2006年5月中旬
11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日
 ■ 5月11日(木)
リハビリ継続中

 おかげさまで順調に恢復しております。

 一時に較べれば右腕ぜんたいがほっそりしてきて、手の甲の腫れはかなり引きました。限界まで張りつめていた皮膚に余裕が生じてきたせいで、指をまっすぐ伸ばすと手の甲を横断するように皺が走ります。指を曲げたり伸ばしたりしてそのさまを眺めているうちに、学校の地理だか地学だかの時間に習った「褶曲」という言葉を思い出したりもしました。右手の指はいよいよ動きやすくなり、じゃんけんならばほとんど普通にできるのですが、まことちゃんのグワシはややつらい。

 連休に入ったうえに蜂に刺された話題がからんですっかり水を差されたかっこうになってしまいましたが、これまでのところをまとめておきますと、名張市立図書館は危機を迎えており、それは全国の公立図書館が直面している危機でもあるのだが、官から民へ、公立図書館の運営を民間委託するという流れには抗しようがない、といったことでした。

 以下、それならばその流れを利用し、魔法の杖を一閃するようにしてピンチをチャンスに変えることはできぬものか、そんな魔法の杖がどこかにないものか、じつはこれがあるのである、どんな杖か、なに簡単なことである、市立図書館の館長を公募すればいいのである、みたいな話をつづける予定でいたのですが、蜂に刺されて生死の境をさまよう経験を経たいまとなってみれば、そんなことはもうどうだっていいやという気がしてくる。どうせ何いったって馬の耳に念仏なんだし。

 それはもちろん、私という人間は名張市役所のおえらがたの誰よりも真剣に名張市立図書館のことを考えている人間であり、深い考えにもとづいて有益な意見を述べることのできる人間でもあるのであるから、名張市に対して提言をつづけるのは市立図書館嘱託としての私の使命なのであるといわなければならぬ。たとえば「僕のパブリックコメント」に記した市立図書館ミステリ分室構想が民間委託を見通したうえでの乾坤一擲の提案であることはいうまでもなく、いま述べたような市立図書館長の公募というアイデアにしたところで、本当のところはもう少しくわしく説明しなければならぬのではあるが、とにもかくにも公立図書館の危機に即応した起死回生の献策であることもまた論をまたぬのであるけれど、どうせ馬の耳に念仏なんだからもうどうだっていいやという気がしてくるのも無理からぬ話だとおれは思う。すまんなどうも。

 いやほんとにすまんな名張市役所のみなさん。あんたらはあんたらで好きなようにやってくれ。おれはもう知らん。あんたらにはとてもまともなことなど考えられないであろうから、名張市立図書館の危機はいよいよその度を深めるばかりであろうと容易に予測されはするのですけれど、こっちにだっていろいろとやらねばならんことがあるのだから、馬の耳に念仏といった程度の効果しか期待できないことにいつまでもかかずらってるわけにはいかんのよ。

 以上、リハビリをかねてよしなしごとをば綴りました。


 ■ 5月12日(金)
リハビリのつれづれに

 左腕よりちょっとだけ太い、といった程度にまで右腕の腫れが引きました。このまま推移すれば、蜂に刺されて生死の境を踏み迷ったあとのリハビリテーション、この土日あたりで終了ということになるかもしれません。

 さて、名張市立図書館の危機はそういうことにしておいて(つまりどうにでもなれ、おれはもう知らん、ということにしておいて)、しかしまだ名張まちなか再生プランの問題が残っています。この件に関しましては、あれは1月27日のことでしたけれど、このブランはどう考えてもインチキである、プランを策定した名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集して再検討させろ、と委員会事務局にお願いし、名張まちなか再生委員会の委員長さんからも事務局に対して再招集を検討するようお口添えをいただいたわけなのですが、事務局からはその後うんともすんとも音沙汰がありません。

 たぶんもう終わったのであろうな、と私は思いました。どう考えてもインチキです、ほんとうにありがとうございましたというしかない名張まちなか再生プランはどうやら暗礁に乗りあげ、にっちもさっちも行かなくなっているようだな。おそらくこのまま立ち消えということになってしまうにちがいない。プランがまだ生きているというのであればまたあらためて叩いてやればいいのだから、何か動きがあるまでほっといてやろうか。そんなことを考え、いやもう紅旗征戎わがことにあらずである、ばかの相手はいい加減にしておこうと明鏡止水の心境になっていたところへ突如として登場してくださったのが中田三男さんでした。

中田 三男   2006年 4月10日(月) 17時21分  [219.54.8.81]

雨風便りをひとつ。某市立図書館には、お二人の嘱託員がおられたとか。お一人は言うまでもなく。もうお一方は郷土資料担当だったとのこと。本年度からの嘱託定員数は1名・・・迷わず、郷土資料担当嘱託員が消されたというのは、おもしろいおはなし。嘘でも本当でもどうでもいいが。

 もう一か月も前のことになるのかと茫然としてしまいますけれど、この投稿こそは叱咤の笞、大喝の杖、私はここに、

 ──蹶起セヨ。

 というメッセージを読みとり、明鏡止水もどこへやら、派手にドンパチかましてやろうじゃないのと勇み立ったのではありましたが、そんなことももうどうだっていいように思われてきました。ほんとにどうすればいいのかな。リハビリに努めながら少考してみたいと思います。

 ところで、お暇でしたらこんなニュースはいかがでしょうか。「快人二十面相」も出てきます。

名張市ローカルヒーロー製作サポーター募集 名張市観光協会
 都市圏での観光キャンペーンや市内のイベントなどで活躍するヒーローを結成するため、名張市観光協会は5月11日、同市役所で製作サポーター募集の記者会見を行いました。会見にはすでに県内で活躍しているローカルヒーロー「津に来て戦隊 ツヨインジャー」や「新風戦隊 マワルンジャー」らも応援に駆けつけ、サポーターへの参加を呼びかけました。

 会見には、超大物プロデューサーを名乗るF氏と一昨年から名張のPRに活躍している「快人二十面相」の2人が参加。F氏は「いろんな場面に対応できるキャラクターを、市民の皆さんに作っていただこうというのが狙い。戦隊結成からヒーローのネーミング、得意技の編み出しなどすべてにおいて、興味を持っていただいている方や名張を何とか広めたいという意識を持った方に応募いただいて、私たちとともに名張のヒーローを作っていただきたい」と訴えました。

伊賀タウン情報 YOU 2006/05/11/16:05:00

 これはいったいナンナンジャー。なんだか頭がイタインジャー。あー、くらくらしてきた。


 ■ 5月13日(土)
リハビリとプロジェクトのはざまで

 リハビリ進行状況。昨日医師の診察を受けましたところ、あとは腫れが引くのを待つだけ、とのことでした。抗アレルギー薬はあす14日まで服用。

 ここでつらつら考えますに、いくら蜂に刺されて死の淵をさまよい、そのせいでこの世のすべてが遠のいて見えるようになったからといって、いまさら「そんなことももうどうだっていいように思われてきました」といってしまってはまずいのではないか。投げやりになってはいかんのではないか。名張市の将来を憂慮し、身の危険をも顧みずわざわざ掲示板「人外境だより」に投稿してくださった中田三男さんに対して、こんなていたらくでは何の申し開きもできんではないか。いかんいかん。こんなことではいかん。

 なにしろ私は中田三男さんの投稿に鼓吹され、4月14日付伝言にこんなことを記しております。

 しかしこうなると、上に掲げました名張市オフィシャルサイトを舞台としたプロジェクトXの話題が足踏みしたままになってしまうわけなのですが、要するにこのサイトあてにメールを送信し、名張まちなか再生プラン担当セクションのボスでいらっしゃる建設部長との面談を要請する、部長さんからOKが出る、名張市役所を訪れる、部長さんからいろいろお話をうかがう、こととしだいによっては部長さんを叱り飛ばす、そのゆくたてをこの伝言板で発表する、といったところがプロジェクトXの一連の流れとなります。プロジェクトYでは三重大学、プロジェクトZでは名張商工会議所青年部がメインステージとなるわけですが、そのあたりのお話はいずれまたおいおい、ということでお願いいたします。

 こんなぐあいに約束してあるのだから、このプロジェクトXをほったらかしにしておくわけにはゆくまい。そこで私はついさっき、名張まちなか再生委員会事務局にあてて次のようなメールを送信いたしました。

 どうもお世話さまです。市立図書館嘱託の中です。3月までは乱歩資料の担当嘱託だったのですが、今年度から乱歩資料と郷土資料とをまたにかけた嘱託となりました。ひきつづきよろしくお願い申しあげます。お困りのことはなんでもお気軽にご相談ください。

 さて、1月27日に貴委員会の委員長から拝眉の機を頂戴しましたおり、貴事務局に対して名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集していただくようお願いし、委員長の多田さんからも当方の要請を事務局でご検討いただくようお口添えをいただいた次第なのですが、その後、何のご連絡もいただけません。どうなっているのか、案じております。

 そもそも名張まちなか再生プランに関しては、名張地区既成市街地再生計画策定委員会の結成以来、不明瞭で不合理で不可解な点が少なからず存在しており、腑に落ちないことがあまりにも多すぎるように見受けられます。情報を開示するよう以前からお願いしているにもかかわらず、いっさい応答がないのも解せない点です。私の記憶にまちがいがなければ、委員長もプランに関する情報開示を早急に進めるべきだとのご意見でした。

 密室のなかでごく少数の関係者だけがものごとを決めてゆき、その結果にもとづいて税金の使途が決定されるのは、名張市においてはごく一般的なことなのでしょうか。だとすれば、名張市はずいぶんと時代遅れな自治体であると申しあげなければなりません。時代遅れであるという以前に、ルールや手続きを無視したインチキがまかり通っているとしかいいようがないわけですが。

 ともあれ、当方も案じてばかりでは精神的にまいってしまうでのはないかと危惧されますので、まことに勝手な申し出ではあるのですが、いちど貴セクションの責任者でいらっしゃる建設部長にお目にかかり、いろいろお話をうかがいたいと考えております。できれば二時間ほどお時間を頂戴したいのですが、いかがなものでしょうか。ご多用中まことに恐縮ですが、ご手配をいただければ幸甚です。

 なにとぞよろしくお願い申しあげます。ご連絡をお待ちしております。

 ついでですから、4月14日付伝言に「プロジェクトYでは三重大学、プロジェクトZでは名張商工会議所青年部がメインステージとなるわけですが、そのあたりのお話はいずれまたおいおい、ということでお願いいたします」と書きつけた点についてもいささかを述べておきましょう。

 まず、プロジェクトY。

 これは三重大学のオフィシャルサイトなのですが、名張まちなか再生プランを策定した名張地区既成市街地再生計画策定委員会の委員長は三重大学工学部の先生でいらっしゃいますので、いちどその先生にお会いしてくわしいことをお訊きしてみようというのがプロジェクトYです。この三重大学のサイトにメールを送信すれば、先生から拝眉の機を頂戴することはおそらく可能でしょう。

 つづいて、プロジェクトZ。

 これは名張商工会議所青年部のオフィシャルサイト。のれんの写真の下には、

 ──この写真は、三重県名張市新町にある旧家「細川邸」の暖簾です。隠と書いて【なばり】と読みます。

 と記されております。しかしどうして細川邸の写真がここに使用されているのか、名張商工会議所青年部と細川邸のあいだにどんな関係があるのか、このサイトではいっさい説明されていないようです。とはいえサイトのトップに細川邸の写真を掲げているのですから、名張商工会議所青年部が細川邸になんらかの価値を見いだしていることはまちがいのないところでしょう。ならば、それはいったいどのようなものなのか。

 細川邸というのはいうまでもなくリフォーム詐欺の現場であり、名張エジプト化計画の舞台となったところでもあるわけなのですが、どんなところなのかというとこんなところなの。

 べつに文化財的価値があるわけではなく、むろん活用できるのであればいくらでも活用すればいいのだけれど、どのように活用したってそれだけで名張のまちににぎわいが戻ってくるわけはない。名張まちなか再生プランにはこの細川邸のことが、

 ──平成16年11月の芭蕉生誕360年祭において旧家の風情を活かした魅力的な歴史資料館になりうること、適切な企画によって集客力が期待できることなどが確認できたので、歴史資料館にふさわしい建築物と考えます。

 と記されているのですが、これもずいぶん怪しい話で、あの血税三億円をきれいにどぶに捨て去った官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の場合には、使途も明かさぬまま事業関係者がいいようにつかえる予算がたっぷりありましたから、それをいいようにつかってあの手この手で集客することはいくらでも可能だったことでしょうけれど、そんな特異な例を一般化することにはおおきに無理がありましょうし、そういえばあれはいつであったか、むろん今年になってからのことなのであるが、この細川邸であるイベントが催され、名張市内でちっとは名を知られた蕎麦打ち名人が協力を要請されて、それならば一日五十食限定で、とイベント当日に神技とも呼ぶべきみごとな蕎麦打ちを披露したところ、入場者が少なくて蕎麦は二十食ほどしか売れなかった、名人はえらくご立腹であった、うそかほんとか風のうわさにそんなことを聞き及ぶ次第なのですが、まあそんなようなところであろうな。

 であるにもかかわらず、細川邸関係者はなぜか細川邸に執着し、リフォーム詐欺を完遂しようとする。だから関係者は細川邸にどんな価値を認めているのか、またそうした価値観は関係者以外の市民とも共有できるものなのか、そのあたりのことをとりあえず名張商工会議所青年部にメールを入れてお訊きしてみようというのがプロジェクトZです。

 それにしても世話の焼ける話じゃ。お役所が全然しっかりしてくれないから、私がひとりでしんどい目を見なければならぬのじゃ。それでなくても私は忙しく、名張市立図書館においても乱歩資料と郷土資料のかけもちという大役をこなさなければならぬ。うそだとお思いならこの契約書をごらんあれ。

 天下御免の「乱歩・郷土資料収集整理業務等委託契約書」である。私は名張市とこのような契約を締結し、名張市民の税金からお手当を頂戴するのである。気になるお値段は月額八万円、とってもお得な据え置き価格となっております。しかも見てごらん。この契約書には「業務実施にかかる諸経費は、契約金額に含まれるものとする」とあるではないか。

 いやひどい話だ。こんな契約はそもそも恥も外聞もない弥縫策としかいいようのないものなのであるが、それにしたって自己破産してすってんてんになった人間つかまえてよくもこんなむごいことができるものだ。いくら無能力でも正職員にはとことん手厚く、人からカリスマと呼ばれるほどに有能であっても非正規職員には野良犬の相手をするほどにも冷酷な官僚機構の非人間性が、この一枚の契約書にはよく示されておる。しかしこうなるとカリスマというよりはふたまたか。名張市立図書館ふたまた嘱託。けけ。なんか知らんがおもしれーや。

 そんなことはともかく、ごちゃごちゃいっててもしかたはあるまい。資料代はてめーで工面しろというのであればそうしてやるさ、いわれなくたって身銭ならとっくの昔から切りまくりだい、と私は思い、三十年あまり前に中央公論社から出た宇野浩二の全集全十二巻、インターネット検索で見つけた名古屋の古本屋さんにきのう注文して、料金二万円も名張郵便局から郵便振替で送金いたしました。

 なんか話題が錯綜しているようですけれど、以上、リハビリ中の名張市立図書館ふたまた嘱託がお送りしました。


 ■ 5月14日(日)
リハビリを終えるにあたって

 リハビリもきょうまでといたします。私のリハビリを温かく見守ってくださっていたにちがいない中田三男さんどうもありがとうございました。

 それにしても中田三男さんにはお世話になってばかりです。そもそもあの投稿、中田三男さんのあの投稿がなかりせば、私は私の務めをとっくに放棄していたことでしょう。だって私はもうどうでもいいのだ。いやになった。あほらしい。こちらがどのように言葉を尽くしてもそれに耳を傾けようとはせず、ていうかどうやらそれを理解する能力がないらしいうすらばかども、そんな連中ばかりがいいだけ幅を利かせている名張市なんてもうどうにでもなってしまえ。好きなだけ世間の笑いものになればいいのさ。ていうか、もうなってるけど。

 私はそんなふうに思っていたのですが、そんなことではいかんだろうという中田三男さんの叱咤の笞、大喝の杖に眼が醒めました。私は中田三男さんの志を無にすることなく、名張市の愚かしさに対していくら不毛であってもねばりづよい異議申し立てを継続することにいたしました。中田三男さん本当にありがとうございました。

 むろん世間には、中田三男さんのことをあしざまにいう人だっていないわけではありません。早い話がこの投稿──

中田 三男   2006年 4月10日(月) 17時21分  [219.54.8.81]

雨風便りをひとつ。某市立図書館には、お二人の嘱託員がおられたとか。お一人は言うまでもなく。もうお一方は郷土資料担当だったとのこと。本年度からの嘱託定員数は1名・・・迷わず、郷土資料担当嘱託員が消されたというのは、おもしろいおはなし。嘘でも本当でもどうでもいいが。

 こんなものどう見たってただのいやがらせじゃねーか、だいたい中田って名前がふざけてやがる、ちょっと2チャンネル行ってみな、中田氏ね! 中田氏ね! 中田氏ね! なんて死ぬほど書かれてる名前じゃねーか、こんな投稿をおまえはどうしてありがたがっているのか、ばかなのか、ばかなのかおまえはこら、と私にいってくる蒙昧なやからもげんにいるわけなのですが、中田さんの投稿がいやがらせではないことは私がいちばんよく知っております。

 そもそも私にいやがらせをしようなどと、そんなことを考える人間がいるはずはないと私は思います。神からつかわされた天使にいやがらせなんてできるわけないじゃん。ただし世の中には上っ面のことしかわからないばかというのが少なからず存在しておりますから、たとえば私がこんなものはインチキであるというきわめて正当な批判の対象としている名張まちなか再生プランの関係者のなかに、上っ面しか見えてない怪人19面相ばりのうすらばかがいるとしたら何かのはずみで血迷ったあげく私にいやがらせをしてくるかもしれず、中田三男さんがそうした手合いのひとりではないかと考えることも不可能ではないのでしょうが、いやまいったな、もしもそうだったら中田三男さんの投稿をきっかけに批判を再開することにした私はいったい何よ、何なのよ、うーん、いやがらせに踊らされてるだけのただのばか?

 いやいや、あまり手のこんだことやってると怪人19面相君あたりには何が何やらわからなくなってくることでしょうから、それではせっかくここまで中田三男さんの投稿をネタにあれこれひっぱってきた甲斐がなくなってしまいます。ばかをいじるのはここいらまでとして、とにかく週が明けたら名張市役所建設部に突撃です。赤岩神社で武運長久を祈ってくるか。

 それによく考えてみれば私は今年度、三重県教育委員会の「元気な三重を創る高校生育成事業」の片棒を担がねばなりません。べつに悪事を働くわけではなく、三重県のオフィシャルサイトによればこんな事業で、チラシはこんな感じです。

 私が担当しているマスコミ論の時間にこの事業を手がけてみてくれんかねという名張高校側の意向が伝えられてきましたので、生徒たちに尋ねてみたところやってみたいとのこと。あてがわれたのは三品ならんだメニューのうちの「地域との絆を育む高校生支援事業」で、手許の実施要項によりますと、

 ──高校生が、地域の活性化への取組やボランティア活動等の地域への貢献活動を行うことなどを通じて、地域社会の一員としての自覚や自己の役割を認識し、将来自立した社会人となることを促す。

 ものだそうなのですが、その「活動例」には「環境・福祉に係るボランティア」「小中学校への出前授業」「地元特産物の商品開発」「地域活性化プランづくり」「タウン情報誌、地域マップ等の作成」「公共施設等の備品製作」といったところがあげられておりましたから、私は試みに、

 「出前授業がええやん。名張小学校へ行って小学生の女の子に上手なお化粧法を指導する。なかなか面白いと思わへんか」

 と提案してみたのですが、生徒たちから即座に却下されてしまいました。しかし「地域との絆を育む」ということになればその「地域」というのは名張のまち、すなわちリフォーム詐欺の現場にして名張まちなか再生プランの舞台であり疑惑の黒い霧が渦巻いているところの名張のまちということにならざるを得ません。なんかもう腐れ縁みたいなものなのか。いやはや。ばかのみなさんよろしくどうぞ。

 それでは、いろいろとご心配をおかけしていたかもしれませんが、もうご放念ください。リハビリテーションにはきょう一日で別れを告げ、あしたからまた名張市立図書館ふたまた嘱託として元気なところをお目にかけたいと思います。いまだって充分元気なわけですが。


 ■ 5月15日(月)
2ちゃんねるの片隅で

 2ちゃんねるのミステリー板に乱歩のスレッドがあることは、少なからぬ読者諸兄姉もご存じのところでしょう。いまは「【目羅博士の不思議な犯罪】 江戸川乱歩 第八夜」となっているスレッドの、あれは第何夜のことであったか、昨年発生した自殺サイト連続殺人事件が大きく喧伝されたころか、それともしばらく経ってからか、とにかくあの事件に関連してちょっと確認したいことがあり、その乱歩スレッドを閲覧したときのことでした。

 ふしぎな投稿が眼を惹きました。といって、どんな内容であったのか、どんなコメントが記されていたのか、よくは憶えていないのですが、そこに宇野浩二の文学碑を紹介するページへのリンクが記されていたことははっきり記憶しています。

 いま Google で「宇野浩二 文学碑」を検索してみると、トップにヒットするのは大阪市オフィシャルサイトのこのページです。私が乱歩スレッドから誘導されたのも、たぶんこのページだったと思われます。大阪市中央区糸屋町の中大江公園に宇野浩二の文学碑があって、そこに「清二郎 夢見る子」からの引用が刻まれているという事実を、私はその投稿によって教えられたのでした。

 私は私の過去の小さい生活を思ひ浮べる時 その何処までが真実で その何処からが私の夢であるかを判ずる事が出来ない

 さういふ私は 凡ての事実を夢と見ることが出来 凡ての夢を事実と見ることが出来る様に思はれる

 くだんの投稿者はおそらく、この碑文がどことなく乱歩の、

 ──うつし世はゆめ よるの夢こそまこと

 という例の言葉を連想させることから、乱歩ファンにそれを知らせるべく投稿に及んだといったところだったのでしょう。

 むろん、乱歩ファンにはよく親しまれた、というか、もう聞き飽きたといいたくなる気がしないでもないこのフレーズは、乱歩自身の証言によれば、宇野浩二とは何の関係もありません。昭和31年発表の「非現実への愛情」から引くならば──

 ポーの言葉「この世の現実は、私には幻──単なる幻としか感じられない。これに比して、夢の世界の怪しい想念は、私の生命の糧であるばかりか、今や私にとっての全実在そのものである」

 ウォーター・デ・ラ・メイアの言葉「わが望みは所謂リアリズムの世界から逸脱するにある。空想的経験こそは、現実の経験に比して更らに一層リアルである」

 東西古今のいかなる箴言よりも、これらの言葉が、私にはしっくりする。身をもって同感なのである。それが、いつとはなしに、前記の対句を作らせた。

 ここに見られる現実と夢想との決定的な乖離、ないしは対立は、先に引いた宇野浩二の文章には見られないものです。宇野浩二はあくまでも、夢とうつつが容易に入れ替わってどちらとも判じがたい子供時代の追憶を、みずから「ドリーマー」を任じながらあわあわと描いているにすぎません。そこには「うつし世はゆめ」といいきってしまうまでの諦念や覚悟は存在していません。しかしそれにしても、と私は思いました。この宇野浩二の「清二郎 夢見る子」が、乱歩にまったく影響を及ぼさなかったともいえないのではないか。

 ──まさしく対句。「夢」と「事実」を等価なものとして語った宇野浩二の文章に導かれるようにして、乱歩は「ゆめ」と「まこと」を対置する対句を思いついたのではないかしら。そうした影響関係は乱歩にとって、なかば以上は無自覚なものであったのかもしれないけれど。

 つまり乱歩がこのフレーズを思いついたとき、意識にあったのはポーやデ・ラ・メアの言葉であったにしても、その背景の無意識的布置とでも呼ぶべきものとして宇野浩二の文章が存在していた。そう考えることは可能ではないかと私には思われました。要するに、乱歩の自己証言をそのまま鵜呑みにするのはやはり危険な行為であると、このところおりにふれて思うところをあらためて肝に銘じた次第でした。

 ところで私は、宇野浩二という作家とはほぼ無縁なままで今日にいたりました。読もうとしても、そもそも著作が見当たりません。私がもっている宇野浩二の本はわずかに二冊だけ、一冊は国書刊行会から出た日本幻想文学集成の、もう一冊は集英社版日本文学全集の、それぞれの宇野浩二の巻です。

 後者は私には珍しく古書店で購入したもので、もう何年か前のことになりますが、名張市内にも例のブックオフという古本屋さんがオープンしましたので、思いついて立ち寄ってみたところ、集英社版日本文学全集の端本が何冊か並んでいました。ぱらぱらと手にとった私は、いまでは文庫本でも読めないだろうからと、乱歩がらみで『宇野浩二集』と『葉山嘉樹 黒島伝治 伊藤永之介集』の二巻を購入しました。後者がどうして乱歩がらみかというと、黒島伝治の「二銭銅貨」が収録されていることによります。

 以下、あすにつづきますが、宇野浩二文学碑のことを教えてくださった2ちゃんねる乱歩スレッドの投稿者の方に、こんなところではありますがお礼を申しあげておきたいと思います。

  本日のアップロード

 ▼2006年5月

 岡本千鶴子容疑者「闇からの視線」

 リハビリ明けをヴィヴィッドな話題で飾りましょう。

 自殺サイト連続殺人事件のことがいつとなく忘れ去られてしまったと思ったら(日々はあわただしく過ぎ去り、猟奇事件は波のごとく引きも切りません)、今度はいわゆる平塚五遺体事件の報道に乱歩の名前が登場しました。「週刊文春」最新号のグラビアです。

 事件関連グラビアはモノクロ全五ページ。トップページ中央には、

 ──屍と暮らす女

 という見出しが躍り、それをめくった見開きがこの記事です。

 ──まるで、江戸川乱歩、横溝正史的世界の現実化

 と横溝正史も抱き合わせにした見出しが眼を惹きます。現物のスキャン画像をごらんいただきましょう。

 記事の冒頭は──

 ミイラ化した遺体、白骨化した男児、ゲル状になり原型をとどめていない乳幼児。その遺体の放つ死臭の中で暮らす女……。

 平塚五遺体事件に登場してくる言葉の数々は、江戸川乱歩や横溝正史の小説をそのまま抜き出してきたかのようだ。

 ──てめーそんなこというんならちゃんとそのまま抜き出してみろ。

 と怒る気にもなりません。死の淵から生還してすっかり達観した私には、歿後四十年を閲してなお猟奇の代名詞でありつづけることが、むしろ乱歩の名誉であるように思いなされます。いくら世の中が変わっても、大衆なるものを扇情するにさいして乱歩という名がいまも有効であるという驚くべき事実は、天上天下に堂々と誇るべきものであるとすら思われてきます。

 実際まあ、いくら「屍と暮らす女」だからといって、

 ──まるでフォークナー的世界の現実化

 とやってしまっては売れる雑誌も売れなくなってしまうことでしょう。よきかなよきかな。世に乱歩的世界を現実化した事件が引きも切らぬことをうっかり祈ってみたい気さえする次第なのですが、こうした達観はやはり死の淵から生還した人間にしか許されぬものかもしれません。やっぱ人間、いちどは生死の境を踏み迷ってみるものですな。呵々。

 名前が出てきましたので横溝正史がらみの新聞記事二件、あわせてお知らせしておきまょう。5月9日付朝日は「横溝正史の書斎 引き渡し式」、12日付毎日は「「横溝正史」展:生原稿など440点 来月11日まで、狭山市立博物館 /埼玉」。乱歩の名前も出てまいりますが、引用するほどのものでもありませんのでそれぞれのリンク先をごらんください。

 「週刊文春」の記事のことは新保博久さんからご教示いただきました。お礼を申しあげます。


 ■ 5月16日(火)
古いやつだが鶴田じゃない

 宇野浩二の作品でもっともよく知られたのは、おそらく「蔵の中」と「子を貸し屋」の二作でしょう。私も高校生のころ、私の家には亡父が購入した新潮社版の日本文学全集、あの赤い函に入った小振りなサイズの全集がありましたから、宇野浩二の巻をひっぱりだして「子を貸し屋」を読んでみたことがあるような気がします。

 集英社版日本文学全集の『宇野浩二集』から、「子を貸し屋」の冒頭一段落を引いてみましょう。

 団子屋の佐蔵が、これまでにどういう経歴を持っていたかは、この物語にそうたいした関係がないが、今でも彼の言葉に多分の上方なまりがあるように、生国は大和で、どちらかというと、彼は若く見える方だが、五十歳をもう半分以上こしていた。その年になるまでに経験してきた商売の数は、彼自身にさえなかなか思いだすのに骨が折れるぐらいであった。が、今の商売の一つ前の商売は、二階の押し入れの隅にある、極大の古ぼけた柳行李の中にいっぱいつめられてあるもので知ることができた。それはラシャの小ぎれをミシンで細工した安物の子供靴であった。──彼が、毎日毎日大きな風呂敷をもって、市内のラシャ屋をまわっては切れ屑を買い集めてくるのである。すると、彼の相棒であるミシン職人の太十が、家にいて、それを無数の靴にぬいあげるのである。佐蔵は、ほかにそれらの切れ屑をすぐにミシンにかけられるように裁つことと、できあがった品物をそれぞれの向きに売りに行くことを受け持っていた。儲けはきわめて少なかったが、それでも二人の者がその日その日の暮らしをして、さて月づきの終りにはほんの少しずつであるが、(それはしかし大の男二人のものとしては、何というわずかな金高だったろう)郵便局に貯金をすることができた。

 なんと古めかしく、かつまた貧乏くさい書き出しであることか。それに何なんだ、このたらたらだらだらとした文体は。高校時代の私はたぶんそんなふうに感じて、宇野浩二という作家への興味を失ってしまったものと思い返されます。なにしろ当時の私にとって、あらまほしき小説の書き出しというのはたとえば、

 ──きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった。「ハハウエノシヲイタム、マイソウアス」これでは何もわからない。恐らく昨日だったのだろう。

 まずはこんなところであったでしょう。高校生であった私には、こんなぐあいに始まる小説こそが超かっけーものでした。あるいは、

 ──六の宮の姫君の父は、古い宮腹の生れだった。が、時勢にも遅れ勝ちな、昔気質の人だったから、官も兵部大輔より昇らなかった。姫君はそう云う父母と一しょに、六の宮のほとりにある、木高い屋形に住まっていた。六の宮の姫君と云うのは、その土地の名前に拠ったのだった。

 みたいなものでもいいのであるが、しかし「子を貸し屋」はいけない。冒頭でいきなり「この物語にそうたいした関係がない」ことを語ってどうする。この宇野という男はいったい何を考えておるのか。私は舌打ちのひとつもしたくなるような思いで、その鶴田浩二と同じ名をもつ宇野浩二という過去の作家におさらばを告げたに相違ありません。ちなみに記しておけば、当時の私は東映やくざ映画で主役を張っていた鶴田浩二という俳優をおおいに贔屓にしておりました。

 ここで割り込みです。

  本日のアップロード

 ▼2006年5月

 清張ミステリーの奥義 松本清張、佐野洋

 1977年に発表された対談です。このところ松本清張作品を落ち穂拾い的に出している双葉文庫の新刊『発想の原点』に収録されました。

 「乱歩の成功と文章」と題されたパートから引用。

佐野 つまり、トリックやプロットさえ面白ければ、文章などはどうでもいいんだというふうに考えているとしか思えないような作品が、いま非常に多くなっている感じがするんです。

松本 そういうことを言う人がいるとすれば、それは間違っていると思うね。つまり、江戸川乱歩以前に、『新青年』の臨時増刊号で外国の探偵小説を特集して、紹介していたことがあったんですよ。ぼくが十七、八歳のころですけど、ビーストンが活躍していて、訳者には森下雨村とか、平林初之輔、牧逸馬などがいましたよ。それとは別に松本泰が『新趣味』でやはり海外探偵小説をしきりに紹介していた。そこで、探偵小説愛好の読者に“新しい目”が与えられたわけです。そして、それに乗っかって乱歩さんが出て来たというふうにぼくは思うんです。その前に、牧逸馬や小酒井不木が翻訳をやるかたわら、小説も書いてとにかく一家をなしていましたけどね。しかし、やはり乱歩さんが出て来て、ぼくは日本にも本格的な探偵小説作家が出て来たと思って、びっくりしました。「二銭銅貨」「D坂の殺人事件」「心理試験」「赤い部屋」などを夢中で読んだ。ところが、その乱歩さんも仕舞いには「一寸法師」あたりから低俗な探偵小説に流れて行ってしまった。それが非常に残念なんですけれども、それを良い方に回復させようという方向に持って行ったのが木々高太郎さんだと思う。ぼくは木々さんの探偵小説についての主張やまた作品の影響を非常に受けている。そういう木々さんの流れをくんで、現在の推理小説は発展して来ている。木々さんの、探偵小説における文学性の問題とか、知性とか、風物描写の斬新な詩情とか、志向されるトリックとかですね。それも、いま佐野さんが言われたように、文章はどうでもいいとか言って、トリックの奇抜さとか意外性とか、だけを狙って書いたとしても、こういう歴史的な過程を踏まえて来ている現在、昔のままじゃ駄目だと言いたいわけだ。それが一つの推理小説の発展過程の必然性として出て来るようなものなら、それは意義があるし、また読まれもするだろうけれども、昔のものを現代へ、旧態依然のまま持ってきたって仕様がない。例えば、横溝正史さんのものは立派な完成品だけれども、それをそのまま真似して他の人が書いても、それによって今後の推理小説の流れが変ってゆくとは思えない。

 この対談で、松本清張はこんなことも発言しています。

だから、乱歩の成功は文章にある。もちろん、アイデアの素晴しさもありますけれど、あの一種独特の語り口、これはよく言われるように宇野浩二や谷崎潤一郎の影響が乱歩さんにはあって、それが混然一体となってあの語り口になったということですね。だから、「二銭銅貨」を初めとして「D坂の殺人事件」を読んでも、「屋根裏の散歩者」を読んでも、魅せられる語り口があるわけです。

 上記引用中、「混然一体」とあるのは一般的には「渾然一体」ではないのかと思われるのですが、そんなことはともかく清張はまたこんなふうにも語っています。

乱歩さんの文章は凝っているし、また乱歩さんの成功は文章にあるんです。その文章が、当時の普通の文壇作家を驚かしたわけです。あの関東弁にも似たネチネチとしたその語り口がね。

 上記引用中、「関東弁」とあるのは本当は「関西弁」であるべきではないかと思われるのですが、そんなことはともかくことほどさように乱歩作品、わけても乱歩の初期作品に宇野浩二の文体の影響が顕著であることはつとに指摘されてきたところです。げんに乱歩自身、大正15年2月に発表した「宇野浩二式」において、自分の文章が宇野浩二のそれに似ていることをあっけらかんと打ち明けています。

 私が始めて横溝君に逢った時、同君は私の「二銭銅貨」を宇野浩二が匿名で書いたのではないかと思ったと云われた。そう云えばあの文章(何々なのである、というのは、ことである等々の癖)は、幾分宇野氏のそれに似ているかも知れないのだ。やっぱりその時であったが、私は横溝君に近頃の小説では誰のものを愛読しますかと聞いた所、同君は速座に宇野浩二氏をあげられた。そこで、私は大いに共鳴したものであった。

 私もこの言を長く信用していたのですけれど、しかし、というところであすにつづきます。


 ■ 5月17日(水)
宇野浩二全集到着しました

 まずお知らせです。昨16日、日本推理作家協会賞と江戸川乱歩賞の選考が行われました。結果は読売新聞オフィシャルサイトでごらんいただくことにして、まず「推理作家協会賞に恩田陸さんら」、それから「江戸川乱歩賞に鏑木蓮さんと早瀬乱さん」をどうぞ。候補作を一篇たりとも読んでいない私としては(候補作一覧は毎度おなじみ2ちゃんねるミステリ板の「□■日本推理作家協会賞■□」でごらんあれ)、昨年のような無茶苦茶な選考がなされなかったことを天に祈りたい気分です。日本推理作家協会のみなさんや、君たち少しは悔い改めてくれたのかな。

 さて、きのうのつづきとまいりましょう。私もこの言を長く信用していたのですけれど、しかし──というところからのつづきです。「この言を長く信用していた」というのは、要するに乱歩は宇野浩二の文体の影響を受けていた、乱歩自身それを自覚し、表明もしていた、換言すれば乱歩における宇野浩二の影響はもっぱら文体上のものであったと私は長く信じていたということなのですが、「しかし」と思う気持ちもないわけではありませんでした。それはどういった気持ちか。講談社版江戸川乱歩推理文庫『屋根裏の散歩者』に収録された中島河太郎先生の解説から、表題作に関するくだりを引きましょう。

 乱歩は自作についてよく語っている作家で、宇野浩二に傾倒したことも繰り返している。宇野は大正七年に「屋根裏の法学士」を書き、その主人公の下宿が坂の中腹にあったので、二階の部屋から見ると道を通る人の顔が、彼の顔と同じくらいの高さになるので、押入れに寝床を敷き、横臥しながら通行人を手に取るように眺めた主人公を書いている。また宇野には十一年に「屋根裏の恋人」の作がある。本篇がこれらの暗示なしには書かれなかったはずなのに、一言も触れていないのはおかしい。

 たしかにおかしい。乱歩は自身と宇野浩二との関連を語るに際して、あくまでも文体を問題にするばかりです。作品タイトルの明らかな類似に言及することが一度や二度はあってもいいはずなのですが、それがなされていないのはたしかにおかしい。なんだか怪しい感じがします。

 ではここで、きのうも引いた乱歩の「宇野浩二式」から再度引用してみましょう。きのうも記したとおりこの随筆は大正15年2月の作品で、念のために記しておけば「屋根裏の散歩者」は大正14年8月の発表です。

 宇野浩二と探偵小説、如何にも変なとり合せである。探偵書きの癖に浩二を好きだなんて生意気だ、或はけしからんということになるかも知れない。なる程、一寸考えるとあの浩二式のダラダラした文章は、探偵小説の真似てはならない所のものかも知れぬ。だが、よくよく考えて見ると、あながち左様でもないのである。第一宇野氏という人はなかなか探偵小説好きらしい。現に私が逢った時にも、探偵小説を書くつもりだといってその筋まで話された程だ。ところで、その筋はどこからヒントを得られたかというと、雑誌「新趣味」の飜訳小説からなのである。

 それによっても分る通り、宇野氏は「新趣味」や「新青年」の愛読者の一人だったのである。(その後気をつけて見ると、現代の小説家にして「新青年」を愛読する者は可也沢山あることが分って来た。彼等は多くは、探偵小説を軽蔑しながら、でもひまな時には一寸それを読み度くなる連中である。宇野氏も多分その一人なのである)又もう一つの証拠を云うなら、宇野氏はまだ名を為さない時分小使取りにドイルやルブランを飜訳してその方の出版屋へ持込まれたことがあるらしい。外のものを訳さないで探偵小説を訳された所に、やっぱり同氏の探偵趣味を現してはいないだろうか。それからもう一つ。谷崎潤一郎氏が探偵趣味家であることは周知の事実である。ところでその潤一郎氏は宇野氏の作品を認めた最初の一人なのだ相である。これは宇野氏の直話だから間違いない。それを聞くと、一寸意外な事実である丈けそれ丈け、浩二──潤一郎──探偵小説と何か因縁があり相な気もするではないか。

 いやそんな廻りくどいことを云わないでも、宇野氏の作品そのものにも、例えば「二人の青木愛三郎」だとか「鯛焼屋騒動」だとか、「美女」だとか、題は忘れたが人間が熊になる話だとか、沢山探偵趣味に富んだものがあるではないか。

 ──探偵趣味。

 それはたしかにあるでしょう。「人間が熊になる話」がどのように探偵趣味に結びつくのか、いささか理解が届きかねる気がしないでもありませんが、宇野浩二作品に探偵趣味を認めることは不可能ではないでしょう。

 早い話、きのう冒頭を引用した「子を貸し屋」にだって、探偵趣味と見える興趣は感じられます。それがどんなものかということをたいへんわかりやすく説明するならば、ここにスナックA、団子屋B、ラブホテルCがあって、スナックのお姉さんDが店の客Eとのあいだでいけないことをしてお金を頂戴する相談をまとめる。ふたりは手に手をとってラブホテルCにしけこみたいところなのであるが、当時のこととて所定の場所以外でのそういう行為はご法度である。ふたりがまあいかにもそれもんの風情でるんるん歩いているところを官憲に見つかったらお縄ものである。そこでお姉さんDは団子屋Bで少年Fを借り受け、DEFがあたかもひと組の親子であるがごとくに装いながら目的地Cまで歩いて、お役ご免となったFは待ち受けていたDの仲間のお姉さんGに引き取られてBまで送り届けられる。

 べつにアルファベットつかって説明しなくてもいいのですけれど、それが子を貸すという行為に隠された真相です。しかし作品は団子屋Bの主人の視点から描かれており、最初はひとりのお姉さんが、やがては何人ものお姉さんが、なぜかしら頻繁に団子屋の少年を借り受けに来て、にもかかわらずその理由がある時点まで主人公にも読者にも伏せられていますから、それが明らかになったときには探偵小説における謎の解明の快感に似たものが感じられます。感じられないこともない。感じられなくもないといってもいいでしょう。とにかくそんなぐあいですし、団子屋の少年Fが家を飛び出していっこうに帰ってこず、やがて帰るともついに帰らぬとも示さないままサスペンスを盛りあげたままで幕切れとする小説作法にも、やはりある種の探偵趣味に通じるものがあるのかもしれません。

 しかし、しかしもっとほかにあるのではないか。乱歩はもっと大切な何かを語っていないのではないか。私にはそのように思えてなりませんでした。そしてその疑念が決定的になったのは、待ってました脚註王、村上裕徳さんが「『新青年』趣味」第十二号に発表された「脚註王の執筆日記【完全版】」を読んだときのことでした。なにげなく脚註に眼をやると、こんなことが記されているではありませんか。

宇野浩二さん 宇野さんには、漱石は一〇作以上の探偵小説を書いとるという卓見や、探偵小説は結局書かなんだけど、門弟の水上がミステリーを書くことで、探偵小説界に、ケッコウ貢献してるとこがあります。乱歩の「陰獣」の大江春泥のモデルは、宇野の「人癲癇」の、作者をカリカチュアした厭人癖の作家や思います。この厭人作家が家ん中で何しとったかは、宇野の「夢の部屋」に記されとります。乱歩が犯罪の起こらん話かいたら、こんなんになる思います。「魔術師」やったか「吸血鬼」で、文代さんが熊のカブリモンに入れられて虎と戦うんは、宇野の童話集『赤い部屋』の一編からパクリ、ちゃうちゃう、乱歩さんが宇野さんに敬意を表して引用されはったもんです(この宇野さんのもギリシヤ神話かなんかのパクリ、ちゃうちゃう、以下同文やからイタチゴッコやな)。昭和初期の正史の写真で、着流しに山高帽とステッキに、記憶ちがいやなかったら丸メガネのやつがありますが、アレなんかも宇野のトレード・マークで固めた、宇野浩二しちゃった写真です。

 村上裕徳さんには『子不語の夢』の脚註以来、眼から鱗が落ちるようなことをいろいろ教えていただいたのですが、これもそのひとつでした。こんなことはまったくといっていいほど知りませんでした。

 そこで私はつい先日、遅ればせながら日本幻想文学集成の『宇野浩二』を繙読し、しかし乱歩が書いていた「二人の青木愛三郎」や「鯛焼屋騒動」や「美女」、それから「人間が熊になる話」というのは村上さんの脚註によればどうやら童話集『赤い部屋』に収録された作品らしいのですが、それらは代表作でも何でもないみたいですからそこらの文学全集の宇野浩二の巻には収められておらず、いやそれ以前に宇野浩二の作品を気軽に読むなどということはいまやほとんど不可能ですから、すっかり頭に来た私はそれなら全集を揃えてやると発作的に決意し、インターネット検索で見つけた名古屋にある古本屋さんに中央公論社版宇野浩二全集全十二巻金二万円也、いやまあ二万円の出費も痛いがそれ以上におれは宇野浩二全集を所有している人間なんかになることがなんだかいやである、しかしそんなこともいっておれぬであろう、いつか宇野浩二と乱歩の関係を本格的に研究したいという若い女性が現れたらこの全集十二巻をぽんとプレゼントしてやろうと決め、大二枚というのも相場だろう、いやそれはいったい何の相場か、といった煩悶をくりかえすいとまもないほど発作的に12日の金曜日に注文したのがきのう到着いたしました。いったい何をやっておるのか。

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 ▼2006年4月

 戦後創成期ミステリ日記 紀田順一郎

 アマチュア時代の著者が慶應義塾大学推理小説同好会の「推理小説論叢」、SRの会の「SRマンスリー」などに発表した文章が一巻にまとめられました。

 新刊ミステリを当たるをさいわいなで斬りにした観のある第二部「To Buy or Not to Buy」など、高い志を抱きながらも世に容れられぬ素浪人の太刀さばきを見るがごとき、じつにどうも胸のすくような寸鉄的批評が堪能できます。

 ここには第三部「推理小説──これでよいのか」から、昭和37年の「SRマンスリー」に発表された一篇をご紹介しておきます。

それは「少年倶楽部」で始まった
 じょうだんはさておき、この怪奇冒険ものがいかにすぐれていたかは、光文社から未だに新版が出ているのをみてもわかる。山中峯太郎や海野十三、平田晋作、土師清二、佐々木邦、千葉省三、佐藤紅緑などといった大どころが、リヴァイヴァル全集でもないと救われないのをみると、つくづく乱歩の偉大さがわかるというものだ。

 乱歩ものの生命の長さは、ミステリの扇情性が、時を超えて少年の猟奇心を充たすことにもあろうが、それでは森下雨村や小酒井不木の少年ものが亡びた理由がわからない。乱歩ものは、いかにルパンやジゴマの焼き直しとしても、やはり全体の想像力は乱歩のものであるし、あの文体が通俗少年によくむいている。人物が少年のイマジネーションをとらえるよう、ツボを心得ている。暗いけれど、ゼッタイ陰惨ではなく、血みどろもない。凡百の少年怪奇ものにはどうしても超えられない優秀性があるのである。

 『戦後創成期ミステリ日記』のことは掲示板「人外境だより」でアーネストさんからご教示いただきました。お礼を申しあげます。


 ■ 5月18日(木)
「夢見る部屋」と「人癲癇」を読む

 いやー、あちらこちらで顰蹙を買いつづける毎日ではあるのですが、とうとう2ちゃんねらーの方からもご批判を頂戴してしまいました。ミステリー板の「□■日本推理作家協会賞■□」にこんな投稿が。

453 :名無しのオプ:2006/05/17(水) 18:27:38 ID:D1+f1Fzh

昨年度、自ら関係した作品が落選したからといって、推理作家協会に
「悔い改めよ」などと未だに毒づく隠の自己破産者、見苦しいな

 あちゃー。つねひごろとにかく見苦しいことだけは避けようと心して努めてはいるのですけれど、お読みいただく方の感受性や読解力はどのようにもあれ、結論としてはまだまだ修行が足りぬようです。いやお恥ずかしい。それにいたしましてもこの投稿では「名張」がわざわざ「隠」と表記されていて、これだけの技がつかえるのはよほどの手練れ、ていうかうちらの地元の人間ではないのかとも推測され、

 ──もしかしたらあなた、少し前に中田三男という名前で「人外境だより」に投稿してくださった方ではありませんか?

 とお訊きしてみたい誘惑にかられないでもないのですが、そんなことはともかく、何か私におっしゃりたいことがおありでしたら掲示板「人外境だより」にご投稿くださいな、とお願いしたいのはやまやまなれど、しかしいまは、いまはただ鬼瓦ごん左エ門さんのご投稿をじっくり拝見しお見守りしたいという思いが強く、とはいえそれはそれとして「□■日本推理作家協会賞■□」には──

409 :名無しのオプ:2005/08/13(土) 23:44:14 ID:qtnvC8Nz

今年の評論部門の「不時着」のほうがおかしいだろ?

 といった意見も投稿されていますから、昨年の選考がおかしかったというのは私ひとりの考えでもないように思われます。だからこそ日本推理作家協会には賞に関する根本的な疑義を呈するこうした批判を受けないよう心して努めていただきたいと私は念ずるものであり、すなわち日本推理作家協会のみなさんや、君たち悔い改めてくれたのかな、と思う次第であるわけです。

 それでは、2ちゃんねらーのみなさんの厳しい視線に戦々恐々としながら本日も進めましょう。宇野浩二の「夢見る部屋」は大正11年4月、「人癲癇」は三年後の14年4月、ともに「中央公論」に発表されました。どちらも昨日引きました村上裕徳さんの脚註で言及されていて、堀切直人さんの編による日本幻想文学集成第二十七巻『宇野浩二』に収録されておりますので、私はそれを読みました。ちなみに乱歩の「屋根裏の散歩者」は、大正14年8月の「新青年」夏季増刊号に掲載されております。

 「夢見る部屋」は、小説家である主人公「私」が生活の場以外にまさしく「夢見る部屋」、ただ夢想をつむぐためだけに小さな部屋を内緒で借りる話です。主人公の夢想は乱歩のいうレンズ嗜好症に通じるもので興味深く、ほかにも不忍池が山中の湖水のように大きく見えるというどこか乱歩好みの錯覚に関するエピソードも語られているのですが、いまはストーリーを紹介することが目的ではありません。主人公が借りることになった小さな部屋、粗末な西洋づくりの四階建ての建物の、その四階にある部屋の描写をごらんいただきましょう。

が、それも、見かけは木造の西洋館で、中にはひると殺風景な畳敷きの部屋になつてゐるところの、よくある病院の一室を諸君は想像することによつて、その部屋の光景を頭に描くことが出来るであらう。ところが、唯ひとつ、その部屋に、風変りなものがあつた。それは、床屋のそれのやうな、白い紙を張つた真四角な四畳半の天井のまん中に、三尺四方ほどに切り取つてある四角な天窓である。それは、屋根の天井の深さだけ、即ち一間ほど、四角な漏斗を倒まに置いた形で、上に到るほど細くなつて、結局、尖端に一尺四方ばかりのガラスが嵌まつてゐるのである。(図略す)

 メートル法に換算して説明するならば、この部屋の天井には九十センチ四方ほどの天窓があり、そこから一・八メートルばかり垂直にたどった屋根には三十センチ四方程度のガラスが嵌められている。そういうことになります。「(図略す)」とあるのは、この作品には最初のほうに二点、主人公が生活している部屋の平面図が収載されており、それに倣うならここにも同様の図が必要なのであるが、それは省略することにしたといった意味でしょう。

 そしてこの部屋で主人公は──

 いつも、私が、さうして、疲れて、そのまま藁蒲団の上にごろりと仰向けに寝そべつた時、忽ち私の目の注意を集めるのは、例の天井の四角に切り開かれた、屋根と天井との深さだけの長さを持つて、屋根に至るほど細まつて行くところの、ちやうど角型の幻燈の覗きのやうな体裁を備へた、あの天窓であつた。それを下から見てゐると、煙突にちやうど四角なのがあるやうに、望遠鏡にも四角な筒のものがあると仮定して、私が寝ころびながらその天窓を見上げるのはちやうど望遠鏡で天を覗いてゐるやうなものであつた。

 贅言は必要ないでしょう。天井に穿たれた明かり採りの窓は、床に寝転んで眺めれば天の高みを眺める小窓となりますが、視線の向きをくるりと逆転させてしまうならば、屋根に嵌め込まれたガラスは主人公のいる室内をうかがう覗き窓ともなる道理です。

 いっぽう「人癲癇」では、大和田という画家がやはり一人称の語り手を務めます。彼ら夫婦は「清──町」という町に引っ越したのですが、そのあたりの家々は「一軒づつ別々に造られてゐるやうに見えるが、よく見るとその大部分はそれぞれくつ附いて」おり、「おそらく同じ家主の手で一度に建てられたものであらうが、どんなにその設計に頭を悩ましたことであらうと思はれる」ものでした。隣の家とも押し入れの壁一枚を隔てるだけでつながっていて、その壁越しに女の声がはっきり聞こえてきたりします。このあたりにはいわゆる探偵趣味が明らかに感じられますし、そのほか作中には、とくに少年もので少年読者の心をわしづかみにしてしまう例の小説作法を連想させるような、

 ──(読者諸君に、この窓のことを覚えておいていただきたい。)

 だの、

 ──「この理想の高い彼女が、」と先きにもいつたやうに、かういふ文句がみな仮名で綴られてゐることを、読者よ、記憶しておいてほしい。

 だのといった読者への呼びかけがあってわけもなくどきりとさせられてしまうのですが、そんなことはいまは関係ありません。

 問題は隣家の主人、高木残夢と名乗る学者の趣味にあります。この男がつまり人癲癇で、人の多いところへ出ると癲癇を起こして口から蟹のように泡を吹き、その場に悶絶してしまいますゆえほとんど家にひきこもりの明け暮れ。主人公は隣の家ではじめてこの男に会ったとき、酒も手伝って饒舌な高木からいろいろと話を聞かされるのですが、高木はなぜか主人公の姪のことをよく知っている。ばかりか、「彼が、一年ぢゆうそんなに家の中に閉ぢこもつてゐながら、私の家の姪に限らず、二軒さきの家のことでも、三軒向かうの家のことでも、その家の人々の顔形から、誰が、何をしてゐるかといふ事から、どんな秘密を持つてゐるかといふことまで、実に詳細に知つてゐること」に驚かされます。

 高木残夢の言を聞きましょう。

 「僕は方々の物音を聞くのが好きでね、」と彼は又はじめた。「それで大和田君、アカスチコオンといふ米国製の聾が聞こえる機械があるだらう、──持つて来てごらん、」と彼はそこで夫人の方に向かつて頤を振つた。「僕は何も聾ぢやありませんが、その機械をかけると、普通以上の音が聞こえるんだよ。だから、聾でないものが、かういふ風に向き合つて人と話してゐる時にそれを使ふと、あんまり聞こえ過ぎて、鼓膜を破る恐れがあるね。それで、僕は大抵人が寝しづまつてから時々それを耳にあてて、近所の物音とか、話し声とかを聞くんだ。どうです、面白い道楽でせう。まあ一杯、さう遠慮なさるな。」

 驚くべし。この人癲癇の学者先生は、自分の家から一歩も外に出ることなく、アカスチコオンなる機械を用いて隣近所の秘密を盗み聞きしていたというのです。人の秘密を探るのが探偵であるとするならば、これは聴覚的探偵と呼んでしかるべき行為でしょう。近隣に住むさまざまな家族の秘密をこっそり探偵している男がここにいた。

 賢明なる読者諸兄姉におかれては、私のいいたいことはとっくの昔にお察しでしょう。「夢見る部屋」の天窓における視線の向きを逆転させ(ああ、なんということでしょう。この作品にはまるで天井裏からの覗き見をそそのかしでもするように、部屋の平面図がふたつも添えられていたではありませんか)、そうした天窓が四階のどの部屋にも設けられていると仮定してみる。そして、「人癲癇」の聴覚的探偵を視覚的探偵に入れ替え(少なくとも「夢見る部屋」を知っている人間にとって、それは困難なことではないでしょう)、そのカバーエリアを近隣一帯ではなく一軒の下宿屋にダウンサイジングしてみる。

 するとそこには、おのずから「屋根裏の散歩者」のモチーフが現れてくるのではないでしょうか。あるいは、天井の節穴から下宿人の秘密を覗いてまわる郷田三郎その人の姿が。

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 ▼2006年4月

 探偵小説と同性愛 垂野創一郎

 何かと話題の日本推理作家協会が発行する「日本推理作家協会会報」4月号に掲載されました。須永朝彦さんをゲストに迎えて開かれた「土曜サロン」の報告で、須永さんのおはなしをそのまま要約した体裁となっております。

 日本ではなんといっても江戸川乱歩先生で、戦前の人としては珍しく同性愛への関心を隠さなかった。小説の中ではっきり同性愛をとりあげたのは「孤島の鬼」一作だけだが、これは昭和のはじめに出ていて、断言はできないものの、世界で最初に同性愛を主題とした長編探偵小説ではないだろうか。他にも作者の美青年好みがよく分かる「暗黒星」や、馬琴の「近世説美少年録」の書替と言ってもいいような、善の美少年と悪の美少年が対決する「大暗室」がある。明智小五郎は小林少年と仲良く暮していて、「化人幻戯」では明智夫人は高原療養所に追いやられる始末。「少年探偵団」シリーズでは怪人二十面相が師弟の仲を引き裂くように登場する。その二十面相もシリーズの最初には三十代の苦みばしったいい男と書いてある。他に浜尾四郎の短篇、横溝正史「真珠郎」、橘外男「逗子物語」、夢野久作「暗黒公使」、日影丈吉「ハイカラ右京探偵暦」のいくつかの短篇や「地獄時計」、中井英夫「虚無への供物」などに同性愛的趣向が濃く薄く認められる。

 この「日本推理作家協会会報」4月号によりますと、3月16日に協会の第五回常任理事会が開催されたそうで、議案第六番の審議結果は次のように発表されています。

六、「なぞがたりなばり」の件

 綾辻行人氏に講師を委嘱。

 名張市が日本推理作家協会の協賛を得て毎年秋に開催している講演会「なぞがたりなばり」、今年の講師は綾辻行人さんにお務めいただくことになったようです。日本推理作家協会のみなさん、本年もなにとぞよろしくお願い申しあげます。


 ■ 5月19日(金)
「乱歩蔵びらきの会」2006年度総会

 さて、乱歩の「屋根裏の散歩者」は──と話をつづけたいところなのですが、きのうの夜、三重県民の血税三億円を野呂昭彦知事をはじめとした、いやそれ以前に北川正恭前知事がそもそもあほであったのですが、とにかくうすらばかのみなさんがよってたかってどぶに捨て去ってしまった官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」を機に結成された「乱歩蔵びらき委員会」を前身とする「乱歩蔵びらきの会」の新年度総会が名張市役所一階大会議室で開かれ、私は来賓として招かれたのですが、なにしろ来賓ですからひとこと挨拶をしなければならず、乱歩蔵びらきの会が二年目を迎えたのはご同慶のいたりである、名張まちなか再生プランはインチキである、プランのことで名張市の建設部長にお会いしたいと申し込んであるのだが、いまだに返事がない、みたいなことをおはなししてまいりました。

 乱歩蔵びらきの会の2006年度の事業計画と予算とをご紹介しておきましょう。

事業計画
1 乱歩作品「断崖」演劇公演(9月、宇流冨志祢神社)
2 冊子「乱歩と名張」(仮称)の制作および市民向け講座の開催
3 乱歩ゆかりの地(鳥羽、池袋など)への探訪、交流
4 乱歩記念館(仮称)設立に向けた取り組みへの参画
5 乱歩に関する勉強会、調査研究

 予算のほうは、収支をいちいち書き写すのがなんだか面倒な感じですので、予算総額六十七万円、うち名張市の市民公益活動実践事業委託金が三十万円、乱歩作品演劇県イベント補助金十万円、とだけお知らせしておきます。

 本日はこんなようなところで失礼いたします。

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 ▼2005年2月

 宇宙怪人 江戸川乱歩

 ひさかたぶりでポプラ社の「少年探偵・江戸川乱歩」シリーズです。

 中尾明さんの巻末解説から引きましょう。

解説 つくえの上に「どくろ」と「ろうそく」
 いっぽう江戸川乱歩自身も、あやしいうわさにつつまれていました。探偵小説を書くときは、一人でうす暗い土蔵にこもり、つくえの上に人間のどくろをおき、ろうそくを一本立てて、その明かりで原稿用紙にペンを走らすというのです。

 江戸川乱歩が一九六五年になくなってから、すでに三十年以上たちますが、近親者の話によると、一人でうす暗い部屋にこもって作品を書いたことは、ほんとうだったようです。それに尾ひれがついて、つくえの上にどくろをかざるといううわさになったのでしょう。


 ■ 5月20日(土)
「本日のフラグメント」はじめました

 さて、乱歩の「屋根裏の散歩者」は──と話をつづけたいところなのですが、昨日、名張まちなか再生委員会事務局から電話連絡をいただきましたので、まずはそのお知らせから。待つことひさし、マツモトキヨシ、名張まちなか再生プラン担当セクションのトップでいらっしゃる名張市建設部の部長さんにお会いしたいのだが、とお願いしてありました件、5月23日火曜日におめもじがかなう運びとなりました。

 昔をいまになすよしはなけれども、どうしてこんなインチキがここまでまかり通ってしまったのか、その原因をいま探っておくことには、名張市の今後のためにも少なからぬ意義が見いだせることでしょう。むろん郷土資料と乱歩資料をまたにかけた名張市立図書館ふたまた嘱託として、つまりは名張市における歴史と乱歩のエキスパートとして、歴史資料館構想にも乱歩記念館構想にも厳しく鋭くノーをつきつけてくる所存ではあるのですが、私の言が容れられることなど千にひとつもあり得ません。なッ、なんと不毛な。

 名張市立図書館といえば、運営の民間委託がいよいよ日程にのぼったようです。まさしく危機です。図書館の危機です。

窓口業務を民間委託、サービスの向上目指す 名張市立図書館
 名張市教育委員会は5月16日に開かれた市議会教育民生委員会(橋本マサ子委員長)で、今年10月から市立図書館の窓口業務を民間委託する実施計画を発表しました。【写真=名張市桜ヶ丘の市立図書館】

 それによると、「図書館業務の効率化」と「市民サービスの向上」を目指していく中で、(1)学習機会の提供や新刊図書等の資料の充実といった図書館サービスの充実(2)祝日の開館や開館時間の延長(3)正職員を7人から3人に減らすことでの図書館運営費、年間約900万円の削減──などが見込まれることから、民間委託を行うということです。

伊賀タウン情報 YOU 2006/05/16/17:12:05

 あちゃー、なんのかんのと大騒ぎして年間九百万ぽっちが浮くだけかよ、とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、財政難にあえぐ全国の地方自治体が爪に火をともすような苦労をして経費節減に努めているおりから、たとえ九百万円でも運営費が節約できたのはとりあえず喜ばしいことでしょう。

 委員会の審議内容はと見てみると──

 これに対し、委員からは「指定管理者制度を踏まえた委託ではないのか」「委託業者が変わるたびに図書館が変わらないようにしてほしい」「窓口業務の民間委託だけで課題を改善できるのか」などの質問が相次ぎました。

 委員からの質問に対し、市教委は「窓口以外の資料収集などは、今までどおり市職員が当たるので、良い図書館を目指すことが出来る。業務委託は指定管理者制度を踏まえたものでは無く、サービス向上を目指したもの」と理解を求めました。

 この人たちはいったい何を話しあっていらっしゃるのか。「指定管理者制度を踏まえた委託ではないのか」とはなにごとか。そんなものはそうに決まっておるではないか。にもかかわらず名張市教育委員会は「業務委託は指定管理者制度を踏まえたものでは無く、サービス向上を目指したもの」などとどうしてこんな見え透いた嘘をついておるのか。これは勝ち抜きあほ合戦ででもあろうか。とにかくもっとまじめにやれ。私の見るところこの人たち、つまり名張市議会教育民生委員会と名張市教育委員会の人たちは双方とも、公共図書館のサービスがどんなものであるのか、あるべきなのか、それがよくおわかりではないのではないか。

 そうかと思うとその翌日、読売新聞の社説にはこんなことが。

[図書館]「地域の情報拠点にも活用したい」
 図書館と言えば、本の閲覧や貸し出しの場とばかりイメージされがちだ。しかし、運営の工夫次第では、地域の情報拠点として活用できる。

 社会や生活の変化に応じた望ましい図書館像の報告書を、文部科学省が設けた協力者会議がまとめた。

 地方自治体の厳しい財政事情は、図書館の運営にも影響を及ぼしている。都道府県立図書館の1館当たりの平均資料費は、この5年間で5727万円から5250万円へと8%減少した。

 限られた予算内で、いかにサービスを充実させていくかが、問われている。

 報告書は、ビジネス支援、子育て支援など、多様な課題解決のための情報提供機能を強化するよう提言している。

読売新聞 YOMIURI ONLINE 2006/05/17/01:42

 どうもようわかっておらんのではないか。「にも」とはなにごとであるか。「地域の情報拠点にも活用したい」とはなんといういいぐさかというのだ。この社説の筆者はどうやら図書館が単なる無料貸本屋であると思いこんでおられるようで、しかしそんなことではいかんであろうと、これからは無料貸本屋が地域の情報拠点「にも」なるべきであろうと、何も知らんくせしてじつにえらっそーなことを書いていらっしゃるわけなのですが、ばかなのかこいつは。図書館はもともと無料貸本屋であると同時に地域の情報拠点でもあるというそんなことすら知らんのか。全国の心あるライブラリアンたちが図書館を地域の情報拠点たらしめるべく日々精励しているという事実を知らんのであろうかこのばかは。

 私は4月29日付伝言「名張市職員のための図書館危機講座 菊」においてですね、吉村昭さんのエッセイを引きながらこのように記した。

 ここに指摘されている問題点は、「都市の文化度」を如実に示す図書館という施設の重要性がお役所の人たちにあまり理解されていないみたいだ、ということでしょう。しかもその認識には自治体によってばらつきがあり、図書館を「ないがしろ」にしているひどい自治体もあるいっぽうで(ないがしろにされた図書館というのは、要するに民間委託によってもたらされる弊害を先取りしたような図書館であるといっていいのかもしれません)、地域資料に関するエキスパートが配置されていて「この図書館に来てよかった」と思わせてくれる図書館もある。ですから結局のところ、地域の図書館はどういう施設であるべきなのか、それをきちんと認識しているスタッフが存在していないことには、運営主体が官であろうと民であろうとだめな図書館はだめなのであるということになるのではないでしょうか。

 かるがゆえに私は、民営化こそはチャンスであると考えるものである。

 読者諸兄姉もお近くの公立図書館をじっくりとご覧になられるがよろしい。そこにはどんな図書館があるか。お役所の論理とお役人の体質にがんじがらめにされている図書館、「自治体の選挙の票につながらぬ」との理由から顧みられることが少なく、お役所というヒエラルキーのなかで重きを置かれることがまったくない図書館、「土木部であったり通商部であったり」そんなセクションから館長が赴任してくる図書館、その地域における「生き字引のような人」が親切にサービスを提供すべき施設でもあるというのに、お役所の人たちからあんなものはただの無料貸本屋であり職員の左遷先でもあると思われているらしい図書館……。

 しかし、いまや全国の公立図書館は民間委託をこそ奇貨としていっせいに蹶起すべきではないのか。お役所に叛旗をひるがえすべきではないのか。お役所のくびきをみずから解き放ち、真に地域に根ざした図書館に生まれ変わるための好機が到来しているのではないのか。私はそのように考えているわけなのですが、名張市役所のみなさん、みなさんはどうお考えなのでしょうか。ていうか、あんたらは何も考えてなどおらんのであろうな。そのことに思いいたるたび、おれはもうほんとにだれてしまう。やんなっちゃう。牛や馬を相手に喋っているような気分になってしまう。

 それでまあ結論としては、あほらしくなったので結論はごく軽く書き流しただけであったのですが、本や読書にまったく興味のない職員が本庁から飛ばされてきて図書館長にいすわるようなシステムをまず改めるべきであり、そのためには図書館長を公募するのも一興であろう、学校の校長先生が公募される時代であるのだから図書館長を公募して何が悪かろう、図書館が真に地域の個性に根ざし、地域住民にとって必要不可欠な施設となるためにはどうすればいいのか、それを真剣に考えられる在野の有能な人材が図書館長に就任してどこがいけないのか、試みてみるだけの意義はあるだろうと思われるのですが、そんなことは誰も考えてくれないないわけです。

 誰もそんなことを考えてくれないとどういう事態が招来されるのかというと、名張市立図書館が図書館の担うべき責務のかたっぽ、すなわち地域の情報拠点として機能するという責務をどんどんどんどん縮小させてしまうことになるわけです。これを図書館の危機といわずしてなんというか。名張市議会教育民生委員会の先生たちもそのあたりのことを問題にしてくれなければ困るではないか。それにしても、いってもせんないくりごとなれど、お役所というのはどうしてこんなぐあいに可能性の芽をひとつひとつ摘みとって、望ましからぬほうにばかりものごとを進めていってしまうのでしょうか。単にばかだから、というだけの話ではないようにも思われるのですが。

  本日のアップロード

 ▼2005年2月

 宇宙怪人 江戸川乱歩

 きのうのつづきです。中尾明さんの巻末解説、ちょっとフォローしておくべきかと考えました次第。

 というのも、先日2ちゃんねるの「【目羅博士の不思議な犯罪】 江戸川乱歩 第八夜」を閲覧しておりましたところ、こんな投稿が眼にとまりました。

724 :名無しのオプ:2006/05/07(日) 01:52:36 ID:3fIDkaPz

話の流れをぶった切って質問です。

年配の女性から「乱歩は蔵の中で蝋燭に火を燈して執筆していた。だからあんな怖い話が書けたんだ」という話を、
聞いたことがあったので、ネットで調べてみるとどうやら単なる噂話で事実ではないようです。

で、ここからが質問ですが、
(1)同じような話をお聞きになったことがある方はいらっしゃいますか?
(2)話をご存知の方は誰ないしはどんな媒体からその情報を入手されましたか?
(3)話はいつ頃から言われるようになったのか、ご存知の方はいらっしゃいますか?

 これに対する回答も投稿されていて──

727 :名無しのオプ:2006/05/07(日) 07:26:22 ID:YEKdwF1x

>>724
乱歩自身のエッセイに、その辺の事情が書かれていました。
確か戦前の目薬の広告で、乱歩邸を訪問したという設定で書かれたデタラメだそうです。
ちょっと本が手元にないのでこれ以上詳しいことを書けませんが。

 つまり解決はしていたのですが(解決していなかったとしても、私は2ちゃんねるへの投稿はしないことにしておりますので、この質問に直接回答することはあり得なかったわけなのですが)、こうした投稿者が存在している以上、こういった伝説の素材のひとつとなったであろう文献を、ポプラ社版『宇宙怪人』の巻末解説をフォローするかたちで紹介しておくのもいいのではないかと考えました。

 それにきのう、福岡県に住むという小学五年生の男の子からの手紙が名張市立図書館に届けられ、自分は「怪人二十面相」を読んですっかり乱歩にはまってしまい、ポプラ社版の乱歩作品四十六巻をすべて読破したのであるが、乱歩について知りたいことがあるので貴図書館に謹んで書状を呈する次第であると、とても礼儀正しい文章で質問三点をお寄せいただきましたので、かしこまりました、乱歩ファンのために名張市立図書館があるのであり、君の質問に答えるために私という人間が雇われているのである、安んじておまかせあれ、とその返信を書き始めたところきりがないほど長くなってまだ書き終えておらず、少年ものを書くときの乱歩もたぶんこんなぐあいに読者ひとりひとりに語りかけるような気持ちだったのだろうななどと思い返したりもしながら、やっぱ図書館というところは少年読者ならびに少女読者を大切にしなければならんなとあらためて実感し、そういえばあの読売の社説「[図書館]「地域の情報拠点にも活用したい」には「児童生徒が活字への関心を高めていく機会を増やしていくことで、活字文化の振興にも大いに寄与するだろう」とまっとうなことも記されていて、名張市立図書館ミステリ分室構想は何より少年少女にミステリを通じて活字に親しんでもらうことをも大きな目的のひとつとしたものであったのだが、こんなすぐれたプランもお役所の手にかかってはひとひねりで却下か、くっそー、やってられんな。

 ともかく少年少女のみなさんの疑問にはできるだけ懇切丁寧にお答えしなければならんだろうなとは思われ、そんなこんなでいろんなことを考えあわせた私はここに一計を案じました。

 以下、一計です。

  本日のフラグメント

 ▼1930年11月

 名士の家庭訪問記

 昭和5年11月26日付「報知新聞」に掲載された無署名記事です。というか、親切な2ちゃんねらーの方の回答に「確か戦前の目薬の広告で、乱歩邸を訪問したという設定で書かれたデタラメだそうです」とある目薬の記事広告です。

 『貼雑年譜』にはこの記事がスクラップされていて、乱歩の書き込みによれば大阪毎日新聞広告部に勤務していた当時の知人が乱歩邸を訪れ、

 ──暫ク話シテ帰ツタト思ツタラ、コンナ広告ガ出タ。

 とのことです。むろん乱歩は不快感を覚え、広告に名前を貸してくれという依頼はいっさい断るようになりました。

 それでこの記事によりますと、記者は乱歩の書斎に招じ入れられて──

 初対面の挨拶が済むと、江戸川氏は自分で立つて記者の背後の戸を閉めた。と、一切の光線は遮られて、たゞ蝋燭の光だけになつた。そして、その黄色い光の中に江戸川氏のくりくり坊主の顔が浮んで居る。それはおよそ小説家の範疇からは程遠い精力的な顔ではあるが、然し、ぢつと見て居るとその筋肉の隅々にまで鋭い神経の行きわたつて居ることが解る顔だつた。

 『先生はいつも、お仕事をなさる時にはこんな風にして窓を閉めきつてなさるのですか?』

 記者は先づ、何よりもそのことを訊いてみずには居られなかつた。

 『さうです。僕の書斎は絶対に太陽の光線を入れないことにして居ます。僕は太陽の光の下では一字も原稿を書くことの出来ない人間なんです。ですから、こんな風に時代錯誤な蝋燭の光をたよりに原稿を書いたりして居るんです。然し、時には蝋燭の光のような軟い光でなく、もつと強い、もつと刺戟的な光が欲しい場合には

 ──血のやうな真赤な電球──

 をつけて書くことがありますよ。』

 『血のやうな真赤な電球を?』

 『さうです。例へば殺人鬼の血腥い妄想とか、妖女のドロドロした陰謀とかの場面を書くやうな時です。』

 問答の最後はスマイルという目薬の広告になっていて、乱歩がなぜか、

 ──現に、僕だつてスマイルの愛用者ですよ。

 などと口走りだす始末なのですが、この記事には写真二点が添えられており、どちらにも人間の頭蓋骨を見ることができますから、中尾明さんがお書きになっていた「どくろとろうそく」にまつわる伝説は、ここいらあたりが火元のひとつであろうかと判断される次第です。