金つなぎの会について 金つなぎ

金つなぎの会って? 金つなぎのたからもの 会のあゆみ
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会の宝ものは、会旗、五つの理念を染め抜いた理念旗、「きっと良くなる」の色紙、桜花散らしの専用封筒、ピンクのハッピ、四国霊場第6番温泉山安楽寺の湯殿に奉納した「癒しの陶額」(レプ リカ)、第26番龍頭山金剛頂寺に奉納した「がん封じ乃椿」の碑(レプリカ)など、多彩です。

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金(きん)継ぎの茶碗
松阪市 鈴木氏蔵
古来から重用された陶茶碗にひびが入った場合、金で繋(つな)いで復元する技法が今に伝えられています。金(きん)継ぎまたは金繕(づくろ)いの技法と称し、その技法をもって復元された金継ぎ茶碗、または金繕いの茶碗と呼ばれた古伊万里や古九谷、高麗・李朝など渡来の器は、以前にも増してその骨董価値が高まったといわれています。

ところで、“金つなぎの茶碗"とは、がんなどの大病を病んで心身に傷を負った患者を称した言葉で、病んだ心身を繕ってくれた近代医学をはじめ、医師、看護婦、家族、友人・知人を“金"になぞらえ、ただし金継ぎを名乗るのは僣越と考え、「金つなぎの茶碗」を自称した、金つなぎの会代表・広野光子さんの造語なのです。

その後、大病の患者たちが金つなぎの茶碗を自称しはじめ、今では、体にメスを入れた大病患者たちの代名詞となっています。


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会旗
H7年11月、伊勢志摩/鳥羽の海山の気に包まれて心身の免疫力を高めようと企画された1泊2日の旅−。参加した病友を先導したのが、ピンクの地色に紺色で「金つなぎの会」と染め抜いた旗でした。

住井エイ理事から寄贈されたもので、この後も旗は、例会や旅行のたびに病友の目印や先達となって喜ばれ、以後カンパを募って、もう1本同じ旗を作り現在は広野代表と住井理事がそれぞれ保管しています。


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理念旗
病友たちの心の拠り処としてH8年4月に制定された「金つなぎ五つの理念」を染め抜いた理念旗は、病友の南村香世子さんから寄贈され、揮毫は、小林幸子理事が腕を奮ってくださいました。

理念のひとつ、「がんを恐れず侮らず」の“侮"が“悔"になっているのは、当時「このままがんに侵されて死ぬのは悔しい」という広野代表の心中を、敢えて悔の字を充てることで代弁したそうです。理念旗は会活動の都度掲げられますので、一度確認してみてください。


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ピンクのハッピ

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※写真をクリックすると拡大表示されます。
大正年間、時の東京市長・尾崎咢堂(行雄)からアメリカ・ワシントン特別市に贈られ、ポトマック河畔に植栽された桜木を激励し、私たちもまた桜花に励まされたいと願う金つなぎふれあいツア-は、H8年4月、45人の病友の参加を得て催行されました。
この時、病友たちが嬉々として着用し共に海を渡ったのが、ピンクの色も鮮やかな金つなぎのはっぴ。日本の祭りの第一礼装にして元気にがんと闘う病友の心意気の象徴です。
ポトマック河畔では、抜けるような青空の下、はっぴを身に纏った広野代表がNBCテレビの取材を受け、「日本から、元気ながん患者がやって来た!」と全米にニュ-ス報道され、病友のはっぴ姿はアメリカの皆さんに大歓迎されたのでした。
以来このはっぴは、会活動の度に病友を守り続けてくれています。
デザインはデザイナ-の西田正義さんが、広野代表と末廣和子さん(金つなぎの会理事、故人)の要望をすべて盛り込み、病友の高橋呉服店主・高橋日出子さんが京都の染屋さんとの交渉を担当、そして理事の吉原敦子さんと同住井エイさんが販売の管理と雑事を引き受けてくださいました。ピンクのハッピを着用した皆さんは、「病友に喜んでもらって個々の免疫力を上げる」ことを自らの喜びとして、ボランティアしてくださっています。 感謝。

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桜花散らしの封筒
H7年9月、機関紙「季刊・金つなぎ」を創刊。広野代表が当時連載していたがん闘病記「金つなぎの茶碗~がん闘病3年記」(産経新聞朝刊)の呼びかけに応じた読者会員450人に発 送したところ、大阪市浅井昭輝子さんが鮮やかなピンクの地色に銀の桜花を散らした別注の封筒をプレゼントしてくださいました。“お金も体もボランティア"のわが会のこととして、ハトロン紙にゴム印を押した粗末な封筒で創刊号をお届けした次第だったので、と てもうれしく有り難いプレゼントとなりました。
病友たちは事務局への返信のおり、この封筒に上紙を張ったり、白封筒やハガキに銀色の桜花を切り張りしたりして、再利用してくださっています。

H13年2月、浅井さんから新たに1万通の封筒が贈られました。「季刊・金つなぎ」12号からの発送に使わせていただきます。
ほんとうに、有り難うございます。


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「きっと良くなる」の色紙
増本幾太郎さん書
H8年初冬に逝去された会創設メンバ-の理事・増本康子さんは、生前、夫君の幾太郎さんから「きっと良くなる必ず良くなる」 の色紙を贈られ、頑張って闘病しておられました。

この言葉を「季刊・金つなぎ」紙上で紹介したら、病友の故・祥子さんから「それはエミ-ル・クエの詩ですよ」と知らせがありました。この力強い励ましの言葉は病友のみならず、報道ジャ-ナリスト方のお心にも届き、NHK津放送局報道部とテレビ大阪報道部が、奇しくも同じタイトル「きっと良くなる必ず良くなる」で、私たち闘うがん患者の日常を過不足なく紹介。病友たちは映像による大きな大きな励ましを頂いたのでした。


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安楽寺に納まった癒しの陶額
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H12年4月。会創設5周年記念事業として、四国88か所の第6番温泉山安楽寺湯殿に「癒しの陶額」を、第26番龍頭山金剛頂寺に「がん封じ乃椿」の陶板を、それぞれ奉納。品格ある 青白磁は、今も両寺を巡拝する病友たちに喜ばれています。
この事業はH8年4月、余命半年の覚悟を胸に広野代表が四国霊場を巡拝し、第26番金剛頂寺でがん封じの椿を見つけたことに由来します。
制作者は“青白磁の作家”角谷英明さん(日本伝統工芸展入賞作家、人間国宝・故角谷一圭さんの3男)。この作品のレプリカが、角谷さんから会に寄贈されされました。レプリカは、広野代表宅に保管されていますが、H12年12月のふれあいクリスマスの会場で病友に披露され、大きな感動を呼びました。このパ-ティ-には角谷さんも出席され、病友の免疫力向上に一役買ってくださいました。

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金つなぎの会には、2つの会歌があります。
H9年、当時神戸でライブ活動をしておられた若きヴォーカリスト、上新功祐(かみしん・こうすけ)さんから、{きっと良くなる必ず良くなる〜希望の光}が贈られました。リリカルロック(ロック調の叙情歌)の力づよい歌、聴いていると生きる勇気が湧いてきます。

コソボ難民の支援活動などで知られる優しくパワフルなアーテイスト、ジェシカ(ジェシー&とっちゃん) からは、聴くたびに心身ともに癒される 「生まれた日のように}のプレゼントが。

会活動の度に歌い継がれている2つの素晴らしい歌。北海道ツアーのバスガイドさんは、一緒に歌って感激の涙を流してくださいました。

上新さんとジェシカさんをご紹介くださったのは、神戸のボランティア 、山根恵美子さん。心から御礼を申し上げます。


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  童話作家の脇谷みどりさんから、童話「魔女}と「おたまの花かんざし」 が贈られました。

献身と捨身の美しさ,すばらしさが、優しい筆致のなかにこめられています。

ふれあいクリスマス、ふれあいサマークリスマスの席上、ジェシカさんの朗読により披露されました。

脇谷さんと金つなぎの会を繋いでくださった山根恵美子さんに、深く感謝いたします。



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