【え】
明治27年10月21日−昭和40年7月28日(1894−1965)
彼
しかし、彼はその亀山町で生れたのではない。同じ三重県の名張町なばりちようという、亀山よりはもっと辺鄙へんぴな小さい町で生れたのである。 |
- 初出 「ぷろふいる」昭和11年(1936)12月号
- 底本 江戸川乱歩推理文庫49『鬼の言葉』昭和63年(1988)10月、講談社/p.206
- 採録 1999年10月21日
探偵小説四十年 涙香心酔 明治三十二、三年のころ(私は六、七歳であった。生れたのは明治二十七年十月、三重県名張町。本籍は同県津市にある)、父は名古屋商業会議所の法律の方の嘱託として毎日通勤していたが、やはり宴会などが多かったのであろう、父の留守の秋の夜長を、祖母と母とが、針仕事にも飽きて、茶の間の石油ランプの下で、てんでに小説本を読んでいるようなことがよくあった。 |
- 初出 「新青年」昭和24年(1949)10月号、タイトル「探偵小説三十年/涙香心酔」
- 底本 江戸川乱歩推理文庫53『探偵小説四十年1』昭和62年(1987)12月、講談社/p.17
- 採録 1999年10月21日
ふるさと発見記
どうして五十七歳になるまで、一度も生れた土地を見舞わなかったか、自分でもふしぎなほどだが、一年余り住んだばかりで、親戚があるわけでなく、親しい友達があるわけでなく、父母も私を一度も名張町へ連れて行かなかったし、私が大人になってからは、もう父を知る人も残っていず、全く縁がなくなってしまったからであろう。 |
- 初出 「旅」昭和28年(1953)1月号
- 底本 江戸川乱歩推理文庫57『わが夢と真実』昭和63年(1988)12月、講談社/p.19
- 採録 1999年10月21日
三重風土記
話をもとに戻して、私の生れた名張町は、その松阪を二廻りも小さくした、古くて可愛らしい町。町の一方に、美しい川が流れ、その岸に自然の石を集めて洗濯場が出来ている。私の家はその川に近かったので、母は毎日そこへ洗濯に行ったという。町の中にも、往来に沿って、すき通った水の一間ほどの溝川が流れている。京都のぽんと町にも似たような小川が流れていたが、あれよりも清冽な水だ。名張には関西風の丹塗りの格子の家がまだ残っているし、造り酒屋の軒には江戸時代の名残りの杉玉の看板が下っている。 |
- 初出 「小説新潮」昭和28年(1953)5月号
- 底本 江戸川乱歩推理文庫60『うつし世は夢』昭和62年(1987)9月、講談社/p.97−98
- 採録 1999年10月21日
名張・鳥羽・津
私は明治二十七年に伊賀の名張で生れた。父が郡役所に勤めていた時で、間もなく亀山に転勤したので、私は生れた土地の記憶を全く持たなかったのだが、戦後、川崎秀二君の選挙応援に行って、はじめて生れた町を見た。名張は町の中にほそい清流があったりして古色愛すべきふるさとであった。 |
- 初出 「日本経済新聞」昭和30年(1955)1月7日号
- 底本 江戸川乱歩推理文庫60『うつし世は夢』昭和62年(1987)9月、講談社/p.124
- 採録 1999年10月21日
生誕碑除幕式
発起人の中でも最も熱心に万事の世話をしてくれたのは、名張市で一番古い本屋の主人、岡村繁次郎さんで、この人からしばしば文通があり、碑の石が選定されると、その大きさを図解して、表面に土地の書家に揮毫を乞うて「江戸川乱歩生誕地」とたてに彫るから、その上部に横に「幻影城」と大きな字で書いてくれ。又、碑の裏面に私の好きな句を入れたいということで、それを書いて送った。句の方は、このごろ色紙を出されると、よく書くことにしている「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと」という言葉にした。 |
- 初出 「宝石」昭和31年(1956)1月号、タイトル「探偵小説三十年/祖先と古里の発見──生誕碑除幕式のこと」
- 底本 『わが夢と真実』復刻版、平成6年(1994)4月、東京創元社/p.299
- 採録 1999年10月21日
●参照 【あ】鮎川哲也「戌神はなにを見たか」
二銭銅貨
発起人筆頭の書店主岡村繁次郎さんは私と同年輩だが、昔、田山花袋の「名張少女おとめ」という小説を単行本にして同書店から出版したこともあり、なかなか企画性のある人で、私の碑が建ったのを機会に、同地の菓子屋さんに名張名物、乱歩せんべい「二銭銅貨」というものを製造販売させ、除幕式の参列者にこれをお土産として出したし、駅の売店でも売らせることにした。私は昔とちがってそういうことをいやがらぬ性格に変っている。東京でも新橋と須田町に「乱歩」というバーができているくらいだから、「乱歩せんべい」にも別に苦情は云わなかった。 |
- 初出 「新装」昭和31年(1956)新春号
- 底本 『わが夢と真実』復刻版、平成6年(1994)4月、東京創元社/p.305−306
- 採録 1999年10月21日
●参照 【た】田山花袋「名張少女」
ふるさとの記
名張なばりは万葉集にもよまれているが、その頃は「隠野」と書かれ、これをナバリノと訓よみ後にはカクレノとも訓んでいたらしい。 |
- 初出 「真珠」19号、昭和31年(1956)7月
- 底本 江戸川乱歩推理文庫60『うつし世は夢』昭和62年(1987)9月、講談社/p.154−155
- 採録 1999年10月21日
東京名張人会
昨三十一年二月、新橋駅楼上で、初の在京名張人会が開かれ、私も出席したが、たしか二十名ほどの出席者があつたように記憶する。世話役に葛飾区でボールト工場を経営しておられる大森正夫さんと、神田区で丸芝電機という卸店を開いておられる松岡孝夫さんで、主として名張の小・中学校卒業生名簿によつて、在京名張人をさがし、当日は在京者名簿ができていて、出席者に配布されたが、それには五十人ほどの住所姓名がのつていた。 |
- 初出・底本 「伊和新聞」昭和32年(1957)1月1日号
- 採録 1999年10月21日
七十年前の父の写真
関西法律学校の創立は明治十九年、第一回卒業生を出したのが明治二十二年、今からちょうど七十年前である。それから父が三重県名張町(今の名張市)の郡役所に就職したのが、私の生れる前年、明治二十六年だから、卒業から四年ほどは、関西法律学校に残って勉強していたらしく思われる。法律学者になるつもりだったか、或いは高文とか弁護士試験とかを受けるつもりであったか、よくわからないが、ともかく学校にとどまっていたらしいのである。 |
- 初出 「きょうと」7号、昭和32年(1957)4月
- 底本 江戸川乱歩推理文庫60『うつし世は夢』昭和62年(1987)9月、講談社/p.181−182
- 採録 1999年10月21日
父母のこと
しかし、一人で国に待っている祖母は、父が卒業しても帰ってこないので、淋しさから癪をおぼえ、絶えずその発作がおこるようになったので、父は仕方なく学業を抛なげうって、就職をして祖母と同居する決心をし、同じ三重県の名張〔なばり〕町(今日名張市)にあった名賀郡の書記を拝命した。それは卒業後三年を経た明治二十五年のことであったと思う。そして、翌二十六年には妻をめとっている。これも祖母の懇請によったものであろう。 |
- 初出 『わが夢と真実』昭和32年(1957)8月、東京創元社
- 底本 『わが夢と真実』復刻版、平成6年(1994)4月、東京創元社/p.30
- 採録 1999年10月21日
年賀状
名張市へは昭和三十年に私の生誕碑を建てて下さったおり、津市へは三十一年、三重クラブ発会式におじゃまして以来ごぶさたになっております。 |
- 初出・底本 「毎日新聞」三重版、昭和33年(1958)1月5日号
- 採録 1999年10月21日
名古屋と探偵小説
私の本籍と菩提寺は三重県津市にあるし、生れたのは三重県名張市だが、三歳から熱田中学を出るまで名古屋に住んでいたのだから、名古屋の方が故郷みたいなものである。この事実も名古屋と探偵小説の関係の一つとして算えられるであろう。 |
- 初出 「寸鉄」昭和33年(1958)10月号
- 底本 江戸川乱歩推理文庫60『うつし世は夢』昭和62年(1987)9月、講談社/p.238−239
- 採録 1999年10月21日
名張
名張市の付近には名所が多い。赤目四十八滝は、滝の多い紅葉の名所だが、季節には名古屋、大阪からの遊覧客が多くて、ゴッタ返すのが興ざめだ。やはり近くの香落渓こおちだには余り混雑しないし、その雄大な風景は比類がない。えんえん二里もつづく山峡と渓流、両側に屹立する岩山は満山朱に染まる紅葉である。 |
- 初出 「週刊読書人」昭和34年(1959)5月18日号
- 底本 江戸川乱歩推理文庫60『うつし世は夢』昭和62年(1987)9月、講談社/p.249
- 採録 1999年10月21日
ふるさとへの年賀状
伊勢湾台風の被害は大変なもので、お気の毒に思います。名張の町が、あの静かで、きれいだった名張川の泥で、非常な被害をうけたことを、北田名張市長さんから写真で説明してもらいました。その泥を、自衛隊員や高校生らが奉仕して、とり除いてくれたという美しい話に感激したものです。 |
- 初出 「朝日新聞」昭和35年(1960)1月9日号、タイトル「なつかしい坂手島」
- 底本 江戸川乱歩推理文庫60『うつし世は夢』昭和62年(1987)9月、講談社/p.258
- 採録 1999年10月21日
赤目四十八滝
紅葉のころで、満目の錦の中を、四十八も滝のある曲りくねった渓谷を、流れに沿って登って行く。あるときは堂々と空に懸る瀑布となり、あるときは瀬を早めてうずまく急湍たんとなり、それが二本となり、三本と分かれ、落ちると見るや、たちまち別の滝となってしぶき、泡立ち、湧き返える。見る人は先ず滝にさからって登り、帰途は幾階層とも知れぬ大小の滝の数珠つなぎに歩度を合わせる。静まり返った深淵には満山のもみじを写し早瀬も錦の色に染み、もつれ下る滝つ瀬は、時に赤く、時に青く、時に白く、目もあやに反転する鏡のようである。 |
- 初出 「NHK」1巻7号、昭和35年(1960)8月
- 底本 江戸川乱歩推理文庫60『うつし世は夢』昭和62年(1987)9月、講談社/p.276
- 採録 1999年10月21日
名張あれこれ
思い出してみると、この数年間に、名張市にもいろいろなことがあった。一番大きな出来事は、大出水の被害であろう。あのとき北田市長さんが、主務官庁へ陳情のため上京せられたので、私はホテルにお訪ねして、被害の様子を詳しく伺ったが、前記の私が知っている方々は大部分被害者でたいへんな御苦労だったことと思う。私はお見舞状をさしあげたばかりで、親しく御伺いもしなかったが、今では完全に復旧しているのであろう。その復興の模様もまだ見ていないのである。 |
- 初出・底本 「伊和新聞」昭和36年(1961)1月1日号
- 採録 1999年10月21日