RAMPO Entry 2009
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2009年6月30日(火)

書籍
昭和のまぼろし 本音を申せば 2 小林信彦
5月10日第一刷 文藝春秋 文春文庫
A6判 カバー 296ページ 本体581円
著:小林信彦
旧版:文藝春秋 2006年4月25日
初出連載:週刊文春 2004年12月30日・2005年1月6日号−12月29日号
編集者としての江戸川乱歩
エッセイ p40−44
初出:週刊文春 2005年2月10日号

 一度整理してみなければならんな、と思っているもののひとつが折りに触れてあちらこちらに執筆された小林信彦さんによる“ぼくの乱歩体験”とでも呼ぶべき文章で、つい最近も「文學界」7月号に「夙川事件」が発表されたはかりなのですが、整理することを考えるだけでなんだか茫洋としてきてしまいますから困ったものです。
 
編集者としての江戸川乱歩

小林信彦  

 ぼくが宝石社にやとわれたのは昭和三十四年春からであり、会社の内情はすぐにわかったが、名前だけの「宝石」編集長(Aとしておこう)がいて、その上に乱歩が存在する。
 よくあることだが、Aはアルコール依存症で、しかも、それなりに世渡りはうまかった。
 「(雑誌が)売れないのは、大先生(と乱歩を呼んだ)のセンスが古いからで、ぼくも苦労するよ」
 公然とそう言っていた。
 〈江戸川乱歩〉の名が通用するのは、むしろ〈文壇作家〉に対してであり、乱歩みずから依頼に行くというと、「書くから、うちにはこないでください」と叫んだ若い芥川賞作家がいた。──そういうゴシップが面白おかしく伝わったのだろう。
 江戸川乱歩の本当の狙いは、芥川賞作家に書いてもらう、というところにはなかった。鮎川哲也を再発掘したように、戦後に登場した本格派の中堅作家(かりにCとしよう)に長篇を書いてもらう、というのが大きな狙いだった。しかし、その作家はものすごく忙しい。
 乱歩の原稿依頼は、電話、電報、葉書、手紙などでおこなわれ、Aが代行することも多かった。
 乱歩としては、Aが積極的に働くのを期待して編集長にしたのだが、そうはいかなかった。それまで軍記雑誌(太平洋戦争のことなどをとりあげる)の編集長をしていたAは推理小説を知らなかったのだ。
 ある日、乱歩はAをつれて、Cの家を訪れた。もちろん、原稿依頼のためだが、こまかいことは、その場にいなかったぼくにはわからない。
 Cは決して〈畏れ入〉ることなく、依頼を断った。これは仕方がないことだと思う。
 乱歩は複雑な心境だったにちがいない。戦前の彼は依頼を断ったり、姿を消す方でも大家であった。流行作家が断る気持を乱歩ほどわかる人もいまい。
 Cの家を出て、少し歩いたところで、Aは「先生、ことわられましたね」とニヤッとしたという。その時だけは乱歩もかっとなり、Aを突き飛ばした。
 乱歩は巨漢である。Aは吹っ飛んで、脇の溝に落ちた。
 「Aって奴は意地悪なんだよ。C君に断られて、ぼくが困惑してる姿が面白かったんだ。そういう奴だからなあ」
 のちに、ぼくにそう語った。

 
 Cという「戦後に登場した本格派の中堅作家」はいったい誰なのか、これがいまだにわかりません。
 
 文藝春秋:昭和のまぼろし
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