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2009年1月27日(火)

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1月26日 日本経済新聞社
関西ミステリーの風土(2)アマチュア精神脈々 岩沢健
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関西ミステリーの風土(2)アマチュア精神脈々

2009/01/26配信

「魔童子論争」。戦後ミステリー界にそんな“事件”の1コマが残る。

 1952年、「魔童子」を名乗る匿名の人物が、ある会報の誌上で、東京の「日本探偵作家クラブ」に属する作家の推理小説に対する考え方などを批判。名指しで攻撃された東京の作家が「匿名批評は貫禄でするもんだ」「縦の物を横にも出来ない野郎がする業じゃない」などと同誌に反論を掲載。すると魔童子は京都弁で「カンロクでするもんやていうてはるけど、そないケッタイな定理が批評学上におしたやろか」と応酬した。魔童子の正体は誰か、論議を呼んだという。

魔童子論争の舞台となった関西探偵作家クラブ会報

●作家組織48年に

 この論争の舞台になったのが、関西探偵作家クラブの会報「KTSC」だ。

 関西探偵作家クラブは48年に設立され、神戸の作家、西田政治が会長に就任。大正末、江戸川乱歩と横溝正史の運命的な出会いに同席した彼は、2人の上京後も関西に残り、戦後は関西ミステリー界の重鎮として活躍する。ある関係者は「温厚な性格の彼のもとに多くの作家が集まり、神戸の西田邸は一種のサロンのようになっていた」と振り返る。

 「同クラブのメンバーは売れる売れないにかかわらず、好きなものにこだわって書いていた。東京の作家に比べると、いい意味でもアマチュアだった」。ミステリーに詳しい武庫川女子大の倉西聡准教授は話す。

 会報「KTSC」も時に毒舌が過ぎるほど、思いのままを論じるのが売り物で、それが「魔童子」が寄稿先に選んだ理由の1つだったのかもしれない。

 関西探偵作家クラブはその後、日本探偵作家クラブ関西支部、日本推理作家協会関西支部と衣替えしていく中で、組織としての役割を終えていく。関西ミステリー界からは黒岩重吾、陳舜臣さんら人気作家も輩出したが、一方で旧関西探偵作家クラブのメンバーの多くは兼業などで作家活動を続けていった。

 「松本清張の登場で推理小説は社会派全盛になったが、そうした時流とは別に、(トリックや謎解きに重きを置く)本格ミステリーという、当時は時代から取り残された感があった小説を書いていた」と倉西准教授。

 その関西探偵作家クラブの会員作家がここ数年の間に再評価され、続々と“デビュー”を果たしている。その1人が一昨年、83歳で「離れた家」が単行本化された大阪市の山沢晴雄さん(84)だ。

 山沢さんは、大阪市水道局に勤務し、同人誌中心に小説を発表。27歳の時、有名推理小説雑誌の懸賞小説で一席に選ばれ、順調なスタートを切ったが、「おおざっぱな時代だったのか、待てど暮らせど賞金が送られてこなかった」。結局、定年まで水道局に勤め「小説は趣味で書く」道を選ぶ。複数の作家の作品を集めたアンソロジー(選集)に自作が含まれることはあったが、80を超えての単著出版に「この年齢になって本になるとは」と喜ぶ。

●読み手が支える

 戦後、関西ではミステリーの“読み手”側からも1つの団体が産声を上げる。京都市を発祥の地に、現存するミステリー愛好会としては国内最古とされる「SRの会」だ。SRとはシールド・ルームの略で「密室」の意。今は会員も全国に広がって250人を数え、会報は360号を超えた。田村良宏会長は「60年代にはすでに会員による年間ベストミステリーの選出もしていた。会報にも書きたいものを書くので、辛口になっている」と話す。

 こんな証言がある。作家、鮎川哲也が生前に書いた文章だ。「私が長編を刊行した場合に、ミスを指摘してくれる読者の95%は関西もしくはこの近辺に居住する人なのである」。そこにミステリーを丹念に読み込む関西の読者像が浮かび上がる。

 終戦後、東京がミステリーの中心軸となる中で、時代に忘れられかけながらも創作を続けた関西の“アマチュア”作家たち。そして、関西の熱心な読者。関西ミステリーの命脈はこうして保たれていくことになる。

 関西探偵作家クラブの会報に載った「魔童子」についてはその後、同クラブ所属の作家で脚本家の香住春吾が寄稿文を京都弁に直す役だったことが、山村正夫著の「推理文壇戦後史」などで明かされている。そして魔童子の正体は、東京で活躍していた「高木彬光と山田風太郎」(同)の2人だったという。
(編集委員 岩沢健)

◎小林一三も探偵小説

 阪急グループの創始者、小林一三。実は、江戸川乱歩が世に出る30年も前の1890年(明治23年)、18歳の若さでミステリー小説「練絲痕」を書き、国内初期の探偵小説の1つに位置づけられている。

 当時、実際に起こった外国人宣教師殺人を題材に、未解決事件の真相を独自の推理で小説化したもので、郷里の新聞に連載。ところが、警察が「事件の内情を知る者が書いている可能性がある」と本人や、掲載した新聞社を厳しく追及。このことで「思いがけなくとんだ迷惑をかけた次第から、その小説は9回限りで結尾にした」(小林一三著「逸翁自叙伝」)と、続稿は掲載せず、未完のまま終わらせている。

 後年、小林が支援したジャーナリスト、宮武外骨が「練絲痕」を発見し冊子化。評論家の河内厚郎氏は「ミステリー小説がほとんどなかった時代に書かれており、次に来る時代を感じ取る力を持っていたことが分かる」と驚いている。

 
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