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2006年2月下旬
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地元のことがメディアで全国的に報じられるのはやはり嬉しいもので、「新潮45」の3月号、私は喜んで購入いたしました。「総力特集」と銘打たれた「甦る昭和30年代 13の『怪』事件簿」の九つめに、 ──黒か白か? 「名張ぶどう酒事件」の多すぎる謎 と題したノンフィクションライター上條昌史さんの記事が掲載されております。 とりあげられた怪事件のラインアップは「新潮45」でご覧いただけますが、「太陽族」「60年安保」「吉展ちゃん誘拐殺人」「東京オリンピック」などのトピックに「名張ぶどう酒事件」が堂々と伍している、それも名張という地名を冠して肩を並べているのを眼にすると、不謹慎きわまりないとは思いつつ、事件関係者からお叱りをいただくであろうことは重々承知しながらも、どこか誇らしいような気がしてしまいます。 この事件に関してはつい最近、奥西勝死刑囚を支援する動きが奈良市内であったと報じられております。毎日新聞の奈良版から青木絵美記者の記事を引きましょう。ちなみに私は三十年ほど前、この記者の方とまったく同姓同名の女の子とつきあったことがあります。京都のおミズ方面の女の子でしたが、いまごろはどこで何しているのやら。孫を抱いておっても不思議ではないのだが。
名張市に生まれ育った奥西死刑囚の早期釈放を求める集会が、どうして地元の名張ではなく奈良市で開かれたのか。理由は私にはわかりませんが、奥西さんが犯人であってほしいと、犯人であるべきだと、そんなふうに考える関係者も名張市内には存在していることでしょうから、支援集会の開催にもいろいろ差し障りのようなものが出てくるのかもしれません。 「新潮45」の記事から引きましょう。
まあそういったところでしょう。ムラ社会、共同体、農村構造、どんな名で呼んでもいいのですけれど、うちらのとこには真実なんかよりよっぽど大事なものがありますけんね、といったことになります。ちなみに申し添えますと、名張市内にはこうした閉鎖性がいまだ色濃く残存しており、たとえば名張市役所ですとか、あるいは名張まちなか再生委員会ですとか、とにかく閉鎖的なことこのうえありませんからまこと往生いたします。
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ご多分に洩れずというかなんというか、テレビでトリノ五輪フィギュアスケート女子ショートプログラムを観戦し終えてから机の前に坐りました。あっさりとまいります。
ふと思いついて「日本に探偵小説という新しいジャンルを」という文言を検索してみたところ、面白いことに気がつきました。コピー&ペーストのひそかなる水脈、とでも呼ぶべきことなのですが、つづきはあしたといたします。 |
面白いことに気がつきました、ときのうは記した私なれど、一日たってみるとそれほど面白くもないかという気がしてきます。しかしまあつづけましょう。まずは Google 検索の結果を一覧。
ここで念のために申し添えておきますと、私は何もいわゆるパクリを批判したり著作権の問題をうんぬんしたりするためにこんなことを書いているわけではありません。しいていえばインターネットにおける引用の実相、あるいはコピー&ペーストのひそかなる水脈、そんなものにちょっとだけ眼をやってみたいと考えているにすぎません。 と書いてからもう一度検索してみましたところ、上に引いた以外に新しいページが見つかりました。追加いたしましょう。
「江戸川乱歩名作選 朗読:渡辺いっけい」はリンクが切れておりましたので、致し方なく Google のキャッシュにリンクいたしました。それから「江戸川乱歩が生まれた土地です。」のブロガーの方は、うーむ、いかんいかん、これはいかん、わざわざ名張までおいでいただいたにもかかわらず、 ──この場所を探すのに時間がかかりました。この奥にもっと立派な石碑があるようなんですが、勝手に入るわけにいかず断念しました。 とのことであって、掲載された写真から判断いたしますに、どうやら新町通りに面した桝田医院横の路地の入口で「立派な石碑」に向かうことを断念なさったようなのですが、いかんいかん、これはいかん、こんなことではいかんではないか。これも行政の怠慢であろう。名張のまちでは乱歩生誕地碑への案内もろくにできておらん始末であるから、なかにゃ生誕地碑までたどりつけずにすごすごと帰ってしまう訪問者も出てきてしまうのである。 ──えーい。喝ッ! なんか趣旨がちがってきてしまったような気もしますけど、あすにつづきます。
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例によってトリノ五輪フィギュアスケート女子フリーのテレビ観戦を終えてから机の前に坐りました。 さて、「日本に探偵小説という新しいジャンルを」というフレーズで Google 検索を試みると、八つのページがヒットしてきます(いま試みると六つのページだけですが、このあたりは検索エンジンのきまぐれでしょう)。これらに共通して見られる文言をピックアップすると、 ──日本に探偵小説という新しいジャンルを ──大衆文学の世界や少年小説の分野でも熱狂的な人気を集めた といったところ。こうした文言を含むプロトタイプがどこかにひとつあって、残る七つはコピー&ペーストによって派生したいわばヴァリアントであると判断されます。ならばそのプロトタイプはどれなのかというと、おそらくは名張市オフィシャルサイトの「江戸川乱歩」に記された、 ──日本に探偵小説という新しいジャンルを切り開き、大衆文学の世界や少年小説の分野でも熱狂的な人気を集めた江戸川乱歩の作品は、いまも多くの読者に読み継がれています。 という文章でしょう。これがオリジナルのはずです。 どうしてそんなことがわかるのかというと、名張市のオフィシャルサイトに掲載されたこの文章を書いたのが私だからであって、あれはいつのことでしたか、名張市がオフィシャルサイトを開設することになり、担当は総務であったか企画であったか、とにかく名張市役所の担当セクションから、 「名張市のホームページに乱歩のことを載せたいのですが、ご案内のとおり名張市職員にはろくな人材がおりません。乱歩のこともまったく知りません。読んだことがありません。だいたいが手前など文字と名のつくものは五分も眺めているだけで頭が痛くなってきます。そらもうあんた、ずつのてずつのて」 との依頼を受けましたので、ばーか、そんなことはとっくの昔にお見通しだい、とか思いながらさらさらしたためてさしあげました次第。 インターネットで調べものをしながら原稿を書いたことのある人ならば、ひとつの事項に関してよく似た内容の説明がネット上のあちらこちらに存在しており、それがどうやらどこかからコピー&ペーストして適当に手を加えたものであるらしいと気がついた経験がおありでしょうけれど、私は思いがけず、自分の書いた文章がコピー&ペーストされながら少しずつ姿を変えてゆく伝言ゲームめいた過程を知ることができました。 とはいうものの、昨日も記しましたとおり私はいわゆるパクリを批判しようというのではさらさらなく、インターネットにおける伝言ゲームを興味深いものに思っているだけの話なのですけれど、これ以上つづけるとやはりどこかしら批判めいた印象が濃くなりまさり、なんだかずいぶん意地の悪いことも書いてしまいそうな予感がいたします。 おおそうじゃそうじゃ。私はなにしろついに出た「『新青年』趣味」第十二号の誌上において、村上裕徳さんから、 ──ボクは、中さんは、そうとうにイケズや、思います。 というシビアな評言を頂戴している次第でもあって、意地悪やイケズは慎んだほうがいいのかもしれません。となるとこの「コピー&ペーストのひそかなる水脈」、このままつづけていいものかどうか。 ではここで、夢野久作を特集した「『新青年』趣味」第十二号のお知らせです。村上裕徳さんの「脚註王の執筆日記【完全版】」は、『子不語の夢』の脚註に感動したすべての読書人に贈る抱腹絶倒の一篇。ぜひお読みください。むろん特集のほうも充実しております。詳細はこのページでどうぞ。
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当代におけるコピー&ペースト症候群の発症には端倪すべからざるものがあるようです。 つい先日も、そこらの大学で学生に論文のひとつも書かせようものならネット上の文章をたたたーっとコピー&ペーストして手を加え、素知らぬ顔して提出してくるのがごくごく一般的な当世学生気質であると聞き及びましたので、へー、と思ったものなのですが、当のネット上でももとより同様のことは行われ、しかもコピー&ペーストには情報の劣化がともないますから始末が悪い。 「i-city」の「江戸川乱歩」が「名張市」の「江戸川乱歩」を参照して書かれたのはまあいいとしても、 ──日本の探偵小説を創始した作家、江戸川乱歩は、明治27年(1894)、名張の町に誕生しました。 とあったのが、 ──日本の探偵小説を創始した江戸川乱歩(本名:平井太郎)は明治27年(1895年)10月21日、現在の名張市本町にて誕生(家族構成は父、母、祖母の4人家族)。 となってしまい、乱歩が本町に生まれたなどという誤った情報が公開されているのは困ったものです。西暦もちがってますし。 しかもこの「i-city」の「江戸川乱歩」から「ドラえもんチャンネル」の「インタビュー 瀬名×山崎×芳賀」への伝言ゲームもひそかに行われたようで、乱歩の代表作が前者には、 ──■心理試験 ■人間椅子 ■パノラマ島奇談 ■怪人二十面相 ■少年探偵団 ■新宝島 ■陰獣 ■石榴 ■孤島の鬼 ■黄金仮面 後者には、 ──『人間椅子』『パノラマ島奇談』『黄金仮面』『怪人二十面相』『少年探偵団』『新宝島』など。 と列挙されていることからそれがわかります。乱歩の代表作として「新宝島」をあげる人間はほぼ皆無であろうと思われるのですが、「i-city」の「江戸川乱歩」ではなぜかそういうことになっていて、「ドラえもんチャンネル」の「インタビュー 瀬名×山崎×芳賀」はそれを無批判に踏襲したとおぼしい。 ちなみにプロトタイプである「名張市」の「江戸川乱歩」では、乱歩の代表作を、 ──心理試験 人間椅子 パノラマ島奇談 陰獣 石榴 孤島の鬼 黄金仮面 としているのですが、これは乱歩生誕地碑に記されているところをそのまま写したものであって、そうでもなければ代表作など軽々に選べるものではありません。上記七点だってたとえば「石榴」が入っていることに首をかしげる向きもおありでしょうが、生誕地碑に書いてあることを(ということはおそらく乱歩自身がセレクトしたところを)そのまま伝えているのですから名張市のオフィシャルサイトに罪はないのじゃ。 それでまあいったい「i-city」というのは何なんだ、どこのサイトなんだと見てみると、トップページには、 ── i-cityは、伊賀上野ケーブルテレビ(ICT)が運営する、伊賀地区の地域情報サイトです。サイト内のすべてのコンテンツの著作権は、ICTに帰属します。 とあります。 そーかそーか、上等じゃねーか、てめーらでも著作権という言葉はちゃんと心得てやがったようだな、なんてこと私はいいませんけど、ケーブルテレビといえば社会の公器、天下の木鐸、そのオフィシャルサイトにあんまりな誤りが記されているのはいかがなものか。ここはひとつ名張市立図書館の人も知るカリスマである私から伊賀上野ケーブルテレビにメールを一通さしあげて、その文末に、 ──@堀江 とでも書き添えておけばおおいに受けもするでしょうが、ネット上の誤りの指摘というやつは始めたが最後際限がなくなってしまいそうですからやめておきます。かくいう私だって誤りはしょっちゅう犯しているわけですし。 それで結論といたしましては、インターネット上には間違いや誤りやガセネタなんかがごろごろしているわけですから、閲覧者は真贋を見分ける力、いわゆるメディアリテラシーを身につけなければなりません、といったことになるでしょう。 以上、連載「コピー&ペーストのひそかなる水脈」を終わります。私はやはり意地悪だったりイケズだったりしたのでしょうか。
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といった次第で、村上裕徳さんの「脚註王の執筆日記【完全版】」はわずか一日だけ「本日のアップデート」の話題にしてすませてしまうにはあまりにも惜しい素材であり、さらには当事者のひとりとしていささかの説明を加えたほうが「『新青年』趣味」第十二号読者の一助になるかとも愚考されましたゆえ、こうしてスピンオフさせることにいたしました。 と書きつけてはみましたものの、残念ながら本日は時間がありませんので、いわば予告篇だけでおいとませねばならぬのを遺憾といたします。 ちなみに本日のタイトル「踊る脚註王」には、とくに深い意味はありません。村上さんは『子不語の夢』巻末の執筆者紹介によれば「主に舞踏を中心とする舞踏批評家」でいらっしゃいますので(しかしそれにしても、舞踏批評家が舞踏を中心とするのはあたりまえのことであって、それにまた主にというのは要するに中心とするということであって、何となく、この辺が、オカシイ感じがしますが……、これをイケズと呼ぶのでしょうか)、なんとなく「踊る脚註王」というフレーズが思い浮かんだ次第です。 当サイトご閲覧の諸兄姉はとっくの昔にお申し込みのことと拝察いたしますが、「脚註王の執筆日記【完全版】」が読めるのは「『新青年』趣味」第十二号だけ。まだの方はこのページをご覧のうえ、いますぐご注文ください。
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村上裕徳さんの「脚註王の執筆日記【完全版】」について、つまりは『子不語の夢』という一冊の本について記そうとすると、いまだ心にさざなみが立つのをおぼえます。腹が立ったり鬱陶しかったりしたあれこれがよみがえってきて、とても平静ではいられなくなります。 私には上っ面だけきれいごと並べてことを収める趣味はありませんから(そんなことしてしれっと喜んでる手合いがまたじつにたくさんいるわけですが)、歯の浮くような美辞麗句でもって『子不語の夢』の刊行事業を語ることなどとてもようしませんし、そもそも三重県だの伊賀地域だの名張市だのの貧しい内実、端的にいってしまえばここいらではどいつもこいつもばかなのであるという実情は私がおりにふれて指摘しているとおりなのですから、三重県が手がけたこのいわゆる文化事業を(いうまでもないことであるとは思いますが、私は「文化」という言葉、とくにそこらのお役人連中が口にする「文化」という言葉をこのうえないほど嫌っております。文化という言葉を耳にすると思わず猟銃に手が伸びる、とうそぶく男が出てきたのはルース・レンデルの小説であったでしょうか)きれいごとでうわべだけ飾ってもそんなものはまったく無効だというしかないでしょう。 ですから何も斟酌することなくありのままを記せばいいようなものではあるのですが、私がなぜ怒ったのか、どうして鬱陶しいなと思ったのか、その理由ないしは対象を記すのは悪口を並べることにほかならず、具体的にいえば刊行を請け負ってくれた出版社を批判することになってしまいます。むろん『子不語の夢』は無事に刊行されましたし、出版社にはいろいろ無理難題も聞いてもらっておおきに感謝はしているのですが、上梓にいたるまでのプロセスを思い起こすとやはり心の湖面には志賀の都のごときさざなみの縮緬皺。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001−2】」の報告がお正月以来ふたたび停滞しているのも、悪口や批判を記すことに私自身どうにも嫌気がさしているからなのだとお思いください。しかし報告はしなければならんのであるが。それにしてももうおととしの話なのであるが。 ぶつぶついってないで話を進めますと、『子不語の夢』に脚註を入れるのは私の当初からの念願で、念願というかそれはもう当然のことで、もともと公開を前提にしていない書簡を公刊するのであるから読者のためには書簡本文を脚註によってフォローしたほうが親切であろうし、それならば無味乾燥で通り一遍の脚註では面白くなかろう。スタッフがそれぞれの判断で署名入りの脚註を入れるのも一興であって、そうすると可能性としてはひとつのフレーズに二様三様の解釈が生まれることもあり、いやこうなるとそれぞれが誰の所見であるかを明記した多元的な脚註というのはなかなかに画期的な試みではないのか、などと私は夢見る少年のように考えておりました。 『子不語の夢』は三重県が三億円をどぶに捨てることになるであろうと事業実施のはるか以前から容易に推測された「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の予算をぶんどって刊行するものであり、その意味では乞食のお祭りにわいわいと参加するようなものにほかなりませんでしたから、乱歩と不木の往復書簡というじつに堅苦しい素材を取り扱うにあたっても、むしろ内容には柔軟で面白く読めるところがあったほうがお祭りらしいのではないかと愚考された次第です。 さてそれで、当初は私が『子不語の夢』の編集を担当するつもりでいたのですが、ある出版社が名乗りをあげてくれましたので、編纂刊行の実務をすべて丸投げいたしました。その時点では脚註担当者として村上裕徳さんに白羽の矢を立てておりましたし、ほかのスタッフの脚註も入れるという構想も伝えたうえでの丸投げです。ところが、編集作業がなかなか前に進みません。私以外のスタッフはほとんど東京圏に集中しており、情報交換はおもにメールによって行っていたのですが、編集部がスタッフをリードして作業を進めているという気配がまったく伝わってこない。いくら丸投げしたとはいえ、いや丸投げした身であるからこそ、私はよけいに心配をおぼえました。 編集部はいったい何をしておるのか、と私はいぶかったものでしたが、そしてそのときにはそんな事実を夢にも知らなかったのですが、編集作業が遅々として進行しないのもまさしく道理、あとで知らされたところによれば、私が丸投げした出版社には編集部が存在していませんでした。あー驚いた驚いた。おまえはまたどうしてそんなところに丸投げしたのかと詰問されれば自身の不明を恥じるしかないわけなのですが、とにかくそういうことでした。むろん私とてその出版社の社長さんに、 「おたくの会社はつぶれませんか」 とその場で張り倒されてもしかたのないような質問をするところまでは行ったのですが、「おたくの会社に編集部はありますか」と訊くことまではできませんでした。出版社というやつには編集部がもれなくついているものと思っていたからです。 なかなか脚註の話題にたどりつけませんが、実際じつにいろんなことがあり、それでも「脚註王の執筆日記【完全版】」に記されているとおり、2004年の7月31日には村上さんの脚註も半分くらいは仕上がったというところまでこぎつけていただきました。8月に入って、できあがっていたところまでの脚註第一稿がスタッフ全員にメールで配信されました。調べが届かないため村上さんからスタッフに、 ──ヘルプ。 という応援要請が記されているところもあり、それならいっそと考えた私は、この名張人外境に脚註原稿をすべて掲載した非公開ページをアップロードしました。スタッフ全員がこの非公開ページを閲覧できるようにしたうえで、村上さん執筆分に対するヘルプ、フォロー、あるいはツッコミ、そうしたものがあれば私あてにメールで送ってもらう。私は送られたテキストデータを村上さんの脚註に対照させる形でこのページに掲載する。それでスタッフ全員が脚註のチェックを進める。そんな段取りで作業は着々と進行することになりました。 この非公開ページから最初の脚註とそれに対する私のフォローを引いておきます。
といったような次第であって、『子不語の夢』スタッフが村上さんの脚註原稿にどのように向き合ったのか、これでよくおわかりいただけたのではないかと思います。
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