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2009年1月20日(火)

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1月19日 日本経済新聞社
関西ミステリーの風土(1)乱歩と横溝、育み結ぶ 岩沢健
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関西ミステリーの風土(1)乱歩と横溝、育み結ぶ

2009/01/19配信

大阪府守口市の地下鉄守口駅近くに、老朽化した2階建ての木造家屋がある。

 「雨漏りが見つかったので修理しておかないと」。所有者の大野智子さん(68)は表情を曇らせる。今は住む人もない亡夫の実家。その家を大野さんが守り続けるのには理由がある。

 30年ほど前、この2階の1室が大正末に作家の江戸川乱歩の書斎だったことが分かった。乱歩はここで「D坂の殺人事件」「屋根裏の散歩者」など初期の名作を執筆。昼も薄暗いこの部屋が名探偵、明智小五郎誕生の場所だったのだ。

 三重県名張市で生まれ、東京の大学を卒業後、職を転々とした乱歩は失業し、守口に暮らす父親のもとに妻子を連れて転がり込む。その後、守口周辺で何度か住居を変えたが、大正14(1925年)年前後、住んでいた家の隣家の空き室を借りて書斎にした。

「屋根裏の散歩者」など初期の短編が書かれた乱歩の書斎(大阪府守口市八島町)

●京阪電車で着想

 大野さんは「その事実が分かった時、夫は『自分が勉強部屋に使った部屋が乱歩の書斎だったとは』と感激していた」と振り返る。乱歩が天井にある節穴を見て「屋根裏の散歩者」のトリックを思いついたと聞き「夫は大工を呼んで、天井にわざと穴を開けさせたほど」という。

 乱歩の「探偵小説四十年」などによると、守口在住当時、乱歩は京阪電車を囲む黒い柵と柵の間で、眺める角度で向こうの地面が現れたり消えたりするのを見て「D坂の殺人事件」のトリックが浮かんだという。明智探偵のモデルは大阪の寄席で見た講釈師。居住の守口で、勤め先の大阪で、乱歩は創作のアイデアを育(はぐく)んでいく。

 同じ大正期の港町・神戸。外国航路で運ばれてきた古雑誌などが市内で売られ、三宮の古本店に並んだ。その中に、中学時代から毎日のように足を運び、積まれた雑誌の中から当時探偵小説と呼ばれていた推理小説を探し回る青年がいた。後に「犬神家の一族」や「八つ墓村」で一大ブームを起こす横溝正史だ。

 「1冊1冊手にとって、ページの中から殺人とか探偵とかの英単語を探して当たりをつけていたようだ」。二松学舎大で横溝研究を進める山口直孝教授は話す。同大は現在、横溝が集めた洋雑誌のうち300冊を所有。「欄外に横溝の感想が書き込まれた雑誌もあり、丹念に読み込んでいた様子が伝わる」

●大阪モダニズム

 大正14年、春。後にミステリー界を代表する2人の人生が神戸の街で交錯する。乱歩は関西で「探偵趣味の会」の設立を計画。同好の士を募るため神戸の作家、西田政治の自宅を訪ねるが、そこに同席していたのが、横溝だった。

 当時、家業の薬局を継ぎながら半ば趣味のように小説を書いていた横溝はこの会合に大きな刺激を受ける。「この時私の運命は決定したのである。このことがなかったら……神戸で売れない薬局を経営しながら、しがない生涯を送っていたにちがいない」。横溝は後年、そう書き記している。

 翌年、専業作家を目指して上京した乱歩が、横溝を呼び寄せ、探偵小説誌「新青年」の編集者に据えた。そして、編集者横溝が、創作に行き詰まることもあった乱歩に原稿の催促をするという関係になる。

 乱歩が過ごした時期の大阪はモダニズム文化が開花した近代化の時代。文芸評論家の河内厚郎さんは「ミステリー小説は都市文学。生活にプライバシーや秘密がないと成立しない。郊外住宅の造成が早く、東京より早く職住分離が進んだ大阪は、その要素を持っていた」と指摘。「読み手となる中産階級がいち早く誕生したことも見逃せない」

 乱歩に詳しい浜田雄介・成蹊大教授は大阪の言葉に着目。「自己を相対化したり、複雑な状況や微妙な人間関係にも対応する大阪の言葉や対人関係が、探偵小説家としての乱歩の表現法を確立する一助になったのでは」と分析する。

 都市文学としての推理小説(探偵小説)に不可欠な近代都市の要素を全国に先駆けてそろえていた大阪。そして、英米の探偵小説に生で触れることができる“ 玄関口”だった神戸。関西の2つの街に育まれた2つの才能とその出会いが、日本の推理小説史を大きく動かしていくことになる。

 草創期から数多くのミステリー作家を送り出した関西。今昔の関西ミステリー事情を追った。
(編集委員 岩沢健)

川崎重工業近くの横溝正史生誕地の碑(神戸市兵庫区)

 
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