2007年9月上旬
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若いころ読んだ長篇小説をアトランダムに再読するシリーズの第二弾としてとりあげた光文社古典新訳文庫『カラマーゾフの兄弟』の件ですが、暑さの夏におろおろページをくって第二巻まで読了しました。 本というのはなかなか虚心坦懐に読むことができないもので、私などとくに若いころ、本のなかに書かれた言葉から勝手に連想がひろがって眼では活字を追いながら頭では連想がふくらみつづけ、気がついたら二ページも三ページも、いま読んだはずのところがまったく頭に入っていなかったということがよくあったものです。むろん若いころにはのべつお姉さんのことを考えてもおりましたから、そっち方面のあんなような妄想に邪魔されることも常住坐臥のしょっちゅうでした。よわいを重ねればこのような妄想に悩むこともなくなるのであろうなと楽観していたのですけれど、驚くべきことにお姉さんの妄想はいまも健在です。 そういった事情以外にも今回、どうしても虚心坦懐になれない理由がひとつあって、それは乱歩がこの小説のどこに感じ入ったのかをついつい推測しながら読んでしまうということです。読書に邪念がついてまわるわけ。 ちなみに『探偵小説四十年』には、乱歩のドストエフスキー体験がこんなぐあいに記されています。
乱歩自身の言葉でいえば「夜の夢」のリアルが乱歩を圧倒し、乱歩に驚異をおぼえさせたということらしいのですが、それは具体的にどんなところだったのかな、みたいなことを考えながら読んでしまうわけです。これはしかたのないことであろうな、とは思いますけど。 ところで上の引用には深くうなずかれるところがあり、私が抱いていたのもやはり登場人物が「殆んど異人種と思われる」といったような印象だったのですが、光文社古典新訳文庫の訳文はそうした印象をがらりと一変させるものであるようです。8月15日付伝言にも記したことですが、訳文はよくこなれていてじつに読みやすい。しかしその反面、19世紀ロシアの小説だという感じがあまりせず、登場人物がかなり身近な人間に感じられて、要するに描かれているのが異人種ではなく隣人の苦悩であり隣人の信仰であるという気がしてしまいます。 この光文社古典新訳文庫の意図するところは「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」といったことだそうですから、まさにその方針どおりの訳文ではあり、この『カラマーゾフの兄弟』が結構なベストセラーになっているらしい大きな要因もそのあたりに求められるのでしょうけれど、にしてもどっか違和感があるのよね、とかぶつぶつ思いながら2ちゃんねる文学板のドストスレとか眺めていてふと気がついたことに、現在版行されている新潮文庫の『カラマーゾフの兄弟』は原卓也訳であるというではありませんか。 ところが8月15日付伝言にも記しましたとおり、私の手許にある新潮文庫『カラマアゾフの兄弟』の訳者は原久一郎。ということはいつかしらの時点で原久一郎(1890−1971)から原卓也(1930−2004)へ、つまり父親の訳文から息子のそれへとバトンタッチが行われていたわけなのね。光文社古典新訳文庫の亀山郁夫さんの訳文を現役世代だと仮定すれば、私がかつて読んだのはいわば二世代前、いってみればおじいさんの世代にあたる訳文であったということになるわけか。 そのことに気がついた瞬間、私は自分が一気に古いタイプの人間になってしまったような気がしました。それはそうかもしれんなあ。ゾシマ長老がわしはなんとかなのじゃみたいな語りをしてくれなければ感じが出ないじゃん、とか思ってるなんてまぎれもなく旧人類のあかしなのであろうなあ。だいたい旧人類という用語自体が古いものなあ。いやー、昔はよかったなあ。何がよかったんだかよく思い出せんのじゃが。 ところで私はいま、ドストエフスキーの話題をさらにつづけるべく、「新潮文庫 カラマーゾフの兄弟 乱歩 光文社古典新訳文庫」という検索語を入力して Google 検索を試みたのですが、「なばりじんがいきょう」などというページがひっかかってきましたのでいささか面くらってしまいました。アクセスしてみたところこんな感じです。 これはいったいなんじゃらほい。なんじゃらほいというのもまさしく旧人類の常套句なんですけど、そんなことはともかくこれはいってみれば総ルビ版名張人外境。つまり当方のサイトに掲載されたテキストの漢字という漢字にすべて読みがなを附してくれてあるページみたいなのですが、それにしてもこれはいったいなんじゃらほい。 URL をたどってみて行きついたのがこのページでした。 キッズ goo というサイトです。ポータルサイト goo の小学生版らしいのですが、それにしてもこれはいったい、と首をひねりながらサイトを閲覧してゆくと、 ──ナビトップ>スポーツとしゅみ>趣味>本とよみもの>推理・探偵 とたどった「推理・探偵」のページに名張人外境へのリンクを設定していただいてあるのですが、そのページでクリックしても現れてくるのはむろん名張人外境、読みがなつきの「なばりじんがいきょう」ではありません。これはほんとになんじゃらほい。 そこで案じてみますに、名張人外境というのはお子供衆にとってたいへんためになるサイトである、とキッズ goo の関係者が判断したわけでしょう。ここはひとつ小さいお子供衆でもらくらく読めるように読みがなつきのミラーサイトみたいなのをつくってやろう、それが全国のよい子のため、ひいては世のため人のためというものだ、との流れからここにめでたく「なばりじんがいきょう」がネット上に出現したのであると私にはそのように考えられます。 ということは私もお姉さん関係のあんなような妄想が、みたいなことはあまり書かないほうがいいのかな。それとも、その道の先達として新しい世代に伝えるべきことはきちんと伝えておいたほうがいいのかな。うーん。どっちがいいのかとさっきからすっかり考え込んでしまい、心が千々に乱れているこの私。このまま千の風になってしまったりしたらどうしよう。 しかし総ルビ版のテキストというのは、いまやキッズのみならずハイスクールスチューデントのためにも必要なのかもしれないなというのが私のこのところの実感です。げんに地域の名門三重県立名張高等学校はあしたから二学期、私の授業は一週間遅れで9月10日に新学期がスタートするのですが、最初の授業の教材はほらこのとおり。 谷崎の「陰翳礼讃」にちょっとでも眼を通しておいたほうがいいだろう、という授業の流れになりましたのでごらんのとおりごく一部を引用してプリントを一枚つくったのですが、えーいと思って総ルビといたしました。踊り字にまでルビを附しましたから正気の沙汰とは見えぬかもしれません。 話がどんどん横道にそれてしまいました。ドストエフスキーの話はまた日を改めてということにして、最後は例のリストでしめくくります。
おしまいにひとこと。当サイトの名称は「なばりにんがいきょう」とお読みいただくことになっております。お子供衆のみなさんよろしくね。 |
──探偵小説は名古屋が発祥の地でした。 というフレーズに惹かれて昨2日、名古屋市で開かれている「名古屋の探偵小説展」に足を運んでまいりました。当該フレーズにはじまる案内文の全文はこの画像を拡大してお読みください。 今年5月から7月にかけて神戸文学館で「探偵小説発祥の地 神戸」という企画展が開かれたことは読者諸兄姉もご記憶でしょう。それにつづいて名古屋が名乗りをあげたわけですから、探偵小説発祥の地は神戸なのか、それとも名古屋なのか、いずれ神戸と名古屋のあいだで探偵小説発祥の地論争が勃発してしまうのかもしれませんけど、本邦探偵小説がどこで発祥しようともその永遠の王たる乱歩の生誕地が名張であることには変わりがありません。はっはっは。その名張から山本松寿堂謹製二銭銅貨煎餅を手みやげにお邪魔してまいりました。 会場は名古屋市東区橦木町にある「文化のみち二葉館」。詳細はオフィシャルサイトでごらんください。 旧川上貞奴邸を移築復元した施設はそれだけでまことに興味深いものですが、二葉館として整備するにあたって大きな書庫が隣接して新設されており、案内していただいた私はこの書庫にも深い興味をおぼえました。というか、なんだか頭が痛くなってしまいました。その書庫には今年3月に亡くなった城山三郎さんから寄贈された資料が文字どおり山をなして収蔵されているのですが、資料といっても書籍や雑誌ばかりではありません。二葉館スタッフの方からお聞きしたところでは、城山さんというのはものを捨てない、しかし片づけないという人であったらしく、したがって捨てられずにいた資料のたぐいが大量に運び込まれておりました。 そうした資料は一般にはごみと呼ばれるわけですけど、城山さんの遺したものですから資料ということになります。端的な例をあげると、十センチ四方くらいの紙切れがあって、そこに子供のいたずら書きが記されている。幼児のいる家ならどこにでも転がっているようなごみなのですが、その紙片にはこれはいつ誰が書いたものであるという城山さんのメモが書き添えられていて、そのメモの存在ゆえにごみではなく貴重な資料だということになってしまいます。で、そんな紙くずにしか見えないようなものも含めて資料が大量に収蔵されているのですから、その保管と整理のたいへんさに思いいたった私はほんとに頭が痛くなってしまったというわけです。あの資料整理はほんとにたいへんな作業になることでしょう。 二葉館のあと、今度は名古屋近代文学史研究会の例会へ。この研究会のメンバーの方には『乱歩文献データブック』を編纂したとき以来ずーっとお世話になっていて、つまり名古屋関連の資料であんなの知りませんか、こんなの知りませんかとじつに無遠慮にお訊きしていろいろご教示をたまわってきたわけで、ですからもう十年以上お世話になりっぱなしということになります。以前から一度はお目にかかってお礼をと考えておりましたところ、この日ようやくその機会を得たという寸法で、山本松寿堂謹製二銭銅貨煎餅を手みやげにご挨拶を申しあげてまいりました。 名古屋近代文学史研究会のオフィシャルサイトが一か月ほど前に開設されましたので、ここでお知らせしておきましょう。 名古屋市中区橘一丁目にある中生涯学習センターで開かれた例会のあとは小酒井不木ゆかりの地めぐりのご案内もいただいて、どっからどう見ても不審者にしか見えないだろうなと思いながらよその土地に入りこんだり人の家を写真に撮ったりして帰ってまいりました。 残暑のなかの名古屋行、もう少しくわしいことはまたあすにでも。 |
まずは名古屋ではなくて伊勢市で開かれている展示会の新聞記事。
これがどうしたのかというと、 ──騒音が少ない小型風力発電装置やヘリコプターに搭載する機器など最新の製品も展示。庶務課に在籍した経験がある江戸川乱歩(一八九四−一九六五年)が仕事を抜け出て小説のヒントを得た逸話なども紹介している。 という寸法です。鳥羽造船所ゆかりの企業が展示会を開くとなると乱歩が登場し、それが新聞で報道されるとなるとやはり乱歩が登場する。乱歩の名前の大きさが知れるといいますか、乱歩という名前の遍在にあらためて驚かされるといいますか。しかしこうなるとわれらが三重県も探偵小説発祥の地として名乗りをあげてもいいのではないでしょうか。 さてそれで「文化のみち二葉館」で9日まで開かれている「名古屋の探偵小説展」の件。名古屋近代文学史研究会の例会でいただいてきた「名古屋近代文学史研究」百六十一号に斉藤亮さんの随筆「城山三郎文庫」が掲載されていて、二葉館と城山さんの関係が簡明に記されておりますので以下引用。
要するにこういうことです。これが普通なわけです。すなわち城山さんから資料の寄贈を受けたとなると、当然のことながら『城山三郎文庫目録』の刊行が期待されるわけです。期待されるといいますか、げんに二葉館ではその作業が進められている。こんなのはごくあたりまえの話であって、寄贈によるものであれ購入したものであれ、公共施設が資料を所蔵するというのはそういうことです。資料を活用するということ、たとえばそれを体系化して目録を作成することが、所蔵という行為にはついてまわってくるわけね。 あーこれこれ名張市教育委員会のみなさんや。名張市立図書館は開館準備の段階から江戸川乱歩の関連資料を収集してまいりましたとか、今後も乱歩関連資料の収集に努めてまいりますとか、そんなことしかいってこなかったからみなさんはものの道理がわかってないというのである。資料収集してどうすんの? なんのために資料を収集してるわけ? そんなことにさえ知恵がまわらないのねこのあんぽんたん委員会ったら。 あんぽんたんのことはまあいいとして、「名古屋の探偵小説展」の会場はこんな感じでした。 二葉館二階の洋間を利用して、パネルが掲示され書籍や雑誌が展示されておりました。個人の蔵書を借りて乱歩の著作や著作もずらりと並べられていましたが、名張市立図書館が所蔵資料にもとづいて編纂した目録三巻、いまや公立図書館の奇蹟と呼ばれていても不思議ではない『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』『江戸川乱歩著書目録』もちゃんと置いていただいてありました。あーこれこれ名張市教育委員会のみなさんや、まあいいか。 つづきはあしたとしてあとはこれです。
いうまでもないことながら、このリストは完全なものではありません。いずれ完全な(というか、完全なものをめざした)目録がつくられるはずですが、いったいどこがつくるのかな。 |
斉藤亮さんの「城山三郎文庫」が掲載された「名古屋近代文学史研究」百六十一号の内容が名古屋近代文学史研究会オフィシャルサイトのブログで発表されました。9月3日付「第161号」をどうぞ。 さて9月2日の日曜日、私は「名古屋の探偵小説展」が開かれている「文化のみち二葉館」から名古屋近代文学史研究会の例会に移動したわけですが、名古屋市営地下鉄でいうと前者は高岳、後者は上前津が最寄り駅。私には土地勘がまったくありません。二葉館でスタッフの方にお訊きしてみると、高岳から上前津までは自動車なら十分ほどで行ける距離なれど、地下鉄利用の場合はえらく時間がかかってしまうとのことでした。例会が終わるまでにたどりつけるかしら、と心配になっておりましたところスタッフの方が例会の会場まで自動車で送ってくださることになり、ここまでしてもらっていいのだろうかと恐縮しながらもお言葉に甘えてすこぶる楽な移動となりました。 移動の車中でも二葉館の管理運営についていろいろ教えていただいたのですが、福沢桃助の電力事業、そして川上貞奴の演劇というか芸能というか、これらデフォルトのテーマだけでも結構ヘビーなところへもってきて、城山三郎関連資料を大量に抱え込み、むろん城山さんのみならず名古屋ゆかりの文学者はたくさん存在しているわけですから、二葉館が手がけるべきテーマの広さというか多様さは気が遠くなるほどだというしかありません。 そういえば以前、世田谷文学館にお邪魔したときにも、世田谷にかかわりのある文学者なんて死ぬほどごろごろしてるわけですから、守備範囲が死ぬほど広いせいでエキスパートが育ちにくいのだとの悩みをスタッフの方からお聞きしたものでした。その点わが名張市はじつに楽である。乱歩しかいないんだから乱歩一直線、ひたすら勇往邁進すればいいのだけれどあーこれこれ名張市教育委員会のみなさんや、まあいいか。 そんなこんなで名古屋市中生涯学習センターで開かれていた名古屋近代文学史研究会の会場に到着。テーブルのうえにはなぜか、というか私がお邪魔することになっていたからだと思いますけど、いまや公立図書館の奇蹟といっても過言ではない名張市立図書館の『江戸川乱歩著書目録』が置かれてあり、会員の方から名張市は愛知県より偉い、こんな目録を刊行するのだから名張市は愛知県なんかよりずっと偉い、みたいなお言葉もたまわりました。 それはたしかに『江戸川乱歩著書目録』一巻を手に取るだけで、名張市はちゃんとした自治体であるということがご理解いただける人にはご理解いただけることでしょう。脚光や名声には無縁だけれどぜひとも必要な大切な事業を名張市はきちんとやっているなということがわかりますし、そうした事業の根底には名張という土地に根づいている乱歩への敬愛の念が感じられるはずですし、しかも『江戸川乱歩著書目録』はずいぶんと贅沢な目録ですから、そうした贅沢を支える名張市という自治体の精神的な豊かさもまた感じていただけることでしょう。つまりこの一巻の目録は名張市という自治体の信頼性を担保するものでもあるはずなのですが、しかし、しかししかし、しかしその名張市の実態はといいますとあーこれこれ名張市教育委員会のみなさんや、まあいいか。 そんなのはほんとにどうでもいいとして、例会のあとは小酒井不木ゆかりの地をめぐる散策にご案内いただきました。私には土地勘がまったくありません。案内されるままふらふら歩いてゆきますと、いつかしらこんなところに着きました。 ただの駐車場なのですが、掲げられた看板には「寸楽園」の文字が見えます。つまり不木や乱歩が耽綺社の会合なんかでのたくり込んでいたいた料理屋の跡地です。駐車場のなかにずかずか入って── 看板を撮影してきました。石灯籠や庭木は料理屋時代の名残でしょう。人の土地を勝手に歩きまわって確認いたしましたところ、かつて寸楽園が建っていた土地は一部がマンション、残りが駐車場になっていて、すなわちマンション経営ならびに駐車場経営で有効な資産活用が進められているようだなと、よそさまの台所事情を勝手に穿鑿しながら次の目的地へ。 鶴舞公園を突っ切り、閑静な高級住宅地をてくてく歩いて、やがてたどりついたのがここでした。 どなたのお宅か存じませんが、無断で写真を撮ってきました。手前に見える立て札や標識はこんなあんばい。 ズームレンズを長焦点側にめいっぱい。 立て札には「小酒井不木宅跡」とあります。つまり現在の建物を建築するべく不木の旧宅が取り壊されたとき、蔵に保管されていた不木宛の乱歩書簡がどさくさにまぎれて流出、その一部がめぐりめぐって『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』に収録されたということになるのかな、とまたしてもよそさまのドメスティックなあれこれを穿鑿。 ともあれこれで小酒井不木ゆかりの地をめぐる散策が終了し、どこの駅から乗ったんだったか地下鉄で名古屋駅へ。それからそこらのビヤホールに入ってようやくひといきつくことができました。お店のお姉さんにこれが名古屋だというメニューは何? と尋ねると間髪を入れず手羽先! という返事が返ってきましたので、ほかにも味噌をかけた串カツであったかそんなようなものも注文して、ところが結局はすべて名古屋近代文学史研究会の方におごっていただく結果になってしまい、ここまでしてもらっていいのだろうかと恐縮しながらもお言葉に甘えて帰ってまいりました。 以下は例のものです。
名古屋近代文学史研究会の例会では、当サイトの伝言によれば乱歩の談話の収集がスタートしたみたいだからと、昭和22年に名古屋の雑誌社から出た「パレス」五号に掲載された宇田新蔵という刑事さんと乱歩の対談「最近の犯罪を解剖する」のコピーを頂戴してまいりました。ありがたきしあわせ。 |
本日は「RAMPO Up-To-Date」に乱歩の著書三冊を記載しました。二冊は復刻版全集の7月と8月の配本分、残り一冊が『人間椅子』で、ブックスアルデ名張本店に取り寄せを依頼してあったのが届きました。 本体ではなく函の画像です。本体は白の布装、椅子の形の銀の箔押しあり、角背、とすっきりした造本。ちなみに函の裏っ側はこんな感じ。 私は8月24日伝言でこの本のことにふれ、 ──このプラハ生まれのシュルレアリストについて私は何も知るところがないのですが、「人間椅子」の挿画を描くというのであれば、小説の内容などいっさい頭に入れずただ「人間椅子」というそれこそ文字どおり決定的にシュールなタイトルだけにもとづいて制作してもらったほうが面白い作品が生まれるかもしれんな、と思います。 と記したものでしたが、ヤン・シュヴァンクマイエルさんの挿画はまさしくそんな印象。ストーリーにひきずられることなく「人間椅子」というモチーフそのものの官能性が追求されていて、私はおおきに気に入りました。ただしヤンさんは「人間椅子」のチェコ語訳をお読みだそうで、その訳者でいらっしゃるペトル・ホリーさんの解題「シュヴァンクマイエルと乱歩の邂逅」には(そういえば8月24日伝言のタイトルは「シュルレアリスムと人間椅子がラフォーレ原宿で邂逅する」でしたから、洋の東西を問わず人はこうした事態を表現する場合に「邂逅」という言葉を使用したくなるもののようです。「邂逅」の読み方がわからない人は読みがなつきサイト「なばりじんがいきょう」へどうぞ)、 ──江戸川乱歩のチェコ語への最初の翻訳は『陰獣』であり、ドイツ語からの重訳で第二次世界大戦中の一九四二年に出版されている) といった記述もあって、これは全然知りませんでした。ですからいまや公立図書館の奇蹟と呼ばれても不思議ではないのに一度も呼ばれたことがない『江戸川乱歩著書目録』からもチェコ語版『陰獣』は洩れております。まいったな。しかしこんな版の存在は乱歩も知らなかったのではないかしら。 それはそれとしてこの『人間椅子』、乱歩ファンが愛蔵するにふさわしい一冊となっておりますので、興味がおありの方はぜひどうぞ。版元エスクァイア マガジン ジャパン の「エスクァイアの本」のページでは注文もできるみたいです。 当サイトの記録的にはこんなあんばい。
「63頁+54頁」の「+54頁」はいわゆるパラパラ漫画。奥付のあとに椅子と人間の絵を配したページがつづいていて、親指の腹で一ページずつ滑らせてゆくとその絵が動いて見えるというおまけつきです。 いたって美しくない国にも美しい本が生まれることはあるという話題でしたが、つづいてはこちらです。
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台風9号はどうなったのでしょうか。当地はまったく無視されて関東地方が直撃されたらしいのですが、台風に狙われたあたりにお住まいの方はあれこれご注意ください。しかしうらやましい。台風に狙われるなんてじつにうらやましい話だと台風フェチの私は思います。 それでもってお知らせするのをうっかり忘れていたのですが、名古屋で活動するてんぷくプロなる劇団が「怪人二十面相」の「超立体朗読劇」を公演しております。びっくりしたなあもう(えーっとまあ、てんぷくトリオをご存じない方もたくさんいらっしゃることでしょうけれど)。チケットは完売、ただし楽日の9日日曜に追加公演があるみたいてす。くわしくは劇団オフィシャルサイトの「公演情報」でどうぞ。 名古屋のおはなしはこれくらいとして、その名古屋から近鉄特急で約一時間半、われらが名張市のおはなしに移ります。どんなおはなしかというと、 ──名張市は乱歩をどうする気? ということですもちろん。これまでの流れを確認しておきましょう。私の結論、それもきのうやきょうではなくて四年ほど前から変わることのない結論なのですが、それはもういうまでもなく、 ──名張市は乱歩から手を引け。 というものです。むろん私だって名張市に乱歩のことをちゃんとしてほしいとは思いますし、そのための筋道だって相当なばかにもわかるように示したつもりなのですが…… いかんいかん。これはほんとに冗談でも何でもなくて、この手の話題に入ろうとすると猛烈に腹が立ってきてとてもじっとしてなんかいられなくなります。いかんなあ。とにかくソファに寝っ転がって冷たいお茶を飲みながら煙草ふかして落ち着きを取り戻すことに専念したいと思います。困ったものだなあ。 |
まず新刊のお知らせ。乱歩の未発表作品(はっきりいってしまえば書きかけたままほったらかしにされていた原稿ですけど)を収録して話題を呼んだ光文社文庫『江戸川乱歩と13の宝石』の第二集が出ました。 帯には堂々と「全集でも読めない」というコピーが躍っておりますが、えーっとまあ、片々たる推薦文までちゃーんと収められているのが言葉の正しい意味における全集であるはずですから、この場合の全集はあくまでも光文社文庫版乱歩全集のことであると理解しておきましょう。 内容はこんな感じです。
活字になったものとしては最初で最後のそれであるという乱歩と松本清張との対談をはじめとして、第一集とおなじく乱歩が編集した「宝石」にとりどりな光輝を競った十三の宝石が収められているわけなのですが、集中の白眉はもしかしたら新保博久さんの解題「雑誌フリークとしての江戸川乱歩」ではないかと私には思われます。なにしろ冒頭、「冒険世界」の謎が鮮やかに解き明かされています。寝っ転がって読んでいた私はソファからずり落ちるほど驚いてしまいました。 どんな謎なのか。 『探偵小説四十年』には雑誌を手にした少年時代の乱歩の写真が収録されています。乱歩ファンならたちまちのうちに、和服、くりくり坊主、カメラ目線、雑誌、といった細部を想起できるであろうあれのことですが、あの写真には乱歩によるこんなキャプションが添えられていました。
光文社文庫版全集ではこのキャプションに新保博久さんの註釈が附されていて──
つまり上巻が刊行された昨年1月の時点では謎はまだ謎のままであったのですが、今回の解題でその謎はきれいに解かれ、太郎少年が手にしていたのは「冒険世界」明治42年11月号の伊藤博文追悼特集であったことが明かされています。どうしてそんなことがわかるのか。詳細は『江戸川乱歩と13の宝石』第二集を購入してお読みください。 そんなとびきりのネタではじまる解題「雑誌フリークとしての江戸川乱歩」によれば、この『江戸川乱歩と13の宝石』正続二冊は「一種のタイムカプセル」。ひもとけばたちどころに乱歩が編集していた昭和32年から35年までの「宝石」がよみがえるという寸法ですが、解題はそのナビゲート役にまことにふさわしく、収録された作家と作品の俯瞰図を描くにあたっては書誌的データと批評とが渾然一体となった椀飯振舞、同時代の海外作品などカプセル外部との関連にもぬかりなく目配りされ、さらには昭和30年代に生きていた人間としての証言が隠し味として生かされている点は至芸の域と見るべきか。とにかくじつに読みごたえのある内容です。僭越至極なことを記すなら、こういった文庫解説の範のひとつであるといえるでしょう。 書名こそ『江戸川乱歩と13の宝石』ですけど実質的には「江戸川乱歩と13の宝石プラスワン」と呼ぶべきこの一冊、ていうか二冊、乱歩ファンなら必読必携、ぜひどうぞ。 つづきまして、タイムカプセルといえばこれこそがまさしく乱歩のタイムカプセル。朝日新聞オフィシャルサイトに旧乱歩邸の記事が土蔵の写真入りで掲載されました。 つづいてはいまだ昭和20年代のこのリスト。
警察署長と話したり香具師の親分と話したり、還暦を目前にして乱歩はかなり多忙だったようです。 |
さて、名古屋あたりのおはなしならうきうきと綴れるのに名張の話題になると速攻で機嫌が悪くなるのをなんとしょう。 あいだを取ることにしましょうか。名古屋と名張のあいだといえばさしずめ津である。津市。乱歩にとっては父祖の地であり、本籍があったところでもあり、市内乙部の浄明院というお寺には先祖代々のお墓もあるんですけど(乱歩が昭和26年に建立した平井家のお墓の写真は「東京紅團」の「江戸川乱歩を歩く−亀山・津編−」のページでごらんいただけます)、その津の話題。ていうか、実際には三重県の話題。伊勢新聞の9月4日付記事をどうぞ。
お役所のやることは例によってわけがわかりません。これはこのところ話題になっている県立博物館に関する協議なのでしょうか。げんに記事のなかには「新博物館」という文言も見られるのですが、しかし毎日新聞には翌5日付でこんな記事が。
つまり三重県文化審議会の文化振興拠点部会が3日に、おなじく文化審議会の新博物館のあり方部会が4日に開かれ、どちらも新しく建設されることになるらしい県立博物館のことをメインテーマとしていて、しかし新聞記事を読むかぎりではあっちもこっちも変わり映えのしないおはなしに終始していたみたいです。 有能賢明なる三重県職員の意見はどうかと2ちゃんねる公務員板の「三重県庁職員集まれ!13」をのぞいてみますと──
「そんなもん」というのはひとつ前のこのレスを受けたもののようです。
博物館談義はさらにつづいております。
えーっとまあ、あほ? とかも思ってしまいますけど、有能賢明なる三重県職員のみなさんの2ちゃんねるにおける発言を総合いたしますと、博物館建設は税金の無駄づかいであるという声が大勢を占めているようです。しかしそんなのは「事務屋」の発想であるという批判もあって、現博物館の「貧相」さは「異常」なことなんだから建設は必要だという意見も提出されてます。税金の無駄づかいという指摘に対しては「ド勃起には数十億単位の金が右から左に流れてるのに」との反論があり、この場合の「ド勃起」というのは「土木」のことでしょうから、要するに年間数十億円の土木費のなかには無駄につかわれてるものがたくさんあって、たとえば「広域農道とかよりは有意義だろ」との比較検討もなされている。 なかにゃ「そんな金あるなら県職に特別ボーナスでも出してほしい」との要望もあるようですが、この声に対しては誰が出すかそんなもん、と僭越ながら私個人が結論を記しておきたいと思います。ほかに「県政赤字なのにあれだけの金を博物館建設にかける必要あるのか」とのアンケートを採ったら賛成する県民は一割にも満たぬであろうという推測もあり、これはまったくそのとおりでしょう。県立博物館は必要か、というだけの設問であれば多くの県民が必要だと答えることになるのかもしれませんが、財政難を前面に出したうえで何十億もかかる博物館建設の可否を尋ねたら、それはもう反対する県民が大勢を占めてしまうのは想像にかたくありません。だからまあこんなアンケートを想定することには意味がないわけね。 ならばいったいどうしていま博物館建設の話がもちあがってきたのかというと、 「できれば、もう1回知事選挙に出たいな」 という「キューピーのつぶやき」に応えて、 「新博物館の建設を公約するなら出てもいいぞ」 という「神のお告げ」があったという無根拠な推測も投稿されてたわけですけど、「キューピー」というのは知事のことでしょうか。「神」というのはたとえば土建屋さんのことでしょうか。すなわち新博物館の建設で土建屋にたっぷり予算をまわすのであれば選挙資金の面倒は見てやるぞ、とでもいったお告げがあったということでしょうか。無責任な風聞を真に受ける気はなけれども、ちょっと気になる博物館騒動。 なんてこといってついつい横道に入りこんでしまいましたけど、私にはそもそも博物館ってのはどうもなあという感じがあり、つまりはるか淵源を尋ねれば博物館なんて要するに妙に色の白いヨーロッパらへんの連中が神の福音を海のかなたの醜悪蒙昧な土人にもたらしてやったらば支配したあちらこちらの土地にこんな珍奇なものがありましたというコレクションをまあみなさん見てくださいなと展示陳列するためのものではないのかというとても乱暴な認識があって、てやんでえべらぼうめこちとらだって八紘一宇だい。 いやいかんいかん。こんなことを書きつらねておっても意味ありませんから例のリストに入ります。
このリストは先日も記しましたとおり乱歩が編んだ「江戸川乱歩自作目録」の「座談会・対談会・合評会・対局棋譜」にもとづき、おなじくそれにもとづいたのであろう『探偵小説四十年』巻末の「江戸川乱歩作品と著書年度別目録」、さらにはささやかながら手許に収集したコピーのたぐいを参照してつくっているのですが、「江戸川乱歩自作目録」に録されながら『探偵小説四十年』巻末目録からは省かれているものもあり、この昭和29年のリストでいえば「東京と京都」に掲載された座談会がそれにあたります。 「東京と京都」という雑誌なんて見たことも聞いたこともありません。そこで試みに「日本の古本屋」で検索してみたらちゃんと存在しており、しかもありがたいことに座談会の載った号が売りに出されておりましたので速攻で注文を入れました次第です。 |
もうちょい博物館のおはなしを進めることにして、よく考えてみたら私は三重県立博物館にただの一度も足を運んだことがありません。いったいどんなとこなのか。試みにオフィシャルサイトをのぞいてみますと── なんかこのサイトを見るだけで、こーりゃもうちっとなんとかしないとだめじゃね? という気になります。「お客様の声」なんてページもあって、2005年度分はこんな感じ。 施設面にも運営面にもとにかく文句が寄せられております。どうしてわざわざこんなページつくって博物館批判の声を公開しているのか。その心はもしかしたらというか十中八九というか、だから早く建て替えてくれっつってんだろーがよー、いつまでもこのまま恥かきっぱなしでいいのかよー三重県はよー、という博物館サイドのデモンストレーションに相違あるまい。 デモンストレーションが奏功したんだかどうなんだか、とにかくここまで話が進んでるんですから新しい博物館が建設されることになるのでしょうけど、しかし新しい施設を建設したとしても旧来の博物館イメージをそのままひきずったものになりそうな雲行きだというしかありません。きのう引用した9月5日付毎日新聞「新県立博物館構想:県文化審議会あり方部会、総合型で一致 役割、機能議論へ /三重」には、 ──約28万点の資料活用のために歴史や自然などに特化した専門博物館でなく、人文や環境の視点も盛り込んだ総合博物館を考えるという方針で一致し、テーマや重点項目は今後の検討課題とした。 とあるわけですが、総合博物館とかなんとか当たり障りはないけれど面白味も見出しにくいものを構想してるようではペケである。税金ばっかつかってないで少しは頭をつかえというのだ。私ならまず博物館という名称をつかわない施設として整備することを考えますし、二十八万点あるという資料だって不要なものはヤフーオークションでどんどん売っ払ってしまいます。むしろ特化することこそが必要で、それが時代の趨勢でもあるといえるでしょう。文化施設でございますと乙にすますようなことはせず、あの手この手で入館者数アップを図りつつ…… いやいや、こんなこと書いてたってむなしいばかりだ。地元名張市の施設整備に関して提出したパブリックコメントをあっさり無視された人間が三重県の施設整備に関して何をいってもむなしいばかりだ。道草はいい加減にしておくか。 それでもってどうしてこんな話題で道草を食っているのかというと、きのうも引用した伊勢新聞の9月4日付記事──
この記事がなかなか面白く思われたからです。「箱物建設に疑問の声も」という見出しが眼にとまったわけです。それで読んでみますと、 ──出席委員が定数に満たなかったため日延べしていた第二回の会合を県津庁舎で開き、 なんていうんですから腹をかかえる。委員のみなさんはどいつもこいつもやる気がないのか。会に出席するのがいやなのか。しかし出席したら出席したでハコモノ批判を堂々と展開していらっしゃった委員の方もあるというのですから、委員各位はもうやけくそなんだかなんなんだか、とにかく面白い記事でした。 記事のなかのカギで囲まれた発言をすべて引いてみますと、 「文化に振興という言葉は合わない」 「金、人、場所の三つがそろっていること」 「人が拠点を機能させるのが重要」 「拠点は施設ありきではない」 「関心が低いものに予算を注ぐのは」 「博物館(という建物)ではなく、博物館機能やシステムでとらえては。そのシステムなら買ってもいいというものが必要」 「文化と振興という言葉は合わない」 「地域を安易に使いすぎている」 なーにが新博物館だ、もう好きなこと口走ってやるぞ、みたいな感じだったのでしょうか。私がとくに気に入ったのは一段落目の、 ──県施設の運営機能構築の必要性を重視し、箱物の建設にはこだわらない といったあたりで、なるほど「箱物の建設にはこだわらない」という考え方があったのだなと眼から鱗が落ちた思い。これを当地のケースに流用いたしますと、 ──名張市は江戸川乱歩文学館の整備においてハコモノの建設にはこだわらない。 みたいなことになるわけであって、これはいいこれはいい。この線はたしかに有効である。 といった流れで横道から本題に回帰して、あすはまた当地の事情を記すことになるはずなのですが、例によって例のごとく腹が立って腹が立って何も綴れないことになるのかな。 つづきまして例のリストです。
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