光子の日々是好日 金つなぎ

 2月9日(金) 孫の入院(その2)   夜の冷え込み、なお、厳し
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幼児用のベッドにばぁばが寝て
ばぁばの上に孫が寝て……
a.m8:00、清恵会病院に出向く。
直径3センチほどの孫の腕に点滴のステーションが開かれ、解熱消炎剤を送り込んでいるらしい。痛々しいその姿がふびんで正視に耐えない。
自分が子育てに夢中のころは、ふびんという感情がよく分からなかった。「痛いことも、あなたのため。つらいことも辛抱、辛抱」。未熟な母の厳しい躾に、息子たち、よくついてきてくれたね、とこの頃では、ふたりの息子に感謝の念さえ覚える私である。

昨夜はほとんど寝てないというカミさんと、息子を休養のため家に帰して、「はるちゃん、ばぁばですよ」と孫に声をかけたら、薄目を開けて、「うぇぇえん、えぇん」と力なく泣く。

「大丈夫、大丈夫!きっと良くなる、必ず良くなる!」、病友がたに言うのと同じ言葉をかけながら、小児科の小さなベッドにそっと体をすべり込ませ、お腹の上に孫を乗せ、子守歌を歌う

モーツァルト、ブラームスに始まって、ジョスランの子守歌。西洋の歌が終わったら、五木の子守歌、島原の子守歌、美智子皇后様の子守歌から俗謡に至る日本の歌。知っている限りの子守歌を歌いながら、お尻を軽く叩いてやる。島原の子守歌と美智子皇后さまの子守歌が特にお気に入りのようで、今日も、二巡目のこの辺りで軽い寝息を立てだした。

いつも、この子を寝かせるときは、おんぶをして、子守歌をエンドレステープを回すように歌いながら、息子の家の回りを散歩する私である。
「やめてよ。あなたのイメージが崩れるわ」と、友人や息子たちには不評を買っているが、孫をおんぶして眠らせることに喜びを感じるのだから仕方がない。そのことが、私の心の安らぎにつながり、ひいては免疫力を上げてくれる。人は誰も、子を生み育て、やがて老いに向かい、死を迎える。それが、人間に与えられた自然の在り方でなくて何であるか。
「生む自由、生まない権利」。なんと、むなしく思い上がった言葉だろう。私に娘がいて、亡夫が健在であったなら、即座に張り倒されるであろう、わが家は、そんな家庭である。

それにしても、これらの言葉が内蔵する現代社会の危うさ。
おんなの自立、男女共同の社会参画など、言葉と概念だけが先行することのないように、この子がおとなになったとき、のびやかに安らかに生きられる、そんな時代をつくって行くことが、私たちの役目であろう、などと思う。

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