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2006年1月中旬
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けさはきのうにひきつづき、Yahoo! ニュースの検索で2005年の1月から6月までをやっつけました。 Yahoo! ニュースで全国紙の記事を検索するといったところで、対象は読売、毎日、産経の三紙のみ。しかもネット上の記事だけです。ですから全国紙のオフィシャルサイトをこまめに検索していれば、こんな有料サービスには全然頼らなくてもいいわけなのですが、そうしてこなかったのだから仕方がない。これからはこまめに検索することにして、とりあえず過去二年間の乱歩関連記事、可能な範囲内で身柄確保に努めております。 検索にひっかかってきたのに読むことができない記事もあって、毎日新聞の昨年6月3日付「三重・映画ものがたり:/55 江戸川乱歩/上 弁士や監督見習い志願 /三重」と6月10日付「三重・映画ものがたり:/56 江戸川乱歩/下 ペンに託した映像への夢 /三重」は、ともに私が執筆した署名入り記事なのですが、記事にアクセスすると「指定した記事本本が存在しません」と表示されてしまいます(それにしても、「本本」はいったい何と読めばいいのか)。たぶん著作権の関係なのでしょう。 著作権といえば、共同通信配信のこんなニュースが報じられています。
ちょっとありえないような話なのですが、出版社サイドは「口頭で了解を得たと理解している」と主張しているそうですから、ニッポン名物の口約束ってやつがもたらした行き違いということでしょうか。それにしても、筒井康隆さんが相変わらずお元気そうなのは喜ばしい。 閑話休題。新聞記事の話に戻ります。地方版の細かい記事までオフィシャルサイトに掲載している新聞社もあれば、そうではない新聞社もありますから、身柄確保する記事には当然のごとく偏りが出てきます。具体的には毎日が多く、産経が少ない。これも致し方のないところだとあきらめて、可能な範囲内で作業に努めている次第です。 そもそも新聞というやつはデータをおさえるとなるとなかなかに手強く、同じ記事でも発行本社の違いによって掲載日や見出しが異なったり、あるいは掲載されていなかったり、版の差によってもいろいろあったり、ほんとにいやになってしまうことが多々あります。そのあたりを厳密につきつめてゆくと、どちらかといえば完全主義者気味の人間である私はすべてを投げ出したくなってしまうのですが、身の丈の範囲内でやるしかないであろうなと達観されるところもあり、ともあれ読者諸兄姉には、ご購読の新聞紙(新聞紙といってしまうとお弁当の包み紙みたいな印象になってしまいますが)に乱歩の名前をお見かけになられたら、お手数ですがぜひご一報をとお願いしておきたいと思います。 そういえば、名張まちなか再生委員会の委員長にお会いしたいのですがと事務局に依頼してから、はや一週間が経過してしまいました。いったいどうなっておるのやら。さっぱりわかりません。謎というしかありません。さすがミステリーの故郷である。 |
ひいひい。けさは2005年の7月から12月まで、ひいひいいいながらなんとかやっつけてみました。 2005年の新聞紙上では、なんといっても自殺サイト連続殺人事件と乱歩作品との関連が乱歩ファンの耳目を集めたものでしたが、そのかげでこんなニュースにも乱歩の名を発見することができます。
佐賀県と福岡県で発生した連続女児連れ去り事件。その公判のニュースですが、事件を起こした元巡査二十五歳は被告人質問で、事件を起こした背景として幼少期に父親から暴力を受けたことをあげ、それ以外に自分に影響を与えたのは乱歩と警察であると述べたそうです。どうもようわからん話で、乱歩作品を読むと女児連れ去りに走ってしまうのか。あるいは、父親と警察とはいずれも強大でさからいがたい権力の象徴でしょうから、そうした強さへの反撥が女児という弱小な存在に眼を向けさせたと自覚しているということなのかもしれませんが、ならばこの元巡査にとって乱歩もそれに似た存在であったのか。たしかに乱歩には、そうした側面がないでもないのですが。
こちらは自殺するための拳銃を入手しようと、駐在所の警官を襲撃して逆に逮捕されてしまった中学三年生男子十四歳のお話。重傷を負わされた警部補はこの少年について、「にこにこしていて、おかしいとは感じなかった。自分を刺すとは思わなかった」と話したとのことですが、自殺願望にあおられ、しかしにこにこしながら駐在所を訪れ、警官を刺してつかまり、接見した弁護士にはあっけらかんと乱歩の本を所望する。この少年にはどこかしら夢野久作作品を連想させるところがあってなかなかに面白く(面白がるのは不謹慎ですが)、とにかくまああれだ、これからは自殺など考えずに力強く、いや力弱くたって全然大丈夫だから、とにかく生きてゆくのだよと言葉をかけてやりたいような気分です。 さるにても、どんな受け容れられ方をしているのかは別にして、乱歩という作家はいまも確実に生きて受容され消費されているのであると、考えてみればじつに驚嘆すべき事実をあらためて実感させられたのが2005年という年であったのかもしれません。 全国紙のオフィシャルサイトをこまめにチェックしてさえいれば、と悔やまれたのは、北村想さんの「怪人二十面相・伝」が舞台化されたというニュースに遅ればせながら接したときのことです。毎日新聞の記事で知ったのですが、公演は昨年8月。戯曲家が乱歩の少年ものをモチーフに書いた小説を当の戯曲家が戯曲化したというややこしい舞台の概略は、この「船戸香里一人芝居『怪人二十面相・伝』」でどうぞ。会場は兵庫県の伊丹市でしたから、知ってりゃなんとか駈けつけたのに。 さて怪人二十面相といえば、2005年の名張市におきましては二十面相がやたらニュースに出没しており、なじかは知らねど顔から火が出そうになりました。眼についた見出しをざっとあげてみましょう。 ──怪人二十面相:一日局長に !? ──夫婦行灯:怪人二十面相、お目見え ──怪人二十面相現る、三重・名張をPR来社 ──怪人二十面相:三重・名張市をPR ──怪人二十面相、大阪・道頓堀に現る ──名張市観光協会:“怪人二十面相が出没” いいかげんにしないか。 いや、いやべつにいい加減にしていただく必要はなく、好きなようにやっていただければいいのですが、しかし顔からバーナーのごとくぼうぼう火が出るのをなんとしょう。
いや、いやいや、それはたしかにマスメディアによる旧乱歩邸土蔵幻影城化キャンペーンはいい加減にしてもらいたいところではあるのですが、私がいまいちばんいい加減にしていただきたいのはやはり名張まちなか再生委員会の委員長さんなのである。 いいかげんにしないか。 ほんとにいいかげんにしろよな。 |
東京およびそのお近くの方にお知らせです。劇団フーダニットのお芝居「真理試験──江戸川乱歩に捧げる」はあす14日とあさって15日、江戸川区内の会場で上演されます。作品は辻真先さんの書きおろし。詳細は「番犬情報」でどうぞ。 さて、すっかりおなじみになりました Yahoo! ニュースの全国紙記事検索では、犯罪者が乱歩から受けた影響を告白しているばかりでなく、文学者が乱歩の影響を打ち明けるシーンにも遭遇することができます。犯罪者と文学者は、まあ似たようなものですけど。
重里徹也記者の記事です。松浦寿輝さんの『半島』は2004年7月に文藝春秋から刊行。「江戸川乱歩の小説のせい」などと聞かされると読まずばなるまいという気になるのですが、当地の書店ではこの本、ただの一冊も見かけなかったように記憶します。
こちらは山内則史記者の記事。「倒錯的なエロス」はよくわかりますものの、乱歩の少年ものに「地下への偏愛」が感じられるのかどうか、私にはやや分明ではない印象なのですが、読売文学賞を受賞しても増刷されなかったのか、やはり当地の書店にはまわってこなかったこの『半島』、本屋さんに取り寄せてもらって読んでみたいと思います。
ご好評をいただいておりますこの新企画、「本日のアップロード」と命名いたしましたが、よく考えてみたら新たなファイルを掲載することはあまりなく、ファイルの更新が大半であると気がつきましたので(厳密に記せば、本年に入って新規ファイルをアップロードしたのは1月1日にただ一度)、より実情に即した「本日のアップデート」に名称を変更いたしました。 |
こんなことに目くじらを立てる必要もないかと思ってそのままにしておきましたものの、どうにも気になりましたので昨日付「本日のアップデート」にひとこと追記を加えておきました。些細なことです。取るに足りぬことです。男がいちいちこんなこと気にかけてどうする。出世できんぞ。そんなことで大物になれるか。しかし私はべつに女の腐ったのでもいいんだし、出世はしたくないんだし、大物なんて嫌いなんだし。ええいこの男はいいわけがましく何をぶつぶつ自己言及しておるのかとお腹立ちの諸兄姉は、ほんとにどうでもいいことなんですけど「人外境主人伝言録」のこのあたりをご確認ください。 さて、1月ももうなかば、2006年最初の乱歩の著書として、光文社文庫版全集第二十八巻『探偵小説四十年(上)』が登場しました。すでに書店に並んでおります。私はきのう買ってきました。 私はときおり、乱歩の最高傑作はひょっとしたら『探偵小説四十年』なのではないかしらとか、孤島にただ一冊だけ許されて乱歩の本を携えてゆくという場合、自分は『探偵小説四十年』を選んでしまうのではないかしらとか、そんなどうでもいいことを考えてしまうのですが、光文社文庫版乱歩全集全三十巻、配本の掉尾を飾るのが上下二巻の自伝となったことには、なにかしら感慨深いものをおぼえざるをえません。まあ、編集作業がたいへんだから先送り先送りで最後の配本になってしまった、といった事情もあるのかもしれませんが。 この『探偵小説四十年(上)』では、1月7日付伝言「本日のアップロード」で話題にした「余白に」の埋め草や、乱歩がみずから記した写真のキャプションもことごとく収録し、さらに写真はすべて(どうしても見つからないものは別ですが)オリジナルのプリントから新たに起こしたという丹念な編集によって、書籍そのものがまぎれもない乱歩作品である桃源社版『探偵小説四十年』が、文庫本という制約のなかであたうかぎり復元されていると申しあげていいでしょう。 桃源社版の巻末にあった「江戸川乱歩作品と著書年度別目録」も、上下二巻それぞれに割り振って収められています。この目録は歿後三次にわたる講談社版全集にも収録されていましたが、今回の全集では脚註を設けて誤脱を訂するという新機軸が見られます。 ──本書の成立過程はたいへん複雑である。 という文章ではじまる新保博久さんの「解題」から引きましょう。
ありゃお恥ずかしい。『江戸川乱歩執筆年譜』も『江戸川乱歩著書目録』もまだまだ不完全なものではあるのですが、この目録二巻は『探偵小説四十年』巻末の「江戸川乱歩作品と著書年度別目録」を天国の乱歩になりかわって名張市立図書館が大幅に増補改訂したものであるとお考えいただければよろしく、こうした場合の依拠資料としてご活用いただくのはありがたいこと光栄なこと、そして名張市民の血税つかって江戸川乱歩リファレンスブックを刊行した本旨にかなうことでもあり、名張市はいまや何かというと怪人二十面相が出没するけったいな地方都市になりはてておりますが、ちょっと前までは乱歩に関してちゃんとしたことができておったのではないかと、なにかしら感慨深いものをおぼえざるをえません。 つづきまして、『探偵小説四十年(上)』を買ったついでに受け取ってきたお取り寄せ雑誌の話題です。
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ひきつづき『探偵小説四十年(上)』の話題です。 「処女作発表まで」の章から、「はしがき」につづく「涙香心酔」の冒頭を引きます。
これだけです。これだけなわけです。何がこれだけなのかというと、名張の扱いが。あの長大浩瀚な自伝における自身の誕生の扱いは、 ──生れたのは明治二十七年十月、三重県名張町。 たったこれだけなわけなんです。 「涙香心酔」が発表されたのは「新青年」昭和24年10月号、「探偵小説三十年」の記念すべき連載第一回。いまだ「ふるさと発見」は果たされておらず、当時の乱歩は名張のことを何も知りませんでしたから、これだけしか書きようがなかったということなのでしょう。したがいまして昭和27年の秋9月、乱歩が川崎秀二の選挙応援で名張を訪問することがなかったら、たぶん『探偵小説四十年』に「名張」の文字が登場するのはただ一度、 ──生れたのは明治二十七年十月、三重県名張町。 と「涙香心酔」に記されてそれでおしまいだったことでしょう。 しかし実際には、「探偵小説三十五年」に改題されてえんえんとつづいた連載の「宝石」昭和34年9月号にいたり、「ふるさと発見記」と「生誕碑除幕式」が再録されて、『探偵小説四十年』には「名張」の文字がさらに書き記されることになりました。めでたしめでたし。 名張のことはどうでもいいとして、この光文社文庫版『探偵小説四十年』の大きな特徴は、新保博久さんの「解題」に「原稿は連載のうち相当量が立教大学図書館に預託されている」と明かされている連載原稿や、さらにそのもととなった草稿までもが本文校訂の対象とされていることでしょう。ですから「解題」の校異をたどると、はじめて陽の目を見る乱歩の文章に接することができます。 たとえば「涙香心酔」。このタイトルは、草稿ではまず「私が探偵小説に心酔するに至つた経路」というなんとも散文的なものが記され、それを抹消して「涙香心酔」に改められているそうで、しかもその本文は、上に引いた「明治三十二、三年のころ」ではじまるのではなく──
いや驚いた。ぶったまげた。息がとまりそうになりました。もしも大福餅をほおばっていたならば、かならずや喉につまらせて生死の境をさまよう羽目になっていたことでしょう。 あの長大浩瀚な自伝『探偵小説四十年』が、草稿では自身の「探偵趣味」を包まず打ち明けることからはじめられていたとは。世界をじっと眺めていると、世界がふいに意味を一変させてしまう「秘密の発見」の瞬間が訪れる、それが自分にとっての「探偵趣味」なのであると、それは「絵探し」なのであると、乱歩がこのようにも克明に告白していようとは。さらにまた、それが幼少期からのいわば宿痾のようなものであったと、乱歩がここまで自覚的であったとは。
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まだ『探偵小説四十年(上)』の話題なのですが、再度引用いたしますと──
はじめて公刊されたこの「涙香心酔」の草稿は、おそらく乱歩という作家を考えるうえできわめて有効な補助線になるものと思われます。 たとえばどんなことが考えられるか(妄想できるか、といったほうが適切でしょうが)。まず確認しておきますと、草稿は上にも見えるそのとおり、「五六才の頃」の「絵探し」が「探偵趣味」の出発点(ちなみに私は「原点」という言葉を好みません)であると書き出されていたのですが、このエピソードは採用されるにいたりませんでした。実際に発表された「涙香心酔」には「五六才」の乱歩は登場せず、 ──私は六、七歳であった。 ──まだ探偵小説の面白味などはわからなかった。 との告白がまずなされ、 ──私が探偵小説の面白味を初めて味わったのは小学三年生のときであったと思う。 という申告がつづけられます。草稿にあった「探偵趣味」は姿を消し、あくまでも「探偵小説」と自分との関係が語られている。これはどういうことか。乱歩は個人の回想記ではなく、あくまでも本邦探偵小説史として「探偵小説三十年」を書きはじめたのだということでしょう。 「探偵小説三十年」の連載が開始されたのは、昭和24年10月のことでした。探偵文壇は敗戦以来どんな状況にあったのかといいますと、横溝正史は本陣、蝶々、獄門島、八つ墓村と奇蹟の連打、いっぽうで坂口安吾の不連続、角田喜久雄の高木家、さらに高木彬光の刺青といったあんばいに、思いもかけない顔ぶれによる本格長篇がひしめくようにくつわを並べておりました。その布陣はおそらく、この年ようよう戦後初の小説である「青銅の魔人」を連載中だった探偵作家乱歩の心胆を寒からしめていたにちがいありません。 まずいよな、と乱歩は思ったかもしれません。すでに断末魔の状態を呈していた「新青年」から回顧録の連載依頼があり、思いつくままに草稿を書き継いでいたときのことです。子供向けの小説しか書いてないおれが子供のころに感じた探偵趣味の話なんかしてたんじゃ、あまりにもぴったりしていてまずいよな。 念のために申し添えておきますが、私はあくまでも妄想を語っております。妄想をしか語っておりません。で、その妄想をさらにひろげますと、ようするに乱歩は、探偵作家乱歩の個体発生などではなく、本邦探偵小説の系統発生を書いてみようと考えた。探偵文壇に君臨する王者が手ずから執筆したとなれば、それはどうしたって正史(横溝のことではありません)ということにならざるをえないでしょう。本邦探偵小説における正統はむろん乱歩であり、それは衆目の認めるところでもありましたから、このさい自身こそが正統であるという事実を正史に歴然と決定的に誰にも否定しがたく刻みつけておくためには、まずみずからの個体発生を「探偵趣味」ではなく「探偵小説」から語りはじめる必要があるだろう。「趣味」の子ではなく、「小説」の子であるという自己証明。 その証明のために、「五六才」の乱歩は「探偵趣味」の言葉とともに袖にひっこめられ、母親から涙香本の挿絵の説明を受けている「六、七歳」の乱歩、母親から「秘中の秘」の新聞連載を読み聞かせてもらっていた「小学三年生」の乱歩、そして涙香作品の面白さにめざめた乱歩が舞台に登場することになりました。かくて乱歩は、草稿にあった「私が探偵小説に心酔するに至つた経路」というタイトルを抹消し、その横に新しいタイトルを書き入れます。 ──涙香心酔 ここに本邦探偵小説の正統は涙香から乱歩へ受け継がれたという歴史的事実が記録され、乱歩はあの長大浩瀚な自伝、自身が主人公でありつづける探偵小説史をうまずたゆまず書き継ぐことになったのであるというのは私の妄想にすぎないのですが、妄想ついでに記しておきますと、大学時代に「最モ影響ヲ受ケタ本ハ何カト云ヘバ結局ダーウヰンデアツタ」と『貼雑年譜』に記している乱歩にとって、『探偵小説四十年』は『種の起源』であったということなのかもしれません。 ちょっと妄想に走りすぎたか。とはいえ、乱歩が読者の妄想をかきたててやまない作家であることはたしかでしょう。
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さらに『探偵小説四十年(上)』の話題です。 本日のテーマは、新保博久さんの「解題」に「いったいに乱歩の癖として、引用文は自身の過去の文章はもとより他人の文章でも一字一句正確に引用されることは皆無に近く」とあるあたり。 まったく新保さんのおっしゃるとおりで、読みやすさや意の通じやすさに配慮した結果だろうと見ることも可能なのですが、冷徹にはっきり厳しくいってしまえば、これは改竄にほかなりません。 思いつくままに、いつ出るかわからない『乱歩と名張』収録予定の乱歩の随筆「先生に謝す」(昭和30年執筆)を例にとりましょう。この随筆には川崎克夫人康子の文章(談話筆記です)「純な太郎さん」が引用されているのですが、その一部をどうぞ。
この文章は「大衆文芸」昭和2年6月号の乱歩特集に掲載されたもので、あいにくとこの雑誌は手許にないのですが、平凡社版乱歩全集の第七巻(昭和6年12月)に再録されておりますので、これも孫引きということにはなるのですが、とにかく当該部分を引きましょう。
旧かなを新かなに改めているのはまあいいとして、読点を補ったり「妾」を「わたくし」に開いたり、原文にはない「大阪の」という説明を加えたり、はなはだしきにいたっては「『実業界に出たいから』と云ふお話なので」という文言をすっぱり削除してしまったり、まさしく「いったいに乱歩の癖として、引用文は自身の過去の文章はもとより他人の文章でも一字一句正確に引用されることは皆無に近く」というしかありません。 すなわち本日の結論は、上に例示したような引用文や誤脱の多い巻末目録、いやそれどころか乱歩が記した本文だって、それらをうかうかそのまま鵜呑みにすることは、この光文社文庫版『探偵小説四十年』が世に出て以降はできなくなるだろうということです。とくに孫引きは禁物でしょう。
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『探偵小説四十年』の話題に没頭しておりましたところ、阪神大震災から丸十一年目のきのうはまたなんだかえらい日で、国会では耐震強度偽装問題をめぐる証人喚問、最高裁では幼女連続誘拐殺人事件の上告棄却、東京株式市場ではライブドアグループの株価が急落、料亭新喜楽では『容疑者Xの献身』が直木賞。東野圭吾さんの受賞は別にしても、これらのニュースの立て込みようはたぶん偶然ではないでしょう。 とはいえ私の頭は「RAMPO Up-To-Date」でいっぱいいっぱい。けさも2004年を増補していたのですが、ほんとにね、もうね、やんなる。やんなっちゃう。
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あいかわらずやんなってます。やんなっちゃってます。それでもなおかつ、ほそぼそとながら作業は進めておりますのでご休心ください。
レディースコミックというのは私にはまったく未知の分野で、これこれいう雑誌に乱歩原作の漫画が掲載されている、といった情報をメールで教えていただき、本屋さんの漫画コーナーに足を運んでみることがたまにあるのですが、めざす雑誌を首尾よく購入できたことはただの一度もありません。えへん。それでもまあ、何かお見かけになられましたら、どうぞお気軽にご一報ください。 |
さすがに本日は2004年への旅を小休止して、「RAMPO Up-To-Date」は2000年あたりを少々さまよってみました。
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