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2006年12月上旬
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なーんか吉本隆明さんばりのタイトルになってしまいましたけど、名張にとって乱歩とは何か。名張まちなか再生プランがらみで少考してみたいと思います。 いまさら少考したって何になるのか、とお思いの方もいらっしゃることでしょう。それはたしかにそのとおり。昔をいまになすよしはなく、名張まちなか再生プランはもうぐだぐだの状態で実施に移されてしまうのであろうなと予測される次第ではあるのですが、それはそれとしてしかし二度とこんなことがあってはならない。税金の具体的なつかいみちがこんないい加減に決められていいわけがない。官民双方のうすらばかが密談によって名張のまちに重大な改変を加える、なんてことが容認されていいわけがないではないか。それをこうしてしつこく指摘しておけば名張市の今後に何かしら裨益するところがあるのではないかしらと、私はそれを信じて疑いません。しかしまあ、いつまでたってもおなじようなことがくり返されるだけかもしれませんけど。 さてお立ち会い。名張まちなか再生プラン関係者のみなさんや。私のパブリックコメントに眼を通していただけましたでしょうか。 私だってパブリックコメントを提出するなどという面倒なことはしたくなかった。プランをまとめた名張地区既成市街地再生計画策定委員会が策定の過程で名張市立図書館に足を運び、歴史資料ならびに乱歩資料のプロパーたる図書館の意見に素直に耳を傾けていさえすれば、私のパブリックコメントなんておそらくは必要なかったはずなのである。 しかしプランをまとめるにあたって当然要求されるであろうそんな作業も放棄して、ごく適当に歴史資料館がどうのこうのとうわっつらのことだけでプランが策定されてしまったから私は怒った。激怒した。何なんだこのブランは、と思った。地域への愛着が感じられない。愛着の前提となる深い理解が存在していない。地域住民の生活という重要な要素が欠落している。歴史資料もないのに歴史資料館をつくるのはおかしい。桝田医院第二病棟のことが盛り込まれていないのはおかしい。名張のまちの再生がせいぜいコミュニティイベントのレベルでしか考えられていない。何なんだこのプランは。 私は激怒しながら歴史資料館と桝田医院第二病棟、この二点の問題を具体的に指摘し、批判し、対案を提示するパブリックコメントを提出したわけです。しかしいまから考えると、具体的なことと同時にもう少し本質的な問題にもふれておけばよかったのかもしれません。要するに、 ──名張にとって乱歩とは何か。 という問題です。もう少し意味を限定していえば、 ──名張のまちのアイデンティティの拠りどころとして、はたして乱歩は有効なのか。 ということです。 みなさん結局その点で苦労していらっしゃるのではないかしら。からくりのまちがどうのこうのと大騒ぎしてみたり、藪から棒にじつは名張は初瀬街道の宿場なのであってなどと口走ってみたり、それは要するにアイデンティティの拠りどころを手探りしているということなわけです。しかしからくりのまちなんてのはまったく根拠のないインチキにしかすぎず、初瀬街道などという珍しくもないものをとってつけたみたいにいきなりもちだしてみたところでさしたる意味はあるまいて。そしてこういった点にこそ、名張のまちのアイデンティティの揺らぎってやつが如実に示されているわけです。この揺らぎが尋常ならざるレベルにまで達すると、 「名張はエジプトでーす」 などと気のふれたようなことほざいてくれる市民が登場してくることにもなるわけなのですが、ことほどさように名張のまちをアイデンティファイするのは難しい。難事である。 名張まちなか再生プランの本質的な問題はまさしく、名張のまちのアイデンティティの拠りどころが明示されていないという点にあります。しかしそれも無理からぬ話なのであって、名張のまちにはこれといった特徴はありません。江戸期には陣屋町でもあり宿場町でもあり、つまりはまちの性格が曖昧で何から何まで中途半端。ですから名張のまちの再生を考えるにあたっては、新しい価値観にもとづいてアイデンティティの拠りどころを見つけることが必要になるでしょう。 その場合、乱歩という作家ははたして有効なのか。私は有効だと考えてそれをパブリックコメントに盛り込みました。たとえば、 ──名張はからくりのまちです。 といってみる。あるいは、これはパブリックコメントを提出した時点ではまだ語られていなかったことですけれど、 ──名張は初瀬街道の宿場町でした。 といってみる。しかしどっちもぱっとしません。からくりなんざいわずもがな、街道や宿場にしたって日本全国にごろごろしているではないか。 しかしこれが、 ──名張は江戸川乱歩の生誕地です。 といってみるとどうなるか。少なくともアイデンティファイは完璧でしょう。乱歩が生まれたまちは世界中を探したって名張だけです。しかもありがたいことに乱歩という作家の圧倒的なポピュラリティはどうよ。たとえば三重県のおとなり滋賀県出身の探偵作家を例にとり、 ──日野は甲賀三郎の生誕地です。 といってみたって多くの人に甲賀三郎って誰? と首をかしげられるのが落ちでしょうけれど、乱歩の場合はそうではあるまい。私は乱歩の名前を利用して名張のまちを有名にしたい、などと考えているわけではありませんが、それでも名張のまちのアイデンティティの拠りどころとして考えた場合、乱歩という作家のポピュラリティは何より得がたくありがたいものだと思わざるをえません。 げんに、と身近なところで例を探してみましょうか。まちBBSには「○名張市について書き込んでみましょう PART5○」というスレッドがあります。 スレ立ての第一声はごらんのとおり、 ──江戸川乱歩生誕の地名張。 いわゆる市民レベルにおいて、乱歩の名前が名張のアイデンティティの拠りどころとして使用されているわけです。商業レベルではどうでしょう。名張市観光協会の例のページを見てみましょう。 あいかわらず明治27年は西暦1895年のままなのですが、このページには名張市内で製造販売されているオリジナル商品の紹介があります。商品名と取扱店の名前をあげておきましょう。
このページは情報がやや古いようで、ここには載せられていませんが現在はこんな商品も登場しています。
そういえば、御菓子司星安はもう「幻影だんご」はつくってないのではないのかな。この星安は毎月7日と8日の二日だけ、名張のまちにある空き家を利用して菓子販売の店舗を開いているのですが、私は先月高校の授業で教え子たちをひきつれてその店に行きました。名張のまちにおける商業の盛衰消長や自分はどうして名張まちなかで月二日だけ店をオープンしているのかといったことをテーマに、星安の社長が鯛焼きを焼きながら生徒にいろいろとおはなしをしてくれたのですが、そのとき聞いたかぎりでは星安の乱歩関連商品は酒ゼリー「幻影城」だけであったと記憶します。 ところでこの星安の社長というのは誰なのかというと、忘れもしません昨年10月1日のこと、上京して立教大学で「乱歩地獄」という映画の試写に立ち会い、そのあと新宿ゴールデン街の幻影城というお店で夜を明かして10月2日、山手線の始発に乗ってうっかり居眠りしてしまったすきにバッグを置き引きされてしまい、一円のお金もなくなって新橋駅前交番で千円札を一枚だけ貸してもらってふらふらとたどりついたのが池袋西口広場。ずらりと並んだテントのひとつで背中に「名張」と染め抜いたはっぴを着てお菓子を売っていたのがこの星安の社長でした。いやあのときは世話になったな。 話題がそれてしまいました。あすにつづきます。
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きのうのつづきです。 名張市観光協会オフィシャルサイトの情報にいささかの訂正を加えて再掲いたしますが、名張のまちでは乱歩にちなんでこんなお菓子とお酒が販売されております。
ビジネスの話です。ややおおげさにいいますと、お菓子屋さんや酒屋さんの浮沈がかかった話です。洒落や冗談でこんな商品が開発されたわけではありません。地域にちなんだ新商品をさまざまに手探りした結果、これらの商業者はそれぞれ乱歩にたどりついたということでしょう。行政サイドあるいは商工会議所サイドからアドバイスがあったとも思えません。つまりこれらの商品は、乱歩という作家が名張のまちのアイデンティティの拠りどころとして機能していることを証明しているわけです。商業者の主体的な判断によって、それが証明されているわけです。 ほかに何もない、という事情もあるでしょう。名張には乱歩のほかに全国に名を知られた表象のようなものが何もありません。先月30日に弁護団側から最終意見書が提出され、あとはいよいよ異議審の決定を待つばかりとなった名張毒ぶどう酒事件がいくら全国に名を馳せているからといって、純米吟醸ニッカリンTだの名張冤罪饅頭だのを製造販売できる道理がありません。何を不謹慎なこといってるんだか。 もっと大きな都市ならこんなこともないでしょう。たとえば探偵作家を例にあげてみることにして、 ──神戸は横溝正史の生誕地です。 といってみたところでさしたる意味はないでしょう。神戸に縁の深い文学者なんてごろごろしております。横溝などという探偵作家風情をいちいちもちだすな、という人だって出てくるでしょう。げんに今月4日にオープンすると聞き及ぶ神戸文学館では秋田県出身の石川達三が、なんてったって第一回芥川賞受賞者であらせられるのだからな、ということなのか神戸ゆかりの作家としてなぜか優遇されているらしく、ほかにもなにしろ神戸なんですから稲垣足穂を筆頭に、いやしかし足穂も生まれは大阪か、ならば西東三鬼がいるではないか、いやあれも出身は岡山県であったか、とにかく神戸ゆかりの文学者なんて目白押しの目黒引き、生粋の神戸っ子であった横溝正史なんてかえって影が薄いくらいだとも伝えられる次第です。 しかし名張には乱歩しかいません。乱歩ひとすじ、乱歩一直線、乱歩まっしぐらでいいわけです。しかもその乱歩が、きのうも記しましたとおり圧倒的なポピュラリティをば有している。石川達三の芥川賞受賞作品「蒼氓」はいま文庫本で手軽に読むことはできませんが、乱歩作品なら文庫本の全集が新刊でいとも簡単に手に入ります。 つまりはきのうのつづきなのですが、乱歩は名張のまちにおけるアイデンティティの拠りどころとして有効かどうかという問題。それを身近な例から少考してみますと、まず市民レベルでは── それから商業レベルでは── わずかこれだけの例ではありますけれど、乱歩の名前の有効性を認識し、それを利用し証明している市民や商業者が存在しているということになります。 私のパブリックコメントもまた、乱歩が名張のまちのアイデンティティの拠りどころになるであろうとの判断に立ったものでした。ただし念のために記しておくならば、私はパブリックコメントに書いたことをどうあっても実現してほしいなどとは考えておりません。私のコメントは乱歩を手がかりにして名張のまちの再生を考えるシミュレーションであり、いやいやそれ以前にあの名張まちなか再生プランがどうにも出来の悪いしろものだったものですから、プランを策定するのならもう少し真面目にやってくれ、真剣にやれというのだ、うわっつらだけでなくもっと本質的な問題に眼を向けぬか、といういわば見本のようなものとして提出したものですから実現性はあくまでも副次的な問題です。 それで結局あの名張まちなか再生プランはどうなるのか。プランに勝手に変更が加えられたあげく、細川邸の整備と桝田医院第二病棟の活用がいったいどうなるのか、いまもって市民にはいっさい知らされることがない。どころか、名張まちなか再生委員会の事務局で尋ねてみてもはっきりしたことはわからない。ひどいというしかない状況である。だから住民説明会のひとつも開いて正直なところを打ち明けてみろと私はいうのだ。そうでもしないと関係者は安んじて新年を迎えることもできぬのではないか。いやまあ、そこまで主体的に責任をもってプランに携わっている関係者はおらんのかもしれぬが。 それにしたって細川邸はともかく、桝田医院第二病棟の活用策は難問であろうな。暗礁に乗りあげているのであろうな。わしゃ知らん、と何度もいっておるようにわしゃもう知らん。しかしこれも何度もいってるとおり、よほど思案にあまることがあるのであれば話くらいは聞いてやらぬでもないのだぞ。名張市立図書館のどの蔵書をミステリー文庫にまわせばいいのか、みたいなうわっつらのことで眼を白黒させてなんかいないで、考えなければならないことを考えなさい。もっと頭をつかいなさい。名張のまちの再生と乱歩をどう関係づけるのか、関係づけないのか、いやいや、桝田医院第二病棟は乱歩に関連させて活用するのが前提なのであるから名張のまちの再生と乱歩とはぜひとも関係させなければならぬのであろうが、とにかくそういった本質的なテーマについて、関係者からいくらでも話を聞いてやろうと私はいっておるのだ。ありがたいとは思わんのか。 ですからもう誰でもいいからちっとは胸襟を開いてみませんか。名張まちなか再生プラン関係者のみなさんやーい。いつまでも私からうすらばか呼ばわりされてるのも大変なんじゃないんですかー。それはそれとして、プラン関係各位におかれましてはどうぞよいお年をお迎えくださいますよう。
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続々、となりました。 名張にとって乱歩とは何か。 やや本質的な話をさらにつづけることにいたしますが、名張にとって乱歩とは何かという設問に対していま、まさしくいま、明快な回答が求められているわけです。これまでずーっとほったらかしだったこの設問に、名張市はとうとう答えを出さなければならなくなった。 もちろん、名張にとって乱歩とは自己宣伝の素材なのである、みたいな程度のことは名張市もやってこなかったわけではない。しかしそんなのはろくに乱歩作品も読んでない連中が例によって例のごとく、 「わはははははは明智君。わはははははは明智君。わはははははは明智君。わはははははは明智君。わはははははは明智君」 と白痴のごとく浮かれ騒ぐ以上のものではなかった。こーのお調子者がまたあー、とツッコミを入れる気さえ失せてしまうものでしかなかった。 私はいつもいつももうばかみたいにおなじことをいってるわけなのですが、乱歩を名張市の自己宣伝に利用するのは全然OKである。好きなだけ利用活用すればよろしい。ただしそのためには乱歩というのがどんな作家であったのか、どんな作品を書いたのか、そのあたりをよく理解しなければ話はいっこうにはじまらない。げんに結果として何もはじまってはおりません。せっかくの素材なのにそれをうまく利用活用することができない。自己宣伝としてまったく有効ではないわけね。つねにうわっつらのことだけで終わってしまう。 「わはははははは明智君。わはははははは明智君。わはははははは明智君。わはははははは明智君。わはははははは明智君」 こんなことばっかいってるわけです。つまりは── こんなことばっかだったわけなのであり、その実態はというと── こんなことであるわけなのであって(しかしいまでもこの写真を見ると笑えてくるというのがなんとも凄い)、結局どういうことなのかというと──
こんなようなことなのであるというしかなく、端的な結論としてはこんな感じになってしまうわけです。
ばかかこらうすらばかども。しまいにゃはったおすぞこのくるくるぱーども。そのうちバルサンで退治してやろうかというのだこの官民双方における地域社会の害虫どもめが。 あーやだやだ、うすらばかだのくるくるぱーだの害虫だののお相手はほんともうやだ、とか思いながらもつづけますけど、言葉をかえていえばこれが最後のチャンスでしょう。名張にとって乱歩とは何か。英知を結集していまそれを考えなければ、二度と機会はないでしょう。これは天が与えたもうた千載一遇の好機であるに相違ない。この機を逸することなく今度こそ本気で真剣に乱歩のことを考えなければ、ほんっともうだめよ名張市。 名張にとって乱歩とは何か。名張のまちのアイデンティティの拠りどころになる可能性を秘めた素材である。おとといきのうと見たとおり、そうした認識に立つ市民や商業者はげんに存在している。いくらからくりだ街道だといいつのってみたところで、大吟醸からくりのまちをつくってる酒屋さんもなければ初瀬街道ワッフルをつくってるお菓子屋さんもない。そんなものはアイデンティティの拠りどころとして機能しないというのが商業者のシビアな判断なのである。 そしてまさしく千載一遇なわけなのね。名張市は乱歩生誕地碑のある桝田医院第二病棟を所有者の方から寄贈していただきました。乱歩に関連して活用してくれというたいへんありがたいおはなしだったわけです。うわっつらだけのイベントや絵を描いた看板一枚の話ならともかく、寄贈された土地と建物を利用して何かしら形のあるものをつくるわけなんですから、こうなったら四の五のいわず乱歩という作家に正面から向き合わなければならない。乱歩がどんな作家であり、どんな作品を書いたのか、それをよく知ったうえで名張にとって乱歩とは何か、それをじっくり考えなければならない。そのための千載一遇の好機が訪れたわけなのよ。 それがどうなったか。 名張地区既成市街地再生計画策定委員会のうすらばかどもは何もしなかった。名張まちなか再生プランを策定している最中に土地の寄贈を受けたにもかかわらず、連中はそれをいっさい無視してプランに盛り込もうとしなかった。ばかかこら名張地区既成市街地再生計画策定委員会のうすらばかども。 つづいてどうなったか。 名張まちなか再生委員会のうすらばかどもはプランに盛り込まれていない桝田医院第二病棟の活用策を勝手に検討し、乱歩文学館がどうのミステリー文庫がこうのとない知恵をしぼったあげくどちらの構想もどうやら暗礁に乗りあげたとおぼしい。ばかかこら名張まちなか再生委員会のうすらばかども。おまえら乱歩のらの字もミステリーのみの字も知らぬくせしてよくも検討などというごたいそうなことがはじめられたものだな。うっかり感心してしまいます。 それにしてもどいつもこいつもいったい何をやっておるのか。情けなさのあまり涙が出そうになる私。 だからいまさらいうのもあれなのですが、名張まちなか再生プランに対して提出したパブリックコメントでもう少し本質的なことにもふれておけばよかった。名張にとって乱歩とは何か。長くほったらかしにしてきたそのテーマに名張市は桝田医院第二病棟の寄贈を契機としてがっぷり四つに組まねばならない。名張まちなか再生プランの枠を超えて名張にとって乱歩とは何か、それをしっかり考えなければならない。いまを逃すとこんな好機は二度と訪れないのである。 そういったことを明確に指摘しておくべきであったかなといまになって私は思っているわけなのですが、あるいは手遅れなのかしら。ならばどうなるのか。どうもなりはしない。何もできない。先日の伝言にも記したことなれど、桝田医院第二病棟の「幻影城」と刻まれた乱歩生誕地碑の横にもうひとつ碑を建てておくしかないであろう。碑文は先日の文面を無償でそのままつかわせてやるから心配するな。こんな感じである。 名張にとって乱歩とは何か。 まさしくいま、名張市はこの設問に対する明快な回答を求められている状態です。はっきりとした答えを出さなければなりません。もしかしたらそれを考える好機はすでに失われてしまっているのかもしれず、どうもそんなようなっぽい感じもいたしますけれど、実際のところはさてどうなんでしょうか。 名張にとって乱歩とは何か。 さあどうよ名張市。名張まちなか再生プランの枠を超えてどうよ。
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続々々、となってしまいました。本日でひとまず完、ということにいたします。 名張にとって乱歩とは何か。 さあどうよ、といってみたってどうにもならぬか。 いくらどうよと働きかけてもうんともすんとも反応がない。死人のように反応がない。たとえば私は本年6月の26日、名張まちなか再生委員会の事務局にお邪魔してもうみなさんの委員会とはお別れなのであるが、と宣言してきました。そのときのことを6月29日付伝言から引いておきます。
私はもう十年以上もこんなことばっかいってるわけです。機会があれば名張市はどうよと働きかけておりますものの、反応というやつがかすかな谺ほどにも返ってこない。おーい。呼べど答えず。いとけない幼稚園児のようにおなじ場所でぐるぐるぐるぐる堂々めぐりをしている観が自分でも否めないのではあるけれど、上の引用のポイントはここである。
名張市が誕生してからもう五十年以上が経過する。その間ずっと、ずっとずーっと名張市は乱歩にかんして無策無能でありつづけた。それどころか、乱歩生誕地碑の周辺に狸が出没し、土地所有者が碑の周囲に緑色のネットを張りめぐらすという事態にいたってもいっこうに知らん顔であった。ネットというのはこれですけど(2003年9月撮影)。 ネットに貼られた紙には何が書かれてあったのか。
2003年9月4日付伝言から引いておきましょう。
そろそろつけを払わなければならぬ。長きにわたる過去の怠慢と無策無能とを名張市はいまこそきれいに清算しなければならぬ。桝田医院第二病棟の寄贈を契機として、それはもうどうあっても乱歩のことを真剣に考えなければならぬのである。名張のまちに生まれた乱歩という作家とどう向き合ってゆくのか。名張のまちの再生に乱歩をどう関連づけるのか。乱歩のことにどんなふうに税金をつかってゆくのか。その方向性をくっきりと明示しなければならぬ。 それが現実にはどうであるのか。ご町内感覚となあなあ体質をフルスロットルにしたみなさんがろくに乱歩のことも知らないくせして乱歩文学館をつくろうと口走り、それが無理っぽくなったら今度はミステリー文庫でどうだとうそぶきやがる。何なんだこのざまは。うわっつらのことすらすんなりとは進んでおらぬではないか。むろんできまい。できまいて。不勉強無教養不見識無責任なみなさんにいったい何ができようものか。 だからもうこれしかありません。 うわっつらだけの妙なものはつくるな。その場しのぎの弥縫策に走るな。乱歩文学館であれミステリー文庫であれ、そんなものつくっていったいどうしたいの、何がしたいというの、と訊いてみたって関係者のおつむのなかではそんなことはかけらも考えられておらぬのであろう。乱歩に関係のあるハコモノつくったらそれでおしまいという頭しかないのであろう。要するにそこらのうすらばかどもが悪あがきして体裁をとりつくろうだけの話ではないか。そういうのが一番いけない。愚の骨頂というしかない。このうわっつらばかのその場しのぎばかの弥縫策ばかの悪あがきばかの体裁ばかのとりつくろいばかの愚の骨頂ばか。おまえらばかはそろそろ冬眠に入れ。寝言は寝てからいうものだ。 そんなわけにはまいりませんというのであれば、 ──名張にとって乱歩とは何か。 それを考えることからはじめてみろ。上の引用にもあるとおり、 ──名張市が悔い改めて乱歩のことを本気で考えたいというのであれば、そのための助言やアドバイスを惜しむつもりは毛頭ない。いつでも訪ねてこられよ。あらあらかしこ。 と私は高らかに宣言してある。名張まちなか再生委員会のことなんかどうだっていいのだが、自分が生まれ育った名張のまちや乱歩ならびに乱歩を愛するすべての人のためには微力を尽くしたいと思っていないわけでもない私である。げんにこれを見なさい。 三重県立名張高等学校謹製の「名張まちなかナビ」、サブタイトルは、 「ナビゲーターは江戸川乱歩 o(^∇^)o」 というしろものなのであるけれど、高校生をだしにして、いやそんなことは全然ないのですけれど、名張のまちを舞台にした校外学習の鬼と化しながら自分の能力と立場に応じて私は私なりに名張のまちと乱歩のために本分を尽くしているのである。偉そうなことをいうようではあるけれど、こうした人間のいうことは素直に聴いてみるものである。 それができぬか。できぬのならばほんとにこれだぞ。 あらあらかしこ。
ここでお知らせです。三重県立名張高等学校は後期中間考査(名張高校は二学期制となっておりますのでこの時期にこんな試験があるわけです)に入っておりますので、私のあしたの授業はお休みです。 そんなことはどうだっていいのですが、この名張人外境もあす5日から一週間、アップデートをお休みいたします。この次の更新は12月12日の予定です。 それからなんだかひどいことになっている掲示板「人外境だより」の件ですが、プロバイダに問い合わせたところ、 「掲示板のファイル名を変更するしか今のところ解決策がありません」 との助言が届きました。ちょっといじくってはみたのですが、結局のところ「掲示板のファイル名を変更する」というのがどういうことなのか私にはもうひとつよくわからなかった。うーん、ばか。恥をしのんでプロバイダに再度問い合わせておりますので、そのうちなんとかなるでしょう。 それからもうひとつ。名張まちなか再生プランといいますか、乱歩文学館といいますか、ミステリー文庫といいますか、細川邸といいますか、あるいはもう名張市といってしまいますか、そこらの関係者の方にはあしたから一週間のお休み中もひろく門戸を開放いたします。お気軽にご連絡ください。 |