになりたいよ〜

アセッサーになりたいよ〜


444 :非公開@個人情報保護のため:2007/09/04(火) 17:59:24
松阪港でアセッサー(博物館建設 まスターベーション) 経営品質

447 :非公開@個人情報保護のため:2007/09/04(火) 22:00:46
アセッサーです。
松阪港も博物館をアセスしました。
経品で考えるとありえません。

 えーっとまあ、あほ? とかも思ってしまいますけど、有能賢明なる三重県職員のみなさんの2ちゃんねるにおける発言を総合いたしますと、博物館建設は税金の無駄づかいであるという声が大勢を占めているようです。しかしそんなのは「事務屋」の発想であるという批判もあって、現博物館の「貧相」さは「異常」なことなんだから建設は必要だという意見も提出されてます。税金の無駄づかいという指摘に対しては「ド勃起には数十億単位の金が右から左に流れてるのに」との反論があり、この場合の「ド勃起」というのは「土木」のことでしょうから、要するに年間数十億円の土木費のなかには無駄につかわれてるものがたくさんあって、たとえば「広域農道とかよりは有意義だろ」との比較検討もなされている。

 なかにゃ「そんな金あるなら県職に特別ボーナスでも出してほしい」との要望もあるようですが、この声に対しては誰が出すかそんなもん、と僭越ながら私個人が結論を記しておきたいと思います。ほかに「県政赤字なのにあれだけの金を博物館建設にかける必要あるのか」とのアンケートを採ったら賛成する県民は一割にも満たぬであろうという推測もあり、これはまったくそのとおりでしょう。県立博物館は必要か、というだけの設問であれば多くの県民が必要だと答えることになるのかもしれませんが、財政難を前面に出したうえで何十億もかかる博物館建設の可否を尋ねたら、それはもう反対する県民が大勢を占めてしまうのは想像にかたくありません。だからまあこんなアンケートを想定することには意味がないわけね。

 ならばいったいどうしていま博物館建設の話がもちあがってきたのかというと、

 「できれば、もう1回知事選挙に出たいな」

 という「キューピーのつぶやき」に応えて、

 「新博物館の建設を公約するなら出てもいいぞ」

 という「神のお告げ」があったという無根拠な推測も投稿されてたわけですけど、「キューピー」というのは知事のことでしょうか。「神」というのはたとえば土建屋さんのことでしょうか。すなわち新博物館の建設で土建屋にたっぷり予算をまわすのであれば選挙資金の面倒は見てやるぞ、とでもいったお告げがあったということでしょうか。無責任な風聞を真に受ける気はなけれども、ちょっと気になる博物館騒動。

 なんてこといってついつい横道に入りこんでしまいましたけど、私にはそもそも博物館ってのはどうもなあという感じがあり、つまりはるか淵源を尋ねれば博物館なんて要するに妙に色の白いヨーロッパらへんの連中が神の福音を海のかなたの醜悪蒙昧な土人にもたらしてやったらば支配したあちらこちらの土地にこんな珍奇なものがありましたというコレクションをまあみなさん見てくださいなと展示陳列するためのものではないのかというとても乱暴な認識があって、てやんでえべらぼうめこちとらだって八紘一宇だい。

 いやいかんいかん。こんなことを書きつらねておっても意味ありませんから例のリストに入ります。

昭和29年
都政座談会 吉川英治、青野季吉、石川達三、石坂洋次郎、芹沢光治良、田村泰次郎、菅原卓、安井誠一郎(都知事)、江戸川乱歩
東京広報 1月号 1954年
映画「深夜の告白」座談会 大下宇陀児、大坪砂男、高木彬光、江戸川乱歩
探偵倶楽部 2月号 1954年
二十五人集選考座談会 水谷準、城昌幸、隠岐弘、江戸川乱歩
宝石 4月号 1954年
探偵小説あれこれ 喜多村緑郎、渡辺紳一郎、江戸川乱歩
探偵実話 4月増刊号 1954年
黒岩涙香を偲ぶ座談会 江戸川乱歩、木村毅、鈴木珠子、白石下子、野村胡堂、柳原緑風
宝石 5月号(9巻6号) 1954年5月1日
京都と琵琶■■■ 角田喜久雄、城昌幸、江戸川乱歩
東京と京都 8月号 1954年
文壇楽屋話 白井喬二、福田清人、森至、江戸川乱歩
友愛 10月号 1954年
「ダイヤルMを廻せ」座談会 植草甚一、清水俊二、江戸川乱歩
スクリーン 10月号 1954年
リレー対談 木々高太郎、江戸川乱歩
内外タイムス 1954年10月31日
リレー対談 富永謙太郎、江戸川乱歩
内外タイムス 1954年11月7日
問答有用 江戸川乱歩、徳川夢声
週刊朝日 1954年12月12日

 このリストは先日も記しましたとおり乱歩が編んだ「江戸川乱歩自作目録」の「座談会・対談会・合評会・対局棋譜」にもとづき、おなじくそれにもとづいたのであろう『探偵小説四十年』巻末の「江戸川乱歩作品と著書年度別目録」、さらにはささやかながら手許に収集したコピーのたぐいを参照してつくっているのですが、「江戸川乱歩自作目録」に録されながら『探偵小説四十年』巻末目録からは省かれているものもあり、この昭和29年のリストでいえば「東京と京都」に掲載された座談会がそれにあたります。

 「東京と京都」という雑誌なんて見たことも聞いたこともありません。そこで試みに「日本の古本屋」で検索してみたらちゃんと存在しており、しかもありがたいことに座談会の載った号が売りに出されておりましたので速攻で注文を入れました次第です。


 ■9月10日(月)
ハコモノにこだわらないという考え方 

 もうちょい博物館のおはなしを進めることにして、よく考えてみたら私は三重県立博物館にただの一度も足を運んだことがありません。いったいどんなとこなのか。試みにオフィシャルサイトをのぞいてみますと──

 なんかこのサイトを見るだけで、こーりゃもうちっとなんとかしないとだめじゃね? という気になります。「お客様の声」なんてページもあって、2005年度分はこんな感じ。

 施設面にも運営面にもとにかく文句が寄せられております。どうしてわざわざこんなページつくって博物館批判の声を公開しているのか。その心はもしかしたらというか十中八九というか、だから早く建て替えてくれっつってんだろーがよー、いつまでもこのまま恥かきっぱなしでいいのかよー三重県はよー、という博物館サイドのデモンストレーションに相違あるまい。

 デモンストレーションが奏功したんだかどうなんだか、とにかくここまで話が進んでるんですから新しい博物館が建設されることになるのでしょうけど、しかし新しい施設を建設したとしても旧来の博物館イメージをそのままひきずったものになりそうな雲行きだというしかありません。きのう引用した9月5日付毎日新聞「新県立博物館構想:県文化審議会あり方部会、総合型で一致 役割、機能議論へ /三重」には、

 ──約28万点の資料活用のために歴史や自然などに特化した専門博物館でなく、人文や環境の視点も盛り込んだ総合博物館を考えるという方針で一致し、テーマや重点項目は今後の検討課題とした。

 とあるわけですが、総合博物館とかなんとか当たり障りはないけれど面白味も見出しにくいものを構想してるようではペケである。税金ばっかつかってないで少しは頭をつかえというのだ。私ならまず博物館という名称をつかわない施設として整備することを考えますし、二十八万点あるという資料だって不要なものはヤフーオークションでどんどん売っ払ってしまいます。むしろ特化することこそが必要で、それが時代の趨勢でもあるといえるでしょう。文化施設でございますと乙にすますようなことはせず、あの手この手で入館者数アップを図りつつ……

 いやいや、こんなこと書いてたってむなしいばかりだ。地元名張市の施設整備に関して提出したパブリックコメントをあっさり無視された人間が三重県の施設整備に関して何をいってもむなしいばかりだ。道草はいい加減にしておくか。

 それでもってどうしてこんな話題で道草を食っているのかというと、きのうも引用した伊勢新聞の9月4日付記事──

県文化振興拠点部会 委員が当局案に注文 箱物建設に疑問の声も
 県の文化振興策を練る、有識者の県文化審議会の分科会、文化振興拠点部会は三日、出席委員が定数に満たなかったため日延べしていた第二回の会合を県津庁舎で開き、同部会案の取りまとめに入った。だが、「文化に振興という言葉は合わない」など、委員らから事務局案に注文が付き、加筆して文化審議会の全体会にかけることになった。委員の中には、県施設の運営機能構築の必要性を重視し、箱物の建設にはこだわらない意見もあった。

 この日の部会は(1)拠点とは何か(2)拠点の役割(3)県図書館や博物館、美術館、文化会館などの求められる機能とは(4)部会報告案の取りまとめ? について審議した。(1)では、これまでの全体会や部会の意見をまとめた事務局案を基に、「金、人、場所の三つがそろっていること」「人が拠点を機能させるのが重要」などが定義づけられたほか、「拠点は施設ありきではない」など、新博物館建設にこだわらない考えも示された。

 この記事がなかなか面白く思われたからです。「箱物建設に疑問の声も」という見出しが眼にとまったわけです。それで読んでみますと、

 ──出席委員が定数に満たなかったため日延べしていた第二回の会合を県津庁舎で開き、

 なんていうんですから腹をかかえる。委員のみなさんはどいつもこいつもやる気がないのか。会に出席するのがいやなのか。しかし出席したら出席したでハコモノ批判を堂々と展開していらっしゃった委員の方もあるというのですから、委員各位はもうやけくそなんだかなんなんだか、とにかく面白い記事でした。

 記事のなかのカギで囲まれた発言をすべて引いてみますと、

 「文化に振興という言葉は合わない」

 「金、人、場所の三つがそろっていること」

 「人が拠点を機能させるのが重要」

 「拠点は施設ありきではない」

 「関心が低いものに予算を注ぐのは」

 「博物館(という建物)ではなく、博物館機能やシステムでとらえては。そのシステムなら買ってもいいというものが必要」

 「文化と振興という言葉は合わない」

 「地域を安易に使いすぎている」

 なーにが新博物館だ、もう好きなこと口走ってやるぞ、みたいな感じだったのでしょうか。私がとくに気に入ったのは一段落目の、

 ──県施設の運営機能構築の必要性を重視し、箱物の建設にはこだわらない

 といったあたりで、なるほど「箱物の建設にはこだわらない」という考え方があったのだなと眼から鱗が落ちた思い。これを当地のケースに流用いたしますと、

 ──名張市は江戸川乱歩文学館の整備においてハコモノの建設にはこだわらない。

 みたいなことになるわけであって、これはいいこれはいい。この線はたしかに有効である。

 といった流れで横道から本題に回帰して、あすはまた当地の事情を記すことになるはずなのですが、例によって例のごとく腹が立って腹が立って何も綴れないことになるのかな。

 つづきまして例のリストです。

昭和30年
随筆寄席 徳川夢声、林髞、辰野隆、江戸川乱歩
随筆 3月号 1955年
二十五人集選考座談会 水谷準、隠岐弘、城昌幸、江戸川乱歩
宝石 4月号 1955年
煙草と探偵小説 角田喜久雄、城昌幸、隠岐弘、専売公社理事・監事、江戸川乱歩
宝石 7月号 1955年
人生対談 早野勝雪(丸金自転車社長)、江戸川乱歩
日本輪業通信 1955年10月15日
戦後十年の探偵小説を語る座談会 江戸川乱歩、島田一男、中島河太郎
探偵実話 増刊号(6巻12号) 1955年10月20日
探偵小説雑話 *講演録
伊和新聞 1955年11月7日・10日・14日・21日・24日・28日・12月1日
楽しき哉人生 徳川夢声、江戸川乱歩
別冊講談倶楽部 11月号 1955年11月15日