昭和15年− (1940− )
名張
すこし行くと古風な通りにきた。軒に杉玉をつるしたのは造り酒屋だろう。板金細工の仕事場。「ゆ」とガラス戸に赤い字の浮いているのは銭湯の玉の湯。いかなるいわれがあるのか、「八十八才」と書いてペタリと手形を捺した紙が、べんがら格子の上に貼りついてある。ためしにわが掌をかさねてみると、ご当主よりひとまわり大きい。 |
- 初出 不詳
- 底本 『いまは山中 いまは浜』平成10年(1998)2月、岩波書店/p.40
- 採録 2003年9月14日
昭和6年− (1931− )
中世史を考える──社会論・史料論・都市論 1 中世社会論の地平 五 『中世的世界』と石母田史学の形成 2 『中世的世界の形成』 さて『中世的世界の形成』の内容ですが、最初の問題は、何故それが黒田荘でなければならなかったのか、です。初版の序には「無数の庄園のなかで関係古文書のもっとも豊富な庄園の一つであり、かつ平安時代から室町時代までの長い時代を生きつづけた」から、と記されていますが、果たしてそれだけでしょうか。先生に質問した時には、言下に「それは黒田悪党ですよ」と言われました。「悪党には古代的世界の没落の表現として興味をもちました。黒田悪党といえば、当時の悪党研究の代表的事例でしたからね」とのことでした。たしかに本書の第四章、黒田悪党のみで全体の半ば近い頁数を占めているところからも、悪党に対する強い興味が推察されます。 |
- 初出 「『中世的世界』と石母田史学の形成」は「歴史学研究」556号、昭和61年(1986)7月、タイトル「『中世的世界の形成』と私」
- 底本 『中世史を考える──社会論・史料論・都市論』平成3年(1991)6月、校倉書房/p.137−138
- 採録 2001年1月23日
●参照 【い】石母田正「中世的世界の形成」
大正元年9月9日−昭和61年1月18日(1912−1986)
中世的世界の形成 伊賀いが国名張なばり郡に平安時代の中葉、藤原実遠ふじわらさねとおというこの国に比肩する者のない大領主がいた。この長者については彼が遺した一通の財産目録の外に二、三の断片的な記録と農民が伝えた言伝えが知られているに過ぎないのであるが、この地方の歴史はこの長者の叙述から始めなければならない。それは彼以前のこの地方の歴史が確実にはほとんど知られていないという理由からばかりでなく、彼が平安時代という農村の歴史において変動の多かった時代を体現しているからである。藤原実遠の所領の全貌は一〇五六年(天喜四)、彼がその養子信良のぷよしに与えた譲状ゆずりじように示されているが、それに記されている所領目録によれば、彼が先祖相伝の所領として領掌せる土地は左の如きものであった。 |
- 初出 『中世的世界の形成』昭和21年(1946)6月、伊藤書店
- 底本 『中世的世界の形成』岩波文庫、昭和60年(1985)9月、岩波書店/p.21
- 採録 1999年10月21日