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2004年2月
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●2月1日(日)
1月30日付朝日新聞名古屋本社発行版夕刊に「“不健全派”不木に光」という記事が掲載されました。リード全文は次のとおり。
愛知県在住の方から紙面のスキャン画像をお送りいただきましたので、よろしかったらご覧ください。
さあ自慢してきてやろうっと、とさっそく例の掲示板へ。
ほんとにいったいどうなるのでしょうか。 |
●2月3日(火)
きのうは伝言をお休みしてしまいました。あの莫迦とうとう、とご心配くださったみなさん、どうぞご休心ください。 さていそいそと例の掲示板へ。
それではうっかり忘れていたやっつけ仕事にかかりたいと思います。まいったまいった。 |
●2月4日(水)
例の掲示板にも動きがないみたいですから、これさいわいと本日は早々に失礼いたします。 とはいえ、私が「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に関して二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんにアドバイスしてさしあげられることは、これまでですべて出尽くしてしまったようにも思われます。
ここで同事業に対する私の批判をまとめておきますと、昨年6月の段階では、 一) 事業は前知事によってレールが敷かれたばらまき行政の一環である。 二) ばらまき予算を受け容れるにしても伊賀地域にはそれを有効適正に活用する能力や見識がない。 との二点。これが私の「じゃーん。しょうもないことに税金つかうのはやめましょうキャンペーン」の根拠となりました。 7月には藪から棒に事業推進委員会が発足いたしましたので、 三) 事業推進委員会は何の実効性も持ち合わせない形骸であり、二〇〇四伊賀びと委員会の自立性や主体性を損なうものでしかない。よって不要。 という一点が加わりました。 8月に事業紹介のパンフレットが発行されましたので、事業実施計画案も発表されていない段階でどうして事業紹介ができるのかという批判が加わりましたが、パンフレットそのものはむしろ枝葉末節の問題に過ぎず、結局のところ、 四) 実施計画案策定過程をはじめとして事業そのものの公開性を早急に高めるべきである。 との批判が浮かびあがったことになります。 10月には事業実施計画案が発表されたのですが、この計画案がまた予算さえ明示されていないただの予定表のようなしろものでしたから、上記の批判にはいっそう拍車がかかる結果となりました。 といった経過を経て現時点では、きのう引用した漫才に記したとおりの結論に立ち至っているという寸法です。 つまり、「伊賀びと」のみなさんに全国発信なんて無理だろうなということは最初から想像がついていたのですが、「伊賀びと」がみずからの自立性や主体性を自覚しながら行政機構に正面から立ち向かい、官民合同組織の主導権をつねに握り締めながら徹底した公開性を保持して事業計画の策定を進めてさえいれば、そこには住民自治への礎ともなるべき何らかの成果がもたらされたのではなかったかと思われる次第なのですが、最終的な結論は、 五) 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業は税金の無駄づかいである。 ということにならざるを得ないでしょう。 いかがですか二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん。何度も申してまいりましたとおり、この事業の本質を一番よく理解している人間は私なんです。その私がですね、ものごとの上っ面しか目に入らないみなさんのためにあれこれ懇切丁寧なアドバイスを重ねてまいったわけなんですけれども、もはや申しあげるべきことは何もないなという気がしてきました。というか、ちっとは聴く耳というものを持ったらどうなの。 ちなみに本日付朝日新聞三重版の「展望 三重の文芸」で、藤田明先生が名張市立図書館の『江戸川乱歩著書目録』をとりあげて「県内から全国発信の好例と言えよう」とお書きくださっております。みなさんのすぐそばには全国でも例のない「好例」が存在しているのだということを、ここにあらためてお知らせしておく次第です。お知らせしても意味はないか。 早々に失礼しようと思いながらつい昔話に耽ってしまいました。仔細は3月発行の「伊賀百筆」第十三号でもお読みいただけます。ではまたあした。 |
●2月5日(木) 例によって動きがない例の掲示板をちょこっと動かしてまいりました。
あしたは「まーどーのーゆーきー」ということになります。 |
●2月6日(金)
例の掲示板。
あすは当然「ふーみーよむーつーきーひー」です。 文読む月日。 そんなタイトルのトルストイの文庫本が本屋さんに並んでましたけど、読書の初心というものに思いを馳せさせるフレーズではあります。 読書の初心か。そんなものはとっくの昔に失くしちまったなぁ。 と、ある事情から三十年以上前の読書体験を思い出す必要に迫られている私には思われる次第なのですが、ご同輩はいかがですか。 |
●2月7日(土)
本日も例の掲示板へ赴いてまいりました。とはいえいくら赴いてもほとんど甲斐はないようで、それならそろそろ切りあげるかと「蛍の光」に入った次第なのですが。
あすは「かーさーねーつーつー」となります。しかしたとえ「蛍の光」が終わってしまったとしてもですね、「そっとおやすみ」をはじめとして閉店ソングなんてまだまだいっぱいありますから。 |
●2月8日(日)
「蛍の光」も前半を終えた例の掲示板、なんか相変わらず無反応なようで。
あすは「いーつーしかーとーしーもー」です。 きょうびの卒業式では SMAP の「世界に一つだけの花」なんぞが歌われます、と教えてくれた人もあるのですが、やっぱ蛍の光だろうが、窓の雪しかねえだろうが、文読む月日じゃなくていったいどうするの、と私は結構守旧派か。 |
●2月9日(月)
例の掲示板には「小酒井不木の世界」展が開かれている蟹江町歴史民俗資料館の学芸員の方からご投稿をいただきました。
あすは「すーぎーのーとーをー」。ということは残り三日か。 |
●2月10日(火)
例の掲示板で『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)に関する情報提供をいただきました。乱歩が不木未亡人に宛てて、 「昨日 岡戸君上京を機とし森下氏と熟議の結果全集出版には改造社を選ぶことに決断いたしました。条件は小生らの力以て出来る限り有利に取り運んだ積もりでございます」 などと書き送った書状に関する情報なのですが、まずは下記のとおりの塩梅です。
あすはいよいよ「あーけーてぞーけーさーはー」か。 中井英夫ファンは番犬情報をご覧ください。わんわんわん。 |
●2月11日(水)
例の掲示板での「蛍の光」斉唱もいよいよエンディング。しかしほんとにあしたで「わーかーれーゆーくー」になるのでしょうか。
もうそろそろかましてやってもいいのではないかと剣呑なことをお考えの方もおありでしょう。なんのなんの。どうか世界人類が平和でありますように。 |
●2月12日(木)
例の掲示板ではほんとに「蛍の光」につづいて「そっとおやすみ」を歌うことになるかもしれません。
なんなら「メリー・ジェーン」でもいいのですが、この曲は消灯タイムのバックミュージックに使用されることもありますからなんだかなあ。 |
●2月13日(金)
あーりゃりゃッ。
例の掲示板がこんなことになっているではありませんか。
何があったというのでしょうか。 は? 私? 私のせい? 私のせいで掲示板が閉鎖されたんですかあ? こりゃまた失礼いたしましたッ。 なんていってる場合ではありません。もう一息だったのに。あと「れーゆーくー」を歌うだけできれいにおいとまできたのに。俺の「蛍の光」をどうしてくれる。ええ残念な。 ここでつらつら思い返しますに、私が二〇〇四伊賀びと委員会の組かしら会メンバーのお名前を列記して、この人たちから回答がいただけるのかどうかをご本人それぞれに確認してくれと掲示板管理者の方にお願いした、そのお答えをまだ頂戴できておりませんでしたから、ごく普通に考えますと、おかしら衆は私の質問に回答してくれる気がなく、しかし回答する気はないと掲示板で公表するのは明らかな責任回避ですからさすがにそんなことはできない、それなら「蛍の光」が終わるまで空とぼけていればいいのではないか、いやいや回答するかしないかを答えない限りあの莫迦「蛍の光」が終わっても「そっとおやすみ」でも「メリー・ジェーン」でも「お座敷小唄」でも何曲だって歌いつづけるつもりですぜ、ほなどないしまんにゃ、よし掲示板は閉鎖と決定だ、俺たちってこんなときだけすぐに意見がまとまるのね、うるせえ、ばしッ、みたいな流れがあったのかなとも推測される次第ですが、なにしろ二〇〇四伊賀びと委員会のことですから真相はすべて闇の中と申しあげるしかありません。どーせ訊いても答えねーだろーしよ。 過去ログも読めなくなっていることに気がつきましたので、大慌てで「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」というページをつくってみました。あの掲示板には小西昌幸さんや伊藤和孝さんにも投稿していただいてあったと申しますのに。 えーい。あとはあしただあしただ。 |
●2月14日(土)
俺の「蛍の光」には俺がけりをつけるぜ。 霧笛が俺を呼んでるからな。 と脈絡も何もないありさまですが、例の掲示板に投稿できなかった「れーゆーくー」をこんな具合にしたためてみました。
ではまたあした。 |
●2月15日(日)
本日はごく簡単に報告一件。 地域雑誌「伊賀百筆」の編集兼発行人でいらっしゃる上野市の北出楯夫さんから昨夜お電話をいただき、きのう開かれた「伊賀百筆」編集委員会の席上、四百字詰原稿用紙二百枚、同誌の誌面でいえば七十七ページに及ぶ私の原稿が「伊賀百筆」第十三号に掲載されることが正式に決定したとお知らせをいただきました。 よかったよかった。いかがですか読者諸兄姉。伊賀って土地もまだまだ捨てたものじゃありませんぜ。 発行時期に関しましても、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会が開かれる3月末までに出せるよう、校正をはじめとした編集作業を急いで進めていただけるとのことで、たいへんありがたいことだと思っております。 ちなみに北出さんは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業事務局に次回の事業推進委員会開催日を確認してくださったそうで、いまだ日程は決定していないとのことでした。 事業推進委員会はもう開かれることがないのではないか、とも私には思われる次第なのですが、開催されるのであれば「伊賀百筆」第十三号を嬉々として持参し、これ読んでちっとは勉強しろ、と野呂昭彦知事にお渡ししたいと思っております。野呂さん待っててちょうだいね。 |
●2月16日(月)
「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の話はもういいか、という気がしてきました。 二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイト掲示板の閉鎖と過去ログの封鎖とは、税金で開設された掲示板も結局は自分たちの私物であるという彼らの認識を如実に物語る行為であり、こんな程度の認識しかない連中が血税三億(正確には三億三千万ちょい)をいいようにつかっていいわけがないのですが、彼らに何をいったっていっさい反応がなく、伊賀忍法で石に化したとしか思えぬだんまりが今後もつづくことでしょうから、あたしゃなんだかもうあほらしくって。 しかしよく考えてみますと、事業のパンフレットには「2004年は世界に誇る俳聖・松尾芭蕉が伊賀に生まれて360年の節目の年です。この機に、自然や風土、歴史、文化といった伊賀の魅力を360度の全方位に発信します!」と記されているのですが、魅力はともかく伊賀という土地の土地柄のようなものは、これで結構全国発信できているのではないでしょうか。 やっぱ伊賀ってのは忍者の土地だよなー、と妙に納得していらっしゃる方が少なくないのではないかと推測される次第です。 |
●2月17日(火)
蟹江町歴史民俗資料館の特別展示「小酒井不木の世界」は2月22日に終幕を迎えますが、この日アフターファイブには「小酒井不木の世界」開催記念大宴会が華々しく催されます。 出席予定者は現在のところ二十二人とのことで、この日午後「インターネットで読む小酒井不木」をテーマに講演される阿部崇さんをはじめとした関東勢が勇躍なだれ込み、同資料館学芸員の伊藤和孝さんら地元関係者が一歩も引くことなくこれを迎え撃って、がっぷり四つの大宴会が展開されるものと予想されます。 私は百八十万三重県民を代表してお邪魔するのですが、名張市あるいは伊賀地域あたりにお住まいの方で大宴会に参加したいとおっしゃる方は、早めに当方宛ご連絡ください。いっしょに足を運びましょう。 二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんもいかがですか。そういえば、いまはなき伊賀の蔵びらき掲示板に「蛍の光」のメロディが流れるなか、私はみなさんとの別れを惜しみつつ、 草枕まことの華見しても来よ という芭蕉の句をみなさんに捧げました。 伊賀盆地なんて狭小な天地だけに跼蹐していないで、たまには草を枕として世の辛酸を味わっておいでなさい。独りよがりな紛い物で満足していないで、道に適った「まことの華見」を経験しておいでなさい。そうすればちっとはましな人間になれるでしょ。 二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんに対して天国の芭蕉がそんなふうに助言してくれていると私には思われる次第なのですが、22日はもしかしたら「まことの華見」の好機かもしれないよとお伝えしておきましょう。 さて、連中への説教もここいらで打ち止めとするか。 |
●2月18日(水)
蟹江町歴史民俗資料館特別展示「小酒井不木の世界」のあとは東京で「永遠の薔薇──中井英夫に捧げるオマージュ展」がスタートいたします。行くべし。 石塚公昭さんの出展作品を番犬情報でご覧いただけるようになりました。昭和30年代の中井英夫に遭遇することができます。見るべし。 中井英夫を特集した『新青年』研究会の「『新青年』趣味」第11号も『虚無への供物』刊行四十周年の2月29日に発行される予定です。購うべし。 しかしうっかり駄文を寄せてしまった。いまから冷や汗たらたらでして。関係各位に謝るべし。 |
●2月19日(木)
きょうも「永遠の薔薇──中井英夫に捧げるオマージュ展」、ではなくて正式には「永遠の薔薇──中井英夫へ捧げるオマージュ展」の話題ですが、案内状をいただきましたので番犬情報にいささかを書き加え(ついでに「に」を「へ」に訂しておきました。相済みません)、1992年2月29日の中井英夫の写真をご覧いただけるようにいたしました。 おまけとして「名探偵明智小五郎 vs 悪の軍団」というお芝居のチラシもお送りいただきましたので、左の人外告知板にやはりいささかを記しました。うーん。なんだかなあ。 それからえー、こんなのはもう過ぎてしまった話題ですからどうだっていいんですけれど、どっかの掲示板の閉鎖と過去ログ封鎖に関して関係筋からそれとなく話が伝わってくるようになりました。
どっかの偉い人たちが掲示板の投稿記事によってもたらされる三重県のイメージダウンをご心配であったとも聞き及ぶ次第ですが、イメージダウンがいやなら事業に関する質問にきちんと回答し、当事者としての責任をきっちり果たすべきだということすら理解できず、問答無用の閉鎖と封鎖で三重県のイメージダウンを決定的なものにしてしまった莫迦どもには目も当てられんな実際。 こら莫迦ども。自己保身と責任回避しか考えぬ税金泥棒ども。おまえらの存在こそが三重県にイメージダウンをもたらしているのだということに、いやいやイメージダウンどころか明らかな実害をもたらしているのだということにまだ気づかんのか莫迦。とっとと辞めてしまえ。 しかしこうなりますと3月発行予定の「伊賀百筆」第十三号もまた三重県にイメージダウンをもたらすことは必定で、しかもインターネットに縁のない人のあいだにまでイメージダウンの輪が広がることになりますから偉い人たちも大変です。 どう出るこら莫迦ども。俺が3月末開催予定の「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会に「伊賀百筆」第十三号を持参し、知事をはじめとした委員全員のお歴々に真心こめながら一冊ずつプレゼントかましてしまうその前に、おまえら何か打てる手があるのなら打ってみろばーか。 税金で開設された電子掲示板を私物だと勘違いしているおまえら底なしの莫迦どもでも、さすがに地域雑誌を自分たちの私物と見倣すことはできんだろう。どうした税金泥棒ども。お手のものの横車を見事ごり押ししてみるかばーか。 莫迦からかったって面白くもなんともねーやばーか。 |
●2月20日(金)
問答無用と電光石火はいまや三重県のお家芸なのかもしれません。きのう開会された三重県議会では、ごみ大爆発によって一躍三重県の名を高からしめたRDF発電所の稼働再開に事実上のゴーサインが出されてしまいました。まさに問答無用、電光石火。 中日新聞オフィシャルサイトから昨日付夕刊の記事を引きます。
この知事は何かというと「県民の理解」を口にされるのですが、RDF発電所の稼働再開に地元住民の理解が得られたとはとても見受けられません。それが証拠に毎日新聞のオフィシャルサイトから、山田夢留記者による昨日付記事を引用しておきましょう。
なりふりかまわぬ悪あがき、なんてやつも三重県のお家芸なのかもしれません。知事の「急きょ上京」はその一例。昨日付中日新聞からRDF取材班による記事を引きます。
なーに醜態さらしてんですかこの人は。 県議会が開かれたのは昨19日ですが、県議会の事故調査特別委は17、18日と調査のため東京出張でした。いても立ってもいられなくなったのか、追いかけーて、追いかけーて、すがりつーきーたいーのー、とザ・ピーナッツの歌を口ずさみながらであったかどうかはわかりませんが、とにかく知事は特別委を追いかけて上京し、江戸の仇は長崎ですが、三重の話は東京で、と話を切り出して特別委から一蹴されてしまったという一幕。 なりふりかまわぬ悪あがき、やはり三重県のお家芸のひとつに数えるべきかと判断されます。 しかしこの知事もお気の毒といえばお気の毒。前知事の敷いたレールを走ってるうち思いがけない局面に遭遇してしまったというだけの話で、つまりは「環境先進県」などとぶちあげて功を焦った前知事の尻ぬぐいをさせられているに過ぎません。 それならそれで前知事の路線を見直して独自の旗幟を鮮明になさればよろしかろうにと思われる次第なのですが、路線踏襲こそ天命とでも思い込んでいらっしゃるのか、地元住民の声には一貫して耳をふさぎ、なりふりかまわずことを進めておいでなのは困ったものです。 どっかで聞いたような話だな、とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。それもそのはず、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業とも事情は似通っております。事業実施が目的化してどんな批判も雑音にしか聞こえませんや、ばーか、といわれてもへっちゃらさ、なんて感じなのはほんとに困ったものですが。 ただしRDF発電所の事故では消防士二人が命を落としていますから、そのあたりは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業と同日に談ずることはできません。お役所言葉で表現すれば、厳粛に受けとめる、みたいなことが要求されるはずなんですが、相も変わらずお役所の都合を住民に押しつけるという絵に描いたようなお役所仕事が展開されてるわけでして…… あッ。 こッ、こんなこと書いてる場合ではありませんでした。
うッ、うちの犬が癌なんです。 |
●2月21日(土)
い、犬が癌だあ? そう聞かされてびっくりしたのはおとといのことでした。犬というのはもちろんうちの犬、母方に遠くロシアの血を引く名犬ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギンのことです。 これも何かの縁ですからここで打ち明けておきますと、「母方に遠くロシアの血を引く」というキャッチコピーは『虚無への供物』から頂戴したものです。手近なところに創元ライブラリ版中井英夫全集1がある方、カバーの袖をご覧ください。愛犬と並んだ中井英夫の写真が収められ、「母方に遠くアズマホープの血を引くこのローラ嬢」うんぬんという文章が添えられております。だからどうだということはまったくないのですが、『虚無への供物』刊行四十周年を目睫の間に控えてひとことお知らせしておく次第です。 それでその犬のことなのですが、尾籠な話で恐縮ながら肛門の周囲におできみたいなものができておりました。おでき、関西ではでんぼと呼びますが、いわゆる吹き出物です。ときどき思い出したように姓は尾呂内、名は南公、崑ちゃんのとんま天狗でおなじみの(ついてこれませんかおのおの方)オロナイン軟膏を患部に塗ってやったりはしていたのですが、症状はいっこうに改善されません。 それどころか徐々にひどくなってきているみたいですから、私は正統的なインテリゲンチャの常として病院というところを毛嫌いしているのですが(はっきりいって怖いの。病院が)、ここはひとつ勇を鼓してかかりつけの(といったって蚊の時期にフィラリアの薬を貰う程度なのですが)獣医さんを訪れたのがおとといのこと。患部を診察したあと獣医さんがおっしゃるには、 「良性か悪性かはわかりませんが、間違いなく癌の症状です」 がーん。 い、犬が癌だあ? ケツに癌だあ? ケツ癌かあ? 私は癌という言葉にすっかり動転してしまい、その場にへなへなと頽れそうになったのですが、獣医さんは冷静な表情で病状を説明してくれます。それによると(というか、獣医さんの言葉を正確に再現できる自信が私にはないのですが)、うちの犬はオスで去勢をしておりませんから睾丸を有しており、そんなこんなで(てんで再現できておりません)男性ホルモンの作用によって睾丸の周囲に癌が発生しやすいとの由。治療法としては、がーん、手術して睾丸を摘出するしか道がないそうです。 がーん。 がーん。がーん。 手術という言葉を聞いた私はそのままふーっと気が遠くなりかけたのですが、身体髪膚これを父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり、という中国の古いことわざを唱えてなんとか踏みとどまり、でも手術するのも考えものなんです、という獣医さんの言葉で救われたような気分になりました。 つまりうちの犬は大型犬ですから寿命は比較的短く、すでにして高齢と呼ぶべき年齢に至っていることから手術によってかえって寿命を縮めてしまう結果も招きかねないのだそうです。そういえばこいつの母親は避妊手術が原因で死んでしまったそうだし、手術ってのはやっぱり考えものだな、と私は思い返し、診察台に腹這いになっている犬の背中を軽く叩いてやりました。 それで結局、もしも症状が悪化して出血を見るようになったら手術についてあらためて考えることにして、とりあえずは注射と投薬で治療を進めることに決めました。敢えて睾丸を毀傷するなんて、飼い主としてどうにも気が進まないことですし。 そもそも犬はすこぶる元気にしており、食欲は旺盛、排泄に異状は見られず、散歩の歩みも力強いと来ていますから、病犬を抱えているという実感がまったく伴いません。いやー、三重県知事のことを腐れ金玉呼ばわりしたから罰が当たったのかな、などと犬が聞いたら気を悪くしそうなことを考えながら家に帰った次第です。 ところで、この犬の母方の血というのはシベリアンハスキー種なのですが(父方の血は不明。いまだ処女であった母親が夢寐に太陽と交わって身籠もったということにしております)、獣医さんによるとこの犬種の寿命はせいぜい十二年だそうで、してみると今年の夏に満十一歳を迎えるうちの犬の余命はあと一年と五か月ほど。 ということは十七か月。 これに三十を掛けると五百十。 さらに二を掛けると千二十。 つまり寿命が十二年だとすれば、あとまだ千二十回も朝夕の散歩をともにできる計算になります。 死期を悟って「あと千回の晩飯」と洒落込んだ山田風太郎の顰みに倣えば(なんとおこがましいことを)、さしずめ「あと千二十回のお散歩」ってとこですか。 さあお散歩に行ってこよう。 |
●2月22日(日)
本日は伊賀も三重県も名犬も関係ありません。乱歩の話題一本でまいります。 2月19日木曜、学校法人立教学院創立百三十周年記念行事「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」の第一回実行委員会全体会が同学院太刀川記念館三階多目的ホールで催されました。 実行委員会の構成はと申しますと、主催団体は学校法人立教学院と立教大学、後援団体は豊島区、読売新聞東京本社、日本推理作家協会、立教学院校友連合会、さらに協賛団体と協力団体がずらりとつづきます。 名張市は協賛団体として名を連ね、僭越ながら市立図書館が窓口を仰せつかっておりますので、この日の会合には市立図書館長が出席、微力ではございますが惜しみない協力をとお約束申しあげてきた次第ですが、乱歩生誕地から訪れた遠来の客とあって下にも置かぬもてなしに与ったそうで、館長たいへんに感激しておりました。関係各位にお礼を申しあげます。 メインとなる「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」は8月、立教大学と東武百貨店池袋店でくりひろげられ、「20世紀」「大衆」「昭和」「都市文化」などをキーワードに、乱歩という作家あるいは人間の相貌が新たな照明を浴びて浮かびあがります。時期を同じくして旧乱歩邸では住居と土蔵の公開も。 ほかにも、NHKの人気番組が乱歩をとりあげ、国文学雑誌が乱歩を特集し、ブックフェアが開かれ、名張と鳥羽へのツアーが組まれ、さらにはトークあり映画上映あり新作落語の公演ありと、立教学院創立百三十周年記念事業は乱歩関連イベントを柱に怒濤の勢いで展開されるようですから、乱歩ファンは何かと忙しい思いをすることになりそうです。 といった感じで取り急ぎ事業のアウトラインのみお知らせする次第ですが、日経ネットに掲載された「特集:〈胎動〉今年のブーム予測」の「(6)新選組だけじゃない──今年注目の「偉人」たち」にも乱歩が姿を見せておりますし、いささか旧聞に属しますものの立教大学図書館の「カレイ」36号(2002年4月10日発行)には渡辺憲司先生の「乱歩〈幻影城〉探偵団」が掲載されておりますので、あわせてお読みいただければと思います。 それからもうひとつ、乱歩生誕百十年を迎えて生誕地の名張市では何がどうなるのかと申しますと、3月21日発行予定の地域雑誌「四季どんぶらこ」第三十号でいよいよ「じゃーん。名張市は乱歩から手を引けキャンペーン」がスタートいたします。 ものごとを先送りないしはたらい回しすることしか知らず、自分たちは何もしようとしないくせに(何もできないくせに、というべきでしょうか)虫のいいことばかり並べ立てるお役人衆のみなさんに、最低限のものの道理というものを弁えてもらうためにちっとは痛い目を見ていただこうかなと考えているわけなのですが、さーてどうなることですか。 |
●2月23日(月)
ふッ、俺もずいぶん焼きが回ったものだぜ、とエロキューションにやや難のあるエースのジョーのごとくに私は呟きました。昨夜帰宅したときのことです。帰りの電車のなかでおや、と気がついたのですが、家で確認してみてやっぱり、ということになりました。 きのう外出時に着用していたスーツのことなのですが、上と下とで微妙に色が違っていることに帰宅してから気がついたという寸法です。似たような色の二組のスーツを、何かの都合で混同してしまったにちがいありません。ほんとやきがまわたものあるよ、と今度は謎の三国人を演じる藤村有弘のように呟いて、私はそそくさとお風呂に入りました。 愛知県の蟹江町歴史民俗資料館で開かれた特別展示「小酒井不木の世界」はきのうが最終日、午後には不木研究家でいらっしゃる阿部崇さんの講演会が開かれるとあって、私は上下微妙に色の違うスーツを着込んで蟹江町に赴きました。 といった感じで小学生が書いた遠足の作文みたいなレポートを記すことも私には充分可能なのですが、一躍蟹江町のアイドルと化した観のあるもぐらもち先生の「奈落の井戸」をはじめとして、特別展示と講演会の関係者や観覧者や聴講者によるレポートのようなものがインターネット上のそこここに発表される可能性もあることですから、私はおもに乱歩と不木の往復書簡のことに限定して報告を進めたいと思います。 といったところで本日はおしまい。とりあえず番犬情報をご覧ください。
末筆ながら、きのうご歓待くださった蟹江町のみなさんにお礼を申しあげます。アヽラ怪シノ居酒屋、と思わず硯友社風にのけぞってしまった昭和食堂における大宴会はじつに愉しいものでした。またお邪魔したいと思います。悦ちゃん待っててちょうだいね。 |
●2月24日(火)
おもに乱歩と不木の往復書簡のことに限定して報告を進めたいと思います、ときのうは記したのですが、「伊賀の蔵びらき事業紹介【001】」のページに少し書き加えたら報告が終わってしまいました。 なぜかと申しますと、もぐらもち先生をはじめとした『新青年』研究会スタッフが東京で段取りよくことを運んでくださっておりますから、私はこれまでの経過と今後の予定の報告を受けて「そのほうら、よきに計らえ」と威張ってるだけでよろしく、なんですか気分はもう山椒大夫(となると翻刻スタッフは安寿と厨子王ってことになりますか)、当方から閲覧者諸兄姉に対しては「書簡集刊行準備が超快調に進んでいます」と申しあげるしかない道理だからです。 致し方ありませんから22日のことをウェブ日記風にまとめてみました。
まあそんなようなことでした。 ウェブ日記に人様を実名で登場させることにはどっか抵抗を感じるのですが、といいながら実名で登場していただいたわけなのですが、不木に免じてご寛恕のほど。 |
●2月25日(水)
重いでしょうか、このページ。 重いと申しますのは、アクセスしてページが表示されるまでに時間がかかるせいでストレスを感じる、ということなのですが。 昨年9月の模様替え以来やや重くなったと先日ある方からご指摘をいただいたのですが、こうした場合自分のネット環境が標準だとなんとなく思い込んでしまいがちなもので、私自身はこれといったストレスを感じることもないのですが、そういえばやたらだらだら長々しい「伊賀の蔵びらき事業紹介【001】」や「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」には若干の重さを感じないでもなく、さあいったいどうしましょうか。 このページにはあれこれ画像を貼りつけてあり、左側に並んだコンテンツも分量が増えがちなものですから、それが重さの原因かもしれません。とりあえずコンテンツのうちリンク集「うつし世リンク」へのリンクを削除してみました。リンク集を利用することなどもうめったにありませんし。 さてこのあとは、さあいったいどうしましょうか。 |
●2月26日(木)
重いといわれてあっちこっちいじってみる真似をしてみたけど結局どうしようもないみたいだからもういいか。 お餅も入ってべたべたと、重くてどうもすいませーん。懐かしいなあ林家三平、と適当なこといって先に進みます。
突然ですが、親戚の女の子がアテネ五輪に出場することになりました。昨日付中日新聞では石原真樹記者の記事で次のとおり報じられております。
この吉田沙保里選手が私の親戚なのですが、親戚と申しましてもこんな親戚が存在することをついきのうまで知らなかったほどの遠縁。義母の従兄弟の孫に当たるとかなんとか、はっきりいってただの見ず知らずのお嬢さんに過ぎないのですが、オリンピック出場決定ともなるとえらいもので「応援したってなー」という電話が親戚じゅうを駆けめぐったらしく、きのう夜には気が遠くなるほどの遠縁である私の家にまで応援要請の電話が入ったという寸法です。 読者諸兄姉もアテネ五輪女子レスリングのテレビ観戦に際しましては、72キロ級の浜口京子選手だけでなく55キロ級の吉田沙保里選手も応援したってなー、と親戚一同になりかわってお願い申しあげる次第です。 しかしなにしろアニマル浜口選手のお嬢さんなんですから、浜口京子選手もどうぞよろしく。 アニマル浜口、グレート草津、サンダー杉山、ストロング小林、ラッシャー木村、レフェリーは阿部修、外国人選手はビル・ロビンソン、モンスター・ロシモフ(のちのアンドレ・ザ・ジャイアントはこんなリングネームで初来日したわけです。あ。あなたアンドレ・ザ・ジャイアントをご存じありませんか。常人より歯の数が多かったと伝えられる巨人プロレスラーなんですが)、忘れちゃいけない吉原社長。懐かしいなあ国際プロレス、と適当なこといって先に進みます。 ある方から「馬鹿掲示板の最後のところがありましたので送っときます。好きに使って下さいませ」と Google のキャッシュをお送りいただきましたので、「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」に投稿六件を追加しました。このなかにはあの掲示板における最後の投稿も含まれているようです。 となりますと、第一義とされるべき公開性を徹底的に抑圧して準備が進められている官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」における恥知らずなほどの非公開性をこれ以上なく端的に象徴する事態であり関係者全員が何も考えておらず何もわかっていない腰も抜けんばかりな莫迦ばかりであったという事実を天下に如実に知らしめる事件でもあった過去ログ封鎖を批判するため著作権を確信犯的に無視して二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイト掲示板の全投稿を復元する試みもどうやらここらあたりで作業終了か。 まったく世話の焼ける莫迦どもだぜ。 |
●2月27日(金)
またしても例の掲示板の話題ですが、「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」には投稿三通を追加しました。 掲示板「人外境だより」でご教示いただいたことを記録してあるファイルを調べているうち、例の掲示板から削除された投稿(私の投稿ではありません)が保存されていることを発見しましたので、その投稿を転載した「人外境だより」とともに増補。ついでですから掲示板閉鎖後に記した「れーゆーくー」という締めの投稿で掉尾を飾りました。 それから昨日、ある方から例の掲示板のことでメールを頂戴しました。掲示板閉鎖と過去ログ封鎖に関して二〇〇四伊賀びと委員会事務局に抗議のメールを送り、事務局側の回答も得たのだが、この抗議、回答、抗議、回答、抗議という五通のメールをおまえのサイトで公開してくれぬかとのご依頼をいただきましたので、私が下記のようなメール(この伝言板への転載にあたって個人名を○や△などの記号に置き換えました)をお送りしたのは昨日夕方のことでした。
けさ、○△□◇さんからの返信が二通届いておりました。むろん自分の責任は弁えている(一通目)、もう回答する気がないのだろうと思っていた事務局からメールが寄せられ抗議と回答の応酬に進展があったためとりあえず今回の掲載依頼は却下する(二通目)、とのことで、○△□◇さんと事務局とのやりとりを紹介することは沙汰止みになった次第です。 以上、例の掲示板をめぐる世に顕れていない動きをごくおぼろげにお知らせした次第です。隔靴掻痒だと怒らないでね。 ところで、二〇〇四伊賀びと委員会のオフィシャルサイトがリニューアルされたようです。しかしいくらホームページをリニューアルしてみたところでですね、第一義とされるべき公開性を徹底的に抑圧して準備が進められている官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」における恥知らずなほどの非公開性ならびに関係者全員が何も考えておらず何もわかっていない腰も抜けんばかりな莫迦ばかりであったという明々白々たる事実はいまや覆いがたいものだと知るべきでしょう。 二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんは、掲示板を再開するんだったらものごとの本質もよく考えてからにしてくださいね。もっともみなさんには、どうやらほんとに上っ面のことしか見えていらっしゃらないようですけど。 とにかくおまえらがこれから何をするにしたところでだ、名張に俺がいるということだけは忘れるな、と申しあげておきましょうか。おまえ何様だと怒らないでね。 |
●2月28日(土)
網野善彦さんの訃報に接しました。 産経のオフィシャルサイトでは「おくやみ」ではなく「文化・芸能」に──
朝日のオフィシャルサイトには見当たらず、「おくやみ」にはこんな名前が──
合掌。 といったようなことで本日は失礼いたします。 |
●2月29日(日)
きのうのことです。 お嬢吉三ではありませんが、月もおぼろに白魚の、篝もかすむ春の空、つめてえ風もほろ酔いに、心持ちよくうかうかと、浮かれ烏のただ一羽、ねぐらへ帰る川端で、とばかり思いがけないものを手に入れてしまいました。 何が手に入ったのかと申しますと、二〇〇四伊賀びと委員会のおかしら衆におねだりしても頂戴できなかった芭蕉さんシール付きのかたやきです。 いまや鳥インフルエンザのメッカと呼んでもいい兵庫県にある焼鳥屋さんでがっちりゲットしてまいりました。 つまりこれなわけね。 棹のしずくか濡れ手で粟、思いがけなく手に入るかたやき、こいつぁ春から縁起がええわえ。 本日はここまでです。 |