2006年1月中旬
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● 1月11日(水)

 けさはきのうにひきつづき、Yahoo! ニュースの検索で2005年の1月から6月までをやっつけました。

 Yahoo! ニュースで全国紙の記事を検索するといったところで、対象は読売、毎日、産経の三紙のみ。しかもネット上の記事だけです。ですから全国紙のオフィシャルサイトをこまめに検索していれば、こんな有料サービスには全然頼らなくてもいいわけなのですが、そうしてこなかったのだから仕方がない。これからはこまめに検索することにして、とりあえず過去二年間の乱歩関連記事、可能な範囲内で身柄確保に努めております。

 検索にひっかかってきたのに読むことができない記事もあって、毎日新聞の昨年6月3日付「三重・映画ものがたり:/55 江戸川乱歩/上 弁士や監督見習い志願 /三重」と6月10日付「三重・映画ものがたり:/56 江戸川乱歩/下 ペンに託した映像への夢 /三重」は、ともに私が執筆した署名入り記事なのですが、記事にアクセスすると「指定した記事本本が存在しません」と表示されてしまいます(それにしても、「本本」はいったい何と読めばいいのか)。たぶん著作権の関係なのでしょう。

 著作権といえば、共同通信配信のこんなニュースが報じられています。

筒井康隆氏「出版社が自作を無断刊行」
 作家の筒井康隆(つつい・やすたか)氏は10日、出版社の北宋社が、新潮社刊「筒井康隆全集」などに収録した短編小説約10編を、自分に無断で別の単行本にして刊行した−とする内容のファクスを報道各社に送った。

 筒井氏などによると、北宋社は1998年刊行の「満腹亭へようこそ」という本に「最高級有機質肥料」「薬菜飯店」など8編を、ほかの本にも「定年食」などを無断収録したという。

産経新聞 Sankei Web 2006/01/10/21:46

 ちょっとありえないような話なのですが、出版社サイドは「口頭で了解を得たと理解している」と主張しているそうですから、ニッポン名物の口約束ってやつがもたらした行き違いということでしょうか。それにしても、筒井康隆さんが相変わらずお元気そうなのは喜ばしい。

 閑話休題。新聞記事の話に戻ります。地方版の細かい記事までオフィシャルサイトに掲載している新聞社もあれば、そうではない新聞社もありますから、身柄確保する記事には当然のごとく偏りが出てきます。具体的には毎日が多く、産経が少ない。これも致し方のないところだとあきらめて、可能な範囲内で作業に努めている次第です。

 そもそも新聞というやつはデータをおさえるとなるとなかなかに手強く、同じ記事でも発行本社の違いによって掲載日や見出しが異なったり、あるいは掲載されていなかったり、版の差によってもいろいろあったり、ほんとにいやになってしまうことが多々あります。そのあたりを厳密につきつめてゆくと、どちらかといえば完全主義者気味の人間である私はすべてを投げ出したくなってしまうのですが、身の丈の範囲内でやるしかないであろうなと達観されるところもあり、ともあれ読者諸兄姉には、ご購読の新聞紙(新聞紙といってしまうとお弁当の包み紙みたいな印象になってしまいますが)に乱歩の名前をお見かけになられたら、お手数ですがぜひご一報をとお願いしておきたいと思います。

  本日のアップロード

 ▼2005年4月

 [編集手帳]死刑囚の再審に求められる「速度」

 4月6日付読売新聞の「編集手帳」。前日には、名古屋高等裁判所がいわゆる名張毒ぶどう酒事件の再審開始を決定しました。乱歩の生誕地である名張市は怪人二十面相に住民票を交付した、というなんとなく気恥ずかしくなるようなマクラではじまる冒頭をどうぞ。

推理作家の江戸川乱歩は三重県名張市に生まれている。小説でおなじみの「怪人二十面相」に昨年、市から特別市民の住民票が交付されたのをご存じの方もあろう◆ミステリーの故郷ともいうべき町で起きた事件は、発生から44年が過ぎたいまも、手を下した怪人の正体がつかめていない。1961年(昭和36年)3月、世間を震撼(しんかん)させた「名張毒ぶどう酒事件」である◆公民館で催された生活改善クラブの集まりで毒物入りのぶどう酒を飲み、女性5人が死亡した。警察の取り調べで犯行を自白したクラブの元会長、奥西勝死刑囚は逮捕の後、一貫して無罪を主張している◆

 はたして名張は「ミステリーの故郷」なのか。たぶんそうでしょう。

 いささかの考察をつらねますと、この事件の背景に存在しているのは(単に毒殺事件のみならず、こんな冤罪を成立させてしまった背景をも含めての話なのですが)、まぎれもなくムラ社会とか農村構造とか共同体とか、そういった言葉で表現される濃密きわまりない人間関係です。ひるがえって、探偵小説の誕生は近代的な大都市の成立を条件としていたというのがいわば定説。

 つまりここに人がひとり殺されていたとして、そこがムラ社会であれば犯人はすぐに名指しされてしまいます。こいつを殺すのはあいつしかいないと、濃密過剰な人間関係の相関図が磁石のようにぴったりと下手人を指し示してくれます。そんなところでは探偵小説は成立しません。人が「群集の中のロビンソン」でしかない大都市においてこそ、殺人者は堂々と大手を振って歩くことができるわけです。

 Yahoo! ニュース有料検索でひっかかってきた昨年4月6日付毎日新聞の「名張毒ぶどう酒事件:再審決定 待ち望んだ知らせに笑顔──長い戦い支えた支援者ら」は、「奥西死刑囚の再審開始決定に、地元の三重県名張市の被害者や遺族、警察関係者らは不信感や憤りをみせた」として、ある関係者の「奥西死刑囚が犯人でないなら、誰がぶどう酒に農薬を入れたのかと言いたい」というコメントを報じていますが、これはムラ社会の本質を端的に示す言葉だと見ていいでしょう。あいつを殺したのはこいつのはずだ、ほかに誰がいるのか、というムラ社会的演繹法。

 乱歩という作家は、濃密な人間関係が磁場のようにそこを覆っている土地に生まれながら、生後まもなくそこから離れ、生まれ故郷なるものを知ることなしに成長しました。その事実は、探偵小説の成立に照らして考えるならば、まごうかたなき必然の宿命であったというしかありません。そこから切り離されることにのみ存在意義が見いだされる生まれ故郷。それが乱歩にとっての名張でした。

 ですからまあ、読売の「編集手帳」とはいささかニュアンスが異なりますが、乱歩の生誕地にして毒ぶどう酒事件の現場でもあった名張市は、やはり日本に冠たる「ミステリーの故郷」なのであると、あえて主張しておくことにいたしましょう。

 さるにても、世界一の発行部数を誇る読売新聞がわざわざ「ミステリーの故郷」と認定してくれたのですから、この定義に基づいて名張という土地をアイデンティファイしてみるのも一興でしょう。歴史資料館だの初瀬ものがたり館(仮称)だの町屋風情を生かした交流施設だのと頭の悪い議論をつづけていらっしゃる名張まちなか再生委員会のみなさんには、ぜひご一考いただきたいものです。

 そういえば、名張まちなか再生委員会の委員長にお会いしたいのですがと事務局に依頼してから、はや一週間が経過してしまいました。いったいどうなっておるのやら。さっぱりわかりません。謎というしかありません。さすがミステリーの故郷である。


● 1月12日(木)

 ひいひい。けさは2005年の7月から12月まで、ひいひいいいながらなんとかやっつけてみました。

 2005年の新聞紙上では、なんといっても自殺サイト連続殺人事件と乱歩作品との関連が乱歩ファンの耳目を集めたものでしたが、そのかげでこんなニュースにも乱歩の名を発見することができます。

鳥栖の女児連れ去り:「背景に父親の暴力」 富田被告が訴え──地裁公判 /佐賀
 この他、事件に影響したものとして「江戸川乱歩」「警察」を挙げたが、詳細は次回公判に持ち越された。

 佐賀県と福岡県で発生した連続女児連れ去り事件。その公判のニュースですが、事件を起こした元巡査二十五歳は被告人質問で、事件を起こした背景として幼少期に父親から暴力を受けたことをあげ、それ以外に自分に影響を与えたのは乱歩と警察であると述べたそうです。どうもようわからん話で、乱歩作品を読むと女児連れ去りに走ってしまうのか。あるいは、父親と警察とはいずれも強大でさからいがたい権力の象徴でしょうから、そうした強さへの反撥が女児という弱小な存在に眼を向けさせたと自覚しているということなのかもしれませんが、ならばこの元巡査にとって乱歩もそれに似た存在であったのか。たしかに乱歩には、そうした側面がないでもないのですが。

宮城・登米の警官襲撃:中3、刃物で自殺図る──駐在所侵入後、失敗し「銃が必要」
 少年の弁護士は26日、少年の希望で江戸川乱歩の推理小説を差し入れたことを明らかにした。

 こちらは自殺するための拳銃を入手しようと、駐在所の警官を襲撃して逆に逮捕されてしまった中学三年生男子十四歳のお話。重傷を負わされた警部補はこの少年について、「にこにこしていて、おかしいとは感じなかった。自分を刺すとは思わなかった」と話したとのことですが、自殺願望にあおられ、しかしにこにこしながら駐在所を訪れ、警官を刺してつかまり、接見した弁護士にはあっけらかんと乱歩の本を所望する。この少年にはどこかしら夢野久作作品を連想させるところがあってなかなかに面白く(面白がるのは不謹慎ですが)、とにかくまああれだ、これからは自殺など考えずに力強く、いや力弱くたって全然大丈夫だから、とにかく生きてゆくのだよと言葉をかけてやりたいような気分です。

 さるにても、どんな受け容れられ方をしているのかは別にして、乱歩という作家はいまも確実に生きて受容され消費されているのであると、考えてみればじつに驚嘆すべき事実をあらためて実感させられたのが2005年という年であったのかもしれません。

 全国紙のオフィシャルサイトをこまめにチェックしてさえいれば、と悔やまれたのは、北村想さんの「怪人二十面相・伝」が舞台化されたというニュースに遅ればせながら接したときのことです。毎日新聞の記事で知ったのですが、公演は昨年8月。戯曲家が乱歩の少年ものをモチーフに書いた小説を当の戯曲家が戯曲化したというややこしい舞台の概略は、この「船戸香里一人芝居『怪人二十面相・伝』」でどうぞ。会場は兵庫県の伊丹市でしたから、知ってりゃなんとか駈けつけたのに。

 さて怪人二十面相といえば、2005年の名張市におきましては二十面相がやたらニュースに出没しており、なじかは知らねど顔から火が出そうになりました。眼についた見出しをざっとあげてみましょう。

 ──怪人二十面相:一日局長に !?

 ──夫婦行灯:怪人二十面相、お目見え

 ──怪人二十面相現る、三重・名張をPR来社

 ──怪人二十面相:三重・名張市をPR

 ──怪人二十面相、大阪・道頓堀に現る

 ──名張市観光協会:“怪人二十面相が出没”

 いいかげんにしないか。

 いや、いやべつにいい加減にしていただく必要はなく、好きなようにやっていただければいいのですが、しかし顔からバーナーのごとくぼうぼう火が出るのをなんとしょう。

  本日のアップロード

 ▼2005年11月

 旧乱歩邸と土蔵 伝説生んだ「幻影城」 久保山健

 読売新聞の記事ですが、これは本日の時点でも読売のオフィシャルサイトで読むことができます。「出版トピック」の「2004年11月14日」をどうぞ。

 やがて、乱歩は土蔵に閉じこもり、ロウソクをともして執筆する−−という奇妙な伝説が生まれた。「人間豹」「幽霊塔」などの作品が、イメージを増幅させたのは想像に難くない。本人も、「土蔵に上がったらだめだよ。怖いものがあるから」と、訪れた子供に諭すこともあった。

 しかし、事実はやや異なる。「1階に机を置いて書斎風にし、取材用に使っていたのも事実です。ただ、特に寒いのは大の苦手で、仕事をするのは家の書斎というのが我が家の常識でした」。乱歩の孫で、出版社経営の平井憲太郎さん(55)は笑って謎解きをしてくれた。

 土蔵の内側を取り囲むように置かれた書棚には、心理学の専門書や海外の探偵小説など和洋書が所狭しと並んだ。井原西鶴の「好色一代男」などの貴重な近世文学や自らの著作に関するものは、箱に分類して整然と収めていた。まさに図書館のように整理されていた。

 乱歩は転居の翌年、随筆「幻影の城主」を執筆。現実の出来事に関心がなく、空想や幻影の国に思いをはせる自らの性分をつづった。このため、土蔵は後に、「幻影城」と呼ばれるようになった。

 いいかげんにしないか。

 いや、いやいや、それはたしかにマスメディアによる旧乱歩邸土蔵幻影城化キャンペーンはいい加減にしてもらいたいところではあるのですが、私がいまいちばんいい加減にしていただきたいのはやはり名張まちなか再生委員会の委員長さんなのである。

 いいかげんにしないか。

 ほんとにいいかげんにしろよな。


● 1月13日(金)

 東京およびそのお近くの方にお知らせです。劇団フーダニットのお芝居「真理試験──江戸川乱歩に捧げる」はあす14日とあさって15日、江戸川区内の会場で上演されます。作品は辻真先さんの書きおろし。詳細は「番犬情報」でどうぞ。

 さて、すっかりおなじみになりました Yahoo! ニュースの全国紙記事検索では、犯罪者が乱歩から受けた影響を告白しているばかりでなく、文学者が乱歩の影響を打ち明けるシーンにも遭遇することができます。犯罪者と文学者は、まあ似たようなものですけど。

松浦寿輝さん:新作長編『半島』を語る
 「地下空間への執着は子供のころからありました。江戸川乱歩の小説のせいかもしれません。土というのは安息の場所という意味あいもあると思います。下りるとか、上るとかいうのは、人間の身体の動きとしても面白いですね」

 重里徹也記者の記事です。松浦寿輝さんの『半島』は2004年7月に文藝春秋から刊行。「江戸川乱歩の小説のせい」などと聞かされると読まずばなるまいという気になるのですが、当地の書店ではこの本、ただの一冊も見かけなかったように記憶します。

[読売文学賞の人](1)小説賞 松浦寿輝さん50(連載)
 受賞作は、大学教授を辞した中年男が、瀬戸内海に突き出た半島の、さらに先の小さな島で過ごす、妖(あや)しくも艶(なま)めかしい日々を幻想的に描く。自ら「裏切りの桃源郷」と呼ぶ、魅惑的な迷宮巡りの物語だ。

 地形の着想は、三年前に旅したイタリア・シチリア島で得た。描かれる島は、坂あり、地下通路あり、うち捨てられた坑道あり。「リアリズムで地図にするのは不可能」という複雑さを持つが、とりわけ魅力的なのが、地下空間の広がりだ。

 「ドイツロマン派や、ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』など、地下へ降りていく想像力の系譜が文学にはあります」。自身の地下への偏愛は、江戸川乱歩の影響が大きいという。

 「子供のころから耽読(たんどく)した記憶が、僕の文学の中で生き延びている。例えば少年探偵団という一見無邪気な設定にも、倒錯的なエロスがのぞいている。僕の小説は上等な純文学ではなく、どうしても俗なものが紛れ込んでくる」

 こちらは山内則史記者の記事。「倒錯的なエロス」はよくわかりますものの、乱歩の少年ものに「地下への偏愛」が感じられるのかどうか、私にはやや分明ではない印象なのですが、読売文学賞を受賞しても増刷されなかったのか、やはり当地の書店にはまわってこなかったこの『半島』、本屋さんに取り寄せてもらって読んでみたいと思います。

  本日のアップデート

 ▼2005年10月

 「探偵作家になるまで」より 第三章 占われ記 高木彬光

 光文社文庫『刺青殺人事件新装版』に収録。「探偵作家になるまで」は、昭和34年に鱒書房から出た高木彬光の『随筆探偵小説』に収められています。【2006年1月14日追記】「探偵作家になるまで」の第三章のタイトルは、正しくは「占われの記」ではないかしら。とっても些細なことなれど。

 高木ファンのあいだでは人口に膾炙しているであろうデビュー時のエピソード。昭和22年も暮れ方のことですが、占い師の託宣に一念発起して「刺青殺人事件」を書きあげた若き日の高木は、しかし出版社を見つけられなくて意気消沈。そこで一計を案じます。

 もともと、運命学の素養があるところへ、こうして二度もほかから強烈な暗示を与えられたのでは、私も腹をきめざるを得なかった。大家、良匠──それは探偵小説に関するかぎり、江戸川乱歩先生をおいてほかにはあるまい。一つのるかそるかの勝負をして見ようか。

 そう思って、私は何とか、その日その日の生計を立てながら、ぽつぽつと藁半紙の原稿を、原稿用紙に写して行った。そして、誰の紹介もなく、手紙といっしょにその原稿を先生のところへお送りした。

 先生は几帳面なお方だから、すぐにうけとったという返事だけは下さった。十日ほどのうちに必ず読む──という内容だったが、その十日がすぎても、待てどくらせど、返事らしいものは来ないのである。

 またぞろ、私はむかっ腹をたてた。

 高木は乱歩への暴言を吐いて夫人にやつあたりし、大晦日には「もう完全にやけくそになって、朝から家をとび出し、ドブロクか何かを飲んで、家へ帰って来たのは二時ごろのことだった」といいます。家では夫人がそこらじゅうをばたばた走りまわっていて、その手には待ちに待っていた乱歩からの速達が、といったあたりのゆくたては乱歩ファンにもおなじみでしょう。

 乱歩の推輓を得て『刺青殺人事件』は岩谷書店から出版され、乱歩は「序」を寄せます。そこには高木から原稿を送られたとき、「その添え手紙に好感が持てたので、私は直ちに三百余枚の原稿を一読した」とあって、高木にドブロクをあおらせたタイムラグは存在しなかったような書きぶりなのですが、『刺青殺人事件新装版』巻末の「解題──衝撃のデビュー作」で、山前譲さんは「このあたりの食い違いは、よりデビューをドラマチックにしようとした乱歩による脚色だろう」と見ていらっしゃいます。また、「一時、持ち込み原稿は渡辺剣次が下読みをしていたというから、『刺青殺人事件』も最初はそうだったのかもしれない」とも。

 ご好評をいただいておりますこの新企画、「本日のアップロード」と命名いたしましたが、よく考えてみたら新たなファイルを掲載することはあまりなく、ファイルの更新が大半であると気がつきましたので(厳密に記せば、本年に入って新規ファイルをアップロードしたのは1月1日にただ一度)、より実情に即した「本日のアップデート」に名称を変更いたしました。


● 1月14日(土)

 こんなことに目くじらを立てる必要もないかと思ってそのままにしておきましたものの、どうにも気になりましたので昨日付「本日のアップデート」にひとこと追記を加えておきました。些細なことです。取るに足りぬことです。男がいちいちこんなこと気にかけてどうする。出世できんぞ。そんなことで大物になれるか。しかし私はべつに女の腐ったのでもいいんだし、出世はしたくないんだし、大物なんて嫌いなんだし。ええいこの男はいいわけがましく何をぶつぶつ自己言及しておるのかとお腹立ちの諸兄姉は、ほんとにどうでもいいことなんですけど「人外境主人伝言録」のこのあたりをご確認ください。

 さて、1月ももうなかば、2006年最初の乱歩の著書として、光文社文庫版全集第二十八巻『探偵小説四十年(上)』が登場しました。すでに書店に並んでおります。私はきのう買ってきました。

 私はときおり、乱歩の最高傑作はひょっとしたら『探偵小説四十年』なのではないかしらとか、孤島にただ一冊だけ許されて乱歩の本を携えてゆくという場合、自分は『探偵小説四十年』を選んでしまうのではないかしらとか、そんなどうでもいいことを考えてしまうのですが、光文社文庫版乱歩全集全三十巻、配本の掉尾を飾るのが上下二巻の自伝となったことには、なにかしら感慨深いものをおぼえざるをえません。まあ、編集作業がたいへんだから先送り先送りで最後の配本になってしまった、といった事情もあるのかもしれませんが。

 この『探偵小説四十年(上)』では、1月7日付伝言「本日のアップロード」で話題にした「余白に」の埋め草や、乱歩がみずから記した写真のキャプションもことごとく収録し、さらに写真はすべて(どうしても見つからないものは別ですが)オリジナルのプリントから新たに起こしたという丹念な編集によって、書籍そのものがまぎれもない乱歩作品である桃源社版『探偵小説四十年』が、文庫本という制約のなかであたうかぎり復元されていると申しあげていいでしょう。

 桃源社版の巻末にあった「江戸川乱歩作品と著書年度別目録」も、上下二巻それぞれに割り振って収められています。この目録は歿後三次にわたる講談社版全集にも収録されていましたが、今回の全集では脚註を設けて誤脱を訂するという新機軸が見られます。

 ──本書の成立過程はたいへん複雑である。

 という文章ではじまる新保博久さんの「解題」から引きましょう。

元版の目録には非常に誤脱が多いが、この目録から孫引きして誤って書かれた書誌的データが蔓延しているので、誤謬の源流を示す意味でもあえてほぼ原文のままとし、下段に必要最小限の訂正を註記してある。これらの訂正は、ほとんど全面的に、江戸川乱歩リファレンスブック2『江戸川乱歩執筆年譜』(平成十)、同3『江戸川乱歩著書目録』(平成十五、ともに名張市立図書館発行)に依拠するもので、編者である中相作氏に満腔の敬意と感謝を捧げたい。

 ありゃお恥ずかしい。『江戸川乱歩執筆年譜』も『江戸川乱歩著書目録』もまだまだ不完全なものではあるのですが、この目録二巻は『探偵小説四十年』巻末の「江戸川乱歩作品と著書年度別目録」を天国の乱歩になりかわって名張市立図書館が大幅に増補改訂したものであるとお考えいただければよろしく、こうした場合の依拠資料としてご活用いただくのはありがたいこと光栄なこと、そして名張市民の血税つかって江戸川乱歩リファレンスブックを刊行した本旨にかなうことでもあり、名張市はいまや何かというと怪人二十面相が出没するけったいな地方都市になりはてておりますが、ちょっと前までは乱歩に関してちゃんとしたことができておったのではないかと、なにかしら感慨深いものをおぼえざるをえません。

 つづきまして、『探偵小説四十年(上)』を買ったついでに受け取ってきたお取り寄せ雑誌の話題です。

  本日のアップデート

 ▼2004年10月

 めくるめく書物の宝箱。江戸川乱歩の“幻影城”をゆく 編集部(文)、藤松光介(写真)

 タイトルを眼にしただけで「ゆくなッ」と叫びたくなる衝動をおさえきれない感じなのですが、「Memo 男の部屋」10月号の記事。「こんな書斎が欲しい。男の夢を叶える“書斎術”」という特集でトップバッターを張っております。2004年の10月といえば「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」で旧乱歩邸の土蔵がはじめて公開された直後ですから、「幻影城」という言葉をつかうなというほうが無理なのでしょうけれど、しかしそれにしても、ここまで躊躇なく断定的につかわれてはなあ。

玄関ホールを右手に行くといくつも部屋が並んでいるが、各部屋とも図書館のごとく蔵書に溢れているのは共通していた。自邸に併設する土蔵“幻影城”では、乱歩の蔵書のパワーを見せつけられる。ミステリーから学術書、数ヶ国語に及ぶ洋書までじつに多彩なジャンルで埋めつくされた一大空間だ。

 この記事のことは掲示板「人外境だより」でノーネームさんからご教示いただきました。謝意を表します。


● 1月15日(日)

 ひきつづき『探偵小説四十年(上)』の話題です。

 「処女作発表まで」の章から、「はしがき」につづく「涙香心酔」の冒頭を引きます。

 明治三十二、三年のころ(私は六、七歳であった。生れたのは明治二十七年十月、三重県名張町。本籍は同県津市にある)。

 これだけです。これだけなわけです。何がこれだけなのかというと、名張の扱いが。あの長大浩瀚な自伝における自身の誕生の扱いは、

 ──生れたのは明治二十七年十月、三重県名張町。

 たったこれだけなわけなんです。

 「涙香心酔」が発表されたのは「新青年」昭和24年10月号、「探偵小説三十年」の記念すべき連載第一回。いまだ「ふるさと発見」は果たされておらず、当時の乱歩は名張のことを何も知りませんでしたから、これだけしか書きようがなかったということなのでしょう。したがいまして昭和27年の秋9月、乱歩が川崎秀二の選挙応援で名張を訪問することがなかったら、たぶん『探偵小説四十年』に「名張」の文字が登場するのはただ一度、

 ──生れたのは明治二十七年十月、三重県名張町。

 と「涙香心酔」に記されてそれでおしまいだったことでしょう。

 しかし実際には、「探偵小説三十五年」に改題されてえんえんとつづいた連載の「宝石」昭和34年9月号にいたり、「ふるさと発見記」と「生誕碑除幕式」が再録されて、『探偵小説四十年』には「名張」の文字がさらに書き記されることになりました。めでたしめでたし。

 名張のことはどうでもいいとして、この光文社文庫版『探偵小説四十年』の大きな特徴は、新保博久さんの「解題」に「原稿は連載のうち相当量が立教大学図書館に預託されている」と明かされている連載原稿や、さらにそのもととなった草稿までもが本文校訂の対象とされていることでしょう。ですから「解題」の校異をたどると、はじめて陽の目を見る乱歩の文章に接することができます。

 たとえば「涙香心酔」。このタイトルは、草稿ではまず「私が探偵小説に心酔するに至つた経路」というなんとも散文的なものが記され、それを抹消して「涙香心酔」に改められているそうで、しかもその本文は、上に引いた「明治三十二、三年のころ」ではじまるのではなく──

 私の探偵趣味は「絵探し」からはじまる。五六才の頃、名古屋の私の家に、母の弟の二十にもならぬ若い小父さんが同居してゐて、その人が毎晩、私の爲に石磐に絵を描いて見せてくれるのだが、小父さんは好んで「絵探し」の絵を描き、私にその謎をとかせたものである。枯枝などが交錯してゐるのを、じつと眺めてゐると、そこに大きな人の顔が隠れてゐたりする。この秘密の発見が、私をギヨツとさせ、同時に狂喜せしめた。その感じは、後年ドイルや、殊にチエスタトンを讀んだ時の驚きと喜びに、どこか似たところがあつた。

 いや驚いた。ぶったまげた。息がとまりそうになりました。もしも大福餅をほおばっていたならば、かならずや喉につまらせて生死の境をさまよう羽目になっていたことでしょう。

 あの長大浩瀚な自伝『探偵小説四十年』が、草稿では自身の「探偵趣味」を包まず打ち明けることからはじめられていたとは。世界をじっと眺めていると、世界がふいに意味を一変させてしまう「秘密の発見」の瞬間が訪れる、それが自分にとっての「探偵趣味」なのであると、それは「絵探し」なのであると、乱歩がこのようにも克明に告白していようとは。さらにまた、それが幼少期からのいわば宿痾のようなものであったと、乱歩がここまで自覚的であったとは。

  本日のアップデート

 ▼2006年1月

 解説 新保博久

 私はミステリファンではまったくありませんから、新刊書店で「本格短編ベスト・セレクション」と銘打った文庫本を見かけても、手にとってみることはまずありません。同じくホラーファンでもないゆえに、「異形コレクション」と銘打った文庫本を眼にしてもそのまま素通りしてしまい、そこに乱歩作品をモチーフにした小説が収録されていると人から教えられて、あわてて本屋さんに駈けつけるということを昨年末に経験したものでしたが、さりとてそれに懲りてということでもなく、こうなるといわゆる虫の知らせだとしかいいようがないでしょう。講談社文庫の新刊をふと手にとってみました。

 「本格短編ベスト・セレクション」と銘打たれた『死神と雷鳴の暗号』というアンソロジー。ときはきのう、ところは近鉄百貨店桔梗が丘店の本屋さん。ぱらぱらページをくってみますと、新保博久さんの巻末解説に「名張」の文字が。

 かねがね三重県名張市を一度は訪れなければならないと思ってきたが、やっと二〇〇五年十一月になって宿願を果せた。江戸川乱歩生誕地碑建立五十周年を記念して、東京の推理劇専門劇団フーダニットが初の地方公演、辻真先書き下ろし脚本による「真理試験−江戸川乱歩に捧げる」を上演したせいもあって、どうにか重い腰を上げられたものだ。

 いわゆるマクラです。このあとは、有栖川有栖さんを講師にお迎えして名張市で開かれた講演会のことから本格ミステリの定義へ、定義における犯罪の重要度へ、乱歩の初期作品に見られる犯罪へと流れるように話題が移り、「大正十五年の乱歩の十短篇には本格ミステリは皆無に近く」というさりげない指摘のあと、本格推理シーンの潮流を概観しながらおもむろに本題へ、と名人上手の高座を見るような導入部が綴られる次第なのですが、何はともあれ「名張」の二文字がありがたく、とくに名張市民のみなさんには大声でお知らせ申しあげておきたいと思います。


● 1月16日(月)

 まだ『探偵小説四十年(上)』の話題なのですが、再度引用いたしますと──

 私の探偵趣味は「絵探し」からはじまる。五六才の頃、名古屋の私の家に、母の弟の二十にもならぬ若い小父さんが同居してゐて、その人が毎晩、私の爲に石磐に絵を描いて見せてくれるのだが、小父さんは好んで「絵探し」の絵を描き、私にその謎をとかせたものである。枯枝などが交錯してゐるのを、じつと眺めてゐると、そこに大きな人の顔が隠れてゐたりする。この秘密の発見が、私をギヨツとさせ、同時に狂喜せしめた。その感じは、後年ドイルや、殊にチエスタトンを讀んだ時の驚きと喜びに、どこか似たところがあつた。

 はじめて公刊されたこの「涙香心酔」の草稿は、おそらく乱歩という作家を考えるうえできわめて有効な補助線になるものと思われます。

 たとえばどんなことが考えられるか(妄想できるか、といったほうが適切でしょうが)。まず確認しておきますと、草稿は上にも見えるそのとおり、「五六才の頃」の「絵探し」が「探偵趣味」の出発点(ちなみに私は「原点」という言葉を好みません)であると書き出されていたのですが、このエピソードは採用されるにいたりませんでした。実際に発表された「涙香心酔」には「五六才」の乱歩は登場せず、

 ──私は六、七歳であった。

 ──まだ探偵小説の面白味などはわからなかった。

 との告白がまずなされ、

 ──私が探偵小説の面白味を初めて味わったのは小学三年生のときであったと思う。

 という申告がつづけられます。草稿にあった「探偵趣味」は姿を消し、あくまでも「探偵小説」と自分との関係が語られている。これはどういうことか。乱歩は個人の回想記ではなく、あくまでも本邦探偵小説史として「探偵小説三十年」を書きはじめたのだということでしょう。

 「探偵小説三十年」の連載が開始されたのは、昭和24年10月のことでした。探偵文壇は敗戦以来どんな状況にあったのかといいますと、横溝正史は本陣、蝶々、獄門島、八つ墓村と奇蹟の連打、いっぽうで坂口安吾の不連続、角田喜久雄の高木家、さらに高木彬光の刺青といったあんばいに、思いもかけない顔ぶれによる本格長篇がひしめくようにくつわを並べておりました。その布陣はおそらく、この年ようよう戦後初の小説である「青銅の魔人」を連載中だった探偵作家乱歩の心胆を寒からしめていたにちがいありません。

 まずいよな、と乱歩は思ったかもしれません。すでに断末魔の状態を呈していた「新青年」から回顧録の連載依頼があり、思いつくままに草稿を書き継いでいたときのことです。子供向けの小説しか書いてないおれが子供のころに感じた探偵趣味の話なんかしてたんじゃ、あまりにもぴったりしていてまずいよな。

 念のために申し添えておきますが、私はあくまでも妄想を語っております。妄想をしか語っておりません。で、その妄想をさらにひろげますと、ようするに乱歩は、探偵作家乱歩の個体発生などではなく、本邦探偵小説の系統発生を書いてみようと考えた。探偵文壇に君臨する王者が手ずから執筆したとなれば、それはどうしたって正史(横溝のことではありません)ということにならざるをえないでしょう。本邦探偵小説における正統はむろん乱歩であり、それは衆目の認めるところでもありましたから、このさい自身こそが正統であるという事実を正史に歴然と決定的に誰にも否定しがたく刻みつけておくためには、まずみずからの個体発生を「探偵趣味」ではなく「探偵小説」から語りはじめる必要があるだろう。「趣味」の子ではなく、「小説」の子であるという自己証明。

 その証明のために、「五六才」の乱歩は「探偵趣味」の言葉とともに袖にひっこめられ、母親から涙香本の挿絵の説明を受けている「六、七歳」の乱歩、母親から「秘中の秘」の新聞連載を読み聞かせてもらっていた「小学三年生」の乱歩、そして涙香作品の面白さにめざめた乱歩が舞台に登場することになりました。かくて乱歩は、草稿にあった「私が探偵小説に心酔するに至つた経路」というタイトルを抹消し、その横に新しいタイトルを書き入れます。

 ──涙香心酔

 ここに本邦探偵小説の正統は涙香から乱歩へ受け継がれたという歴史的事実が記録され、乱歩はあの長大浩瀚な自伝、自身が主人公でありつづける探偵小説史をうまずたゆまず書き継ぐことになったのであるというのは私の妄想にすぎないのですが、妄想ついでに記しておきますと、大学時代に「最モ影響ヲ受ケタ本ハ何カト云ヘバ結局ダーウヰンデアツタ」と『貼雑年譜』に記している乱歩にとって、『探偵小説四十年』は『種の起源』であったということなのかもしれません。

 ちょっと妄想に走りすぎたか。とはいえ、乱歩が読者の妄想をかきたててやまない作家であることはたしかでしょう。

  本日のアップデート

 ▼2005年8月

 石井輝男

 「RAMPO Up-To-Date」は乱歩にゆかりをもつ人の点鬼簿でもありますので、遅ればせながら石井輝男監督の死去を録しました。これまでは死去の日付と享年を記すだけだったのですが、死亡時間と死因も加えることにいたしました。

 Yahoo! ニュースで新聞記事を検索してみたところ、乱歩原作映画に言及した訃報はどこにも見つかりませんでしたので、ここには2004年3月19日付毎日新聞に掲載された「盲獣 vs 一寸法師」評からの引用を。

「網走番外地」シリーズから「恐怖奇形人間」など異常性愛路線まで乱発する石井輝男監督が、江戸川乱歩の二つの小説を1本にまとめた。筋立ては強引かつ不可解、はんらんする裸と残酷場面(ただし、怖くない)。低予算のエログロナンセンスは、ほとんどの人にあきれられそうだが、煽情(せんじょう)に徹した石井監督80歳のアナーキーぶりを、熱狂的に迎えるファンもいそうだ。1時間35分。渋谷シネラセットで公開中。

 石井輝男さんのご冥福をあらためてお祈りいたします。


● 1月17日(火)

 さらに『探偵小説四十年(上)』の話題です。

 本日のテーマは、新保博久さんの「解題」に「いったいに乱歩の癖として、引用文は自身の過去の文章はもとより他人の文章でも一字一句正確に引用されることは皆無に近く」とあるあたり。

 まったく新保さんのおっしゃるとおりで、読みやすさや意の通じやすさに配慮した結果だろうと見ることも可能なのですが、冷徹にはっきり厳しくいってしまえば、これは改竄にほかなりません。

 思いつくままに、いつ出るかわからない『乱歩と名張』収録予定の乱歩の随筆「先生に謝す」(昭和30年執筆)を例にとりましょう。この随筆には川崎克夫人康子の文章(談話筆記です)「純な太郎さん」が引用されているのですが、その一部をどうぞ。

(前略)早稲田を大正五年に卒業された時には、主人も大変喜んで、就職口のことも心配しましたが、とりあえず、主人のお友達の加藤定吉さん〔註、先生と同じ党の代議士〕の大阪の加藤洋行にお世話しました。(中略)大阪へ行かれましてから、一年ほどたって、宅へ来られました時には、スッカリ以前の風とは、うって変って、ゾロリとした柔か物を着て、縮緬の長襦袢などを着ておられましたので、わたくしはハッとして、主人と一緒に、「太郎さん、お遊びになるのじゃありませんか」と訊ねましたところ、「友達に誘われまして……」と云うことでした。少し心配しておりましたら、その後、案の定、遊興がもとで、お店を止されなくてはならぬようになりました。

 この文章は「大衆文芸」昭和2年6月号の乱歩特集に掲載されたもので、あいにくとこの雑誌は手許にないのですが、平凡社版乱歩全集の第七巻(昭和6年12月)に再録されておりますので、これも孫引きということにはなるのですが、とにかく当該部分を引きましょう。

 早稲田を大正五年に卒業された時には、主人も大変喜んで就職口の事も心配しましたが『実業界に出たいから』と云ふお話なのでとりあへず主人のお友達の加藤定吉さんの加藤洋行にお世話いたしました〔。〕

 妾はその時『何もお餞別にする物はないが、たゞ太郎さんは余り純だから、女の事で失敗なさりはせぬかその点が気懸りですから、どうかその点を注意して下さいよ』と餞別いたしました。

 大阪へ行かれましてから、一年ほどたつて宅へ参られました時にはスツカリ以前の風とは打つて変つてゾロリとした柔か物をきて、縮緬の長襦袢などを着て居られましたので、妾はハツとして主人と一緒に

 『太郎さんお遊びになるのぢやありませんか?』と訊ねました所、

 『友達に誘はれましてつい──』と云ふ事でした。少し心配をいたして居りましたら、その後案の条、遊興がもとでお店を止されなくてはならぬ様になりました。

 旧かなを新かなに改めているのはまあいいとして、読点を補ったり「妾」を「わたくし」に開いたり、原文にはない「大阪の」という説明を加えたり、はなはだしきにいたっては「『実業界に出たいから』と云ふお話なので」という文言をすっぱり削除してしまったり、まさしく「いったいに乱歩の癖として、引用文は自身の過去の文章はもとより他人の文章でも一字一句正確に引用されることは皆無に近く」というしかありません。

 すなわち本日の結論は、上に例示したような引用文や誤脱の多い巻末目録、いやそれどころか乱歩が記した本文だって、それらをうかうかそのまま鵜呑みにすることは、この光文社文庫版『探偵小説四十年』が世に出て以降はできなくなるだろうということです。とくに孫引きは禁物でしょう。

  本日のアップデート

 ▼2004年10月

 本棚探偵の回想 喜国雅彦

 身から出た錆。ほったらかしにしてあった「RAMPO Up-To-Date」の落ち穂拾いにつとめております。つとめてにつとめております。つとめてというのは早朝の意で、清少納言も冬はつとめてと申しております。

 落ち穂というのも失礼な話ですが、喜国雅彦さんの本棚探偵シリーズ第二弾は、旧乱歩邸土蔵が幻影城と化しつつあった(そんなことはこの喜国さんの著作には何の関係もないのですが)2004年秋の刊行。古書マニアやミステリファンでなくても笑える(マニアやファンなら笑うどころか泣いてしまうのかもしれませんが)収録作品から、「夏がくれば思い出す(前篇)」の一節をどうぞ。

 一九七〇年、小学六年生の春。友人の家でマンガ雑誌を読んでいた僕は、一本の作品と出会うことになる。『白髪鬼』と題されたそれ、四色カラーの異様な迫力の表紙絵が僕を惹きつける。描いていたのは横山光輝。『鉄人28号』や『伊賀の影丸』などのヒット作品で、当時の男の子なら誰でもが知っている漫画家だ。だが、そこで描かれていた絵は僕らが知っている「明るくて」「元気で」「正しい」あの横山光輝の絵ではなかった。地下室のような暗い石積みの部屋に散らばる棺と骸骨。画面の中央、ミイラのような姿で口から血を流しながら宝石を掴む男。赤いタイトル文字。そして、原作・江戸川乱歩の文字。正の横山光輝がこのときに限って負の魅力に満ちていたのは、この原作者のせいなのだろうとの予測はついた。

 江戸川乱歩の名前は知っていた。図書館で奪い合いになった『少年探偵団』の作者だ。だが、その二人の乱歩が僕の中でどういう結びつきをしていたかの記憶はない。アニメの原作(『わんぱく探偵団』六八年)もやっていた人なので(当時の子供が原作と脚本の違いなんて知るはずもない)「マンガの原作もやるんだな」ぐらいにしか思っていなかったのだろうし、大人乱歩の業績や存在位置なんかは知るはずもなかった(まして、この五年前にすでにこの世の人でなかったなんて !!)。

 ふむ。こうなると2004年4月の横山光輝さんの逝去も「RAMPO Up-To-Date」に録さなければなりません。冬のつとめてにつとめましょう。


● 1月18日(水)

 『探偵小説四十年』の話題に没頭しておりましたところ、阪神大震災から丸十一年目のきのうはまたなんだかえらい日で、国会では耐震強度偽装問題をめぐる証人喚問、最高裁では幼女連続誘拐殺人事件の上告棄却、東京株式市場ではライブドアグループの株価が急落、料亭新喜楽では『容疑者Xの献身』が直木賞。東野圭吾さんの受賞は別にしても、これらのニュースの立て込みようはたぶん偶然ではないでしょう。

 とはいえ私の頭は「RAMPO Up-To-Date」でいっぱいいっぱい。けさも2004年を増補していたのですが、ほんとにね、もうね、やんなる。やんなっちゃう。

  本日のアップデート

 ▼2004年6月

 「点」と「線」の変容 末國善己

 「ユリイカ」6月号の特集「鉄道と日本人 線路はつづくよ」に掲載された一篇。1月14日付の「Memo 男の部屋」同様、掲示板「人外境だより」でノーネームさんのご教示をたまわりました。

 タイトルからもおわかりのとおり本朝鉄道ミステリ小史とでも呼ぶべき内容で、論述は汽笛一声、1872年に新橋横浜間が開通して以来、鉄道の発達は近代資本主義社会をつくりあげたのみならず、中央集権化など文化面にも大きな影響を与えた、と出発進行。

 それは文学の世界も同様だが、論点を鉄道とミステリの関係に絞ると、通勤電車の車内で少女を観察する男が主人公の犯罪小説でもある田山花袋『少女病』(〇七)や、列車の速度に恐怖する心理サスペンス谷崎潤一郎『恐怖』(一三)などを前史とし、本格的な鉄道ミステリが書き始められたと思われるが、寡聞にして何が日本における鉄道ミステリの嚆矢かを指摘することはできない。ただ、最も早い作例の一つと思われるのが、江戸川乱歩『一枚の切符』(二四)と平林初之輔『山吹町の殺人』(二七)である。

 以下、「一枚の切符」が紹介されます。それにしても花袋の「少女病」、いったいどんな小説なのでしょう。いささか興味をひかれます。

 泥棒のはじまりが石川の五右衛門ならミステリのはじまりは江戸川の乱歩なんですから、嚆矢や源流といった話には当然乱歩の名前がからんでくるわけですが、乱歩以後のミステリ作家が鉄道という素材をどんなふうに料理したのか、簡にして要を得た見取り図としてまとめられております。乱歩作品では「鬼」も登場。『探偵小説四十年』からの引用もありますが、むろん孫引きではありません。

 筆者の末國善己さんは昨年、作品社の『国枝史郎探偵小説全集』という思いがけない(少なくとも私には思いがけないものでした)一巻を編んで探偵小説ファンを喜ばせてくれた方ですが、今年春には『国枝史郎歴史小説傑作選』も同じ版元から刊行の見込みと伝え聞きます。ご期待ください。


● 1月19日(木)

 あいかわらずやんなってます。やんなっちゃってます。それでもなおかつ、ほそぼそとながら作業は進めておりますのでご休心ください。

  本日のアップデート

 ▼2003年4月

 人でなしの恋 坂東いるか

 成人女性向け漫画、いわゆるレディースコミックです。「まんがグリム童話」の2003年4月号に掲載され、昨年11月発行の『まんがグリム童話 江戸川乱歩編』(ぶんか社)に収録されました。

 「人でなしの恋」は私の好きな短篇なのですが、あの人外のいとあえかなる恋を描いた小説が、ひとたびレディコミの世界に移植されるやいきなり濡れ場ではじまってしまいます。劈頭のフキダシとオノマトペを引いてみましょう。

門野「あ…」「

□□□ズン ズン

京子「はあ」「あ…あ」「だ」「だんな…様っ」

 いやしかし、しかしこれは、こんなことでいいのか。いきなり、

 ──ズン ズン

 こんなことでいいのか。

 いや、いいがら、いぐてもわりぐてもいいがら早ぐ先を読ませろちゃ(どこの訛りだ)、とおっしゃる諸兄姉のためにもう少しつづけましょう。引用中、ページがあらたまった箇所は「」で示すことにいたします。

□□□

□□□はあ… はあ…

門野「う…」「…だめだ」

京子(独白)「また…」

門野「すまない 京子」

□□□ふう

門野「このところ どうも…」

京子(独白)「『変だな』 …と 気づきましたのは」

門野「…そこの 桜花を 貸してくれ ないか」

京子「あ…」「だんな様 後始末 でしたら わたくしが…」

京子(独白)「お嫁入りから 半年ほど経った 時分で ございました」

□□□

□□□カサ

京子(独白)「夫の門野が」「わたくしで ゆかなくなったので ございます」

□□□ガサ… ガサ

京子(独白)「もともと門野というのは 病身なせいもあって どこやら陰気で 青白く…」「それがまた そのきりょうと 相俟って すごいように美しいのですが」

門野「京子」「おいで」

□□□そっ

□□□

京子「あっ… いや!」

□□□つぷ…

門野「じっとしておいで 今夜は指で いかせてあげよう」

京子「あ いやっ」「いやです だんな様」「こ…こんなふうに ゆくなんて あたくしっ… あ…あ!

門野「嘘 おいい」「じゃあ…」

□□□ぬるっ…

京子「あっ」

□□□ピクンッ

門野「じゃあ…」「どうして こんなに なってるの?」

□□□

□□□ぬとっ… たら…

京子「あ…」「

□□□カアアッ

京子「い…いや 意地悪っ いじめないで!」

□□□がばっ

門野「…誰も いじめやしない」「おまえが 可愛いから ……」

□□□くちゅ…

京子「あ…」「ああ だんな様

□□□ハア ちゅくり… ハア

京子「だめ…」

□□□

門野「京子」

京子(独白)「ああ やっぱり」

門野「愛してるよ」

京子(独白)「こちらを向いては いても…」「決して見てはいない」「その瞳」

門野「愛してる」「愛して る…」

京子(独白)「繰り返し ばかりの 愛の囁き」

□□□

□□□はあっ はあっ…あ…

京子(独白)「そして何より ………」「わたくしを愛撫する」「その冷たい 渇ききった 掌───!」

京子「はっ…く」

京子(独白)「ああ もう だんな様の心は…」「わたくしには 無い」

□□□

京子(独白)「わたくしを抱いて いるのは抜け殻 あの人のお人形…」「あなたの愛は」

□□□

京子(独白)「きっとどこか 別の人のところへ」

 思わず八ページあまり、劈頭のベッドシーンをまるごと引いてしまいましたが、それにしても漫画というのは親切なもので、小説では読者の想像力にゆだねられていたシーンやディテールを微細にわたって描写してくれます。なにしろ「ぬとっ… たら…」なんですもん、この漫画ったら。

 なかにゃお嘆きご立腹の乱歩ファンもいらっしゃるかもしれませんが、私などむしろ、なるほどこんなぐあいに脚色すれば「人でなしの恋」が当節の婦女子に受け容れられるお話になるのか、と感心させられましたような次第。しかもこの作品、原作の結末にさらにひねりを加え、これもまた乱歩ファンのご勘気をこうむる改変ということになるのかもしれませんが、ワイドショー的想像力によって現実的なオチがつけられております。

 はっきりいっていわゆる人形愛なんてどこかへ行ってしまったような結末なのですが、しかしまあいいではないか。だって漫画の京子ちゃんがかわいいんだもん。いやいや、そんなことが問題なのではありませんが、人外のいとあえかなる恋よりもこうした結末のほうが当節の婦女子に切実なリアリティを感じさせるということなのであれば、うちつけというか身も蓋もないというかただすさまじいというか、まったく女というやつは。

 最後に二点、誤植を指摘しておきましょう。

 ひとつめ。門野のせりふに出てくる「桜花」は、たぶん「桜紙」の誤りでしょう。いまのティッシュのことですね。げんに作中の京子は小ぶりな紙のたばを「カサ」と手にとり、「ガサ… ガサ」と「後始末」をしておりますし。

 ふたつめ。京子の独白に出てくる「渇ききった掌」。これは「乾ききった」であるべきです。京子ちゃんは「はあっ はあっ…あ…」とか「はっ…く」とかでのどが渇いていたのでしょうが、掌は渇くのではなく乾くものです。

 レディースコミックというのは私にはまったく未知の分野で、これこれいう雑誌に乱歩原作の漫画が掲載されている、といった情報をメールで教えていただき、本屋さんの漫画コーナーに足を運んでみることがたまにあるのですが、めざす雑誌を首尾よく購入できたことはただの一度もありません。えへん。それでもまあ、何かお見かけになられましたら、どうぞお気軽にご一報ください。


● 1月20日(金)

 さすがに本日は2004年への旅を小休止して、「RAMPO Up-To-Date」は2000年あたりを少々さまよってみました。

  本日のアップデート

 ▼2000年9月

 江戸川乱歩の『押絵と旅する男』 八尾正治

 財団法人富山県いきいき長寿財団の季刊情報誌「VITA」42号に掲載されました。「小説の中のとやま」という連載の一篇。筆者の八尾正治さんは「富山県郷土史会会長」とあります。

 「VITA」という雑誌に乱歩文献が掲載されているらしいということは、もうずっとずーっと以前に愛知県のほりごたつさんからメールで教えていただいたのですが、いずれ調べてみようと先送りをつづけているうち、「VITA」のことをメモしたファイルが行方不明。それがひょっこり見つかりましたので、新年早々に富山県いきいき長寿財団へ問い合わせのメールを出してみたところ、販売はしていないのだが名張市立図書館で活用してくれるのであれば、と思いがけず当該号をご恵送いただきました。私は別に名張市立図書館の人間であると名乗ったわけではなく、バックナンバーが入手可能かどうかを問い合わせただけだったのですが、さすがは天下無双の名張市立図書館、富山県にまで盛名を馳せておるようです。

 記事は「押絵と旅する男」のストーリーを紹介することが主眼で、したがいまして乱歩ファンのみなさんには釈迦に説法みたいなことになってしまうのですが、せっかくですから二段落ほど。

 乱歩は「昭和二年はなにも作品を書かず、東京や近県を浮浪者のように、なんの意味もなく歩き廻った。ある山国の昔風のランプを使っているさびしい温泉に、一カ月ばかり滞在したり、魚津へ蜃気楼を見に行って、その帰りに親不知子不知のみすぼらしい宿屋へ泊まってみたりした」と書いている。

 蜃気楼を見ようと、魚津へやってきた乱歩。数日滞在しても、おそらく蜃気楼は出現しなかったろう。潮の香ただよう富山湾の空気を吸いながら、漁港の岸壁をぶらつき、ウロコに汚れた魚市場のタタキを、コツコツと歩き廻っただろう。水族館へ寄ったかどうか。新鮮な魚料理に、舌鼓を打っただろうか。

 地元の人の筆にはやはり得がたいものがあり、乱歩の放浪にこうして潮の香、岸壁、魚市場といった具体的な細部が加えられると、東京を遠く離れた旅の空の下、乱歩の胸にあった旅情と焦燥がより身近に感じられるように思います。

 富山県いきいき長寿財団のご厚意とほりごたつさんのご教示に謝意を表します。