山の怪我
--左手中指脱臼、靱帯断裂てん末記--

 山での怪我は、あってはならないが、絶対に怪我しなくてすむ、という保証はどこにもない。布団の中で寝ているわけではない、相手は大きな自然なのだ。

 怪我をした時の準備や心構えは常に忘れてはならない。年令が高くなるほど、怪我や事故からのダメージは物理的にも心理的にも大きくなりがちだ。おまけに、警察の山岳事故の統計が物語るとおり、発生の頻度もまた、年令にともなって高くなる。昨年初冬、鈴鹿で怪我をした体験からは、自分なりに少しは得るものもあった。より自立した山歩きのために、どなたかの役に立つかも知れないと思い、恥ずかしい経験を報告しようと思う。

 指の怪我といえば、今も傷あとがのこる30年以上前の、秋の中央アルプス麦草稜でやった怪我を思い出す。今回は、そのすぐ隣の指の話だ。


事故

 鈴鹿の南部、仙ヶ岳の西側、田村川左岸にある長い林道を下っていた。林道の下り勾配が急になり、下りついたその先に、この谷唯一の橋がかかっていて、道は右岸に渡っている。コンクリートでできたコンケイブな形状の橋に、一歩踏み込んだその瞬間、私の体は宙を舞っていた。左手が体を庇って先に着地した。と感じたその一瞬、手先に何か壊れた感触が走った。

 コンクリート橋の上に倒れ込んだまま手のひらを見た。手の甲側を見ているのかと目を疑う。中指が第二関節から、手の甲側と小指側へ45度くらいヘシ曲がっていた。しばらく自分の手がどうなっているのか理解するのに時間がかかった。そして、「あー、やっちゃったな、まるでマンガやってる!」と心の中でつぶやく。もう、中指はダメかもしれないと思った。
 落ち着け、といくらじぶんに言い聞かせても、心臓が早鐘を打つ。もう一度手を見る。手のひら側の関節の部分の皮膚は、骨の圧迫を受けて、真っ白になっている。今にも骨が皮膚を突き破って飛び出しそうだ。泣きたい気持ちだが、誰もそばにはいないからやめた。橋の手前まで、時間が引き戻せるものなら、とバカな考えが心をよぎる。どこまで能天気なんだ。

 じぶんにしてみれば、破滅的な形になってしまった指を右手で強く握り、肘の脱臼を直すように復旧できないか、試してみる。しかし、骨の状態がわからないので、強く引っ張れない。何度元の位置に納めようとあがいても、指は無情に逆方向に折れ曲がったままだ。ええいくそ、言うこときかんやっちゃ!
 とりあえず、車へ戻って包帯を巻こう、当て木をすれば元に戻るかもしれない。

 その後の林道歩きは地獄だった。もう遅い紅葉も目にはいらない。車へ戻り、乾いた軍手があったので、それで中指とその両側の指を一緒にしてグルグル巻きにしてテープで固定する。外側をしっかりした紙で何重にも巻いて、これもテープでとめる。そうすると、ようやくパニック状態からすこし脱したようだった。タバコを一本吸う。味は感じないが、とにかく落ち着く。濡れた雨具を脱ぐ。靴をはきかえる。脱ぐのはできるが、乾いた靴の紐は結べない。時計を見る。15時15分すぎだった。逆算すると、転倒は15時前後ということになる。

左:事故当日のレントゲン写真。ううむ、プラモデルの壊れたのを見てるようだ
病院へ

 車を走らせる。好きになれないオートマチック車だが、今ほど、オートマチック車をありがたいと思うことはかってない。ユニバーサルデザインだったんだ、ATは。

 林道を走らせながら気ぜわしく考える。近くの病院を探さなければならない。最寄りの町は土山だったな。病院のありかを知らないな。こんなことなら、登山口近くの病院をデータベースにしときゃよかった。手が不自由なので、電話しにくいな・・・。また、とりとめもなく、埒もない考えが頭を占める。どこへ行くか決めなければ。

 ...自宅まで車で1時間だな。受け付けてくれる病院を探すのに手間取るくらいなら、名張の病院に駆け込む方が早い。そうしよう、名張へ帰ろう。そう決めるのに、5分ほど迷った。

 自宅から近所の友人に送られて市民病院に駆け込んだ。日曜とあって、救急窓口には患者が並んでいる。ベンチに座り、順番を待つ。緊張がほぐれてゆくと、指がズキズキ痛み出す。二時間くらい待たされたあと、包帯をほどいた医師は、「おおっ、こいつはどえらく曲がっているな。すぐに整形の先生を呼び出すように」、と助手に指示する。珍しくひどい脱臼らしいが、どうやら脱臼と靱帯損傷だけで済んだようだ。指を失うことはない。私はひとまず、ほっと胸をなでおろす。
 レントゲンなどを撮り、治療を受け、病院を出たのは19時を過ぎていた。家へ戻り、ありあわせのもので遅い夕食をとっていると、連れ合いが奈良であったコンサートから戻ってきた。「山を何年もやっていて、林道で怪我だって! ちょっと恥ずかしいね」なんて、傷ついた心に追い討ちをかけてくれる。しかしとにかく、いろいろな人に迷惑をかけた1日が終わった。

怪我の状態

 医師の説明によると、怪我の結果は、左手中指脱臼、および第二関節部分の靱帯の骨との接合部分の剥離(部分的骨折ふくむ)断裂ということだった。脱臼はすぐにもとの形に戻ったが、靱帯は接合手術が必要かどうかは、接合するにしてもしないにしても完全な復旧は望めないので微妙だ、個人の判断による、ということだった。大いに迷ってしまう。判断の時限は、靱帯周辺が固定しはじめる2週間程度らしい。
 「あのう、岩登りもたまにはしたいのですが...」、と言うと、「あんたねえ、こんな怪我してそれはないでしょ」と、医師は目で語る。翌日、整形外科医である連れ合いの弟にも相談し、私は手術しないことに決めた。ハードな山へ行くには補装具が必要になる。ゆっくり、症状の回復をみながら、自作することにしよう。
 まあ、現状完全回復は無理ですが、がんばってリハビリすることですね、骨は浮いたままだってこと、忘れちゃいけませんよ。医師の言葉の真の意味を思い知るのは、リハビリを開始してからだった。

 事故当日の状況は以上のとおりだ。山仲間の誰から見ても、軽はずみな事故というしかない。私もそれを認めざるをえない。何と言ってもそれは林道で起こったのだ。恥ずかしくて、秘密にできるなら、そうしたいくらいだ。腫れ上がった指が、それを許してはくれないけれど...。

転倒の原因

1 気のゆるみ
 山での転倒はしばしばあることだ。いくら転倒してはならないと言い聞かせても、するものはする。そうすると、「何処でするか」が問題である。一般に、かなり傾斜の強い斜面や痩せ尾根、では転倒はしないものだ。充分注意を払って歩くからだ。転倒は、するはずがない、と(本人が)思う、林道や普通のハイキング道で起こる。その状況によっては、今回の怪我のようなことになってしまう。打ち所が悪ければ、生命の危険もある。高齢者は特に、下りで起こりやすい。以前、夏の笠の穴毛谷の下りで、同行のTさんが、疲れから下りの河原歩きで転倒、頭部に何針も縫う怪我をさせてしまった経験を持っている。私も同じ目にあったというわけだ。
 次に「やっちゃったあと、どうするか」ということがある。あわてて次の事故につながってしまってはならない。起きてはならない、と考えるよりも、いつでも起きると、常に考えていることが、なにより大事だ。

2 路面の状況
 田村川の林道は、一度だけ本流をまたいでいる。瀬戸谷の下流、500mくらいの所だ。この橋は、いわゆる沈下橋というやつで、増水すると水流の下になって、流木による流失を防いでいる。しかし、 普通クルマはここを渡らないで、下流の河原の平たん部を直接徒渉している。クルマが渡らない理由は、橋と路面の境界の、入る角度と抜け出す角度が急だからだ。使われない橋。そのことを知ってはいたが、その時私は、全く注意していなかった。重大な私のミスだ。
 コンクリート打ち放しの濡れた橋の路面。コンクリート表面は滑り止め処理されていない。表面は濡れてヌルヌルになっていた。一歩踏み込んだとたん、まるで空中に放り出された様に思われた。気の弛みは、路面に対する注意も失わせていた。

3 持ち物
 小雨が昼前、田村川の枝沢を登っている時から降っていた。にもかかわらず、喉が渇いていたので、林道ではお茶のペットボトルを左手につまんで持ちながら歩いていた。これが指の怪我の決定的な要因になった。転倒の瞬間、手から離れたそれが、怪我をした指に引っ掛かった。おかげで、中指は逆方向になったままで、私の全体重を受け止めた。逆方向に折れ曲がるのは当然の結果だ。手に不要な物をもって歩かない。これも鉄則だ。

4 その他大事なこと
 事故のあと、車を運転しながら考えた。これが自宅から1時間の場所でなかったらどうしただろう、と。さぞかし救急患者を引き受けてくれる病院を探すのに難儀したことだろう。事故は絶対起こさない、という「ありえない幻想」が私を支配していたことを正直に告白しておこう。登山口に最も近い病院を、何も起こらなくても事前に確認しておくこと。特に単独で、誰の助けも得られない行動の場合は、このことは大変重要なことだと思う。

リハビリ(結びにかえて)

 今(1月初旬)は手が冷える。怪我の指の冷えは痛みを伴うので、ミトンを着けている。時折、マッサージして冷えを防いでいるが、何かの拍子に指を引っ張る方向に力が加わると、件の第二関節は、まるでゴムだけで止められているように、グニャリとした感じがする。そのたび、おお、指が浮いている!と実感する。怪我のあと、まるまる一月半経過してから、指の本格的なリハビリ訓練を開始した。39度のお湯がジェット噴射するバスに10分間手をつけて、手の冷えを取り除いてから訓練をする。初回の計測では、握力は右手の半分になってしまっていた。PTの指示に従って関節を曲げて筋肉の力をつけてゆくのだが、とにかく痛い。怪我をした直後よりも痛いくらいだ。これが「気の弛み」の招いた結果だ。
 リハビリの目指す先は長い。靱帯を失った関節を持つ指と、気長に付き合っていくしかない。年令が高くなると、治りも遅いことだもの。

 付け加えておくと、怪我のあと約1ヶ月で冬山の時期になった。仲間に無理を言って、西穂高の西尾根に行くことにしてもらった。縫製技術者のKさんは、中指とその両隣3本指だけを分けて装着できるオリジナルの手袋を作ってくれた。嬉しい。特に急斜面で厳しいヤブ漕ぎなどする場合には、重宝するものだ。大事に使わせてもらおう。
 西尾根の結果は、ラッセルが思ったよりも深く、ジャンクションピークまでにも達しなかったが、リハビリ事始めとしては、明るい光が見えた気がする。まだまだ、山スキーができるほど、とは思えないが、仲間に助けられながら、だんだん壊れた指との付き合い方を学んでいることを報告しておきたい。 ('04.1.17記)

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