麦草岳西面 麦草稜 '73.10
別山岩場  '73の良く晴れた晩秋、上松から入山。麦草稜に取付くには大崩谷を遡らないといけない。これが、ほとんど丸一日かかるアルバイトだった。(>写真) 最近の情報では、F10は完全に岩石に埋まっていると聞くが、この当時はハーケンが連打されていて、荷物を担ぐと10m足らずだが苦しい登攀をさせられた。
1日目は、大崩谷を経て稜の取付きから1ピッチ登った下部岩壁下の大テラスで気楽なビバーク。
翌日、下部岩壁は右端のルンゼから捲き、上部岩壁の右リッジを登ろうとしたが、取付きでうかつにかけた足場が崩れ、左指負傷。自分の不注意を嘆くがあとの祭り。左手薬指を包帯でグルグル巻きにして。上部岩壁のノーマルルートを越える。ロープ操作が辛かった。最後の頭へは、脆い左リッジの直上を試みたが、悪いことは重なるもので、ここでもいいかげんに打ったハーケンがスッポ抜け、みごと墜落。上部岩壁の垂壁上端のハイ松をかろうじて掴んで事なきを得た。
別山岩場 パートナーのHは瞬間、共連れの墜死を覚悟したという。私は数秒失神、墜落中の記憶はあるような、ないような。パートナーによると、壁側を向いて、必至で何か手がかりを掴もうともがいていたということだ。あそこに一本のハイマツがなければ、パートナーともども、今頃は草葉の陰の身なのだ。最終的に上部岩壁は左リッジ裏のルンゼへ20mのアプザイレンで巻いて通過した。手の傷がズキズキ痛んだ。ここから稜は脆い積み石のような所が続いたが、技術的には問題なかった。
 上松への道を下り、駅前のお医者さんに傷口を縫ってもらった。包帯が血でカチカチに固まって、外すのが大変痛かった。30年後もいまだに傷跡は残っている。
麦草稜下部岩壁
別山岩場  自分の不注意が原因で、えらくパートナーには迷惑をかけた山行となってしまったが、これも今となっては笑い話だ。

 10年程後、仲間のNと冬に入った。天候に恵まれ、同じルートを楽しく辿ることができたが、帰りは前岳へ抜ける予定を、ガスの中で過って木曽福島のスキー場へ下ると言う、人に言うのも恥ずかしい失敗をしてしまった。(この冬山では、わりと良い写真が撮れたのだが、紛失してしまったのが残念。なくしたものほど....、というものね。)

麦草稜上部岩壁。右下から左上し、左の稜線へ出る