2006年2月下旬
21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日
 ■ 2月21日(火)
昭和30年代怪事件ベスト13

 地元のことがメディアで全国的に報じられるのはやはり嬉しいもので、「新潮45」の3月号、私は喜んで購入いたしました。「総力特集」と銘打たれた「甦る昭和30年代 13の『怪』事件簿」の九つめに、

 ──黒か白か? 「名張ぶどう酒事件」の多すぎる謎

 と題したノンフィクションライター上條昌史さんの記事が掲載されております。

 とりあげられた怪事件のラインアップは「新潮45」でご覧いただけますが、「太陽族」「60年安保」「吉展ちゃん誘拐殺人」「東京オリンピック」などのトピックに「名張ぶどう酒事件」が堂々と伍している、それも名張という地名を冠して肩を並べているのを眼にすると、不謹慎きわまりないとは思いつつ、事件関係者からお叱りをいただくであろうことは重々承知しながらも、どこか誇らしいような気がしてしまいます。

 この事件に関してはつい最近、奥西勝死刑囚を支援する動きが奈良市内であったと報じられております。毎日新聞の奈良版から青木絵美記者の記事を引きましょう。ちなみに私は三十年ほど前、この記者の方とまったく同姓同名の女の子とつきあったことがあります。京都のおミズ方面の女の子でしたが、いまごろはどこで何しているのやら。孫を抱いておっても不思議ではないのだが。

名張毒ぶどう酒事件:「取材通じ無実確信」 江川紹子さん講演−−奈良で集会 /奈良
 「名張毒ぶどう酒事件」の奥西勝死刑囚(80)の早期釈放を求める集会が18日、奈良市内で開かれた。事件を題材にした著書があるジャーナリストの江川紹子さんが、奥西さんの無実を確信した取材体験やえん罪をなくす司法制度のあり方について、約150人を前に講演した。

 名張市に生まれ育った奥西死刑囚の早期釈放を求める集会が、どうして地元の名張ではなく奈良市で開かれたのか。理由は私にはわかりませんが、奥西さんが犯人であってほしいと、犯人であるべきだと、そんなふうに考える関係者も名張市内には存在していることでしょうから、支援集会の開催にもいろいろ差し障りのようなものが出てくるのかもしれません。

 「新潮45」の記事から引きましょう。

 事件が起きた昭和三十六年、葛尾の住人たちは閉鎖的ともいえる共同体の中で暮らしていた。奥西元被告の有罪を疑う人々の中には、当時の集落の閉鎖性が彼を犯人に仕立てあげたと主張する人もいる。捜査段階では、村人がこぞって奥西元被告を犯人にするために警察に協力したというのだ。ジャーナリストの青地晨氏は、次のように書いている。

 「もし勝が犯人でないと言明すれば、部落のなかに真犯人がいることを意味する。せっかく惨劇の傷あとが、たとえ表面的にせよ癒されているのに、勝の無実をいうことは、部落から新たな縄つきを出し、部落の平和を攪乱することに結びつく。これは部落の人びとが絶対に避けたいことであり、すべてに優先する心情なのである」(「現代」五十一年四月号)

 奥西元被告が自白をひるがえした後には、彼の家に石が投げられ、家族の夕食中に住民がなだれこみ「土下座してあやまれ」と迫ったりもした。また奥西元被告の家の墓地は、共同墓地から追い払われ、墓地に隣接した畑の中にぽつんと建てられているという。つまり葛尾の集落は、奥西元被告とその一家を“犠牲の山羊”にすることで、平和と団結を保っていたというのである。

 まあそういったところでしょう。ムラ社会、共同体、農村構造、どんな名で呼んでもいいのですけれど、うちらのとこには真実なんかよりよっぽど大事なものがありますけんね、といったことになります。ちなみに申し添えますと、名張市内にはこうした閉鎖性がいまだ色濃く残存しており、たとえば名張市役所ですとか、あるいは名張まちなか再生委員会ですとか、とにかく閉鎖的なことこのうえありませんからまこと往生いたします。

  本日のアップデート

 ▼1992年8月

 妖異パノラマ館 監修=中島河太郎、絵=会津久三、企画・構成=大伴昌司

 1967年から1971年までに発行された「少年マガジン」の巻頭グラフと特集記事をテーマごとにまとめた『REMIX 少年マガジン大図解』の第三巻に収録されました。「あしたのジョー」や「巨人の星」といった強力連載陣と競うようにしてグラビアなどの企画をぶつけていたのは、1973年に急逝することになる大伴昌司でした。

 「妖異パノラマ館」は乱歩作品を紹介する特集で、初出は1969年6月15日号。絵になりやすい作品を、ということで選ばれたのか、「地獄風景」に始まって「大暗室」「鬼」「幽霊塔」「鏡地獄」「吸血鬼」がそれぞれ見開きをいっぱいにつかったイラストで紹介され、最後は「地獄風景」に戻ってパノラマ館の崩壊で幕を閉じます。

 最初のページに配されたイントロダクションを引いておきましょう。

 大都会のまん中に、そこだけあれはてて、雑草がおいしげり、黒ずんだれんが造りの西洋館が建ちならぶふしぎな町がある。

 もしきみが、その町にまよいこんだとき、想像もつかない夢幻と狂気の大パノラマを見ることができるだろう。

 「妖異パノラマ館」のことも小西昌幸さんから教えていただきました。毎度ありがとうございます。


 ■ 2月22日(水)
コピー&ペーストのひそかなる水脈…1

 ご多分に洩れずというかなんというか、テレビでトリノ五輪フィギュアスケート女子ショートプログラムを観戦し終えてから机の前に坐りました。あっさりとまいります。

  本日のアップデート

 ▼2003年1月

 乱歩独特の筆が描き出す、妖しく魅惑的な世界へ。

 名古屋市熱田区にある宝交通株式会社の社内報「宝友会だより」に掲載されました。B5サイズ十二ページのフロントページ。連載「郷土の英雄シリーズ」の第十回です。

 掲載にあたって編集部から名張市立図書館に照会があり、画像などのデータを提供いたしましたので、江戸川乱歩生誕地碑や名張市立図書館江戸川乱歩コーナーもご紹介いただいております。

 日本に探偵小説という新しいジャンルを切り開き、大衆文学の世界や少年小説の分野でも熱狂的な人気を集めている江戸川乱歩は、1894年(明治27年)三重県名張町にて、当時、名張郡役所の書記であった平井繁男の長男として生まれました。

 記事の執筆に際しては名張市オフィシャルサイトの「江戸川乱歩」を参考にしていただきました。

 ふと思いついて「日本に探偵小説という新しいジャンルを」という文言を検索してみたところ、面白いことに気がつきました。コピー&ペーストのひそかなる水脈、とでも呼ぶべきことなのですが、つづきはあしたといたします。


 ■ 2月23日(木)
コピー&ペーストのひそかなる水脈…2

 面白いことに気がつきました、ときのうは記した私なれど、一日たってみるとそれほど面白くもないかという気がしてきます。しかしまあつづけましょう。まずは Google 検索の結果を一覧。

日本に探偵小説という新しいジャンルを
江戸川乱歩i-city
日本に探偵小説という新しいジャンルを創立し、大衆文学の世界や少年小説の分野でも熱狂的な人気を集めた江戸川乱歩の作品は、いまも多くの読者に読み継がれています。
インタビュー 瀬名×山崎×芳賀ドラえもんチャンネル
日本に探偵小説という新しいジャンルを切り開いた。大衆文学の世界や少年小説の分野で熱狂的な人気を集めた作品は、いまも多くの読者に読みつがれている。
代表作『人間椅子』 『パノラマ島奇談』 『黄金仮面』 『怪人二十面相』 『少年探偵団』 『新宝島』など。
江戸川乱歩名張市
日本に探偵小説という新しいジャンルを切り開き、大衆文学の世界や少年小説の分野でも熱狂的な人気を集めた江戸川乱歩の作品は、いまも多くの読者に読み継がれています。
わがまち・わが暮らし木津川上流河川事務所
名張市は、明治時代、日本に探偵小説という新しいジャンルを切り開いた作家・江戸川乱歩の誕生した地として知られる。
江戸川乱歩生誕の地伊賀市・名張市広域行政事務組合
日本に探偵小説という新しいジャンルを切り開き、大衆文学の世界や少年小説の分野でも熱狂的な人気を集めた江戸川乱歩は、明治27年(1894)、名張の町に誕生しました。
伊賀の偉人列伝伊賀の酒.com
日本に探偵小説という新しいジャンルを切り開き、大衆文学の世界や少年小説の分野でも熱狂的な人気を集めた。

 ここで念のために申し添えておきますと、私は何もいわゆるパクリを批判したり著作権の問題をうんぬんしたりするためにこんなことを書いているわけではありません。しいていえばインターネットにおける引用の実相、あるいはコピー&ペーストのひそかなる水脈、そんなものにちょっとだけ眼をやってみたいと考えているにすぎません。

 と書いてからもう一度検索してみましたところ、上に引いた以外に新しいページが見つかりました。追加いたしましょう。

日本に探偵小説という新しいジャンルを
江戸川乱歩名作選 朗読:渡辺いっけいJ-WAVE
日本に探偵小説という新しいジャンルを創立し、大衆文学の世界や少年小説の分野でも熱狂的な人気を集めた江戸川乱歩の作品は、いまも多くの読者に読み継がれています。
江戸川乱歩が生まれた土地です。ニュースストック
日本の探偵小説を創始した作家で明治27年名張の町に誕生した。
日本に探偵小説という新しいジャンルを切り開いた。

 「江戸川乱歩名作選 朗読:渡辺いっけい」はリンクが切れておりましたので、致し方なく Google のキャッシュにリンクいたしました。それから「江戸川乱歩が生まれた土地です。」のブロガーの方は、うーむ、いかんいかん、これはいかん、わざわざ名張までおいでいただいたにもかかわらず、

 ──この場所を探すのに時間がかかりました。この奥にもっと立派な石碑があるようなんですが、勝手に入るわけにいかず断念しました。

 とのことであって、掲載された写真から判断いたしますに、どうやら新町通りに面した桝田医院横の路地の入口で「立派な石碑」に向かうことを断念なさったようなのですが、いかんいかん、これはいかん、こんなことではいかんではないか。これも行政の怠慢であろう。名張のまちでは乱歩生誕地碑への案内もろくにできておらん始末であるから、なかにゃ生誕地碑までたどりつけずにすごすごと帰ってしまう訪問者も出てきてしまうのである。

 ──えーい。喝ッ!

 なんか趣旨がちがってきてしまったような気もしますけど、あすにつづきます。

  本日のアップデート

 ▼2006年2月

 鏡地獄 とり・みき

 とり・みきさんの新作です。チクマ秀版社の『パシパエーの宴』に収録されました。

 ──何時しか埋もれてしまった隠れた秀作、傑作、またその存在すら〈幻〉の作品等を選りすぐり、現在の文庫やコンビニ限定等の趨勢の中、作者、読者双方の希望、理想を具現化し、その作品〈本来の姿〉を叶え、徹底するものである。

 との宣言のもとに創刊された叢書「レジェンド・アーカイブス」の記念すべき一冊目。くだんをモチーフにした秀作と呼び声の高い表題作を巻頭に配し、巻末には昨秋封切られたオムニバス映画「乱歩地獄」の一篇「鏡地獄」をコミック化した書き下ろし作品が収録されております。

 【2006年2月24日追記】『パシパエーの宴』は「レジェンド・アーカイブス」の「記念すべき一冊目」ではありませんでした。同じくとり・みきさんの『山の音』などがすでに刊行されております。ガセネタかましてあいすみません。べつに辞職はいたしませんが。

 昨年10月、立教大学タッカーホールで「乱歩地獄」を見た翌日、私はやけに暑かった東京の置き引き地獄をさまよう羽目になりましたので、映画の印象はすっかり薄れがちではあるのですが、薩川昭夫監督の「鏡地獄」は「怪奇大作戦」みたいな仕上がりの作品であったと記憶いたします。詳細は「CINEMA TOPICS ONLINE」の「乱歩地獄」でご覧ください。

 それではとり・みきさんのコミック版「鏡地獄」、映画では浅野忠信さんが演じていたのになぜか岸田森そっくりに描かれている明智小五郎による謎解きシーンから、ネタバレもものともせずに引きましょう。

明智「サラジウムだ !! 」

明智「鏡をサラジウムで 表面処理してるんだ !? 」

明智「サラジウムは赤外線の 周波数を強力な 極超短波に変調する 性質を持つ特殊な 鉱物です」

明智「ある周波数の 極超短波は水の 分子を分極させて 高い周波数で振動 回転させる働きを 持っている」

明智「おそらく 被害者の女性は この鏡を見ながら 強力な極超短波をあび 顔や脳がドロドロ に…」

刑事「では──」

 ついでですからノックスの十戒も引いておきましょう。

 IV、現時点までに発見されていない毒物、あるいは、科学上の長々しい説明を必要とする装置などを使用すべきでない。

 底本はロナルド・ノックス編、宇野利泰・深町眞理子訳『探偵小説十戒 幻の探偵小説コレクション』(1989年1月31日、晶文社)。巻頭のノックス「序文」から引きました。


 ■ 2月24日(金)
コピー&ペーストのひそかなる水脈…3

 例によってトリノ五輪フィギュアスケート女子フリーのテレビ観戦を終えてから机の前に坐りました。

 さて、「日本に探偵小説という新しいジャンルを」というフレーズで Google 検索を試みると、八つのページがヒットしてきます(いま試みると六つのページだけですが、このあたりは検索エンジンのきまぐれでしょう)。これらに共通して見られる文言をピックアップすると、

 ──日本に探偵小説という新しいジャンルを

 ──大衆文学の世界や少年小説の分野でも熱狂的な人気を集めた

 といったところ。こうした文言を含むプロトタイプがどこかにひとつあって、残る七つはコピー&ペーストによって派生したいわばヴァリアントであると判断されます。ならばそのプロトタイプはどれなのかというと、おそらくは名張市オフィシャルサイトの「江戸川乱歩」に記された、

 ──日本に探偵小説という新しいジャンルを切り開き、大衆文学の世界や少年小説の分野でも熱狂的な人気を集めた江戸川乱歩の作品は、いまも多くの読者に読み継がれています。

 という文章でしょう。これがオリジナルのはずです。

 どうしてそんなことがわかるのかというと、名張市のオフィシャルサイトに掲載されたこの文章を書いたのが私だからであって、あれはいつのことでしたか、名張市がオフィシャルサイトを開設することになり、担当は総務であったか企画であったか、とにかく名張市役所の担当セクションから、

 「名張市のホームページに乱歩のことを載せたいのですが、ご案内のとおり名張市職員にはろくな人材がおりません。乱歩のこともまったく知りません。読んだことがありません。だいたいが手前など文字と名のつくものは五分も眺めているだけで頭が痛くなってきます。そらもうあんた、ずつのてずつのて」

 との依頼を受けましたので、ばーか、そんなことはとっくの昔にお見通しだい、とか思いながらさらさらしたためてさしあげました次第。

 インターネットで調べものをしながら原稿を書いたことのある人ならば、ひとつの事項に関してよく似た内容の説明がネット上のあちらこちらに存在しており、それがどうやらどこかからコピー&ペーストして適当に手を加えたものであるらしいと気がついた経験がおありでしょうけれど、私は思いがけず、自分の書いた文章がコピー&ペーストされながら少しずつ姿を変えてゆく伝言ゲームめいた過程を知ることができました。

 とはいうものの、昨日も記しましたとおり私はいわゆるパクリを批判しようというのではさらさらなく、インターネットにおける伝言ゲームを興味深いものに思っているだけの話なのですけれど、これ以上つづけるとやはりどこかしら批判めいた印象が濃くなりまさり、なんだかずいぶん意地の悪いことも書いてしまいそうな予感がいたします。

 おおそうじゃそうじゃ。私はなにしろついに出た「『新青年』趣味」第十二号の誌上において、村上裕徳さんから、

 ──ボクは、中さんは、そうとうにイケズや、思います。

 というシビアな評言を頂戴している次第でもあって、意地悪やイケズは慎んだほうがいいのかもしれません。となるとこの「コピー&ペーストのひそかなる水脈」、このままつづけていいものかどうか。

 ではここで、夢野久作を特集した「『新青年』趣味」第十二号のお知らせです。村上裕徳さんの「脚註王の執筆日記【完全版】」は、『子不語の夢』の脚註に感動したすべての読書人に贈る抱腹絶倒の一篇。ぜひお読みください。むろん特集のほうも充実しております。詳細はこのページでどうぞ。

  本日のアップデート

 ▼2006年2月

  西上心太

 2月19日付毎日新聞に掲載されました。「物語のステージ」という連載の第七回。

 先年、江戸川乱歩の終の棲家となった池袋の自宅に隣接する土蔵が立教大学に寄贈され、改修工事が施され、保存されることが決まったのはうれしいニュースだった。毎夜その土蔵にこもった乱歩が、ロウソクの灯りで作品を書き続けていた……、という逸話は〈探偵小説の鬼〉という異名から生じた伝説らしいが。

 何となく、この辺が、オカシイ感じがしますが……、といってみたいようなところもあるのですが、まあいいでしょう。

 お知らせその一、この記事のことはやよいさんと閑人亭さんからご教示いただきました。謝意を表します。

 お知らせその二、昨日の記述に事実誤認がありましたので、追記を加えて訂しました。このあたりをどうぞ。


 ■ 2月25日(土)
コピー&ペーストのひそかなる水脈…4

 当代におけるコピー&ペースト症候群の発症には端倪すべからざるものがあるようです。

 つい先日も、そこらの大学で学生に論文のひとつも書かせようものならネット上の文章をたたたーっとコピー&ペーストして手を加え、素知らぬ顔して提出してくるのがごくごく一般的な当世学生気質であると聞き及びましたので、へー、と思ったものなのですが、当のネット上でももとより同様のことは行われ、しかもコピー&ペーストには情報の劣化がともないますから始末が悪い。

 「i-city」の「江戸川乱歩」が「名張市」の「江戸川乱歩」を参照して書かれたのはまあいいとしても、

 ──日本の探偵小説を創始した作家、江戸川乱歩は、明治27年(1894)、名張の町に誕生しました。

 とあったのが、

 ──日本の探偵小説を創始した江戸川乱歩(本名:平井太郎)は明治27年(1895年)10月21日、現在の名張市本町にて誕生(家族構成は父、母、祖母の4人家族)。

 となってしまい、乱歩が本町に生まれたなどという誤った情報が公開されているのは困ったものです。西暦もちがってますし。

 しかもこの「i-city」の「江戸川乱歩」から「ドラえもんチャンネル」の「インタビュー 瀬名×山崎×芳賀」への伝言ゲームもひそかに行われたようで、乱歩の代表作が前者には、

 ──■心理試験 ■人間椅子 ■パノラマ島奇談 ■怪人二十面相 ■少年探偵団 ■新宝島 ■陰獣 ■石榴 ■孤島の鬼 ■黄金仮面

 後者には、

 ──『人間椅子』『パノラマ島奇談』『黄金仮面』『怪人二十面相』『少年探偵団』『新宝島』など。

 と列挙されていることからそれがわかります。乱歩の代表作として「新宝島」をあげる人間はほぼ皆無であろうと思われるのですが、「i-city」の「江戸川乱歩」ではなぜかそういうことになっていて、「ドラえもんチャンネル」の「インタビュー 瀬名×山崎×芳賀」はそれを無批判に踏襲したとおぼしい。

 ちなみにプロトタイプである「名張市」の「江戸川乱歩」では、乱歩の代表作を、

 ──心理試験 人間椅子 パノラマ島奇談 陰獣 石榴 孤島の鬼 黄金仮面

 としているのですが、これは乱歩生誕地碑に記されているところをそのまま写したものであって、そうでもなければ代表作など軽々に選べるものではありません。上記七点だってたとえば「石榴」が入っていることに首をかしげる向きもおありでしょうが、生誕地碑に書いてあることを(ということはおそらく乱歩自身がセレクトしたところを)そのまま伝えているのですから名張市のオフィシャルサイトに罪はないのじゃ。

 それでまあいったい「i-city」というのは何なんだ、どこのサイトなんだと見てみると、トップページには、

 ── i-cityは、伊賀上野ケーブルテレビ(ICT)が運営する、伊賀地区の地域情報サイトです。サイト内のすべてのコンテンツの著作権は、ICTに帰属します。

 とあります。

 そーかそーか、上等じゃねーか、てめーらでも著作権という言葉はちゃんと心得てやがったようだな、なんてこと私はいいませんけど、ケーブルテレビといえば社会の公器、天下の木鐸、そのオフィシャルサイトにあんまりな誤りが記されているのはいかがなものか。ここはひとつ名張市立図書館の人も知るカリスマである私から伊賀上野ケーブルテレビにメールを一通さしあげて、その文末に、

 ──@堀江

 とでも書き添えておけばおおいに受けもするでしょうが、ネット上の誤りの指摘というやつは始めたが最後際限がなくなってしまいそうですからやめておきます。かくいう私だって誤りはしょっちゅう犯しているわけですし。

 それで結論といたしましては、インターネット上には間違いや誤りやガセネタなんかがごろごろしているわけですから、閲覧者は真贋を見分ける力、いわゆるメディアリテラシーを身につけなければなりません、といったことになるでしょう。

 以上、連載「コピー&ペーストのひそかなる水脈」を終わります。私はやはり意地悪だったりイケズだったりしたのでしょうか。

  本日のアップデート

 ▼2005年11月

 脚註王の執筆日記【完全版】 村上裕徳

 ついに出た「『新青年』趣味」第十二号に掲載されました。『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』で脚註を担当された村上裕徳さんの日記です。2004年の7月31日から9月3日まで、脚註執筆に明け暮れた夏の日々のあれこれがウンディーネのようにうねくる文体で書き留められ、読むものを飽きさせません。

 『子不語の夢』の脚註に関して、当サイトご閲覧の諸兄姉にいまさらの喋々は不要でしょう。関西にお住まいで古くから村上さんをご存じのある方をして、

 ──あいつが命の残り火をかきたてるようにして書いている姿が眼に浮かんで感動した。今度は横溝正史関係でああした仕事をさせてやりたいものだ。

 といわしめた怒濤の脚註が、その舞台裏をここにあらわにいたしました。

 恥ずかしながら私が登場している日の記述を引いておきます。

八月三〇日

 朝九時一五分です。起きたとこです。ずいぶん添削を受けたので。泣いちゃいそうです。中さんの実証主義は主観の相違で逃げ切れなさそうなので、かなり梃子摺りそうです。ウー、わんわん。

 この日記本文にもまた脚註が附されています。ついでですから脚註も引いておきましょう。うー、わんわん。

八月三〇日

中さんの実証主義 逃げ道三方を、ひとつひとつ逃げられんようにフタをしてから、オズオズと「何となく、この辺が、オカシイ感じがしますが……」と、メイッパイ、ボケかまして攻めて来んのが中相作のヤリクチ。何となく、ヨイショされとんかな思てるうちに、王手かけられとりました。ボクは、中さんは、相当にイケズや、思います。

 脚註の舞台裏どころか私の人間性までもが白日のもとにさらされてしまっている「『新青年』趣味」第十二号、詳細はこのページでどうぞ。


 ■ 2月26日(日)
踊る脚註王

 といった次第で、村上裕徳さんの「脚註王の執筆日記【完全版】」はわずか一日だけ「本日のアップデート」の話題にしてすませてしまうにはあまりにも惜しい素材であり、さらには当事者のひとりとしていささかの説明を加えたほうが「『新青年』趣味」第十二号読者の一助になるかとも愚考されましたゆえ、こうしてスピンオフさせることにいたしました。

 と書きつけてはみましたものの、残念ながら本日は時間がありませんので、いわば予告篇だけでおいとませねばならぬのを遺憾といたします。

 ちなみに本日のタイトル「踊る脚註王」には、とくに深い意味はありません。村上さんは『子不語の夢』巻末の執筆者紹介によれば「主に舞踏を中心とする舞踏批評家」でいらっしゃいますので(しかしそれにしても、舞踏批評家が舞踏を中心とするのはあたりまえのことであって、それにまた主にというのは要するに中心とするということであって、何となく、この辺が、オカシイ感じがしますが……、これをイケズと呼ぶのでしょうか)、なんとなく「踊る脚註王」というフレーズが思い浮かんだ次第です。

 当サイトご閲覧の諸兄姉はとっくの昔にお申し込みのことと拝察いたしますが、「脚註王の執筆日記【完全版】」が読めるのは「『新青年』趣味」第十二号だけ。まだの方はこのページをご覧のうえ、いますぐご注文ください。

  本日のアップデート

 ▼2001年

 Deviance and Social Darwinism in Edogawa Ranpo's Erotic-Grotesque Thriller Koto no oni Jim Reichert

 アメリカ合衆国にお住まいのジェフリー・アングルスさんからお教えいただきました。「The Journal of Japanese Studies」に掲載された一篇。筆者はスタンフォード大学の教授でいらっしゃるそうで、論文の要旨はこのページで知ることができます。

 私はこの論考に眼を通したわけではなく、また英文なんてそもそもちんぷんかんぷんなんですから、上のリンク先にある要旨を Yahoo! 翻訳で和訳した全文を掲げて責をふさぎます。なんといい加減なふさぎかたか。

江戸川ランポの Erotic-Grotesque Thriller 江東なし oni の逸脱と Social ダーウィン説

エロチックなグロテスクなナンセンス(ero-guro-nansensu)として知られている文化的な現象は、1920年代後期と1930年代初期の間に日本で全盛でした。この環境を支配することは、人気の著者江戸川ランポ(1894〜1965)でした。彼の最も良好なものの一つで、センセーショナルで、小説は江東なし oni(孤立した島(1929〜30)の邪悪なもの)でした。そして、それは読者に彼らがエロチックなグロテスクな文化的な生産の達人に期待しに来たそういう異常な性格と衝撃的な事件を提供しました。商業的なフィクションの巧みに実行された部分としてのその否定できない訴えに加えて、テキストは文学的で、政治的で、社会的で、科学的な意義の同時性のシステムとのその複雑な関わりのために注目に値しもします。性格(「通常の」人類を構成することの標準的な概念に疑問を呈する「異常」の動物園)のそのキャストに相当する方法では、江東なし oni 自体は、従来の文学的で空論の解説的な位置を不安定にします。

 もういっちょ Exite 翻訳 でも訳してみましょう。

逸脱と Social のダーウィン説の Erotic Ranpo の江戸川ところでグロテスクな Thriller 江東いいえ oni

エロティックなグロテスクなナンセンス(ero-guro-nansensu)として知られている文化的な現象は1920年代後半と1930年代前半の間、日本に栄えました。 この周囲を支配するのは、人気作家江戸川 Ranpo(1894-1965)でした。 彼の最もうまくいっていて、センセーショナルな小説の1つは江東ノー oni (1929-30の人里離れている島の悪霊)でした。(その oni は奇抜なキャラクタとそれらがエロティックにグロテスクな文化的な生産のマスターから予想するようにならせた衝撃的な事件の種類を読者に提供しました)。 また、巧みに実行された片の商業フィクションとしての打ち消し難い上告に加えて、文学的、そして、政治上の、そして、社会的で、科学的な重要同時性のシステムとの複雑な婚約において、テキストも注目に値します。 キャラクタのキャスト、「正常な」人類を構成することに関する標準の概念に挑戦する「熱狂者」の動物園に匹敵する方法で、江東ノー oni 自身は従来の文学の、そして、イデオロギーの解釈的な位置を動揺させます。

 「孤島の鬼」が「江東なし oni」ないしは「江東いいえ oni」「江東ノー oni」と訳されてしまうらしいことはよくわかりました。


 ■ 2月27日(月)
脚註王と仲間たち

 村上裕徳さんの「脚註王の執筆日記【完全版】」について、つまりは『子不語の夢』という一冊の本について記そうとすると、いまだ心にさざなみが立つのをおぼえます。腹が立ったり鬱陶しかったりしたあれこれがよみがえってきて、とても平静ではいられなくなります。

 私には上っ面だけきれいごと並べてことを収める趣味はありませんから(そんなことしてしれっと喜んでる手合いがまたじつにたくさんいるわけですが)、歯の浮くような美辞麗句でもって『子不語の夢』の刊行事業を語ることなどとてもようしませんし、そもそも三重県だの伊賀地域だの名張市だのの貧しい内実、端的にいってしまえばここいらではどいつもこいつもばかなのであるという実情は私がおりにふれて指摘しているとおりなのですから、三重県が手がけたこのいわゆる文化事業を(いうまでもないことであるとは思いますが、私は「文化」という言葉、とくにそこらのお役人連中が口にする「文化」という言葉をこのうえないほど嫌っております。文化という言葉を耳にすると思わず猟銃に手が伸びる、とうそぶく男が出てきたのはルース・レンデルの小説であったでしょうか)きれいごとでうわべだけ飾ってもそんなものはまったく無効だというしかないでしょう。

 ですから何も斟酌することなくありのままを記せばいいようなものではあるのですが、私がなぜ怒ったのか、どうして鬱陶しいなと思ったのか、その理由ないしは対象を記すのは悪口を並べることにほかならず、具体的にいえば刊行を請け負ってくれた出版社を批判することになってしまいます。むろん『子不語の夢』は無事に刊行されましたし、出版社にはいろいろ無理難題も聞いてもらっておおきに感謝はしているのですが、上梓にいたるまでのプロセスを思い起こすとやはり心の湖面には志賀の都のごときさざなみの縮緬皺。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001−2】」の報告がお正月以来ふたたび停滞しているのも、悪口や批判を記すことに私自身どうにも嫌気がさしているからなのだとお思いください。しかし報告はしなければならんのであるが。それにしてももうおととしの話なのであるが。

 ぶつぶついってないで話を進めますと、『子不語の夢』に脚註を入れるのは私の当初からの念願で、念願というかそれはもう当然のことで、もともと公開を前提にしていない書簡を公刊するのであるから読者のためには書簡本文を脚註によってフォローしたほうが親切であろうし、それならば無味乾燥で通り一遍の脚註では面白くなかろう。スタッフがそれぞれの判断で署名入りの脚註を入れるのも一興であって、そうすると可能性としてはひとつのフレーズに二様三様の解釈が生まれることもあり、いやこうなるとそれぞれが誰の所見であるかを明記した多元的な脚註というのはなかなかに画期的な試みではないのか、などと私は夢見る少年のように考えておりました。

 『子不語の夢』は三重県が三億円をどぶに捨てることになるであろうと事業実施のはるか以前から容易に推測された「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の予算をぶんどって刊行するものであり、その意味では乞食のお祭りにわいわいと参加するようなものにほかなりませんでしたから、乱歩と不木の往復書簡というじつに堅苦しい素材を取り扱うにあたっても、むしろ内容には柔軟で面白く読めるところがあったほうがお祭りらしいのではないかと愚考された次第です。

 さてそれで、当初は私が『子不語の夢』の編集を担当するつもりでいたのですが、ある出版社が名乗りをあげてくれましたので、編纂刊行の実務をすべて丸投げいたしました。その時点では脚註担当者として村上裕徳さんに白羽の矢を立てておりましたし、ほかのスタッフの脚註も入れるという構想も伝えたうえでの丸投げです。ところが、編集作業がなかなか前に進みません。私以外のスタッフはほとんど東京圏に集中しており、情報交換はおもにメールによって行っていたのですが、編集部がスタッフをリードして作業を進めているという気配がまったく伝わってこない。いくら丸投げしたとはいえ、いや丸投げした身であるからこそ、私はよけいに心配をおぼえました。

 編集部はいったい何をしておるのか、と私はいぶかったものでしたが、そしてそのときにはそんな事実を夢にも知らなかったのですが、編集作業が遅々として進行しないのもまさしく道理、あとで知らされたところによれば、私が丸投げした出版社には編集部が存在していませんでした。あー驚いた驚いた。おまえはまたどうしてそんなところに丸投げしたのかと詰問されれば自身の不明を恥じるしかないわけなのですが、とにかくそういうことでした。むろん私とてその出版社の社長さんに、

 「おたくの会社はつぶれませんか」

 とその場で張り倒されてもしかたのないような質問をするところまでは行ったのですが、「おたくの会社に編集部はありますか」と訊くことまではできませんでした。出版社というやつには編集部がもれなくついているものと思っていたからです。

 なかなか脚註の話題にたどりつけませんが、実際じつにいろんなことがあり、それでも「脚註王の執筆日記【完全版】」に記されているとおり、2004年の7月31日には村上さんの脚註も半分くらいは仕上がったというところまでこぎつけていただきました。8月に入って、できあがっていたところまでの脚註第一稿がスタッフ全員にメールで配信されました。調べが届かないため村上さんからスタッフに、

 ──ヘルプ。

 という応援要請が記されているところもあり、それならいっそと考えた私は、この名張人外境に脚註原稿をすべて掲載した非公開ページをアップロードしました。スタッフ全員がこの非公開ページを閲覧できるようにしたうえで、村上さん執筆分に対するヘルプ、フォロー、あるいはツッコミ、そうしたものがあれば私あてにメールで送ってもらう。私は送られたテキストデータを村上さんの脚註に対照させる形でこのページに掲載する。それでスタッフ全員が脚註のチェックを進める。そんな段取りで作業は着々と進行することになりました。

 この非公開ページから最初の脚註とそれに対する私のフォローを引いておきます。

江戸川乱歩・小酒井不木往復書簡集 注釈

村上裕徳

大正12年7月
乱 大12・7・1
* 「二銭銅貨」アト 大正十二年四月号「新青年」。執筆期は大正十一年九月という。稿料は一枚一円で、当時の新人としては「ひどく廉いというほどではなかった」という乱歩評。当時の菊池寛のような大家で一枚五円から六円だったという。この乱歩の原稿料も「D坂―」や「心理試験」の頃には二円に上がる。 執筆期『貼雑年譜』によれば、九月二十六日から数日間で大正五年の日記帳の余白に下書き。「新青年」掲載時には末尾に「一一・一〇・二」とあり、これは脱稿の日付でしょう。[8月18日/中]

 といったような次第であって、『子不語の夢』スタッフが村上さんの脚註原稿にどのように向き合ったのか、これでよくおわかりいただけたのではないかと思います。

  本日のアップデート

 ▼1999年12月

 Purloined Letters: Cultural Borrowing and Japanese Crime Literature, 1868-1941 Mark Hastings Silver

 これもジェフリー・アングルスさんから教えていただきました。エール大学の博士論文で、筆者はこの方

 すでに本になっているようで、国立国会図書館オフィシャルサイトにある「Books on Japan」のこのページに記載されていると、これはほりごたつさんからお教えいただきました。二百三十二ページ、二十三センチで、請求記号は KG381-A26。

 私は例によって眼を通しておりませんので、ジェフさんからお知らせいただいた簡単な内容紹介をまんま引き写して責をふさぎます。ふさげるのかしかし。

盗まれた手紙:異文化の交流と日本犯罪文学、1868−1941
1 序文:異文化の交流と日本犯罪文学
2 仮名垣魯文と早時期の日本写実主義
3 黒岩涙香の日本化された西洋
4 岡本綺堂の懐かしさを語る小説
5 江戸川乱歩の変身願望と文学模造

 興味がおありの方は国立国会図書館へどうぞ。しかしいいのかこんなことで。


 ■ 2月28日(火)
脚註王 vs 実証狂

 実証狂ってネーミングはいかにも垢抜けねーよなーとは思うのですが、実証鬼、実証魔、実証魔人、実証怪人、いろいろ考えてみたもののこれといった名前が浮かんできません。「実」だの「証」だのという漢字の意味が「鬼」や「魔」や「怪」のそれに明らかにそぐわないせいでしょう。そこでとりあえず実証狂ということにしてみました。むろん私のことです。

 村上裕徳さんの「脚註王の執筆日記【完全版】」においてはほとんど実証主義の権化と化している私なのですが、それはたまたまそうなっただけの話であって、といいますのも、村上さんの脚註原稿はスタッフおよび院外団による衆人環視のなかでチェックが進められたことはきのうお知らせしたとおりなのですが、私はできるだけ出しゃばらないよう身を慎み、主観によって左右されることのないいうならば歴史的事実のみを指摘することにしておりましたので、その事実の重みが村上さんをして「中さんの実証主義は主観の相違で逃げ切れなさそうなので」と観念させる結果を招いたのであると判断されます。

 とはいえ、私が狂人のごとき実証主義者たらんとしているのは間違いのないところなのですから、私が提出したわずかなフォローの文章からそのあたりを正当に見抜かれたのは、やはり村上さんの眼力であるというべきでしょう。ただし、村上さんが「脚註王の執筆日記【完全版】」で指摘していらっしゃる実証主義は畢竟するに乱歩の記したところを永遠不変のメートル原器とする思想のことであるようで、しかし私の実証主義はむしろ乱歩をこそ対象とするものです。乱歩という永久に実証しえない対象にあえて実証主義によって肉薄するのが私の念願なのであって、それはなぜかというならば、実証主義の超越はその絶巓を極めることによってのみ可能だからなのである。

 あ、なんか話題が『江戸川乱歩年譜集成』のほうにずれこんでる。というか、なんか書くことがだんだん村上さんに似てきている。恐るべし村上マジック。充分留意しながらもう少し「脚註王の執筆日記【完全版】」の話題をつづけましょう。

 『子不語の夢』の脚註には私の名前が二回登場します。最初眼にしたときにはちょっとまずいなと思ったのですが(どうしてそんなことを思ったのかは後日述べます)、いやまあこれも面白いかと考え直し、そのままにしておきました次第。そのうちの一箇所、大正14年4月24日付乱歩書簡にある作品タイトル「虎」の脚註を例にとって、脚註の生成過程をご覧いただきましょう。

乱 大14・4・24
* 「虎」アト おそらく、後の「陰獣」のこと。このタイトルは女性的性格の猫をあらわすらしく、正史の証言によれば、原稿を貰った後で、表題を、もっとインパクトのあるものに変えるように依頼し、その題が「陰獣」であったという。前の題を正史は覚えていないが、おそらく、それが「虎」だったのであろう。 「虎」「探偵小説十年」に「疑惑」は「初め『虎』という題をつけるつもりであった。主人公に虎の夢を見させるという様なことであったと思う」とあります。三月二十日付書簡に「疑惑」というタイトルが見え、「嫌疑者が三四人あって」と構想も記されていますから、この四月十四日付書簡に「虎」とあるのが「疑惑」のことなのかどうか、「探偵小説十年」の記述が乱歩の記憶違いである可能性も否定できませんが、「陰獣」の原題が「虎」であったと見るのはいささか早計ではないでしょうか。陰獣は本来猫のことだと乱歩は書いていますが、同じネコ科の動物でも、虎のイメージは「陰獣」という作品にはそぐわない気がします。とはいえ、書簡に「虎」を長篇にしたいと書かれていることもあって、「虎」イコール「陰獣」説も頭から否定されるべきではありません。ですから脚注では、「虎」に関する「探偵小説十年」の記述にも触れておいていただければと思います。なお、六月十五日付書簡脚注で指摘されているフロイト的な父殺しのモチーフは、「疑惑」(乱歩が初めてフロイトの理論に言及したという点でも注目されるべき作品だと思います)や「夢遊病者の死」でもより自覚的かつ直截に扱われていると思われます。[8月13日/中]

 上の引用の左側が村上さんによる第一稿、右側が私のフォローなのですが、村上さんから、

 ──逃げ道三方を、ひとつひとつ逃げられんようにフタをしてから、オズオズと「何となく、この辺が、オカシイ感じがしますが……」と、メイッパイ、ボケかまして攻めて来んのが中相作のヤリクチ。

 と評された私のいやらしさがよくにじみ出ております。こうしたプロセスを経て最終的にどんな脚註が仕上がったのか、それは『子不語の夢』の七〇、七一ページでご確認ください。

  本日のアップデート

 ▼1934年1月

 江戸川乱歩先生愈々出馬

 「講談倶楽部」の昭和9年新年号に掲載されました。この号から連載が始まった「人間豹」の最後のページに、半ページちょいのスペースを割いて載せられた無署名記事です。

 本誌に曾て『蜘蛛男』『魔術師』『恐怖王』と、稀代の大探偵小説を相次いで発表して読書界を熱狂乱舞させた探偵小説壇の大巨星が、二年の沈黙を破つてここに又復素晴しい大傑作を執筆されることになりました。題して『人間豹』、題名からしてすでに奇々怪々を極めてゐるではありませんか。『この「人間豹」の物語は、自分の小説の中で一番面白く書け一番気に入つてゐる材料だ』と、作者も云つてをられるだけあつて、第一回の抑々から実に無気味で実に面白く、さすがに世界的大作家の大手腕と驚嘆する許りであります。

 次回からがいよいよこの大探偵小説の本筋で妖艶怪奇の大場面が次から次へと展開され、稀代の悪魔王と、明敏活断の名探偵との、血みどろな智慧くらべと腕くらべが映画面の如く華かに目まぐるしく誌上に活写されてゆきます。あなたの御知己の中で未だ本篇を読まぬ方がありましたら、この世界的大探偵小説だけは是非共第一回から読まれる様おすすめ下さい。乱歩先生も非常な意気込みで筆を執つてをられるのですから。

 小林宏至さんのご教示をいただきました。謝意を表します。