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江美国境横山岳の網谷に、登山道が開かれていなかったころの、それはそれは昔の話である。 夏山が終わり、カネはないが時間だけは腐る程あった私は、後輩のMを誘って横山岳の網谷を登ることにした。 |
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杉野の村の灯りだけを頼りに、暗闇のコエチ谷を、体で地形を確かめながら下降した。初めての谷を下るのに、闇夜でランプも持たずというのは、情けないものだ。死にたくはないが、どうにでもなれという気になった。この時の我々の格好、濡れ鼠の泥まみれは、あたかもニューギニア原住民の戦化粧にも似ていただろう。平地で見れば少なくとも大笑いの種くらいにはなったことは確実だ。 とにもかくにも、ほうほうの体で無事杉野の村にたどりついたが、このとき林道でMに、「このことはくれぐれも内密にな!」と釘を刺すことだけは忘れなかった。 当然のことながら木之本行きの最終バスはとっくの昔に出た後だった訳で、村の親切な家に泣きついて泊めてもらった。泥どろの学生を泊めてくれた杉野さんお変わりありませんか?その節はお世話になりました。 翌日も良く晴れた日だったが、朝から我々の心は晴れなかった。装備を調べると、大事な物を無くしていたことが判明したのだ。部で買ったばかりの「高価なナイロンザイル」だ。ザックの上に括り付けたままで、あわてて下りはじめたからだ。当然残りの夏休みは、 Mとともにザイルの弁償のためのバイトに露と消えた。 これ以降、夏の薮山は私にとってトラウマとなったのです。だからいまだに、暑い時期に横山岳へ登る人の気がしれません。 |
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