2008年4月上旬
1日 『江戸川乱歩年譜集成』ことはじめアゲイン
2日 『江戸川乱歩年譜集成』熟慮中
3日 『江戸川乱歩年譜集成』試行錯誤中
4日 『江戸川乱歩年譜集成』悪戦苦闘
5日 『江戸川乱歩年譜集成』フラグメント版
6日 人呼んで「Rampo Fragment」
7日 「Rampo Fragment」試行錯誤中
8日 「Rampo Fragment」不眠不休
9日 「Rampo Fragment」一心不乱
10日 「Rampo Fragment」一念発起
 ■4月1日(火)
『江戸川乱歩年譜集成』ことはじめアゲイン 

 『江戸川乱歩年譜集成』のお仕事がすっかりお留守になっていて、ちょっと冷や汗。当サイト「江戸川乱歩年譜集成」を久方ぶりに覗いてみますと、大正14年9月でぴたりと更新がストップしております。去年の春ごろまでは作業が結構着々と進んでいたのですが、いま振り返ると犬の死と前後するようにして停滞が始まり、あとはもうえーい、どうとでもなれと思ってサボりっぱなしになっていた次第なのですが、その理由のひとつとして、別の方法も考えるべきなのではないかと思いあたったということがあります。

 とりあえず、大正14年のフラグメントとして拾っておきながら、ついついサボってしまったせいで「江戸川乱歩年譜集成」にはいまだ掲載していない横溝正史の随筆を引用。この年7月に発表された「夢遊病者彦太郎の死」の舞台裏です。

 今から丁度数年前のことであった。
 この欄の編集者江戸川乱歩や、当時大阪毎日新聞社にいた春日野緑が中心になって、探偵趣味の会というのを起したことがある。
 当時十数人の会員たちは毎月一回大毎の楼上に集って、いろいろな、各自思い思いの意見を吐いたり、議論を戦わしたり、最近読んだ探偵小説の批評をし合ったりしたものだ。そして時には、会員たちが、近く書こうとしている探偵小説の筋を話して、人々の批評を仰いだものである。
 この話はそういう例会の第二回目かだった。
 江戸川乱歩がふと次ぎのような話をしたのである。
 「僕はこんなトリックを最近考えているのですがね。氷で人を殺すという話なのです。例えば高いところから、下にいる男の頭の上に氷の塊を落す。氷で頭を打たれた男は、そこで脳震盪か何かを起して死んでしまう。しかし、その惨劇が発見される頃には、氷はすでに解けてしまっているから兇器は分らない。しかも、被害者の周囲には犯人が近づいたらしい跡は微塵も残っていない。つまり密閉された部屋の殺人に似たような事件になるのですな。ところが、この真相がどうして発見されたかというと、被害者の側に、一茎の根のないダリヤが落ちている。つまりその氷は普通の氷塊ではなく、花氷だったのです。で氷の方はとけてしまったが、あとにダリヤの花が落ちている。慧眼なる探偵はそれから糸を手繰って、事件の真相を知るというのですが、どうでしょうな、こんな話は……」
 と、江戸川乱歩が話したのである。
 「成程、それは面白いですな」
 とその席にいた、当時やはり大毎にいた大野木繁太郎が感心した。
 「氷で人を殺す──。成程それは面白いトリックですね。今迄どうして誰もそれに気附かなかったろう」
 と西田政治が相槌を打った。
 ところが、その席に二人だけ、このトリックに残念ながら感心することの出来ない人物がいたのである。
 その一人は当時まだ薬専に通っていた横溝正史で、このおしゃべりで出しゃばり過ぎな青年は、皆が一応感心してしまうと、その時一膝乗出して話し出したのである。
 「それは面白いですが、しかし」と彼は得々として言うのである。「そういうトリツクは外国にありますよ。しかも最近読んだのですが、やはり氷の殺人なんです。尤も行きかたは大分違っていますが……こういうのです。氷を積んだトラックが深夜街を走っていて、たぶんカーヴへ差しかかった時でしょう。氷の一つを落して行くのです。するとその後から又別のトラックがやって来る。そしてこの氷を踏み砕いて走りすぎる。その時氷の小さなかけらが鉄砲玉のような勢いでとぶ。ところが不幸にもその時側を通りかかった通行人にその氷片が命中して、通行人は死んでしまうのです。さてその翌朝この不幸な変死人が発見される。そして傷跡から見て、どうしてもピストルで撃たれたとしか思えないのに、氷は溶けてしまっているのだから、弾丸の行方が分らない。そこで事件が迷宮入りをするというのです。つまり氷の殺人というトリックが、今のお話と同じなわけですな」
 すると、この話を黙ってにやにやしながら聴いていた春日野緑がその時言ったのである。
 「それは僕が翻訳した話だよ。最近サンデー毎日に発表した外国の探偵小説だね」
 そして、この会話はそれきり済んだのである。しかし、もし江戸川乱歩が、横溝正史からこの暗合を指摘されなかったら、彼はこのトリックをもっとねちねちと考えて、充分面白い探偵小説を書き上げたのに違いないのである。実際トリックとしては探偵小説作家の充分珍重していい程の面白味を持っていた。
 しかし、外国の探偵小説に既に書かれてあることを知った江戸川乱歩はぺしゃんこになってしまった。そして大分後になって、「夢遊病者彦太郎の死」という小説で、かなり投げやりな、熱のない態度でしか、この勿体ないトリックを扱うことが出来なかった。

 いささか長くなりましたが、「探偵小説」昭和7年1月号に発表された「探偵小説講座──序にかえて」の一部です。底本は横溝正史『トランプ台上の首』(2000年9月、角川ホラー文庫)。

 このときの探偵趣味の会が正史の記憶どおり第二回だったのであれば、開かれたのは5月17日です。したがってこの文章を「江戸川乱歩年譜集成」の大正14年5月17日の項に配してやればいいのですが、こんなぐあいに年を追い月を追い日を追ってデータを積みあげてゆくよりも、眼についたフラグメントをつぎつぎに放りこんでいったほうが結局は能率的なのではないか。

 たとえば双葉十三郎さんの新刊『ぼくの特急二十世紀──大正昭和娯楽文化小史』(文春新書)を読んでおりますと、昭和21年5月、乱歩と初めて会ったときのことが『探偵小説四十年』の引用もまじえて綴られていて、これはいうまでもなく『江戸川乱歩年譜集成』の素材となるべきフラグメントなわけなのですが、こういうのはもう眼についた時点でデータとしてほいほい記録していったほうがいいのではないか。

 むろん私とて、そんなことはとっくの昔から考えてはおりました。ですからこの伝言板にあれこれ引用もしてきた次第ではあるのですが、しかしそれらのフラグメントはいまや伝言録の堆積のなかに藁のなかの針のようにも埋もれきってしまっていて、サイト開設者本人にもどこに何があるんだかさっぱりわかりゃせんわけです。こんなことではいかんではないか。

 といった次第で、そのあたりのことをきょうから熟慮してみたいと思います。


 ■4月2日(水)
『江戸川乱歩年譜集成』熟慮中 

 熟慮はつづくよどこまでも。これがなかなか難しい。考えがまとまりませんから「オール讀物」3月号に掲載された座談会「ミステリー作家、怪物たちの記憶」から適当に引用してお茶を濁すことにいたします。

 まず佐野洋さんの記憶。

 僕は、乱歩さんに褒められてたくて小説家になったようなものなんです。一番最初にお会いしたのは、一九五八年の十月。「銅婚式」の入選の日に、選考委員の一人として、乱歩さんが私の目の前に現れた。受賞者としては、やはり緊張して硬くなっておりました。
 最初の印象は、「怪物だなあ」という感じだったんです。私は身長が百七十六センチありますが、乱歩さんもちょうどそのくらいですから、あの年代ではかなり大きい方ですし、さらに体格も立派です。机の上の手が毛むくじゃらで、「やっぱり怪物だなあ」という感じだった。ところが実際は非常に優しい方で、小説を発表するたびにいろいろ評してくださる。乱歩さんに褒められたいがために書いた、初期はそういう感じです。

 次は三好徹さんの記憶。

 乱歩さんや同世代の木々高太郎さんには、お目にかかったことはあるんですが、佐野さんみたいに手紙をもらったり、「いい作品だ」と褒められたとか、そういうことはなかった。ミステリーを書きはじめた時期に、ほんの数年の差しかないのに、私にはそういうことはなかったんです。

 最後は西村京太郎さんの記憶。冒頭にある「受賞」というのは、もちろん江戸川乱歩賞のことです。

 受賞した年はちょうど乱歩さんが亡くなった年なんです。だから、七月の選考会にはもう出られなかったと思うんですよ。受賞が決まって乱歩邸にご挨拶に行ったら、出てこられたご長男の隆太郎さんに、「父は泣くなりました」と言われたことはよく覚えています。ああ、亡くなられたのは七月二十八日ですね。もし乱歩さんが生きてたら、うまく宣伝してくれて、『天使の傷痕』はもうちょっと売れたんじゃないかなあ(笑)。今の乱歩賞と違って、まったく売れませんでしたから、当時は。

 こういったフラグメントをどのように整理してゆけばいいのやら、というのが『江戸川乱歩年譜集成』をめぐる熟慮の眼目のひとつとなっているわけなのですが、つづくつづく熟慮はつづく。


 ■4月3日(木)
『江戸川乱歩年譜集成』試行錯誤中 

 寸暇を惜しんで試行錯誤中なわけですが、とりあえず新しいページをつくってみてはどうかと試みてみました。まだアップロードには至っておりませんが、見た目こんな感じ。

 あと、ブログをうまく併用することも考えており、この点に関してはきのうメールでアドバイスしてくださった方もあるのですが、こちらも試行錯誤中。そんなこんなで途中経過の報告を終わりたいと思います。


 ■4月4日(金)
『江戸川乱歩年譜集成』悪戦苦闘 

 どうもよろしくありません。『江戸川乱歩年譜集成』の編纂に利するべく、プログサービスを提供しているサイトをあちらこちら覗いてまわり、利用のための登録をしてみたところもあるのですが、どうもよろしくありません。私にはテンプレートを思うようにカスタマイズする能力がないというのも理由のひとつなのですが、ほかにも何かと意に染まぬ点があり、ブログを併用することは当面見合わせることにいたしました。

 双葉十三郎さんの『ぼくの特急二十世紀』(文春新書)、「第6章 オール・アメリカの時代」から引用。

 土曜会はのちに日本探偵作家クラブ、さらに日本推理作家協会と名前を変えます。土曜会という名で続いたのは、せいぜい一年くらいだったかなあ。「推理小説」という名前の言い出しっぺは乱歩さんです。ストーリー・オブ・ディダクションというのは探偵ばかり出てくるわけじゃないから、探偵小説というより、推理小説と訳したほうがいいって。じゃあ、そうしようということで、いつの間にか推理小説という言葉が広まって、会も推理作家協会になった。ぼくもしばらくは引き続き会に入っていたんだけど、推理という言い方に違和感があって、結局辞めちゃいました。そもそも、推理小説と呼ぶようになってから、とたんにそうした小説がつまらなくなっちゃった。
 だけど、乱歩さんとは気が合ったんですよ。お互い「密室好き」だったから。乱歩さんもぼくも、密室でのトリックというのが非常に好きで、会うと「何か新しい密室のトリックはないか」ってそんな話ばかりしていました。土曜会というのは、好きな者同士が集まって和気藹々と探偵小説の話をしているんだけど、密室にこだわっていたのは乱歩さんとぼくだけだった。
 乱歩さんという人はうるさいおっさんみたいに見えるけど、探偵小説の話になると、高校生みたいに目を輝かすんです。それでその先どうなるの? その作家はどういう人? とかね。じつに無邪気に、ミステリーファン丸出しになる。気取ったところは一つもなくなっちゃう。ぼくもそれに同化しちゃって、言いたい放題のことを言いましたけどね。
 それに、向こうの小説もよく勉強していた。偉いですよ。だからハードボイルドにも興味を持ったんでしょうね。

 ほかにも、岩谷書店に遊びに行ったら乱歩がいて、「すごい新人が現れた」とうれしそうにいう。新人というのは「刺青殺人事件」をひっさげて登場した高木彬光のことなのですが、「あんなうれしそうな顔はめったになかった」という双葉さんの回想はやはり貴重なフラグメントと称するべきで、さてこれをどんなぐあいにまとめればいいのやら。思案投げ首、悪戦苦闘。


 ■4月5日(土)
『江戸川乱歩年譜集成』フラグメント版 

 朝まだ暗いうちからばかみたいになってパソコンにへばりつき、飽きてくると犬と遊んだりなんやかんやしてるってえともう夕暮れ。とりあえず『江戸川乱歩年譜集成』のフラグメント版というのを試作してみました。横溝正史の「探偵小説講座──序にかえて」を大正14年度に放り込み、双葉十三郎さんの『ぼくの特急二十世紀』を昭和21年度に放り込んで、それではあまりにも愛想がありませんから昭和21年度にちょっと色をつけてみたところで夕暮れなわけです。

 きょうはこれくらいでご勘弁ください。くわしいことはまたあすの朝ぼらけにでも綴りましょう。


 ■4月6日(日)
人呼んで「Rampo Fragment」 

 きょうも夕暮れとなりにけり。『江戸川乱歩年譜集成』フラグメント版、人呼んで「Rampo Fragment」ということで話を進めたいと思いますが、ひとつ忘れておりました。この「Rampo Fragment」はフレームを二重三重に使用したページといたしましたので、よそさまのパソコンないしはブラウザでちゃんと表示できているのかどうか、いささかの不安をおぼえている次第です。手許には Safari、Firefox、Camino といったブラウザがあるばかり。世界最高のシェアを誇る Internet Explorer で動作確認を行うことができませんので、お気づきのことはなんでもかんでも掲示板「人外境だより」でお知らせいただければと思います。とはいえきょうはあまり時間がなく、「Rampo Fragment」には大坪直行さんのフラグメントを放り込んだだけで夕暮れとなりにけり。またあした。


 ■4月7日(月)
「Rampo Fragment」試行錯誤中 

 あれこれ試行錯誤中の「Rampo Fragment」、きょうの進行状況です。

 まず「RAMPO Up-To-Date」に J. C. オカザワさんの新刊『文豪の味を食べる』(マイコミ新書)を記載いたしました。神田の「はちまき」という天ぷら屋に乱歩が通っていたと記されています。昭和27年2月に撮影した記念写真が飾られているとあります。思い出したのは「自遊人」の一昨年3月号。神田神保町が特集されていて、乱歩愛顧の店として「神田はちまき」が紹介されていました。以上、ごちゃごちゃっと放り込んでみました。

 実際のところは「RAMPO Up-To-Date」ならびに「Rampo Fragment」でご確認ください。


 ■4月8日(火)
「Rampo Fragment」不眠不休 

 不眠不休というのはさすがにオーバーすぎますけど、ああもう何やってんだかわかんねーや。つらつら顧みますに、まず「RAMPO Up-To-Date」に 横山光輝『白髪鬼』のデータを録し、ひるがえって「Rampo Fragment」に1970年のページを新設して「少年キング」に掲載された「白髪鬼」その他の「江戸川乱歩シリーズ」を記載したあとは、発作的にトップページの模様替えを思いついてこれこのとおり、伝言板の両袖にたらたらと縦長のスペースを試験的に設けてみるや、返す刀で伝言録を過去に遡ってかつて掲載していた「本日のフラグメント」を閲覧、その第一回だった報知新聞の記事を「Rampo Fragment」に書き込んだかと思ったら、ことはついでと「江戸川乱歩年譜集成フラグメント版」としてあったタイトルを「Rampo Fragment」に変更し、といったあんばいでほんとにもう何がなんだかわっかんない状態になってしまいました。ではまたあした。


 ■4月9日(水)
「Rampo Fragment」一心不乱 

 きのうとおなじようなことを記しますと、きょうはまず「RAMPO Up-To-Date」に 小谷野敦さんの新刊『リアリズムの擁護』のデータを録し、ひるがえって「Rampo Fragment」には伝言録の「本日のフラグメント」第二回、横溝正史と小林信彦さんの対談を転載して、えーっと、それだけか。

 ではここで、トップページの模様替えに伴って掲載写真のサイズ変更を試みます。

 縦位置の写真だとこうやって従来どおりのサイズで掲載してもいいわけなのですが、何がいいのかというと幅800ピクセルのウインドウでも支障が出ないわけなのですが、これを横位置にするとウインドウにページが収まらないという支障が生じます。そこでサイズを縮小することにして、サンプルは先日ブログに掲載したこの写真。

 ちなみにこの写真、3月31日に撮影したものですが、江戸川乱歩生誕地碑が建つ桝田医院第二病棟の現況です。名張においでくださったことのある乱歩ファンのみなさんにとってはあるいは懐かしい光景ということになっているのかもしれませんが、あの閉鎖された病棟は昨年末に取り壊されてしまいました。画面左奥に見えるのが生誕地碑。右に建っているのは広場の案内板。この跡地はただの広場として整備されることになっているのですが、広場の整備がまだ始まってもいないのになぜかとっとと案内板が設置されてしまいました。名張市は例によって例のごとく意味不明のばかなことばかりくり返しているという寸法です。

 桝田医院第二病棟跡の写真を見てるだけで猛烈に腹が立ってまいりますので、可愛い犬の写真を眺めておだやかな気分を取り戻したいと思います。縮小したサイズにするとこんな感じ。

 それにしても私は毎日なーにやってんだか。


 ■4月10日(木)
「Rampo Fragment」一念発起 

 4月もすでに10日。花冷えの日もありましたものの、けさなど糸のような雨が降っているのに肌寒さをおぼえることはなく、早朝にもエアコンの必要がない陽気になったということか、いよいよ春だなと実感されます。

 さて先月末で名張市立図書館とおさらばいたしまして以来、なんだか気がふれたみたいになって「Rampo Fragment」の試行錯誤に勤しんでまいりましたが、きょうも気がふれているのか嬉々として小林信彦さんの文章を加えました。どういう文章なのか。説明が面倒なので伝言録をごらんいただくことにして、2006年の6月3日付「乱歩は本陣のことを書きもらしていた」、6月4日付「「横溝正史の秘密」の秘密」、そして11月14日付「〈探偵小説〉から〈推理小説〉へ」をどうぞ。

 リンク先を読み返して思い出しましたが、この小林さんの文章が『小説世界のロビンソン』に収録されていると畸人郷の先達に教えていただいたのは2006年10月28日、ところは名張市武道交流館いきいき、第十六回なぞがたりなばり講演会として綾辻行人さんの講演があったときのことでした。さっそく『小説世界のロビンソン』の古書を購入し、「第八章 〈探偵小説〉から〈推理小説〉へ」をこの伝言板でとりあげたのが11月14日。以来一年あまりが経過して、小林さんのフラグメントがどこへ行ったんだかさっぱりわからないという困った状態に立ち至っていたのですが、気がふれたようになりながら「Rampo Fragment」をつくってフラグメントの整理というか体系化に手を着けてみましたので、これでなんとか迷子の心配だけはなくなったのではないかと安堵される次第です。

 いわゆる経緯、縦糸と横糸という比喩を用いますならば、縦糸は『探偵小説四十年』をはじめとした乱歩の文章、横糸は乱歩以外の人物によって記された乱歩をめぐる文章、この縦横の糸を丹念周到綿密に織りなすことで鮮やかに立ち顕れてくるであろう乱歩の像こそが、何を隠そう「Rampo Fragment」のそして「江戸川乱歩年譜集成」の究極の目的であることはいまさら説明の要もないことでしょうけれど、しかし一念発起したとしてこの大願が成就されるのはいつのことになるのか。はたしてそんな日が来るのか。来ないのではないか。それを考え始めると本当に発狂してしまいそうになりますからあまり考えないようにして、当面は軽く気がふれているといった感じで試行錯誤をつづけてみたいと思います。