2004年2月
●2月1日(日)

 1月30日付朝日新聞名古屋本社発行版夕刊に「“不健全派”不木に光」という記事が掲載されました。リード全文は次のとおり。

 江戸川乱歩とともに日本の探偵小説の先駆者とされる小酒井不木(1890〜1929)に光があたっている。没後75年を機に、故郷の愛知県蟹江町では初公開のデスマスクも並ぶ大がかりな展覧会が24日に始まった。乱歩の生地三重・伊賀地方の市町村が乱歩と不木の往復書簡集を秋に向けて刊行する動きも進んでいる。医師としての知識を縦横に駆使した陰惨な描写を得意とした“不健全派”作家の素顔が浮かび上がる。(宮崎陽介)

 愛知県在住の方から紙面のスキャン画像をお送りいただきましたので、よろしかったらご覧ください。

サクセスはおぼつかない

 さあ自慢してきてやろうっと、とさっそく例の掲示板へ。

投稿者:中 相作
投稿日:2004/02/01(Sun) 08:49 No.176
[166.2.215.220.ap.yournet.ne.jp]

タイトル:サクセスする気はあるのかな

 えー、○○はスルーの方向で。

 昨日記しました「伊賀百筆」の件、きのう夕刻に同誌編集兼発行人の北出楯夫さんに電話でお訊きしてみたのですが、3月発行の第十三号で「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の特集が組まれることはないようです。同誌としては特集を組むに吝かではなく、それどころか特集の受け入れ態勢もちゃんと整っているとのことでした。

 ですから私も、きのうこの掲示板で提案しましたように一ページ二事業ずつ事業計画案を紹介するですとか、あるいは「伊賀百筆」の増刊号みたいな形で全ページまるごとつかった「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」公式ガイドブックを発行するですとか、思いついたプランをあれこれお伝えした次第です。

 しかーし、肝心の二〇〇四伊賀びと委員会に地元メディアを活用する気がないようなんですから話になりません。一億円の広報費かかえていったい何を考えてんだか。二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん。みなさんの広報機能は麻痺してませんか。機能不全に陥ってませんか。なんだかとっても心配です。

 ともあれ「伊賀百筆」第十三号、私の寄稿だけでなんと七十七ページを占領してしまうことになりますから、それでもいいですかとおそるおそるお尋ねしましたところ、北出さんからまったく支障はないとのありがたいお答えをいただきましたので、みなさんにその旨お知らせする次第です。どうぞご期待ください。

 もうひとつ、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業のひとつ『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行プランのことを、30日発行の朝日新聞夕刊(名古屋本社発行)でちょこっと紹介していただきましたので、あわせてお知らせしておきます。1月24日に愛知県の蟹江町で開幕した「小酒井不木の世界」展をメインとした「“不健全派”不木に光」という記事で、ついでにとりあげてもらった次第です。

 とはいえ、見出しには「秋に乱歩との書簡集刊行」の文字が躍り、記事のなかには「乱歩の生地の名張市や周辺市町村で作る『2004伊賀びと委員会』は」なんてことも書いていただいておりますので、四方八方あちら関係こちら関係まるっと御免を蒙りまして下記アドレスをどうぞ。

http://www.e-net.or.jp/user/stako/Images/DE-200403.jpg

 それにしても二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん。もしかしたら広報だの全国発信だの、そういったことはみなさんの手に余る作業なのではないでしょうか。こんなことじゃ事業のサクセスはとてもおぼつかないという気がします。ほんとにいったいどうする気?

 ほんとにいったいどうなるのでしょうか。


●2月3日(火)

 きのうは伝言をお休みしてしまいました。あの莫迦とうとう、とご心配くださったみなさん、どうぞご休心ください。

 さていそいそと例の掲示板へ。

投稿者:中 相作
投稿日:2004/02/03(Tue) 07:22 No.182
[166.2.215.220.ap.yournet.ne.jp]

タイトル:長文

 きょうも長文となっております。じつにどうも申し訳ありません。せめてタイトルだけでも短くしてみました。

 ●阿山郡びと様

 はじめまして。ご親切なご投稿ありがとうございました。「スルーの方向で」なんてこと書いたりして恥じ入っております。また何かのおりにはよろしくお願いいたします。

  ●管理人様

 お知らせありがとうございます。どうもご苦労さまです。ところが残念ながら間一髪、3月発行予定の「伊賀百筆」に寄稿した原稿では──

「伊賀地域が二度と同じ轍を踏まないようにこの事業がなぜ失敗したのかを分析しておくべきなんです」

「いや事業はまだ始まってないわけですから」

「でも事業の準備段階において悪いほうへ悪いほうへ舵が切られてきたのは事実なんですから」

「悪いほうへ悪いほうへといいますと」

「知事ふうにゆうたら地域住民に顔を向けないほうへ顔を向けないほうへゆう感じですかね」

「しかし官民合同事業ですから地域住民に顔は向けてるのとちがいますか」

「そのはずなんですけど実際にはそうなってませんから事業準備は失敗やとゆうてるわけです」

「どないなってますねん」

「そもそもなんで官民合同事業の話が出てくるのかゆうたら官が民に顔を向けてないからなんですね」

「その点は知事も認めておられますけど」

「つまり情報公開の一環なんです」

「なんでそないなりますねん」

「情報公開ゆうのは首長の交際費を発表したらそれでおしまいゆうことではまったくありません」

「もっとやらないかんことがあると」

「要するにお役所という密室のなかでお役人衆がどんな基準や価値観や外的圧力その他に基づいて税金のつかい方を決めているのか。政策を決めているのか」

「それを明らかにするのが情報公開ですか」

「お役所が政策決定過程を公開する。それに対して地域住民が意見を述べる。その意見が政策に反映される。それが情報公開の流れなわけなんです」

「官と民が合同で政策を決定するわけですか。それがほんまの官民合同かもしれませんね」

「むろん政策決定過程を公開することには混乱も伴うでしょうけど公開しないことによってもたらされる混乱よりは公開による混乱のほうがまだましなんです」

「最近ではお役所もパブリックコメント制度とかいろいろやってるみたいですけど」

「官民合同事業は徹底した情報公開制度へ至るための試みのひとつだと考えると目安になるでしょう」

「いったいなんの目安ですねん」

「行政と住民が対等の立場で情報を共有するのはいわゆる住民自治への道を開くことでもありますしね」

「話がえらい大層になってきましたけど」

「いや簡単なことです。官民合同事業で第一義とされるべきは公開性であるというだけの話なんです」

「つまり官単独の事業には望めないような公開性を官民合同事業には期待できると」

「公開性を無視したら官民合同の意味がありません」

「それでは普通のお役所仕事と同じことになってしまうかもしれませんからね」

「まず公開性を確保したうえで民の手法や民の発想を盛り込むのが官民合同事業の本来の姿なんです」

「そうゆう意味では伊賀の蔵びらき事業ももっと公開性を高めたら有意義な試みになるわけですね」

「そうです。かりに実施される個々の事業は全国発信にほど遠いご町内の親睦行事であるとしても」

「そんな失礼なことゆうたらあきませんがな」

「官民合同で高度な公開性のもとに事業計画を決定していったらそれなりの成果はあったはずなんです」

「全国発信はたいしてできなくても伊賀の地に官民合同の画期的な事例を実現できたはずであると」

「その意味では知事がこの事業を『新しい公』のモデルケースだとおっしゃるのはまったく正しいんです」

「でも実際にはモデルケースにはなっていないと」

「そうなんです。二〇〇四伊賀びと委員会がお役所に完全に丸め込まれてしもたゆうことでしょうね」

「民が官に丸め込まれましたか」

「お役所が官民合同組織を発足させる場合には行政側が御しやすい人間を集めるのが一般的ですからある意味やむを得ないことではあるんですけど」

「たしかに君みたいな無茶苦茶な人間に委員になってもろたらえらいことになりますからね」

「ただまあ乗りかかった舟ゆうやつですか。今年になってからも僕は伊賀の蔵びらき掲示板で公開性を高めるためのアドバイスをしたりしてるんですけど」

「なんぞ反応はありましたか」

「一月三十一日の時点ではさっぱりですね」

 ──となっておりまして、原稿締切の1月31日で話を打ち切っておりますので、あしからずご了承ください。

 それから、参考までにお教えいただきたいのですが、事業個々の詳細をこのホームページで公開することは、いつ、どんな場で、誰によって決定されたのでしょうか。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業はいまや知事のおっしゃる「新しい公」とは完全に無縁なものになり果てていますが、上の引用にも記しましたとおり、そのモデルケースとなる可能性はもっていたように思われます。しかし実際には、事業そのものを実施することが、あるいは二〇〇四伊賀びと委員会の人選が、さらには事業推進委員会を発足させることが、いつ、どんな場で、誰によって決定されたのか、地域住民にはまったく知らされていない状態で、こんなもののどこが「新しい公」か、どこに目をつけていやがる、実態をよく見てもっと公開性を高めろ、それでも会長か、ばーか、と知事にお伝えしたいところなのですが、「新しい公」の前提になるのが行政側の情報公開であることは申すまでもなく、今回のような場合にも、これこれこのようになっております、このとおり決定しておりますというご報告だけでなく、その報告内容がいつ、どんな場で、誰によって決定されたのかもあわせてお知らせいただくことによって、この事業がわずかでも「新しい公」へ近づいてゆくのではないかと愚考する次第です。

 ●芭蕉さんのファン様

 講談社の『伊賀街道』、さっそく購入いたします。ただまあ、この手の出版物が一過性のイベントをとりあげるのはあまり例のないことでしょうし、とりあげるといったって「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業のどこをどうとりあげればいいのか、とりあげようがないのではないかとも思われます。情報の収集と発信は二〇〇四伊賀びと委員会の手に余る作業であろうとも思われますし。こうなると結局は個々の事業が勝負ということになり、見るべき事業があれば全国メディアにとりあげられることもあるでしょうけど、それもほとんど期待できないのではないでしょうか。税金三億つかってこのざまではまったく困ったものですが。

 それではうっかり忘れていたやっつけ仕事にかかりたいと思います。まいったまいった。


●2月4日(水)

 例の掲示板にも動きがないみたいですから、これさいわいと本日は早々に失礼いたします。

 とはいえ、私が「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に関して二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんにアドバイスしてさしあげられることは、これまでですべて出尽くしてしまったようにも思われます。

キャンペーンを振り返る

 ここで同事業に対する私の批判をまとめておきますと、昨年6月の段階では、

 一) 事業は前知事によってレールが敷かれたばらまき行政の一環である。

 二) ばらまき予算を受け容れるにしても伊賀地域にはそれを有効適正に活用する能力や見識がない。

 との二点。これが私の「じゃーん。しょうもないことに税金つかうのはやめましょうキャンペーン」の根拠となりました。

 7月には藪から棒に事業推進委員会が発足いたしましたので、

 三) 事業推進委員会は何の実効性も持ち合わせない形骸であり、二〇〇四伊賀びと委員会の自立性や主体性を損なうものでしかない。よって不要。

 という一点が加わりました。

 8月に事業紹介のパンフレットが発行されましたので、事業実施計画案も発表されていない段階でどうして事業紹介ができるのかという批判が加わりましたが、パンフレットそのものはむしろ枝葉末節の問題に過ぎず、結局のところ、

 四) 実施計画案策定過程をはじめとして事業そのものの公開性を早急に高めるべきである。

 との批判が浮かびあがったことになります。

 10月には事業実施計画案が発表されたのですが、この計画案がまた予算さえ明示されていないただの予定表のようなしろものでしたから、上記の批判にはいっそう拍車がかかる結果となりました。

 といった経過を経て現時点では、きのう引用した漫才に記したとおりの結論に立ち至っているという寸法です。

 つまり、「伊賀びと」のみなさんに全国発信なんて無理だろうなということは最初から想像がついていたのですが、「伊賀びと」がみずからの自立性や主体性を自覚しながら行政機構に正面から立ち向かい、官民合同組織の主導権をつねに握り締めながら徹底した公開性を保持して事業計画の策定を進めてさえいれば、そこには住民自治への礎ともなるべき何らかの成果がもたらされたのではなかったかと思われる次第なのですが、最終的な結論は、

 五) 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業は税金の無駄づかいである。

 ということにならざるを得ないでしょう。

 いかがですか二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん。何度も申してまいりましたとおり、この事業の本質を一番よく理解している人間は私なんです。その私がですね、ものごとの上っ面しか目に入らないみなさんのためにあれこれ懇切丁寧なアドバイスを重ねてまいったわけなんですけれども、もはや申しあげるべきことは何もないなという気がしてきました。というか、ちっとは聴く耳というものを持ったらどうなの。

 ちなみに本日付朝日新聞三重版の「展望 三重の文芸」で、藤田明先生が名張市立図書館の『江戸川乱歩著書目録』をとりあげて「県内から全国発信の好例と言えよう」とお書きくださっております。みなさんのすぐそばには全国でも例のない「好例」が存在しているのだということを、ここにあらためてお知らせしておく次第です。お知らせしても意味はないか。

 早々に失礼しようと思いながらつい昔話に耽ってしまいました。仔細は3月発行の「伊賀百筆」第十三号でもお読みいただけます。ではまたあした。


●2月5日(木)

 例によって動きがない例の掲示板をちょこっと動かしてまいりました。

「蛍の光」斉唱開始

投稿者:中 相作
投稿日:2004/02/05(Thu) 07:56 No.183
[166.2.215.220.ap.yournet.ne.jp]

タイトル:ほーたーるのーひーかーりー

  ●管理人様

 いやー、まーたお答えいただきにくいことをお訊きしてしまいましたか。毎度毎度相済みません。しかし一事が万事この調子ですから、私はいまさら驚きません。それに、ちゃんとした協議の場で決定されたことではないんだな、例によってお役所名物なあなあ感覚で話が進んだんだな、関係者の頭のなかには地域住民に対する説明責任や情報公開のことなんかこれっぽっちも存在してないんだな、要するにろくでもない連中がごくいい加減に税金のつかい方を決めてるってことなんだな、やっばりな、みたいなことはすでに察しがつきましたから、「事業個々の詳細をこのホームページで公開することは、いつ、どんな場で、誰によって決定されたのでしょうか」という質問は却下いたします。

 ●三重県民の皆様

 メディアによりますと、まず伊勢新聞では「三重発信の絶好の機会/知事意気込む 16年度観光キャンペーン」として──

 野呂昭彦知事は三日の定例記者会見で、平成十六年度の県観光キャンペーン「おもてなし王国、三重県」について、「熊野古道の世界遺産登録や松尾芭蕉生誕三百六十年など情報発進の絶好の機会」と述べた。同キャンペーンのテレビCMでは、野呂知事とアニメキャラクターの「クレヨンしんちゃん」が冗談を言い合う種類のものもあり、知事は「私自身が出ており、(出来が)いいとか悪いは言えない」と照れた。

http://www.isenp.co.jp/news/_2004/0204/news04.htm

 ──なんてことが、さらに三重テレビでは「三重の観光PR」として──

毎年話題を集める三重県の観光キャンペーンのテレビコマーシャルが、3日、東京で開かれたマスコミ関係者への説明会で発表されました。今年は松尾芭蕉が伊賀の里に生まれてから360年にあたる上、「熊野古道」が世界遺産に登録される予定とあって、会場には野呂知事をはじめ多くの関係者が駆けつけ、三重県の魅力を訴えました。また、テレビコマーシャルの発表では、自ら出演した野呂知事らがステージに上がり、キャンペーンのモットーである「おもてなし」の心をPRしました。

http://www.mietv.com/01_top.html

 ──なんてことが報じられております。

 知事が三重県のテレビコマーシャルに出演なさったそうなのですが、誰か止めてやるやつはおらんかったのか。とはいえ全国のテレビ視聴者のなかには、へーえ、これがサンデー先生から××××(漢字三文字とひらがな一文字からなるフォーレターワードゆえ伏せ字といたします。さるにても、クレヨンしんちゃんと××××は結構絶妙の取り合わせか)呼ばわりされてた三重県知事か、なーるほど、と面白がってくださる方もいらっしゃるかもしれませんから、どうせ全国発信なんて言葉に目を眩まされてそこらの広告代理店からいいように税金ぼったくられてるだけの話なんでしょうが、とりあえずは不問に付しておきましょう。

 それにしても、「おもてなし王国」とは恐れ入りました。私も心を入れ替えて、3月末に開催される「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会では知事をはじめとした委員各位を渾身のおもてなしでお迎えするべく、版元にかけあって「伊賀百筆」第十三号を委員会の席上で委員全員にお受け取りいただけるよう手配したいと思います。委員のみなさんには、テレビだの広告代理店だのとはまったく関係のない場でも、心ある地域住民によって情報発信が着々と進められていることをおわかりいただければ幸甚。

 あしたは「まーどーのーゆーきー」ということになります。


●2月6日(金)

 例の掲示板

投稿者:中 相作
投稿日:2004/02/06(Fri) 07:20 No.185
[166.2.215.220.ap.yournet.ne.jp]

タイトル:まーどーのーゆーきー

  ●管理人様

 お知らせありがとうございます。いろいろお忙しいご様子、当方には適当におつきあいいただければと思います。

 さてお尋ねいたしました件、昨年8月7日の組かしら会で承認された由ですが、それならば話はまったく別物です。オフィシャルサイトの活用といったって、私が昨年10月31日に提案したのは個々の事業計画の成立過程をリアルタイムで公開してゆくことだったのですが、組かしら会で決められたのは個々の事業計画がほぼ成立したあとでそれを紹介するということでしかないのではないかと思われます。だとすれば、ここには月とすっぽんほどの開きが存在しています。

 昨年の8月7日といえば、3月末に発表される予定だった事業実施計画案はいまだ発表されておらず、いっぽうで事業推進委員会が意味もなく結成された直後のことなのですが、その当時の二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんが事業計画決定過程を公開することの重要性に思い至っていらっしゃったとはとても思えません。ただしこれはあくまでも推測に過ぎませんから、やはり組かしら会のみなさんのお話をお聞きしてみる必要があるでしょう。

 ところで、その組かしらというのは「伊賀びと委員会の紹介」のページの名簿で◎のついてる人、つまり下記のみなさんでしょうか。

池澤基善

田中愛一郎

中村伊英

中盛汀

北村嘉孝

的場敏訓

岩佐絹枝

高橋徹

中井孝佳

高杉勲

 重度の回答拒否症候群でいらっしゃるらしい高杉さんは無理でしょうけど、それ以外の九人の組かしらからお話を伺うことは可能でしょう。というか、組かしらのみなさんには自分たちが決めたことに関して、つまり大袈裟にいえば税金の使途に関して、地域住民の質問に答える義務があるのではないでしょうか。たぶんあるはずです。おかしら衆、そろそろ年貢の納めどきですぜ。

 さて、管理人の方にはお忙しいところまたしてもお手数をおかけしてしまうのですが、組かしらのみなさん全員に連絡を取っていただき、昨年8月7日の組かしら会で決定されたことに関する当方の質問にお答えいただけるかどうか、ご確認いただきたいと存じます。そしてその結果を、つまりどなたが回答OKでどなたが回答拒否なのか、この掲示板で具体的にお知らせいただければ幸甚です。ま、上記の名簿に○ないしは×をつけていただければいいんじゃないでしょうか。よろしくどうぞ。

 ちなみに記しておきますと、昨年9月に二〇〇四伊賀びと委員会の会長さんから「計画策定の経過については、当委員会の発足時点から現在までの議事録を順次HP上で公開をします」、10月には事務局長さんから「委員会の会議の議事録につきましても、今後、ホームページに掲載していく予定です」といずれもメールでお知らせいただいているのですが、この議事録公開の件はいったいどうなっているのでしょう。いつごろ公開されるのか、おわかりでしたらあわせてお教えください。

 あすは当然「ふーみーよむーつーきーひー」です。

 文読む月日。

 そんなタイトルのトルストイの文庫本が本屋さんに並んでましたけど、読書の初心というものに思いを馳せさせるフレーズではあります。

 読書の初心か。そんなものはとっくの昔に失くしちまったなぁ。

 と、ある事情から三十年以上前の読書体験を思い出す必要に迫られている私には思われる次第なのですが、ご同輩はいかがですか。


●2月7日(土)

 本日も例の掲示板へ赴いてまいりました。とはいえいくら赴いてもほとんど甲斐はないようで、それならそろそろ切りあげるかと「蛍の光」に入った次第なのですが。

投稿者:中 相作
投稿日:2004/02/07(Sat) 08:49 No.188
[166.2.215.220.ap.yournet.ne.jp]

タイトル:ふーみーよむーつーきーひー

  ●管理人様

 お忙しいところお手数をおかけしております。どうもありがとうございます。ひきつづきよろしくお願いいたします。

 議事録公開の件、謹んで承りました。会議が開かれたらその翌日に議事録を公開する、くらいのことをやってれば「新しい公」に近づく道も開かれたかもしれんのに、と返す返すも残念至極な気がいたしますが、まあ致し方ありません。会議がどれだけちんたらしたものであったのか、じっくり拝見したいと思います。

 おかしら衆への回答要請に関しましては、目一杯厳しく迫ってやっていただければと思います。おもい組だかはかり組だかよろこび組だかよく知りませんが、かしらと名のつく人間がいつまでもこそこそ逃げ隠れしていたんじゃ示しというものがつきません。ばっつんばっつん締めあげてやってください。

 ●おかしら衆の皆様

 おはようございます。この掲示板の管理人の方から厳しいうえにも厳しい回答要請がばっつんばっつんなされるはずですが、管理人の方は単に業務を遂行していらっしゃるだけの話なんですからそのへんよろしく。

 しかしおかしら衆のみなさん。管理人の方からの連絡をお待ちいただく必要はありません。この掲示板に直接ご投稿いただけばいいんです。節分も過ぎて鰯のおかしらの出番も終わったことですから、そろそろお出ましになってはいかがでしょう。

 ●伊賀びと様

 どうもご投稿ありがとうございます。しかしまいったな。○○はスルーの方向で、と思ってはいるのですが、名指しでご挨拶いただいたんですからそうもまいりません。いやまいったな実際。

 ところで伊賀びとさんは、1月31日に「アクセス」というタイトルで投稿した「俳句すき人」 ならびに2月1日に「アクセス方法」というタイトルで投稿した「伊賀びと」と同じ方であり、つまり [pc30113.ict.ne.jp]の方はすべて同一人物だと思ってよろしいのでしょうか。それならば本題へ入る前にひとくさり。ご投稿「アクセス方法」に対しては2月1日、阿山郡びとさんがちゃんとアドバイスを投稿してくださってるんですから、そんな気の抜けた○○○みたいなこと口にされる前にひとこと阿山郡びとさんにお礼をおっしゃるのが礼儀ってもんだろうがと私は思います。説教がましいことを申しあげておりますが、まあ○○が○○○に隠れて深い○○もなしに○○○なこと○○○てるだけのことでしょうから、これでもできるだけ大目に見てさしあげているのだということを附記いたします。○○○。○○○○○○。

 それからご投稿「楽しみなイベント」に関して申しあげますと、伊賀びとさんがどこまで私の事業批判を理解してくださっているのかが判然としませんので(失礼ながらほとんどご理解いただけていないのではないかと拝察いたします。むろん強いて理解していただかねばならぬ筋合いのものでもないのですが)、とりあえずご投稿だけに基づいて申しあげますと、ものごとの上っ面のことしか考えず、それゆえ官民合同事業の本質なんてものには思いをいたしたこともなく、ご町内の親睦行事を寄せ集めてさあ全国発信だと浮かれていらっしゃる二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんは、ご投稿をお読みになってさぞや大喜びのこんこんちき、○○だ○○ッ、俺たちの○○発見ッ、と随喜の涙にかき暮れていらっしゃるのではないかと推測されます。どうもありがとうございました。二〇〇四伊賀びと委員会になりかわってお礼を申しあげます。今後ともよろしくお願いいたします。

 ●伊賀地域住民の皆様

 残り百日となったようです。中日新聞ホームページに掲載された小蔵裕記者の「伊賀地区の芭蕉さんイベント『100日前』/県庁前でカウントダウン式」という記事から一部引用いたしますと──

 伊賀地区の七市町村で五月十六日から始まる半年間のイベント事業「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」の百日前カウントダウン式が六日、県庁前であった。

 野呂知事は「世界に誇れる芭蕉さんの豊かな感性に磨きをかけて、住民と市町村、県が協働して各方面に発信したい」とあいさつ。「2004伊賀びと委員会」の辻村勝則会長と二人でスイッチを入れ、カウントダウンモニターを点灯させた。

http://www.chunichi.co.jp/00/mie/20040207/lcl_____mie_____008.shtml

 ──とのことなんです。それにしても野呂さーん、ご挨拶を拝読してあたし歯が浮いちゃいましたー。

 昨6日には青山町議会市町村合併調査特別委員会が開かれ、合併に関する住民投票条例案が否決されるというニュースもありました。中日新聞のホームページには掲載されていないものの本紙三重版では大きく扱われ、「町民合意形成に疑問」という伊東浩一記者の「解説」も掲載されております。

 まさに疑問。

 疑問。

 疑問。

 疑問。

 まったくまあ疑問だらけなわけですがな。伊賀地域の市町村合併問題そのものにしても青山町の住民投票条例問題にしても、果てはこの「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業にしたところで、地域住民の疑問に知らん顔決め込んでとっとことっとこ話を進めるのはいい加減にやめんか莫迦ども、と私は思います。雑音かよ、俺らの疑問や主張や批判は結局のところ雑音にしか過ぎんのかよ、とも思います。

 野呂さーん、しっかりせんか××××ー。

 あすは「かーさーねーつーつー」となります。しかしたとえ「蛍の光」が終わってしまったとしてもですね、「そっとおやすみ」をはじめとして閉店ソングなんてまだまだいっぱいありますから。


●2月8日(日)

 「蛍の光」も前半を終えた例の掲示板、なんか相変わらず無反応なようで。

投稿者:中 相作
投稿日:2004/02/08(Sun) 08:07 No.190
[48.1.215.220.ap.yournet.ne.jp]

タイトル:かーさーねーつーつー

  ●伊賀びと様

 こちらこそ失礼いたしました。しかしそんなことおっしゃらずにぜひまたご投稿ください。二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんがまったく書き込んでくれないこともあって(私がのさばってることもあって、と申しあげるべきでしょうか)、この掲示板はなんだか寂しくていけません。二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんはちっとも当てになりませんけれど、それ以外の一般の閲覧者のなかには質問に答えてくださる親切な方もいらっしゃるようですし。これからもお気軽にお立ち寄りください。

 ●ご閲覧の皆様

 おかしら衆やーい。

 呼べど答えず。

 なんて感じのきのうきょうですが、私が二〇〇四伊賀びと委員会に対してこの掲示板で行うべき批判や助言はすべて出尽くした観がありますので、タイトルに流している「蛍の光」からもおわかりのとおり、そろそろおいとましようかなと考えている次第です。おかしら衆からご回答をいただけるのであれば少し質しておきたいこともあるものの、過去の経緯から判断するとかなり望み薄だと思われます。

 なにしろ「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業をめぐるこの「じゃーん。しょうもないことに税金つかうのはやめましょうキャンペーン」のあとには「じゃーん。名張市は乱歩から手を引けキャンペーン」が控えており、ろくに乱歩作品を読んだこともない名張市役所のお役人衆が名張の自己宣伝に乱歩を利用しようとする愚を徹底的に叩いてやるぜぼんくらども、みたいな感じでとりあえずは名張市教育委員会の偉い方に痛い目を見てもらおうかなと思案しておりますので、そういえばこの名張市教育委員会の偉い方を叩くことは以前に一度不首尾に終わっておりますから(詳細は下記アドレスAのページで1月1日から順にどうぞ。2月中旬までかかりますけど。ついでですからアドレスBもつづけてどうぞ。ちなみにここにご登場の名張市の偉い方は前職です)、今度こそは上々の首尾を遂げねばならぬぞと決意しております手前、いつまでもこの事業ばかりにかまけてはいられないという寸法です。あしからずご了承ください。

A)http://www.e-net.or.jp/user/stako/DE/dengon-200201.html

B)http://www.e-net.or.jp/user/stako/ED2/E09-14.html

 おかしら衆やーい。

 呼べど答えず。

 あすは「いーつーしかーとーしーもー」です。

 きょうびの卒業式では SMAP の「世界に一つだけの花」なんぞが歌われます、と教えてくれた人もあるのですが、やっぱ蛍の光だろうが、窓の雪しかねえだろうが、文読む月日じゃなくていったいどうするの、と私は結構守旧派か。


●2月9日(月)

おかしら衆はかたやきを配る

 例の掲示板には「小酒井不木の世界」展が開かれている蟹江町歴史民俗資料館の学芸員の方からご投稿をいただきました。

投稿者:中 相作
投稿日:2004/02/09(Mon) 08:25 No.193
[48.1.215.220.ap.yournet.ne.jp]

タイトル:いーつーしかーとーしーもー

 なーんて歌ってる場合ではないのでしょうか。

  ●伊藤和孝様

 はじめまして。ご投稿ありがとうございます。まさかこの掲示板でご挨拶を申しあげることになろうとは思っておりませんでした。よろしくお願いいたします。

 先日は「小酒井不木の世界」展のパンフレットその他をお送りいただき、ご高配に深謝申しあげます。名張市立図書館にポスターを掲示し、チラシも来館者が持ち帰れるよう手配いたしました。ひとことお礼をと思って貴資料館にお電話をさしあげたのですが、たまたま伊藤さんがお休みの日でしたので、失礼したまま打ち過ぎてしまいました。お礼のしるしに『江戸川乱歩著書目録』をお送りいたしますので(発送の準備は整っているのですが、決済がまだでして)、お納めいただければ幸甚です。

 不木展には最終日にお邪魔し、阿部さんの講演をお聴きしたあと、なんですか酒席が設けられると聞き及びましたので謹んで末席を汚したいなと思っております。蟹江町の芸者さんを総揚げすることも辞さぬ覚悟で臨む所存です。よろしくお引き回しください。

 二〇〇四伊賀びと委員会へのご助言、どうもありがとうございました。この掲示板に投稿してお礼を申しあげる委員は一人もいないだろうと思われますが、どうぞお気を悪くなさいませんように。彼らも頭では説明責任のことを理解できているはずなのですが、なぜかだんまりを決め込んでヒッキー状態、この掲示板を通じて伊賀地域の恥が全国に発信されているわけで、いや困ったもんだなと思っております。

 『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行事業その他に関して、これからも何かとお力添えをいただくことになると思います。よろしくご高誼をたまわりますようお願い申しあげます。

 ●ご閲覧の皆様

 伊藤和孝さんにご紹介いただいた「小酒井不木の世界」展のことは私のホームページにもいささかを記しておりますので、下記アドレスをご覧ください。私は2月22日(日)にお邪魔することにしているのですが、いっしょに行きたいとおっしゃる方はぜひどうぞ。会場の蟹江町は、名古屋駅から近鉄名古屋線の快速だか急行だかで10分ほどのところだそうです。

http://www.e-net.or.jp/user/stako/BA/banken-2004.html

 ●∴切磋琢磨∴様

 ご投稿ありがとうございます。もうなーに訊いたってだーれも答えようとしないんだからー、と私はほぼ諦めているのですが、それにしたって疑問だらけわからないことだらけで仰せのとおり説明なさ過ぎ。おかげであしたのハタ坊は真っ白に燃え尽きてしまいそうだじょー。

 とはいうものの、これからも二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんのお尻をどんどん叩いてやってください。彼らだって説明責任くらいは弁えているはずなのですが、何が障害となってここまでだんまりを決め込んでいるのか。なんとも腑に落ちない話ですが、お尻を叩かれることに耐えられなくなったら何らかの動きを見せてくれるかもしれません。

 ●おかしら衆の皆様というか二〇〇四伊賀びと委員会の皆様

 おめーらわざわざ津や四日市まで出向いて芭蕉さんシール付きのかたやき配ってる場合かよ、と私はいいたい。

 あすは「すーぎーのーとーをー」。ということは残り三日か。


●2月10日(火)

 例の掲示板で『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)に関する情報提供をいただきました。乱歩が不木未亡人に宛てて、

 「昨日 岡戸君上京を機とし森下氏と熟議の結果全集出版には改造社を選ぶことに決断いたしました。条件は小生らの力以て出来る限り有利に取り運んだ積もりでございます」

 などと書き送った書状に関する情報なのですが、まずは下記のとおりの塩梅です。

投稿者:中 相作
投稿日:2004/02/10(Tue) 07:37 No.195
[48.1.215.220.ap.yournet.ne.jp]

タイトル:すーぎーのーとーをー

  ●伊藤和孝様

 まことにありがたいお言葉、お礼を申しあげます。ご協力をいただいて不木未亡人宛乱歩書簡を『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)に収録し、不木の死によって杜絶した往復書簡の掉尾を飾りたいと思います。

 数でいえば乱歩書簡が不木書簡のほぼ四分の一、書簡集としてはいささかバランスの悪い内容になってしまうのですが、おっしゃるとおり「二銭銅貨」に始まって不木全集で終わる構成となりますから、この一通を収めることで首尾は見事に一貫するはずです。

 不木全集に関しては岡戸武平の証言などを採録することも必要かもしれませんが、そのあたりは浜田のおかしらやもぐらの兄貴にお願いして、いいように運んでいただこうと思います。

 おかげさまでより充実した書簡集になりそうです。くわしくはまた、22日にお目にかかったおりにでも。よろしくお願いいたします。

 ●ご閲覧の皆様

 まさかこんなことがあろうとは夢にも思っておりませんでしたが、この掲示板で「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業のひとつである『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行事業に関する情報提供をいただきました。

 どうして情報提供をいただけたのかと申しますと、私が自分のホームページに「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001】」というページを設け、昭和4年4月24日付の不木未亡人宛乱歩書簡について「乱歩不木往復書簡集の掉尾を飾るにふさわしい一通。この書簡をどなたがご所蔵なのか現時点では不明なのですが、所有者のご協力をいただいて収録するよう努めたいと思います」と記してあるからです。

 ことほどさようにプロセスを公開することにはやはり大きな意義が認められる次第なのですが、二〇〇四伊賀びと委員会のおかしら衆はその点いったいどんなふうにお考えなのか、なんとかご回答をいただきたいものだと思って掲示板管理人の方に回答要請という余計な作業を押しつけてしまったものの、案の定お答えはいただけないのかな。おかしら衆は相も変わらず見ざる聞かざる言わざるで、地域住民に顔を向けてはくれないのかな。

 おかしら衆やーい。芭蕉さんシール付きのかたやきひとつくれんかねー。

 ●管理人様

 えー、別におかしら衆への回答要請を催促しているわけではありません。おかしら衆にちょこっと嫌みを申しあげただけでして。他意もひらめもございません。よろしくどうぞ。

 あすはいよいよ「あーけーてぞーけーさーはー」か。

 中井英夫ファンは番犬情報をご覧ください。わんわんわん。


●2月11日(水)

 例の掲示板での「蛍の光」斉唱もいよいよエンディング。しかしほんとにあしたで「わーかーれーゆーくー」になるのでしょうか。

投稿者:中 相作
投稿日:2004/02/11(Wed) 07:37 No.200
[48.1.215.220.ap.yournet.ne.jp]

タイトル:あーけーてぞーけーさーはー

 あしたはとうとう「わーかーれーゆーくー」となります。短いおつきあいでしたが、お名残惜しや皆の衆。二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんには、

 草枕まことの華見しても来よ

 という芭蕉の句でも捧げておきましょうか。はーたはっは。

 ●管理人様

 ご多用中恐れ入ります。とてものことに管理に手が廻らないとおっしゃるのであれば、この掲示板を閉鎖してしまうのも一案ではないかと思います。開設してたって単に恥さらしなだけのような気もいたしますし。とはいえ8日付の伊藤和孝さんのご投稿からも察することができますように、すでにしてかなりの範囲に伊賀ないしは三重県の恥が広まっているのではないかと懸念される次第なのですが。

 さてお尋ねの件、投稿185「まーどーのーゆーきー」を読み返していただければおわかり願えると思うのですが、私が問題にしているのは要するに、事業個々の詳細をホームページで公開するという昨年8月7日の組かしら会における決定に際して、事業計画決定過程を公開することの重要性がどの程度おかしら衆に認識されていたのかということです。まったく認識されていなかったのだろうと私は踏んでおります。

 私が10月31日付投稿などで提案してきたのは、個々の事業が決定される過程を公開するということです。重要なのはあくまでも過程であって、決定された事業内容をホームページで詳しく紹介しろということでは全然ありません。その差を私は投稿185において「月とすっぽん」という言葉で表現したわけなのですが、私の提案と組かしら会の決定とのあいだにはそれくらいの開きが存在しているように思われます。

 しかしどちらもこのオフィシャルサイトをどう利用するかの問題だという点では共通しているのですから、「月とすっぽん」と断じてしまっては大袈裟に過ぎるとお考えの向きもおありかもしれません。が、ひとつの計画が誕生するまでのことを問題にしている私と計画が誕生したあとのことを問題にしている組かしら会とのあいだには、誕生という言葉にちなんで例を挙げれば少なくとも妊娠と出産の違い程度の差は歴然として存在しており、ところがよくよく考えてみますと、妊娠と出産といったってしょせんあなた月のものがなくなってあれよあれよと思ってるあいだに赤ちゃんがすっぽんと生まれてくるだけのことなんですから、「月とすっぽん」でもさしたる支障はないのではないか。

 いやなんだか訳がわからなくなってしまいました。とにかく昨年8月7日の時点では、組かしら会には事業計画決定過程を公開することの重要性など毛筋ほども認識されていなかったのではないかと私には判断されます。しかしそれはあくまでも私の推測にしか過ぎず、実際のところはご当人たちにお訊きしてみなければなんともいえませんから、

池澤基善

田中愛一郎

中村伊英

中盛汀

北村嘉孝

的場敏訓

岩佐絹枝

高橋徹

中井孝佳

高杉勲

 上記十人のおかしら衆のみなさんから回答をいただけるかどうか、それを質問している次第です。ぶっちゃけて申しますと、オフィシャルサイトのことを話題にしているあいだに組かしら会の名前が出てきましたので、これ幸い超ラッキー盲亀の浮木優曇華のとばかり、いい機会だからそろそろおかしら衆にお出ましいただいていろいろ説明してもらおうじゃないの、と思いついたわけです。

 おかしら衆に連絡して回答をいただけるのかどうか(むろんこれは私だけではなく、∴切磋琢磨∴さんやたぶん芭蕉さんのファンさん、それから場の流れや空気をてんで読めないくせに妙に得意げに顔を出してくる莫迦なんてのもこきまぜたほかの閲覧者の方からも質問が寄せられてくる可能性がありますから、それらの人たちへの回答をも含めた話です)、それをご確認いただきたいと思うのですが、管理人の方にお願いできますかどうですか。

 ● tank 様

 ご無沙汰いたしました。わざわざ新規投稿をしていただいてどうもありがとうございます。もしかしたらマナー違反を犯されたのではないかと案じております。大丈夫でいらっしゃいましょうか。

 相変わらずのていたらくでお見苦しい限りですが、重ね重ねのご忠言、この胸に深く刻んで本日もびしばし投稿しております。お気づきの点はまたお気軽にご注意いただければ幸甚です。一度この掲示板の過去ログをすべてお読みいただくと、より貴重なご忠告を頂戴できるのではないかと僭越ながら愚考しております。

 それにしても、お叱りを頂戴するのはこれが二度目でしょうか、三度目になりますか。下世話にも仏の顔も三度と申しますが、いやまったくもってありがたい話だと思っております。今後ともよろしくお願いいたします。平身低頭。南無帰命頂礼。

 ところでひとつお聞かせいただきたいのですが、「公共掲示板」とはいったい何のことでしょうか。「公共」や「掲示板」ならわかるのですが、「公共掲示板」という言葉には不明にして初めて接しました。ご投稿から判断いたしますに tank さんはこうした掲示板のオーソリティでいらっしゃるご様子、「公共掲示板」の明確な定義をご教示いただければと思います。この掲示板にそぐわない話題だとお考えでしたら、私が開設している下記アドレスの掲示板にご投稿ください。

http://www.e-net.or.jp/user/stako/tayori.html

 私の掲示板はやや目につきにくいところに「あほがべたべたしにくるんやないぞこら」と書いてあるのですが、どうぞお気になさらずに。よろしくどうぞー。

 ●伊藤和孝様

 ご助言ありがとうございます。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に関するメーリングリストは存在していないと思います。二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんには、インターネットの即時性や双方向性をうまく利用できていない憾みがあるように見受けられます。彼らに「意見を徹底的に交換」する習慣があるのかどうか、これもおおきに疑問だと思われる次第ですが。

 とにかくまあご賢察のとおり、名張のジャイアンと異名を取る私のせいでとても「そんな雰囲気ではない状態」なのですが、今後もエキスパートとして外部からアドバイスをたまわりますよう、二〇〇四伊賀びと委員会になりかわってお願い申しあげます。

 もうそろそろかましてやってもいいのではないかと剣呑なことをお考えの方もおありでしょう。なんのなんの。どうか世界人類が平和でありますように。


●2月12日(木)

 例の掲示板ではほんとに「蛍の光」につづいて「そっとおやすみ」を歌うことになるかもしれません。

投稿者:中 相作
投稿日:2004/02/12(Thu) 08:12 No.203 [48.1.215.220.ap.yournet.ne.jp]

タイトル:わーかー

 「わーかーれーゆーくー」できれいにお別れしたかったのですが、管理人の方のお答えをまだ頂戴しておりませんので、きょうを限りとするわけにはいかなくなってしまいました。そこで姑息な手段ながら「蛍の光」細切れ作戦に出てみたわけですが、「わーかー」ではどうもなんだかなあ。

 ● tank 様

 さっそくお答えをいただきありがとうございます。投げかけた質問に対して間を置かずに回答を頂戴できるのは、やはり気分のいいものです。とくにこの掲示板では無上の幸福とさえ感じられる次第です。どうもお手数をおかけしました。

 しかしまだ、まーだ理解が届きません。こうした電子掲示板における「公共(みんなの)」と「内輪(個人の)」の違いはいったいどこにあるのでしょう。そもそもインターネットは公共のものであると私は認識しているのですが、公共のものであるネット上の掲示板に「公共」と「内輪」の区別があるものでしょうか。あいにく理解いたしかねますので、お手数ながら掲示板オーソリティの方のご教示をたまわりたく思います。

 それから、「個人のページなら、個人の主張を自由に展開されていいんでしょうけど、みんなのページなら、他の人にも発言してもらわなっくちゃねぇ」とおっしゃる言葉の意味もよくわかりません。「個人のページ」と「みんなのページ」とはそれぞれどんなもので、両者の違いはどこにあるのでしょう。さらにもうひとつ、私には上の文章が「みんなのページ」で「個人の主張を自由に展開」することはいけないことだという意味にしか読めないのですが、こうした理解でよろしいのでしょうか。なんだか腑に落ちませんので、あわせてお答えいただければ幸甚です。

 今度はこちらがお答えする番。「あしたはとうとう「わーかーれーゆーくー」って、どういう意味ですか?」とのお尋ねですが、私は2月8日付投稿「かーさーねーつーつー」に「私が二〇〇四伊賀びと委員会に対してこの掲示板で行うべき批判や助言はすべて出尽くした観がありますので、タイトルに流している「蛍の光」からもおわかりのとおり、そろそろおいとましようかなと考えている次第です」と記しております。2月5日以降の私の投稿のタイトルが「蛍の光」の歌詞であることにお気づきいただいておりますでしょうか(別に気づいていただかなくたっていいのですが)。とにかく8日付投稿に記したとおりのことでして、もう用事もないからそろそろこの掲示板からおいとましようかなと考えていただけの話です。

 ここでまことに僭越推参なことを申しあげますが、掲示板を閲覧された一瞥の判断のみに基づいて発言されるのではなく、ちっとは落ち着いていただいて、投稿記事を少しは過去に遡り、きのうもお願いしましたとおりできれば過去ログをひととおりお読みになったうえでご投稿いただくことをお勧めいたします。そのほうが誤解や独断の生じる可能性が減り、不必要な質問と回答を応酬する手間も省けるはずです。掲示板オーソリティの方に掲示板マナーをお教えするみたいなことを申しあげて恐縮至極。ご海容をいただければと存じます。南無八幡大菩薩。

 ●芭蕉さんのファン様

 もう少しお邪魔することになりました。私だってこの掲示板で芭蕉さんのファンさんや tank さんのような女性陣といつまでも光源氏ごっこをしていたいような気がしないでもないのですが、まあどうなることですか。

 「伊賀百筆」への寄稿に関しましては、編集兼発行人の北出楯夫さんからは原稿をお読みいただいたうえでOKをいただいているのですが、今月14日に編集委員会(まーた委員会かよ)が開かれて採否が正式に決定するそうです。編集委員から何かクレームがつくかもしれません。「伊賀百筆」第十二号巻末の編集委員十二人の一覧をつらつら眺めてみますと(むろん存じあげない方もいらっしゃるのですが)、女性陣はたぶん強力に推してくれるだろうと皮算用できるのですが、男性陣のなかにはさあどうだかなみたいな感じの方もいらっしゃるようです。北出さんには3月末に開かれる「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会までに発行してくれとお願いしてありますので、委員会の席上で知事に「伊賀百筆」をお渡しできればいうことなしなのですが、これもまあどうなることですか。

 それから、先日お知らせいただいた講談社「週刊日本の街道」の「伊賀街道」、購入いたしました。表紙に写真が掲載されている数馬茶屋へはいらっしゃったことがおありでしょうか(いまはたぶん改装のため休業中なのですが)。この数馬茶屋のおかみさんは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業にドナルド・キーン先生をフィーチャーした「世界俳諧フュージョン」という催しを提案していらっしゃいますので、お会いになれば興味深いお話がいろいろお聞きできるはずです。二〇〇四伊賀びと委員会のことも怒り心頭に発しながら話してくださいますし。

 なんなら「メリー・ジェーン」でもいいのですが、この曲は消灯タイムのバックミュージックに使用されることもありますからなんだかなあ。


●2月13日(金)

 あーりゃりゃッ。

掲示板閉鎖だ南無阿弥陀仏

 例の掲示板がこんなことになっているではありませんか。

掲示板は、市民の方々からたくさんのご提案をいただき、その書き込みに対応したり、また、伊賀びと委員会の委員それぞれが活発に自身担当業務の進捗状況を報告したり、思うところを自由に書き込むなどを想定していましたが、準備と周知の不足からそのような広がった展開ができませんでした。

大変申し訳ございませんが、掲示板は当分の間停止させていただきます。

 何があったというのでしょうか。

 は?

 私?

 私のせい?

 私のせいで掲示板が閉鎖されたんですかあ?

 こりゃまた失礼いたしましたッ。

 なんていってる場合ではありません。もう一息だったのに。あと「れーゆーくー」を歌うだけできれいにおいとまできたのに。俺の「蛍の光」をどうしてくれる。ええ残念な。

 ここでつらつら思い返しますに、私が二〇〇四伊賀びと委員会の組かしら会メンバーのお名前を列記して、この人たちから回答がいただけるのかどうかをご本人それぞれに確認してくれと掲示板管理者の方にお願いした、そのお答えをまだ頂戴できておりませんでしたから、ごく普通に考えますと、おかしら衆は私の質問に回答してくれる気がなく、しかし回答する気はないと掲示板で公表するのは明らかな責任回避ですからさすがにそんなことはできない、それなら「蛍の光」が終わるまで空とぼけていればいいのではないか、いやいや回答するかしないかを答えない限りあの莫迦「蛍の光」が終わっても「そっとおやすみ」でも「メリー・ジェーン」でも「お座敷小唄」でも何曲だって歌いつづけるつもりですぜ、ほなどないしまんにゃ、よし掲示板は閉鎖と決定だ、俺たちってこんなときだけすぐに意見がまとまるのね、うるせえ、ばしッ、みたいな流れがあったのかなとも推測される次第ですが、なにしろ二〇〇四伊賀びと委員会のことですから真相はすべて闇の中と申しあげるしかありません。どーせ訊いても答えねーだろーしよ。

 過去ログも読めなくなっていることに気がつきましたので、大慌てで「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」というページをつくってみました。あの掲示板には小西昌幸さんや伊藤和孝さんにも投稿していただいてあったと申しますのに。

 えーい。あとはあしただあしただ。


●2月14日(土)

 俺の「蛍の光」には俺がけりをつけるぜ。

 霧笛が俺を呼んでるからな。

 と脈絡も何もないありさまですが、例の掲示板に投稿できなかった「れーゆーくー」をこんな具合にしたためてみました。

投稿者:中 相作
投稿日:投稿できませんでした

タイトル:れーゆーくー

 いよいよお別れのときとなりました。

 この掲示板に「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に関する批判質問提案罵倒など、見かけはどうあれ本質はすべて二〇〇四伊賀びと委員会への支援にほかならない文章を投稿するのはこれでおしまいといたします。

 私の主張はごく簡単なことで、税金の無駄づかいはやめましょう、ただそれだけです。

 で、無駄づかいをストップさせることができないのならせめて高度な公開性のもとで事業を展開してくれ、そうすれば全国発信の名のもとにご町内の親睦行事を寄せ集めただけの結果に終わっても官民合同事業として一定の成果を残すことは可能だろう、だから事業計画策定過程や予算案を可能なかぎり公開してことを進めてくださいね、はいここ重要、試験に出るかもしれませんよ、みたいなことを莫迦みたいにくりかえしくりかえしお伝えしてきたわけですが、私のアドバイスにはこれっぽっちの意味もなかったようです。二〇〇四伊賀びと委員会は私のアドバイスとは正反対の方向に舵を切り、掲示板の過去ログを非公開とする挙に出てしまったわけですから。

 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業はもう死んでしまいました。

 二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトの掲示板のページには墓碑銘めいて──

 掲示板は、市民の方々からたくさんのご提案をいただき、その書き込みに対応したり、また、伊賀びと委員会の委員それぞれが活発に自身担当業務の進捗状況を報告したり、思うところを自由に書き込むなどを想定していましたが、準備と周知の不足からそのような広がった展開ができませんでした。

大変申し訳ございませんが、掲示板は当分の間停止させていただきます。

 ──との告知が記されていますが、これは掲示板のみならず事業の死をも告げるものといえるでしょう。

 上の文章に使用された漢字を用いて二〇〇四伊賀びと委員会の墓碑銘を記すならば──

 かれらは市民の提案に対応することをめざしていたが、業務の進捗状況を報告することさえできず、想定していたより準備や周知が不足していることがあきらかになったため、ここにすべての展開を停止した。

 ──といったことになるでしょうか。

 南無阿弥陀仏。二銭銅貨。

 それではみなさま。

 ご親族の方からご焼香をどうぞ。

 なんてこといってた日には湿っぽくっていけません。ぱぁーッとにぎやかに締めましょう。

 それではみなさま。

 さーよーおーなーらー。

 かしまし娘ふうにお願いできれば幸甚です。はいご陽気にご陽気に。

 ではまたあした。


●2月15日(日)

 本日はごく簡単に報告一件。

 地域雑誌「伊賀百筆」の編集兼発行人でいらっしゃる上野市の北出楯夫さんから昨夜お電話をいただき、きのう開かれた「伊賀百筆」編集委員会の席上、四百字詰原稿用紙二百枚、同誌の誌面でいえば七十七ページに及ぶ私の原稿が「伊賀百筆」第十三号に掲載されることが正式に決定したとお知らせをいただきました。

 よかったよかった。いかがですか読者諸兄姉。伊賀って土地もまだまだ捨てたものじゃありませんぜ。

 発行時期に関しましても、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会が開かれる3月末までに出せるよう、校正をはじめとした編集作業を急いで進めていただけるとのことで、たいへんありがたいことだと思っております。

 ちなみに北出さんは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業事務局に次回の事業推進委員会開催日を確認してくださったそうで、いまだ日程は決定していないとのことでした。

 事業推進委員会はもう開かれることがないのではないか、とも私には思われる次第なのですが、開催されるのであれば「伊賀百筆」第十三号を嬉々として持参し、これ読んでちっとは勉強しろ、と野呂昭彦知事にお渡ししたいと思っております。野呂さん待っててちょうだいね。


●2月16日(月)

 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の話はもういいか、という気がしてきました。

 二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイト掲示板の閉鎖と過去ログの封鎖とは、税金で開設された掲示板も結局は自分たちの私物であるという彼らの認識を如実に物語る行為であり、こんな程度の認識しかない連中が血税三億(正確には三億三千万ちょい)をいいようにつかっていいわけがないのですが、彼らに何をいったっていっさい反応がなく、伊賀忍法で石に化したとしか思えぬだんまりが今後もつづくことでしょうから、あたしゃなんだかもうあほらしくって。

 しかしよく考えてみますと、事業のパンフレットには「2004年は世界に誇る俳聖・松尾芭蕉が伊賀に生まれて360年の節目の年です。この機に、自然や風土、歴史、文化といった伊賀の魅力を360度の全方位に発信します!」と記されているのですが、魅力はともかく伊賀という土地の土地柄のようなものは、これで結構全国発信できているのではないでしょうか。

 やっぱ伊賀ってのは忍者の土地だよなー、と妙に納得していらっしゃる方が少なくないのではないかと推測される次第です。


●2月17日(火)

 蟹江町歴史民俗資料館の特別展示「小酒井不木の世界」は2月22日に終幕を迎えますが、この日アフターファイブには「小酒井不木の世界」開催記念大宴会が華々しく催されます。

 出席予定者は現在のところ二十二人とのことで、この日午後「インターネットで読む小酒井不木」をテーマに講演される阿部崇さんをはじめとした関東勢が勇躍なだれ込み、同資料館学芸員の伊藤和孝さんら地元関係者が一歩も引くことなくこれを迎え撃って、がっぷり四つの大宴会が展開されるものと予想されます。

 私は百八十万三重県民を代表してお邪魔するのですが、名張市あるいは伊賀地域あたりにお住まいの方で大宴会に参加したいとおっしゃる方は、早めに当方宛ご連絡ください。いっしょに足を運びましょう。

 二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんもいかがですか。そういえば、いまはなき伊賀の蔵びらき掲示板に「蛍の光」のメロディが流れるなか、私はみなさんとの別れを惜しみつつ、

 草枕まことの華見しても来よ

 という芭蕉の句をみなさんに捧げました。

 伊賀盆地なんて狭小な天地だけに跼蹐していないで、たまには草を枕として世の辛酸を味わっておいでなさい。独りよがりな紛い物で満足していないで、道に適った「まことの華見」を経験しておいでなさい。そうすればちっとはましな人間になれるでしょ。

 二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんに対して天国の芭蕉がそんなふうに助言してくれていると私には思われる次第なのですが、22日はもしかしたら「まことの華見」の好機かもしれないよとお伝えしておきましょう。

 さて、連中への説教もここいらで打ち止めとするか。


●2月18日(水)

 蟹江町歴史民俗資料館特別展示「小酒井不木の世界」のあとは東京で「永遠の薔薇──中井英夫に捧げるオマージュ展」がスタートいたします。行くべし。

 石塚公昭さんの出展作品を番犬情報でご覧いただけるようになりました。昭和30年代の中井英夫に遭遇することができます。見るべし。

 中井英夫を特集した『新青年』研究会の「『新青年』趣味」第11号も『虚無への供物』刊行四十周年の2月29日に発行される予定です。購うべし。

 しかしうっかり駄文を寄せてしまった。いまから冷や汗たらたらでして。関係各位に謝るべし。


●2月19日(木)

 きょうも「永遠の薔薇──中井英夫に捧げるオマージュ展」、ではなくて正式には「永遠の薔薇──中井英夫へ捧げるオマージュ展」の話題ですが、案内状をいただきましたので番犬情報にいささかを書き加え(ついでに「に」を「へ」に訂しておきました。相済みません)、1992年2月29日の中井英夫の写真をご覧いただけるようにいたしました。

 おまけとして「名探偵明智小五郎 vs 悪の軍団」というお芝居のチラシもお送りいただきましたので、左の人外告知板にやはりいささかを記しました。うーん。なんだかなあ。

 それからえー、こんなのはもう過ぎてしまった話題ですからどうだっていいんですけれど、どっかの掲示板の閉鎖と過去ログ封鎖に関して関係筋からそれとなく話が伝わってくるようになりました。

そうともこれが三重県だ

 どっかの偉い人たちが掲示板の投稿記事によってもたらされる三重県のイメージダウンをご心配であったとも聞き及ぶ次第ですが、イメージダウンがいやなら事業に関する質問にきちんと回答し、当事者としての責任をきっちり果たすべきだということすら理解できず、問答無用の閉鎖と封鎖で三重県のイメージダウンを決定的なものにしてしまった莫迦どもには目も当てられんな実際。

 こら莫迦ども。自己保身と責任回避しか考えぬ税金泥棒ども。おまえらの存在こそが三重県にイメージダウンをもたらしているのだということに、いやいやイメージダウンどころか明らかな実害をもたらしているのだということにまだ気づかんのか莫迦。とっとと辞めてしまえ。

 しかしこうなりますと3月発行予定の「伊賀百筆」第十三号もまた三重県にイメージダウンをもたらすことは必定で、しかもインターネットに縁のない人のあいだにまでイメージダウンの輪が広がることになりますから偉い人たちも大変です。

 どう出るこら莫迦ども。俺が3月末開催予定の「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会に「伊賀百筆」第十三号を持参し、知事をはじめとした委員全員のお歴々に真心こめながら一冊ずつプレゼントかましてしまうその前に、おまえら何か打てる手があるのなら打ってみろばーか。

 税金で開設された電子掲示板を私物だと勘違いしているおまえら底なしの莫迦どもでも、さすがに地域雑誌を自分たちの私物と見倣すことはできんだろう。どうした税金泥棒ども。お手のものの横車を見事ごり押ししてみるかばーか。

 莫迦からかったって面白くもなんともねーやばーか。


●2月20日(金)

 問答無用と電光石火はいまや三重県のお家芸なのかもしれません。きのう開会された三重県議会では、ごみ大爆発によって一躍三重県の名を高からしめたRDF発電所の稼働再開に事実上のゴーサインが出されてしまいました。まさに問答無用、電光石火。

 中日新聞オフィシャルサイトから昨日付夕刊の記事を引きます。

RDF発電所、試運転ゴーサイン

「あすから施設改修」 三重知事が表明

 昨年八月の爆発事故で稼働を停止している三重県企業庁のごみ固形燃料(RDF)発電所について、同県の野呂昭彦知事は十九日の県議会で、稼働再開に向けた試運転について「二十日から、前提となる施設改修に着手するよう企業庁に指示したい」と、事実上のゴーサインを出す意向を表明した。

 知事の意向通りに進んだ場合、RDFを燃やす試運転が三月中に始まる可能性が高まった。

 試運転は県側が地元説明会で「理解を得られた」と判断したことが背景にあるが、説明会では再開に断固反対する地元住民との間の亀裂が歴然としており、県議会や地元からの反発が予想される。

http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20040219/eve_____sya_____005.shtml

 この知事は何かというと「県民の理解」を口にされるのですが、RDF発電所の稼働再開に地元住民の理解が得られたとはとても見受けられません。それが証拠に毎日新聞のオフィシャルサイトから、山田夢留記者による昨日付記事を引用しておきましょう。

RDF再開 知事、近く試運転の方針──「住民無視」「なぜ急ぐ」猛反発

 ◇広がる不信と怒り

 県企業庁の「三重ごみ固形燃料(RDF)発電所」の再開に絡み、野呂昭彦知事が再開へ向けた改修、試運転を近く行う方針を固めたことに対し、住民には怒りや不信感が広がった。同庁が実施した住民説明会に出席した住民らは一様に、「住民無視に等しい」「なぜそんなに急ぐのか、まったく理解できない」と猛反発している。

 発電所の改修、試運転について同庁は、12〜15日の住民説明会での質問に対し、「住民理解が得られれば、改修、試運転に移りたい」と繰り返し回答。出席した住民らが「県の安全策には納得できない」と反発したのに対し、「(住民理解は)総合的に判断したい」と述べるにとどまった。野呂知事も17日の定例会見で、住民理解が得られたかについて「ノーコメント」を連発、今後の改修や試運転についても「まだわからない」と明言を避けた。

 ところが、野呂知事は17日夜、RDF事故関連で東京へ視察に出掛けていた県議会RDF貯蔵槽事故調査特別委員会のメンバーに改修、試運転へ移る方針を説明するため、急きょ上京。18日朝、委員らに「試運転は安全確認の一環として行いたい」などと報告した。

 発電所に近い東員町城山の藤田興一自治会長は「住民をばかにしたやり方だ。あれだけの人災を起こしたのだから、県はもっと厳粛に考えてほしい。住民は『今度はだまされない』という気持ちでいる」と憤る。

http://www.mainichi.co.jp/area/mie/news/20040219k0000c024001000c.html

 なりふりかまわぬ悪あがき、なんてやつも三重県のお家芸なのかもしれません。知事の「急きょ上京」はその一例。昨日付中日新聞からRDF取材班による記事を引きます。

県に焦り? 知事上京

RDF試運転 県議に了承求める

 三重ごみ固形燃料(RDF)発電所の再開問題で、野呂昭彦知事は十七、十八の両日、上京中の県議を追いかけ、事実上の再開といえる「試運転開始」への了承を求めた。唐突にも映る知事の行動には、十九日開会の県議会を前に、再開への県のあせりも見え隠れした。

 「試運転を了承してほしい」。十八日午前九時すぎ、消防庁が入る東京・霞が関合同庁舎の会議室で、野呂知事は省庁調査に来た県議会RDF貯蔵槽事故調査特別委員会メンバーを前に切り出した。県議たちは「突然、何の話だ」と驚き「ここは試運転を審議する場ではない」と突っぱねた。

 特別委は十七、十八の両日、RDF関連の調査で環境省、経済産業省、消防庁を訪問していた。田中覚委員長らの元に、県企業庁から「あす、知事が、そちら(東京)へ説明にうかがいたい」と連絡が入ったのは十七日夜。知事はそのころ、大阪市で開かれた企業誘致のセミナーに続いて出席していた県観光キャンペーン発表・交流会を中座、急きょ上京した。

 なーに醜態さらしてんですかこの人は。

 県議会が開かれたのは昨19日ですが、県議会の事故調査特別委は17、18日と調査のため東京出張でした。いても立ってもいられなくなったのか、追いかけーて、追いかけーて、すがりつーきーたいーのー、とザ・ピーナッツの歌を口ずさみながらであったかどうかはわかりませんが、とにかく知事は特別委を追いかけて上京し、江戸の仇は長崎ですが、三重の話は東京で、と話を切り出して特別委から一蹴されてしまったという一幕。

 なりふりかまわぬ悪あがき、やはり三重県のお家芸のひとつに数えるべきかと判断されます。

 しかしこの知事もお気の毒といえばお気の毒。前知事の敷いたレールを走ってるうち思いがけない局面に遭遇してしまったというだけの話で、つまりは「環境先進県」などとぶちあげて功を焦った前知事の尻ぬぐいをさせられているに過ぎません。

 それならそれで前知事の路線を見直して独自の旗幟を鮮明になさればよろしかろうにと思われる次第なのですが、路線踏襲こそ天命とでも思い込んでいらっしゃるのか、地元住民の声には一貫して耳をふさぎ、なりふりかまわずことを進めておいでなのは困ったものです。

 どっかで聞いたような話だな、とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。それもそのはず、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業とも事情は似通っております。事業実施が目的化してどんな批判も雑音にしか聞こえませんや、ばーか、といわれてもへっちゃらさ、なんて感じなのはほんとに困ったものですが。

 ただしRDF発電所の事故では消防士二人が命を落としていますから、そのあたりは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業と同日に談ずることはできません。お役所言葉で表現すれば、厳粛に受けとめる、みたいなことが要求されるはずなんですが、相も変わらずお役所の都合を住民に押しつけるという絵に描いたようなお役所仕事が展開されてるわけでして……

 あッ。

 こッ、こんなこと書いてる場合ではありませんでした。

あと千二十回のお散歩

 うッ、うちの犬が癌なんです。


●2月21日(土)

 い、犬が癌だあ?

 そう聞かされてびっくりしたのはおとといのことでした。犬というのはもちろんうちの犬、母方に遠くロシアの血を引く名犬ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギンのことです。

 これも何かの縁ですからここで打ち明けておきますと、「母方に遠くロシアの血を引く」というキャッチコピーは『虚無への供物』から頂戴したものです。手近なところに創元ライブラリ版中井英夫全集1がある方、カバーの袖をご覧ください。愛犬と並んだ中井英夫の写真が収められ、「母方に遠くアズマホープの血を引くこのローラ嬢」うんぬんという文章が添えられております。だからどうだということはまったくないのですが、『虚無への供物』刊行四十周年を目睫の間に控えてひとことお知らせしておく次第です。

 それでその犬のことなのですが、尾籠な話で恐縮ながら肛門の周囲におできみたいなものができておりました。おでき、関西ではでんぼと呼びますが、いわゆる吹き出物です。ときどき思い出したように姓は尾呂内、名は南公、崑ちゃんのとんま天狗でおなじみの(ついてこれませんかおのおの方)オロナイン軟膏を患部に塗ってやったりはしていたのですが、症状はいっこうに改善されません。

 それどころか徐々にひどくなってきているみたいですから、私は正統的なインテリゲンチャの常として病院というところを毛嫌いしているのですが(はっきりいって怖いの。病院が)、ここはひとつ勇を鼓してかかりつけの(といったって蚊の時期にフィラリアの薬を貰う程度なのですが)獣医さんを訪れたのがおとといのこと。患部を診察したあと獣医さんがおっしゃるには、

 「良性か悪性かはわかりませんが、間違いなく癌の症状です」

 がーん。

 い、犬が癌だあ?

 ケツに癌だあ?

 ケツ癌かあ?

 私は癌という言葉にすっかり動転してしまい、その場にへなへなと頽れそうになったのですが、獣医さんは冷静な表情で病状を説明してくれます。それによると(というか、獣医さんの言葉を正確に再現できる自信が私にはないのですが)、うちの犬はオスで去勢をしておりませんから睾丸を有しており、そんなこんなで(てんで再現できておりません)男性ホルモンの作用によって睾丸の周囲に癌が発生しやすいとの由。治療法としては、がーん、手術して睾丸を摘出するしか道がないそうです。

 がーん。

 がーん。がーん。

 手術という言葉を聞いた私はそのままふーっと気が遠くなりかけたのですが、身体髪膚これを父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり、という中国の古いことわざを唱えてなんとか踏みとどまり、でも手術するのも考えものなんです、という獣医さんの言葉で救われたような気分になりました。

 つまりうちの犬は大型犬ですから寿命は比較的短く、すでにして高齢と呼ぶべき年齢に至っていることから手術によってかえって寿命を縮めてしまう結果も招きかねないのだそうです。そういえばこいつの母親は避妊手術が原因で死んでしまったそうだし、手術ってのはやっぱり考えものだな、と私は思い返し、診察台に腹這いになっている犬の背中を軽く叩いてやりました。

 それで結局、もしも症状が悪化して出血を見るようになったら手術についてあらためて考えることにして、とりあえずは注射と投薬で治療を進めることに決めました。敢えて睾丸を毀傷するなんて、飼い主としてどうにも気が進まないことですし。

 そもそも犬はすこぶる元気にしており、食欲は旺盛、排泄に異状は見られず、散歩の歩みも力強いと来ていますから、病犬を抱えているという実感がまったく伴いません。いやー、三重県知事のことを腐れ金玉呼ばわりしたから罰が当たったのかな、などと犬が聞いたら気を悪くしそうなことを考えながら家に帰った次第です。

 ところで、この犬の母方の血というのはシベリアンハスキー種なのですが(父方の血は不明。いまだ処女であった母親が夢寐に太陽と交わって身籠もったということにしております)、獣医さんによるとこの犬種の寿命はせいぜい十二年だそうで、してみると今年の夏に満十一歳を迎えるうちの犬の余命はあと一年と五か月ほど。

 ということは十七か月。

 これに三十を掛けると五百十。

 さらに二を掛けると千二十。

 つまり寿命が十二年だとすれば、あとまだ千二十回も朝夕の散歩をともにできる計算になります。

 死期を悟って「あと千回の晩飯」と洒落込んだ山田風太郎の顰みに倣えば(なんとおこがましいことを)、さしずめ「あと千二十回のお散歩」ってとこですか。

 さあお散歩に行ってこよう。


●2月22日(日)

 本日は伊賀も三重県も名犬も関係ありません。乱歩の話題一本でまいります。

 2月19日木曜、学校法人立教学院創立百三十周年記念行事「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」の第一回実行委員会全体会が同学院太刀川記念館三階多目的ホールで催されました。

 実行委員会の構成はと申しますと、主催団体は学校法人立教学院と立教大学、後援団体は豊島区、読売新聞東京本社、日本推理作家協会、立教学院校友連合会、さらに協賛団体と協力団体がずらりとつづきます。

 名張市は協賛団体として名を連ね、僭越ながら市立図書館が窓口を仰せつかっておりますので、この日の会合には市立図書館長が出席、微力ではございますが惜しみない協力をとお約束申しあげてきた次第ですが、乱歩生誕地から訪れた遠来の客とあって下にも置かぬもてなしに与ったそうで、館長たいへんに感激しておりました。関係各位にお礼を申しあげます。

 メインとなる「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」は8月、立教大学と東武百貨店池袋店でくりひろげられ、「20世紀」「大衆」「昭和」「都市文化」などをキーワードに、乱歩という作家あるいは人間の相貌が新たな照明を浴びて浮かびあがります。時期を同じくして旧乱歩邸では住居と土蔵の公開も。

 ほかにも、NHKの人気番組が乱歩をとりあげ、国文学雑誌が乱歩を特集し、ブックフェアが開かれ、名張と鳥羽へのツアーが組まれ、さらにはトークあり映画上映あり新作落語の公演ありと、立教学院創立百三十周年記念事業は乱歩関連イベントを柱に怒濤の勢いで展開されるようですから、乱歩ファンは何かと忙しい思いをすることになりそうです。

 といった感じで取り急ぎ事業のアウトラインのみお知らせする次第ですが、日経ネットに掲載された「特集:〈胎動〉今年のブーム予測」の「(6)新選組だけじゃない──今年注目の「偉人」たち」にも乱歩が姿を見せておりますし、いささか旧聞に属しますものの立教大学図書館の「カレイ」36号(2002年4月10日発行)には渡辺憲司先生の「乱歩〈幻影城〉探偵団」が掲載されておりますので、あわせてお読みいただければと思います。

 それからもうひとつ、乱歩生誕百十年を迎えて生誕地の名張市では何がどうなるのかと申しますと、3月21日発行予定の地域雑誌「四季どんぶらこ」第三十号でいよいよ「じゃーん。名張市は乱歩から手を引けキャンペーン」がスタートいたします。

 ものごとを先送りないしはたらい回しすることしか知らず、自分たちは何もしようとしないくせに(何もできないくせに、というべきでしょうか)虫のいいことばかり並べ立てるお役人衆のみなさんに、最低限のものの道理というものを弁えてもらうためにちっとは痛い目を見ていただこうかなと考えているわけなのですが、さーてどうなることですか。


●2月23日(月)

 ふッ、俺もずいぶん焼きが回ったものだぜ、とエロキューションにやや難のあるエースのジョーのごとくに私は呟きました。昨夜帰宅したときのことです。帰りの電車のなかでおや、と気がついたのですが、家で確認してみてやっぱり、ということになりました。

 きのう外出時に着用していたスーツのことなのですが、上と下とで微妙に色が違っていることに帰宅してから気がついたという寸法です。似たような色の二組のスーツを、何かの都合で混同してしまったにちがいありません。ほんとやきがまわたものあるよ、と今度は謎の三国人を演じる藤村有弘のように呟いて、私はそそくさとお風呂に入りました。

 愛知県の蟹江町歴史民俗資料館で開かれた特別展示「小酒井不木の世界」はきのうが最終日、午後には不木研究家でいらっしゃる阿部崇さんの講演会が開かれるとあって、私は上下微妙に色の違うスーツを着込んで蟹江町に赴きました。

 といった感じで小学生が書いた遠足の作文みたいなレポートを記すことも私には充分可能なのですが、一躍蟹江町のアイドルと化した観のあるもぐらもち先生の「奈落の井戸」をはじめとして、特別展示と講演会の関係者や観覧者や聴講者によるレポートのようなものがインターネット上のそこここに発表される可能性もあることですから、私はおもに乱歩と不木の往復書簡のことに限定して報告を進めたいと思います。

 といったところで本日はおしまい。とりあえず番犬情報をご覧ください。

アヽラ怪シノ居酒屋大宴会

 末筆ながら、きのうご歓待くださった蟹江町のみなさんにお礼を申しあげます。アヽラ怪シノ居酒屋、と思わず硯友社風にのけぞってしまった昭和食堂における大宴会はじつに愉しいものでした。またお邪魔したいと思います。悦ちゃん待っててちょうだいね。


●2月24日(火)

 おもに乱歩と不木の往復書簡のことに限定して報告を進めたいと思います、ときのうは記したのですが、「伊賀の蔵びらき事業紹介【001】」のページに少し書き加えたら報告が終わってしまいました。

 なぜかと申しますと、もぐらもち先生をはじめとした『新青年』研究会スタッフが東京で段取りよくことを運んでくださっておりますから、私はこれまでの経過と今後の予定の報告を受けて「そのほうら、よきに計らえ」と威張ってるだけでよろしく、なんですか気分はもう山椒大夫(となると翻刻スタッフは安寿と厨子王ってことになりますか)、当方から閲覧者諸兄姉に対しては「書簡集刊行準備が超快調に進んでいます」と申しあげるしかない道理だからです。

 致し方ありませんから22日のことをウェブ日記風にまとめてみました。

2月22日(日)

午前2時起床、4時就寝、6時起床、7時散歩、8時朝食。

Google のキャッシュから蔵びらき掲示板の投稿をコピーして全発言にペースト。30件あまり拾えた。べたべた馴れ合ってるのが大半、やんなるなり。

10時20何分かの特急で名古屋へ。イタリア製のネクタイを初めて締めたところ、イタリア人のタッパに合わせてあるためかひらひら長すぎる感。池乃めだかのギャグも可能か。車内で立花京子『信長と十字架──「天下布武」の真実を追う』5章まで。信長を使嗾した人物としてようやく細川藤孝の名が指摘され、イエズス会への憧憬を胸に信長は全国制覇に乗り出す。

正午前に名古屋駅着。改札で「近鉄名古屋線はどこですか」と訊くと、駅員驚いた顔で「これが名古屋線ですよ」。大阪線だとばかり思っていたなり。名張と名古屋のあいだのどこかで大阪線が名古屋線になってしまうらしい。そこらのトンカツ屋でヒレカツ定食1700円。

近鉄蟹江駅まで名古屋線を急行で引き返し、雨が降ってきそうだったので駅前からタクシーで歴史民俗資料館へ。学芸員の伊藤さんに挨拶し、二銭銅貨煎餅を手渡す。講師控え室で阿部さんはじめ新青年研究会メンバーに対面、奥さんとご一緒だった広島の天瀬さんにはお初。

80席の講演会場は満員。最後尾に急遽一列増設されたパイプ椅子に陣取る。なぜか一輪車を抱えた中年男性が来場、一輪車に乗りながら聴講するのかと思ったがそうではなかった。愛媛の藤原さんの姿を見つけたので大宴会に誘ったが、時間的に無理とのこと。

講演は午後1時半スタート。演題は「インターネットで読む小酒井不木」。不木が耽綺社を結成した真意はスランプに陥った乱歩を援助することにあった、は興味深い新説。もぐらもち先生はなかなか堂に入った講師ぶりなり。

講演後、ロビーで不木生誕地碑建立を進める伊藤さんに挨拶。学芸員の伊藤さんとは別人なり。伊藤加藤江藤、蟹江町には藤のつく姓が多いそうな。生誕地碑関係者が4月24日に名張まで来てくれるというので、清風亭で1500円の昼食、そのあと乱歩生誕地碑から市立図書館乱歩コーナーへ、と当日のコースを決定する。ロビーではお初だったほりごたつさんにも挨拶、乱歩文献のコピーを貰う。

大宴会までやや時間があったので、タクシー3台に分乗して不木の句碑があるという鹿島神社へ。不木句碑の横には岡戸武平の句碑。講演前の蟹江町教育長の挨拶から察するに、名古屋圏に住むある程度の年配の人間にとって武平の名は懐かしいものらしい。

資料館に戻ってロビーでうろうろしていると、懐かしや郷土出版社の岩月さんが挨拶してくれる。10年ぶりくらいか。この5月、名古屋に樹林舎という出版社をつくって独立したそうな。かなり大変なことであろ。そのせいか以前より精悍な印象。大宴会の会場まで岩月さんと相合い傘。

会場は昭和食堂。アヽラ怪シノ居酒屋、と思わず引く。20人あまりが居流れた座敷の隅に坐るが、岩月さんから一番隔たった席だったのでひとことも喋れず。地元の人から蟹江町の話を聞き、輪中気質が伊賀気質に似ていることを知る。地域内で突出した者への処遇として、輪中では出る杭を打つのに対して伊賀では足を引っ張る点がやや違うなりか。伊藤さんも大変であろ。これは学芸員の伊藤さんのことなり。末永さんからは春陽堂の話など。にぎやかに盛りあがって散会。会費2000円。アヽラ廉価ノ居酒屋。

東京へ帰る新青年研究会メンバーとJR蟹江駅へ。別の電車に乗り込んだ蟹江町歴史民俗資料館職員のお姉さんに両手を振りながら「大野さーん、大野さーん」と大声で呼びかけたので、お姉さんはじめ周囲の人間から莫迦かあいつはと思われたことであろ。すべて浜田さんの差し金なり。名古屋に向かう車内では、悪いのは本多さんなりという話をした。

名古屋駅で近鉄特急に。車内で伊賀百筆のゲラに目を通す。記事の末尾に伊賀びと委員会と事業推進委員会の名簿を入れるつもりでいたのだが、すっかり忘れていたなり。やんなるなり。小さい字で数ページ分マージンに流すか。それも不細工か。悩んでいるうちスーツの上下が色違いに見えることに気づく。

午後10時前に帰宅。脱いで確認するとやはりスーツの色が違う。やんなるなり。焼きが回ったものなり。名張は一時的に雷を伴って風雨激しく、停電にも見舞われたそうな。犬の食器には雨水がたっぷり。不木展の最終日、名張は大雷雨夜となったなり。風呂に入ってからウイスキー。

午後11時就寝。

 まあそんなようなことでした。

 ウェブ日記に人様を実名で登場させることにはどっか抵抗を感じるのですが、といいながら実名で登場していただいたわけなのですが、不木に免じてご寛恕のほど。


●2月25日(水)

 重いでしょうか、このページ。

 重いと申しますのは、アクセスしてページが表示されるまでに時間がかかるせいでストレスを感じる、ということなのですが。

 昨年9月の模様替え以来やや重くなったと先日ある方からご指摘をいただいたのですが、こうした場合自分のネット環境が標準だとなんとなく思い込んでしまいがちなもので、私自身はこれといったストレスを感じることもないのですが、そういえばやたらだらだら長々しい「伊賀の蔵びらき事業紹介【001】」や「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」には若干の重さを感じないでもなく、さあいったいどうしましょうか。

 このページにはあれこれ画像を貼りつけてあり、左側に並んだコンテンツも分量が増えがちなものですから、それが重さの原因かもしれません。とりあえずコンテンツのうちリンク集「うつし世リンク」へのリンクを削除してみました。リンク集を利用することなどもうめったにありませんし。

 さてこのあとは、さあいったいどうしましょうか。


●2月26日(木)

 重いといわれてあっちこっちいじってみる真似をしてみたけど結局どうしようもないみたいだからもういいか。

 お餅も入ってべたべたと、重くてどうもすいませーん。懐かしいなあ林家三平、と適当なこといって先に進みます。

遠縁の娘はアテネを目指した

 突然ですが、親戚の女の子がアテネ五輪に出場することになりました。昨日付中日新聞では石原真樹記者の記事で次のとおり報じられております。

「アテネでも金メダルだ」

一志町出身の吉田さんが五輪出場決定

 「アテネでも頑張って!」−。二十四日、東京・駒沢で開かれたレスリングのクイーンズカップ五十五キロ級で、一志町出身の吉田沙保里選手(21)=中京女子大=が優勝、五輪出場を決めた。吉田選手の母校、久居高校レスリング部の後輩や恩師、友人らは喜びを爆発させ、「金メダルを」と口をそろえた。

http://www.chunichi.co.jp/00/mie/20040225/lcl_____mie_____000.shtml

 この吉田沙保里選手が私の親戚なのですが、親戚と申しましてもこんな親戚が存在することをついきのうまで知らなかったほどの遠縁。義母の従兄弟の孫に当たるとかなんとか、はっきりいってただの見ず知らずのお嬢さんに過ぎないのですが、オリンピック出場決定ともなるとえらいもので「応援したってなー」という電話が親戚じゅうを駆けめぐったらしく、きのう夜には気が遠くなるほどの遠縁である私の家にまで応援要請の電話が入ったという寸法です。

 読者諸兄姉もアテネ五輪女子レスリングのテレビ観戦に際しましては、72キロ級の浜口京子選手だけでなく55キロ級の吉田沙保里選手も応援したってなー、と親戚一同になりかわってお願い申しあげる次第です。

 しかしなにしろアニマル浜口選手のお嬢さんなんですから、浜口京子選手もどうぞよろしく。

 アニマル浜口、グレート草津、サンダー杉山、ストロング小林、ラッシャー木村、レフェリーは阿部修、外国人選手はビル・ロビンソン、モンスター・ロシモフ(のちのアンドレ・ザ・ジャイアントはこんなリングネームで初来日したわけです。あ。あなたアンドレ・ザ・ジャイアントをご存じありませんか。常人より歯の数が多かったと伝えられる巨人プロレスラーなんですが)、忘れちゃいけない吉原社長。懐かしいなあ国際プロレス、と適当なこといって先に進みます。

 ある方から「馬鹿掲示板の最後のところがありましたので送っときます。好きに使って下さいませ」と Google のキャッシュをお送りいただきましたので、「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」に投稿六件を追加しました。このなかにはあの掲示板における最後の投稿も含まれているようです。

 となりますと、第一義とされるべき公開性を徹底的に抑圧して準備が進められている官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」における恥知らずなほどの非公開性をこれ以上なく端的に象徴する事態であり関係者全員が何も考えておらず何もわかっていない腰も抜けんばかりな莫迦ばかりであったという事実を天下に如実に知らしめる事件でもあった過去ログ封鎖を批判するため著作権を確信犯的に無視して二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイト掲示板の全投稿を復元する試みもどうやらここらあたりで作業終了か。

 まったく世話の焼ける莫迦どもだぜ。


●2月27日(金)

 またしても例の掲示板の話題ですが、「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」には投稿三通を追加しました。

 掲示板「人外境だより」でご教示いただいたことを記録してあるファイルを調べているうち、例の掲示板から削除された投稿(私の投稿ではありません)が保存されていることを発見しましたので、その投稿を転載した「人外境だより」とともに増補。ついでですから掲示板閉鎖後に記した「れーゆーくー」という締めの投稿で掉尾を飾りました。

 それから昨日、ある方から例の掲示板のことでメールを頂戴しました。掲示板閉鎖と過去ログ封鎖に関して二〇〇四伊賀びと委員会事務局に抗議のメールを送り、事務局側の回答も得たのだが、この抗議、回答、抗議、回答、抗議という五通のメールをおまえのサイトで公開してくれぬかとのご依頼をいただきましたので、私が下記のようなメール(この伝言板への転載にあたって個人名を○や△などの記号に置き換えました)をお送りしたのは昨日夕方のことでした。

○△□◇様

 メール拝受いたしました。どうもありがとうございます。

 お申し越しの件、たしかに承りました。当方に「共感できるところ」があるかないかといった問題以前に、こうしたやりとりを公表し記録しておく場が必要でしょうから、その役目を仰せつかろうと思います。頂戴したメールから引用した下記の部分、明朝にでもアップロードしたいと思います。

 つきましてはふたつだけ確認をお願いしたいのですが、まず一点目、「○△□◇」というお名前を明かすことには差し支えがないでしょうか。ご本名かどうかということは問題ではありません。

 二点目は事務局側のメールに関してなのですが、この回答二通をホームページや印刷物で公表することの了解は、事務局から取りつけていらっしゃるのでしょうか。もしもそうでないのならば、もしかしたら著作権や私信の守秘義務の問題に抵触する虞があるように思われます。

 かりに事務局側から著作権や私信(私信と見るべきかどうかも難しいところなのですが)の守秘義務に関して抗議があった場合、どう対処されるかはお考えでしょうか。むろんホームページの開設者である私自身にも累が及ぶことになりますが、○△さんの責任も当然問われることになります。その場合の覚悟はおもちでしょうか。

 他者への批判を公表するためには、やはりそれなりの覚悟というものが必要でしょう。自分の身はあくまでも安全なところに置いたまま(匿名性に隠れて、と申しあげましょうか)他者への批判を公にするような態度は、それこそ当方の「共感できるところ」ではないことを申し添える次第です。

 口はばったいことを申しあげましたが(いささか説明不足かなとも危惧されますが)、ご寛恕のうえ上記二点に関してお考えをお聞かせいただければと存じます。

> (ここにメール五通の文面を引用してあったのですが、この伝言板への転載にあたってすべて省略しました)

 今後ともよろしくお願いいたします。

2004/02/26

 けさ、○△□◇さんからの返信が二通届いておりました。むろん自分の責任は弁えている(一通目)、もう回答する気がないのだろうと思っていた事務局からメールが寄せられ抗議と回答の応酬に進展があったためとりあえず今回の掲載依頼は却下する(二通目)、とのことで、○△□◇さんと事務局とのやりとりを紹介することは沙汰止みになった次第です。

 以上、例の掲示板をめぐる世に顕れていない動きをごくおぼろげにお知らせした次第です。隔靴掻痒だと怒らないでね。

 ところで、二〇〇四伊賀びと委員会のオフィシャルサイトがリニューアルされたようです。しかしいくらホームページをリニューアルしてみたところでですね、第一義とされるべき公開性を徹底的に抑圧して準備が進められている官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」における恥知らずなほどの非公開性ならびに関係者全員が何も考えておらず何もわかっていない腰も抜けんばかりな莫迦ばかりであったという明々白々たる事実はいまや覆いがたいものだと知るべきでしょう。

 二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんは、掲示板を再開するんだったらものごとの本質もよく考えてからにしてくださいね。もっともみなさんには、どうやらほんとに上っ面のことしか見えていらっしゃらないようですけど。

 とにかくおまえらがこれから何をするにしたところでだ、名張に俺がいるということだけは忘れるな、と申しあげておきましょうか。おまえ何様だと怒らないでね。


●2月28日(土)

 網野善彦さんの訃報に接しました。

 産経のオフィシャルサイトでは「おくやみ」ではなく「文化・芸能」に──

日本中世史の第一人者、網野善彦氏が死去

 民衆の視点から日本中世史をとらえ直す独自の研究で知られた歴史家で元神奈川大特任教授の網野善彦(あみの・よしひこ)氏が27日午前、東京都内の病院で死去した。76歳。山梨県出身。自宅は東京都練馬区関町南4の5の31。葬儀・告別式の日取りは未定。

http://www.sankei.co.jp/news/040227/bun087.htm

 朝日のオフィシャルサイトには見当たらず、「おくやみ」にはこんな名前が──

作家、元朝日新聞上海支局長の伴野朗さん死去

 伴野 朗さん(ともの・ろう=作家、元朝日新聞上海支局長)27日、心筋梗塞(こうそく)で死去、67歳。葬儀は29日午前11時30分から千葉県市川市南行徳4の18の17のMK南行徳ホールで。喪主は妻千代(ちよ)さん。自宅は同市福栄1の13の7。

http://www.asahi.com/obituaries/update/0227/006.html

 合掌。

 といったようなことで本日は失礼いたします。


●2月29日(日)

 きのうのことです。

 お嬢吉三ではありませんが、月もおぼろに白魚の、篝もかすむ春の空、つめてえ風もほろ酔いに、心持ちよくうかうかと、浮かれ烏のただ一羽、ねぐらへ帰る川端で、とばかり思いがけないものを手に入れてしまいました。

 何が手に入ったのかと申しますと、二〇〇四伊賀びと委員会のおかしら衆におねだりしても頂戴できなかった芭蕉さんシール付きのかたやきです。

 いまや鳥インフルエンザのメッカと呼んでもいい兵庫県にある焼鳥屋さんでがっちりゲットしてまいりました。

 つまりこれなわけね。

 棹のしずくか濡れ手で粟、思いがけなく手に入るかたやき、こいつぁ春から縁起がええわえ。

 本日はここまでです。