2007年5月下旬
21日 番犬永眠
24日 更新再開
25日 リハビリ二日目
28日 月曜日の朝に
RAMPO Up-To-Date 江戸川乱歩と13の宝石 ミステリー文学資料館
29日 他人の官能
江戸川乱歩年譜集成 『探偵趣味』発行につき御依頼 貼雑年譜
30日 ぱんぱかぱーんリターンズ
RAMPO Up-To-Date 乱歩と名古屋 小松史生子
31日 てんやわんや議事録2005
RAMPO Up-To-Date 金沢の伝統的街並み、銀幕発世界へ
 ■5月21日(月)
番犬永眠 

 またご無沙汰してしまいました。

 本日未明、名張人外境番犬、ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギンが永眠いたしました。十三歳と十か月でした。生前のご厚誼にお礼を申しあげます。

 それでは。


 ■5月24日(木)
更新再開 

 さて、犬が死んだからといっていつまでもぐすぐす泣いてはいられません。サイトの更新をゆるゆる再開したいと思います。

 それでも犬の話になってしまうのですが、おとといの朝、名張市滝之原にある市営斎場で犬の遺体を荼毘に付しました。斎場には小動物専用の受付というのがあって、そこに入るとまず遺体の重さが計量されます。小動物の斎場使用料が体重別に設定されているからです。収骨の有無、つまり骨をもらって帰るかただ焼いてもらうだけかによっても料金に差があるのですが、私の場合は遺骨を庭に埋めてやりますので収骨あり。使用料は収骨なしの倍額となります。体重十キロから三十キロまでの犬なら収骨ありで使用料は六千円、これが三十キロを超えると一万円に跳ねあがってしまうのですが、近所のホームセンターでもらってきた大きな段ボール箱ごと遺体をはかりにのせてみると、デジタル表示は三十キロを何百グラムか超過した数値を示しました。

 かまわん。一万だろうが二万だろうがいくらでも出してやる。そんな決意をかためていると、横に立っていた斎場のスタッフが、

 「あの、一キロは引かせていただきますので、段ボールの重さがありますので、この重量から一キロ引きますので」

 三十キロ未満の扱いになりました。六千円で済むのならそれに越したことはない。それにしてもぎりぎり三十キロ未満で永眠するとは、死んだあとまで飼い主思いの犬ではないか。

 それで一時間ほど待っていると、遺体は真っ白な骨になります。用意していった骨壺、といってもそこらにあったただの蓋つきの陶器なのですが、その壺に入るだけの骨を入れて外に出ると、空はくっきりと晴れている。鶯がしきりに鳴いている。ばかみたいにいいお天気で、なんだか猛烈な勢いで腹が減ってきたような気がする。

 そのあとは家に帰って庭の隅をスコップで掘り返し、金槌とバールとペンチで犬小屋をばらばらに分解し、合間にははずせない用事で外出し、それでも夕刻には骨壺を埋めた小さな墓が完成して、私は缶ビールを二本、つづけて飲み干しました。ここ十日あまりの犬をめぐる大騒ぎをぼんやりと思い返しながら。


 ■5月25日(金)
リハビリ二日目 

 サイト更新のリハビリテーションも二日目を迎えました。朝から雨になりました。あんまり無理しないで、きょうはこれくらいにしとくか。


 ■5月28日(月)
月曜日の朝に 

 まためぐりきた月曜日。本年度の私は毎週月曜の朝、地域の名門三重県立名張高等学校でマスコミ論の教鞭を執ることになっているのですが、先週は正直つらかった。犬が死んだおよそ七時間後には教壇に立っていなければならず、授業中にいきなり泣けてきたりしたらどうしようとか思いながら学校に行ったのですが、さすがにそんなことはなくてまあよかった。その前の週もひどかった。日曜の夜から月曜の朝にかけて睡眠時間を大幅に削って犬の世話をしておりましたので、教え子を前に話をしていてもどうにもふらふらする。ああ、これは二日酔いだと授業中にようやく気がついたのですが、考えてみれば犬の世話をしながらずーっとウイスキーを飲みつづけていたのですから、手ひどい二日酔いになるのも無理はありません。ていうか、授業中にはまだ完全に酔っていたのではないか。

 それにひきかえきょうはすっきり。ひさかたぶりにおだやかな月曜だという気がいたします。

関連書籍
江戸川乱歩と13の宝石 ミステリー文学資料館
5月20日 光文社 光文社文庫
編:ミステリー文学資料館 編集委員:新保博久 監修:ミステリー文学資料館、権田萬治、山前譲
飾燈 日影丈吉
 
RUBRIC イルミネーションの郷愁 R(初出:宝石 昭和32年8月号)
詫び証文 火野葦平
 
RUBRIC 然諾 R(初出:宝石 昭和33年1月号)
手紙 宮野村子
 
RUBRIC 運命の悲劇 R(初出:宝石 昭和33年1月号)
銀の匙 鷲尾三郎
 
RUBRIC R(初出:宝石 昭和33年6月号)
ラ・クカラチャ 高城高
 
RUBRIC R/高城さんの略歴 R(初出:宝石 昭和33年7月号)
歌姫委託殺人事件 あれこれ始末書 徳川夢声
 
RUBRIC R/「あれこれ始末書」について R(初出:宝石 昭和33年9月号)
 山田風太郎
 
RUBRIC R(初出:宝石 昭和33年10月号)
処刑 星新一
 
RUBRIC R(初出:宝石 昭和34年2月号)
リヤン王の明察 小沼丹
 
RUBRIC R(初出:宝石 昭和34年4月号)
玩物の果てに 久能啓二
 
RUBRIC 江戸川乱歩(初出:宝石 昭和34年10月号)
みのむし 香山滋
 
RUBRIC R(初出:宝石 昭和35年3月号)
鼠はにっこりこ 飛鳥高
 
RUBRIC初出:宝石 昭和35年10月号)
薔薇夫人 江戸川乱歩
解題 雑誌「宝石」と江戸川乱歩 新保博久
 光文社文庫の話題の新刊。話題の、ったって乱歩ファンのあいだで話題になっただけかもしれませんが、

 ──乱歩の未発表小説、「薔薇夫人」を初収録!

 と帯に謳われているとおり、乱歩編集の「宝石」に掲載された短篇十二篇プラス乱歩の未発表作品という一冊。新保博久さんの解題によれば「薔薇夫人」は、

 ──「宝石」のために「畸形の天女」を書く前に用意していたが、結局は放棄した「薔薇夫人」の書きかけ草稿が一部欠落ながら残っていた

 とのこと。ただし草稿には乱歩の手跡で、

 「これはよした」

 と書き込まれているそうで、新保さんもお書きのとおりこうした断片を公にするのは乱歩にとって不本意なことではありましょうけれど、乱歩のファンにとってはこれもまた一顆の「宝石」であることは論を俟ちません。

 それでは「薔薇夫人」から少々。

 暮れてゆく海と空を、うつろに眺めていると、またあの幻が浮かんで来た。空いっぱいの裸の女、西洋の絵にある聖母と似ているが、どこかちがう。もっと美しくなまめかしい。情慾に光りかがやいている。青年は、あの美しい女に呑まれたいと思った。鯨に呑まれるように、腹の中へ呑まれたいと思った。
 本当をいうと、彼は少年時代から、この幻想に憑かれていた。夢にもよく見た。中学校の集団旅行で、奈良の大仏を見たときには、恍惚として目がくらみそうになった。鎌倉の大仏はもっと実感的であった。あの体内へはいった時の気持が忘れられないで、ただそれだけのために、三度も四度も鎌倉へ行ったほどだ。あの中に住んでいられたら、どんなによかろうと思った。
 「いよいよ、おれもせっぱつまったなあ。自殺する時が来たのかな」

 うーん、これはなあ、みたいな話はまたあした。


 ■5月29日(火)
他人の官能 

 『江戸川乱歩と13の宝石』に収録された乱歩の「薔薇夫人」、読み進めながらなんか『探偵小説四十年』みたいだなという感想を抱きました。『探偵小説四十年』の大正14年あたりにどこか似ている。眼につくままに引くならば、大正14年度の記述には「今少しも記憶がない」「記録が残っていないのでウロ覚えだ」「すっかり忘れている」「今は忘れてしまった」といったフレーズが散見され、つまり乱歩はとてももどかしそうに自分の記憶を手探りしています。5月7日付伝言に記しましたとおり、「大正14年や15年あたりのこととなると、乱歩はなかば他人の自伝を書いているようなもどかしさをおぼえつつ筆を進めていたのではなかったか」といった印象なのですが、似たようなことは「薔薇夫人」にも感じられて、乱歩はまるで他人の官能を描写しているように見受けられます。他人というのは若いころの自分ということなのですが、かつては身近だったはずの官能がまるで他人のように乱歩から遠ざかってしまっていたのではないか。きのう引用した「空いっぱいの裸の女」、青年が「あの美しい女に呑まれたい」「鯨に呑まれるように、腹の中へ呑まれたい」と思ってしまう幻影の女もどこか借りものめいたイメージで、ありていにいってしまえば胎内願望という用語から出発した机上の官能でしかないように思われます。うーん、これはなあ。「薔薇夫人」を書き進めながら、乱歩はやはりどうしようもないもどかしさをおぼえていたのではなかったでしょうか。

 「いよいよ、おれもせっぱつまったなあ。自殺する時が来たのかな」

 という青年の独白は、言葉とはうらはらにまったくせっぱつまってなどいない印象で、もしかしたら乱歩にとって死というものもまた、青年時代よりはるかに遠い地点に後退していたのではないかとさえ推測される次第です。

 8月25日 火曜日
乱歩、苦楽園ホテルで開かれた探偵趣味の会の会合に出席する。機関誌「探偵趣味」の発刊が決まる。
〇五九 乱歩書簡 八月二十六日
江戸川乱歩 
 取急ぎ申上げます。昨夜芝東園ホテルで小集を催し、会費は改めず、「サンデーニユース」は毎週続け、外に菊三十余頁の「探偵趣味」を発行することに取りきめました。ポイント四段組みで充分つめ込みますから、原稿紙百枚以上這入ります。紙は厚手のラフを使ひ、体裁よく致します。
 で、これまでの経過報告を兼ね、右発行のことと、会費徴収のことを書いた依頼状を印刷しました。明日は出来る筈です。この依頼状の連名十八名の内に先生の御名前も入れて置きました。専断の点は不悪御了承下さいませ。
註記 「芝東園」は正しくは「苦楽園」
初出・底本 
子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日
『貼雑年譜』に依頼状のスクラップがある。
貼雑年譜
大正十四年度 
 乱歩の書き込み
 大正十四年八月
 依頼状
 [タイトル]
 『探偵趣味』発行につき御依頼
 [本文の抜粋]
 探偵趣味の会を始めてから、早いもので、五ケ月になります。此の間、大阪では毎月会合を開いて、講話だとか活動写真だとか面白い催しを続けて居りますが、他地方の会員諸君には、『サンデーニユース』を数回お送りしたばかり故、これでは会としての意味を為さぬとか、会費が高すぎるとか、色々議論もある様です。
 これに対しては、大阪のプラトン社から、『ストーリイ』といふ探偵専門雑誌を出して、それに会員の作品を発表し又会の報告をものせ、会員には無料配布の予定で、同社でも已に、各方面に原稿を依頼し、紙まで註文して、もう発行するばかりになつてゐたのですが、残念なことには、ある事情の為に、当分その発行を見合せなければならぬ仕儀となりました。その代りに、同社では前から発行してゐる『苦楽』の相当頁を割いて、毎号探偵小説をのせることになつてゐるのですが、『苦楽』を会員に配布するのは稍不適当と思はれますので、同誌には、単に会員の作品を発表して行くに止め、別に純機関雑誌『探偵趣味』を発行することに、我々の間で話を極めました。
初出 貼雑年譜 江戸川乱歩推理文庫特別補巻 講談社 1989年7月25日
底本 
貼雑年譜 第一分冊 東京創元社 2001年3月16日
 「江戸川乱歩年譜集成」の作業もリハビリ気味に再開しました。

 『貼雑年譜』を眺めていたら大正14年1月の上京時、二山久や本位田準一にも会っていたという記述がありましたので、そのあたりも追記しておきました。


 ■5月30日(水)
ぱんぱかぱーんリターンズ 

 リハビリテーションも順調に進んでそろそろ本復かといったところまでまいりましたが、ふと気がつけばぱんぱかぱーんがどこかへ行ってしまっておりました。手許のぱんぱかぱーん資料を確認しておきましょう。名張市に対して公文書公開請求を行い、コピーを入手した公文書二点です。

 ──名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの平成17・18両年度議事録のうち、細川邸の整備にかかわりのあるすべての文書

 この請求に対しては5月9日、A4サイズ十三ページ分の文書が公開されました。費用は百三十円。もうひとつ、

 ──名張まちなか再生委員会の平成18年度予算執行実績のうち「(測試)名張まちづくり塾」に関する文書のうち完了報告書に該当するもの

 こちらに対しては5月15日、A4サイズ百三十七ページ分の文書を入手しました。費用は千三百七十円。5月15日といえば犬の世話で大騒ぎしていた最中でしたから、名張市役所に赴いてコピーを受け取ってはきたもののとてもそれどころではなく、以来いまにいたるもまったく眼を通せておりません。

 歴史拠点整備プロジェクトの議事録も最初の二ページを走り読みした程度で、どちらの文書もこれからじっくり精読したいなと思っているところなのですが、とりあえず議事録のほうは当サイト「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」のページに転載してゆくことにいたします。市民の立場で名張市の情報公開をお手伝いしようという寸法です。

 それで本日は2005年7月に開かれた二回の会合の議事録を転載いたしました。名張まちなか再生委員会の発足は2005年6月26日で、7月には4日と29日に歴史拠点整備プロジェクトの会合が開かれております。ここには「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」の2005年7月分をまとめて転載してみましょう。

7月1日、不肖サンデー名張市役所建設部都市計画室にお邪魔して、名張まちなか再生プランならびに名張まちなか再生委員会のことをいろいろお訊きしました。設立総会で配付された資料と委員名簿を頂戴しました。細川邸の整備は歴史拠点整備プロジェクトが担当するとのことでしたので、右のリンク先「再生整備プロジェクト会則」の、
(意見聴取)
第5条 チーフは、必要があるときは、構成員以外の者の出席を求めて意見を聴くことができる。
 という条項にもとづき、乱歩に関する基礎的な知識をプロジェクトのメンバーにレクチャーする場を設けていただくようお願いしました。

7月4日、名張まちなか再生委員会の第一回歴史拠点整備プロジェクトが開会されました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した議事録から転載。
(1)開催の目的と協議事項
1. 目的
 当プロジェクトのサブチーフ・書記の決定と、今後の事業の進め方説明とこれに対する意見交換を行う。
2. 協議事項
 ・再生整備プロジェクトサブチーフ、書記の選出
 ・事業フローの考え方の説明
 ・事業フローの説明
 ・関係まちづくり団体・その他実施予定の活動に関する意見交換
(2)協議決定結果
1. 決定事項
 ・再生整備プロジェクトサブチーフは北村氏、書記は長川氏とした。
 ・細川邸、桝田医院別館第2病棟の利活用方針を検討するにあたって、法的・制度的・運営組織的・予算的な前提条件を次回提示する。
 ・桝田医院別館第2病棟から桝田医院を通り初瀬街道に出る通り抜け路地の活用に関して、再生整備プロジェクトから所有者にお願いする。
2. 課題その他
 ・細川邸の一部除却解体の時期を早めて、整地化した空地をイベントとして活用したい。このことの可能性(施設管理面・使用安全面等)に関して検討を行う必要がある。
 ・桝田医院別館第2病棟の利活用にあたっては、江戸川乱歩をテーマとする必要がある。
 ・まちなか全体の事業プロデュースが必要。

7月10日、名張市の市民公益活動実践事業のひとつとして市民団体「写したくなる町名張をつくる会」が細川邸の裏にスフィンクスとピラミッドの絵を掲げました。

7月15日、名張市観光協会の「なばり夏の観光キャンペーン」の一環として名張市議会議員二十人が怪人二十面相に扮し、大阪・道頓堀で名張への来訪を呼びかけました。

7月20日、不肖サンデー名張市議会事務局にメールを送り、乱歩に関する基礎的な知識を市議会議員にレクチャーする場を設けていただくようお願いしました。

7月29日、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの第二回会合が名張市役所で開かれました。7月1日に不肖サンデーが申し入れた乱歩に関するレクチャーのことが検討され、
 「現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない」
 との結論が出されました。
 名張市に対する公文書公開請求によって入手した議事録から転載。
(1)開催の目的と協議事項
1. 目的
 細川邸の現況を把握し、利活用の考え方を協議する。
2. 協議事項
 ・細川邸の現況と利活用の考え方
 ・全国事例の紹介
 ・細川邸、桝田医院第2病棟跡地利活用にあたっての協議
(2)協議決定結果
1. 決定事項
 ・細川邸は、歴史資料館ではなく“(仮称)初瀬街道からくり館”を基本テーマとする。
 ・細川邸の利活用に関しては、歴史的意義のある母屋・石庭・中蔵を残し、破損度の高いその他の建物は除却解体する。
 ・新町側に関しては、まちなみ(風情)を継承していくこともふまえ、利活用方針を検討する。
 ・敷地廻りは地場産材を活用した木塀を設ける。
 ・余った敷地には当面常設的な施設は設けず、仮設的な施設を設けソフト事業を展開しながら、利活用方針を検討していく。
 ・母屋・蔵・中庭を残しつつ、トイレ整備の新設も想定し、“(仮称)初瀬街道からくり館”としてのコンセプトや整備方針を検討する。
 ・施設の維持管理・運営は、運営資金捻出方法も含めて、ソフト事業展開しながら検討していく。
 ・桝田医院第2病棟については、乱歩生誕地碑を残し(敷地内移設は可)、既存建物は撤去したうえ、(仮称)乱歩資料館を整備する。
 ・あわせて、江戸川乱歩の生家復元の可能性についても検討していく。
 ・名張図書館の江戸川乱歩コーナーの資料についても当地への移設を検討する。
 ・(仮称)乱歩資料館や江戸川乱歩生家の維持管理・運営にあたっては、民間で行うことを基本に検討していく。
 ・細川邸と桝田医院第2病棟とそれをつなぐ“ひやわい”は一体的な環境整備に配慮していく。
 ・第2回再生整備プロジェクト会議結果をふまえ事務局で、数案を基本に次回利活用方針を検討する。
2. 課題その他
 ・桝田医院第2病棟を建て替える場合は、建築基準法上前面道路が最低1.8m 必要であり、現況を取り急ぎ確認する必要がある。
 ・平成18年2月に細川邸の仮オープンを目指したいが、事業スケジュールやまちづくり交付金事業、その他法的条件等との整合化も必要。
 ・実施設計にあたっては、事業スケジュールやまちづくり交付金事業、その他法的条件等との整合化等も含め、事業コンペの手法が可能か検討する。
 ・9月中には、細川邸の蔵から荷物の搬出を完了する必要がある(事務局から細川氏に依頼済み)。

 背景を水色にしたパートが議事録からの転載分ですが、それにしても発狂したような夏でした。私はこの年の6月25日、池袋で開催された『子不語の夢』『紅楼夢の殺人』日本推理作家協会賞落選記念大宴会に出席し、翌日名張に帰ってきたのですがそのまた翌日、新聞記事で名張まちなか再生委員会が発足したことを知りました。2007年5月28日付伝言から新聞記事を転載。

名張地区活性化
官民一体で再生委スタート
 商店街の空洞化や人口減が進む名張市の中心市街地・名張地区の活性化に官民一体で取り組む「名張まちなか再生委員会」の設立総会が二十六日、同市元町のリバーナホールで開かれた。

 委員会は、住民による名張地区まちづくり推進協議会を中心に、市や市内各種団体の代表者四十一人で結成。今年三月に市が策定した活性化計画「まちなか再生プラン」を実践する。

 プランには、旧家「細川邸」の改修による歴史資料館化や、地区を網の目のように走る簗瀬水路周辺の景観整備など、地域の固有資源を活用した事業が盛り込まれた。委員会は改修・整備内容や運営方針などを市からゲタを預けられた形で具体的に決めていく。

 それで「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」にもあるとおり、私は7月1日に名張まちなか再生委員会の事務局で委員会についてあれこれ問い質したわけであったのですが、おなじ7月の10日にはさる市民団体が細川邸の裏にスフィンクスとピラミッドの絵を掲げてくれるわ、15日には名張市議会議員の先生方二十人が怪人二十面相に扮して大阪の道頓堀に出没してくれるわ、29日の名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの会合では、

 ──現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない。

 というとんでもない決定がくだされるわ。うすらばかのみなさんほんっと大丈夫? 発狂してないっすか? みたいな尋常ならざる夏であったと思い返される次第です。

 歴史拠点整備プロジェクトの会合ももとより尋常ではなかったようで、7月4日の第一回会合では、

 ──桝田医院別館第2病棟の利活用にあたっては、江戸川乱歩をテーマとする必要がある。

 などということが平然と話し合われております。上の中日新聞の記事にもあるとおり、名張まちなか再生委員会は2005年3月に策定された名張まちなか再生プランを実践するための組織ですから、プランに盛り込まれていなかった桝田医院第二病棟の活用を検討する権限なんか有しておらぬはずなのですが、そんな簡単なことさえわからない委員会って何? あほ?

 つづく7月29日の会合では、

 ──細川邸は、歴史資料館ではなく“(仮称)初瀬街道からくり館”を基本テーマとする。

 とプランの目玉であった細川邸活用構想にあっさり変更が加えられています。何? あほ?

 これを要するに名張地区既成市街地再生計画策定委員会によって策定されたプランなど葉っぱ一枚の重さももっていなかったということでしょう。名張まちなか再生委員会にとって決定という行為は何の意味もないもので、プランにはいくらでも勝手に手を加えることができるんだもんねと彼らは考えていたわけです。官民双方ふだんからなあなあでことを進めるのが習慣になっていたからでしょうか。あるいは、名張地区既成市街地再生計画策定委員会なんて適当に委員を集めて体裁をつくろっただけの組織であり、そんな委員会の決定に重きを置く必要は全然ないという認識が名張まちなか再生委員会に潜在していたということなのでしょうか。いずれにしてもひどい話で、細川邸の活用策がいまだに決定を見ていないことから考えますに、他者による決定を軽んずるものは自身の決定において泣きを見る、といったことになりましょうか。

関連書籍
乱歩と名古屋 地方都市モダニズムと探偵小説原風景 小松史生子
5月7日 風媒社 東海風の道文庫2
著:小松史生子
プロローグ
明治43年ごろの名古屋(地図)
第1章 浅草崩壊/大須の寂れ
『押絵と旅する男』喪失事件浅草のロビンソン──その原点は名古屋に東京と名古屋──都市のアリバイ小説『猟奇の果』
第2章 名古屋モダニズムと平井家の興亡
父・繁男の軌跡──明治モダニズムの一典型明治期名古屋の経済界と平井家乱歩を育んだ家──名古屋広小路の発展不発のモダニズム──名古屋近代建築に見られる思想
第3章 原っぱの中の人工楽園
旅順海戦館の思い出名古屋の博覧会──モダニズム都市への出発点原っぱの中のモダニズム
第4章 活字へのフェティシズム/映画の夢
別世界への入口──活字との出会い涙香との出会い──貸本屋大惣ジゴマの夢──名古屋御園座
エピローグ ふたたび大須ホテルへ
江戸川乱歩 略年譜
あとがき
 本日は新刊のお知らせ。小松史生子さんの『乱歩と名古屋』、名古屋市中区にある風媒社から出版されました。下の画像をクリックしていただくと、別ウインドウに版元のサイトの紹介ページが現れます。

 帯にもあるとおり、名古屋という地方都市のアンバランスなモダニズムが少年乱歩の心に何を刻印したのか、地域史も視野に入れながら多面的に考察した一冊です。乱歩ファンならぜひどうぞ。

 いきなり名張が登場いたしますので(出していただくほどのものではまったくないのですが、それでも名張の名前が出てくるととても嬉しい名張市民の私です)、プロローグから引いておきます。

 乱歩と東京、乱歩と大阪、乱歩と名張──近年の都市と文学の相関性について研究が進む途上で、乱歩と関わりの深い都市が注目されてきた。上記三都市と乱歩、および乱歩作品とのリンクは、これまでさまざまな角度から紹介され、検討されてきている。
 しかし、乱歩が多感な少年時代を一番長く過ごした土地である名古屋については、残念ながらそれほど多く語られているわけではない。これはいったいなぜなのか? 言及するに足る資料が遺っていないためなのか? 否、資料は現時点でもなかなかにそろっている。乱歩自身が名古屋についてたびたび言及しており、それはエッセイや小文のかたちでいまに残されているし、手がかりは充分だ。さらに、乱歩の父・平井繁男は当時、名古屋の有力な実業家と繋がりをもち、そちら方面からのアプローチも可能である。だから、乱歩と名古屋の関係が、これまであまり顧みられなかったのには、何か他の要因があるに違いない。しかし、それが何であるのかは、しかと言い解くことはできない。なにか、曖昧模糊とした、オブラートに包まれた〈乱歩と名古屋〉というテーマが、目先にチラチラと揺曳するばかりである。
 「名古屋という街の特殊性」──そういう言葉で紋切り型に言い切ってしまうのも考えものだ。街には、どこの街であれ、それぞれその街固有の色があるだろう。とはいえ……或いはもしかしたら、名古屋はその固有性というものに一種独特の揺らぎをもっているのかもしれない。東と西の文化圏に挟まれ、双方の文化を吸収、もしくは回避することのできる土地──革新と保守、そのどちらの形態をも時に応じて、必要に応じて取ることのできる土地。

 そんな土地で乱歩は何を体験したのか、どうぞ手に取ってお読みください。気になるお値段は本体千と二百円。

 名古屋と乱歩と来れば、名張と乱歩はどうなっておるのか、とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。そういえば2005年6月25日の『子不語の夢』『紅楼夢の殺人』日本推理作家協会賞落選記念大宴会でも、出席者の方から、

 「あの『乱歩と名張』って本どうなってるんですか」

 とのお尋ねをいただいたこともまざまざと思い出される次第ですが、名古屋市天白区にある出版社から刊行することになっている『乱歩と名張』は、名張市は乱歩をこれからどうしようというのか、細川邸の整備に乱歩は関連するのかしないのか、桝田医院第二病棟はどうなるのか、名張市立図書館乱歩コーナーに展示してある乱歩の遺品や著作はどうなってしまうのか、いまだにすべてが曖昧で、名張における乱歩はこうなのであると確たるところを記すことができませんので、ずっとずーっと宙に浮いたままになっております。思考停止や先送りもたいがいにしてもらいたいものである。


 ■5月31日(木)
てんやわんや議事録2005 

 きのうにつづいてまいりましょう。名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトのてんやわんや議事録2005年8月篇です。「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」から転載。

8月2日、名張まちなか再生委員会事務局から不肖サンデーに対し、
 「現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない」
 という歴史拠点整備プロジェクトの回答が電話で伝えられました。

8月2日、掲示板「人外境だより」に「新 怪人二十面相」から投稿がありました。一部引用。
ようこそ
からくりの町 なばりへ

8月3日、「人外境だより」に「新 怪人二十面相」から投稿がありました。一部引用。
歴史や文化はこの域でないと語るなと
見受けられるような主、

 同日、「怪人22面相」からも投稿がありました。

8月4日、「人外境だより」に「怪人19面相」から投稿がありました。一部引用。
そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!
回りくどい難しい言い回しでわかりにくいことくどくどゆうな、ボケ!

8月8日、名張市役所の市議会特別委員会室で「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」を開いていただき、不肖サンデー僭越ながら講師を相務めました。出席は二十議員中十四議員。右のリンク先「人外境主人伝言2005年8月下旬」から引きますと、不肖サンデーこのように申しあげて講座を終えました。
 「名張市はもう乱歩から手を引くべきであると思います」

8月17日、名張まちなか再生委員会の役員会が開かれました。不肖サンデー事務局に対して委員会の協議内容を公表するように要請してあったのですが、右のリンク先「人外境主人伝言録2005年10月中旬」から引きますと、
委員会の審議のプロセスを公表するべきかどうか、公表するとすればどんな方法によるべきか、そういったことを事務局が役員に諮るには至らなかったとのことでした。理由は、事務局側の準備不足と、議題が多かったことによる時間不足だったそうです。

8月29日、不肖サンデー名張市の生活環境部宛にメールを送信し、生活部長に「写したくなる町名張をつくる会」についての見解をお訊きしました。右のリンク先「人外境主人伝言2005年9月上旬」から一部引用。
 今回の問題でとくに重要なのは、彼らの投稿内容が、彼らの活動そのものの愚劣さや欺瞞性を浮き彫りにしているのみならず、市民公益活動実践事業全体を貶める結果を招き、ひいては名張市のイメージまで悪化させてしまうのではないかと懸念されることです。この事業を手がける生活環境部の長という重職にお就きの貴職は、この件に関してどのような見解をお持ちでしょうか。また、何らかの措置をお考えでしょうか。

8月30日、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの第三回会合が開かれました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した議事録から転載。
(1)開催の目的と協議事項
1. 目的
 整備に向けて、地区内の資源の確認と、活用できる細川邸や桝田医院等の確認、整備後の維持管理運営について協議する。
2. 協議事項
 ・対象地区のまちづくり資源(都市空間)の確認
 ・細川邸や桝田医院を整備する目的の再確認
 ・目的達成のための維持管理運営についての確認
(2)協議決定結果
1. 決定事項
 ・細川邸の川蔵は、川側からの景観を考えると残すべきであるが、補修費用と効果を考えて今後検討すべき。
 ・乱歩文学館的施設は市町村が運営するか、財団法人化している場合が多い。今後は乱歩文学館の運営方針もあわせて検討が必要。
 ・名張まちなか再生委員会で細川邸などの施設を管理するのは難しい。NPO なども含み公設民営を検討する別の組織づくりが必要である。
 ・細川邸と桝田医院第2病棟跡地活用施設を管理や事業収支も含め一体的に検討していく必要がある。
2. 課題その他
 ・市が管理しているまちなか再生費を、ゆめづくり交付金のような使い方で運用できないのか?
 ・事業の進捗が遅い。細川邸は老朽化して危険な状況である。早期に解体を願いたい。
 ・細川邸を管理運営するにあたっては、行政からのある程度の支援制度も検討願いたい。
 ・藤堂家邸なども含むまちなか全体の管理運営を一体的に検討すべき。名張地区まちづくり推進協議会の位置づけや TMO などの制度に関しても今後検討が必要。
 ・乱歩生家の長屋は三軒つながりであったので、一つは生家、一つは資料館、一つは憩いのスペースとして再生する案も乱歩蔵びらきの会で検討中である。

 2005年は7月につづいて8月もまた気のふれたような夏となりました。とくに笑えたのは「新 怪人二十面相」だの「怪人22面相」だの「怪人19面相」だのと名乗って掲示板「人外境だより」に噴飯ものの投稿をしてくださったあほのみなさんですけれど、あのみなさんはいまも元気にしていらっしゃるのでしょうか。それにしたってお里が知れるぞ。だいたいが、

 「ようこそ からくりの町 なばりへ」

 なんていってしまったら7月29日の歴史拠点整備プロジェクトの会合で、

 ──細川邸は、歴史資料館ではなく“(仮称)初瀬街道からくり館”を基本テーマとする。

 と勝手に決めてしまった人たちのお仲間だということはすぐに知れますし、

 「歴史や文化はこの域でないと語るなと 見受けられるような主」

 なんていってしまったら手前どもは歴史や文化のことをよく存じませんので歴史拠点整備プロジェクトの協議が全然前に進みません、どうもいけませんやとみずから告白しているのとおなじではないか。きわめつけというべきは、

 「そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!」

 との宣言であって、あーあ、とうとうゆうてしまいやがったあのあほ、と歴史拠点整備プロジェクトの内部にもこの投稿に舌打ちした方がいらっしゃるのではないかと拝察された次第でしたが、ちょっとつっつかれただけでここまでうちつけに本音を吐露してしまうばかというのも珍しい。しかしプロジェクトにおける自身の役割に忠実であろうとしたがゆえの投稿であったのだと考えてみれば、ばかはばかなりに一生懸命であったのだなとそぞろあわれをおぼえぬでもありません。ま、いくら一生懸命になったところでばかはばかなんですけど。

 そんなことはともかく、8月30日の第三回会合。協議がほんとに前に進んでおりません。「今後検討すべき」「検討が必要」「検討していく必要がある」。こんなことばっか話し合われていたみたいです。

 つづいて9月。ほかの事項は省いて議事録の内容だけ転載。

9月14日、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの第四回会合が開かれました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した議事録から転載。
(1)開催の目的と協議事項
1. 目的
 細川邸及び桝田医院第2病棟跡地活用施設に関して協議・検討し、方向を定める。
2. 協議事項
 ・まちなか再生プランの基本戦略(案)について
 ・細川邸・桝田医院第2病棟跡地活用施設の基本戦略(可能性のある導入機能(各邸の役割)、導入機能の枠組図)について
 ・整備イメージについて
(2)協議決定結果
1. 決定事項
 ・母屋や蔵の整備に加えて、新たに中庭を囲うような外カフェを作るのは面白い。二期工事になってもいいので、絵としては表現しておくべき。
 ・細川邸は、あくまでも公設民営によるまちなか再生の契機となることが前提である。行政として全く支援しないということではないが、基本は民営で検討する。
 ・(仮称)初瀬街道からくり館、(仮称)江戸川乱歩記念館の公設民営における民側の組織設立にむけた、研究会準備会のような組織が必要である。
2. 課題その他
 ・細川邸の井戸や土間、土蔵は活かすべきであるが、整備するにあたっては、まず何をやりたいか、継続するための戦略と運営主体を決めることが重要である。
 ・細川邸は、公設公営でなく、公設民営が基本である。だからまず運営主体を明確にすべき。
 ・細川邸は、地区のコミュニティを満足させる施設にするのか、経営の視点で整備するのかで大きく異なることになるが、みんなで参加できるまちづくりに資することが重要である。
 ・桝田医院第2病棟跡地については、生家の復元と展示室や子供たちが乱歩作品を読める場所を確保したい。
 ・桝田医院第2病棟跡地活用施設の整備方針は、本 PJ でも十分に協議してきていない。現在の案をたたき台にして、案を煮詰めていく必要がある。
 ・桝田医院第2病棟跡地活用施設に関しては、細川邸と同じ公設民営の視点でも性格は異なる。財源の問題も含めて運営の母体となる組織で具体的に検討していきたい。
 ・この PJ 委員は気楽なイメージで参画している。長い目で徐々に管理組織を立ち上げていくべきである。

 「この PJ 委員は気楽なイメージで参画している」などとほざいたのはどこのどいつか。どこのうすらばかか。税金の具体的なつかいみちを決める場に気楽なイメージで参画しておるというのかこのばかは。

 いやまあそんなことはいいけど、

 ──細川邸は、あくまでも公設民営によるまちなか再生の契機となることが前提である。行政として全く支援しないということではないが、基本は民営で検討する。

 とはどういうことでしょう。案じますに、8月30日の会合で課題とされていた「細川邸を管理運営するにあたっては、行政からのある程度の支援制度も検討願いたい」との要請を受けて行政サイドから伝えられた方針であると見るべきなのでしょうが、「基本は民営」などと断定する根拠はどこにあるのか。名張まちなか再生プランに、

 ──なお、歴史資料館の管理運営は民間が担う公設民営方式とします。

 と記されている文言が唯一の根拠でしょう。しかもこの文言には「公設民営方式」とすべき理由や背景はいっさい記されておらず、「なお」という接続詞を使用してまるでついでに書いときますみたいな感じになっているのがずるいといえばとてもずるい。

 10月を見てみましょう。10月13日、さる市民団体の手で近鉄名張駅東口にニューヨークの写真が掲げられたのですが──

 同日、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの第五回会合が開かれました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した議事録から転載。
(1)開催の目的と協議事項
1. 目的
 名張まちなか再生委員会・再生整備プロジェクトにおけるこれまでの活動実績を確認するとともに、細川邸や桝田医院第2病棟跡地活用施設の整備方向に関して再確認する。
2. 協議事項
 ・名張まちなか再生委員会・再生整備プロジェクトにおけるこれまでの活動実績について
 ・細川邸や桝田医院第2病棟跡地活用施設の整備方向について
(2)協議決定結果
1. 決定事項
 ・細川邸整備後の維持管理方針に関しては、交流拠点整備 PJ との連携により、運営に関する実行委員会的組織の設置を検討していく。
 ・細川邸の改修費に関しては、地元住民による管理運営体制をふまえながら予算化を検討していく。
 ・細川邸の解体除却工事は、11月に業者が決まり、年内には解体除却工事に着工する予定である。
2. 課題その他
 ・桝田医院第2病棟跡地活用施設に関しては、方向として生家の復元と、資料館的な施設整備を行うこととなっているが、今後詳細は教育委員会や図書館関係者も加わり、専門組織で煮詰めていく必要がある。
 ・桝田医院第2病棟跡地活用施設に関しては、東京都豊島区の幻影城との関係にもこだわって検討していくべき。
 ・細川邸と桝田医院第2病棟跡地活用施設は一体的に検討するのが有効である。
 ・歴史拠点整備 PJ に関して施設の整備方向は概ねそろった。あとは管理運営面を検討していく必要がある。
 ・青蓮寺湖や赤目四十八滝への観光客が酒蔵の見学に来る際に、大型駐車場の有無の問い合わせがある。名張まちなか再生には駐車場の問題も今後検討する必要がある。

 相も変わらず「検討していく」だの「煮詰めていく必要がある」だの「検討していく必要がある」だのばっかです。プロジェクトのメンバー各位におかれましては何かを検討しなければならないということはさすがにご理解いただけているようであるけれど、いつまでたってもその検討がはじまりません。つまり検討する能力がないわけです。誰だこんなうすらばか集めてきたのは。名張市はこんな役立たずなみなさんにお集まりいただいていったい何をしたかったのでしょうか。

 ──桝田医院第2病棟跡地活用施設に関しては、方向として生家の復元と、資料館的な施設整備を行うこととなっているが、今後詳細は教育委員会や図書館関係者も加わり、専門組織で煮詰めていく必要がある。

 といった課題にいたっては、自分たちは無能力だから専門組織をつくってくれないと話がいっこうに進まないと宣言しているようなものではありませんか。しっかりしろばーか。

 11月。

11月10日、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの第六回会合が開かれました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した議事録から転載。
(1)開催の目的と協議事項
1. 目的
 これまでの再生整備プロジェクトにおける活動実績をふまえ、その成果を共有するとともに、今後の活動方向に関して意見交換をする。
2. 協議事項
 ・細川邸と桝田医院第2病棟跡地活用施設について
 ・今後の再生整備プロジェクトの活動計画について
(2)協議決定結果
1. 決定事項
 ・細川邸や桝田医院第2病棟跡地活用施設はまちづくり交付金事業で整備していくことは決まっている。
2. 課題その他
 ・まちづくり交付金事業の残りの年度で、早く成果が目にみえるものとなるよう地元に事業計画を示してほしい。
 ・細川邸の整備費に関しては、行政側は費用対効果の話をせざるをえない状況もある。このため、民側において管理運営面の検討をお願いしたい。
 ・細川邸の解体除却工事受注業者も決まり、今後は管理運営面を検討していく必要があるが、歴史拠点整備 PJ ではこれ以上議論が難しい。
 ・(仮称)まちづくり研究会のような専門組織で管理運営面を検討していく必要がある。

 行政サイドの本音が語られました。

 ──細川邸の整備費に関しては、行政側は費用対効果の話をせざるをえない状況もある。このため、民側において管理運営面の検討をお願いしたい。

 とはどういうことか。「行政側は費用対効果の話をせざるをえない状況もある」とはどういうことか。民間だって費用対効果の話はするわけである。ていうか、費用対効果の話なんてのはもともと民間のものであって、遅ればせながら費用対効果のことを行政が口にしだしたのはごく最近のことである。そして費用対効果を勘案した結果、名張まちなかから商業者がどんどんどんどん撤退していったのである。そんな不景気なまちなかで名張市は「民側において管理運営面の検討をお願いしたい」と虫のいいことをいってるわけね。細川邸を公設民営方式とやらで整備しなければならぬ理由を説明することなどいっさいせず、ただ行政には対面とか面子とかがありまして費用対効果の面でマイナス評価が出た日には誰から何をいわれるか、ですからハコだけは税金でちゃんと整備いたしますのであとは民間の努力でもってなんとかひとつまあ、なんてこといってるわけね。換言するならば、名張まちなかにどんな施設をつくってたとえば入場料を徴収してみたところで収支がつぐなうはずがない、という認識を名張市は示しているわけなのね。これってひどくね?

 12月。

12月11日、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの第七回会合が開かれました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した議事録から転載。
(1)開催の目的と協議事項
1. 目的
 細川邸の解体除却現場をみながら、川蔵の必要性等に関して協議するとともに、今後の協議・検討の進め方に関して意見交換する。
2. 協議事項
 ・細川邸解体除却現場の確認
 ・今後の進め方について意見交換
(2)協議決定結果
1. 決定事項
 ・プロジェクトとしては母屋を改修し蔵も残していく方向での結論を整理したが、川側の土蔵を含み細川邸整備の具体的な判断は、実際に細川邸を活用して事業を展開する(仮称)管理運営委員会的組織が検討していく必要がある。
2. 課題その他
 ・川蔵は景観的な意味からは残すべきであるが、使い方が決まっていないのに単に残すのはおかしい。
 ・細川邸の解体除却は12月22日が工期となっているが、蔵やアオギリなどの対処もあるため工期延長なども含めて検討している。
 ・現場にある自然石は活かすべきである。
 ・今後3年間の事業予算の具体案を提示すべきである。
 ・H16〜H20年度でまちなか再生は3億円程度に事業規模を絞り込んでいくこととしたが、予算ありきの議論ではなく、今後まちづくりにどう取り組んで行くのかが重要である。
 ・H21年度以降は国の事業メニューも検討しながら事業を継続していきたい。
 ・名張の観光地として赤目四十八滝と青蓮寺ぶどう園に加えて旧町内が重要な位置づけとなるはずである。その意味で細川邸の活用は重要である。

 自然石を活かすとかなんとかそんな細かいこという前にもっと検討しなければならぬことがあるだろうが、とも思われるのですが、検討能力皆無なんですから石のことを話題にするしかないのでしょう。石やーきいもー、でも売ってくっか?

 顧みますれば細川邸を「(仮称)初瀬街道からくり館」にするとの方針が打ち出されたのはこの年7月29日の会合だったわけですが、12月にいたっても初瀬街道からくり館とやらに関する具体的な協議はまったく行われず、それどころか協議は完全に暗礁に乗りあげてしまって、こうなったら「(仮称)管理運営委員会的組織」みたいなのつくってもらってそこに丸投げするしかないじゃん、みたいな空気が支配的になっていたことがうかがえます。なんかもう怒る気にもなれんけど。

ウェブニュース
金沢の伝統的街並み、銀幕発世界へ 今秋、仏映画が茶屋街ロケ 江戸川乱歩原作
北國新聞ホームページ
5月31日 北國新聞社
石川のニュース
 きょうは新聞記事で行っときます。

 乱歩の「陰獣」が日仏合作で映画化されることになったそうです。北國新聞のニュースをどうぞ。

金沢の伝統的街並み、銀幕発世界へ 今秋、仏映画が茶屋街ロケ 江戸川乱歩原作
 江戸川乱歩の小説「陰獣(いんじゅう)」を原作としたフランス映画「INJU」のロケが、金沢市内の茶屋街で行われることが30日までに決まった。ひがし茶屋街を第一候補に、10月にもフランス人スタッフらが撮影に入る。早ければ来年中に、金沢の伝統的な街並みが各国の銀幕に映し出される見込みで、ロケに協力する金沢フィルムコミッション(FC)は「金沢を世界にアピールする絶好の機会」と歓迎している。

 一九二八(昭和三)年発表の原作小説「陰獣」は、各国で翻訳され、フランス国内でも人気が高い。

 映画「INJU」は、映画監督バーベット・シュローダー氏がメガホンを取る。同氏はカンヌ国際映画祭の最高賞「パルムドール」やアカデミー監督賞にノミネートされたことがあり、国際的な評価を得ている。フランスの映画制作会社と日本の制作プロダクション・クロスメディア社(東京)が手掛ける日仏合作となる。主人公の探偵小説家をフランス人、ヒロインは日本人俳優が演じる。フランス国内だけでなく日本でも邦画大手からの配給が計画されている。

北国新聞ホームページ 2007/05/31/04:00