2008年2月中旬
11日 YouTube の乱歩、宝塚花組の「黒蜥蜴」
12日 YouTube の乱歩、アニメ「わんぱく探偵団」
13日 志波西果の消息、YouTube の乱歩、天知小五郎
14日 川村二郎さんの「大先輩乱歩」
15日 種村季弘さんの映画「屋根裏の散歩者」論
16日 安河内五郎少年の消息、ちくま日本文学
18日 さらに安河内五郎少年の消息
19日 「番犬情報」更新しました
20日 知られざる不思議なえにし
 ■2月11日(月)
YouTube の乱歩、宝塚花組の「黒蜥蜴」 

 YouTube の乱歩、本日は宝塚、ほぼ一年前のステージです。ほぼ一年前というよりも、私の場合はちょうど一年前ということになります。昨年2月11日の日曜日、宝塚大劇場で観劇した宝塚花組公演「明智小五郎の事件簿─黒蜥蜴」の画像が見つかりました。登場するのは、昨年12月に宝塚を退団した春野寿美礼さん扮する明智小五郎と、桜乃彩音さん演じる本邦演劇映画史上もっとも穉き(「穉き」は「いとけなき」とお読みください)黒蜥蜴。黒蜥蜴とのやりとりのあと、明智が音吐朗々と主題歌「プロポーズ」を歌っております。

 おつぎのウェブニュースは名張の話題となっております。一年前にもひどい状態でしたが、一年という月日の流れを経過してもっともっとひどい状態となっております。はっきりいってもうわけがわかりません。

やなせ宿:旧細川邸改修概要 観光情報発信や交流スペース設置ーー名張 /三重
 一方、川蔵は同市出身のミステリー作家、江戸川乱歩に関連する施設にすることなどが検討されていたが、現在具体的な活用法は未定。再生委員会での協議が続いており、市は「遅くても3月には利用法を決めたい」と話している
毎日新聞 毎日jp 2008/02/06

 わけがわからないといえば、わけのわかんない投稿が殺到してこちらもわけのわかんない状態になっておりました掲示板「人外境だより」、しばらくほったらかしにしてあったのですが、 さきほど復旧作業を行いましたのでお知らせ申しあげます。


 ■2月12日(火)
YouTube の乱歩、アニメ「わんぱく探偵団」 

 YouTube の乱歩、本日は連続テレビアニメ「わんぱく探偵団」のオープニングをごらんいただきます。1968年の2月1日から9月26日まで毎週木曜、全三十五話がフジテレビ系列で放映されました。番組の詳細は虫プロダクションオフィシャルサイトの「わんぱく探偵団」で知ることができます。

 この動画の関連動画というやつをぼんやり眺めておりましたところ、びっくりしたことに「少年ジェット」が見つかりました。少年ジェットがスクーターにまたがってシェーンといっしょに走ってるシーンが出てきました。いやシェーン、元気であったか、きょうもコマーシャルの時間には首に買いものかごぶらさげてエスビーカレーを買いにゆくのか、おまえはほんとにお利口だなあ、とか思いながらしみじみ感慨深く見ておりますと、犬っころが無心に駈けているただそれだけのシーンだというのに不覚にも落涙しそうになってしまいました。とにかく見てやってくださいなシェーンの全力疾走を。

 それならばもしかしてあれもあるかも、と検索してみたらちゃんとあったではありませんか「まぼろし探偵」。オープニングの背景には桑田次郎さんの漫画が使用されていて実写シーンはないのですが、キャストとして藤田弓子さんや吉永小百合さんの名前を発見することができますし、音楽関係のスタッフに日野皓正さんの名前があったのも驚きでした。

 げんきなしょーねんまぼろしたーんーてー、とか頑是なく歌っていた子供のころが懐かしいですなあご同輩。

 つづきまして光文社文庫の新刊のお知らせ、といったって先月の新刊ですけど。

関連書籍
江戸川乱歩と13人の新青年 〈論理派〉編 ミステリー文学資料館
1月20日 光文社 光文社文庫
編:ミステリー文学資料館 編集委員:山前譲 監修:ミステリー文学資料館(権田萬治、新保博久)
乱歩の文章はすべて「日本の探偵小説」からの引用。初出:『日本探偵小説傑作集』春秋社 昭和10年9月22日
江戸川乱歩「日本の探偵小説」より
理化学的探偵小説
 ニッケルの文鎮
 甲賀三郎
  
甲賀三郎 江戸川乱歩
 
爬虫館事件 海野十三
  
海野十三 江戸川乱歩
 
聖アレキセイ寺院の惨劇 小栗虫太郎
  
小栗虫太郎 江戸川乱歩
 
石塀幽霊 大阪圭吉
  
大阪圭吉 江戸川乱歩
心理的探偵小説
 
心理的探偵小説 江戸川乱歩
 
網膜脈視症 木々高太郎
  
木々高太郎 江戸川乱歩
 
変化する陳述 石浜金作
  
石浜金作 江戸川乱歩
医学的探偵小説
 
医学的探偵小説 江戸川乱歩
 
痴人の復讐 小酒井不木
  
小酒井不木 江戸川乱歩
 
蜘蛛 米田三星
  
米田三星 江戸川乱歩
法律的探偵小説
 
法律的探偵小説 江戸川乱歩
 
彼が殺したか 浜尾四郎
  
浜尾四郎 江戸川乱歩
 
閉館を命ぜられた妖怪館 山本禾太郎
  
山本禾太郎 江戸川乱歩
社会的探偵小説
 社会的探偵小説
 江戸川乱歩
 
監獄部屋 羽志主人
  
羽志主人 江戸川乱歩
その他の理智的探偵小説
 
その他の理智的探偵小説 江戸川乱歩
 
予審調書 平林初之輔
  
平林初之輔 江戸川乱歩
 
現場不在証明 角田喜久雄
  
角田喜久雄 江戸川乱歩
解題 山前譲

 乱歩目線のアンソロジー、とでもいった面白い趣向の一冊ですけど(もう一冊、「文学派」のほうも刊行されるそうです)、当サイトご閲覧の諸兄姉にはとっくに購入済みだとおっしゃる方も多かろうと拝察いたします。くだくだしい紹介は省略して、私はこれから YouTube で月光仮面とか七色仮面とか遊星王子とかナショナルキッドとか実写版鉄腕アトムとか……


 ■2月13日(水)
志波西果の消息、YouTube の乱歩、天知小五郎 

 ぼーくはむてーきだー、てつわんあーとーむー、とか歌いながら YouTube で実写版「鉄腕アトム」を見ておりましたら、思いがけず志波西果の名前に接しました。とりあえずごらんいただきましょう。オープニングの最後、長靴から勢いよく火を噴きながら空を飛ぶアトムの姿を背景に、まごうかたなき「監督 志波西果」のクレジットが登場します。

 志波西果は昭和2年に公開された乱歩原作映画「一寸法師」のメガホンを取った監督で、とはいっても植村鞆音さんの『直木三十五伝』によれば「撮影中、志波が日本プロダクションに逃亡し、後半を直木が監督した」という騒動もあったらしいのですが(「逃亡」という言葉がただならぬ感じです)、ともかく乱歩にゆかりのあった人物です。しかしざっと調べてみても消息をたどることができません。Wikipedia の「志波西果」から引用しましょう。

明けて1935年(昭和10年)、太奏発声映画でトーキーの浪曲映画『紺屋高尾』に挑戦するが失敗、1936年(昭和11年)までに5本のトーキーを監督するが、奈良に舞い戻り、あやめ池にある全勝キネマで時代遅れの無声映画の剣戟を撮ることにした。翌1937年(昭和12年)、大日本天然色映画で、反動的なまでに先進的なカラー映画に挑戦、月形龍之介主演、行友李風原作の定番映画『月形半平太』を撮るが、同作の公開された半年後の7月7日に勃発した盧溝橋事件に端を発する「日中戦争」に、報道班員として従軍、12月に始まった日本軍の南京攻略戦にカメラを担いで参加したまま、その後の消息を知る者はだれもいない[1]。37歳の誕生日を迎えるころであった。

 ごらんのとおり行方不明の扱いで、「その後の消息を知る者はだれもいない」という記述は大陸に散ったかとの印象さえ抱かせます。ていうか、生歿年月日がもうはっきりと「1900年12月17日−1937年12月」とされております。このあたりの典拠を脚註で確認しておきましょう。

1. 『日本映画監督全集』(キネマ旬報社、1976年)の「志波西果」の項(p.199-200)の記述を参照。同項執筆は竹中労。

 ところが実際には戦後まで生き延びていて、この実写版「鉄腕アトム」は昭和34年3月7日から翌35年5月28日まで毎日放送が制作し、フジテレビ系列で放送されたとのことなのですが、志波西果はその監督を担当していた。YouTube にある第十三話「バラン団の最後」が放送されたときには五十九歳だった計算になります。同名異人という可能性もないわけではありませんが、同一人物だと見てまちがいないのではないでしょうか。ただしそのあとのことはさっぱりわからず、やはり「その後の消息を知る者はだれもいない」ということになってしまうわけなのですが。

 やっべーなー、乱歩に全然関係ないところでレトロスペクティブに実写版アトムを見ているつもりがいつのまにか乱歩の掌に戻ってしまってるおれって何? 何かの罰ゲーム? とか思いながら毎度おなじみ YouTube の乱歩、めぼしいものが底をついてしまったようですので、あまり珍しくもない映像でとりあえずお開きといたします。天知茂が明智小五郎に扮したテレビドラマのシリーズです。

 さて、2ちゃんねるのミステリ板「【緑衣の鬼】 江戸川乱歩 第十一夜」と文学板「【明智】江戸川乱歩【怪人二十一面相】」の双方で踵を接するようにして案内されておりましたので、すわこそとばかりに週刊「日本の100人」の最新号「江戸川乱歩」を購入するべく当地の本屋さんに足を運んだのですが、なぜか売り切れとのことでした。取り寄せを依頼しましたから現物を手にするのは少し先のことになります。

 そのかわりというわけでもないのですが、「荷風!」という雑誌が池袋界隈を特集しておりましたので買ってまいりました。乱歩はごくあっさりと登場するだけなのですが、一応「RAMPO Up-To-Date」には記録いたしました。

関連文献
池袋は今日も戦後だった 川本三郎、平塚修二・天野憲仁(撮影)
荷風! 3月号(15号)
3月1日 日本文芸社
特集《池袋・大塚界隈〜“盛り場”という名の魔力》
関連文献
都バスに乗って文学を歩く 浅羽晃(文)、天野憲仁(写真)
特集《池袋・大塚〜“盛り場”という名の魔力》

 あとついでに買った本は、牧薩次『完全恋愛』(マガジンハウス)、眉村卓『司政官 全短編』(創元 SF 文庫)、関川夏央『現代短歌 そのこころみ』(集英社文庫)といったあたりか。


 ■2月14日(木)
川村二郎さんの「大先輩乱歩」 

 本日は川村二郎さんの訃報を記録いたしました。

人事
川村二郎
2月7日死去 心筋梗塞 80歳

 全国紙ブロック紙ローカル紙、訃報は各紙で報じられましたが、北海道新聞のものが心に残りました。

川村二郎さん(かわむら・じろう=文芸評論家・ドイツ文学者)
 七日朝、自宅居間で本を読んだままの状態で発見されたという。長女(56)は「夜通し本を読む習慣だった。急だったが、父らしい死だったのではないか」と話した。
北海道新聞 2008/02/08/13:53

 この段落に深い印象をおぼえた次第です。

 川村さんは昭和3年、愛知県生まれ。乱歩と同じ愛知県立第五中学の卒業生で、乱歩を正面から論じた文章はなかったように思いますが、講談社の江戸川乱歩推理文庫第五十九巻『奇譚/獏の言葉』で、なぜか「巻末エッセイ・乱歩と私」を執筆していらっしゃいます。大きな声ではいえませんけど、あの文庫版乱歩全集は編集がやや杜撰で、巻末エッセイもそれ以前に講談社から出ていた乱歩全集のものをそのまま流用している巻があり、それはまあ月に五冊とかそれくらいのペースで配本されていましたからそういうことにもなったのでしょうけれど、とにかくなんだかなあという感じではありましたから、とくに乱歩と深いかかわりがあったわけでもないと思われる川村さんが、なぜか巻末エッセイをお書きになっていたのはかなり意外なことでした。

 いま読み返してみますと、川村さんの巻末エッセイ「大先輩乱歩」には、川村さんの世代の(という限定は必要ないかもしれませんけど)知識人あるいは読書家が乱歩という作家にどう接近しどう遠ざかり、再会したのち乱歩をどのように位置づけたのか、そうした軌跡の一典型をうかがうことができるように思われます。やや長くなりますが、慎んで引用。

 スノビズムは思春期において当然肉体同様に成長する。それまで好きだったものが、好きだったからこそかえって軽蔑の対象となる。ポーに誘い寄せられ、中学生には甚だ難解な原文に苦労して取り組み、さらにはポーの由縁でホフマンにのめりこんで行くとなると、『二十面相』以来の乱歩との交りは、まさに自分の幼稚さ故に結ばれていたに過ぎぬと思いなされ、それだけ一層乱歩から遠ざかりたい気持が募ったのもやむを得ないことだった。
 半世紀前の思い出を書き連ねている按配だが、現在のぼくなりの乱歩観も、結局こうした少年時の経験を無視しては成り立たないのである。『怪人二十面相』と『大暗室』が前史ならば、後史としては、二十年程前に講談社ハードカバー版の江戸川乱歩全集が刊行された時、はじめて初期の短篇類を読んだということがある。久しく遠ざかっていたこの作者に、今度はかなりすれからした大人の読者として改めて対面し、今さら耽溺をくり返しはしなかったものの、耽溺とは異質の感嘆と敬意を、惜しみなく捧げることができた。『二銭銅貨』も『屋根裏の散歩者』も『人間椅子』も、いかにもよく作られていて、しかも作者らしい倒錯的な不気味な匂いを充分に発散していて、短篇小説を読む喜びをたっぷり味うことができた。
 分類すればもちろん、これらの物語もエンターテインメントのジャンルに属するわけではあろう。正直にいって現在でも、いわゆる純文学とエンターテインメントとの関係については、明快な結論を出すだけの用意もなければ度胸もない。純文学という観念そのものが近代文学の生みだした迷妄にほかならず、それをエンターテインメントと峻別するのは、文学をむやみに厳粛崇高な聖域の内に囲いこみたがる、禁欲的な道徳家の偏見にすぎない、といわれれば、ほとんど頷きたくなりはする。たとえば大正末から昭和初年代の文学界において、乱歩を佐藤春夫や谷崎潤一郎から区別することは何のいわれもあるまいと考える。そう考えながらも、しかし一方では、たとえ文学が喜びを与える(エンターテイン)ことを本義とするものであるにせよ、言葉の表現の微妙さに即して喜びの深浅が定められてくるのは避けがたく、そしてこの深浅の差は、大きくなれば、単なる量の問題から質の問題に転換しかねない、とも思う。『押絵と旅する男』のような、乱歩の言語表現の絶頂と呼ぶに足る作を、ジャンルのどの枠に入れるべきか、などと思い悩むのは、暇つぶしにしかなるまい。しかし佐藤や谷崎はともかくとして、ポー、あるいはホフマンの、最高の作品が示しているような言葉の輝きを、おおよその乱歩の作にうかがおうとするのは、やはり無いものねだりになるだろうと言わざるを得ない。

 それはまあ、そのとおりだろうと思います。しかしまあ、乱歩作品には乱歩作品なりの「言葉の輝き」もまた存在するのではないかと、そのように愚考される次第でもあるのですが、そんなことはともかくとして、川村二郎さんのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。


 ■2月15日(金)
種村季弘さんの映画「屋根裏の散歩者」論 

 じつにひさかたぶりに「乱歩文献データブック」を増補しました。1976年6月発行の「映画芸術」に掲載された対談です。さる方からコピーを頂戴いたしました。

田中登「屋根裏の散歩者」と江戸川乱歩の世界 種村季弘、堀切直人
映画芸術7・8月号(24巻3号)30日
対談

 この年6月に公開された日活映画「江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者」をめぐる対談。この田中登監督作品については日本映画データベースの「江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者」をごらんください。

 対談の冒頭、種村季弘さんの第一声。

種村 田中登の評判はかねてから聞いていて、どうも自分としては性に合いそうな人じゃないかと思っていたんですが、観たのは今度初めてで、かなり共感するところがありました。この「屋根裏の散歩者」と云う映画は乱歩原作ということになっているんですけども、乱歩の中のいろいろな小説をかき集めてモンタージュしているような脚本ですね。映画の題名だけから言えば、一つは屋根裏というモチーフ、それからもう一つは散歩者というモチーフがあるんだけども、どうもぼくの感じでは屋根裏のモチーフの方が強過ぎていて、散歩者というモチーフが、それほどでていないじゃないか。そこのところが若干ものたりなかった。
 そういうモチーフからデーテルズにつながってゆくんだけども、一口でいえば、乱歩の中でも「陰獣」(引用者註1)であるとか、「芋虫」であるとか、「人間椅子」であるとか、まあ「人間椅子」はこの中に入っているんですが、触覚的な部分がかなり拡大されています。しかし乱歩は探偵小説家ですからヴィヴィッドなデーテルズの積み重ねで構成しているところがもちろん原作の中にはあって、そのヴィヴィッドなものの把え方の感覚が、乱歩という人の物の実在感に対する感性の希薄さということもあるんだけども、なんかそれに釣られたような格好であんまりよくでていないんじゃないかな。
 「心理試験」という作品が乱歩にはあるけれども、初期の乱歩というのは心理的なトリックでやってゆく傾向が強い。映画でも、その心理的、生理的なモチーフに引っぱられすぎて、物理的なトリックを使って構成するところが、遊園地ルナパークの場面なんかには一寸でてくるんだけども、全体として平均に物理学的に構成されているとは思えないんですね。同じ乱歩の原作でも「パノラマ島奇談」から取材した「恐怖奇形人間」にはこれはもう戦争を通過した戦中派ですから、戦争を物理的なショーとして見ている。物量戦を見てきた人の感覚、あるいは戦争体験をそういう風に把え直す感覚っていうが(引用者註2)板についているので、パノラマ島全体を物理的なトリック装置に仕立てて、ものの部分部分を意外な組み合せにして、映画自体見せ物にしてゆくスタイルでやっていたんだけども、田中登の場合はそこのところが一寸希薄でね。そこがもの足りなかったんです。

 引用者註1、たぶん「陰獣」ではなくて「盲獣」だと思います。引用者註2、「いうが」は正しくは「いうのが」でしょう。

 愛想がなくて申しわけありませんが、本日はこれにておしまい。


 ■2月16日(土)
安河内五郎少年の消息、ちくま日本文学 

 やあ、親愛なる読者諸兄姉。みなさんは安河内五郎君をご記憶でしょうか。さよう。「科学画報」大正15年8月号の Q&A コーナーに「鏡張りの大きな球形の室」という質問を寄せ、それを読んだ乱歩に「鏡地獄」を書かしめた福岡県立鞍手中学校の生徒のことです。くわしくは伝言録の昨年10月24日付伝言「「鏡地獄」をめぐる発見」、翌25日付「ドグラマグラったり諸戸道雄ったり」あたりをお読みください。

 ネット検索で安河内五郎という人名を調べてみましたところ、日本における電気ショック療法の第一人者であった医学者が同姓同名であったことが判明し、その医学者が九州大学で研究活動をつづけていたらしいこともわかりましたので、伝言にはこのような推測を記しておいた次第です。

 いやいや、「科学画報」に投稿した鞍手中学校の安河内五郎君が後年の安河内五郎先生なのかどうか、確たるところは不明なのですが、私は同一人物であってくれたらいいのになと思います。安河内五郎君はたぶん鞍手中学時代から医学を志した秀才で、それでもときどき球の内部を鏡張りにしてそのなかに入ったらいったい何が映るのかなとか考えたりして、「長い間考へて見ましたが考へれば考へる程分らなくな」ってしまったりするちょっとユニークなところもある中学生だったのでしょう。

 この推測は正しかったようです。「安河内五郎君」はやはり「安河内五郎先生」その人でした。どうしてそんなことが断言できるのかといいますと、この伝言をお読みくださった安河内先生のご遺族から、メールで丁重なご挨拶をたまわったからです。ちょっと冷や汗。

 安河内先生は2002年4月、九十歳でお亡くなりになったそうですが、たしかに鞍手中学校のご出身で、ですから「科学画報」の投稿は少年時代の安河内先生の手になるものと考えてまちがいないようです。中学時代から医学を志していらっしゃったかどうかはわかりませんが、秀才どころか天才と称された麒麟児で、九州大学医学部に進学。そのあと医学部で助教授をしていらっしゃったのですが、えーっと、なんですか結婚式で仲人が新郎を紹介しているみたいな感じになってきましたけど、大牟田の三井三池炭鉱で起きた炭塵爆発事故をきっかけに大牟田労災病院の院長として赴任され、CO2 中毒患者の治療にあたられたといいます。

 先生の個人情報にかんすることをあれこれ書き記すのも憚られますが、乱歩に「鏡地獄」の火種を提供した少年の消息ということになると乱歩ファンなら思わず身を乗り出してしまう話題でしょうから、もうちょっとつづけることにして、上の引用のあと、私は調子に乗ってこんな推測も記したものでした。

 もしかしたら小説なんかにはあまり興味がなく、お医者さんになってからも医学の道を究めるのに忙しくて、探偵小説だの乱歩のことだのはほとんど知らなかったのかもしれません。だとしても、というか、だからこそ、乱歩と安河内五郎君が「科学画報」の誌面を通じてただ一度だけ人生の軌跡を交錯させたというその事実が、私にはなにかしら美しい奇蹟のようなものに思いなされてくる次第です。

 これがとんでもない与太でした。実際には、安河内五郎先生は乱歩作品が大好きでいらっしゃったとのことです。いやお恥ずかしい。かなり冷や汗。

 つづきはまたあしたということにして、「RAMPO Up-To-Date」には本日、1月に出たこれを記録いたしました。

著書
江戸川乱歩 ちくま日本文学007
1月10日 筑摩書房
A6判 カバー 476頁 本体880円
旧版:ちくま日本文学全集019『江戸川乱歩』筑摩書房 1991年11月20日
白昼夢
火星の運河
二銭銅貨
心理試験
百面相役者
屋根裏の散歩者
人間椅子
鏡地獄
押絵と旅する男
防空壕
恋と神様
乱歩打明け話
もくず塚
旅順海戦館
映画の恐怖
幻影の城主
群集の中のロビンソン・クルーソー
「探偵小説の謎」より
 奇矯な着想
意外な犯人隠し方のトリック変身願望
乱歩とのぞき
 島田雅彦
年譜 中島河太郎

 もちろん「鏡地獄」も収録されております。


 ■2月18日(月)
さらに安河内五郎少年の消息 

 つづきはまたあした、とかいいながらきのうは伝言をサボってしまいました。なんかもうへろへろなのですが、おとといからきのうにかけてのことはブログのほうの本日付エントリ「田中監督を名張で送る会」でお読みください。しかしこんなことではほんとにいかんぞ。

 いかんといえば掲示板「人外境だより」、ちょっと目を離しているあいだにスパム投稿で埋めつくされてしまいました。これはいけません。どっかのばかが自動投稿プログラムを使用してばかなことかましてやがるのだと思われますが、とりあえずきょうのところは放置といたします。

 それで安河内五郎先生のおはなしですが、電気ショック療法の第一人者ということになれば、動物実験などはおそらく日常茶飯事であったにちがいありません。私の頭にはきわめてクールな医学者像が浮かんできて、というよりはもうはっきりと、頭のなかに諸戸道雄がくっきりとした像を結んでしまいました。「孤島の鬼」から引用しましょう。底本は光文社文庫版全集。

 それは夜のことであったが、鉄の門に近づくと、私は可哀想な実験用動物の、それは主として犬であったが、耐えられぬ悲鳴を耳にした。それぞれ個性を持った犬共の叫び声が、物狂わしき断末魔の聯想を以て、キンキンと胸にこたえた。今実験室の中で、若しやあのいまわしい活体解剖ということが行われているのではないかと思うと、私はゾッとしないではいられなかった。
 門を這入ると、消毒剤の強烈な匂が鼻をうった。私は病院の手術室を思出した。刑務所の死刑場を想像した。死を凝視した動物共のどうにも出来ぬ恐怖の叫びに、耳が覆い度くなった。一層のこと、訪問を中止して帰ろうかとさえ思った。
 夜も更けぬに、母屋の方は、どの窓も真暗だった。僅かに実験室の奥の方に明りが見えていた。怖い夢の中での様に、私は玄関にたどりついて、ベルを押した。暫くすると、横手の実験室の入口に電燈がついて、そこに主人の諸戸が立っていた。ゴム引きの濡れた手術衣を着て、血のりで真赤によごれた両手を前に突き出した。電燈の下で、その赤い色が、怪しく光っていたのを、まざまざと思い出す。

 完全にこのイメージです。動物実験を行う医学者となれば、私にはこのシーンにおける諸戸道雄の姿しか浮かんできません。ですから安河内先生もきっと冷徹犀利ないわゆる理系のインテリで、小説なんてものはまともに相手にしない人だったのではないかと想像された次第だったのですが、ご遺族からお知らせいただいたところはまったくちがっておりました。だから私のいうことなどいちいちうかうか真に受けてくれるなということなのですが、おとといも記しましたそのとおり、安河内先生は乱歩が大好きでいらっしゃったそうです。

 しかも、ただお好きだっただけではありません。驚くべきことに安河内先生は、まだ小学生だったお嬢さんに、江戸川乱歩は面白いぞという言葉とともに、講談社版の歿後第一次乱歩全集、あの真っ暗な装幀の乱歩全集をプレゼントなさったということです。なんと感動的な話であることか。こんな嬉しくなるような話はめったにあるものではありません。これはいい。ほんとにいい話だと思います。乱歩ファンなら狂喜乱舞して快哉を叫ぶべき話だと思います。小学生の娘に乱歩全集を買い与える父親。これはいい。娘をもつ父親というのはすべからくこうあるべきだという気さえするほどです。

 つづきはまたまたあしたということにして、「RAMPO Up-To-Date」には本日、秋田稔さんの不定期刊個人誌「探偵随想」を記録いたしました。

関連文献
とりとめのない話 秋田稔
探偵随想 97号
2月25日 秋田稔
関連箇所
忌日烏羽銀座意外少年手相
関連文献
江戸川乱歩氏に感謝 秋田稔

 創刊四十五周年記念号です。つまり、探偵小説四十年ならぬ探偵随想四十五年。営々孜々とした歩みにはひたすら頭をさげるしかありません。


 ■2月19日(火)
「番犬情報」更新しました 

 掲示板「人外境だより」のお手入れは依然として手つかずの状態ですが、小西昌幸さんからご投稿いただきながらスパム投稿によって押し流されてしまった辻真先さんの講演会のお知らせ、本日「番犬情報」のほうに掲載いたしました。どうぞごらんください。しかし、番犬がいなくなったのに番犬情報ってのもなんだかなあ。いやいやそんなことより、きょうはこれだけで失礼いたします。なんともどうも。


 ■2月20日(水)
知られざる不思議なえにし 

 飛び石状態になってしまいましたが、安河内五郎先生の話題です。こうなりますと、つまり安河内先生が乱歩作品の愛読者でいらっしゃったという事実が判明してみますと、どうしても知りたくなってくるのは、かつて「科学画報」の Q&A 欄に寄せた投稿が乱歩をして「鏡地獄」を書かしめたのだという不思議なえにしを、先生ご自身がご存じであったのかどうかという一事です。ご遺族にメールでお訊きしてみました。しかし残念ながら、いや残念ということもないのですけれど、どうもご存じではなかったみたいで、しかしなんか、やっぱりなんか残念な気がしてなりません。

 きょうも細切れで恐縮です。ではまたあした。