2006年10月上旬
1日 歴史講座のお知らせです 奇面城の秘密
2日 新刊のお知らせです 長男が語る貴重エピソード集
3日 きょうは旧刊のお知らせです 「押絵と旅する男」論
4日 日付問題を先送りする 眼のレッスン
5日 立ちあげた立ちあがらない立ちあげるな 日本文学全集篇
6日 カステラと漱石 15歳からのニッポン文学
7日 漱石から『漱石という生き方』へ 乱歩とEQ
8日 漱石から『職業としての学問』へ 将棋論考
9日 フォーラムと個展と英訳本のお知らせ 東京坂道散歩
10日 本日は立教大学公開講座のお知らせです バッハから銭形平次
 ■10月1日(日)
歴史講座のお知らせです

 10月を迎えました。きょうもお知らせを一件。地域限定のご案内ですが、先日来お伝えしておりますとおり伊賀市のお寺で歴史講座が開かれます。本日は2006年度の全容をどうぞ。日々いがみあって生きてる伊賀地域住民のみなさんは、お暇でしたらお寺へ行きゃれ。いきなり仏罰がくだるようなことはありますまい。

寺 子 屋 歴 史 講 座

シリーズ:大超寺に眠る先人達

会場大超寺本堂(伊賀市上野寺町)

参加費無料

主催大超寺

第1回 田中善助翁と「新しい時代の公」

日時10月15日(日)午後1時30分−3時

講師私(伊賀地域を代表する知性)

第2回 大津事件と津田三蔵

日時11月12日(日)午後1時30分−3時

講師樋爪修さん(大津市歴史博物館学芸員)

第3回 藤堂玄蕃家の人たち

日時2007年1月21日(日)午後1時30分−3時

講師福井健二さん(伊賀文化産業協会専務理事)

 ついでにもうひとつ、中国広東省の天川体育館で開かれているレスリング世界選手権は昨30日に六日目を迎え、わが遠縁の娘にしてアテネ五輪金メダリストでもある吉田沙保里選手が女子五十五キロ級で優勝、国際大会における連勝記録を「100+1」に伸ばしました。写真を二点も載せてくれてるサンスポの記事をどうぞ。

 私もきのうテレビで観戦しておったのですが、はっきりいってこの子は強い。応援の必要がないくらい半端なく強い。わが必殺のスリーパーホールドも通用せんかもしれん。というよりあの鎧袖一触のタックルで速攻おだぶつか。ともあれ今後ともご支援ご声援をいただければ幸甚です。

 きのうの夜は外で飲んで帰ったあとまた飲みながらテレビの格闘技番組とスポーツニュースをずーっと見つづけておりましたので、つまりずーっと飲みつづけておりましたので、けさの私はいつもの朝よりさらにぼーっとしているようです。

  本日のアップデート

 ▼2005年2月

 奇面城の秘密 江戸川乱歩

 本日はきのうからの流れ、「押絵と旅する男」の日付問題つながりで『母胎幻想論』という本をとりあげようと考えていたのですが、なぜか見つかりません。いつもの朝よりさらにぼーっとしているせいなのか、あると思ってたとこにありません。

 急遽予定を変更してポプラ社の文庫版少年探偵シリーズをとりあげることに決め、例によりまして巻末解説から。

解説 人気シリーズは子孫を生む 新保博久
 ところで、さっき、すぐれたシリーズはまた新しいシリーズを生むと申しました。しかし「少年探偵」シリーズだけは、多くの作家が似たようなものを書きましたが、どれも本家に対抗できるほどには至らなかったのです。それだけこのシリーズがすばらしかったからであり、また、やがて読者は卒業して、おとな向きの小説を読むようになっていき、代わりになるものが必要なかったからでしょう。その下の子どもたちにも、「少年探偵」があればじゅうぶんだったのです。だから、こうして現在も読み継がれているわけです。

 ■10月2日(月)
新刊のお知らせです

 本日もまたお知らせから。南陀楼綾繁(なんだろうあやしげ、とお読みください)さんの新刊『路上派遊書日記』が出ました。版元のオフィシャルサイトではいまだ「近刊」の扱い、書影も掲載されていないようですからここに掲げておきましょう。画像をクリックすると別ウインドウに版元である右文書院のサイトが現れ出でます。

 ブログ「ナンダロウアヤシゲな日々」に発表された2005年の日記を一冊にまとめた(とはいえ紙幅の都合によりおよそ三分の一の抄録だそうですが)四百ページを優に超える一冊。ご恵投をいただきましたのでぱらぱらひもといてみましたところ、2005年の4月に南陀楼綾繁さんが、というよりはご本名の河上進さんが季刊「本とコンピュータ」誌の取材でわざわざ名張市立図書館においでくださったときのことも記されております。むろん私の名前も出てきており、しかも私のことは本文のみならず脚註でも紹介していただいてありまして、えへん、まことにありがたいことであると思いつつ昨日したためたお礼のはがきがまだ机のうえにある。きょう投函してこなければ。

 そうこうしているところへ速攻の反響一件。昨日付徳島新聞のコピーがファクスで届きました。「こちらデスク」なるコラムなのですが、徳島新聞の関係各位には見て見ぬふりをしていただくことにして、そのコピーを確信犯的にそのままごらんにいれましょう。クリックすると大きな画像が現れ出でます。

 ごらんいただけましたか。南陀楼綾繁さんの新刊『路上派遊書日記』で「日本三大公務員」のひとりとして徳島県の「北島町創世ホールのK館長」があげられているのは頼もしいことである、みたいな記事なのですが、三大公務員の残るふたりは「小樽文学館のTさんと名張図書館のNさん」とのことで、いやー、おれもとうとう徳島県まで盛名を馳せてしまったか。日本三景になったみたいで面映ゆいぜ。

 ちなみに『路上派遊書日記』は別冊栞つきで本体二千二百円。名張市内の本屋さんには並ばないかもしれませんが、名張市民のみなさんにもお薦め申しあげる次第です。帯から引いておきましょう。

 ──ある時は大量の古本を買い込み、ある時は安居酒屋にしけこみ、常連客の話に聞き入る、またある時は本のイベントで大いに盛り上がる……仕事私事の間をあっちへふらふらこっちへふらふらナンダロウ的生活。

  本日のアップデート

 ▼2006年9月

 推理界の大巨星・江戸川乱歩 長男が語る貴重エピソード集 小西昌幸

 えー、『母胎幻想論』がまだ見つかりません。

 きのうの夜、いまさら広島巨人もなあしかし阪神中日は雨で中止だし、とか思いつつお酒飲みながらテレビのリモコンをいじっておりましたところ、いきなり「押絵と旅する男」というタイトルが眼に飛びこんできました。見つづけました。「名作平積み大作戦」という番組でした。どんな番組であるのかはオフィシャルサイトでご確認ください。

 大槻ケンヂさんが「押絵と旅する男」を書店に平積みしてもらうべくプレゼンテーションを展開する、といった内容の番組だったのですが、「押絵と旅する男」に描かれているのは「萌え」であると、当時の浅草は当世のアキバであると、乱歩はオタクの元祖なのであると、大槻さんはそんなようなことを磯山さやかちゃんや中川翔子ちゃんに説いていらっしゃいました(と思います。なにしろこちらは酔っぱらっておりましたので)。

 押絵に入った美青年が押絵になったにもかかわらず人間とおなじく徐々に年老いてしまうのは、生涯をオタクとしてあるいはヒッキーやニートとして現実社会にコミットしないまま過ごすことも可能であるかもしれないが、そうした選択もまた時間という牢獄のなかでの話なのである、という乱歩の冷徹な現実認識のあらわれなのである、これは元祖乱歩が当代のオタクに発したメッセージなのである、みたいなことを説いていらっしゃったようにも記憶しております。たしかそうであったと思うのだが(なにしろこちらはあれでしたもので)。

 この番組では昨年「パノラマ島奇談」もとりあげられたようで、その痕跡はオフィシャルサイトのこのページでどうぞ。

 それで本題としては『母胎幻想論』がいまだに発見できませんので、急遽予定を変更して日本三大公務員のおひとりでいらっしゃる創世ホールのK館長にご登場いただき、K館長が「自治労通信」に発表された平井隆太郎先生著『うつし世の乱歩』のレビューをご紹介申しあげることにいたします。

 私は平井隆太郎さんにお目にかかったことがある。私が所属する海野十三の会主催で隆太郎さんをお招きし、「父・江戸川乱歩と海野十三」という演題でご講演いただいたのである(一九九七年十一月二十九日、徳島市・阿波観光ホテル)。その際の打ち上げの席で、乱歩さんの土蔵の資料の箱に書かれた文字などが実に丁寧なので驚いている、随分几帳面な方だったのですねえと私が言うと、「父は文章の依頼仕事で苦しくなると逃避の目的で資料整理をやったのだと思う」という趣旨のことをお話しされた。

 ■10月3日(火)
きょうは旧刊のお知らせです

 名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック1『乱歩文献データブック』を上梓したとき、手にとってくださった方からいろいろと誤脱のご叱正を頂戴しました。あれが抜けてますねこれが洩れとるぞといったあんばいで私はそのたびに膏汗のにじむ様な、恐怖に近い驚きに撃たれたということはとくになかったのですが、いずれ増補改訂版を出さねばならぬであろうなとは考えました。その後インターネットというやつが急速に普及しましたので、とりあえず『乱歩文献データブック』の増補改訂はこの名張人外境で進めている次第なのですが。

 『乱歩文献データブック』をつくることになったとき、私はみずからを省みて暗澹たる気分に陥りました。自分に足りないところがたくさんあるなと、あらためて気がついたからでした。なにしろ私はアカデミズムにはまるで縁がなく、書誌にかんしてもまったくの素人、あろうことか探偵小説にもたいして興味がないうえ古書にはとんと無関心。こんなことでいいのか、いいわけねーだろ、などといった煩悶に身もだえしながらつくった『乱歩文献データブック』でありましたから、刊行後にさまざまな方から自分に足りないところを補っていただけたのはありがたいことであったと思い返されます。なんと殊勝な。

 で、あれが抜けたこれが洩れたという指摘をもっとも多く集めたベストワン作品は(こういう場合にベストワンという呼称がふさわしいのかどうか判断に苦しみますが)、むろんいちいちカウントしたわけではありませんから正確なところはわかりませんけれど、たぶん中谷克己さんの「『押絵と旅する男』論 江戸川乱歩の深層構造」ではなかったでしょうか。1993年6月、帝塚山短期大学日本文学会の「青須我波良」四十五号に掲載された一篇です。遺漏の指摘を受けて幾星霜、ミラボーの下をセーヌが流れ、新町橋の下を名張川が流れ、『乱歩文献データブック』の刊行から十年近い日月を閲したいまになってようやく増補を果たすというのはいかにもお恥ずかしく、怠慢のそしりは免れまいて。すまんなみんな。

 この論文はのちに『母胎幻想論 日本近代小説の深層』という中谷さんの著書に収録されましたので、怠慢をお詫びする意味もこめてその内容というか目次をご紹介しておきたいと思います。版元は和泉書院、発行は1996年10月25日、本体二千五百円。いまも入手が可能なはずです。

母胎幻想論 日本近代小説の深層
第一章 「龍潭譚」の世界 泉鏡花の亡母憧憬
第二章 「狐」の世界 永井荷風のアキレス腱
第三章 「秘密」の世界 谷崎潤一郎の〈隠れん坊〉
第四章 「西班牙犬の家」の世界 佐藤春夫の〈夢見心地〉
第五章 「観画談」の世界 幸田露伴の癒しの自己像
第六章 「押絵と旅する男」の世界 江戸川乱歩の〈現実逃避〉
第七章 「猫町」の世界 萩原朔太郎の〈現在しないものへの憧憬〉
第八章 「へんろう宿」の世界 井伏鱒二の母胎的再生空間
第九章 「幼児狩り」の世界 河野多惠子の偏執的母性
初出一覧
あとがき

 それでこのどこにあるんだかわからなくなっていた『母胎幻想論』をようやく見いだすことができましたので、以下はこちらで──

  本日のアップデート

 ▼1993年6月

 「押絵と旅する男」論 江戸川乱歩の深層構造 中谷克己

 1993年に「青須我波良」に発表され、1996年刊行の『母胎幻想論』に「『押絵と旅する男』の世界 江戸川乱歩の〈現実逃避〉」と改題して収録されました。同書「あとがき」によれば、

 ──本書で私が試みたのは、作品の深層部に潜む、それぞれの作家の夢の内実を明らかにすることである。

 その「夢」の正体が「母胎への回帰願望」であることは『母胎幻想論』という書名にも端的に明かされておりますが、「押絵と旅する男」もまた「〈現実逃避〉を意図しながら、にもかかわらず、思いどおりの自己解放には至らなかった乱歩の根源的な何かが伏在している」作品として、母性なるものとの関係を軸に論じられます。

 まず冒頭の蜃気楼。「本物の蜃気楼を見て、膏汗のにじむ様な、恐怖に近い驚きに撃たれた」という語り手は、その蜃気楼をこんなふうに描写します。

 ──蜃気楼とは、乳色のフィルムの表面に墨汁をたらして、それが自然にジワジワとにじんで行くのを、途方もなく巨大な映画にして、大空に映し出した様なものであった。

 澁澤龍彦が「乱歩文学の本質 玩具愛好とユートピア」で「この乳色は母乳の思い出に照応し、蜃気楼のもやもやした白っぽい光景は母の白い胸に相当する」と指摘しているのを「鋭い読み取り」としたうえで、著者は乱歩の過去を検証する作業に入ります。

 浮かびあがってくるのは、弟が生まれたせいで母親の乳房から離されたあとも、小学校へ入る前年まで乱歩が祖母の「皺くちゃの乳房」に吸いついて寝ていたという事実。その離乳体験が乱歩の深層に「深い精神的傷痕=被棄コンプレックス」となって固着していたと仮定すれば、「〈乳色〉=〈母乳〉という暗合には、実在した母性への郷愁的心性というより、むしろ非在ゆえに烈しく庶幾される不可視の母性への痛切な憧憬が潜在している、と考えられよう」という推測が導かれてきます。

 アナロジーの連鎖は素早く架け渡されます。祖母の乳房の皺は押絵の老人の顔の皺に重なり、老人の「苦悶の相」はそのまま「固着した〈皺だらけの乳房〉と非在の母の乳房との間を烈しく振幅する乱歩の深層の有り様」であり、すなわち祖母の乳房をしゃぶっていたという乱歩の記憶には「予想以上に深い痛みが伏在していると考えられるのである」。

 母親の乳房との接触という甘美な記憶の欠落は成長後の乱歩にも影響を及ぼし、「乱歩が青年期に達しても異性を忌避し続けた事情は、そうした甘美な体験をみずからの始原的な記憶のなかに見いだすことができなかったことを意味しているに違いない」と論述は進みます。そんなことがあるのかなとお思いの方もいらっしゃいましょうが、性倒錯とは要するに終わらない幼年期なのであるとフロイトは主張しておりますし。

 フロイディズムにも拠りながら精緻な分析が進められて、いよいよ作品のラスト。不可視の世界をかいま見たもののその世界に入ることはできず、汽車のなかにひとり取り残された語り手はふたたび汽車に揺られつづけます。このシーンからはどんな意味を読みとることが可能なのか。

 ──《汽車》が乱歩の、祖母に関わる始原的記憶に結びつくものであり、〈どことも知れぬ〉駅が、回帰すべき不可視の母胎であることを想起すれば、作品の掉尾に描かれた乱歩の深層の痛みは、おのずと看取されるはずである。

 畢竟するに「押絵と旅する男」とは、母性を希求しながらそこに回帰できない乱歩の「深層の痛み」が投影された作品であったのだということになります。

 ちなみに「祖母に関わる始原的記憶」とは、亀山の高台にあった権現様の境内でおばあさんと遊んでいると、おもちゃみたいな汽車が汽笛を鳴らしながら走っていったという「彼」の記述を指すものです。そして「押絵と旅する男」の日付問題におきましては、この記憶が重要な意味をもっているらしいと著者は説きます。というのも、

 ──男は、その〈一生涯の大事件〉が明治二十八年四月二十七日の夕刻の出来事であった、と語り始める。

 との本文に見える「明治二十八年」に、著者はこんなふうな自註を附しているからです。

 男の語りが〈明治二十八年〉の回想であることには、意外に深い意味が存在するのかも知れない。なぜなら、「彼」によると、〈この世に生れて最初の記憶〉は乱歩の〈二歳の時〉、つまり明治二十八年を始原とするからである。

 ■10月4日(水)
日付問題を先送りする

 さて「押絵と旅する男」の日付問題。乱歩の視線が青年期に、老醜への怯えを秘めながらもかつて若さと美をふたつながら手にしていた青年期の絶巓に向けられていたものか、はたまた幼年期に、不在の母への希求を秘めながらもかつて祖母と密着するようにして過ごしていた幼年期の始原に向けられていたものか、それとももっと別のものに投げかけられていたものか、それを断ずることはもちろんできません。しかしこの明治28年4月27日という日付はなにやらとても謎めいていて、私には蝉のおしっこのように気にかかる(どうよこの時代がかったおふざけ)。この日付を『江戸川乱歩年譜集成』に書き入れたいという誘惑は断ちがたい気がする。

 手がないことはないでしょう。伝記的事実として年譜にそのまま記すのではなくて、明治28年4月のページに「明治二十八年四月二十七日」という項目を立て(項目といったって本文と同じ級数のゴシック体でいいのですが)、それにつづけてこれは「押絵と旅する男」で怪異が起きた日なのであるが、この日付にかんして平井隆太郎先生はこんなぐあいに、そして中谷克己さんはこんなぐあいに考察している、みたいなことを書き記しておけばそれでいいのではないか。

 それでいいのではあるけれど、それやっちゃうと書誌としてのバランスが崩れてしまうやもしれぬ。なんかもう収拾がつかなくなってしまうのではないかという危惧をおぼえる。いったいどうしたものじゃやら。とはいえ明治28年4月27日という日付をどうするか、なんていうのはまだまだ先の先に思案すればいいことなのであって、とりあえず目先の作業を地味にこなさないことには話が進みません。

 目先の年譜原稿で明治28年のパートを見てみますと──

01月01日 博文館が月刊誌「太陽」を創刊。終刊は昭和三年二月。
02月02日 阿部豊、宮城県に生まれる。映画監督。ハリウッドのプロデューサー、トーマス・H・インスが一九一三年(大正二)公開の「火の海」製作のため日本人を集めたとき、早川雪洲らとともにアメリカに渡った。その後もハリウッドで俳優をつづけ、シナリオも書いていたが、大正十四年、日活から監督として招かれ帰国。十五年の「足にさわった女」、昭和二年の「彼をめぐる五人の女」などを手がけた。耽綺社同人の原作による日活映画「非常警戒」を監督し、四年十二月に公開。昭和五十二年一月死去。
03月09日 ザッヘル・マゾッホ、五十九歳で死去。
04月01日 泉鏡花が「文芸倶楽部」に「夜行巡査」発表。
15月26日 谷川徹三、愛知県に生まれる。
10月01日 松野一夫、福岡県に生まれる。

 まだこれだけである。この程度である。『探偵小説四十年』を虱潰しにしてから『貼雑年譜』にとりかかるつもりでおりますので、乱歩自身のことはまだ出てきてはおりません。『貼雑年譜』を開くのはいつのことになるのかな。

 にしてもこうして眺めてみると、阿部豊にかんする記述はやはりいかにも多すぎましょう。私という人間は若き日に漫才作家をめざしていただけのことはあり、映画監督も含めた芸能人というか舞台人というか喜劇人、そういう人種に肩入れしてしまう傾向があるようで、ボードビリアン榎本健一のことなんかずいぶん長々しく書いてしまったものでした。いくらなんでもこれではな、とあとから原稿を削りはしましたが。やれやれ。

 さて、ぶつぶついってないできょうも寸暇を惜しんで目先の作業を進めるか。どうせすぐ横道にそれてしまうのであろうけれど。

  本日のアップデート

 ▼1993年3月

 眼のレッスン 江戸川乱歩「押絵と旅する男」論 武田信明

 島大国文会の「島大国文」二十一号に発表されました。島大というのは島根大学のことです。

 人の意表に出るようなタイトルは、「特殊な遠近法」によって構成された「押絵と旅する男」を読み進むうち、

 ──さまざまな「二」とその対照、執拗な細部の反復、遠近法の詐術。これらの言説の運動を通過することで、われわれは、いつしか眼のレッスンを習得し、数奇な男の物語を、特殊な遠近法の下で見つめ、たやすく受け入れてしまうことになる。それ自体が「覗きからくり」にも似た、作品という暗箱の中で、妙な立体感をともなって一枚の絵が浮かび上がる。

 といったあたりに由来しているようなのですが、ここには合理から非合理へあるいは現実から押絵へ「既製の世界を越境してゆく運動」と、押絵の老人の「苦悶の相」と、押絵の世界に存在する「二つの時間体系」とにかんする考察を。

 そして、老人の兄は覗きからくりの中に、探し求める娘の姿をようやく見いだすことになる。兄は弟に遠眼鏡を〈さかさにのぞく〉よう懇願する。小さくなって〈目がねのまん中にチンと〉おさまった兄は、あとずさりしながらさらに小さくなって、夕闇の中に、そのまま消えていってしまう。ただ、それだけなのだ。だが、それだけであるからこそ、この消失は、鮮やかなのである。いっさいの説明は、施されず、非合理は非合理のまま投げ出されている。実はそこに大きな問題がある。なぜなら、探偵小説の最大の禁は、作中に非合理を持ち込まないことであり、乱歩はまぎれもなく探偵小説作家だったからである。たとえば、密室殺人のトリックは、それがいかに奇想と呼ばれようとも、合理的解釈がそれを保証していなければならない。「押絵と旅する男」は、その根源的なルールを侵犯している。試みられたのは、押絵に入っていった男の場合同様、既製の世界を越境してゆく運動である。

〈老人も、双眼鏡の世界で生きていたことは同じであったが、見たところ四十も違う若い女の肩に手を廻して、さも幸福そうな形でありながら、妙なことには、レンズいっぱいの大きさに写った彼の皺の多い顔が、その何百本の皺の底で、いぶかしく苦悶の相を現わしていたのである〉

押絵の中で今も生き続ける老人の兄の顔が、異様な数の皺に覆われ、苦悶に満ちているのは、いつまでもうら若いお七に比べ、我が身だけが老いてゆくことを嘆いているからではない。押絵の中の兄は、押絵という無時間に投げ込まれた線状的時間である。押絵の中では、異なった二つの時間体系が、未だ激しくせめぎあっているのであり、莫大なエネルギーを費やして試みられた越境の運動は、未だ終わることを知らないのである。兄は、恋する娘と共にいる至福を獲得することと引き換えに、この激しい時のひずみを肉体的苦痛として甘受し続けている。無論、それが悦楽をいっそう高めているとも言えるのであるが。

 ■10月5日(木)
立ちあげた立ちあがらない立ちあげるな

 いやまいった。コンピュータメーカーからOSのアップデートにかんする連絡がありましたので、きのうさっそく最新版をダウンロードいたしました。電源をオフにしてけさを迎え、ふたたびオンにしてOSを立ちあげてみましたところ、どうもおかしい。不具合が出ている。マッキントッシュをおつかいでない方にはご理解いただけぬことでしょうが、いつまで待ってもクラシック環境というOSが立ちあがってこないの。立ちあがってくれないの。これではお仕事の一部に支障が出てしまうの。いやまいったなと思ってさっきからちょこっと焦っておりますので、本日はわりと簡単に。

  本日のアップデート

 ▼2006年9月

 日本文学全集篇 丸谷才一、鹿島茂、三浦雅士、湯川豊(司会)

 文藝春秋から出たばかりの『文学全集を立ちあげる』という本に収録されております。立ちあげる、というおそらくはコンピュータまわりから出たのであろういまできの言葉を本のタイトルにあえてつかってみる男心が私にはわからぬ。たとえば組織を立ちあげる、企画を立ちあげるなどといった表現を耳にするたび立ちあげるな、そんなもん立ちあげるなといまいましく思ってしまう私ではあるのですけれど、立ち読みしてみたところ乱歩の名前も出てきますので立ちあげるな、そんなもん立ちあげてどうすると胸中でののしりながらも購入いたしました。

 内容はそこらの居酒屋で酔っぱらいが三人、好き勝手におだをあげているようなものだとお考えください。いってみれば三酔人経綸問答ならぬ三酔人文学問答、ていうか全集問答。しかしなかなか面白い。いま文学全集を編むとしたら、との仮定のもと世界篇と日本篇の企画会議を開いてみましたといったあんばいの座談をまとめた一冊で、たとえばミステリファンが集まって世界ミステリ全集あるいは日本ミステリ全集、私ならこう編む、みたいな遊びをする、あの遊びのとんでもなく規模のでかいものだとお思いください。

 世界篇には『ドイル/ウェルズ』だの『ハメット/チャンドラー』だの『ブラッドベリ/ヴォネガット/ディック/バラード』だのといった巻もあり、なんだか妙な感じもいたしますですが、日本篇の会議ではこんな議論がくりひろげられております。

丸谷 江戸川乱歩。これを一巻にするか二分の一巻にするか。

三浦 一巻は無理。三分の一か四分の一。

鹿島 僕は、乱歩はもうちょっと再評価していいと思うよ。確かに小説としての出来ははなはだ悪いよ。だけど、それとは別の次元で、江戸川乱歩の評価は一巻入れてもいいような気がする。「一寸法師」とか「芋虫」とか、エログロ系のへんてこりんな作品があるでしょう。その変ちくりんぶり、つまり「変態」というものをつくり出したことは評価したい。それに、後の推理小説に与えた影響を考えると、入れないわけにいかないでしょう。

丸谷 「パノラマ島奇譚」といった作品は、近代日本文学のなかに他にはないからね。乱歩は二分の一巻で入れていいような気がする。

──アイディアから言うと、乱歩は谷崎の大正期のモダニズム作品とすごく似てますよね。

 あとまだつづきますけれど、刊行されたばかりの本ですから引用はこのあたりまでとしておきます。興味を惹かれた方はお買い求めください。気になるお値段は本体千と五百円。立ち読みで済ませたい方は241ページから244ページをどうぞ。

 ちなみにこの机上の空論版日本文学全集におきましては、第四十一巻が『江戸川乱歩・夢野久作・久生十蘭』ということになっております。

 さあOSが立ちあがってくれるようにあれこれやってみなければ。


 ■10月6日(金)
カステラと漱石

 ご心配をおかけいたしました。OSのアップデートにともなう不具合はどうやらアップデート後最初の起動時のみの現象であったようで、あれこれやってるうちになんとなく解決し、いわゆるクラシック環境も支障なく起動できるようになりました。パソコン画面にもおかしな点が見られたのですが、デスクトップなんとかをどうとかするという処理によってすんなりおさまりました。何をどうやったのか自分でもよくわからないのですが、まずはめでたしめでたし。

 ではここで、カステラ好きの方に耳寄りなお知らせをひとつ。東京は自由が丘に8日の日曜、黒船というカステラ屋さんがオープンするそうです。こんなふうなダイレクトメールが届きました。

 これまでの経験からいいますと、この手のダイレクトメールはたいていがちょっとおしゃれなお水関係のものです。ですから私はてっきり黒船という名前の飲み屋が開店するのだろうと早合点してしまい、いったいどこのお姉さんが店を開くのかとオフィシャルサイトにアクセスしてみたのですが、なんだ大阪は心斎橋にあるカステラ屋さんが東京都目黒区自由が丘1-24-11にお店を出しますという挨拶であったか。妙にがっかりしてしまったのですが、東京あるいはその周辺にお住まいのカステラ好きのみなさんにはこたえられない話だと思います。上の画像をクリックすると別ウインドウに黒船のサイトが現れ出でます。カステラマニアはぜひどうぞ。

 乱歩もカステラが好きだったみたいで、昭和35年の「カステーラ・ノスタルジア」という随筆にこんなことを書いています。

 私は幼少年時代を名古屋市の中心地区で暮らしたが、明治末期のそのころは一般に家庭生活が質素で、卵菓子や卵料理は時たましか口にはいらなかった。幼年時、はじめて到着の長崎カステーラをたべたときには、世の中にこんなうまいものがあるかしらと思った。

 こういう文章を眼にしただけで、ああ、『江戸川乱歩年譜集成』の幼年期のページには乱歩カステラ初賞味のことも書いておかねばならんな、と思ってしまう業の深さを何としょう。

 業も深ければじつは欲だって深いみたいで、『江戸川乱歩年譜集成』のことをあれこれ構想していると妄想が水死人のようにふくれあがってきて始末に負えなくなってしまいます。あれもやりたいこれもやりたいそれはどうよといったあんばいなわけで、どうにもこうにも手に余る。私だって指折り数えればもう十年以上も乱歩という作家に関係するお仕事をつづけてきたわけなんですから、自分でも気づかないうちに乱歩の偉大さにあてられて自我肥大に陥っているということがあるのやもしれず(つまり乱歩の偉大さを自分のものだと勘違いして思いあがっているばか、それがおれなのさ、みたいな話なのですが)、こうなると乱歩を狂信し自分を過信してこれから何をやらかすか知れたものではないぞ実際、という危惧がないわけではありません。

 ここはひとつ、最近読み返して眼についた漱石の文章を引いてみずからの戒めとしておきたいと思います。

 自分は凡て文壇に濫用される空疎な流行語を藉て自分の作物の商標としたくない。ただ自分らしいものが書きたいだけである。手腕が足りなくて自分以下のものが出来たり、衒気があって自分以上を装うような物が出来たりして、読者に済まない結果を齎すのを恐れるだけである。

 明治45年1月に発表された「彼岸過迄に就て」から引用しました。「彼岸過迄」を朝日新聞に連載したときの「緒言」だそうで、底本は新潮文庫『彼岸過迄』。私には自分を漱石にたぐえる気などもとよりなく、それ以前にそもそも『江戸川乱歩年譜集成』は小説ではないのですけれど(ただし「作物」ではあるでしょう)、読み返していてこのくだりが不意に身にしみてきたことはたしかです。手腕を磨き衒気は棄て、天国の乱歩と地上の乱歩ファンに済まない結果だけはもたらさないように気をつけたいなと思います。

  本日のアップデート

 ▼2005年12月

 15歳からのニッポン文学 純文学研究会

 きのうにつづいてきょうも文学の話題です。若い世代に文学をナビゲートする本が宝島社から出ました。去年の話なんですけど。いわゆるガイドブック、というよりはブックガイドか、いや正確にはブックガイドブックか。

 そんなことはともかく、巻頭にある編集部の言を引きましょう。

 ──この本は、作家や文芸評論家、大学や高校教師など“文学のプロ”が、10代後半から20代の方々に読んでもらいたい、あるいは若い頃に読んで感動した文学(主に小説)を紹介する本です。特に読んで欲しい作品には、ランキングをつけました。

 きのうご紹介した『文学全集を立ちあげる』とある意味趣旨をおなじくした一冊で、いまや文学なるものは懇切な指導誘導煽動がなければ人の手に取ってもらえなくなってでもいるのでしょうか。そうでもしてやらんときょうびの若いやつはミステリだのラノベだの、と切歯扼腕していらっしゃる向きがどこかに存在しているのかもしれませんが、私にはそのあたりの事情はまったくわかりません。

 しかし文学が乱歩ににじり寄っているらしいことだけはたしかでしょう。文学がにじり寄るなんていうのはむろん言葉の綾であり、文学という体系を信奉したい人たちが乱歩という作家を無視できなくなってきている、ということだとお思いいただきたいのですが、なんのかんのいいながらもいま文学全集を編むとなれば乱歩は欠かせない作家である。乱歩作品というよりは乱歩という作家の存在そのものが、いまや黙殺できないものになっている。そういった事実がしみじみと実感される次第です。乱歩は揺るぎなく乱歩でありつづけているわけですが。

 それでこの本、「家族」「生き方・進路」「友情」など十四のテーマでランキングを発表しているのですが、そのうちの「仮想空間(ファンタジー)」と「珠玉の短篇」に乱歩作品が登場しております。ごらんいただきましょう。

「仮想空間」勝手にランキング 山田吉郎
01位 猫町 萩原朔太郎
02位 銀河鉄道の夜 宮沢賢治
03位 河童 芥川龍之介
04位 五分後の世界 村上龍
05位 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 村上春樹
06位 高野聖 泉鏡花
07位 ムーンライト・シャドウ 吉本ばなな
08位 押絵と旅する男 江戸川乱歩
09位 美しき町 佐藤春夫
10位 ゴルディアスの結び目 小松左京

 こういったランキングはおそらく人の数だけ、というよりは小説好きの数だけ存在するはずですから、いちいち文句をつけてみてもあんまり意味はないでしょう。まさに選者の勝手です。

「珠玉の短篇」勝手にランキング 森晴雄、河野基樹、永野悟
01位 桜の樹の下には 梶井基次郎
02位 蜜柑 芥川龍之介
03位 岬にての物語 三島由紀夫
04位 暢気眼鏡 尾崎一雄
05位 黄金風景 太宰治
06位 跳躍台 小川国夫
07位 小僧の神様 志賀直哉
08位 胡桃園の青白き番人 水谷準
09位 原色の街 吉行淳之介
10位 D坂の殺人事件 江戸川乱歩

 とはいうものの、「D坂の殺人事件」がはたして「珠玉の短篇」なのかな、という気はしないでもありません。珠玉の短篇というのであればおれなら森鴎外「じいさんばあさん」から安岡章太郎「ガラスの靴」まで全然ちがう作品を十篇セレクトするのだけれど、とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。だいたい乱歩が水谷準よりも下ってのはどうよ、とおかんむりの諸兄姉もあるいはおありか。しかし、しかし目くじらを立てねばならぬことではまったくないと私は思います。

 興味を惹かれた方は『15歳からのニッポン文学 勝手に純文学ランキング』、どうぞお買い求めください。本体九百五十二円。


 ■10月7日(土)
漱石から『漱石という生き方』へ

 漱石つながりでまいります。秋山豊さんの『漱石という生き方』が出たのはことしの春のことでした。奥付を確認すると2006年5月5日の発行で、版元はトランスビュー、本体二千八百円。版元オフィシャルサイトの紹介ページはこちらです。

 私はこの本を眼にして、なんか垢抜けないなと思った。タイトルの話です。漱石という生き方。愚直であって洒脱でない。生硬であって柔軟でない。つまりは垢抜けてないなと感じたのですが、奥付の略歴で著者が岩波書店の編集部に勤務し、「1993年に刊行が開始された新しい『漱石全集』の編集に携わる。2004年、同社を停年退職した」人であることを知って読んでみる気になりました。

 私はどうやら全集の編纂に従事する人間に格別な興味を抱いているようで、今年1月に出版された西村賢太さんの『どうで死ぬ身の一踊り』も著者が藤澤清造全集の刊行を企図しているらしいことから手に取った次第だったのですが、全集編纂者にとっては作家とその作品に対して愚直であったり生硬であったりすることがおそらく不可欠の条件でしょうから、それならそれで『漱石という生き方』というタイトルはすとんと腑に落ち、冒頭を立ち読みしてみたところこんな文章が眼を射ました。

 ──私の希望は、漱石に寄り添って、よく彼の言葉を聞き取りたいということに尽きる。

 低声ながらも毅然たるマニフェストだというべきでしょう。よほどの覚悟がないかぎり(それはむろん自負に裏打ちされた覚悟なのですが)、こんなせりふは決められません。そうかなるほど漱石に寄り添うのか、と私は納得し、これは漱石という生き方と漱石に寄り添うという生き方をポジとネガのごとく静かに併置した本ででもあろうかと想像しながら購入いたしました。

 つづくくだりを引いておきましょう。

 近年、批評の衰退ということがよく言われる。それはひとつには、対象に対する敬意の喪失ということが関係しているのではないだろうか。たとえば漱石を論じたり、論とまではゆかなくても、あれこれ俎上にのぼせたりする文章を目にすると、漱石が好きであるという論者の言葉とは裏腹に、漱石を自らのための踏み台にしているとしか思えないような場合が少なくない。また、ごく手近な「書評」という営為をみても、自らの識見をひけらかすためにその本を取り上げているのではないか、と疑わざるを得ないようなものが、少なくないように思われる。

 無論私は、ただ持ち上げて敬服しろ、と言っているのではない。たとえ言葉の上では大いに称揚し、賛辞を惜しまぬ書評であっても、文章の姿勢というか向いている方向が、対象である本にではなくて、書評者自らに向いているのではないか、と言いたくなるのである。

 もっともこう言ってしまうと、批評以前の文章そのものが、総体として卑しくなってきているということかもしれない。もしそうであれば、人間そのものの問題だということになるのは、避けられないだろう。しかし無論、ここはそんなことを力んでいう場ではないから、自戒の言葉としておくにとどめたい。ただ私は、対象に寄り添う姿勢で文章をつづってゆきたいということを、ここに表明しておきたい。

 全集編纂者というのはこんなことまでやってしまうのか、と感心したり驚いたりしたその内容についてはここではふれませんが(全集の編纂を志す諸兄姉はぜひご一読ください、とは申しあげておきます)、この引用に記された著者の言葉をそのままパクって私の自戒としておきたいと思います。すなわち私は、それが乱歩であれあるいは乱歩の記述に登場してくる有名無名の数えきれぬほどの関係者であれ、対象に寄り添う姿勢で『江戸川乱歩年譜集成』を編纂してゆきたいということを、ここに表明しておきたい。

  本日のアップデート

 ▼2006年8月

 乱歩とEQ 天城一

 「別冊シャレード」八十八号の《天城一特集11》に収録されました。「別冊シャレード」は出るたびお送りいただいておりまして、ここにあらためて深甚なる謝意を表する次第なのですが、再録作品の初出が明示されていないケースがないでもなく、私のように作家とその作品に愚直かつ生硬に向き合いたいと考えている人間にはそれがややうらめしい。

 この号でいえば天城一さんの「本格推理小説の不朽性」が去年の夏に出た「ジャーロ」、つまり本格ミステリ大賞の発表があった号に掲載された受賞の弁であることは察しがついたのですが(よく考えてみたら私はその「ジャーロ」を見たことがありません。なんだか不思議な感じですけど)、それ以外の乱歩に言及されたエッセイは初出がいっさい不明というありさまです。まあいいけど。

 乱歩の「Yの悲劇」評に厳しい批判を加えたこの一篇もたぶん再録であろうと思われるのですが(天城さんは別の機会にも「Yの悲劇」における「優生学」を批判していらっしゃったと記憶するのですが、それとこれとはまた別物だと思います)、とりあえず冒頭から乱歩批判の要点までを。

 ちなみにこの引用部分では「Yの悲劇」の真相が明かされておりますので、未読の方はご注意あそばせ。

 日本で本格探偵小説の人気投票を行えば、『Yの悲劇』は必ずベストテンの上位を占めるでしょう。実際、一九九九年光文社『EQ』終刊号のアンケート調査では、ホームズ物に次いで第二位を占めています。

 もちろん、この高得点には作品自身の美点があげられます。犯人の意外性については誰も否定できないでしょう。奇妙な「マド」ハッター家の家族構成の巧みさ、特に三重苦の娘を登場させその「証言」を聞くスリルなど、推理小説の醍醐味と言っても過言ではありません。インスツルメントとツールの区別を学生に説明するとき、この小説を引用すると理解が容易なようでしたので、便利に使ったほどでした。

 これらの美点を数え上げ日本人に紹介したのは江戸川乱歩でした。その解説がなければひどく凝りに凝った作品が日本人に今日ほどアピールはしなかったでしょう。その証拠に、比較的若い世代のメンバーが多いように見えるEQのファン・クラブの機関誌『QUEENDOM』五十号のアンケートによると、『Yの悲劇』はEQの作品の中でも第五位を占めるに過ぎません。乱歩の影響力には陰りが見えてきたようです。

 この陰りを嘆くには及びません。この作品をEQ自身が自薦できない深刻な欠陥を蔵しているからです。それは上記の美点が当時の社会ダーウィン主義の代表的な思想「優生学」に酷く汚染されているからです。

 ハッター家の連続殺人事件の犯人は少年でした。ヨーク・ハッターの完全犯罪計画に従って殺人を実行したのでした。その少年の行為を注意深く見守っていた元俳優のレーンは、少年には先天的犯罪者の素質があるとして葬ってしまいます。あの戦間期の時代には当然とされた考え方でした。いまでも当然とする人が少なくないでしょう。

 ところがこの行為が問題なのです。ドイツの新鋭現代史家ポイカートがはじめて指摘したことですが、人間を教育可能なものと不可能なものに選別することは、さらに一歩進めると「劣等民族」を撲滅するに至ります。『Yの悲劇』は著者の属す民族に対するホロコーストを礼賛しかねないのです。EQが日本人の『Yの悲劇』礼賛に当惑するのも当然です。

 乱歩は良き市民でした。作品から受ける印象とは全く反対でした。科学と進歩を信じていました。つまり十九世紀的なブルジョワでした。それだけにポイカートの指摘を自覚することは不可能でした。それが終生『Yの悲劇』を讃えてやまない理由でした。その帰結として乱歩の戦後の大仕事であった『幻影城』とその続編の限界を画していました。それは同時に日本の推理文壇の限界でした。

 作品がその時代を支配していたどんな「思想」に汚染されていたってそんなことは二次的三次的な問題に過ぎぬのではないかと私には思われ、作者自身の自作にかんする「当惑」なんて読者にはいっさい無関係であるとも愚考する次第なのですが、天国の乱歩はいったいどんな判断をくだすのでしょうか。わかりそうでよくわからない。作家に寄り添うというのもなかなか難しい作業であるみたいです。


 ■10月8日(日)
漱石から『職業としての学問』へ

 インターネットでお寺の名前を検索したら自分の名前が出てきたのでびっくりした、というおはなしからはじめます。

 まず Yahoo! ニュースがこんなぐあい。

 livedoor ニュースはこんなあんばい。

 べつに驚かねばならぬことではありません。10月5日付毎日新聞伊賀版に掲載された「歴史講座シリーズ:15日から“寺子屋教室”で「大超寺に眠る先人達」 /三重」という記事が転載されただけの話です。むろん私もこの記事は眼にしていたのですが、なんだかこっ恥ずかしい気がいたしますから誰にも内緒にしておいたというのに、こんなローカルな話題まで Yahoo! ニュースだの livedoor ニュースだのにとりあげられてしまうというのはいかがなものであろうか。地域ニュースならばほかにもいろいろあるであろうに。ことの軽重などというものを一気に無効にしてしまうのがインターネット社会というやつなのであろうけれども。

 それでこの記事にもありますとおり、10月15日に伊賀市上野寺町の大超寺というお寺で「同市出身の実業家、田中善助(1858〜1946)について名張市立図書館嘱託職員の中相作さんが講演する」というわけです。この田中善助という実業家を語るに際してはマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」あたりを援用して伊賀地域における「資本主義の精神」の体現者と位置づけるのが都合がよろしいのですが、しかしお寺でありがたいおはなしをするのですから仏教にちなんだ話題のほうがいいのかな、そういえば長部日出雄さんは新潮新書『仏教と資本主義』において奈良時代のお坊さん行基に「資本主義の精神」の体現を見ていらっしゃったし、やっぱ仏教にからめるのがいいのかなと、これはもう招かれたお座敷にあわせてネタを演じなければならぬわれわれ芸人の宿命なのであって、ですから大超寺というのはそもそもどんなお寺なのかときのう「伊賀 大超寺」で Google 検索を試みたところ自分の名前が出てきたのでびっくりした、というおはなしでした。

 名前が出てきたところで漱石からマックス・ウェーバーに流れてみましょう。もとより自戒の問題です。『江戸川乱歩年譜集成』編纂者としてのわれとわが身を亀甲縛りにしてしまう自戒の縄、本日はウェーバーの「職業としての学問」ということにいたします。底本は尾高邦雄訳の岩波文庫。

 さて、お集まりの諸君! 学問の領域で「個性」をもつのは、その個性ではなくて、その仕事に仕える人のみである。しかも、このことたるや、なにも学問の領域にばかり限ったことではない。芸術家でも、自分の仕事に仕えるかわりになにかほかのことに手を出した人には、われわれの知るかぎり偉大な芸術家は存在しないのである。いやしくもその仕事に関するかぎり、たとえゲーテほどの偉大な人でも、もし自分の「生活」そのものを芸術品にしようなどとあえて試みるときは、かならずその報いを受けなければならない。こういえば、あるいは人は不審に思うかもしれない、ゲーテのような人であればこそそうした試みをあえてなしうるのではないか、と。しかし、すくなくとも、ゲーテのような不世出の天才に限らずこうしたことをあえて試みるものはかならずその報いを受けずにはいないということは、だれもが認めるであろう。これは政治家のばあいにも同様である。だが、いまはこの点には立ち入るまい。とにかく、自己を滅して専心すべき仕事を、逆になにか自分の名を売るための手段のように考え、自分がどんな人間であるかを「体験」で示してやろうと思っているような人、つまり、どうだ俺はただの「専門家」じゃないだろうとか、どうだ俺のいったようなことはまだだれもいわないだろうとか、そういうことばかり考えている人、こうした人々は、学問の世界では間違いなくなんら「個性」のある人ではない。こうした人々の出現はこんにち広くみられる現象であるが、しかしその結果は、かれらがいたずらに自己の名を落すのみであって、なんら大局には関係しないのである。むしろ反対に、自己を滅しておのれの課題に専心する人こそ、かえってその仕事の価値の増大とともにその名を高める結果となるであろう。この点は、芸術家のばあいも同様である。

 漱石からマックス・ウェーバーへというのはかなり強引な流れではあるのですが、私の眼にはふたりのいってることがとても似ているように見える次第です。これはつまり私がふたりの文章に自分にとってのいましめを見ている、見ようとしているということに過ぎません。ってことはつまり、いくら対象に寄り添おうとしても人間には結局こういうことしかできないのであろうか。

  本日のアップデート

 ▼2006年11月

 将棋論考 真部一男

 「将棋世界」最新号に掲載されています。将棋ファンの方から(将棋ファンでいらっしゃると思うのですが)メールでお知らせをいただきました。

 真部一男八段が「将棋論考」という連載のなかで先月5日に逝去された高柳敏夫名誉九段をしのんでいらっしゃるのですが、そこに乱歩の名前が出てきます。

 なんだかややこしい話なのですが、高柳さんが乱歩に詰将棋を指南したことがあった、お気に入りのひとつを乱歩に披露したのだが、乱歩にはその妙味が理解できなかった、高柳さんは困惑した、みたいなエピソードが高柳さんの詰将棋作品集『新感覚詰将棋』に記されている、といったことを真部さんが紹介していらっしゃる、といったようなことなのですが(ああややこしい)、それをここに引用してみてもまったく要領を得ないのではないかと思います。

 思いながらも引いてみましょう。文中の▲と△は将棋の駒のマークだとお思いください。

 △5二同玉に▲5三歩成としたいのを▲5一馬とする感覚に新味があると説明するのだが、乱歩先生一向に納得してくれず高柳先生の困惑ぶりが目に浮かび楽しくなる。先生、今は時間がいくらでもありますから、天国でじっくりと解説されればきっと乱歩氏も納得される筈です。

 御冥福を御祈り致します。

 私も遅ればせながら高柳敏夫名誉九段のご冥福をお祈りいたしつつ「RAMPO Up-To-Date」にその死を録しておいた次第なのですが、とりあえず『新感覚詰将棋』という本を入手しなければなりません。

 なんかもう『江戸川乱歩年譜集成』のための購入予定古書リストが半端なくふくれあがっているわけですが。


 ■10月9日(月)
フォーラムと個展と英訳本のお知らせ

 おっせーんだよばーか、とお叱りを頂戴するのは百も承知でお知らせ一件目。読売新聞東京本社主催の「読売江戸川乱歩フォーラム2006」が10月14日、立教大学池袋キャンパスで催されます。立教大学オフィシャルサイトの案内をどうぞ。

 「ミステリー小説講座」と銘打って午後2時にスタートし、大沢在昌さんの基調講演ならびに大沢さんと福井晴敏さんによるトークショーがくりひろげられます。入場無料ながら申し込みが必要で、読売新聞オフィシャルサイトの「本よみうり堂」内ブログ「書店員のオススメ読書日記」9月28日付「「ミステリー小説講座」参加者募集」によれば申し込みの締切は10月5日でした。おっせーんだよばーか。知らんがな。

 読売の乱歩フォーラムといえば私は昨年10月1日に開催されたフォーラムには足を運び(「乱歩地獄」という映画が上映されておりました)、忘れもしません新宿ゴールデン街の幻影城というお店で夜明かしをしたあげく山手線の始発で置き引きに遭うというおまけまでつけてもらって魔都東京をあとにしたものでありましたが、今年のフォーラムが開かれるという10月14日にはじつは京都へ行こうかなと私は考えておりました。江戸川乱歩リファレンスブックの装幀をお願いしている戸田勝久さんの個展「旅の手紙」が開幕する日だからです。会場は京都市東山区古門前通大和大路東入元町のぎゃらりぃ思文閣、会期は22日までとのことで、これが本日のお知らせ二件目となります。

 よーし。とりあえず読売の乱歩フォーラムはスルーと決めるか。だいたいどこが乱歩フォーラムか。乱歩にはさして関係のない内容ではないか。2004年にはじまったと記憶するこの乱歩フォーラム、すでにして消化試合と化してしまった観が否めないように私は思う。しっかりしろ読売。

 お知らせ三件目。メールで教えていただいたのですが、「黒蜥蜴」と「陰獣」を合わせ技一本にした英訳本『Black Lizard and The Beast in the Shadows』が黒田藩プレスから刊行されました。オフィシャルサイトの紹介ページをどうぞ。

 さっそく Buy at Amazon いたしました。この本のことはイギリスのミステリ同人誌で紹介されていたそうなのですが、黒田藩プレスから「黒蜥蜴」の英訳が出ることはいつであったか掲示板「人外境だより」で大熊宏俊さんから教えていただいておりました。教えていただいてはおったのですがその後ぼんやりしておりまして、この『Black Lizard and The Beast in the Shadows』は今年1月に刊行されていたみたい。おっせーんだよばーか。知らんがな。

  本日のアップデート

 ▼2006年9月

 東京坂道散歩 冨田均

 こういう本が出たということを『路上派遊書日記』絶讃発売中、南陀楼綾繁さんのブログ「ナンダロウアヤシゲな日々」を閲覧していて知りましたので、東京の坂道と来ればまちがいなく団子坂が登場することであろう、冨田さんは『乱歩「東京地図」』の著者でもいらっしゃることだし、と踏んで躊躇することなく本屋さんに取り寄せてもらいました。

 もしかして団子坂で出てくるのは観潮楼かな、とふと思わないでもなかったのですが、悪い予感というのはかならずあやまたず的中してしまうもののようです。届いた本の目次で団子坂を探してみますと、そのタイトルは「海と富士山よね……」となっておる。「三人書房とD坂よね……」ではないのである。たらーっと冷や汗、みたいな感じでおおあわてでページをくってみれば案の定、そこに記されているのは森鴎外と森茉莉のことではありませんか。乱歩のらの字も見つかりません。

 くっそー、泣くに泣けんなと目次に戻り、今度は坂の名前ではなくそれぞれのタイトルを頭から順にたどってゆきますと、「明智探偵事務所」のお茶の水坂と「怪人二十面相を追って」の芋坂、乱歩がらみの坂をふたつも発見することができました。えらい得をしたような気分になりました。

 芋坂って何よ? とおっしゃる乱歩ファンも少なからずいらっしゃるものと推測されますゆえ、「怪人二十面相を追って」から少々。芋坂をまたぐ跨線橋が映画に出てきたという話題です。

 岡田英次が明智小五郎を演じた『少年探偵団・妖怪博士』(昭和三十二年・小林恒夫監督)の中のこと。怪人二十面相(南原伸二)が杖を突いて谷中へと渡る。それをおびき出されているとも知らずに探偵団の一人が追う。ハラハラドキドキの場面だ。

 『東京坂道散歩』に登場する坂は全部で百二十。著者の東京散歩は十代からのものとのことで、坂を主題にした東京案内というのはなかなか面白い試みだと思います。版元は東京新聞出版局、本体千と三百円。


 ■10月10日(火)
本日は立教大学公開講座のお知らせです

 きょうもまた、おっせーんだよばーか、とお叱りを頂戴するかもしれません。立教大学で開催されつつある乱歩イベントのお知らせです。立教大学と豊島区の主催による公開講座「〈乱歩〉大衆文化成立の観点から」が9月から12月まで月一度ずつ催されております。私はぼんやりしていてまったく知らなんだのですけれど、ご親切にメールでお知らせくださった方がありました。

 まずは豊島区オフィシャルサイトの紹介ページをどうぞ。

 第一回講座はすでに終了しており、この酔っぱらいW先生(ここでW先生の名誉のためにひとこと説明を加えておきますと、W先生イコール酔っぱらいであるというわけでは全然ありません。私が以前、ただ一度のことではあるのですが、W先生から「この酔っぱらい」ときついお叱りを頂戴してしまったというだけの話です)が「江戸のサブカルチャーから見る乱歩」というなんとも面白そうなタイトルで講師を担当していらっしゃいます。立教のサイトにレポートが掲載されるのを待ちたいと思います。

 この公開講座は立教大学文学部の創立百周年と江戸川乱歩記念大衆文化研究センターの開設を記念するもので、2007年の百周年へ向けて今年はこんな行事がくりひろげられております、という立教大学オフィシャルサイトの紹介ページをどうぞ。

 当サイトでも遅ればせながら「番犬情報」にPRを掲載いたしました。

  本日のアップデート

 ▼2005年11月

 バッハから銭形平次 藤倉四郎

 サブタイトルは「野村胡堂・あらえびすの一生」。二十五年にわたって野村胡堂・ハナ夫妻の知遇を受けた著者による胡堂の評伝です。

 乱歩の名は大正15年の「大衆文学」創刊あたりにまず見え、昭和25年に催された『幻影城』出版祝賀会の写真も収録されているのですが、ここには昭和38年4月14日、胡堂の通夜に列席した乱歩の姿を。

 講談社の萱原宏一が訪れる。車で聞いてそのまま駆けつけましたと言う。胡堂、お気に入りの編集者で、胡堂は「働き者ですよ」と誉めていた。その後、続々弔問客がつめかける。

 徳川夢声が長身をちぢめて入ってきた。通夜になり、青木謙幸、菅原明朗、野村光一などもみえる。捕物作家クラブの面々も訪れる。田部井石南夫妻も軽井沢から駆けつけた。胡堂の亡骸を眼にするなり、軍閥へのたぎりたつ血を燃焼させた反逆者、そして今、胡堂夫妻の擁護の下に画業に転換した豪の者が、両手で顔をおおって号泣する。その真実にもらい泣きする者もいた。

 通夜の席、指名されて江戸川乱歩が立った。

 大正末期に私が探偵小説を書きはじめましたときに、「新青年」に書いておりまして、どこからもまだ注文が来ないときに、最初に注文を受けたのが野村さんのやっておられた「写真報知」であります。野村さんはそのとき、顧問みたいな格で雑誌を見ておられたようであります。野村さんの意向によって私に注文がきたわけであります。そして「新青年」よりも倍の原稿料をもらいまして、これならやっていけると思った最初のきっかけがそれであります。(中略)野村さんのように、同じ主人公を使って何百篇というものを書いた例もないのであります。野村さんの小説は、(中略)シャーロック・ホームズなどから線を引いて、よく読まれたのであります。それさえも、六十何篇しか書かれておりません。野村さんはその十倍に近い量を書いておると思います。そういう意味でも、非常に世界的な希有の作家だと思うんであります。

 胡堂は江戸川乱歩の人柄を評して、「女学校の先生にしてもいい好人物」と褒めていた。

 版元は青蛙房、本体二千八百円。